憑依霊シェラ(shera)のための大掛かりな治療カヤンバである。
憑依霊シェラ(shera)は、別名(本名?)イキリク(ichiliku1)。他にもキバラバンド(chibarabando)「おしゃべり」、ムチェトゥ・ワ・コマ(muchetu wa k'oma)「気狂い女」、ムジタ・コマ(mujita k'oma)「狂気を煮る人」、ムチェトゥ・ワ・ミジゴ(muchetu wa mizigo)「荷物の女」、マヨ・ワ・マイロ(mayo wa mairo)「高速母さん」、ムヮディワ(mwadiwa)「髪長の人」、イチグラ(ichigula10)など。カヤンバではいつも憑依霊ディゴ人(mudigo)といっしょに現れる。
シェラという名前は、「ホウキで掃く」を意味するディゴ語の動詞ク・シェラ(ku-shera, ドゥルマ語ではku-phyera)に由来しており、その特有の身体症状が「胸をホウキで掃かれるような(?)」症状、つまり、腹部が張る(便秘、食欲不振)、動悸が速いといった症状であることに因んでいる。
また(めったにないことだが)人前に出現することもあり、それを目撃してしまった人は重い病気になる。女性のシェラは、乱れた長い白髪をもち、大きな乳房をもつ女性の姿で現れ、男性のシェラは同じく乱れた長い白髪をもち、大きな袋(ムコバ mukoba11)を肩から掛けた姿で現れるという。いずれも身体表面には白い斑点模様(madamada)がある。「髪長の人(mwadiwa)」という別名は、その容姿に由来する。ある時、チャリと一緒に水辺に草木採りに行った際に、睡蓮を掘り出し、その四方八方に伸びたやや太く白い根を差して、チャリが、ごらん、これがシェラの髪の毛だよと言ったのを思い出す。そんなのが突然目の前に出現したら、たしかに怖すぎる。
シェラの髪の毛のようだという睡蓮の白い根(持っているのはチャリの孫娘)
近所にいる当時(1992)セカンダリ・スクールの学生だったL君は、シェラに憑依された経験があるが、きっかけはブッシュで不思議な老婆を目撃したことだった。1990年のこと。L君はそのときブッシュの奥で祖父のウシの放牧をしていた。そこでビーズ飾りをいっぱい身につけた高齢の女性に出会った。挨拶をしたが、相手は黙ったまま。再度挨拶したが、やはり黙っている。その女性は薪を集めていたのだが、なぜかそれをバオバブの木の根元にもっていった。変なことをする人だ。このあたりでは見かけない女性だ。そう思っていたら、水の枯れかかった池の畔で、その姿が消えた。帰宅してその話をしたが、この件はそれきりになった。しかしその後すぐ発病。狂気(vitswa)だった。カヤンバで彼がシェラにとり憑かれていることがわかり、嗅ぎ出し(ku-zuza)でキヴリ(chivuri4)を取り戻した後に護符ピング(pingu8)を身に着けて、治った。1990年のことである。しかしその後(1992年)キリスト教に入信して護符を捨てた。そしてこの年彼は再び発病した。見たところ双極性障害のように見えた。発病した当初は食事を一切取らず、また誰とも口をきかずきょろきょろあたりを見回すばかりだった。今は喋ってばかりで大いに食べ、一時もじっとしていないのだという。ときおり私の小屋に泊まっていったが、将来の計画や自分が欲しいものなどについて止まることなく喋り続け、夜通しなにか動き回っていた(1991.10.03および1992.9.10のフィールドノートより)。その後、彼はキナンゴの病院、次いでモンバサ郊外の精神科の病院に長期入院することになった。
その他の別名は、シェラをもつ人が示す特徴的な振る舞いや症状に由来する。 「おしゃべり」はわかりやすい。口が軽いだけでなく、意味のあまりないことばかり喋ったり、他人と折り合いがよくないなども含まれる。夫婦関係も悪くなる。
ある占い(mburuga)において施術師(Chari)は、女性の相談者に対し、彼女が夫が一人で外出するのを好まないこと、さらに夫自身も一人で出かけるのが楽しくないと思っていることを指摘し(相談者はその通りと応じた)、それが彼女に憑いているシェラのせいであると告げている(1991.11.3のフィールドノートより)。妻に憑いている憑依霊が、彼女のみならず夫の心や振る舞いにも影響を及ぼすのだろうか。
「気狂い女」や「狂気を煮る人」は、自分の身体を血が出るほど掻きむしったり、毛髪をむしって食べたり、ブッシュに走り込んだり、高い木に登ったり、川に飛び込んだりという、狂気の症状とされるものから、その名をもつ。
しかし、より知られているのはシェラをもっている女性は、「家事が嫌いになり、水汲みも薪運びもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる」、一言でいえば、「なまけ者(mutu mukaha)」になるという症状(?)である。奥さんが、疲れた疲れたと言って家事をしなくなるのは、シェラの疑い濃厚だ。ドゥルマの女性の家事負担はかなりのものなので、まったく理解には苦しまないのだが。「荷物の女」という別名は、これに関係している。実は、シェラは本来は「高速母さん」という別名が示しているように、すごく活動的でよく動く霊なのだが、なぜか重荷をいつも背負わされているために、その本来の活動力を封印されている。そこで、勤勉で家事を好む女性を嫉妬して、彼女にとり憑くのだというのだ。
これは、出産祈願の瓢箪子供の際に見たのと、まったく同型の、逆説的物語構造である。 ムルングの場合、ある女性が不妊などで子供が作れないのは、彼女に豊穣性が乏しいせいではない。彼女は実際には、多産なのだが、自分の子供を欲しがっているムルングが彼女の多産性を嫉妬して、彼女の妊娠出産を封じてしまったのだ。したがって、ムルングに瓢箪の子供を与えることを約束すれば、ムルングは彼女の多産性を解放してくれる。核にあるのは、多産であるがゆえの不妊という逆説だった。
シェラの場合、重荷のせいで動くことができないシェラは、家事好きで活動的な女性に嫉妬して、彼女を家事嫌いの怠け者にしてしまう。したがって、カヤンバを開いて、シェラが背負っている「重荷」を取り除いてやれば、シェラは自分が憑いている女性をとき解いて、再び家事好きの活動的な女性に戻してくれるだろう。そして今や「高速母さん」に返り咲いたシェラは、ますますその女性を助けてくれるだろう。その女性が施術師であれば、これまで以上にキブリ戻しの「嗅ぎ出し」の施術で有能ぶりを発揮させてくれるに違いない。だって「高速母さん」なんだから。
患者は家事が嫌いになって、「ただ寝ることと食うことのみを好むようになる」。これは女性に対しおそるべき勤勉さが期待されているドゥルマにおいては、彼女をその期待に応えられない存在にしてしまう。だが実際にはシェラが嫉妬するほどの勤勉さの持ち主であるがゆえに、シェラがその「重荷を下ろしたい」という欲求を叶えるために、彼女を縛っていたせいだったのだ。シェラに対する「重荷下ろし」の施術の核心にあるのも、家事好きであるがゆえの家事嫌いという逆説なのである。
そうしたシェラのもたらす症状の中核で苦しんでいる人に対して行われるのが「重荷下ろし」の施術である。具体的にはどうやってシェラが背負っているらしい「重荷」をシェラから取り除いてやれるのだろうか。実際に患者に重荷を背負わせて、それを下ろすという、まあ、身も蓋もないやり方でそれを行う。
「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)は、患者のなかのシェラを golomokpwa させて表に出し、患者=シェラに実際に重荷を背負わせて、シェラの住処である水辺まで、追い立てる。そこでその重荷を降ろしてやり、シェラを重荷から解放する。しかしそれで終わりではない。
そこから屋敷に戻る道すがら、人間の世界での勤勉な活動についてまだ何も知らないシェラに、人間の女性がするべき活動を、一つ一つ身につけさせていき、屋敷に着くと、そこでなんと、シェラを患者の夫と結婚させるというところまでやらせる。患者の夫がシェラの施術上の父となる施術師に「婚資」を支払い、シェラはその男性を「夫」とすることに同意する。そして彼に食事を用意してやる。
「重荷下ろし」は、こうしてあたかも憑依霊シェラを人間化するプログラムであるかのように進行し、激しいシェラの歌で参加者が盛り上がることによって幕を閉じる。さまざまなンゴマのなかでも、とりわけ演劇性の強い(私の個人的感想ですが)ンゴマである。
憑依霊シェラ自体は、近年になって流行り始めた憑依霊だと言われている。チャリが物心ついた頃には、ディゴ系の憑依霊としてはプンガヘワ(pungahewa12)しかいなかったとのこと。ンゴマも太鼓のみで、カヤンバはまだ入ってきていなかった。おそらく1960年前後と思われる。ムリナはシェラに関することが始まったのは1958年だと、やけに具体的な年を上げているが、根拠は不明。 シェラの始まり1(DB 6634-6635)
より年配の女性たち(噂好きのムチェムンダさんたち)は、シェラが到来した事情について詳しく知っているようだった。 シェラの始まり2(DB 6488-6489) それによるとシェラはもともとディゴの地域にいた。「なまけ者」の霊で、そのうちにドゥルマにも広がるようになった。最初は何の霊かわからず、治療を重ねて、牛囲いのウシがすっかり無くなってしまうほど散在する人もいた。実は、ディゴ人の施術師がその治療で儲けようと、わざと妖術的な仕方で憑依霊を仕掛けて、その罠に人々をかけて病気にしたのだと。
以前書いた試論的な論考において示唆したように、憑依霊の世界は常に変動している。新しい霊が次々に登場してくる一方で、昔からの霊が退場していく。シェラに限った話ではない。あるおばあさんによると、今や誰もが知っているンゴマの人気者(?)憑依霊ドゥルマ人ですら、最近やってきた霊だというくらいである。それが一般的な知識に組み込まれるまでには、ある程度の時間がかかるかもしれない。新奇な霊のための新奇な施術については、当然そのやり方が標準化されるまでには、相当な時間がかかるだろう。
これは「重荷下ろし」の施術には顕著に見られる。施術師ごとのやり方の違いがけっこうある。具体的な「重荷下ろし」については、実例のなかで紹介することにする。