ムヮカのためのライカのキザ

目次

  1. 概要

    1. 日誌より

    2. 施術の概略

  2. 施術の実施(フィールドノートより)

    1. 施術での患者が向く方位

    2. 舞台装置

    3. 屋内のキザ

    4. 屋外のキザ

    5. 憑依霊ドゥルマ人のための薬液

  3. 唱えごと等の日本語訳

    1. 煎じる草木に対する唱えごと

    2. 薬液の浴び方についての注意

    3. 憑依霊ドゥルマ人の香料

    4. 屋内のキザでの唱えごと

    5. 「外のキザ」での唱えごと

    6. 憑依霊ドゥルマ人に対する唱えごと

  4. 考察・コメント

  5. 注釈

概要

別項でも述べた通り、「ジャコウネコの池」でのチャリ夫婦と近隣との緊張は、二人による隣人に対する偽装された妖術告発によって頂点を迎えた。その後、私はフィールドを離れたが、半年後に再び訪れたときにはすべてが終わっていた。私が危惧していた通り、夫婦はこの地域から出ていかざるを得なくなり、チャリを信奉する「施術上の子供」たちの誘いで、彼らの住む地域「的中しただろうに」村にゲストとして屋敷を構えていた。フィールド入りした8月23日にそのことを聞いた私は、滞在に必要な家具や食料を調達し調査の体制が整った8月26日に、教えられた彼らの新しい屋敷を訪問することにした。そこで早速、彼らの施術に同行することに。それはライカ1のキザ(chiza48)を据えることがメインの施術だった。私の調査は毎回こんな風に唐突に始まる。この年の調査は抗妖術施術師バラバラによる妖術師狩りが近隣で猛威を振るった年で、私の調査もやがてそちらに集中することになった。

日誌より

(Aug. 26(wed), 1992 kpwishaの日誌より)80

朝、ムリナたちの移転先の屋敷に挨拶に行こうと道を走っていると81、途中で本人たちがやってくるのに出会う。今から「そこにありますよ」村でuganga45をしに行くと言うので、そのまま同行することに。途中でチャリから新しいnyama82がやってきて悩ませている、marinda87,chiremba88,chirahu89を要求しているとの話。このnyamaこそ例のchiryomo90を喋るnyamaだという。muganda91かと問うとMusegeju96だとのこと。ムリナによるとmugandaとmusegejuは仲間なのである。占いを打つのはギリアマのpini92で、nindahendadzeの歌は実はpiniの持ち歌。 「そこにありますよ」村のBarochaの屋敷で彼の妻Mwakaのためにライカのchiza cha konze, chiza cha nyumbani48,ムドゥルマのvuo50とmihaso9を処方する。 そうそう、途中Ka...の結婚式で会ったMw...の屋敷に寄る。足が不自由。何でも今年ついに、あのgari ya gandini97が横転し、多くの死者やけが人を出した。Mw...も運悪くそれに乗っていて重傷を負ったのだという。未だに歩けない。 Barochaの屋敷にはチャリと二人で行く。ムリナはそのまま私の自転車でGandini98へmarashi99を買いに走る。 uganga午後2時半には終了し、ムリナの来るのを待つ。めたくそに腹がすいていたので、4時ごろ出されたwari100とmaphwa101をがっつく。 「そこにありますよ」村は以前(1983)カタナと一緒に歩いて通ったときにはボロ小屋のhoteli102が一軒あっただけだが、今はmaduka1033もありhoteliもある。ちょっとした町になっている。そこでコーヒーを飲み、タバコを買って帰宅。 「そこにありますよ」村でもバラバラ104の話でもちきりで、昨日バラバラにつかまったム...がmutsai105の嫌疑を否定したため、今朝キラボに行き、捕らえられてしまったということで、皆沸いている。

施術の概略

キザ(chiza)という特別な名前で呼ばれてはいるが、要するにライカの草木(葉)を用いた薬液(vuo)である。それと煎じる草木(mihi ya kujita)の処方。憑依霊治療の基本の第一歩とも言える。施術に際してどの草木を用いるかは、治療の対象となる憑依霊ごとに違いがある。今回は、必要な草木はすでにチャリたちは用意しており、いつものように行く道すがら採取する形をとらなかったので、用いる草木の名前を確認して、草木リストをアプデートする機会はなかった。 ライカに対する施術の後、例によって、田舎者のくせにいつも特別扱いを要求する憑依霊ドゥルマ人に対する説得の唱えごと。

施術の途中で来客があり、その来客が施術を見たいと言って腰を下ろし、いろいろ雑談に興じたため、全体に緩い雰囲気が支配した。

雑談は雑談で、思いがけない話題が展開したりして興味深いのだが、施術の本筋とはずれるのでどこまで紹介すべきか、迷うところ。

患者: Ba...の妻Mwaka 彼女は、チャリの唱えごとのなかでも「この子供」と言及されているように、「ジャコウネコの池」時代からのチャリの「施術上の子供(mwana wa chiganga106)」の一人。長期に渡って身体の不調に苦しんでいる。

施術師: Chari wa Malau

施術の実施

(from fieldnote of Aug. 26(wed), 1992)115 Ya...のBa...の屋敷で彼の妻Mwakaのためにライカのchiza cha konze, chiza cha nyumbani, ムドゥルマのvuoとmihasoを処方する

患者の座る向きは季節によって変わる説(確認)

Mwaka117

p'ep'o83 mwakani118 → vurini119 患者はvuriniの方位を向いて座る ndiko aendako nyama(nyama82が向う方向)

Vuri120

p'ep'o vurini → mwakani 患者はmwakaniの方向を向いて座る

(Sept.30, 1991のフィールド・ノートより)

njira ya mutu mubaya(悪い者の通り道) カタナによると、p'ep'oがvuriniからmwakaniへ移動する際の通り道に当たる場所で、そこに屋敷を建てると病気や不幸が続く。特定のp'ep'oではない。しかし強力なp'ep'o。例えばtunusi58(kutsunuka121する)としか知らない。 私がすべてのnyamaはvuriniから来てmwakaniへ行き、また戻るのだという話をすると、カタナは初耳だと言う。kayambaでmuweleがvuriniの方向を向いて座るのはそのためだと言うと、カタナはさっそくMemulongoを捕まえて質問。彼女はなぜmuwele122がvuriniを向いて座るのか理由は聞いたことがない。p'ep'oがやってくる方向だという話をすると、そういえばvuriの季節にはなぜかvitswa123などが多い。Mwakaには収まる、などという。

舞台装置


屋外に設置された「外のキザ(chiza cha konze)」舞台装置。灰で描かれた「道」に導かれてライカやキツィンバカジが北の方角からやって来て、キザの薬液を浴び、その後、再び北に向かって帰っていく。

屋内のキザ(chiza cha nyumbani)

  1. makokoteri125 for mihaso9, ubani129で燻しつつ 持参した草木(煎じる草木)に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5010) chiza cha nyumbani、草木(葉)をしごきとって水のなかで揉み砕きつつ 屋内のキザを用意する唱えごと ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5011-5012)

  1. 薬液の浴び方についての注意 ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5013-5014) ただし、途中に場違いな来客による撹乱あり


「屋内のキザ」(炊事用のスフリア130に用意)、小屋の北西隅に置かれる。小屋の北東セクションには炉があり、その上部が穀物庫(chitsaga131)になっている。

  1. 憑依霊mudurumaの香料をめぐる雑談 ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5015-5018)

  2. 患者をchiza cha nyumbaniの前に座らせて makokoteri 薬液の水を右手ですくって長声、(njerenjere134)を挙げながら、4回患者の頭に振り撒く。続いて左手を患者の頭において唱えごと 「屋内のキザ」での唱えごと ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5019-5022)

屋外のキザ(chiza cha konze)


「屋外のキザ」は小屋の戸口の先、前庭の端に設置される。冒頭のスケッチにあるように、キザの周りに憑依霊がやって来る道が灰で描かれ、搗き臼の前にはカンエンガヤツリ(mukangaga135)がたてられ、道の両脇に灰で作った団子(mukahe wa ivu)が置かれている。ライカはこの道に導かれてキザまでやって来て、そこで患者といっしょに薬液を浴び、灰の団子を食べて、また北の方角に帰っていく。

  1. 屋外のキザを準備

  2. 患者を外に連れ出し、chiza cha konze で makokoteri 「外のキザ」での唱えごと ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5023-5029) endani kpwenu と言いながらvuriniに向けて灰をまく nyamaはこのchizaで水浴びしてvurini119の方へ帰る

[翻訳1] 「あなた方の出身地にお帰りください」

  1. 患者の左上腕にlaikaのngata装着

憑依霊ドゥルマ人のための薬液と香料

小屋の中で患者の頭にmavumba ga mudurumaで十字を描く
憑依霊ドゥルマ人の香料を頭頂部に塗りつける muduruma141にmakokoteri 憑依霊ドゥルマ人に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト原文 (DB 5030-5032)

唱えごと等の日本語訳

各パラグラフの冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語原文に飛びます。 5010 (ムルング子神に対する唱えごと・途中から)

Chari(C): ...胸が重たい、背中の中心が石で打たれる、腰(下腹部)が裂ける、脚が折れ壊れる、身体中がどうしようもない、腹が唸る。でも、ときとして(それらは)あなた方、世界の住人の皆さまのせいだと言われるのです。 世界の住人とはほかでもありません。あなたムルング子神です。あなた、あなたムァムニィカ(mwamunyika145)、あなたヴンザレレ(vunzarere146)。あなた、あなたこそが、人を悩ませている張本人だと言われているのです。あなたの子供たちといっしょに、人を苦しませているのです。なぜなら、シェラたち13がいるところは、あなたの子供たちがいるところ、ライカたち1がいるところは、あなたの子供たちがいるところだからです。誰がいるところも、どこでも、そいつらは皆あなたの子供、全員あなたの眷属なんですから。 さて、今日は、私はムワカのためにムルングに祈りにまいりました。私は癒やし手ではありません。本当の癒やし手はムルングです。私のすることと言えば、進んでムルングに祈るだけ、そして平安の手を置いて、小指の爪に退き、そこに座って大人しくしていることです。今日、今、私はこの子供にこうして、これらの薬液と、煎じる薬と、ンガタを置いてやると申し上げます。私という人間は、ムルングによって、ターバンを身に着けさせられました(治療する資格を認められました)88。というのも、ムルングが望むと、私はすぐに癒やし手になったからです。私は、この者たちの祖霊たちと私どもの祖霊たちが、一つ場所でともに眠らんことを願います。この者が治りますように。 (唱えごと終了。そばにいる女性に) C: さあ、椅子を出して。油を塗ってあげて。憑依霊ドゥルマ人のね。

5011 (薬液を用意しながら唱えごと)

Chari(C): ビスミラーヒ、ラハマーニ、ラヒーム...147 ふぅ。おだやかに、おだやかに148、世界の住人149の皆さま。私はお話しいたします。こんな時間にお話しすることもなかったでしょう。私がお話しするとすれば、それはムワカのためです。ムワカは病気です。ムワカは病気ですが、それは昨日、一昨日に始まったのではありません。でも本人が言うには、「私は病気といっしょに生きていくだけです。でもそれを味わう(痛い思いをする)のは私です」と。でも誰でもその日がくれば死ぬと申します。そう、たとえ昔に始まった病気でも、それ以来、彼女のその日は、まだだったのです。あなた方がいらっしゃって調えてもらえれば、それですむ日だったのです。でも、そのためのお金にしても、稼ぎ手次第。彼が施術師を呼ぶとなったら、もう、すぐにでも呼びます。だって、治療は、彼に属する者に対することだから。でも肝心のそのお金が、全然足らないのです。まったく。なぜなら、そのお金とは穀物庫(そこに収穫物があること)にほかなりません。 しかしながら、今ようやく、そう私は皆さま方にお静まりください150と申します。私たちは今日、皆さま方のことを思い出したのです。どうか、自分たちが忘れられていたなどとはおっしゃらないでください。また、私たちが拒んでいるわけでもありません。人々は、拒んだりしません。人々はそうしたいのです。でも、人が望んだだけでは十分ではありません。ムルングが望まない限りは。 さて、おだやかに、私は北の皆さまに、南の皆さまに、東の皆さまに、西の皆さまに、さらにブグブグ151の方々に、ニェンゼの小池の方々に152、子神ドゥガ153の皆さまに、子神トロ154の皆さまに、子神マユンゲ155の皆さまに、ムカンガガ135の皆さまに、池に蔓延るキンビカヤ156の皆さまに、お祈りいたします。あなたムルング子神マレラ157、ムルング子神・ムルングジ158、憑依霊サンバラ人子神もご一緒に。

5012 (唱えごと続く)

Chari(C): そして私がお話しするとすれば、そう、私はあなたムルング子神に、ジャビジャビ159の皆さまに、お話いたします。ングラ・ナ・ングラ160、母の場所ゾンボ161、サンブル162のムガマーニ163で戦っておられる皆さま、ンディマ164に会おうと家にお帰りになると、ポングェのカヤ165が壊れている。あなた方のせいだと言われています。どうかおだやかに。 私はおだやかにと申します。そう私がおだやかにと申すとすれば、私はムワカのためにおだやかにと申しているのです。私は薬(muhaso9)の束を差し出します。この薬はあなたムルング子神とあなたの子供たちのための薬です。私はンガタ(ngata26)をお結びします。ンガタは、他の誰のものでもありません。ンガタはライカ1のものです。ライカには他に母はいません。その母とはあなたです。シェラ子神(mwana shera13)にも他に母はいません。その母はあなたです。さらにはディゴの女性(muchetu wa chidigo21)も、その母はあなたです。デナの方々(ano madena73)、ニャリの方々(manyari74)も、全員そうです。 さて、私は断言します。こうしてこの薬とあれらの薬液(mavuo50)をお置きすれば、夜が明ければ水くみに出かけ、水くみが終われば畑仕事に行くことを、ムワカが学びますようにと。ヴリの小雨季が始まろうとしています。私たちは頭痛も、目まいも、背中の真ん中も、この悪寒も、胸の重苦しさも、背中の真ん中を石で叩かれることも、肋骨が内側に押しつぶされることも、腹が唸ることも、腹がトゲで刺されることも、腹に火がつくことも、こういった苦痛を感じることを望みません。さらに、両の腰(腎臓のあるあたり)が噛み砕かれることも、(性器から)水が溢れこぼれることも、皆さま方がおやりになることですね。脚が折れ潰される、腰が裂ける、皆さま全員がこうしたことをなさいます。今日、今、私はこの者とともに、、御主人様どうか!と申します(心からお願い申します)。私の「御主人様どうか(心からの願い)」とは、皆さま方が小指の爪にお退きになり、そこに腰を下ろし、大人しくしてくださることです。 (唱えごと終了)

5013 (ムワカに)

Chari(C): さあ、御婦人。私ね、ねえ、御婦人。この薬液(vuo50)を差し上げます。でもその浴び方をしっかり知っておいてほしいのよ。もし忘れてしまうようだったりしたら、浴び方を熟知しなかったってこと。この薬液を差し上げるけど、でもあちらの薬液を浴び終えるまで、こちらの薬液は浴びちゃだめよ。このンジェレ(njele166)は、人のを借りてきたものなの。もし何日もかかるんだったら、悪いわね。 Mwaka(Mw): いいえ、問題ないわ。 C: こちらの薬液(のための草木)もあげるわね。いっしょには浴びないでね。 (来訪者あり、定型の挨拶) male Guest(G): いらっしゃいます? People: おりますよ。 G: さて、おじゃまします。施術師の皆さん、ご傾聴ください(taireni167)。 People: ムルングの。 G: ごきげんいかが? People & Chari: 何もございません。あなたはどうですか? G: 何もございません。 People & C: それはけっこうです。 C: (立ち上がって場所を譲る)さてさて、ここをお通りください。ようこそ、おかけくださいな。 Mw: あなたのおじいちゃんよ、ねえ。 G: お前を鞭打ってやろうかね、お前。 Mw: (チャリに)どうやら、この人、人が喋っているのを聞いて、施術師だな、じゃあ、お前さんたちの施術師を見せてもらいに行こうってね。だからそのまま座っててよ。 C: 悪いことじゃないわ。だって分別がそう言うんでしょうから。(客に)ねえ、あなたご存知?あの気の触れた人、あなた。あの人、妖術を掛けられたんだって、あの人達に。 G: なんとね。

5014

Chari(C): 私、気の触れた人を治療しに行ったことがあるのよ。で、私言ったのよ。ああ、あなたの父上(Murinaのこと)は、もう気が進まなくなってたわ168。私は言ったの。施術師は施術に嫌気がさしちゃあだめ。考えても見て。ここから「どうぞ拒絶なさいな」村くらいのすごく遠いところに行って、何もせずに戻って来てしまうなんて。そんなのだめよ。病人は「施術師に見てもらえるように、出てきなさい」って言われる。彼は「ああ、施術師、施術師、施術師。なに?その人、ムルングのターバンをもってるのかい(資格を認められた人なのか)」って言うわけ88 Guest: 「ムルングのターバンを、お前さん、もっているのかい」ってね。 C: ムリナはもう怒っちゃった。(スワヒリ語で)「荷物まとめて、もう行こう」って言うの。私は言ったわ。「ああ、あなたそれじゃ施術師じゃなくなっちゃうわよ。だって、施術師って医師みたいなものでしょ。」(スワヒリ語で)「家に帰ってしまおう。私はそいつの言うことが食わない。」私はちょっと外に出てきますといって、その場を離れました。そして外に私のキザ(chiza48)を設置して、(病人が)はたして来るか来ないか見ていたの。かなり離れたところにね。そして私、独りでそこで歌っていたら、ほら、その病人がやってくるじゃない。「ヘロ、ヘロ(ハロー、ハロー)」って。私は彼に言います。「さっきあなた私に『お前はムルングのターバンもってるか』って言ったわね。 G: 「あなたは、どういうつもりでそれを言ったの?」ってね。 C: カリンボ・ワ・ムェロ!169 私、火を踏んづけちゃった! Hamamoto(H): ああ、お気の毒に、お気の毒に。 C: 火は気持ちがいいわ。身体ごといなくなってしまいそうだったわ、あなた。やれやれ。 (このハプニングで、上の話題は結末がないまま途切れてしまった。チャリは訪問客が現れる以前のトピックに戻り、ムワカに向かって話す) C: 私が言いたかったのはこうよ。もし葉を用いたあちらの薬液を浴びたら、あなたは完全にまったく身体が乾くまで待たないとってこと。もし葉を用いた薬液に触れたら、(身体が乾いて)葉が(身体から)落ちてしまわないと。そうなってからこちらの薬液をお浴びなさい。ああ、急ぐことはないのよ。私が(こちらの)薬液を調えて、唱えごとをしてあげます。それまではこちらの薬液はほっておいて。あちらの薬液を終えるまではね。あちらが終わったら、さあ、薬といっしょに(こちらの薬液を)お浴びなさいな。 Mwaka(Mw): はい(わかりました)。

5015

Guest(G): (置いてあるンジェレ166を指して)ところでこれって、ここに置いておくものかい、これ? Mwaka(Mw): ええ、ここのよ。 G: もしかして今日にでも、捨てちゃったほうがいいんじゃないかい?(邪魔になると示唆) Ba...(Mwakaの夫(B)): 薬液が入るんだよ、ちゃんと。憑依霊ドゥルマ人は倒すものじゃない(怒らせちゃならない)。 G: そいつかい!じゃあ、そう、調えなさいな。 Chari(C): キリスト教徒なの?(憑依霊の問題を軽視していることを皮肉って) G & B: どこにキリスト教徒がいるってんだい。 G: ああ、(万一蹴躓いて)足をくじくとしても、まずは彼女(ムワカ)だろうし。 B: おや、お前、土(ライカのンガタに入れるための彼女の影から採った土)を持ってないのか。 Mw: わあ、私ってすぐ忘れちゃうわ。 C: ほら、これよ。あれ(憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba46))も紙に包んでおいてね。紙を探して、包んでおいて。薬(煎じる草木の束)のところにあるでしょ、それ(香料)は。 Mw: 匂うわね。 G: 全部潰すんだ? C: ほんとに匂うでしょ。 B: その香料、身体につけたら一週間はもつよ。 Mw: ああ、もし人があなたを見たら、ああ、この人なんだとすぐわかるわね、ええ。 C: そもそもね、身体にすり込んだら、あなたを見る人には、この人は憑依霊ドゥルマ人の鍋をもっている(の鍋治療を受けている)ってすぐわかるわ。 G: それって、ブバ(buba170)かい、それともカキリ(kachiri171)っていうやつ? C: ブバとカキリよ。でもそれぞれをそれだけでは... G: 混ぜ合わせるのかい?

5016

Chari(C): ブバだけだとね、あなた、意味ないのよ。あなた、もしあなたが施術師で、なのに香りのある草木をブバだけに頼っているなら、あなたは偽物よ。ブッシュにはね、香りの高い草木がいろいろあるのよ。 Guest(G): ブッシュに? C: まず第一にムランゼ(muranze172)、そして第二にンダゴ(ndago173)、次にその他の草木よ。さて、あなたはこれらを挽いて粉にすることもできます。さらにあなたはムランゼは入れたけど、すべての物は入れなかったかも知れません。あなたはブバを入れたかも知れません。でも、そもそもブバだけに頼ったら、ブバだけだと生臭いわよね。 G: ああ、そのとおりだね。 C: そうよ。さて、あなたはあなたの草木をつき潰します。こんな風に匂いのある草木を大量に削って削ります。そしてつき潰します。それが済むと、あなたはブバをほんの少しだけとって、加えます。なのにブバだけを使う連中ときたら、あれらの草木... G: ブッシュの草木たちには目もくれない? C: ちがうの。目もくれないんじゃなくて、それらの草木を知らないのよ。 G: おお。 C: 私ね、このキナンゴのあたりじゃ、もうディゴ人ばかり見るわ。 G: おお、はあ。 Mwaka(Mw): お父さんの(小屋の)穀物庫のところにもあるわよ(椅子が)... Ba...(B): ねえ、彼女は(屋内の)キザに向かって座らせる必要があるんですね。 C: そうよ。

5017

Ba...(B): その椅子は、まともじゃないよ。 Guest(G): 彼女は、どちら側が倒れるか知ってるよ。うん、ちゃんと座れるよ。 Mwaka(Mw): つまり、私はここで椅子に座らないといけないの? Chari(C): ここ、椅子にね。 B: ああ、あなた方、自分たちの椅子を(もってくるのを)忘れちゃったんだね、お母さん。 G: 倒れないよ。 C: 忘れちゃったわね。もし倒れたら、完全に憑依しちゃうでしょうね。彼女は憑依霊に倒されちゃったと言われるわ。でもなんと、自分で倒れちゃっただけ(笑い)。さてさて。もう一つの私の椅子は外にあるの? G: ああ、ねえ、この椅子で事足りるよ。 C: まあ、施術師は唱えごとをするには息が切れてるわ。 B: お座りなさいな。仕事をしましょうよ。 G: はあ、お父さん、こちらの板にお座りくださいな。 B: ああ、私は一先ずここで立っていますよ。 C: ムルングの布はもってますか? G: 彼女はもってないよ。 C: あらまあ、お父さんまで唱えごとを始めるのね。まだ(ムルングの布を)買ってないのをご存知なのね。ともかく、そのワンピース(rinda87)を脱いでね、御婦人。ワンピース着て唱えごとは受けられないのよ。脱ぐのが無理なら、(ドレスを)こんな風に下に下げて、さて、その布をとってエッガ174に巻きなさいな。ワンピースはみんな好んでいるんだけど、伝統的な施術としては(chiganga cha chenyeji イスラム風に対して土着風(ドゥルマ風))好ましくないのよ。

5018

Guest(G): (通りがかりの人物に呼びかける)ローチャ! Rocha(R): ヨォー175 以下、自分たちの屋敷に関する会話。ここでの施術には全く関係がないため省略

5019

Chari(C): ヒリリリリ、ヒリリリリ、ヒリリリリ、ヒリリリリ。プッ! C: ご静聴ください。さて、施術師の皆さん、ご傾聴ください。 People: ムルングの。 C: 祈られる者は誰? People: ムルングです。 C: 大地は池のように? People: 冷えますように。 C: 良きことを望む者は People: 来たれ C: そして悪しきことは People: 去れ C: 施術師たちに妖術を掛ける者は People: 死にますように C: 施術師の助手(ateji176)に妖術をかける者は People: 死にますように C: うう、さて。おだやかに、おだやかに。私はお話いたします。こんな時間にお話しすることもなかったでしょうに。私がお話しするとすれば、私はムワカのためにお話しするのです。ムワカは病気(mukongo)です。ムワカはその父とその母とから生まれました。美しい息をもって。でも外の冷気に打たれると、人は病気(maradhi)とまみえざるを得ません。病気とは何でしょう。憑依霊(mashetani84)の病気です。そう、ムワカは困難に見舞われています。それは昨日始まったものでも、今日の朝に始まったものでもありません。随分昔に始まったものです。本人も、病気とともに生活する様になりました。病気は、こんな風に続いていき、ついに今や(憑依霊たちが言うには)「ああ、私たちはどうやら、何も調えてもらえなさそうだ。この者を本当に本当に病気にしてしまったほうがマシだ。」今や、あなた方は彼女を病人そのものにしておしまいになった。そして彼女本人も、「なんと、こいつたちは私を完全に壊そうとしているんだ」と思い至ったのです。

5020

Chari(C): さて、おだやかに、私のキョウダイたち。あなたがたにお話します。私のためにどうかお受け取りください。私のためにどうかお受け取りください、北の皆さま、南の皆さま、東の皆さま、西の皆さま、ブグブグ151の皆さま、ニェンゼ152の小池の方々。私はあなた方にお祈りいたします。子神ドゥガ153、子神トロ154、子神マユンゲ155、子神ムカンガガ135、キンビカヤ156、池に蔓延っておられる方々にお祈りいたします。ムルング子神136・マレラ157、ムルング子神・ムルングジ158、子神憑依霊サンバラ人178もごいっしょに。私は皆さまにお祈りいたします。ジャビジャビ159の皆さま、ングラ・ナ・ングラ160、お母さんの場所ゾンボ161、サンブル162のムガマーニ163で争われている皆さま、ンディマ164に会おうと家に帰ると、ポングェのカヤ165が壊されている。皆さま方のせいだと言われています。どうかおだやかに。 私はあなたムルング子神に、おだやかにと申します。ペーポー(憑依霊アラブ人)83、憑依霊バラワ人179、サンズワ93、憑依霊バルーチ人180、憑依霊クァビ人181、天空のキツィンバカジ2、池のキツィンバカジ、地下世界のペーポーコマ182、池のペーポーコマ、皆さまもご一緒に。あなた憑依霊ガラ人189、憑依霊ボニ人190、憑依霊ダハロ人191、憑依霊コロンゴ人192、憑依霊コロメア人194、ドゥングマレ56、ジム197、キズカ198、スンドゥジ186、憑依霊ドエ人187。憑依霊ドエ人は、あなたムリマ・ンガオ199、奴隷またの名を憑依霊ンギンド人193。そのなかにはあなたデナ73とニャリ74、キユガアガンガ200、ルキ201、ムビリキモ76、カレ202とガーシャ203、レロニレロ78、子神プンガヘワ204もごいっしょに。憑依霊ディゴ人21もいます。あなたこそシェラ13、あなたイキリク16もご一緒に。私は皆さまにお静まりくださいと申します。あなたお母さん、ニマディワ23。あなたお母さんムジタコマ20、またの名をあなたディゴの女(muchetu wa chidigo)22、あなた方にお静まりくださいと申します。私は皆さま方にお静まりください(pore150)と言っているじゃないですか。「お静まりください」の言葉は、お聞き届けくださらねば。

5021

Chari(C): おだやかに、おだやかに、あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ205もいます。あなたゴロゴシ206、またの名をンガイ207。ンガイはあなた憑依霊カンバ人208、憑依霊カヴィロンド人196、憑依霊マウィア人53、憑依霊ナンディ人195、憑依霊マニェマ人209、私はあなた方に、おだやかにと申します。私は皆さまにおだやかにと申します。あなた、ライカ・ムェンド61、風とともに進むライカ、ライカ・キブェンゴ210、ライカ・ムカンガガ211、ライカ・ヌフシ4。ヌフシは、あなたパガオ5。パガオはあなたライカ・ムズカ3。ライカ・ムァニョーカ65もいます、ライカ・ムァフィラ64もいます、ライカ・ズズ212もいます、ライカ・ドンド67もいます、ライカ・キフォフォ66もいます。ライカ・キフォフォはあなた、ライカ・トブェ63もいます。私は皆さま方におだやかにと申します。ライカ・マジャロ213、私は皆さま方にお静まりくださいと申します。「お静まりください」の言葉は傾聴されるべきです。ライカ・ムクセ62もいます。私は皆さま方にお静まりくださいと申し上げます。 御主人様方、私どもはあなた方の脚下に身を投げ出しております。争いはございません。争いは一昨日、昨日のことでした。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、その者は仲裁いたします。今日、私は仲裁者、争いを仲裁いたします。私は癒やし手ではありません。本物の癒やし手はムルングです。私のすることは、乞い祈ること、そして平安の手を置き、小指の爪に退き、そこに座って大人しくしていることです。私はつつがなきことを望みます。私はこのムワカのつつがなきことを欲します。彼女がこのあなたのキザ(chiza48)を浴びましたら、あなたヴンザレレ146、あなた偉大なる蛇、あなたバラ・ナ・プワニ(内陸部と海岸部(bara na pwani)214、私はあなた方にお静まりくださいと申します。そしてこの「お静まりください」の言葉が小指の爪を薙ぎ払いますように。御主人様方、私どもはあなた方の脚下に身を投げ出しております。彼女の(治療のための)資金提供者(通常は夫)自身も、今は、「私の妻218は病気なのだ」という事実を思い出しております。今日、私は彼女のために調えます。私たちはつつがなきことを欲しています。私どもは、つつがなきことを欲します。さらに子供もまた。子供が双子、双子で生まれてきたとしても、私たちはそれを拒んだりはいたしませんよ。

5022

Chari(C): ですが、お静まりください。頭痛も、めまいも、背中の真ん中の痛みも、胸が重いことも、肋骨が内側に押しつぶされることも、腹が唸ることも、両腰の腎臓の辺りが噛み砕かれることも、無し。どうかおだやかに、下腹部が重いことも、心臟が破れることも、心が心配になることも、腹が唸ることも、無し。身体が燃えることも、無し。腰が切断されることも、無し、両足が折れ壊れることも、無し、まったく無し。 私が祈っておりますものは、つつがなきことです。それといっしょに、小さき者たち(子供)がたくさんたくさん欲しいのです。だって彼らこそが、この婦人を調えて差し上げに参るだろう者たち、皆さま方の使用人なのです。 (唱えごと終了。チャリは指の関節を鳴らそうとする) C: この腐った指たち、いんげん豆。でも弾けない。 (沈黙) C: ホーフィ(ため息)。かまわないで。まずはちょっと休ませてね、御婦人。すぐに外に行って、あなたに唱えごとしてあげるわ。まだ、唱え残りがあるの。(それも一気に済ませていたら)きっと疲れ切ってたと思うわ。 Ba...(B): 何をさらに言うことがあるのですか、あなた。 (チャリ、唱えごとの残りをさっと済ませる) C: さて、今、そう、つつがなきこと、それが私が欲していることです。施術師は、ノーと言われること、なし。私は望みます。この者がここに暮らし、そして彼女の施術上の母が「ヒツジの場所」219にいるということを覚えていますようにと。「ヒツジの場所」の商店地区221近くの「的中しただろうに(Nge....)」村にいるということを。 (唱えごと終了。Gに向かって) C: Nge...は憑依霊の名前じゃないよ。商店地区の「的中しただろうに」村。 B: あなた方が住んでいるところ。 C: そこには大きなムズカ(dzizuka40)があってね。そのムズカに着いたらね、そこに着こうものならね、さてさて(お前がそうとうタフじゃないと、大変な目にあうよ)。 Guest(G): ええ。 C: それが商店地区の「的中しただろうに」村さ。ホーフィ。

5023 (「外のキザ」での唱えごと。冒頭部分録音失敗)

Chari(C):...病気。ムワカは昨日始まったわけではありません。今日の朝に始まったわけではありません。ムワカの病気は昔に始まりました。でも本人は、その病気とともに暮らしておりました。 さて、私は皆さまにお静まりくださいと申します。私は皆さまにお静まりくださいと申します。すでに申しましたように、私がお話しするとすれば、それはムワカのためにお話しするのです、私のキョウダイたちよ。今、私はムワカに「外のキザ」を差し出すことをお告げします。屋内の(キザ)はお差し出しいたしました。屋内のキザは、追い越してはなりません。なぜなら(ムルングは)ライカには追い越されないからです。ライカはムルングの子供です。シェラもムルングの子供です。誰もがムルングの子供です。さらには、彼らイスラム教徒(の憑依霊)たちもムルングの子供たちです。はては、モスクに行く者もムルングに祈るのです。ムルングの子供なのです。 でも、今は、私どもは薬液(mavuo50)と、煎じる薬(mihaso ya kujita9)を、なんであれ「池」のあるところで、差し出します。私は皆さま方に申し上げます。私のキョウダイたちよ、お聞き届けください。私は皆さま方にお話いたします。私は皆さま方にお祈りいたします。それも、何度も(お祈り)いたします。5人なのです。ムワカのつつがなきことを祈り、そしてムワカの子供たちが、多くの病気に見舞われることのなきようお祈りいたします。

5024 (唱えごと、続き)

Chari(C): 北の皆さま、南の皆さま、東の、西の、ブグブグ151の皆さま、ニェンゼ152の小池の方々、皆さま方全員にお静まりくださいと申します。ジャビジャビ159の皆さま、ングラ・ナ・ングラ160、お母さんの場所ゾンボ161、サンブル162のムガマーニ163で争われている皆さま、ンディマ164に会おうと家に帰ると、ポングェのカヤ165が壊されている。皆さま方のせいだと言われています。どうかおだやかに。皆さま方におだやかにと申します。川(にお住まい)の皆さまにおだやかに申します。池(にお住まい)の皆さまにおだやかにと申します。溜池(にお住まい)の皆さまにおだやかにと申します。大きな木々(にお住まい)の皆さまにおだやかにと申します。キンベブォの池の皆さまに、マレレの森の皆さまにおだやかにと申します。皆さま全員、お下りくださり、この池(屋外のキザのこと)にやってきて来て、お浴びください。そしてここを通り過ぎて、皆さまの出身の地にお帰りください。キンガンギーニ222の池の皆さまも。皆さま全員お聞き届けください。マカンガ223の皆さまも、全員お聞き届けください。 私は皆さまに申し上げますが、私はこのンガタ26をムワカに与えます。このンガタは皆さま方の椅子です。どうか皆さま、ムワカを押しつぶさないでください。 さらに、もしかして「嗅ぎ出し」してもらいたがっていると言ってよいライカもいらっしゃるかも知れません。でもお金がないのです。お金とは稼ぎ手しだいです。というのも本当に本当にお金がないのです。お金は、即、食料です。ですがこれから、そう、もし順調に進んでトウモロコシが熟したら、お金は手に入ったら、家の中に残ってくれるでしょう。私は皆さま全員に、おだやかにと申し上げます。私のキョウダイの皆さま。私はあなたにおだやかにと申します、あなたライカ・ムェンド61、あなた風とともに進むライカ、ライカ・キブェンゴ210、ライカ・ムカンガガ211、あなたヌフシ4、ジネ・パガオ5、ムズカ3。ライカ・トブェ63、またの名をライカ・キフォフォ66。私は皆さま方にお静まりくださいと申します。

5025 (唱えごと、続き)

Chari(C): 私はあなたにお静まりくださいと申します、あなた「世界(dunia215)」、あなたバラ・ナ・プワニ(bara na pwani214)。あなた方、バラ・ナ・プワニは同じく偉大なるムルングです、でもイスラム教徒(mudzomba225)だと言われています。というのは、内陸部(の草木)と海岸部(の草木)を使うからです。私はあなたディゴゼー(digozee75)に、ムビリキモ(mbilichimo76)ともども、お静まりくださいと申します。さらにあなたタリ導師(mwalimu tali226)にも、私はお静まりくださいと申します。私はお静まりくださいと申します。あなた憑依霊バルーチ人180、あなたブルサジ(bulusaji227)、皆さま方におしずまりくださいと申します。おだやかに、私のキョウダイの皆さん、どうかお聞き届けください。あなた奴隷(mutumwa230)、奴隷、またの名を憑依霊ンギンド人193。皆さま全員、望みをおかなえいたします、私のキョウダイの皆さん。すでに皆さまにこの薬液を差し上げました。どうか皆さま、これをお浴びになって、ムワカを自由にし、彼女を健康にしてください。 ムワカ、胸が切り割られること、なし。ムワカ、背中の中心が重くなること、なし。脇腹が潰されることも、なし。ムワカ、(あなた方憑依霊が)彼女の腹の中に入り込む、腹が唸る、腹がトゲで刺される、腹に火がつく、すべてなし。これらのことすべて、なくなる(立ち去る)よう私は願います。 腰が切断される、両脚が折れ潰される、心臟が破れる、(あなた方憑依霊が)彼女に悪い悪い夢を見させる、彼女を水の中に連れていく、犬たちを見せる、牛たちを見せる、ありとあらゆる物を見せる、果ては死体まで見せる。私は皆さまにお静まりくださいと申します。そしてさらにこの「お静まりください」(と言うお願い)は、昨日、一昨日のことではありません。どうかおだやかに。 つつがなきことこそ、私たちが欲していることです。小雨季(vuri)が今や始まり、人々はンジェンガ237にはもううんざりしています。今は、そう彼女がつつがなくありますように。さらに、私は(彼女の)腹のなかにもう一人の子供がとてもとても欲しいです。それも女の子。あちらに行って、喧嘩しましょうね。ムヮカイ(一族)がムァニョータ(一族)を嫁取りするとしたらね。239 (唱えごと終了)

5026 (施術と無関係なやり取りにつき、訳出省略) ....

Chari(C): もしガンディーニ98のあの人(Murinaはガンディーニにローズウォーターを買いに行った)のことがなかったら、もっと早くここを去れたでしょうにね。 Ba...(B): おお。 Woman(Mwakaの夫Ba...の母): さてさて、痛みよ引け、痛みよ引け、私は息子の妻(ムワカのこと)が治って、私のために小雨季の畑仕事をしてくれることを望みます。 Mwaka(Mw): (チャリから手に垂らされた瓢箪の中身について)身体に擦り込むの?

5027

Chari(C): 食べなさい。身体にすり込んでどうするの?蜂蜜なのよ。 Ba...(B): 舐めなってば。そうそう。 C: これらの瓢箪はキブリの瓢箪11じゃないわよ、これらは。キブリの瓢箪はオオヤスデ(majongolo240)が素材で、すりつぶしたものだそうよ、御婦人。キブリの瓢箪こそ、オオヤスデをすりつぶした薬が入っているやつ。 B: ところで唱えられるとき、中ではそいつら(オオヤスデ)は何しているんだい?(冗談) C: ああ、何も言わないで。(冗談) Mwaka(Mw): J(子供)は、居眠りしてるわ。 B: 唸りつづけるだけで、欲しいものについて告げない? C: (スワヒリ語+ギリアマ語で)じゃあ、さっさとマンゴトレ(mang'otole、ギリアマ語で「硬貨」の意らしい)を寄越しな。 B: 何? C: 硬貨のことよってば。

5028

Ba...(B): (笑いながら)私は、それ(マンゴトレ)の単位とか知らないですよ。もう。 Chari(C): その単位がわからない?私あなたに言わなかった? B: あ、ああ。昨日のお話ですかね。それなら... C: だって、この憑依霊(憑依霊ドゥルマ人)は未開人(mshenzi=スワヒリ語でnative, uncivilized personの意)なのよ、あなた。 B: はいはい。 Mwaka(Mw): ねえ、こっちにおいでなさいよ。 C: これからそいつに唱えごとするのよ。そいつに唱えごとする仕方なんだけど、(施術の代金の)お金をもらったら、そいつのための2シリングはここにないとだめなの。それをもって立ち去るわけにはいかないのよ。受け取ったお金から取り分けて、そいつに与えないといけないの。 B:ああ! C: そんな風に私はそいつに唱えごとするわけ。 B: ではご傾聴ください。 C: ムルングの。 B: あれらの問題を私たちは昨日話し合い、終わらせました。 C: むう。 B: でも、私は行き着けませんでした。 C: 血が出るまで宥めすかす。後はそうするしか。 B: 私は行き着けませんでした。 C: あなたも、遠すぎるのよ。 Mw: ここにお座りなさいな。 B: 私は行き着けませんでした。

5029

Chari(C): そして、あなたは遠くにいる。 Ba...(B): たしかに私は遠くにいます。このことはすでに以前お話しました。そしてすぐさま、私のお金をとっておいてくれている友のところに行ったんです。私が着いたときには、彼は不在でした。でも、こういう事態は望んでなどいませんでした。そうなんです。 C: そうね。じゃあ、私はこの人に差し上げる2シリングをどうやって出しましょうか、それじゃないとしたら。 B: 私には今全然ありません。 C: あなた10シリングもってない、カリンボ? Hamamoto(H): ああ、ありません。 B: この先のあの長老はどんなでしょうね。うう、もしかしたらね、彼が小銭をもっているかも。でも私は... H: ええと、今ここで何シリングが必要なんでしょうか? C: この人に残しておかれる2シリングが必要とされているのよ。 H: おお。10シリング硬貨だったらもっていませんが、2シリングだったら、私もってますよ。どうぞ。

5030 (憑依霊ドゥルマ人に対する唱えごと)

Chari(C): おだやかに、あなたドゥルマ人、あなた、めったにお目にかかれない凶兆、あなたカルメンガラ142、あなたマゲンデーロ(magendero244)、内の問題も外の問題も知っている、あなたカルメンガラ。あなたはまたの名をカシディ143、あなたムルング・マランボ245、あなたは子供が嫌い。あなたは美しくあることが好き。あなたまたの名をレロ・ニ・レロ78、またの名をマンダーノ77、またの名をムガイ246、またの名を貧乏人247 そんなわけで、あなたは、あなたという人はムワカと出会われた。そしてムワカは今、あなた、道をさまよい歩くもの、ブッシュを彷徨し、世の中を彷徨する。彼女は世界を彷徨い歩きながら、治らない。あなたこそが、こうした仕業の張本人だと言われているのです。あなたカルメンガラ、あなたです。あなたの出身地がゴブォ248なのか、私は知りません。あなたの出身地がサカケ248なのか、私は知りません。さらにはニョンゴロ248なのか、私は知りません。キザヤ248なのか、私は知りません。でも人とは、語り合い、互いを知り合い、そして挨拶し合うものです。今日、今、私たちは挨拶しあいましょう。 なにを挨拶しあうのでしょうか。このムワカのことです。そう、ムワカは悪寒の病気です。ムワカは病気、心臟が破れる、ときには心臟がぶらぶらする。測ることができないほどの空腹を感じる。ムワカはこうした状態を知っています。日中ずっと空腹を感じる、それはあなたの仕業ですね。そしてときには腹に火を注ぎ込む、果ては腹が唸る、まるで腹になにかモノを入れられたかのように感じる。あなた、こうしたことをご存知でしょう。そして腰が切断される、あなたがまさに得意としていることですね。あなたカルメンガラ、あなた。あなたは内の問題も知っている、外の問題も知っているとおっしゃる。そしてときにあなたは人を苦しめる。

5031 (唱えごと、続き)

Chari(C): 今日、私はあなたに薬液(vuo50)を差し上げます、私の友人よ。私はあなたに煎じる薬(mihaso ya kujita9)を差し上げます。あなたが、小康をご覧になることを。小康とは治ることです。あなたが小康をごらんになれば、さらには、なんとあなたのための歌(wira wenu112)も、あなたはお受け取りになることでしょう。でも今は私はあなたにその日時を約束はいたしません。さらにもしかしたら、あなた方の鍋もお受け取りになることでしょう。でも日時は約束いたしません。でも、そう、つつがなきことこそ私が望むもの。私はムワカにつつがなきことを願います。私は、今、本当に本当に、つつがなきことを願います。まずは腹から頭まで、胸と背中の中心、腰が切断されること、両脚、両手。この者が健康でありますように。知性(分別)がかき乱されることも、心臟が不安でいっぱいになることも、なし。もし本当にあなたのせいであるなら、あなたがこの者から手を挽いてくださることを望みます。私はあなたに身体に塗るためのあなたの粉薬(chirumba250)を差し上げました。私は煎じる薬も差し上げました。 「私は品物を与えられたが、食べていない」などとおっしゃらないでください。私はまずはあなたを脇に置いておきます。まずは、あなた方を脇に置かせてください。あいつら、葉っぱの連中、あいつらにまず彼らの葉っぱを浴びさせてやって、それが済めば、あなたのことをいたします。まさにここであなたの上々の香料と、あなたのとてもとても素敵な薬をです。さて、じゃ今は私たちは何をいたしましょうか?私たちは病人が治ることを見守っています。そう、もしかして歌(wira)をあなたに差し上げるということでしたら、あなたに歌が差し上げられますことを。でも今は、どうかおしずまりください、私の友人よ。彼女に困難を引き起こさないでください。あの連中が、彼らのあれらの薬液を浴びるのをお見逃しください。まずはムルングこそがドゥルマ人ではないでしょうか。彼らが浴びるのをほっておいてください。その後であなたもあなたのをお浴びになるでしょう。あなたの薬液は置いておかせてください。だってあなたは他の人といっしょにできない人なんですから、あなたドゥルマ人は。おだやかに。 (唱えごと終了) 以上、ひっくるめて、本当に終わったわ。

5032

Ba...(B): これで、終わりましたか? Chari(C): まずは首尾よく終わったわ。 B: では、今のところ草木を探してくるのが仕事ですね。でも、草木がここにあれば、ことは急いで進みますね。 C: ふう。大変なのは草木よ。草木っていうのは、たとえそれが「象の場所」地区であっても、採りに行かないといけないのよ。もし、すぐに調えられるって言うとしたら、無知のせいね。 B: ええ。 C: 自分で自分に恥をかかせてるだけ、で患者はなおらない。とんでもないわね。草木を私がもって行っても、(そんな大変なことは)その人にはわからないでしょうね。 B: たしかにね。 C: ねえ、私の嗅ぎタバコ入れ(chiko)をもって来てくれない?奥さん。外のあそこよ。 B: その木の下だよ。

考察・コメント

雑談こそ難問

限られた時間で、粛々と進行する施術とはちょっと違って、気心の知れた者のなかで、思いがけない興味本位の来客までも登場する、こうしたゆるい施術のなかでは、誰もが冗談交じりの雑談に興じつつ出来事が進行し、私が何かにつけあれこれと質問する雰囲気でもなく、全員が知っているだろうコンテクスト情報を共有しない人類学者にとっては、交わされる雑談そのものもが厄介だ。インタビューでの問答とは異なって、暗黙の共有されたコンテクストを前提とする日常の雑談のなかで、それを共有できていないがゆえに何が話されているのか見当がつかなくなってしまう、という経験は人類学調査あるあるネタではないだろうか。それとも私の空気読めない力が遺憾なく発揮されていただけの話なのだろうか。

まあ、そんな感じで今回はドゥルマ語テキストを日本語訳するのにも、やたら時間がかかってしまった。

なぜ二つのキザ

それはともかく、この憑依霊ライカに対する基本施術であるが、屋内のキザ(chiza cha nyumbani)と屋外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる二つの薬液がペアになっている。当然一つの疑問が浮かんでくるだろう。なぜ一種類の憑依霊に対して、二つのキザが用意されるのだろうか、という。たしかにほとんどの憑依霊の場合、施術のための薬液は(そこでどのような草木が用いられるかという点で)一つだ。なのに、ライカら水辺系の霊には二つのキザがいる。

この疑問は、このページでの紹介で解決するだろう。読めばおわかりのように屋内のキザは実は、憑依霊の筆頭でもあるムルング子神(mulungu, mwanamulungu)のためのもの(そこに「世界の住人全員(arumwengu osi)」もまとめて招待されてはいるが)である。 二つのキザが必要であるのは、単にムルング子神が筆頭者であることが理由ではない。それならライカ以外の憑依霊についても同じことが当てはまるだろうから。 ムルングに対する冒頭の唱えごとのなかや、薬液作成中の唱えごとで述べられているように、ライカやシェラなどの内陸部の水辺の憑依霊は、ムルングと母子関係にある。他の憑依霊が男女それぞれいるのに対し、ムルングのみが女性のみで男性のムルングがいない。ムルングは、他のすべての憑依霊の母親であると主張する施術師もいるが(チャリ自身もその一人である)、はっきりと母子関係にあると語られ、その施術においてそれが示されるのは、水辺系の霊であるライカやシェラである251屋外のキザに対する唱えごとに述べられているように2つのキザを浴びる順番は、ムルングとライカやシェラとの母子関係なのだとわかる。「ライカはムルングを追い越すことはできない」のである。順序にこだわるところは、いかにもミジケンダな感じだ(詳しくは、浜本2001『秩序の方法』参照のこと)。

憑依霊ドゥルマ人の問題

ところで、この患者の病気を複雑で厄介なものにしているのが、メインとなるムルングとその子供たち、とりわけライカたちに加えて、おじゃま虫の憑依霊ドゥルマ人がここでも介入している点である。イスラム系(海岸系)の霊は別として、その他の内陸系の霊たちはムルングやライカたちとキザ48、あるいは薬液50を共有することができる。それぞれが異なる草木をもっているとしても、それをいっしょに混ぜることができるのである。しかし憑依霊ドゥルマ人は、厄介なことに、他の憑依霊たちといっしょになることを拒む。それでいて他の憑依霊たちの治療が先に行われると、自分を無視していると言って怒り、治療を邪魔して、より重い病気を注ぎ込んできたりする。田舎者の「未開人(mshenzi)」で、それでいて傲慢で、他の憑依霊のように頭に手を置いて唱えごとをすることを許さない。なんで俺の頭をつかむんだ(なんで私の頭をつかむのよ)というわけだ。他にもいろいろうるさい奴らで、でもンゴマではちょっとコミカルなところも見せる。

それはともかく、このドゥルマ人が絡んでいるために、もう一種類の薬液(vuo50)をそのために別途、用意しておかねばならない。この薬液を浴びる際の注意が、会話の中に入ってきていて、一連の会話の流れを、ほんのちょっと理解困難なものにしている。 ドゥルマ人は、薬液を入れる容器にもこだわり、アルミの鍋(sufuria130)やプラスチックの盥(beseni252)などはとんでもない。今では日常生活ではあまり使われなくなった、瓢箪(カボチャのようにくびれのないタイプの瓢箪)を半分に割った容器ンジェレ(njele166)を要求する。その薬液は草木の根や茎、幹と香料が主成分なので、葉っぱが主成分の他の薬液と混ざることを許さない。というわけでチャリが浴び方の注意で述べているように、ドゥルマ人のための薬液は、屋内のキザと戸外のキザ(これは、唱えごとのなかで述べられているように、まず屋内のキザを浴び、その後で戸外のキザを浴びるという順序である)が7日間の全行程を終えた後に、日を改めて開始するか、どうしても早めに浴びたいときは、すでに浴びたキザの水が身体からすっかり乾いて、葉っぱをすべて払い落とした後で浴びなさいよ、という指示になっている。チャリは後日、あらためてドゥルマ人の薬液を調えて唱えごとも行うというやり方を勧めている。

ライカのンガタ(ngata)そしてキザ

別稿でも繰り返し指摘しているが、憑依霊の病気の患者が病気に苦しまないために身につける護符(という用語はちょっと不適切なのだが)は、患者を憑依霊の攻撃から守る、攻撃を撃退するといったものではなく、むしろ憑依霊たちに差し出される「椅子」であるという点に注意しよう。椅子がなければ、やって来た憑依霊たちは患者の身体に腰を下ろしてしまうので、それが患者にとっての苦痛になる。というわけで椅子を用意してやれば、憑依霊はそれに座るので、患者は苦しまずに済む。それは結果として患者から苦しみを取り除くが、その表だった目的は、やってくる憑依霊に対する「歓待」の一つの形なのである。

同じことはキザについても当てはまる。戸外のキザが、同時に「池(ziya)」と呼ばれていることからもわかるように、それはカンエンガヤツリやゴバンノアシ(この日にはなかったが)といった水辺の草木を周囲に配し、好物の灰で作ったケーキまで用意した、池の住民である池系の憑依霊たちが気持ちよく水浴びできる場所として設置されている。北(vurini)に向かって座った患者がその薬液を浴びるとき、灰で描かれた「道」に誘われてやってきたライカたちもその薬液を浴びている。そして終わると、今度は憑依霊が帰っていく北の方角に向けて、灰を巻きながら、お家にお帰りくださいと唱えられる。この手順そのものが、憑依霊に対する饗応になっているのだ。

この戸外のキザ、「池」が、キブリ戻しのクズザ(kuzuza12)の際に、屋敷の前庭に設置される搗き臼のキザとそっくりである(あるいはほぼ同じものである)ことにも注意したい。クズザの場合に、それをキブリを捕らえる「罠」と見る見方があることを紹介したが、こうした極端な見方を別にすると、例えば施術師ムニャジが語っているように、このクズザの際の搗き臼のキザを、キブリを奪ったライカを引き寄せるものととらえる見方も広く見られる。施術師チャリがあっさり認めているように、それはライカについての「大きな応急治療(hamehame bomu)」である「池」と同じものだということになる。

注釈


1 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi2)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka3) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri10)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi32など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo61,laika mukusi62など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe63, laika ra nyoka63, laika chifofo66など。(4) その他 laika dondo67, laika chiwete68=laika gudu69), laika mbawa70, laika tsulu71, laika makumba72=dena73など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze48)で薬液を浴びる、護符(ngata26)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza12)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
2 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
3 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi4)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
4 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao5))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka3)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
5 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi4)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine6)に数えられることも。
6 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ7もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
7 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo8)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
8 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso9)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine7)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
9 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
10 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術11)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza12と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
11 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ10は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine7)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
12 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri10)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika1)やシェラ(shera13)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri10)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza25)を施され、ンガタ26を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
13 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)12、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす14)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku16)、おしゃべり女(chibarabando17)、重荷の女(muchet'u wa mizigo18)、気狂い女(muchet'u wa k'oma19)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma20)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo22、長い髪女(mwadiwa23)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba24)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
14 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo15)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
15 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
16 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera13)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
17 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera13の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
18 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ13の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
19 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ13の別名ともいう。
20 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera13)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo21))の別名ともされる。
21 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
22 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ13の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo21)の女性であるともいう。
23 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
24 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
25 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
26 ンガタ(ngata)。護符27の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
27 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata26)、パンデ(pande28)、ピング(pingu29)、ヒリジ(hirizi30)、ヒンジマ(hinzima31)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
28 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符27。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
29 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符27の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
30 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima31)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
31 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi30)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
32 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni33)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
33 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu34」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
34 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ33)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola35)の対象となる。
35 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini36」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa3738と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume42)、カドゥメ(kadume52)、マウィヤ人(Mawiya53)、ドゥングマレ(dungumale56)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga57)、トゥヌシ(tunusi58)、ツォビャ(tsovya60)、ゴジャマ(gojama55)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu34」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」33)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
36 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola35)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
37 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa38)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola35)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち7)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba41)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu34)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni33)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini36)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
38 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」39など)を行うことなどを意味する。
39 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ40などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
40 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うnoムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ39」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
41 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume42)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani43)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
42 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola35)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
43 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」44による鍋(nyungu47)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe51)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu29)。
44 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術45においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba46)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande28)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu47)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
45 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
46 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
47 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza48、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
48 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya49)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu47)とセットで設置される。
49 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo50)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza48)と呼ばれるが)。
50 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
51 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
52 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
53 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde54)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama55)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
54 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
55 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola35)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
56 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola35の対象になる)38。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
57 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
58 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine7)の一種という説と、ニューニ(nyuni33)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ59らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola35)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
59 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
60 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ33の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola35)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa38」。see p'ep'o mulume42, kadume52
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
61 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
62 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
63 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira64)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka65)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
64 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
65 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
66 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
67 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi2)の別名ともいう。
68 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
69 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
70 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
71 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
72 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena73)の別名。
73 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari74)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande28)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
74 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)12」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena73が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee75)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande28には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
75 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo76)マンダーノ(mandano77)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
76 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
77 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ78とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ13の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
78 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera13)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza12)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)14」、「外に出す(ku-lavya konze79)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
79 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
80 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
81 フィールドでは「ジャコウネコの池」に拠点を置いて、そこから半径30km~40km圏内で行動していた。より遠方を訪問するときはモンバサで借用したレンタカーを用いたり、モンバサ経由で公共交通機関+徒歩になることもあったが、普段の圏内移動には自転車を用いていた。自転車はフィールドを去るときには良い置き土産にもなるので、調査の都度2台(1台は私用、もう1台はカタナ君用)を新たに購入していた。モンバサの自転車屋で中国製の実用自転車が5000円から10000円程度で手に入った。Phoenix(鳳凰マーク)はドゥルマの人々垂涎の高級車!日誌などで単に「走る」と書いてあるところは、ジョギングやマラソンではなく、当然自転車での走りなので誤解なきよう。ドゥルマは起伏のある丘陵地帯なので、変速機なしで結構きついのだが、おかげで体力はついた。
我が愛車鳳凰号で自転車の練習をするカタナ君の妹
キナンゴの町の青空自転車工房
82 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o83)、シェターニ(shetani84スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini36)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa37)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola35)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani85)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba41)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara86)」の2つに分ける区別もある。
83 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani84もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞82)という言葉が最も一般的に用いられる。
84 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。同じくスワヒリ語には憑依霊を指す言葉としてシャイタニ(shaitani, pl.mashaitani)もあるが、こちらはドゥルマでは用いられていない。他にペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)もスワヒリ語起源で、ドゥルマで憑依霊の意味で用いられているが、スワヒリ語では「精霊」の意味以外に「他界」「死後の世界」「精霊の棲み処」など場所や空間の意味でも用いられる。ドゥルマ語固有の憑依霊を指す言葉としては、ニャマ(nyama, pl.nyama)があり、憑依霊の話しをする際に最もよく耳にするのがこれである。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞でもある。
85 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba41)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
86 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
87 リンダ(rinda, pl.marinda)。ワンピース。首からヒザ下までくらいの長さの、いわゆるワンピース的な衣装。憑依霊のなかには(例えば憑依霊白人(muzungu mumiani)やセゲジュ人のように)特別なデザインのリンダを要求する霊もいる。今日のミジケンダの女性に一般に見られる服装としては、通常のワンピースの上から腰にレソ(leso, pl,maleso)と呼ばれるプリントされた一枚布を腰巻きとして巻き、上半身に同じガラのレソ(通常2枚で一組で販売されている)をまとう。
88 キレンバ(chiremba)。「ターバン」。(ス =kilemba)。「ターバンを身に着けさせる」は資格を認定するという意味。
89 キラフ(chirahu, pl.virahu)。「履物」
90 キリョモ(chiryomo)。憑依霊はときに普通の人には理解不可能な、未知の言語でしゃべる。いわゆる異言(tongues, glossolalia)であるが、chiryomoは動詞 ku-ryoma (訛って喋る、うまく喋れない)から来ており、人々が聞いたことのない外国語全般がchiryomoと呼ばれる。
91 ムガンダ(muganda)。憑依霊ガンダ人。民族名の憑依霊。バナナを主食にするなど。1991年の時点でChariの占いを担う霊とされていた。ジンジャ導師(mwalimu jinja)の別名ともされていた。(後には占いを担っている霊はギリアマ系の霊ピニ(pini92)であるとされた)。調査地周辺では、チャリ以外の誰もこの霊を持っていなかったが(あまり知られてもいなかったが)、チャリがその癒やしの術を継承したとするチャリの祖父デレの持ち霊であったといい、デレの子孫で施術師になった者は、全員がこの霊をもっていたという。
92 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua93の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera95)」の技も与えてくれる。
93 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga94)
94 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua93)、別名(?)ピーニ(pini92)が必要とする道具の一つ。
95 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
96 ムセゲジュ(Musegeju)。憑依霊セゲジュ人。民族名をもつ憑依霊。セゲジュはタンザニアの北海岸部に住む、ミジケンダと隣接する民族集団。イスラム教徒。1992年にチャリにその正体を明かした。ンゴマなどで、人々には理解不可能な言語で、怒りまくっていた霊の正体だった。それ以前には、この獰猛な霊はガンダ人(muganda91)だと考えられていた。
97 キナンゴとモンバサを結ぶ大型バスのうち、「ジャコウネコの池」の分かれ道で左手の曲がりくねったダートロードを延々と走って、モンバサ街道沿いの町マゼラス経由でモンバサに向かうバス。ガンディーニ(Gandini98)方面を経由することから、こう呼ばれる。朝の5時台にキナンゴを出発する。道が悪い上に、すごくオンボロで、これでモンバサに行くのは時間がかかる上に、埃だらけになる。しかし、リコーニでフェリーに乗り換えずにすみ、直接モンバサ島の市場ムエンベ・タヤリまで乗ったまま行けるということで、モンバサで商品を仕入れてキナンゴに戻る商人たちにとっては貴重な路線。ただ故障も頻繁。1992年には事故を起こして死傷者を出した。
98 ガンディーニ(Gandini)。地名。キナンゴとモンバサ街道沿いの町マゼラスを結ぶ道から、分岐した先にある。かつてのドゥルマの3つの要塞村カヤ(kaya)のそば。
99 マラシ(marashi)。スワヒリ語で「香水」、ドゥルマではもっぱらローズウォーターのこと。ローズウォーターは化粧水などの目的で使用されるもので、市販されている。このあたりではもっぱらkombe51治療などの目的で使われている。ンゴマの席などで、イスラム系の憑依霊は、これをガブ飲みしてはゲップする。彼らの好物である。
100 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wari)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。
101 アブヮ(aphwa, pl. maphwa)。「アフリカナス(african eggplant)」Solanum macrocarpon(J.F.Karisa, et.al. Kilifi Utamaduni Conservation Group, 2011, Mboga za Watu wa Pwani,Bioversity International. p.79) ナス(bunguliya, pl.mabunguliya)に似ているが球形で色は白い。実も、葉も食用になる。おいしい!
102 ホテリ(hoteli, pl.hoteli)。お茶や揚げパン、チャパティや軽食を提供する安食堂。宿泊施設ではない。2~3人くらいしか入れない店から、数十人の客が入れる店まで、その規模はさまざま。
103 ドゥカ(duka, pl.maduka)。「商店」。よろず屋風に日常で使う品から食材まで扱う。かつて私の調査小屋から自転車で20分ほどの街道沿いにインド人家族が経営する小さな商店があった。キナンゴまで行くのが面倒なときに、すごく助かった。
104 バラバラ(barabara, pl.barabara)。「道路、街道、比較的広い車が通行できるような道」を指す名詞。スワヒリ語。形容詞の barabara は「正しい、完璧な」といった意味。1990年代のはじめに活躍した抗妖術の施術師にバラバラという名で知られている者がいる。その名前の由来としては、彼が妖術使いを捕まえる活動を行う際に、多くの人々がついて行くので、彼らが通った後が草が踏みしだかれて道路のようになるから、という説と、「正しい、完璧な」施術だという説があった。
105 ムツァイ(mutsai, pl. atsai)。「妖術使い」。薬を用いて犠牲者に危害をもたらす術を行使する者。
106 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba24)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)107や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)109ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo50)や鍋(nyungu47)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)110113に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ114)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
107 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」108を参照されたい。
108 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba24)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)107や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)109ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
109 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」108を参照されたい。
110 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri111)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira112)」と呼ばれることもある。
111 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
112 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ113の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(110)、カヤンバ(113)と同じ意味で用いられる。
113 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti111)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira112)」と呼ばれることもある。
114 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
115 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である116。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。
116 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には〔Kokwaro 1976; Pakia&Cooke 2003,2003a; Maundu&Tegnas eds. 2005〕を参照した。これらはそれぞれの植物の現地名と学名の照合を可能にしてくれる。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能な訳ではないが。Kokwaro,J.O.,1976,Medicinal Plants of East Africa(Second ed.),Nairobi:Kenya Literature Bureau; Pakia,M. & J.A.Cooke,2003, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses",South African Journal of Botany 2003, 69(3): 382–395; Maundu,P.,& B.Tengnasu eds.,2005,Useful trees and shrubs for Kenya,World Agroforestry Center
117 ムワカ(mwaka, pl.miaka)。「年、年齢、大雨季」。これに対して小雨季はヴリ(vuri)と呼ばれる。
118 ムワカーニ(mwakani)。「南、大雨季の雨がやって来る方角」opp. ヴリーニ(vurini)
119 ヴリーニ(vurini)。ほぼ北。北西モンスーンの風、小雨季の雨が来る方向。その反対がほぼ南に対応するムヮカーニ(mwakani)で大雨季の雨がやってくる、南東モンスーンの風がくる方角。ちなみに、東は mulairo wa dzuwa(太陽の出る方角)、西はmutserero wa dzuwa(太陽が落ちる方角)。
120 ヴリ(vuri)。小雨季、10月から1月にかけての雨。短時間に激しく降るのが特徴。またそれがやって来る方角(北西)ヴリーニ(vurini)。反対に大雨季(mwaka117)の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう。
121 ク・ツヌカ(ku-tsunuka)。憑依霊が人にとり憑くのは、つねに憑依霊側に主導権がある。霊と偶然遭遇してしまう経験もまれにあるが、これも含め、霊が突然相手を気に入り、「惚れて」とり憑くのである。これを表現する動詞が ku-tsunuka で「惚れる、好意をもつ、目をつける」の意で、この意味で最も広く用いられる動詞。他に ku-gbwira「捕らえる」、ku-gbwavukira「突然襲う」、ku-pagaa(スワヒリ語)「とり憑く」も用いられる。
122 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)108であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
123 ヴィツワ(vitswa)。「狂気」。しかしこの言葉自体は、「頭」を意味する普通名詞 chitswa の複数形にすぎない。人が狂気に陥っていることをドゥルマ語では ku-kala na vitswa字義通りには「復数の頭をもっている」という表現で述べる。「気が触れた人、気が狂った人」は、mutu wa vitswa 字義通りには「複数の頭をもつ人」である。「気が違う、狂う」にあたる動詞にはク・アユカ(kpwayuka124)がある。
124 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」。ク・アユサ(kpwayusa, ku-ayusa)はそのcausative formだが、憑依霊のせいで振る舞いが異常になる場合には、その受動形をもちいて、wayuswa ni nyama(憑依霊によって狂わされた)などといった言い方が用いられる。憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは呼ばない。しかし施術師は自分のkpwayuka経験について語るときに、「もうvitswaそのものだったよ」などと言ったりする。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
125 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 126」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma127)から派生したマルミ(marumi128)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
126 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma127)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
127 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi128)で「唱えごと」の意。
128 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri125)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
129 ウバニ(ubani)。乳香
130 スフリア(sufuria)。ケニアで一般家庭で用いられているアルミ製の、取っ手のない鍋。
131 キツァガ(chitsaga, pl.vitsaga)。「穀物(トウモロコシ)貯蔵庫」。ドゥルマの家屋(nyumba)は、前庭に面した側に戸口があり、そこを入ると左右いずれかの半分が煮炊きをする台所スペースで3つの石からなる炉(mafiga)が設けられている。炉の上の空間は上下に分けられており、上部は細い枝を編み繋いだ壁をもつ穀物庫になっている。キツァガに上るのは夫と妻のみ。下位の妻、息子や娘、息子の妻、孫などは上ってはならない。それはphingani132を引き起こす。もし下位の者がキツァガに上ってしまうと、上位の者は二度とそのキツァガに上ることはできない。
132 マブィンガーニ(maphingani, sing. phingani)。ドゥルマにおいても近親の異性との性関係は不適切で、さまざまな災いを引き起こすと考えられている。こうした性関係がもたらす異常な状態をマブィンガーニと呼び、それが引き起こす災いや症状をキティーヨ(chitiyo, pl. vitiyo)と呼ぶが、両者を互換的に用いる人々もいる。この概念を日本語の「近親相姦」と翻訳するのは不適切である。例えば、父と息子や、2人の兄弟が一人の女性(たとえそれが町の売春婦であっても)と誤って性関係をもってしまうと、それもマブィンガーニになるからである。それはその女性との性関係によって、父と息子、あるいは2人の兄弟が「混じり合う」が故にマブィンガーニなのだと言われる。この概念についての詳しい分析は〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章参照のこと〕。こうした不適切な性関係によって引き起こされた状態を解消するためにはクヴォリョリャ(kuphoryorya133)と呼ばれる手続きが必要になる。
133 クブォリョリャ(ku-phoryorya)。不適切な性関係によって生じた状態、マブィンガーニを解消するための手続き。混じり合ってしまった全ての人々が地面に互いの脚を重ね合いながら一列に座らされ、施術師によって一匹の(深刻な場合は8匹までの)ヒツジが彼らを周回させられた後に、通常の殺し方ではなく、生きたまま腹部を刺され、胃の内容物を取り出した後に、首を切って屠殺される。その胃の内容物は、特別な草木の薬液に混ぜ合わされ、全員に振り撒かれる。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章:162-172〕
134 ンジェレジェレ(njerenjere)。「長声」、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声のこと。励まし、促し、喜びなどの表現。
135 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza48)、池(ziya49)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu136)の別名の一つである。
136 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza48)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる137。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている138。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
137 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供138がある。瓢箪子供の各部の名称については、図140を参照。
138 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供137。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神136がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande28)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料46)、血(ヒマ油139)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
139 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
140 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
141 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性142)、カシディ(kasidi 女性143)、ディゴゼー(digozee 男性老人75)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
142 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma141)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
143 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma141)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga144)を要求する。
144 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供138がある。
145 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ146。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
146 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。
147 ビスミラーイ(bismilahi)。コーランの最初の章 Surah Al-Fatihahの冒頭。ドゥルマの自称イスラム教徒の多くは、この言葉を「始まり」(ドゥルマ語では maunuki)という意味で理解している。食事の際に、最初にトウモロコシの練り粥に手を伸ばすときに、ビスミラーイと一言唱える人も多い。イスラム系の憑依霊ももっているチャリたちも、唱えごとの最初に Surah Al-Fatihahの冒頭と思われる部分を唱えることがある。その部分の書き起こしとAl-Fatihahの冒頭を対照してみる。例えばムリナの唱えごとの始めの部分。そこそこ正確と言っていいのだろうか。
Bismilahi rahmani rahim(Arabic:Bismillah al-Rahman al-Rahim =In the name of God, the Most Gracious, the Most Merciful). Audhubilahi mina shetwani rajim(Arabic:Auzubillah Minashaitan Nirajeem=I seek refuge in Allah from the outcast Shaitan). Swala(スsala,swala=mavoyo kpwa mulungu) Iyaka na budu wa yaka na mustahim.(Arabic:Iyyaaka Na'budu wa Iyyaaka Nasta'een=It is you alone we worship and You alone we ask for help). Mali ya umidini(Arabic: Maaliki Yawmid-Deen= Sovereign of the Day of Recompense). Mswaidi na mswirata musitakim(Arabic: Ihdinas-Siraatal-Mustaqeem= Guide us to the straight road).
148 ハイ(hai)。相手が目上、あるいは複数の場合はハイニ(haini)となる。誰か、あるいは事態を沈静化したい思いを伝える間投詞。OK、とか Be coolといった感じ。憑依霊への語りかけのなかで頻繁に発せられる。私は「穏やかに」と訳することが多いが、ちょっと工夫が足りない気もする。「ヨシ」、「よしよし」が良いかも。
149 アルムェング(arumwengu, sing. murumwengu)。スワヒリ語では人間、とりわけ世俗的な人のことをmlimwengu(pl. walimwengu)と呼ぶ。ulimwengu は「環境、世界、宇宙」を意味する。ドゥルマの施術師たちは、憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ。ドゥルマ語ではなぜかスワヒリ語のこの言葉に対応する言葉を、人ではなく憑依霊を指すのに用いているのである。
150 ポーレ(pore)。名詞・副詞として、ゆっくりしたさま、穏やかなさま、礼儀正しいさまなどを指す。間投詞としては、穏やかに、もの静かに、ゆっくりと、などに加えて、ひどい目に遭った人や、感情を高ぶらせている人に対して、相手がクールダウンするように、宥めたり、同情の意を示したり、謝ったりする言葉として用いられる。憑依の文脈では私はこれを「お静まりください」と訳している場合が多いが、コンテクストによっては異なる訳語を当てている。「ごめんなさい」「おきのどくです」「おかわいそうに」「おちついて」など。
151 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
152 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
153 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
154 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu136)の別名。
155 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。チャリによると、viyunge「浮き草」、あるいはキンビカヤ(chimbikaya)のことだとも。ムユンゴ(muyungo)も同じか。「マユンゲ(マユンギ、ムユンゴ)子神」はムルング子神(mwanamulungu136)の別名。
156 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
157 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu136)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo21)やシェラ(shera13)のグループに入れる者もいる。
158 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
159 ジャビジャビ(jabijabi)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとに出てくる言葉。コンテクストからは高い山、池などの地名と思われるが該当箇所は不明。なお憑依霊ジャビジャビ導師(mwalimu jabijabi)は憑依霊ペーポームルメ(p'ep'o mulume)つまりスディアニ導師(mwalimu sudiani43)の別名とされている。しかし唱えごとのコンテクストからはこの意味ではないと思われる。
160 ングラ(ngura)。意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
161 ゾンボ(Dzombo)。地名。この名で呼ばれる場所は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
162 サンブル(Samburu)。ナイロビとモンバサを結ぶ街道沿いの小さな交易町。モンバサからナイロビに向かい、マリアカーニを過ぎると、次の主要交易町がサンブルである。ドゥルマの中心町キナンゴで分岐する道の一つは、ヴィグルンガーニを経由してサンブルに至るダートロードで、私の最初の調査地「青い芯のトウモロコシ」村もこのダートロード沿いにあった。このダートロードでサンブルのちょっと手前に、ムガマーニ163がある。
163 ムガマーニ(Mugamani)。地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cooke2003:393)
164 ンディマ(ndima, ndimwa)。チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
165 ポングェ(Pongbwe)。チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
166 ンジェレ(njele, pl.njele)。瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
167 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
168 ku-henda roho mbii は字義通りには「悪い心をする」だが、慣用表現で、「ある意図していた行為を行うのが嫌になる」「気が進まなくなる」という意味で用いられる。ここではムリナ氏が、病人が狂人であるので、狂人を治療するのが嫌になったということ。次の文のkenzi roho mbiiは、そのまま「悪い心を嫌う」でも良いかも知れないが、慣用表現の kuhenda roho mbii につながる訳にした。
169 突然くしゃみが出たり、何かにびっくりした際に、ドゥルマの女性は、思わず祖父の名前を叫ぶことがある。
170 ブバ(buba)。カキリ(kachiri171)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料名は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。
171 カキリ(kachiri)。ルワフ(lwahu)ともいう。ブバ(buba170)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。インド料理に用いられる香辛料のkachri powderと思われる。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。kachiriとlwafu(luafu)は別の香料だと言う人もいる。
172 ムランゼ(murandze, pl.mirandze, alt.muranze)の木。Dalbergia boehmii(Pakia&Cooke2003:391)。ンダゴ(ndago173)とともに、憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba)の重要成分。昔はドゥルマの女性が香料として用いており、出産後の女性や赤ん坊に塗ったり、週ごとの踊り(wirani)に行く際に少女が塗った。今や老人である当時の若者が言うことには、遠くからでも香りでわかったという。
173 ンダゴ(ndago)。シュロガヤツリ。水辺に生えるスゲの一種。パピルス。Cyperus alternifolius,or Cyperus kaessneri(Pakia&Cooke2003:389)。ムランゼ(murandze172)とともに、憑依霊ドゥルマ人(muduruma)の香料(mavumba)の主成分の一つ。
174 エッガ(egga)。一枚布(kanga, leso, nguo)の身につけ方で、子供の場合は身体の前で交差させて首の後ろで結ぶ(写真左)、大人の場合は背中から巻いて胸の前で結んで固定する(写真右)。
175 呼びかけられた際の返事の仕方は男女で異なる。男の場合は、Yoo(ヨー、語尾を伸ばして上げるように)、女性の場合はHee(ヘェー、同じく語尾を伸ばして上げるように)。
176 ムテジ(muteji, pl.ateji)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga106)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジ(mwanamadzi177)は男性の助手、ムテジ(muteji176)は女性の助手という区別もあるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
177 ムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga106)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジは男性の助手、ムテジ(muteji176)は女性の助手という区別があるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
178 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
179 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
180 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
181 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
182 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu183)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma184)、ムブァツァ(muphatsa185)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata26)やピング(pingu29)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi186)やムドエ(mudoe187)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
183 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)136との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
184 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa185)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
185 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma184としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
186 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
187 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu29)は、ムドエの草木(特にmudzala188)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
188 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma141)、憑依霊ドエ人(mudoe187)の草木。
189 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
190 ムボニ(muboni)。民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
191 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
192 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人193の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
193 ムンギンド(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、タンザニア南東部に住むバントゥ系の農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。チャリによるとコロンゴ人(mukorongo)はその別名。
194 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、コロメア人。ナンディ人195の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。まさかカリモジョン(Karimojong)が訛ったとか?それならナンディと同じくナイロート系牧畜民で、住んでいる地域も近いんだけど。
195 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea194、mukavirondo196はいずれもナンディ人の別名であるという。
196 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
197 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
198 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola35)の対象となることもある。
199 ムリマ・ンガオ(murima ngao)。民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
200 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki201)、キツィンバカジ(chitsimbakazi2)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか、カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
201 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ73、ニャリ74、ムビリキモ76などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika1)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
202 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
203 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。チャリの唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena73)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari74)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga200)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。施術師によっては、ガーシャをディゴ系の憑依霊だとし、rero ni rero78やmandano77を同じグループに入れる人もいる。
204 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
205 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
206 ゴロゴシ(gologoshi)。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。
207 ンガイ(ngai)。憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
208 ムカンバ(mukamba)。民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai207)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ207を参照のこと。
209 ムマニェマ(mumanyema)。民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
210 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。別表記としてライカ・キブェンゴ(laika chibwengo)、ライカ・キブェング(laika chibwengu)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。スワヒリ語のキブェンゴ(kibwengo)は辞書では「大木や海に棲む悪霊」と定義されている。Caplan,1975によるとMabwenguは憑依しない海の精霊だと述べられている(Caplan,A.P., 1975, Choice and Constraint in a Swahili Community: Property, Hierarchy and Cognatic Descent on the East African Coast, Routledge, p.112)
211 ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga)。ムカンガガ(mukangaga)は水辺に群生するイネ目カヤツリグサ科の植物。ドゥルマでは伝統的な屋根ふきの材料。
212 ライカ・ズズ(laika zuzu)。ズズ(-zuzu)は「愚かな」を意味する形容詞。属性などについては不明。ライカ・ズズによって奪われたキブリを戻す「嗅ぎ出し」を得意とする施術師がいるという話を1993年に聞く。この施術師は通常の「嗅ぎ出し」とは異なり屋敷内ですべてを行った。川にも池にもムズカにも行くことなく屋敷の庭に据えたchizaに奪われたキブリを呼び戻して瓢箪に入れ、それを患者に戻すという施術。
213 ライカ・ジャロ(laika jaro)、ライカ・マジャロ(laika majaro)とも。ジャロ(jaro)は「旅」を意味するチャロ(charo)のaug.形、その複数形がmajaro。このライカは休むことを知らず、ひたすら旅を続ける(mutu ariye kaoya, jaro kpwenda tu.)。ライカ・ムェンド(laika mwendo61)の別名。
214 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia215)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
215 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師216。内陸bara系217であると同時に海岸pwani系41であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」214)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
216 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia215)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
217 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
218 ムダム(mudamu, pl.adamu)。「人間」を意味するが、"私のムダムmudamu wangu"と言った場合、それは配偶者や子供といった、「私」の従属者であり配下であるような「人間」を指している。
219 ケニアの地方行政区画は2010年に大きく改定されたが、私の調査期間の多くは旧制度のもとで実施されたため、ここでの地名などは旧制度とりわけ1995年(この年にキナンゴ・ディヴィジョンがサンブル・ディヴィジョンとキナンゴ・ディヴィジョンの二つに分割された)以前の区分に基づいている。8つあったプロヴィンスの一つ Coast Provinceに属する6つのディストリクト(Kilifi, Kwale, Lamu, Mombasa, Taita Taveta, Tana River)の一つ Kwale District、その4つのDivisions(Kinango, Matuga, Kubo, Msambweni)の一つ Kinango Division、それを構成する9つのロケーションのうち、Kinango Location, Ndavaya Location, Puma Locaitonの3つが私の主な行動範囲であり、それ以外の地域には2~3日の短期間の訪問のみ。各ロケーションはさらに複数のサブ・ロケーションに分かれていた。クワレ・ディストリクトの首府クワレには中央から任命されたディストリクト・コミッショナーのオフィス、キナンゴ・ディヴィジョンの中心地キナンゴの町には同じくディストリクト・オフィサーのオフィスがあった。各ロケーションは政府に任命されたチーフがおり、サブロケーションにはサブ・チーフが行政官として任命されていた。サブロケーションの下にはドゥルマ語でラロ(lalo)と呼ばれる地域区分があった。私が「村」と呼んでいるのがこれで、実際には行政機構はそなわっておらず、単に独立した「屋敷mudzi220」の集まりにすぎず、各ラロにひとりの近隣で選ばれた「諸屋敷の長老 muzee wa midzi」がいたが、大きな権限は無く世話人的な存在であった。
220 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。
221 ドゥカ(duka, pl.maduka)は「商店」である。ただし商店地区(madukani)といっても店が一つだけだったり、それにキオスクやお茶を振る舞うホテリがあったりなかったりするだけだが、それでも街道沿いのランドマークとして機能する。行政区の名前ではなく、そうした街道沿いの目印として語られるのみ。
222 キンガンギーニ(ching'ang'ini)。施術師チャリ(Chari)の占い歌(自作)や唱えごとの中に出てくる言葉。チャリによると池の名前である。地図上では同定不可。King'ang'iはキクユ語では「ワニ」のことらしいが、関係はあるのか。
223 マカンガ(makanga)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとの中に出てくる言葉。チャリの説明によると、ヴィグルンガーニ224からサンブル162に向かう途中にある大きな窪地(湿地帯)で、そこを越える際にさまざまな不思議を経験する。憑依霊たちの停留地の一つだという。
224 ヴィグルンガーニ(Vigurungani)。キナンゴとモンバサ街道沿いの町サンブルを結ぶダートロードの途中にある町。私の最初の調査地「青い芯のトウモロコシ」地区の近く(徒歩1時間)。何軒かの商店と軽食堂があって、日曜には買い出しに出かけた。
225 ムゾンバ(mudzomba, pl. adzomba)。海岸部のイスラム教徒。複数形はadzomba。mwislamu/(pl.)aislamuという言葉もあるが、こちらは宗教的に敬虔なイスラム教徒を指すのに用いられており、それに対してmudzombaは海岸部のスワヒリ人を指すのにも用いられる。内陸部のイスラム改宗者もmudzombaと呼ばれる。キリスト教徒がムジェソmujesoと呼ばれるように。
226 タリ(tali, pl.matali)。大型のネズミ。おそらくアフリカアシネズミ,ヨシネズミ,"Thryonomys swinderianus。子供たちが落とし罠(棒で支えた粘板岩の板が落ちる)で捕まえて丸焼きにして美味しそうに食べていた。tali toni ribandwa na mapema. 強欲な野ネズミはすぐに打たれる、という諺がある。憑依霊に mwalimu tali「野ネズミ導師」というのがいるみたいなのだが、情報がない。
227 ブルサジ(burusaji)。憑依霊ペンバ人(mupemba228)とともに現れる。長刀をもつ。ペンバ人と同様の症状。要求するご馳走は、白いヤギと赤い(褐色の)ヤギ、白い雄鶏と赤い(褐色の)雄鶏。これもペンバ人と共通である。治療もペンバ人に対する治療と同じ。というか、施術師ムリナ氏の説明によると、一方が憑いているときには、他方も憑いている。一方を治療すれば、他方も治療したことになる。とは言うものの、それぞれは独立した護符(=椅子)をもつ。コーランの章句(的な何か)を書いた紙を中に入れるのだが、章句を飾る絵模様が、ブルサジは月と星だけだが、ペンバ人は星のあいだに指輪の印が描かれるのだとか。

向かって右の黒い人が憑依霊ペンバ人、左の赤い人がブルサジ(施術師ムリナ氏画)
228 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba229)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」51、香料46と海岸部の草木44の鍋47。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
229 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
230 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)193の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi231)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
231 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(232)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana235, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
232 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi231)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari233)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)14」とライカ(laika1)およびシェラ(Shera13)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師215を「外に出し」てもらうことになる。
233 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師234などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze79を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba228)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)215」とドゥルマ人(muduruma141)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri10)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza12)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
234 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia215)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
235 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)236」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
236 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
237 1981年にドゥルマ地域を襲った深刻な飢饉の際に、クワレ・ディストリクトの全地域から、人々はマヮングータの町にあったキクユ人Njengaが経営する唯一の粉挽き機械のトウモロコシ粉を購入しにやってきて、それで飢えをしのぐしかなかったという。唱えごとのこのくだりでは、「小雨季が始まったので、女性たちは頑張って畑仕事をして収穫を手に入れねばなりません。もうみんなンジェンガ238のところでお金でトウモロコシ粉を買うのにはうんざりしているのです。だからムワカを健康にして、畑仕事ができるようにしてやってください」という願いが表明されている。
238 ンジェンガ(Njenga)。人名。1981年にドゥルマ地域は深刻な飢饉に襲われた。この飢饉には「ンジェンガの飢饉(nzala ya Njenga)」という名前がついている。ンジェンガという名前のキクユ人がムヮングーダの町に粉挽き機を所有しており、そこでトウモロコシを挽いて粉にし、人々に販売していた。クワレ・ディストリクトの全地域で人々は、ンジェンガからトウモロコシの粉を購入して飢えを凌ぐしかなかったという。
239 チャリの夫ムリナはムヮカイ・クラン、患者の夫はムァニョータ・クランである。ムワカに女の子が生まれたら、その子はムァニョータ・クランの女の子。成長してムヮカイ・クランのムリナがその子を妻に迎えるとしよう。そうしたら、嫉妬した先妻である私(チャリ)と、その子とで喧嘩しましょうね、と言っている。もちろんジョークである。これはこのくだりについての、カタナ君による解説。高等すぎて、私にはこんなジョークわからないってば。
240 ジョンゴロ(jongolo, pl. majongolo)「アフリカオオヤスデ(Archispirostreptus gigas)」。wiki同音異義語として草木 mujongolo241の実もジョンゴロ(jongolo, pl.jongolo)と呼ばれる。
241 ムジョンゴロ(mujongolo)。ジョンゴロ(jongolo)はアフリカオオヤスデ。ムルングの草木。別名はムツェレレ(mutserere242)。動詞ク・ツェレラ(ku-tserera)「降りる、下がる」より。学名Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)。
242 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo243)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni33と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
243 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
244 マゲンデーロ(magendero)。チャリの唱えごとのなかでしか耳にしない言葉。憑依霊ドゥルマ人 (muduruma141)の別名の一つとされている。magenderoという言葉の意味自体は不明。magendoであれば「浮気相手 (gendo, dzigendo, ともに pl.magendo)」あるいはchende(「睾丸」)のaugmentative、というのはさすがに無理か。
245 ムルング・マランボ(mulungu marambo)。憑依霊 mudurumaドゥルマ人の別名。maramboは(ス urembo(sing.)marembo(pl.)より)「装飾」「華美な出で立ち」
246 ムガイ(mugayi, pl.agayi)。憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは動詞ク・ガヤ(ku-gaya)に由来する。ク・ガヤは「困っている、難儀している」を意味する動詞だが、主として物が不足して困っている状態を指す。mugayi は名詞で人を指す。「困窮者」「貧乏人」
247 マシキーニ(masikini)。憑依霊ドゥルマ人の別名、masikini(masukini)は「貧乏人」を意味する。
248 ゴブォ(Gpho)。チャリが憑依霊ドゥルマ人に語りかける唱えごとの中に出てくる。憑依霊ドゥルマ人がそこからやってくるとされる荒蕪地(nyika249)の地名。クワレ県の北端近くにGoboと地図上に記載された地域があるが、たしかに荒蕪地である。他にルカカーニ(Lukakani、クワレ県南サンブル・ロケーションの地名)、サカケ(Sakake, Tsakake、上記Goboの南西に位置する地名)、ニョンゴロ(Nyongoro、ラムの後背地の地名)、キザヤ(Chidzaya、不明)など。
249 ニィカ(nyika)。「荒地、不毛の地、未開地、荒蕪地、人跡未踏の地、木々のない草原」。ドゥルマを含むミジケンダは、かつてはワニィカ(wanyika)という蔑称で呼ばれていた。今でもイスラム化したディゴの人々は、ドゥルマ人を田舎者、ニィカの人間だと軽蔑して語ることがある。私が調査した地域のドゥルマの人々は、自分たちの土地がニィカだとは考えていない。しかし同じドゥルマでもさらに奥地はニィカで、そこのドゥルマ人は自動車も見たことがなく、自動車が通ると皆が動物だと思って弓で射ってくる、などと冗談とも真面目ともつかずに話す。憑依霊ドゥルマ人はニィカからサボテンやミドリサンゴの木を打倒しながらやって来て人々に取り付く田舎者の霊として語られる。
250 キルンバ(chirumba, pl.virumba)。身体に塗る粉薬。施術師用語で一般人には知られていない。
251 ここでは、ムルングを母とする憑依霊として、さらにニャリ74とデナ73があげられている。ニャリとデナは施術においてはライカとは明らかに異なっているのだが、初期のムリナ氏との質疑にあるように、しばしばライカの一種として語られる。憑依霊の分類は施術師ごとに若干の違いがあるが、少なくともムリナとチャリの夫婦に関しては、ニャリとデナはライカの一種なのだろう。
252 ベセニ(beseni, pl.beseni)。「たらい、洗面器」。英語の basin より。