施術師たちの会話: ムァインジ、ムリナ、チャリ、アンザジ厄介な憑依霊について語る

目次

  1. 概要

    1. 施術上の親子関係

    2. 施術師同士の絆

    3. 施術師たちの意見交換会

    4. 日記より

  2. テキストの日本語訳

    1. 霊の棲み処: ムズカはヤバい

    2. ムリナとその霊

    3. 憑依霊って厄介

  3. これが本番(唱えごとの日本語訳)

    1. ムァインジ、チャリにジネ・ムァンガのンガタを授ける

    2. ムァインジ氏、チャリのもつ憑依霊ドゥルマ人に対して唱えごと

  4. 考察・コメント

    1. ムズカはやばい

    1. ムリナとその霊

    2. 憑依霊って厄介

    1. ムァインジ氏の唱えごと

  5. 注釈

概要

施術上の親子関係

ンゴマ(ngoma)について紹介した際に、その重要な参加者に主宰する施術師の「施術上の子供たち」がいることに要約的に触れた。それは施術師とその施術を受けた患者との関係に基づいた、やや持続する社会関係である。どんな人も、病気の際にその治療を当てにできる複数の施術師を念頭に置いている。占いの最後に、その誰が実際の施術師になるかが、相談者が占いの施術師に差し出す複数の生木の枝のどれを選ぶかで決まる。その治療結果に感銘を受け、その施術師に対する信奉を深めた人は、自らその施術師の「ムコバ(mukoba1施術用の編み袋)に入る」ことを選び、その施術師の「施術上の子供(mwana wa chiganga2)となる。正式に「ムコバに入」らないまでも、かかりつけの医師のように信奉する施術師との密な関係に入る患者とその家族たちもいて、彼らも「施術上の子供たち」と語られることもある。施術上の子供は、施術師の施術の助手として施術にさまざまな形で協力する。それに関しては上記の要約を見られたい。この関係は、ほとんど一生を通じて続く場合もないわけではないが、多くの場合それほど長続きしない(人間関係におけるさまざまなトラブル、嫉妬や執着などはつきものである)。「ムコバに入る」手続きがあるように「ムコバから出る」手続きもある。ムコバに入っていない信奉者の中には、自然と脚が遠のいたり、離れていく者もいる。その一方で、新たな患者が施術師子供たちのサークルに加わってくる。いったん「ムコバから出て」離反した子供が、その後病気などを契機に、もう一度戻ってくるといった場合もある。この事例に関して施術上の親子関係の中に含まれる葛藤要因を考察しているので、興味のある方はどうぞ。

このように「施術上の子供」とされる人々のつながりは、時間とともに変化する。どれくらいの人々が、そのときの実効的な「子供」かは、施術師が主宰する「月のカヤンバ」などで施術師の声掛けで当日、集まってくるのが誰かでだいたいわかる。まあ、そうした流動性のある半ばインフォーマルな集まりである。

施術師同士の絆

施術師と患者(とその親族たち)のこうした関係よりも、やや持続性のある施術上の親子関係は、施術師同士の間で見られるものである。憑依霊を多数持つ者のなかには、憑依霊の施術師になる者がいる。なぜなら憑依霊が宿主に対してもつ様々な要求のなかでも最大のものは、「仕事」の要求、つまり宿主自身がその憑依霊の施術師になるという要求だからである。「外に出すンゴマ(ngoma ya kulavya konze(or nze))」と呼ばれる盛大なンゴマを通じて、宿主は施術師になる。

この「外に出すンゴマ」が、他のンゴマと違っている点は、男女二人の施術師によって主宰されねばならないという点である。この男女は必ずしも夫婦である必要はない。が、それぞれが、このンゴマでその霊の施術師となる者の施術上の父および母となる。つまり施術師となるものは施術上の父と母の「子供」として「外に出される」わけである。そして同時に当該憑依霊は、瓢箪子供の形をとって、あらたに施術師となった者の「子供」として「外に出される」。(同時に、二人の主宰する施術師は「外に出さ」れた憑依霊たちを、自分たちの子供と語ることがある。)

「外に出すンゴマ」による施術上の親子関係は、通常の施術上の親子関係が施術上の父子あるいは母子のいずれか一方だけであるのに対し、父と母の間の子供として、より完全な親子関係ということになる。施術師の唱えごとのなかで繰り返される決まり文句に「誰それはその父とその母とから生まれました。神の被造物、人間です。(後半は、きれいな息をもって生まれました、などバリエーションあり)」というのがある。「その父と母とから生まれる」ことに一種の存在としての完全性が含意されている。

単なる施術上の親子関係については、ムコバから出たり入ったり、関係が切れたりできたりする履歴がいちいち辿られることはないが、「外に出すンゴマ」による施術上の親子関係は、憑依霊に対する唱えごとのなかで、すべての履歴が逐一述べられねばならない(一例)。それは子供として外に出された憑依霊たちに対する、施術師の「親」としての特権的な関係を保証するものとなっている。子供(憑依霊)は親のいうことを聞くべきだ(あまりちゃんと従ってはくれないけれど)。

こうした親子関係で結ばれた施術師同士の間に、対抗心や嫉妬が全く無いわけではなく、完全に仲違いしてしまうようなケースもときに見られる。しかし通常の施術上の親子関係に比べて安定していることは確かである。とりわけ、施術師は自分で自分の病気を治すことはできず、また同じく憑依霊の施術師であっても配偶者によっても治すことができないとされている。というわけで、施術師は自分を苦しめている憑依霊に通じた、こうした施術上の親や、子供の手を必要とする。つまり互いに癒し合う、治療し合う関係でもある。

さらに専門家どうしとして、こうした親子関係でつながった施術師同士が出会うと、共通の興味関心に従う情報交換(雑談)でおおいに盛り上がる。このページで取り上げるのは、こうした専門家同士の「深く濃い」雑談の一例である。

施術師たちの意見交換会

このように互いに治療し合う施術上の親子関係でつながった施術師どうしが久しぶりに会うと、どんな会話が展開するのだろうか。Mwainzi氏とその妻Anzaziは、Chariのライカ、シェラ、デナを外に出すンゴマが、1989年、1990年の2度にわたって不首尾に終わった後に、ついに三度目の正直で満足のいく結果をもたらしてくれた施術師夫妻で、1991年に行われたこのンゴマ以来、チャリたちと極めて親密な関係にある施術師夫婦である。互いの憑依霊に対する知識に敬意を払い合っている。今回はチャリの病気治療を求めての訪問だった。Mwainzi夫婦がチャリの施術上の父母という関係であるが、後にAnzaziの病気が世界導師によるものと判明し、その治療と世界導師を外に出すンゴマをチャリたちが主宰したことで、世界導師に関してはムリナとチャリの夫婦がAnzaziさんの施術上の父母になるという、相互的な親子関係になり、互いが主宰するンゴマに遠方からゲストとして参加することも多く、親密な関係が長く続いた。

日記より

(from diary of Oct.7,1992(Wed), kpwaluka) ...12時すぎ、キナンゴでムリナたちと合流、Bang'aのMwainzi宅訪問。こちらではunga15がほとんど手に入らず、人々は相変わらずチャパティなどで凌いでいる。金が必要でウシは減っていくばかりとなげく。チャリ、アンザジと仲良くmudurumaの布のkuhunga16。ムリナ、Mwainziと雑談。さすが施術師同士の雑談だけあって、自分たちを悩ませるpepoの話に終始する。ムリナはチャリについているmudigo17とshera26にkukokotera108し、チャリが再びvuri112の畑仕事にかかれるようにと望んでいる。それとjine mwanga74のngata56

テキストの日本語訳

各パラグラフ冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語のテキストに飛びます。

霊の棲み処: ムズカはやばい

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Chari(C): 上の方に、蜂が群れ飛んでるのよ、もう馬鹿みたいに。 Anzazi(A): (ムズカ(muzuka47の)洞窟のなかの上の方で? C: ええ。 A: バオバブの木の洞みたいに。 C: でも、あの蜂たちときたら、ああ!あの連中(チャリの施術上の子供たち)ったら、ああ、逃げろ。みんな逃げ出しちゃう。 Murina(M): 蜂はそこでルンバ(rumba)を踊ってるのさ。蜂たちには私たちは見えない。私たちは水に潜って外に出るのさ。 A: なに?そこ(ムズカの場所)に着いたら、皆さん、中に入るんですか? C: 水中にってこと? A: いえ、その大洞窟の中に。 M: そりゃ、入らないとね。 C: 私はまずね、中の方まで入っていくの、で、立ち上がって、さらに奥まで行きます。 M: 水のなかに入らないといけない。水がここ(胸)のあたりまで来るまでね。さて、その洞窟はこちらに続く。そしてあなたは水中に潜って、ここ(一番奥)に行く。 Mwainzi(Mw): その日にも? C: そうよ。カリンボ(浜本)が心配してね。「お母さんが完全に潜っちゃった。頭も見えない」って。 A: 大仕事ね。 Mw: そこではそんな大仕事がされてたんだ!

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Chari(C): 同行者は二人ともすでに帰っていって、私の施術上の子供が一人。見ると、顔色が真っ青(字義通りには白々)、頭がぐるんぐるん114しているの。ピング(pingu57)を縫ってあげたら治ったわ。 Mwainzi(Mw): なんと恐ろしい(phakali115)場所。 C: 恐ろしいところよ。 Anzazi(A): そこには、あなたは(憑依霊たちの)椅子(複数 vihingbwa116118)を身に着けて行く必要があるわね。それらを持っていかなければね。 C: うん。でも私は私の椅子(複数)を忘れたりしないわ。 Murina(M): 私は持ってなかった。 C: この人は持ってなかったの。 A: さらに、他の人たちも、もしかしてもっていない? C: ああ、でも私、後で全員に縫ってあげてたわ。 Mw: 彼らは言われるだろう。こいつらは何をしに来たんだと。皆、(椅子を)持っていない。 M: でもそいつ(ムズカの主)は私のことを知っているのさ。私は自分の鶏が(ムズカに置かれるのが)嫌だってこと。 Mw: 例の仔山羊たち(鶏のこと)はそこに入れられたんだ? A: なんとそこに入れられたのね。知らなかったわ。 M: そいつは、私の鶏がそこに入れられたのが嫌だってわかっているんだ。だって無理やり私がそいつから取り上げたんだから。 C: (そこにいる女性に向かって)あなた、ンデグヮの奥さん、それともムリナの奥さん? M: そこキンバララ(ムズカの名前)、あのちょっとした洞窟、そこの上で私たちが先日(いっしょに)草木を採ったその場所、そこもとっても恐ろしい場所なんだよ。

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Chari(C): 先日、行き始めたところ? Murina(M): あそこも恐ろしい場所だよ。 C: 先日ね、あの、あの嘘つきの...さん、その娘さんが、そこに水くみに行ったのよ。そこに着いてね、彼女が言うには。その子はいずれ癒しの術を出すことになるわね。彼女が言うには、「お母さん、水を汲みに行ったところは、わぁぁ、もうたくさんの人々といったら、まあ。少しじゃないのよ。」私は言いました。「ああ、この子、ちょっとおかしいんじゃない(muvyoni119)?」でも、本当だったのよね。 M: そこは、恐ろしい場所だよ。一昨日、夜が明けたら昨日になる一昨日、その子に例の草木を採ってきてくれるよう言ったんだよ。私は彼女に言ったよ。「しっかり採ってきてね」って。そして(その後すぐ)私もそこまで行った。 Mw: その子はもう水場に行っていたのかい? M: するとね、私は妙な気分になった。 C: さらに、そこってあの洞窟なのよね。 Anzazi: あなたがたのあのンガタ(ngata56)は身に着けて行ってたの? M: 家に置いてきちゃったんだよ。 C: 彼女はそれを身に着けてたんでしょ? M: 異様な感覚さ。耳のなかではブウェケ、ブウェケ、ブウェケ120鳴っている。ウェケ、ウェケ、ウェケ。目は突然見えなくなる。いったい何だってんだ。これまで当たったこともないような風が吹きつけてくる。 C: あなた、そこに行くとしたら、その..なにを採りにいったのよね。

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Murina(M): さて、私がまさにその草木を握ると、髪のつけ根がハラハラハラ121。私は言ったね。「ああ、どうぞお好きに、あんた。私は草木を折り取るよ。」 Chari(C): あそこだよ、カリンボといっしょに先日行った所、その後でいっしょに下っていった。 Hamamoto(H): うむ。 M: 最初は、その草木は、まるで電気みたいに私を引き寄せやがった。その草木。そいつを握ると、そいつは私を引っぱる、でも私はそれを折り採った。 Mwainzi(Mw): (そこの主が引き起こした)不思議だね。あなたがそれを身体のうちに経験するようにとね。 C: そこ、けっしてただの場所じゃないよ。 M: 立ち去るとき、持っていたのは葉のついた一本の枝だけだよ。二度と戻らなかった。 C: そう、私は言ったわ。どうしてそんな小さな枝、一本だけ持ってきたのって。 Anzazi(A): そうじゃなかったとしても、結局、負けてたでしょうね。彼は葉のついた枝一本持ってきた。他の草木のために、もう一度戻ろうとはしなかった。だって、心(roho122)は、すっかり別様になってしまってたんだから。 M: 一週間というもの、私を蔑む人々が列をなしてやって来るんだ。ほら!泥棒だ、ほら!泥棒だ。泥棒だ!と呼ばわった奴が通り過ぎると、別の奴がやって来る。ほら!泥棒だ!そいつも通り過ぎる。全員、嘲りの声はどれも私を蔑みつくす。そう実に奇妙なやり方で、私を蔑むんだ。 A: あなたは眠っているの?それとも... M: 私は眠っている。さあ、来る者、来る者、ほら!泥棒だと言いたがる。そして通り過ぎる。全員。小さい女が。あいつは泥棒だ、泥棒だと言うばかり。私は目を覚ます。そして言うんだ。じゃあ、私の盗みとは、私が何を盗んだというんだ、ってね。

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Anzazi(A): あなたが他人(憑依霊)の草木を盗んだって言うんでしょう。あなたは盗んでなど... Chari(C): もし、そんな風に草木採取に行くのなら、例の護符(pingu57)を持っていくのが望ましいわね。 Mwainzi(Mw): うん、その方が良い。 C: 彼も、もしクズザ(kuzuza27)の仕事を終えたなら... Murina(M): そこで、別のやつ(憑依霊)がやって来たんだ。そいつは私に多くの草木を教えに来た。教えて、教えて、さて私はどの草木を折り取ろうか。私はすでに草木については知っているんだよ。 C: でもね、もしそんな風に(憑依霊から)教えてもらったのなら、あなたは折り採ればいいのよ。だって、あなたが本当に欲しているのは癒しの術でしょ。 A: そうよ、癒しの術よ。 Mw: 彼は「外に出し」てもらいたい。 C: 彼は「外に出し」てもらいたい。すぐにもあなた方が彼を扇ぎに(mupunga123)来る。 A: ところで、あなたが教えてもらったそれらの草木だけど、あなたの知らない草木は一つもなかったわけ?全部、あなたが知っているものばかりなの? M: 全部、すっかり私は知っているんだ。 A: でも教えてもらうこと以上に、癒しの術そのものがあなた、欲しいんじゃないの。 C: ああ、でもその日のうちに欲しいわけ? M: そう、だからそいつはやって来て、私に徹夜でクズザさせるってわけだ。 C: 彼にしても、もし突然そんな風にし始めたのなら、ねえ、あなたはそこで立ち上がって、彼といっしょに、たとえそれがどこであろうともいっしょに行くべきよ。朝まで目をさまさずにね。

ムリナとその霊

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Anzazi(A): ところでそのクズザだけど、病人をクズザするの、それともただクズザする(そのやり方をおさらいする)だけ? Murina(M): 病人を実際にクズザするんだよ。そして私は歌うんだけど、その歌は私に涙を流させて、私は実際に泣いてしまうんだよ。目が覚めたら、実際に涙が流れていた。 Chari(C): 飢饉が襲ってきてるんで、私は... M: でも例のターバンを巻いたやつが出てくると、さて、私はとても大変な仕事を背負い込んだんだ。 Hamamoto(H): 誰のことですか? M: ジンジャ導師(mwalimu jinja127)だよ。私は彼と本当に何度も何度もクズザし続けたよ。他の憑依霊たちもいたけど、でも彼がもっとも留まった。彼にはとてもかなわない。だって2か月もの間だよ。そしてそいつが私に教えた草木は、普通によく使われる草木ばかり。 Mwainzi(Mw): でも、さてあなたが(正式に)癒しの術を外に出してもらうときには、あなたは同じ草木をまた教えてもらうことになるんだよ。 M: それが私の現状だよ。さて、今さら行ってどの草木を折り採れって言うんだい? Mw: いや。私が(草木を)教えられたっていうのは、私が外に出してもらったからこそ...

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Anzazi(A): ねえ、(草木を)折り採ることだけど、あなた自身、癒しの術を外に出してもらって、病人を治療しに行くようにならないで、どうやって折り採れるっていうの?どうなの、あなた今、折り採って病人を治しに行けるの? Murina(M): いえ、とんでもない。 Chari(C): 普通はって、何なんでしょう。もしそんな風に(夢で憑依霊から)草木を教えられたら、憑依霊たちがあなたに教えたことにならないとでも?あなたはさっさと折り採って、戻って揉み潰して揉み潰して(薬液にして)自分自身で浴びる。それだけのこと。 Woman(W): そうよ。まさにそのとおりよ。それが望まれているやり方よ。さて、そうしたら、あなたはあなたの身体がしゃんとするのを感じるわ。 M: まさに先日、そいつがやって来ると(夢の中に)、私をとっても高い木に上らせたんだよ。 C: (そこで遊んでいた子供に)さあ、行った、行った。自分で歩いて行きなさいってば。 M: とにかく高い木で、見上げるとまるでムヴレのお椀(muvure128)のよう。その一番上に上って、こんな風に葉を踏んで立ったんだ。一番てっぺんでね。 Mwainzi(Mw): それこそ、彼ら(憑依霊たち)の業そのものだね。 M: わああ。さらにそいつが言うには、「南の風をとれ、南の風をとれ。北の方角の風をとれ、西の風をとれ、東の風をとれ」って。そして、そいつは私の身体の向きを変えさせた、まるで私の写真でも撮るみたいに。ああ、すごく苦しかった。 Mw: ああ、お前さん、その後は身体はしばらく元にはもどるまいね。 A: ああ、ちゃんとあれこれ(施術を)調えてもらいなさいな。今は、どうせ当分苦しい(貧しく惨めな)ままでしょうし。いつ終わるともしれない。 M: ああ、今の飢饉にはうんざりだね、お母さん。何で(空腹と)戯れたら136いいのかもわからない。

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Anzazi(A): ああ、そうね、飢饉に慣れる(平気になる)ことなんかないでしょうね。いつになったら終わるのか、よね。飢餓と病気。飢餓はいつかは立ち去るもの。でも今の飢饉は、やって来てまるで永遠に居座るつもりみたいね(Yino nayo yakudza ya kamare.)。 Mwainzi(Mw): 私の場合は、(お金の工面のために)いろんな人と格闘するばかり。 A: (お金を)手に入れるために奔走。こちらには飢えに対処するためのお金の問題、あちらにはこの身体のために調えてもらうためのお金の問題。だって、あなたは身体は自分で守るしかないものね。 Murina(M): 正直言って、飢饉のせいで「ちょっと抜く」地区を去って以来、私には全く仕事がない。 A: (子供に向かって)お前、ビーズをばら撒いちゃって、お前ったらもう。退きなさい。 M: (自分語りが続く)...ただの人だよ。ほんとのこと。ただの人、ただ(何もせず)座っているだけの。誰(憑依霊)が通り過ぎていくかもわからない。 Mw: 問題のせいで、お前さんのイスラム系の憑依霊たち、お前さんが治療するそいつらも、塞ぎ閉ざされてしまう(活動できなくなってしまう)こともありうるからね。 A: (まだ子供を叱っている)もう、触らないでって。後で拾い集めたらいいから。そこを退きなさい。 Mw: 憑依霊は厄介だね。自分でもわかってるけど、憑依霊ってのは厄介だ。

憑依霊って厄介

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Mwainzi(Mw): 憑依霊は厄介だね。自分でもわかってるけど、憑依霊ってのは厄介だ。 Murina(M): こいつ(Chari)にしても、(彼女の憑依霊が)ワリ(wari137)すら食べるのを嫌がるんだ。 Chari(C): 先日、先日なんか突然、血を吐いたのよ。昨日の前日。 Mw: ワリを拒絶するという症状が関係してるんだね。 M: ワリを食べるということでは、そいつはワリそのものを嫌ってるんだよ。 C: 明日よ、明日は私はワリを食べない人。明日って木曜日でしょ。もうびっくりよ。 Mw: ワリを食べられないんだ! C: 明後日まではね。たぶんジャガイモとキャベツでも探そうかしら。さて、明日になったら私の食事は、それってこと。 Mw: ここじゃね、戦争だよ、ここじゃ。ワリに関してはね。取っ組み合いみたいに食べ尽くされる。でも、この人(Anzazi)ときたら、チャパティを一枚食べたら、もう、それでお終い。さてその憑依霊がここに到来したら、ここに紙巻きタバコを用意してなくちゃならない。 C: 私もよ、その紙巻きタバコっていう性癖、昨日になって始まったの。昨日、私、朝紙巻きタバコ買いに行ったわ。なんてまあ、紙巻きタバコをとっても美味しいと感じるのよ。(買ったのは)一本だけ。だから消して、(残りを)置いておいたわ。 Mw: 紙巻きタバコという性癖。 Hamamoto(H): その性癖を引き起こすのはどの憑依霊ですか? Mw: ムミアニの「白人」(muzungu wa mumiani138)だよ。 H: うむ。ムミアニの「白人」。 C: さて、この人(ムミアニの白人)、あなたは知ってるわね?

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Murina(M): あのズボンを履いている奴ら(ケヤの白人)も同じだね。 Chari(C): あのイスラムの霊(ズングオの奴140)も紙巻きタバコを吸うわ。 Hamamoto(H): 木曜日にワリを食べるのを禁じているのも、このムミアニの「白人」ですか? M: いやいや、それはこいつ憑依霊セゲジュ人(muzegeju141)だよ。 H: おお、憑依霊セゲジュ人ですね。でも紙巻きタバコの性癖はこいつムミアニの「白人」ですね。 M: 「白人(muzungu)」、そいつも吸うよ。彼「(ケヤの)白人」も吸うよ。 (Mwainzi氏、自分に要求してくる別の憑依霊について語る) Mwainzi(Mw): そもそも、私にはお金がないんだよ。じゃなきゃ、布にしてもとうに測って(購入して)ただろうに。おまけにとっても小さい布なんだ。私は言われたんだ。そいつはやって来るんだ。私はそのとき小屋の中に座っていた。でもこんな風に上に座っていたんだ147。そいつは丸太棒(梁として渡されている)の上にいる。その小屋は、こんな風に丸太棒が置かれているんだ。さて、そいつはやって来ると、私に挨拶した。そいつはそこに降りてきた。「母さんや、この人に椅子を出してあげてよ」とそいつは言う147。そいつは服(布(nguo))を着ている。その帽子、そこに(縫い付けてある?)布切れはいっぱい。(着ている)小さいシャツも、たくさんの草木。そして手には本を持っている。さて、そいつは言う。「私はマルワ・ワ・ブドゥ(maruwa wa abudu148)だ。」私は立ち上がって、あの椅子を取りに行きます。するとそいつが言うには「いや、私はそこには座らない。あちらの私の小屋に連れて行ってくれ。そこにこそ私が座る椅子がある。私は背もたれのある椅子には座らない。」 C: でも、そいつムビリキモ(mbilichimo93)じゃないの?

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Mwainzi(Mw): 「私が座る椅子は脚の(3本)ある椅子だ。」私自身がちょっと先に立って、彼とあちらの小屋に行ったよ。そいつが言うには「わかるだろう。私はお前に自分はマルワだと言った。お前、私をマルワ・ワ・ブドゥだと思ってるな。なんと、お前は私がわからないのか。私こそムガイ(mugayi149)だぞ。私は貧乏しているよ、お前。私のいで立ちを見てごらん。これが一枚布に見えるかい。私はムガイ(貧乏人)。さあ、あちらの小屋に行こう。お前に言うことがある。」私は彼の先に立って、そこに行くと、(三本)脚の椅子を置いて、彼に差し出したよ。ああ、そいつのいで立ちときたら... Murina(M): 布切れのツギハギなんだろ。 Mw: そう、布は... そう、あらゆる布切れを身体にまとっている。さて、その帽子、小さい帽子なんだけど、ビーズ飾りが、こちらと、こちらと、こちらと、こちらに垂れ下がっている。そいつが言うことには「わかるだろう。私の椅子は腰を下ろすためのこいつだ。さあ、お前、お前の椅子もこれだよ。後は、お前はこれと同じような服(布)を買いなさい。お前もそれを味わうがいい。ほら、この本をあげよう。お前はこれからこの本を眺めることになる。そしてお前はそれを眺めて、いったい(妖術使いは)何者か(を知ることができる)。」そこで私はその本を手にとって、それを小屋の中にきちんと置いた。さて、外に戻って、さて楽しく会話しましょうと。そこではっと目が覚めた。でも本は、私は小屋の中にきちんと置いた。 M: そこで彼の姿は消えたんだね。

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Mwainzi(Mw): そこで私はびっくりしてとび起きたんだよ。つまり、そいつは私に、お前もこの本とこの服を手に入れたら、お前自身、味わえるだろうと言ったのさ。たとえもしお前が妖術をかけられたとしても、お前は仕事をして、お前自身で知ることができるだろうと。さて、そこで目が覚めたのさ。ああ、私はその服がほしいよ。でも金が!ああ手に入らない。あれこれ考えても... Murina(M): 金は古着に使い尽くした150 Mw: 古着にね。ところで、その(憑依霊ムガイの)服は、ここまでの丈しかないんだ。 M: すごく小さいんだね。 Mw: そう、すごく小さい。裾はここ辺りまで。ここ臍のところまでの丈にしろって言われたんだよ。そしてこの、(胴に巻いて結ぶ)黒い布には、白い線を、この辺りから、ここ上まで施せって。 M: 腰のところに? Mw: ああ、違うよ。ここ下から始まるんだよ、その白い線は。 M: 腿のところから? Mw: そう。 M: つまり横面に? Mw: そう、横面に。そして(その布で)胴を巻いて縛る。線は一本だけ。さてこちらには例の小さいシャツ、そして小さい帽子。「私のように着なさい。そして見守ってなさい。」ってね。「もしお前が死ぬときには、これら全ても終わりになる。お前は、(癒しの)仕事をここでやりなさい、そしてもし人(妖術使い)が出てきたら、知ることになるだろうよ。...ああ、さあ、このことは早急に調えなさい」

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Murina(M): まずは、あなた、その服(布)を手に入れないとね。 Mwainzi(Mw): 仕立て職人と先日話したんだけどね。子供を(キナンゴ病院に)連れて来る用があってね。私は言ったんだ。ねえあんた職人さん、私には私を苦しめている一人の憑依霊がいるんですよって。 Hamamoto(H): つまり、そいつが憑依霊ムガイですね。 Mw: そう。さてそいつの服(布)... Chari(C): 私も今、グーシェの布(gushe152)があって、そいつを仕立て... H: ムガイと憑依霊ドゥルマ人は同一の憑依霊じゃないですか、それとも違う人? M: そいつらは互いに隣人だよ。 Mw: 彼らは隣人どうしだよ。さて、お前は言われる。「あなた、まずお金を工面しなさいな。だってムルングの布の小片をこの辺りに縫いつけて、別の小片をこちらに... M: つまり、ツギハギにね。 Mw: そうツギハギ、シャツ全体がすっかり埋まるまで。 M: つまり、実にみっともない。 Mw: そう。実にみっともない。だって貧乏人らしく。さらに帽子も、また同じように、ツギハギ。さて、施術に行くときにも、それを着て、クズザ(kuzuza27)に行くにもその格好で。さあ、あなたじっくり感じてください。私は言いましたよ。ああ、ああ.. M: 本当にバカバカしい服じゃないかい。 Mw: そう良い服とは言えない。 (ムリナ、別の夢の話を始める) M: (誰かが問い詰めている)「お前、なんでここに寝ているんだ?」 C: その日は、私たちは畑に寝ていたの。

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Murina(M): 「お前は誰のワリ(wari137)を食べてるんだ?お前は他人のものを食べてるだけ。お前はこの土地にやって来たけど、お前の友人っていったい誰?お前はここから出ていくことになるよ。」 Chari(C): そいつはここ、マットレスの上に寝てた。でもマットレスから退かされて、草むらに寝に行かされたの。「お前、なんでここに寝ているんだ?お前の場所はどっちだ?」と言われて。 M: さて、こちらでカヤンバを打った。そいつは手に蝿追いハタキを持って、(草むらを)立ち去る。 Mwainzi(Mw): そいつ立ち去るのかい? M: そう。そいつは立ち去る。カヤンバは(小屋の)中。そいつは立ち去る。流れてくる。 C: 「私は追い出された」 M: さて、私はそいつのために子供たちを呼んで、さっそくカヤンバだよ。そいつがやって来て言うには「私はここから徹底的に追い払われたよ。そう。だから私は家に帰るよ。ここには友はいないと言われたよ。」私はそいつに言った。「あなたを追い出した奴が間違っている。でもここは仕事をするところだよ。あなたはここに仕事をしにやって来たんじゃないのかい?じゃあ、あなた、心をひとつにして仕事なさいな。でも、もしあいつがあなたを拒絶したとしても、それは住む場所を拒絶しただけだよ。そいつにしても(住む)場所は手に入れられないよ。(仕事をしないのなら)あなた方皆いっしょに、自分たちの家にお帰りなさいな。私は怠惰な者は嫌いです。」そいつが言うには「あいつらここに住んでいる連中(憑依霊)は、ずいぶん昔にやって来て、ただ何もせずに(dovyoo153)座っている。ここにね。皆、ただ住んでいる。でも仕事をするやつは一人もいない。ただ住んで脚を伸ばしているだけだ。私は自分の仕事をもってやって来た。私は、布さえいただければね、もう仕事しますよ。私独りで。私には友はいませんから。」そこで私は言ったよ。「じゃあ、仕事なさいな。」そいつはカリンボ(浜本)に泣きついて、あの長衣を買ってもらったよ。ああ、それで、本当に仕事してくれてるんだよ。 Mw: ああ、あの憑依霊のことだね!

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Murina(M): そいつだよ。まさに仕事人そのもの。しかもそいつ独りで、そいつだけの仕事を。 Mwainzi(Mw): そいつだけの仕事をね。ああ、ほんとに、憑依霊っていうのはキリがないね。(新しいのが)やって来るときには、ただやって来るだけ。 M: 今は、そいつは私を急き立てるんだよ。ワリ(wari137)を食べないんだ。バナナが欲しいんだと。(ムリナの家の)バナナの木はしおれて、終わってしまった。じゃあ、私はどこでバナナを手に入れろと言うんだい? Mw: はああ、私もね、ここで、私の妻だけど、ねえ、わかるだろあんた、妻とあれらの憑依霊たち、そして私は、もはや家畜の交易人(muchuzi)なんかじゃない(飢饉のおかげで家畜を売り買いする元手も無くなってしまった)。 M: さらに憑依霊ペンバ人がいる。今やそいつが私を急き立てようとしてる。 Mw: はあ、憑依霊ペンバ人と言えば、あんた自身が、それを調えるためのことをすべて知り尽くしている奴なんじゃないかい。 M: 私は(憑依霊ペンバ人のために)鍋を設置したんだが、そいつ、突然暴発して、(鍋を)溢れさせて駄目にしやがったんだよ。鍋は中にあるんだけど、香料ともども腐ってる。 Chari(C): 結局、失敗したわけよ。 Mw: 鍋は失敗だった? M: 憑依霊ドゥルマ人が、その鍋を嫌ってるんだよ。 Anzazi(A): 憑依霊ドゥルマ人が? M: 全く嫌っている。 C: そもそも、私のお腹も膨満して、全体が一つの痼りみたいなの。

5598

Murina(M): さて、私は香料を鍋に押し込んだのさ。するとそこで鍋が失敗した。突然、ひとりでに暴発した。さて、もう私には何も言うべきことがないよ。 Mwainzi(Mw): 憑依霊ドゥルマ人が嫌がっている? M: そいつはローズウォーターの匂いが全く嫌いなんだよ。 Mw: ああ!憑依霊ドゥルマ人は自分だけの香料があるからなあ。 M: そう、そんな風に仲間(憑依霊)と齟齬が生まれるんだよな。あいつ(憑依霊ドゥルマ人)だけ別に食べさせておいて、彼の仲間(の他の憑依霊たち)が食べるのには干渉させないようにしないと。 Mw: はあ、まあ憑依霊ドゥルマ人、もし布だけが問題だったら.... M: 憑依霊ドゥルマ人をまず(彼(女)の)鍋の湯気にあたらせた。さて、彼(or彼女、新たにやってきた霊)を探して、「お前は憑依霊ドゥルマ人かい?」「いや、別人だよ。」で、そいつを手に入れることになる。 Mw: あんたはそいつを手に入れことになる。彼らも現れてくる(出てくる)ことになるよね。 M: あとは、そいつを確保するだけさ。そいつが誰なのか私はまだ知らない。そこで、私はそいつの家まで素早く運ばれる。もうありえないほどの家だ。 Mw: とても素晴らしい家。 M: わあ!私はすぐさまその家を打ち込んだ(据えた)よ。 Mw: その家を地面に打ち込んだ? M: 今は、小屋の内枠を組んでいるところ(柱を立て、それに横木を結びつけているところ)だよ。昨日は一日中その作業、おかげでまだ身体が痛い。 Mw: 床にはセメントもしっかり打つんだろうね。 M: まさにそうしたいところだよ。

5599

Mwainzi(Mw): はあ、そう、あんたは言われてるわけだね。もしそんな風にすれば、あの長い脚をもった連中が... Murina(M): もう大奮闘154あるのみだよ。そいつのためのその家作りに大忙し。約束の日に、そいつがやって来たら、上からその家を見てもらうよ。ああ、昨日は一日中、そして今もなおさ。昨日は、ほんの少しの部分を残してしまった。(木材を縛る)縄が無くなっちゃったんだ。これから帰ったら、縄を入手して、明日には、うまくいけば、そこを終わらせることができる。全能の神の助けがあれば、そこを午前中に終わらせて、梁にする木材を切り出して、壁土詰めもしたい。 Mw: そちらの良いところは、(壁材に用いる)土が手近にあるところだね。 M: ああ!私は、土だけで壁を詰めるつもり。あなた、家作りってのは身体が疲れるよね。 Mw: ところで建てる家は、キドゥルマ・タイプ155の家? M: 仔ウシ・タイプ156だよ。 Mw: 仔ウシ・タイプかい? M: とっても長い家になるよ。

これが本番(唱えごとの日本語訳)

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ムァインジ、チャリにジネ・ムァンガのンガタを授ける

5601 (ムァインジ氏による唱えごと、途中から)

Mwainzi(Mw): その腹を解きほどいて下さるよう欲します。その腹が、つつがなきことを、その腹が。(その腹のなかで)何かが捏ね作られ、そして消失してしまう、そんなことがないように。あなたジネ・ムァンガ(jine mwanga74)は、なし。今日、今、このンガタ(ngata56)を、両の手でお受け取りください。あなた、ジネ・ムァンガよ。あなたにはあなたの大いなる椅子そのものがある。あなたのヒリジ(hirizi58)です。それも調えられます。あなたの写真を撮り(ここではヒリジの中に封入する紙に憑依霊の絵を描くことを指す)、その後に、あなたの香料と、あなたのローズウォーターです。はあ、あなたにはピング(pingu57)を差し上げることになるでしょう。でも今は、これ、このンガタです。さて、このンガタで、この私の子供(施術上の子供2)が経験しておりますこれらの問題から、彼女が自由になり、つつがなくなりますように、サラマ、サラミーニ157。彼女がつつがなくありますように。この者はその父と母から生まれ、(癒しの)仕事も外に出しますよう。あなた、ジネ・ムァンガだと言われたのです。あなた、夜に、昼に、人を襲う者よ。さて、施術師とは一箇所に腰を据えてしまわず、眠らず、昼に仕事、夜にも仕事なものです。でもこの者に病気を注ぎ込むのは、なしです。私は、そんなのは嫌です。ンガタはこれです。 (ムァインジ、唱えごとを終え、ンガタを薬液の隣に置く) Chari(C): 私は、何をしたらいいのかすら、わからないわ。はああ。わたし、さて、どうしてなの。あの年、一昨年、病気はますます乾くみたいだったわ。流産したでしょ。もう一度妊娠したけれど、7月になって、消え去ってしまった。全く何も。その後、私はニャマウィさんのところに行って、「重荷をおろし(kuphula mizigo96)」を受けたかったの。でも彼が言うには、妊娠中の女性には「重荷下ろし」はできませんって。

5602 (薬液の差し出しに関するムァインジ氏の唱えごと)

Mwainzi(Mw): 私たちは皆様方に「お邪魔いたします(hodini158)」と申します。ムァチェ(Mwache159)の皆様方「お邪魔いたします」。カンエンガヤツリ草(mukangaga160)の皆様方「お邪魔いたします」睡蓮(matoro161)の皆様方「お邪魔いたします」...(聞き取れない)...の皆様方「お邪魔いたします」。私が入る許しを乞うのは、この女性奴隷(mujakazi fr.Swahili mjakazi)のためです。この女性奴隷は、あなた全能の神(mwenyezi mungu162)よ、この者は困難に見舞われております。あなた全能のムルング(mwenyezi mulungu)よ、もしあなたが彼女に癒しの術(urongi163)を本当にお与えになるのであれば、彼女は夜に、昼に癒しの術を行うもの。なのになぜ彼女はいつも病気なのですか、あなた全能のムルングよ?さらに癒しの術を与えられた人は、つつがなきこと(uzima164)こそ彼女のもの、どうか彼女が健康を手に入れ、仲間の人々を治療できるようしてやってください。そして彼女自身が、日々まったく仕事を見ることもなく、盛大な歌(wira12)をあたえられることもありません。ところでこのように歌を与えられるのは、あなた全能のムルングとともにです。なのにあなたは砦(ngome165)があなたの子供たちによって引っ掻き回されるにまかせておられる。いったい何事でしょう、あなた全能のムルングよ。 いっしょにおられる憑依霊アラブ人(mwarabu166)とバラワ人(mubarawa167)子神とサンバラ人(musambala168)子神とクァビ人(mukpwaphi169)子神。そしてあなたカツィンバカジ子神(katsimbakazi34)、あなたこそ偉大なる癒し手。そしてあなたムヮンガラ(mwangala170)とあなたライカ(laika33)子神とあなた憑依霊ガラ人(mugala171)子神。 ここで、私はこのようにミチョチョニ(michocho172)を差し出すことを宣言します。ちょっとしたただの薬液(kavuo6)です。そう、草木(vidzihi, diminitive of mihi)を細かく切り刻んだりしますか?そんな風に差し出される薬液があるでしょうか? さて、皆様方どうかこの身体を解きほどいてください。それが健康でありますように。腹が便秘になることも、まずなくしてください。彼女自身が歩いていて、身体に力がないと感じることも、なくしてください。この身体をどうか解きほどいてください、あなたムァムニイカ(mwamunyika173)子神、あなたキリマンジャロ子神(mwana chirimanjaro)もごいっしょに。

5603 (ムァインジ氏の唱えごと続く)

Mwainzi(Mw): あなた全能のムルング。この者に、あなたは与えられました。匠(施術師)175なのです。この者は匠なのです。さて、あなた全能のムルングよ。この者に、私は癒しの術を再び与えました。もし私がムルング子神を外に出したと言ったとすれば、(それは嘘になります)彼女は(私と同様の)仲間の施術師たちによって出されました。私はというと、その先で彼女を助けることになりました。あなた全能のムルングよ。 さて、この砦ですが、そこには多くの人々(憑依霊たち)がいます。そこには、あなたニャリ(nyari91)がいます。そしてあなた方ニャリはその数が多い。ニャリ・キピンデ(nyari chipinde176がいます。ニャリ・ヴンザヴンザ(nyari vunza vunza177)もいます。ニャリ・ムァブンバ(nyari mwabumba178)も、ニャリ・サガリロ(nyari sagariro179)も、ニャリ・キピンデもいます。オーケー。皆様方、この砦を解きほどいてください、この砦を。この者に昼に夜に癒しの術(urongi163)をお与えください。でも、二度と彼女を投げ倒す、投げ倒すのはなし。はあ、あ。なしです。なしです。この者を解きほどいてください。 あなた長老、ミスター・マサイ(bwana masai180)人もいらっしゃいます。あなた長老、デナ・ムカンベ(dena mukambe185)もいらっしゃいます。あなた方はお二人とも長老だと言われています。お仕事は、これなる砦がつつがなきようにしてください。そして外を飾り立てて198ください。しかしムコバ(mukoba1)は家の飾りではありません。飾りになっているとしたら、それは悪い状態です。なぜなら家の飾りになるということは、問題が彼女に返ってきてしまうことだからです。さて、人がやって来ても、その人はああ、彼女(施術師)は病人だと言う。人がやって来ても、彼女が病人だと言う。ムコバもどこにも行かない。そうではなく、今、皆様方どうか彼女に健康を与えてください、彼女を解きほどいてください。皆様方、世界の住人の子神たち全員で。

5604 (ムァインジの唱えごと、続く)

Mwainzi(Mw): さて、この砦には、多くの人がいます。そこにはあなたディゴの女性(muchetu wa chidigo106)、あなた狂気を煮立てる者(mujita k'oma105)、あなたシェラの女(muchetu wa shera26)。あなたシェラの女よ、そう、あなたは故郷のギリアマからやって来ました。ギリアマを出て、キノンド(Chinondo199)に行き、キノンドを出て、ゾンボ(Dzombo200)に行き、ゾンボを出て、腰を下ろす砦が見つからず、結局、「私はあちらに行きます、私の故郷ギリアマに戻ります」とおっしゃる。でもその途中で、あなたはこのチャリに出会われたのです。それからというもの、あなたはそこに腰を下ろされている。さて、多くの施術師がこの身体を治療しました。ある者はしかじかのやり方で、他の者は云々のやり方で。最後に、私が私の癒しの術をこの身体に調えにやって参りました。 あなた、マレラ子神(marera201)、今日この日に解きほどいて下さるよう願います、あなたディゴの女性よ202。あなた方のためのちょっとした薬液がそれです。私はあなた方を、あなた方の母である全能のムルングとご一緒に混ぜ合わせました。どうか皆様方、ご一緒にお召し上がり下さい。今や、耕作の季節が始まっています。今は耕作の季節です。あなたディゴの女性よ、あなたのやることと言えば、怠惰です。マンゴー木の場所を去り、イチジクの木々に、そしてカシューナッツの木に行く。あなたときたら、水の深みを探しては、水の中に腰を下ろし、水浴びし、そこから出ようともしない。あなたがお持ちになっているのは怠惰だけです。ところで、私はあなたのためにあらゆることを調えて、彼女に与えました。仕事のための子供(瓢箪子供133のこと)も彼女に与えました。そして癒しの仕事に関して、漂ってくる匂い(世間の評判)を嗅ぎますと、仕事は実にちゃんとされていると。じゃあ、後は彼女自身に健康を与えることだけじゃないですか。今、彼女に健康を与えて下さい、あなたシェラの女よ、あなたディゴの女性よ。彼女に健康を与え、その仕事をさせ、畑に着くと、休む気すら起こさないように。

5605 (ムァインジの唱えごと、続く)

Mwainzi(Mw): これはちょっとした薬液(kavuo vuo)です。(彼女の)夫(dzumbe203)が言ったことには「私が私の家を仕上げたら、彼女に歌(wira12)を与えよう。歌を与えて、彼女が今度の小雨季(vuri)にしっかり耕作できるように。」だから、この身体を解きほどいてください、そして歌が開催されるとき、この歌がこのちょっとした薬液から出たものだと言えますように。そう、彼女が健康で、歌を与えられますように。そして彼女は言われますように。「さて、この歌を私は差し出しました、あなたが手鍬を握って、耕作しますように」と。妻とは、薪採りに行き、薪を伐って、ここに置くもの、畑に行って、マチェーテ(mundu204)を握って、茂みをすっかり切り払うもの。あなた方も手鍬を与えられ、耕してください。そして収穫が得られたら、あなた方は歌を与えられます。 人々は、体力(余裕の無さ)のせいで、うまく行かないものです。でもあなた方、いつもどおりの世界の住人子神の皆さまは、そこにはおられない。農耕の季節が到来すれば、歌は与えられません。(人々は)手鍬を握って、耕しに行く。トウモロコシがしっかり実れば、ああ私のトウモロコシは実った。人が収穫するところまで行けば、あなたは歌を与えられます。さあ、あなたは、仲間を治療することに専念する。これこそあるべき姿。なのに、家のなかでは、物事はまったくうまく行かないのです、あなた方、私の友よ。 さて、今日この日、どうか皆さまおだやかに。私はあなた方の父として、あなた方にお話いたします。私はあなた方が耳をお傾けになり、手鍬を握って、耕されるよう望みます。そして怠惰さを追い求めたりなさらぬよう。まずは、身体が健康でありますように。そして仕事をしっかりしますように。これこそ私が望んでいることです、あなた方世界の住人子神の皆様。

5606 (ムァインジの唱えごと、続く)

Mwainzi(Mw): この砦には多くの人々がおります。イスラム系の憑依霊たち(mashetani205)もこのように。あなたロハニ子神206もいます、あなたバルーチ人子神(mwana bulushi209)もいます、あなたスディアニ導師(sudiani50)も、クルアニ導師(kuruwani210)、あなたペンバの女(muchetu wa chipemba196)もいます。 ジネ・ムァンガ(jine mwanga74)、あなたジネ・ムァンガ、今、あなたはこの者を夜に昼に襲う(unaanjira211)、あなたジネ・ムァンガよ。私はこの者に、今、彼女の仕事を与え、昼に(患者の家に向かい)出歩き、夜に出歩き、でも、あなたが戻ってきてこの者を再び襲うこと無きよう望みます、あなたジネ・ムァンガよ。私は、今日、今、あなたにあなたのンガタ(ngata56)をお与えします。もし本当にあなたの仕業なのでしたら、腹が便秘で膨れ上がることから腹が解放されますように、この腹が便秘で膨れることから腹が今日にも解放されますように。そして身体は健康で、癒しの術の夢に打たれますように。でも夢の中にあれらの碌でもない連中がやって来ることは、なし。彼らはやって来て、あとに病気を残していくのです。身体のなかでそうしたことをやらかす連中が。今日この日、私はンガタを差し出す、それだけです。もし本当に、あなたジネ・ムァンガの仕業なら、あなたがそうしたことをやらかしているのなら、今、私はあなたが、私が差し出すこのンガタを両の手で受け取ることを欲します。彼女が仕事をし、さらには、事態がほんとうに良好になったら、私は、腰を下ろすためのあなたの椅子を、あなたに調えるためにやってまいります。さ、あなたも仕事をなさって下さい。昼を飾り、夜を飾りなさい。癒し手は眠気を感じません。誰それさんとその名を呼ばれると、もう目を覚ましていて、声を集めて大急ぎで返事します。なんと妖術使いがあなたを捕らえにやって来ていたのです212。(冗談) Chari(C): Muk....213のこと。

5607

Mwainzi(Mw): そう。(Muk....も)思い知るがいいよ、自分が本当に困難に見舞われているとね。 (夢の話からシームレスに唱えごとに移行) ああ、私の場合も、なんてこと!夜に、問題が起こるんです。小屋の戸が開かれて、誰かがキティティ(chititi214)を握って、占いを打ち始める。そして言います。「朝になったら、お出でなさいな。私は他の人間たちを捕らえたことはありません。お前さんだけです。」夜が明けたら、そいつはそいつのムコバ(複数1)をもって、たしかに出てきます。そいつは治療に出かけるのです。で病人は治る。それこそ私が欲していることです。でも例の悪い悪い夢ばかり見るという問題は、あなたジネ・ムァンガのせいだと言われています。私は今日、この日、あなたにあなたのンガタをあたえます。今日以降は、こうした問題から解放されますように。どうか、おだやかに。ンガタはこれです。解きほどいてください、あなたジネ・ムァンガよ。今、もう争いはございません。私はつつがなきことを望みます。この腹が便秘で膨れ上がることも、そう、解き放て。どうか解きほどいてください。 (チャリに) みんなはここ首筋にンガタを結ぶね。 Chari(C): 思い出したわ、マブィンディさんのこと。奥さんが自分の夫にンガタを結びに行ったんだって。大急ぎで出ていくと、言うことには、ああ、お前さん彼をキツく結びすぎてるよ。 Mw: ああ、私は置いておくだけって感じ。ご自分たちで上手に結んで下さいな。

ムァインジ氏、チャリのもつ憑依霊ドゥルマ人に対して唱えごと

5608

Mwainzi(Mw): 今日この日に私はお話いたします。私はあなた方の父です。というのも、この者(Chari)はここに「重荷を下ろし」に参りました。彼女の母はあの者(Anzazi)です。彼女の父はこれです。どうか解きほどきください。あなた、カシディの人(mwakasidi132)、あなたカルメンガラ子神(mwana kalumengala131)、内の問題もあなたは知っている、外の問題もあなたは知っている。さて、あなたカルメンガラ子神、そもそもあなたは癒しの術はすでに与えられたのに、あなたは相変わらず争いを持っていると言われます。どんな問題を抱えておられるのか、私にはわかりません。もしかしてヴィトゥク(vituku215)でしょうか、もうヴィトゥクはあるのではないですか? Murina(M): ヴィトゥクもまだ無いし、ムロイ(muroi217)も無い。 Mw: ムロイがないって?なに?(もっている憑依霊の)仕事のどれも、彼女、まだムロイを手に入れてないって? M: まだなんだよ。 Mw: おやまあ!すると、あのムルングすら、もしそういうことなら、まだすべてが終わったわけじゃないんだね。 Chari(C): まだなの。 Mw: なんとそういうことなんだ。 (唱えごと再開) さて、私はあなたにお話いたします。あなたカルメンガラ子神、あなたカガイ(kagayi218)、この者を夜に昼に困窮させないでください。彼女は食事をすることも、もはや嫌っています。そして腹が便秘で膨満しているのです。さて、もしあなたカルメンガラ子神のせいならば。それとも、あなたはまだあなたを飾り立てるものに満足なさっていない。でもあの太陽のおかげで、この辺り一帯は二度と収穫が得られないのです。また収穫が得られません。あなたカルメンガラ子神、あなたカシディの人のことを、人々が嫌っているんだ、なんておっしゃらないでください。この身体を解きほどいていただけませんか?腹が、便秘で膨満することのないように。食べ物を見て、いかなる食用野草であれ食べ、食べたら腹は健康であれ。あなたカガイ、あなたの妻ニョエ(nyoe219)もご一緒に。どうか場所を見つけて、そこで大人しくしていて下さい。

5609 (ムァインジ氏の唱えごと、続く)

Mwainzi(Mw): もしかしてあなたはキトゥク(chituku215)の人ですか。あなたのキトゥクを手に入れられるでしょう。そう、私は今この身体を解きほどいていただきたいのですよ、あなたカルメンガラ子神よ。もしや、あなたは男性ですか。それならあなたは木でできたあなたの子供(mwanawe wa kadzihi220)を手に入れることになるでしょう。なぜなら、男性の憑依霊は、木の棒のその子供を調えてもらうことができるからです。そう、まずはこの身体を十分に解きほどくこと。そうすればあなたは調えてもらえるでしょう、調えてもらえるでしょう。でも、現在は、この地はひどい状態です、ひどい状態です。私が申しましたように、ここは凶作、そして私の子供たちも同じく収穫を得ていません。今はどうかお静まり下さい、皆様方、友よ。身体を解きほどいて下さい、身体を解きほどいて下さい、あなた憑依霊ドゥルマ人子神よ。もしンゴマでしたら、そのうちに開催いたします、そして他の残ったご要望も、すべてお応えしつくします。もし争いが多く、もしかしてあなた全能のムルング、あなたもあなたのムロイ(muroi217)を欲しておられるのかもしれません。もしそう欲しておられるのなら、あなたにもお与えします。あなたがお握りになると、あなたの子供たちもいっしょに握ることになります。さらに誰それのムロイ、誰それのムロイといった形で、それ以上の問題が起きることは、もうありません。なぜならすべての飾り立てはそこに集約しているからです。 Chari(C): そもそもムルングはそれをずっと以前から欲しがっていたもの。 Mw: わあ!そう、ムルングも(癒しの術)を続けて、その究極に至って、ムロイを求めて悩ませることがあるからです。皆さま、どうかおだやかに。争い合う者は二人、三人目が来ると、その人は仲裁者となります。今日、私は皆様方の仲裁者です。 Murina(M): 屋敷はまだできたばかり。屋敷はまだできたばかり。まだ完成していません。 Mw: あなたの薬液はございません、憑依霊ドゥルマ人子神よ。でもそこはまだ建設を始めたばかりの敷地なのです。今、あなたの仲間たちが彼らのちょっとした薬液を手に入れたとしても、それを邪魔しないで下さい。彼らにしっかりと浴びさせて下さい。この身体を解きほどいて下さい、あなた憑依霊ドゥルマ人子神よ。

考察・コメント

施術師たちの会話についていくのはかなり難しい。それぞれのパートについて必要な説明を行いたい。

ムズカはやばい

まずはテキストの補足

ムズカの怖さが話題になっているが、前提となっているのは、ムズカはさまざまな憑依霊の棲み処であり(ムズカの主がどの憑依霊であるかは意見がさまざまである)、そこに用もないのに入り込むのはとても危ないという認識である。しかしムズカに(妖術使いが置いていった犠牲者の「汚れ(nongo46)」を取り戻したり、ライカやシェラが患者から奪った「力(体力・生命力)221」を回収したり、あるいはムズカで行った祈願(上のような施術にも当然伴う)の成就のお礼(支払いの供犠)を行ったりと、そこに入らざるをえないことも多い。

でもそこは危ない場所なのだというのがここでの話題。水の中にいったん潜らないと奥に行けない最初の話題になっているムズカは当時チャリたちが住んでいた「ヒツジの場所」村の「的中したでしょうに」地区にあるムズカ。その奥の天井に蜂が群れていたと言う話。施術上の子供たちはびっくりして逃げ出す。でも最後に残っていた「子供」の状態がおかしい。顔面蒼白で頭が痙攣している。屋敷に帰って、ピング(pingu57)を作ってつけてやったら治ったと。 アンザジさんが、そんな怖いところにいくには「椅子(複数)」を持っていかないと、と。これは文字通りの椅子ではなく(訳文のなかでわかるようにしてあるが)憑依霊が腰を下ろすための椅子であり、いわゆるンガタ、ピング、パンデなどの護符55を意味している。それらの椅子がないと、憑依霊はそのまま犠牲者の身体に腰を下ろしてしまうので、犠牲者は大きな苦痛を味わうことになる。 ムリナは自分は「椅子」なしでも大丈夫といい、ムズカの主とすでに何度か交渉経験があり、顔見知り(?)だからと豪語する。

ここで別のムズカの話題になる。最近その上で草木を採集することが増えたキンバララという名のムズカ。そこもとっても怖い場所。近所の娘が水汲みに行って、そこにたくさん人がいたと帰って報告した。チャリはこの娘はいずれ施術師になるだろうと言う。というのは彼女がそこで見たのは人間じゃなくて、そこに棲まう憑依霊たちだったというオチ。一昨日ムリナはその娘にそこで草木をとってくるよう頼み、自分もそこに向かう。ムリナは例によって「椅子」の装着を忘れていた。するとムズカに着くなり激しい耳鳴り、そして目が突然くらんで見えなくなる。でも、ムリナは我慢して草木を採ろうとするのだが、頭皮がピリピリし、自分が逆に草木に引っ張り込まれそうになる。それを無理やり折り採り、這々の体で帰宅。手にはわずか一本の枝だけを握って。でも二度とそこに戻りたくはなかった。それ以来、一週間というもの毎晩悪夢にうなされる。ムリナを蔑む人々の列が毎晩やってきては、彼を指さして「ほら、泥棒だ」と言っては立ち去り、すぐに別の人々が来て同じことを言って去っていく。全員、小さな女性(キツィンバカジ34は小人であることを思い出そう)。

チャリの結論。そこに草木採りに行くなら、必ず護符(pingu)をもっていかないとね。ムァインジさんも同意見。

ムズカってそんな場所だったっけ

ここに集った施術師たちの共通理解では問題になっているムズカ(muzuka)は、なんらかの憑依霊の棲み処である。が、たとえば調査の初期の「青い芯のトウモロコシ」のペレの屋敷では、ムズカはまず第一には天空の至高神、雨を降らせるムルングを祈願する場所だった。1983年7月26日、ブッシュの奥深くの「カイングのムズカ(Muzuka wa Kaingu)」を見せてもらった。

(from fieldnote of 1983/7/26 アホみたいに恥ずかしいドゥルマ語と英語で書いているので日本語に直します)

雨がもしこない場合、雨をムズカで祈願する。ムルングに。 「青い芯のトウモロコシ」の人々は、カイングと呼ばれるムズカで歌を歌う。 "Chitsonzo mvula ndzo, chitsonzo mvula ndzo."和訳1 そしてムズカで黒い雌鶏を屠る

カイングのムズカはニャワ(マラウ氏らの曽祖父)によって設置されたが、もともとの目的はマサイの襲撃に対する防衛だった。マサイがやって来るたびに、人々はカイングで祈願した。すると大雨がふり、それがマサイが彼らの土地に侵入することを妨げた。 今日では人々は主として雨を祈願する。および自分たちの個人的な問題を。雨が来ないと、人々はカイングに行って、黒い鶏を屠り祈る。昨年までは雨が降らず、人々は飢饉に苦しんだ。それは妖術使いがブッシュの中に人骨(薬32を詰めた頭蓋骨)を密かに隠し置いていたためで、昨年施術師カトトがそれを発見して除去した。雨は降らなかったが、今年はカイングに祈願し、このように私たちは豊作を得ている。 もし祈願にも関わらず雨が降らない場合、人々は何が問題なのかを知るために占いに赴く。

[和訳1]: 雨よ来い、雨よ来い(chitsonzo は祝福や豊穣性など、なにかを呼び、乞い願う際に発する言葉。その言葉自体に何か意味があるわけではない。動詞とは言えないが、名詞でもないような。それとも「願い。雨よ来い。願い。雨よ来い。」の方がより正確な訳になるのだろうか。

カイングのムズカ。人々の祈願の痕跡が見られる。

この3年後にキナンゴ周辺で調査をした折りには、人々はムズカでの降雨祈願は過去の話だと語った。プーマ・ロケーション(「青い芯のトウモロコシ」もそこにある)みたいな田舎ではまだやってるかもしれないけど、と。

地区評議員をつとめていたC氏に降雨祈願の話を聞くと、すでに機能を停止して久しいドゥルマのカヤ222での儀礼の話になった。

7人の人々がカヤに入る.4人の女性と3人の呪医である.羊が屠殺され,山羊が屠殺され,最後に牛が屠殺される.一羽の鶏がカヤの森の中に残される.それは夕方,これらの準備を整えたカヤの中心で行なわれる.
小さな小屋が立てられ,小屋の屋根には3切れの布が結びつけられる.灰で作った団子(mukahe wa ivu)が用意される.羊の頭が地中に埋められ,鍋がその上におかれる.7種の穀物の種がそなえられる.
このカヤに埋葬された最初の人物はムギンド223の女性であったと信じられている.彼女には全く乳房がなかった.
この儀礼をとり行なう呪医たちは,いずれも黒い布を身につけ,頭にはターバンを巻いている.
歯の生えていない赤ん坊はカヤの中に入ることができない.またカヤの周辺では,石鹸を用いて水浴びをしてはならない.ムコネ225を用いるか,水だけで行なう.また金属製のものを身につけることも禁止されている. (1986/12/29のフィールドノートより)

「ジャコウネコの池」近辺にはチャムーニュ(Chamunyu)と呼ばれるムズカがあり、そこはかつては水がけっして乾くことのない川で、降雨祈願の後は水が満ち溢れたものだ。今日では降雨祈願はもはや行われず、水もすっかり乾ききってしまっているという(1989/11/3のフィールドノートより)。

もうすっかり降雨祈願は廃れてしまったのか、と思っていたが、1991の2年続きの飢饉に際して、人々は再び降雨祈願をやったようだ。ただ、やり方が間違っていたので雨は降らなかったと。 ニュンド老と妻ムパさん、降雨祈願の正しいやり方が守られていないことを怒る

さて、降雨祈願のためのムズカと、憑依霊の棲み処とされるムズカは同一なのだろうか。2番目に話題になるキンバララのムズカは、背の低い小人たちがいっぱい出てくる(夢にも)ということで、神ムルングの子供たちで、ある昔話によると最初は人間に代わって農作業をやってくれていたというキツィンバカジ34が、ムズカの主だったとすると、ムルングに対する仲介者として降雨祈願の対象になってもおかしくはないかもしれない。しかし最初の怖いムズカの主は、イスラム系に通じているムリナと顔見知りのイスラム系の憑依霊(ムリナによるとムギシ(mugisi226)だとのこと)、降雨祈願の相手としてはおかしい。イスラム系の霊たちはムルングを筆頭とする内陸系の霊たちの施術を好まないとされている。

しかし過去の降雨祈願について語る人は、皆、地域の長老たちが地域のムズカをすべて回って降雨祈願をしたと語っており、そもそも地域にムズカがそんなにたくさんあるわけでもないので、どう考えてもそこには、ムリナたちが言うところのイスラム系の主のムズカも含まれていると考えるしかない。イスラム系の主たちは、ローズウォーターを振りまくことを要求するのに対し、ムルングはローズウォーターや石鹸の匂いを嫌い、ヒマ油を振りまくことを要求するので、どう考えても相容れないのだが。

まあ、ドゥルマに体系化された神学があるわけでもなく、異なるプラクティスの間に整合性を求めすぎるのも意味がないかもしれないが、ムズカをイスラム系とムルング系(土着系・あるいは内陸系)に二分することにもあまり意味はないのかもしれない。どちら系であるにしろ、ムズカ自体は人間世界と霊たちの異世界をつなぐゲートのようなもので、そのときどきの必要に応じて、異世界のどことでも接続できるようになっているのかも、みたいに考えて誤魔化しておく。

実を言うと、ムズカの最も頻繁な利用者は、妖術使いたち(単に彼らの犠牲者だと思っている人がそう考えているだけと思うが)と、その妖術使いによって危害を受けていると思っている人々である。後者は実際にムズカを訪れる必要に迫られている。妖術使いは、「汚れの妖術(utsai wa nongo)」と呼ばれる妖術で他人の幸福を台無しにするのが大好きだという。犠牲者の持ち物や衣服の切れ端、毛髪などをこっそり盗んで、それをムズカに置き、犠牲者の不幸を祈願するのである。これを「汚れをとっていく(kuwala nongo)229」と呼ぶ。特に秘密の呪文の知識も、薬の知識も必要ないので、「100万人のための妖術」と呼びたいくらいである。その解除のためには妖術の施術師に頼んで「汚れを戻し(kuudza nongo)」てもらわねばならない。犠牲者はまず手近なムズカに行って、鶏などを屠って自分の「つつがなさ」を祈願し、ムズカの塵芥や落ち葉などを持って帰る。占いの指示に従って、他人の墓場の土や、市場の塵芥なども持って帰る必要があるかもしれない。施術師はそれらを用いて薬液を作り、犠牲者たちの身体を洗ってやることによって、奪われた汚れを戻すのである。

ムリナとその霊

ムズカで草木を採集しようとして大変な経験をもった話から、話は夢のなかに出てくる憑依霊のトピックにいつの間にか移っていく。夢の中に憑依霊(その正体についてムリナは何も語らない)がやってきて、ムリナに多くの草木を教えてくれるのだが、それらはすべてムリナが知っているものばかりなので、意味がないと言わんばかり。ムリナは実は、イスラム系の霊を筆頭に、多くの憑依霊をもっているのだが、まだ「外に出され」ていない。でも施術のやり方、草木などについては、今さら教えてもらわなくても、すでに知っていると。ちょっと傲慢なムリナさんである。

それに対して、チャリもアンザジもたとえすでに知っていても、教えてもらったのなら、素直にその場で折り採りなさいとアドヴァイス。癒しの術は憑依霊の力を借りて初めて可能になる。単なる知識が可能にするものではない。だから本当に癒しの術が欲しいのなら、憑依霊から教えられたとおりにやれば良いのだと。アンザジも、たとえ草木を知識として全部知っていたとしても、癒しの術そのものが目的なら、憑依霊に忠実であることがまず大切と説く。

続いてムリナは特定の憑依霊(チャリの持ち霊であるジンジャ導師=世界導師)が付きっきりで(夢のなかで)ムリナに何度もクズザをさせたと言う。でもジンジャが彼に教えてくれた草木も、すでに自分が知っているものばかりだったと。

ここでムァインジ氏が、でもあなたが正式に癒しの術を外に出してもらうときには、まさにあなたが知っているその同じ草木をまた教えてもらうことになるんだよ、という。ムリナ、まるでそれには意味がないとばかりの言い方。かなり論争が興味深いフェーズに突入していく。 もし私にもっと流暢にドゥルマ語を駆使する力が当時あったなら、「外に出す」ンゴマの際にこれから施術師になろうとする者が、憑依霊に導かれて正しい草木に到達しそれを折り採ることは、単なる知識の有無を問題にしているのではなく、その手続のなかでその草木を治療のために駆使し、その草木に治療の力を発揮させる権利を、施術上の父母と憑依霊から正式に授与されることなんだよ、と議論をまとめてあげたかったところだ。(あってますか?)

アンザジさんがかなり本質に迫っている。施術に用いる草木を「知識」として知っていても、あなたはその草木で病人を治療することはできないと。それに対して、チャリさんが夫を弁護する格好で、たしかに他人は治療できないけど、自分自身の治療には使えるんじゃないかと指摘。それに対して居合わせた、非施術師の素人のおばさんが擁護発言。この一大論争は結論を見ないまま、飢饉に対する愚痴でなんとなく幕切れとなった。

でも、施術師たちの論争、とっても面白い!

憑依霊って厄介

宿主の食性を変えてしまう

次に彼らの話題は、憑依霊がいかに厄介な存在かという点に移る。わかりやすいのが、宿主の食べ物の好みを変えてしまうこと。今年になってチャリのところにやってきた憑依霊(これについては後にその経緯が話題になる)が、ドゥルマの主食であるトウモロコシの練粥ワリ(wari137)を食べるのを拒むのだ。そのせいで(?)宿主に血まで吐かせる。ここでは述べられていないが、いろいろ交渉した結果、現在のところは木曜日だけワリを食べないことで同意が成立しているらしい。

でもアンザジさんにも同じような食に対する好みの変化があったらしい。 この年(1992)の飢饉のせいでトウモロコシの粉の各屋敷の在庫はとうに底をついて、商店でも手に入れるのが難しくなっている。大人数の屋敷では食卓に出たワリは取り合い状態になる。でもアンザジさんはチャパティを一枚食べてそれで満足している。彼女についているムミアニの白人のせいだ。おまけにこの白人は紙巻きタバコを要求する。というわけで常に紙巻きタバコを用意してなくてはならない。

チャリもときどき突然紙巻きタバコが吸いたくなる。驚いたことに紙巻きタバコをおいしいと感じるのだ。これもムミアニの白人のせい。そう言えば「青い芯のトウモロコシ」の故マラウさんも白人になると(ケヤの白人だったが)紙巻きタバコの銘柄にこだわっていた。

しかしチャリがワリが食べられなくなっているのは、白人のせいではなく、今年になってやってきた憑依霊セゲジュ人141のせい。

あたらしい憑依霊が次々にやってきてしまう件

こんな風に憑依霊のせいで食の好みが変化してしまうことで盛り上がっているなか、ムァインジさんが、最近憑依霊の訪問を受け、そこで必要な服装について細かく指示されたことを打ち明ける。その霊はマルワ・ワ・ブドゥと名乗った。ムァインジさんは明言していないが、明らかに夢の話だ。私が「憑依霊の訪問」という表現を使っているので、どうせ夢だろうと読者にはわかるだろうが、実際の語りでは現実の語りとほとんどシームレスに夢の語りに移行するので、聞いていて若干の混乱を感じざるを得ない。

その客は天井の梁の上に腰をかけていた。この辺りで、登場人物がただの人ではなく憑依霊だと気づかなければならない。さらにこの前後で文章の主語の人称が、少し変になっている。これも夢語りの特徴。さて訪問者はツギハギだらけの服を着て、手には本をもっている。客人用の背もたれのある椅子を勧めようとすると、そいつは拒み、別の小屋にある3本脚の椅子になら腰をおろそうという。さて出された椅子に腰を下ろすと、その霊は自分は(ドゥルマ語で「貧乏人」を意味する)ムガイ(mugayi149)だと告げる。ムァインジ氏は本を受け取ってそれをきちんと小屋の中に置き、さて外に出て楽しく会話しようとしたところで、はっと目が覚めたという。 今や、ムァインジ氏はムガイが手本を見せてくれた服が欲しくて仕方がない。ツギハギだらけのその服について寸法とか白いラインの装飾とか、やたらと正確な細部を覚えている。その服を手に入れれば、彼を攻撃しようとしている妖術使いが誰かを知ることができるようになる。ムァインジ氏も、ムリナ夫婦同様、自分たちが正体不明の妖術使いの攻撃にさらされていることに悩んでいた。

ムァインジさんがさらに話を続けようとしていたところ、ムリナは同様に彼らのもとを今年尋ねてきた新しい憑依霊の話(実はムズカの話の直前にムリナはその話をしかかっていた)を再び持ち出す。

新しくやってきた客人が他の連中から追い出されようとしている。マットレスで寝ていたのを草むらで寝るようにと。ムリナはカヤンバを演奏した。するとその客人は蝿追いハタキを握ってムリナのいる小屋の方にやってくる。ムリナは子供(施術上の)たちを呼んで盛大にカヤンバを打つ。客人は言う「ここにいる他の霊たちも、ろくに仕事をせず、ただダラダラしているだけだ。私は独りで仕事をするためにやってきた。布さえいただければ」。 これが、この年以降、世界導師、憑依霊ドゥルマ人と並んでチャリさんの主要憑依霊となる憑依霊セゲジュ人の登場である。

この年の8月末、やってきた私が頼まれるままにチャリたちとキナンゴの仕立て職人に依頼して作ってもらった長衣は、まさにこのセゲジュ人が要求していたものだったという訳。 キナンゴの職人に夢で指示されたとおりに注文したもの。職人はかなり苦労したようだが、なかなか格好いい。これ以降しばらく、どこへ行くにもこれを着ていた。以下はアンザジさんとのツーショット

こういう経緯で登場したのに、今や、チャリがトウモロコシのワリを食べることを禁じ始めたり、立派なイスラム風の家を要求し始めたりなど、その厄介な性格も全開になってきた。

そしてムリナの話題は、すでに以前から「外に出る」ことを迫っていた憑依霊ペンバ人と、ずいぶん以前からチャリの主要な霊の一つであった憑依霊ドゥルマ人との葛藤に移る。ドゥルマ人はずいぶん以前に「外に出され」て、チャリの仕事の重要な担い手になっているのだが、どうもイスラム系の霊たちを嫌っており、先日もペンバ人のために設置した鍋を「暴発」(ク・ウドゥラナ(ku-udulana)は「突き破る、押し破る」を意味する動詞 ku-udulaの相互形)させた、要は突然噴きこぼれさせたということなのだが、それはどうやら、イスラム系の霊の施術を嫌い、他人の鍋の前にまずは自分の鍋を独りで楽しませて欲しいという利己的なドゥルマ人の要求をかなえなかったかららしい。 さらに詳しくはわからないが、別の正体不明な霊も現れたがっている。というわけで、まずドゥルマ人に独りでその独特の「鍋」を楽しませてやった後に、その霊に対しても対処したい。どうやらムリナは夢のなかでその新しい霊の家に連れて行かれたようだ、すばらしい家だった。というわけでその霊のための家をさっそく建て始めた。 ムリナさん、キリがないですよ、そんなことやってたら。

はっきり口には出していないが、ムァインジさんもちょっと呆れた様子。

というわけで、たくさんの霊をもっている施術師のところには、次から次へと新しい憑依霊がやって来て、新たな要望を突きつけてくるようだ。おまけにその要望は、突きつけられた方にとっても、なんとなく魅力的、素敵な服(それを身につけるとその新しい霊のもっている能力--例えば妖術使いの正体を知る、みたいな--も手に入れられる、とか魅力的な家、そこでは癒しの術がますます繁栄するみたいな。新しい霊の到来は、厄介なのだが、施術師にとってもちょっと惹かれるものがあるのだ。でも大変だ。

ムァインジ氏の唱えごと

と、雑談ばかりしているようだが、この日の目的はチャリの病気の治療に関係していた。まずチャリの血を吸い続けている、妖術使いが送り込んだジネ・ムヮンガを、すこし大人しくさせるための椅子(護符)の差し出しである。その唱えごとだが、基本はどの施術師のも似ているようでもあり、独自でもある。ムァインジさんの唱えごとの場合、途中でなんの断りもなく冗談に移行し、「な、なにを言ってんだ」とびっくりしていると、そのまま何もなかったかのように普通の唱えごとに戻るといったことをする。 こんなのもありなのだ。普段、真面目一筋のチャリやムリナの唱えごとばかり聞いているのでちょっとびっくり。

そして最後は、チャリの持ち霊のなかでも、実に扱いの難しい憑依霊ドゥルマ人だけに対しての個別の唱えごと。基本は、他の霊たちが治療を受けてもそれを妬んだり、邪魔したりしないで下さいというお願いなのだが、ムァインジさんは、これだけ長く憑依霊ドゥルマ人やムルングなどの大物霊をもっていると当然、それらに差し出されていてもおかしくないムロイ(muroi217)がまだであることを知り、それを差し出す約束をすることで、唱えごとを締めくくっている。 ムリナさん、チャリさん、まだまだやること多いみたいですよ!

注釈


1 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
2 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba1)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)3や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)5ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo6)や鍋(nyungu7)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)1013に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ14)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
3 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」4を参照されたい。
4 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba1)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)3や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)5ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
5 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」4を参照されたい。
6 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
7 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza8、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
8 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya9)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu7)とセットで設置される。
9 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo6)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza8)と呼ばれるが)。
10 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu,mbumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri11)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira12)」と呼ばれることもある。
11 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。別名 mutsongo。
12 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ13の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(10)、カヤンバ(13)と同じ意味で用いられる。
13 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti11)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira12)」と呼ばれることもある。
14 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
15 ウンガ(unga, uu-)。「粉」。普通にウンガと言った場合はトウモロコシ粉(unga wa matsere)を意味する。小麦粉 unga wa ngano。
16 ク・フンガ(ku-hunga)。「ビーズなどに紐を通す」。布などにビーズ飾りを施す。
17 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo18, mupweke19, mutundukula20, mupera(mpera21), manga22, mbibo(mubibo23), mukanju(mkanju24)
18 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
19 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
20 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
21 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
22 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
23 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)24、muk'orosho(mkorosho)25。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
24 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo23を見よ。
25 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo23を見よ。
26 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)27、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす96)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku101)、おしゃべり女(chibarabando102)、重荷の女(muchet'u wa mizigo103)、気狂い女(muchet'u wa k'oma104)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma105)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo106、長い髪女(mwadiwa107)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba1)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
27 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri28)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika33)やシェラ(shera26)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri28)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza100)を施され、ンガタ56を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
28 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術29)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza27と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
29 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ28は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine30)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
30 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo31)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
31 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso32)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine30)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
32 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
33 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi34)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka35) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri28)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi39など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo78,laika mukusi79など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe80, laika ra nyoka80, laika chifofo83など。(4) その他 laika dondo84, laika chiwete85=laika gudu86), laika mbawa87, laika tsulu88, laika makumba89=dena90など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze8)で薬液を浴びる、護符(ngata56)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza27)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
34 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
35 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi36)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
36 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao37))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka35)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
37 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi36)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine38)に数えられることも。
38 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ30もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
39 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni40)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
40 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu41」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
41 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ40)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola42)の対象となる。
42 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini43」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa4445と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume49)、カドゥメ(kadume61)、マウィヤ人(Mawiya62)、ドゥングマレ(dungumale65)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga74)、トゥヌシ(tunusi75)、ツォビャ(tsovya77)、ゴジャマ(gojama64)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu41」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」40)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
43 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola42)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
44 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa45)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola42)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち30)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba48)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu41)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni40)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini43)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
45 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」46など)を行うことなどを意味する。
46 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ47などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
47 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ46」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
48 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume49)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani50)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
49 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola42)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
50 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」51による鍋(nyungu7)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe60)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu57)。
51 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術52においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba53)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande54)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu7)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
52 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
53 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
54 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符55。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
55 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata56)、パンデ(pande54)、ピング(pingu57)、ヒリジ(hirizi58)、ヒンジマ(hinzima59)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
56 ンガタ(ngata)。護符55の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
57 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符55の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
58 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima59)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
59 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi58)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
60 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
61 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
62 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde63)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama64)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
63 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
64 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola42)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
65 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola42の対象になる)45。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama66
66 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu67)の草木、ドゥングマレ(dungumale65)、ニューニ(nyuni40)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala73)に同じとも。
67 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)68との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
68 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza8)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる69。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている70。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
69 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供70がある。瓢箪子供の各部の名称については、図72を参照。
70 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供69。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神68がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande54)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料53)、血(ヒマ油71)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
71 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
72 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
73 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama66とも呼ばれる。ムルング6768、ドゥングマレ(dungumale65)、ニューニ(nyuni40)の草木。
74 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
75 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine30)の一種という説と、ニューニ(nyuni40)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ76らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola42)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
76 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
77 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ40の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola42)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa45」。see p'ep'o mulume49, kadume61
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
78 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
79 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
80 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira81)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka82)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
81 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
82 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
83 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
84 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi34)の別名ともいう。
85 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
86 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
87 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
88 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
89 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena90)の別名。
90 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ33と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari91)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande54)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
91 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)27」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena90が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee92)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande54には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
92 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo93)マンダーノ(mandano94)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
93 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
94 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ95とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ26の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
95 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera26)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza27)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)96」、「外に出す(ku-lavya konze98)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki99
96 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo97)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
97 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
98 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
99 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero95)の草木。
100 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
101 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera26)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
102 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera26の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
103 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ26の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
104 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ26の別名ともいう。
105 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera26)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo17))の別名ともされる。
106 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ26の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo17)の女性であるともいう。
107 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
108 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma109)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
109 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi110)で「唱えごと」の意。
110 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri111)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
111 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 108」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma109)から派生したマルミ(marumi110)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
112 ヴリ(vuri)。小雨季、10月から1月にかけての雨。短時間に激しく降るのが特徴。またそれがやって来る方角(北西)ヴリーニ(vurini)。反対に大雨季(mwaka113)の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう。
113 ムワカ(mwaka, pl.miaka)。「年、年齢、大雨季」。これに対して小雨季はヴリ(vuri)と呼ばれる。
114 ピトゥ(pitu)。擬態語。pitu pitu とか pitu pitu pitu のように複数重ねて用いる。ゴロゴロ転がるさま、ひっくり返るさま。転じて人々の死が連続して生起するさまなどにも。スワヒリ語の動詞 ku-pituka に由来か。
115 カリ(-kali)。程度の激しいさまを表現する形容詞。「獰猛な、残忍な、猛烈な、熱い、厳しい、手強い、尖った、強力な、ひどい、すごい」
116 キヒ(chihi, pl.vihi)。「椅子」を意味する普通名詞だが、憑依の文脈では、憑依霊に対して差し出される「護符55」を指す。私は pingu、ngata、pande、hanzimaなどをすべて「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防・治療になる。カヤンバのときにも、椅子に座るよう説得することで、憑依霊が別の憑依霊を妨害することを防ぐことができる。同様な役割を果たすものに「馬(farasi)」117がある。
117 ファラシ(farasi, pl.farasi)。スワヒリ語で「馬」。ドゥルマでもそのままこの言葉を用いる。憑依の文脈では、とりわけイスラム系の憑依霊が、宿主の身体のかわりに滞在する依代(という訳語を使って良いものか、躊躇いはあるが)。憑依霊は宿主のところにやってくると、もしこうした場所が用意されなければ、宿主の身体のどこかに腰を下ろしてしまう。そうすると宿主は身体に苦痛を感じる。病気とはこうした形での憑依霊の到来である場合もある。というわけで、憑依霊が滞在する場所を用意してやることが、治療の一部となる。通常、こうした場所は「椅子(chihi116)」と呼ばれるが、具体的には施術師が患者に作って身に付けさせるピング(pingu)、ヒリシ(hirizi,herizi)、パンデ(pande)、ンガタ(ngata)など、とりあえず護符とでも呼んでおくが、こうした身に付けるなにかである。憑依霊はやってきたらこれらの椅子に座って、患者の身体に座らないので、患者は苦痛を感じずに済むのである。憑依霊を追い返すのではなく、むしろ迎え入れ滞在させてあげるものなので、魔除けを連想させる「護符」という言葉は不適切なのだが、あいにく代わりの言葉がない。それに対して、患者の「外」に憑依霊の滞在場所を確保する場合が「馬」である。鶏やその他の家畜が「馬」として差し出されると、憑依霊は患者の身体に座るかわりにその「馬」にまたがってくれるわけである。必ずしも生き物であるわけではない。除霊などの際に用いられる泥人形も「馬」と呼ばれることがある。
118 -ングヮ(-ngbwa)。名詞の後ろに付けて、特定の誰かを念頭に置いて、「所有者のいる~」といった意味あいをもたせる接尾辞。
119 ヴョーニ(vyoni, pl.mavyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。dzi-maクラスの名詞だが、mu-aクラスの名詞、muvyoni(pl.avyoni)は、上記の意味でも用いられるが、より軽い意味で、「ちょっと変な子」といったニュアンスでも普通に用いられる。
120 ブウェケ(bweke)、ウェケ(weke)ともに耳の中に異物(虫や水)が入って立てる音の擬音語。
121 ハラ(hara)。hara hara, hara hara hara のように複数重ねて用いる。擬態語で。突発的に皮膚に発疹のようなものが広がる感じ。皮膚がチリチリする感じ。
122 ロホ(roho pl.maroho)。「心」「心臓」。p'umuzi(息)を蓄えておくところだと言う人もいる。モヨ(moyo)は「心」の意味でも「心臓」の意味でも等しく用いる。
123 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga124)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni40)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo6)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo126)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
124 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga123)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele125)としてンゴマやカヤンバ10を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola42)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni40)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo6)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo126)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
125 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)4であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
126 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ40の治療においては、薬液(vuo6)を患者に振り撒くのにも用いられる。
127 ジンジャ(jinja)。憑依霊ジンジャ(jinja)。ジンジャ導師(mwalimu jinja)。イスラム系か内陸系かあいまい。かつてChariのもつ主要な憑依霊の一つだった。瓢箪子供を世界導師(mwalimu dunia)と共有。使用草木は、ジャバレ導師(mwalimu jabale)、世界導師(mwalimu dunia)、ジンジャ、カリマンジャロ(karimanjaro/kalimanjaro)で同一。他方で、ガンダ人(muganda)の別名ともガンダ人の王だとも言う。上着、横縞の布、羽毛の帽子(chiluu)、右手に毛はたき(mwingo)、左手に瓢箪子供をもった姿で現れる。Chariの占いの担い手。症状: いたるところにヘビが見える、道を歩いていてヘビに出会う、身体じゅうをヘビが這い回る(のを感じる)、意識が変調する(kubadilisha akili)、血を吸われる、死んだり(意識をなくしたり)生き返ったり。治療: 12日間の「鍋」(mudurumaと同じ)。mudurumaと同時に「外に出された」。ただし瓢箪子供はドゥルマ人は自分の瓢箪子供をもち、ジンジャは世界導師の瓢箪子供を共有。歌の中では「私は海岸部(pwani)にもいるし、内陸部(bara)にもいる」とされ、世界導師の属性そのものを示す。
128 ムヴレ(muvure, pl.mivure)。木をくりぬいて作った横から見ると台形を逆さにした形の椀。今日ではアルミやプラスティック製のお椀(chibakuli129)に取って代わられたが、かつてはトウモロコシの練粥(wari)はこれに入れて供された。憑依霊ドゥルマ人(muduruma130)や憑依霊ムリサ(牛追い135)はこれに入れた練粥を要求する。小型のものはキヴレ(chivure muvureの指小形)。
129 キバクリ(chibakuli, pl. vibakuli)。椀、大きめの椀。ボウル。
130 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性131)、カシディ(kasidi 女性132)、ディゴゼー(digozee 男性老人92)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele134)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
131 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma130)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
132 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma130)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga133)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。
133 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供70がある。
134 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
135 ムリサ(murisa)「牛追い」動詞 ku-risa「放牧する」より。憑依霊ドゥルマ人(muduruma130)の別名とする人もいる。ムリサに憑依されると、飼っている山羊が多くの子供を産むが、それを使用することは出来ない。それを個人的な目的で使用すると病気になる。ムリサに憑依された人はカヤンバの席で子供たちに牛追いの真似をさせ、中ごしに座ってウガリと酸乳を食べる。立ち上がって自分でも牛追いの真似をし、また座ってウガリを食べるといった動作を繰返す。持ち手の曲がった杖mukpwajuと木の御椀muvureを要求。
136 ク・ヴンバ(ku-vumba)。「遊ぶ、戯れる」を意味するディゴ語の動詞。ドゥルマ語ならク・シシガ(ku-sisiga)というべきところ。飢餓を相手に「遊ぶ」わけには行かないが、自虐的に「何かを食べて飢餓をごまかす」という意味で言っているのだろう。
137 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wari)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。
138 ムズング・ワ・ムミアニ(muzungu139 wa mumiani)。イスラム系の霊で、症状は貧血、嘔吐、下痢など。ローズウォーターで洗い清められることと鍋の湯気を浴びる治療。「薬」は玉ねぎといっしょに煮て飲む。ヤギの血を飲む。女性の霊で、胸のところに青と赤の日本の縦縞がある白い長衣を求める。人の血を抜き取って集め、それで薬を作っているという。紙巻きタバコ、大きなナイフ、石油缶、メガネ、腕時計、石鹸、懐中電灯(電池が切れると病気になる)を要求。
139 ムズング(muzungu, pl.azungu)。「白人」(ドゥルマではいわゆる白人の肌の色は「赤」だとされている)。一説には、語源はスワヒリ語の動詞ク・ズングカ(ku-zunguka)に由来し、「無目的に歩き回る人」の意味だとされる。憑依霊の文脈では、憑依霊「白人」がいる。白人ではあるが、憑依霊の分類上は「イスラム系」である。白人という名の憑依霊には、ケヤの白人(muzungu wa keya)とムミアニの白人(muzungu wa mumiani)の2種類がいる。ケヤの白人はイギリスのアフリカ植民地軍Kings African Rifles(KAR=keya)の兵隊たちで、銃を肩にかけて進軍する。ムミアニの白人は、白衣を着て注射器でアフリカ人の血を吸い取り、それで薬を作っているという。
140 ズングオ(zunguo)、ドゥルマ語ではズングウォ(zunguwo)と発音される。スワヒリ語で施術(uganga)にあたる治療の総称。動詞 ku-zunguaより。イスラム風の癒しの術の総称としてドゥルマでは用いられている。
141 ムセゲジュ(Musegeju)。憑依霊セゲジュ人。民族名をもつ憑依霊。セゲジュはタンザニアの北海岸部に住む、ミジケンダと隣接する民族集団。イスラム教徒。1992年にチャリにその正体を明かした。ンゴマなどで、人々には理解不可能な言語で、怒りまくっていた霊の正体だった。それ以前には、この獰猛な霊はガンダ人(muganda142)だと考えられていた。
142 ムガンダ(muganda)。憑依霊ガンダ人。民族名の憑依霊。バナナを主食にするなど。1991年の時点でChariの占いを担う霊とされていた。ジンジャ導師(mwalimu jinja)の別名ともされていた。(後には占いを担っている霊はギリアマ系の霊ピニ(pini143)であるとされた)。調査地周辺では、チャリ以外の誰もこの霊を持っていなかったが(あまり知られてもいなかったが)、チャリがその癒やしの術を継承したとするチャリの祖父デレの持ち霊であったといい、デレの子孫で施術師になった者は、全員がこの霊をもっていたという。
143 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua144の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera146)」の技も与えてくれる。
144 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga145)
145 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua144)、別名(?)ピーニ(pini143)が必要とする道具の一つ。
146 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
147 この段落の語りのなかでは、主語の人称が乱れている。客人の訪問を受けるのだが、その客人はなんと天井の梁の上にいる。がそれをいう文章では主語が私になっていて、私(ムァインジ氏)が梁の上に座っているになってしまっている。さらに妻に向かって客人に椅子を出すよう、命じているのはムァインジ氏でなければおかしいのに、主語は「彼」になっている。こんな風に夢の語りはわかりにくく混乱しているところがある。だから嫌なんだよ。
148 マルワ(maruwa)は「花(ruwa)」の複数形。buduはスワヒリ語で「祈る、仕える、崇拝する」を意味する動詞ク・アブドゥ(ku-abudu)
149 ムガイ(mugayi, pl.agayi)。憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは動詞ク・ガヤ(ku-gaya)に由来する。ク・ガヤは「困っている、難儀している」を意味する動詞だが、主として物が不足して困っている状態を指す。mugayi は名詞で人を指す。「困窮者」「貧乏人」
150 ミトゥンバ(mitumba151)とは1990年以降東アフリカで盛んになった、古着の市場、そこで売られる古着を指すようになった言葉だが、ここではお金が、日常の取るに足らない些事に使われて気がつけばなくなっている、意味のない使い道に使われて無くなってしまったといった状態を、自虐的に語る表現になっている。
151 ミトゥンバ(mitumba, sing.mtumba)。スワヒリ語で「束、一包」を意味する。1990年代に東アフリカでは、西洋や日本などの援助団体からの送られた古着の市場が隆盛を極めたが、ミトゥンバは、そこで売られている古着を指す言葉としてケニアでは用いられている。ドゥルマでもこの意味で用いられているが、比喩的に「中古の女性」つまり浮気相手としての人妻などを指す言葉としても使われている。
152 グーシェ(gushe)。織りの荒い薄い黒布。憑依霊ペンバ人などの「布」
153 ドヴョー(dovyoo)。擬態語。やって来て、何も言わず何もせずにただダラダラしているさま。占いの客が(mburugaの約束通り)自分からは問題を語らず、ただ黙っている様。
154 ヴンビ(vumbi, pl.vumbi)。「埃、土煙り」。転じて、慌ただしく活動するさまの表現としても用いられる。yuloka vumbi.「彼は大急ぎでやって来た」
155 キドゥルマ・タイプの家(nyumba ya chiduruma)。地面に30cmくらいの深さの穴を掘っていき、角の丸い長方形(楕円に近い)になるように穴(家の大きさによって異なるが40~60個ほど)を配置する。それぞれの穴にキグゾ(chiguzo(pl. viguzo))(またはングゾ(nguzo(pl.nguzo))と呼ばれる地上高150cmほどの支柱を立てる(支柱は上部が枝の分かれ目になって、二股の受け皿のようになっている)。支柱の上部にやや太めの材木をぐるりと渡していく。これはムハンバラ・パーニャ(muhambala panya)「ねずみが這うところ」と呼ばれる。支柱には、何本もの直径2~3cmほどの細いしなる枝(fiho, pl.fiho)を碁盤の目状に縛り付けていく。
まだ上部の枠組みが未完成。下部の支柱の様子がよく分かる
家の中央部には1本または2本の太い大黒柱(mulongohi, pl.milongohi)が立てられ、その上に棟木(mugamba, pl.migamba)が渡される。棟木から家の全周囲に向けてやや細めのしなりのある枝(phalu, pl.maphalu)が無数に結びつけられ、それらのmaphaluの他端はすでに完成しているキグゾ支柱の囲いの上に外殻のように乗る形になる。maphaluと直交するように無数の細いしなる枝(fiho)が結びつけられていく。
草葺きを取り替える作業中で屋根の骨組みの様子がよく見える。これは家の短辺の側からの写真。最後に、骨組みに対して、水辺に生えるカンエンガヤツリ草の束をぎっしりと詰め結んでいく。
キドゥルマ・タイプの家の全体像。その裏手での記念撮影。意外と大きいことがわかるだろう
156 ニュンバ・ヤ・ムァナンゴンベ(nyumba ya mwanang'ombe)。ムァナンゴンベは「仔牛」の意味。でも仔牛タイプの家とは、単なる切妻屋根の家のこと。なぜ仔牛なのか?
壁面は木材を組んだものに、水で捏ねた土を打ったもの。屋根材は、草葺き(カンエンガヤツリ草)、ココヤシの葉の屋根材(makuti)、トタン板など。
157 サラマ(salama)。スワヒリ語で形容詞としては「平安な」「安全な」「平和な」、名詞としては「平安」「健康」。さまざまな唱えごとで、締めくくりの言葉として使われる。salama salamini「平和に、そして安全に」とでも訳せるかもしれないが、唱えごとの締めの決まり文句として、「サラマ、サラミーニ」とそのまま音表記する。
158 ホディ(hodi)。スワヒリ語で、家や部屋など様々な場所について、「入る許しを乞う」際の呼びかけの言葉。ドゥルマでも使われているが、エーニェ(enye)「(字義通りには)所有者の皆さま」という呼びかけのほうが普通。
159 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni119と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
160 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza8)、池(ziya9)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu68)の別名の一つである。
161 トロ(toro, pl.matoro)。Nypmhoides forbesiana(Pakia2005:72)。私が見たのは紫色の花をつけたNymphaea nouchaliだったように思うが。ライカ(laika)、憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu68)の別名。(Pakia&Cooke2003bは Stylochaeton salaamicus(Pakia&Cooke2003b:387)という学名を現地で toro nyikaと呼ばれる植物与えている。私は調査期間中 toro nyikaという名称には遭遇していないし、見た目もまったく toro とは似ても似つかない。)
162 ムング(mungu)。スワヒリ語で「神」。ドゥルマ語のムルング(mulungu)に相当。
163 ウロンギ(urongi)。施術師の用いる「専門用語」の一つ。ウガンガ(uganga「癒しの術、施術」)とほぼ同義。「憑依霊を呼ぶ、召喚する、招待する」を意味する(これも施術師用語である)動詞ク・ロンガ(ku-ronga)より。
164 ウジマ(uzima)。スワヒリ語と同じ。「健康であること、完全であること、欠けがないこと」形容詞は-zima。身体に関する場合「健康」と訳することが多いが、もっと広く欠損のない状態を示す言葉として私は原則的に「つつがなきこと」と訳している。
165 ンゴメ(ngome)。憑依の文脈では、憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
166 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
167 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
168 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
169 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
170 ムァンガラ(mwangala)。ムァインジ夫婦の唱えごとの中に出てくる憑依霊の名前。動詞ku-angaは、全裸でなど奇怪な振る舞いで妖術をかける行為や、憑依霊が人を驚かせる行為を指す。動詞ku-angalalaは「驚く」、動詞ku-ngalaは「輝く、光る、明るくなる」をそれぞれ意味するが、ムァンガラがいずれから由来した言葉であるかは不明。調査時点では、私はMwangalaをjine mwangaと誤解していた。
171 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
172 ミチョチョ(michocho)。ムァインジ夫妻がよく用いる用語で、薬液(vuo)のこと。
173 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ174。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
174 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。
175 フンディ(fundi, pl. mafundi)。「職人、匠」。一般に特定の技術にたけた専門家を指す。憑依霊の治療の際に、フンディと呼ばれるのは太鼓やカヤンバの奏者や歌い手、施術師の助手たちだが、癒しの術の施術師自身もフンディという言葉で指されることがある。「匠(たくみ)」という訳語に統一しようかと思う。
176 ニャリ・キピンデ(nyari chipinde)。四肢の病いと結びついたニャリ(nyari)と総称される憑依霊の一つ。ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。
177 ニャリ・ヴンザヴンザ(nyari vunza vunza)はMwainzi氏の唱えごとに出てくるニャリの一種。チャリの挙げるニャリのなかには出てこない。しかしヴンザ(vunza)は明らかに「壊す、折る」を意味する動詞ク・ブンザ(ku-vunza)に由来するもので、四肢の関節などの痛みを特徴とするニャリの仲間としては、普通に理解可能である。
178 ニャリ・ムァブンバ(nyari mwabumba)はMwainzi氏の唱えごとに出てくるニャリの一種。
179 ニャリ・サガリロ(nyari sagariro)はMwainzi氏の唱えごとに出てくるニャリの一種。サガリロ(sagariro)は、「座る、腰を下ろす(ku-sagala)」のprepositional formである動詞ク・サガリラ(ku-sagarira)に由来すると思われる。
180 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai181 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju182。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande54)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka184)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
181 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
182 カクァジュ(kakpwaju)。Ormocarpum sennoides(Pakia&Cooke2003b:391) ムルング(mulungu)の草木。憑依霊マサイ人の草木。ムクァジュ(mukpwaju, pl.mikpwaju183)とは別物。
183 ムクヮジュ(mukpwaju, pl.mikpwaju)。持ち手が曲がっている杖。植物名では「タマリンド」Tamarindus indica(Maundu&Tengnas 2005:407)
184 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」。ク・アユサ(kpwayusa, ku-ayusa)はそのcausative formだが、憑依霊のせいで振る舞いが異常になる場合には、その受動形をもちいて、wayuswa ni nyama(憑依霊によって狂わされた)などといった言い方が用いられる。憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは呼ばない。しかし施術師は自分のkpwayuka経験について語るときに、「もうvitswaそのものだったよ」などと言ったりする。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
185 デナ・ムカンベ(dena mukambe)。バンガ(Bang'a)のムァインジとアンザジ186の施術師夫妻、ムァモコ(Mwamoko)の施術師ニャマウィらの唱えごとに出てくる。ムカンベ(Mukambe)は、民族集団で、ミジケンダの9グループの一つ。他の施術師はデナはギリアマ(Giriama ミジケンダの9グループの一つ)の長老の霊であるとしている。デナには、マクンバ(makumba)あるいはムァクンバ(mwakumba)という別名があり、可能性としてはこれが伝承の過程で変化したのかもしれない。逆かもしれないが。あるいはデナの異なる独立した下位区分。こうした変異形は、他の憑依霊についてもときおり見られる。
186 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi187)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari190)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)96」とライカ(laika33)およびシェラ(Shera26)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師192を「外に出し」てもらうことになる。
187 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(186)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana188, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
188 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)189」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
189 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
190 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師191などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze98を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba196)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)192」とドゥルマ人(muduruma130)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri28)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza27)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
191 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia192)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
192 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師193。内陸bara系194であると同時に海岸pwani系48であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」195)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
193 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia192)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
194 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
195 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia192)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
196 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba197)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」60、香料53と海岸部の草木51の鍋7。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
197 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
198 ク・ラマザ(ku-ramaza)。動詞であるが、スワヒリ語ク・レメザ(ku-lemaza)由来のドゥルマ語であるとすれば、意味は「不具にする、麻痺させる」となる。一方、ク・ラマザはギリアマ語であり、ク・ラマラ(ku-ramara)「飾り立てる」のcausative formであることになる。なぜここでギリアマ語を使ったのかは不明だが、砦(身体)をつつがなくし、その外見も美しくさせるという意味だと、ここでの唱えごとの文脈に符合する。
199 キノンド(Chinondo/Kinondo)。クワレ・カウンティ、ムサンブェニにある聖なる森で、かつてのディゴ人の要塞村落の最大のもの。現在は文化遺産・保護林となっている。kayaKinondo
200 ゾンボ(Dzombo)。地名。モンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。
201 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu68)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo17)やシェラ(shera26)のグループに入れる者もいる。
202 この文章からわかるように、ムァインジ氏はマレラ子神をムルング子神の別名としてではなく、憑依霊ディゴ人やシェラの別名として語っている。
203 ヅンベ(dzumbe)。本来の意味では、屋敷に属する農地のうち、屋敷の長のものとされる大きな畑のこと。長の妻たちが4日の週(majuma)のうち最初の2日間共同で耕作する畑。これに対して長の妻たちが個々人に割り当てられ、週の3日目に各妻が一人で耕作する畑をコホ(koho)と呼ぶ。ここから転じてヅンベ(dzumbe)は「夫」あるいは女性にとっての「配偶者」を意味する言葉としても用いられる。
204 ムンドゥ(mundu, pl.myundu)。「マチェーテ、山刀、大なた」
205 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。同じくスワヒリ語には憑依霊を指す言葉としてシャイタニ(shaitani, pl.mashaitani)もあるが、こちらはドゥルマでは用いられていない。他にペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)もスワヒリ語起源で、ドゥルマで憑依霊の意味で用いられているが、スワヒリ語では「精霊」の意味以外に「他界」「死後の世界」「精霊の棲み処」など場所や空間の意味でも用いられる。ドゥルマ語固有の憑依霊を指す言葉としては、ニャマ(nyama, pl.nyama)があり、憑依霊の話しをする際に最もよく耳にするのがこれである。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞でもある。
206 ロハニ(rohani207)はイスラム系の代表的な霊のひとつである。通常内陸系、とりわけ水辺系の霊は敬称として「子神mwana...」を伴うのに対して、イスラム系の憑依霊たちは、「導師(mwalimu208)」を敬称にするのが普通である。別に決まりがあるわけではないが。ムァインジ氏はイスラム系の憑依霊に対しても「導師」の代わりに「子神」を敬称として用いているが、かなり珍しい。
207 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
208 ムァリム(mwalimu, pl.alimu)。「先生」。イスラム系の憑依霊は敬称としてムァリムを付けて語りかけられることが多い。ここでは「導師」という訳語をもちいることにする。ムァリム・クルアニ(mwalimu kuruani)=「コーラン導師」といった具合。
209 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
210 クルアーニ(kuruani,kuruwani)はイスラムの経典「コーラン」。 コーラン導師(mwalimu kuruani)はイスラム系の憑依霊。憑依霊アラブ人(Mwarabu)の別名とも。
211 クヮンガ(kpwanga, ku-anga)。「妖術をかける、襲いかかる」を意味する動詞。スワヒリ語のku-angaはより多義的。ドゥルマでは、典型的には夜中に裸で犠牲者の屋敷に入り込み、屋敷の中庭で裸踊りをして犠牲者に術をかける振る舞い、あるいはイスラム系の憑依霊が犠牲者を襲うさま。犠牲者を夢の中で組み敷いて、病気にするなど。そのprepositional form はkpwangira(ku-angira)だが、kpwanjiraとしばしば発音される。
212 シームレスに冗談に移行するのは止めて欲しいと思う。が、この冗談はこの地域でありふれた妖術攻撃の1パタンをよく物語っている。夜中にふと目覚めると、誰かがお前の名前を呼んでいる。うっかり返事しては行けない。返事しようものなら、その瞬間にあなたのキブリ28は妖術使いの持つキブリの瓢箪のなかに取り込まれている。あるいはイスラム系の妖術の場合は、妖術使いが自分の前に置いている水盤のなかに犠牲者の姿が映し出される。前者の場合は、妖術使いは捕らえたキブリをしばらく痛めつけ、やがて斬り殺す。その瞬間に犠牲者は死ぬ。だからキブリ戻しの治療は速やかに行わねばならない。同じキブリの瓢箪を持っている治療専門(と自称する)施術師が、自分のもつ瓢箪のなかにキブリをとりもどし、それを患者の身体の中にもどしてやる。イスラム系の場合は、さらに恐ろしく対抗の手段はほとんどない。妖術使いの前の水盤に映し出された犠牲者のキブリは妖術使いによって一瞬のうちに切り裂かれる。犠牲者にはたちどころの死が訪れる。
213 1992年に私が調査地に到着した日は、妖術使いを捕まえるということで名をはせていた施術師Barabaraが、私の小屋の近所の屋敷にキャンプを張り、そこを拠点にして一帯の妖術使いを捕縛始めた日だった。私は車を走らせながら、たくさんの人々が施術師を先頭に小走りに道を走っているのを見た。単なるライカのクズザかと思ったが、妖術使い狩りだった。この日捕まった妖術使いで、自らの罪状を白状したのがMuk....氏だった。Muk...氏が捕まった話はあっという間にキナンゴ周辺で誰もが飛びつく話題になっていた。これについては[浜本2014『信念の呪縛: ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、第13章]に詳しい。
214 キティティ(chititi)。占い(mburuga)に用いる、中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れた小型瓢箪のマラカス。
215 キトゥク(chituku, pl.vituku)。かつて女性が着用していた腰巻の一種。ハンド(hando, pl.hando/mahando216)とも言う。ギャザーをつけたもの、あるいは細い布を紐で腰蓑のように繋いだもの。女性の憑依霊ドゥルマ人、カシディ132が要求する品の一つ。
216 ハンド(hando, pl. hand or mahando)。ギャザーのある腰巻。ドゥルマの女性の伝統的な衣装,今日では高齢者を除いて着用されてはいない。
217 ムロイ(muroi)。先端部をビーズなどで飾り立てられた杖。強力な、最高ステージに達した(といっても基準は明確ではないが)施術師のみが持つことができるとされる。別名「施術上の祖霊(k'oma ya chiganga)」、「木の棒の子供(mwana wa chigongo)」などとも呼ばれる。ムコバその他の施術上の品を納めておく特別な小屋(chuko)に立てておき、施術の際にはそれをもって行く。瓢箪のかわりに(瓢箪は女性の憑依霊に対して与えられる「子供」だという特殊な見解)男性の憑依霊に与えられる「子供」だという説明がなされることがあるが、一般的ではない。
218 Mwainzi氏はその唱えごとのなかで、憑依霊ムガイ(mugayi149)をカガイと呼んでいる。ka-は指小辞。「小さなムガイ」ということになる。「子神」の敬称をつけることと同じ意味をもつのか。憑依霊ムガイは、普通は憑依霊ドゥルマ人(muduruma130)の別名の一つとされる。「~に事欠く、貧窮する」などを意味する動詞ク・ガヤの名詞化。
219 ニョエ(nyoe)。憑依霊ドゥルマ人の別名、nyoeはバッタの一種で、トウモロコシの中に頭を突っ込んで「隠れる」習性がある。Mwainzi氏はニョエを女性の憑依霊ドゥルマ人であると唱えている。そこではニョエはカルメンガラ(kalumengala131)の妻だとされている。一方、年配の人々のなかにはニョエは憑依霊ドゥルマ人が登場する以前からいる昔ながらの憑依霊だとする人もいる。
220 ムァナ・ワ・カジヒ(mwana wa kadzihi)。「木の棒の子供」ka-は指小辞で、草木(muhi)→特別な草木(dzihi=augmentative をともなって)→kadzihi という形で派生。ムァナ・ワ・キゴンゴ(mwana wa chigongo)ともいう。男性の憑依霊が持つことができる「子供」とされ木の棒をビーズなどで飾り立てた、一種の杖である。施術用語でムロイ(muroi217)と呼ばれているものと同じ。必ずしも施術師が皆、もっているわけではない。
221 ングヴ(nguvu)。「力」「体力」「強さ」などを意味する名詞。人について用いられるとき、単に力持ち的な意味での人が行使できる「力」については別にムコツェ(mukotse)という単語がある。ングヴはいわゆる基礎体力的な意味での力である。クズザ(kuzuza27)の施術においては、ライカなどの憑依霊が奪ったキブリを、奪われた患者に「戻してやる(ku-udzira)」施術であるが、同時に患者のングヴを戻してやるという言い方も用いられている。
222 カヤ(kaya)。カヤとはミジケンダの諸集団がガラ人(mugala)やクァヴィ人(mukpwaphi)、マサイ(masai)などの牧畜民の襲撃に備えて、海岸にそった山脈に19世紀まで形成して暮らしていた要塞村のことである。今日ではいずれも深い森林になっている。ドゥルマでは、今日カヤは機能していないが、カヤの森の木は伐採してはならないという禁止がある。いくつかの父系氏族は1950年代くらいまでは、かつて死者はカヤに埋葬していたと主張する。またカヤの中では長老の集会がそこで行われ、人肉を食べていたと語るものもいるが、かつての最上位年齢組の長老たち(ngambi)の集会について、こうした誤解をしているだけだろう。隣接するギリアマではカヤは儀礼場として機能しているとも言われる。ディゴ語ではカヤ(kaya)という言葉は、こうした意味での他に、単に「家、屋敷」(ドゥルマ語ではムジ(mudzi, pl.midzi)に当たる)の意味でも用いられている。
223 ここではムギンドとなっているが、あきらかにムンギンド(mungindo224の間違い(私の聞き間違いによる誤記)であろう。「乳房のない女性」が強調される意味は不明。
224 ムンギンド(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、タンザニア南東部に住むバントゥ系の農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。チャリによるとコロンゴ人(mukorongo)はその別名。
225 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003b:394,Maundu&Tengnas2005:255-256)
226 ムギシ(mugisi, pl.agisi)。憑依霊の一種で、多くのムズカ47の主はムギシだと言われており、別名はムズカ(muzuka)。恐ろしく背が高く(4~5mか)、コフィア(kofia227)、ターバン(chiremba)、カンズ(kanzu228)などイスラム教徒の服装をする。またヘビに姿を変えていることもある。ブッシュや橋などの特定の場所でよく目撃される。夜間に光の玉のようにして現れる。上記の高木のような巨人で顔が光を放っていると説明する人もいる。ぜひ、目撃してみたいものだ。無理だろうが。
227 コフィア(kofia, pl.kofia)。イスラム教徒の男性が被る鍔なし帽子。kofia at the British museum
228 カンズ(kanzu, pl.kanzu)。スワヒリのイスラム教徒男性が着用する白い長衣。写真は、胸元に赤い合わせのあるカンズ(kanzu ya moyo wa tsimba「ライオンの心臟のあるカンズ」)を着た子供。憑依霊アラブ人が憑いているとされ、憑依霊を喜ばせるためにときおりカンズを着用することになっているそうだ
229 クワラ・ノンゴ(ku-wala nongo)。クワラ(ku-wala)は「持ってくる、取ってくる、連れて来る」などを意味する動詞。ノンゴ(nongo46)は「汚れ」。クワラ・ノンゴは「汚れをもってくる」の意味で、妖術の一種。妖術使いは犠牲者の持ち物、毛髪などを盗んでムズカ(muzuka47)(あるいは蟻塚、墓場、かつて道のあった場所など)に置いてくる。それによって犠牲者にはさまざまな災難が降りかかる。治療は「ノンゴを(犠牲者に)返してやる」ことによって行う。一々「汚れ」という代わりに、誰それさんはムズカにもって行かれた( sb. wawalwa muzukani)、ムズカに置かれてきた(kpwenda ikpwa muzukani)などと言うだけでも通じる。