ニュンド老人とその妻ムパさん、農耕の起源と降雨祈願について語る(Katana's research on Aug.25, 1991)

目次

  1. 概要

  2. 調査データの日本語訳

    1. 憑依霊キツィンバカジと農耕の始まり

    2. ムズカと降雨祈願

  3. 調査データのドゥルマ語書き起こし

  4. 考察・コメント

概要

1991年の調査では、ナイロビには8月18日に到着し、このことは前もってカタナ君に手紙で連絡しておいた。が、調査許可の取得になぜか手間取りナイロビには10日も滞在することになった。カタナ君は痺れを切らしたのか、調査小屋に置いていたテープレコーダーを手に、独自のインタビュー調査をしてくれた。カタナ君にとっては母方の祖父の一人に当たる1Nyundo wa Murabu氏とその奥さんMupaさん。Nyundo氏は妖術系、及び冷しの施術師、Mupaさんは憑依霊の施術師である。

私が「青い芯のトウモロコシ」村滞在以来、興味をもっていたムァニョータ氏族の歴史(面白いのだが、もはや公開するための時間はないだろう)、結婚制度の変化、二重単系出自制度の植民地期以降の変化などがほとんどだが、憑依霊キツィンバカジが登場する、農耕起源神話(初めて知った!)が特に面白かったので、訳出しておく。それからもうほとんど消滅した降雨祈願の儀礼についても引き続き尋ねてくれているが、こちらはもしかしたら憑依霊との関係で問題になるかもしれないので、一応訳出しておきたい。

インタビュー・データの日本語訳

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憑依霊キツィンバカジと農耕の始まり

2620

Nyundo(N): さて、私たちの世代はね、まだ何かをなしとげたと言える前に、死んでいく。でも当時は(人はすごく長生きして、自分で歩くことができなくなっても生きていたので)そうした高齢者を、支えて連れ出して日なたで陽を浴びさせたものなんだよ。 Mupa(Nyundoの妻, M): あなた方にそんな風に(日なたに)置かれた品物は、すぐに駄目になるわ。そうよ、昔のやり方はもうとれないのよ。 Katana(K): 老人たちが陽を浴びるようにさせてたんですか? N: 陽に干されたのさ。皮膚が剥けるようにね。 K: でもいまどきは? N: うう、いるところにいるだけ。お前はもう老人だから。その当時は、人々はヴィツィンバカジ(vitsimbakazi2)に畑を耕してもらってたんだよ。 K: 何をおっしゃるやら。あなた。いったいどうやって! N: (笑う)

2621

Nyundo(N): ただのキツィンバカジたちだよ。男たちは手鍬の柄を削り作る。男たちは手鍬(の刃)を打ち込む。ここみたいな畑地にやって来て、そこに手鍬(複数)を置いておく。さて、夜明けに男たちは狩りに出かける。あのわしらの腐れ馬鹿女たちときたら。さて、男たちは狩りに出る。そして動物を射る。そしてそれを解体する。やつら(キツィンバカジたち)には、あとで(畑にある)小屋に、動物の内蔵を持ってきてやる。小屋のなかに置いておくのさ。さて、キツィンバカジたちは、そう、よく働く耕作者だよ。彼らは耕す。キツィンバカジたちは耕すぞー。 Katana(K): そいつらの姿は見えないんですか? N: 男たちに見えるのは耕す前の土地だけさ。かれらキツィンバカジたち自身が耕し、彼ら自身が植え付けし、彼ら自身が雑草を刈り除き、彼ら自身が収穫する。お前さんたちの仕事はただ食べるだけさ。さてトウモロコシが畑で乾燥する時期になる。お前さんたちは眠って、朝になってみたら、小屋の前庭にトウモロコシが山のように積まれている。こんな風に。収穫され、運ばれて、置かれているんだ。お前さんたちはそれらを穀物倉(chitsaga3)あげるだけ。

2622

Nyundo(N): さて、そこで一人のキチガイ女が登場じゃ。さて。(彼女が夫に言うことには)「ねえ、あんた」「なんだい?」「ここに届く肉は、筋肉だけ。あの内臓と頭部はどこへ行ったの?」すると彼女は言われる。「なんの問題があるんだい、お前?お前が食べているワリ(wari6)だけど、いったいどこから来たんだと思う?」「畑からでしょ?」「そこで耕している人こそ、内臓と頭部をもって行ってあげている人なんだよ。そこには長老たちもいる。長老たちが頭部を食べるんだ。」 女は独り言。「ちょっと待って。そいつらを見に行きましょう」女は忍び足で歩いていく。こっそり歩いていく。そしてついに。「ああ!なんとあいつらだ」ついに彼らを見た。キツィンバカジたちは一列になって、朝から仕事を始めている。そして畑地は、あと僅かを残すばかり。ついに一人が立ち上がって、その女を見つけた。そして言った。「皆さん、手鍬を置きましょう。彼女らに自分で耕しにこさせましょう。」ガラン、ガラン(手鍬を地面に投げ捨てる音)。 Katana(K): 女性たちは自分で耕せと言われる。

2623

Nyundo(N): 「皆さん、こっちへ、こっちへ来て、お耕しなさいな。あなた方は耕作者じゃない。あなた方は、私たちを馬鹿な奴らだとおもっているんでしょう。もう私たちを馬鹿にしているんでしょう。」キツィンバカジたちは、彼女の夫には見られていた。なぜなら、彼がキツィンバカジたちの食べ物を持ってきてくれていた男だから。でもその妻には、そこにあえて行く許しはない7。さて、夫は家を出て、そこにやって来ると、(キツィンバカジたちに)言われた。「ああ、お前、お前の妻がやって来て、私たちを見た。私たちを覗き見に来た。だからもう、明日からはお前たち自身で耕しなさい」 でも人間は耕さずに済んだものを。でも嫉妬深い女が、すべてを台無しにしたんだよ。夫は家に帰って、妻に言う。「お前に畑に行けと行ったのは誰だい?」夫は言う。「さて、畑には手鍬が山のように積まれている。明日からは、行ってそこで自分たちで耕そう。」そんなわけで、私たちはこの畑仕事を自分たちの仕事にしたのさ。でも、昔は人々は耕さなくても良かった。 Katana(K): 人々は最初からトウモロコシを植えたのですか? N: そりゃ、トウモロコシさ。人々はトウモロコシを耕し植えたのさ。

2624 (再び、キツィンバカジたちに耕作してもらっていたときの話に戻って)

Nyundo(N): 「皆さんは、トウモロコシの粒(種)をほぐし取って、それを二人がかりで運んで、私たちの棲み処のバオバブの木のところに置いておくのは、ご存知ですね」さて雨が降ると、彼ら(キツィンバカジたち)は、さっそく尻を突き出す(耕作の姿勢)。こんな風に。さて、人の畑が、たとえここからあの辺までの広さでも、一日で耕されるね。あるいはせいぜい2日でね。 Mupa(M): 畑の持ち主は、(畑にする予定の)ブッシュまで行って「さあ、木を伐って開墾なさいな。大雨季が近いですよ。」キツィンバカジの姿は見えない。ただ持ち主は話すだけ。 N: 彼はキツィンバカジたちに話に行く、でも彼らは見えない。 M: 「木を伐って開墾なさいな」と言うだけ。「大雨季がもうすぐそこです」。相手は見えない。ただ話すだけ。さて、翌日そこに行ってみると、そこは広大な、植え付け前の畑地(dzicheru)になっている。私たちは、自分でそれを台無しにしちゃったんだよ。というわけで、今や、大仕事さ。

ムズカと降雨儀礼

2625

Katana(K): (昔は)人々が雨を祈願する場所がありましたよね、今じゃあ、ああ。 Nyundo(N): ああ、右往左往するばかりさ、あんた。祈願はもうなされない。 Mupa(M): あんた、祈願に行くって言っても、お椀を、お椀をもって行っちゃうのね。ワリ(wari6)を食べる。それとお皿。(身にまとう)布はというと、これよ。あなたは祈願に、コンゴ(makongo8)やレソ(maleso11)を身に着けて行く。 N: 私たちは、この屋敷の者は全員、一体だった。太陽がこんな状態のとき、人々は祈願に行く。そう、この地域のすべてのムズカを宥めて回るんだ。雨は本当に必ず降ったもんだよ。でも今じゃ、まるで無駄なこと。 M: そうよ、先日あちらで降雨祈願がされたわ。降らなかったわよ、あんた。祈願に行くっていって、着てる布がコンゴなんだもの。あるいはレソを着て祈願に行くって。 N: あちらの、ほらあちらに見えるムズカは、石鹸は嫌われている。 K: ええと、つまり本当に正しくは、もし降雨祈願するとしたら、何を持っていくべきですか。 N & M: 黒い布13を身に着けて行かないと。

2626

Nyundo(N): あれらあとから続いた人たちに、ヒマの油を身体にちょっと塗っておくよう言っておかれたんだろうか。先日来降雨が祈願されているんだから、今頃信じられないほど降っていることだろうに。 Mupa(M): この辺りでは、降雨祈願がただのお椀、お椀でなされている。ムズカなのに副食の野菜のスープを入れるお椀なんて。 Woman(Nyundo夫妻の息子の嫁): じゃあ、昔は何に入れられてたの? M: ンジェレ(njele31)と土器の鍋よ。 N: 昔は人々はムヴレ(mivure32)だった。ムヴレ(複数)を持って行った。 M: それとンジェレね。 Katana(K): ムブレ(複数)とンジェレね。石鹸は持ち込めなかった。 N: いいや、石鹸で水浴びするのも駄目だった(石鹸を使って水浴びした者はムズカには入れなかった)。 K: マヴィコ(maviko115)は? N: なんのマヴィコ?

2627

Katana(K): (女性たちが)水汲みをする場所では、降雨祈願はされなかったんじゃないですか。 Nyundo(N): いまだにそこで水汲みはされてるよ。 K: たとえば、おそらく川だったりしたら? N: 川だよ。この細道、この、これまで辿ったことないのかい。あのデカいバオバブの木、あの、見たことない? K: 見ましたよ。 N: あのバオバブのところに、本当に強力なムズカがあるんだよ。そこでつい先日、人々はそのムズカと、あちらに行って、そこで彼らのヤギを屠って、自分たちで食べていた。ここにも雨が降ってもおかしくなかった。なんとそのムズカと、こちらのこいつ、あっちの上の方に完全なムズカがある、そして最後にこちらのムズカで締めくくる(カタナ注: ニュンド氏は、指であちらこちらを指さしながら説明している)。さて、人々はそこでストップした。そこはカ..によって女性たちが殺された場所だよ。

2628 (話題が飛んでしまってるが)

Nyundo(N): メク...のカ..だよ。ニャ...の兄弟の。ニャ...は以前そちらに住んでいた。 Katana(K): ニャ...キレ...さん? N: ニャ...キレ...、そのとおり。彼の兄だよ。私の甥(aphwa116)たちの妻たちを殺したのもそいつじゃなかったっけ。 K: 名前は何ていったっけ?ボ..キピ...だったっけ。 Mupa(M): 彼らを殺した奴?カ...だよ。 K: ボ..キピ...の兄弟だよ。 N: さて、わたしたちは戻って、ヒツジの腹を穿って、それらの墓(複数)を冷したよ117。さて人々は冷しの草木の施術師を呼んだ。ある者たちはやって来て薬液を振りまいてもらって、あちらにいった。別の者たちは薬液を振りまいてもらって、そちらに行った。こっちでも、別の者たちが薬液を振りまいてもらって、端の方に行った。やがて本当に雨が降ってきたんだ(浜本注: えっ、なんで?)

インタビューのドゥルマ語書き起こしデータ

キツィンバカジと農耕の起源

2620,"伝説","農耕の起源01","Nyundo Murabu"," Nyundo Murabu(N): Be tsikuzo unafikiri ni higano makati gehu ga kukala mutu gadzangbwe kufikaphi unafa? Mba akala ahenda tsetswa, akamwagbwa dzuwani. Mupa(Nyundo's wife(M)): Mba yo miyo yokala yinamwika mwimwi yinabanangbwa chidzako. Mba garatu ga pindi kagafanywa. Katana(K:): Akala ahenda anikpwa atu? N: Ahenda anikpwa mba, adziguwe. K: Ala vino? N: Uu phapho uripho tu, uwe u mutumia kare. Atu akala arimirwa ni vitsimbakazi. K: Chidzedze mwi asena! N: (laughing) ","chitsimbakazi,kurima,農耕,p'ep'o",1991/8/25 0:00:00

2621,"伝説","農耕の起源02","Nyundo Murabu"," Nyundo(N): Ni vitsimbakazi tu. Atu kutsonga miphini ya majembe. Atu kukotera majembe. Ni munda dza uu kudza ikpwa majembe hiphano. Haya be atu kuchicha, atu anenda winzani. Gano madzichetu gehu gaga ga kola. Haya ni atu kpwenda winzani. Kpwenda faga nyama chidzako. Chidzako atu anatsinza nyama. Ao(chitsimbakazi) kuko chidzako anareherwa uhumbo pho chibandani. Unadza ikpwa mo chibandani. Haya atu(chitsimbakazi) be ni ndimwa wahi. Atu anarima, vitsimbakazi vinarimaa. Katana(K): Na kavyonewa? N: Kavyonewa. Hata atu ahenda ona nyo ucheru tu. Nyo anarima enye, aphande enye, arimire kpwekpwe enye, aguwe enye. Mwi kazi yenu ni kurya tu. Mundalala wakati wa matsere gadzuma, kuchicha, matsere ni ndulu pho muhalani dza vivi gaguwiwa gatsukulwa kare dza vivi. Munakpweza dzulu ya chitsaga. ","chitsimbakazi,kurima,農耕,p'ep'o,狩猟",1991/8/25 0:00:00

2622,"伝説","農耕の起源03","Nyundo Murabu"," Nyundo(N): Haya na kpwenda chetu mwenga ra vitswa, haya. 'Wee Benanio. Haya. Nyama zichidza ni nyama za mwiri. Uno uhumbo na vitswa wendephi?' Unambwa, 'we unagoni(una maneno gani) wee? Uno wari uwuryao uwonao ulaaphi?' 'Samba ulaa mundani mino.' 'Ye arimaye ko unamumanya ndiye aphirikirwaye uhumbo na chitswa mba. Kuna atumia kuko mba. Ndio aryao vitswa.' Muchetu unamba 'tariza. Nende nikaalole.' Muchetu kunyapa vivi, kunyapa vivi, hata, 'Aa! kumba ni hinyara.' Udziaona. Atu apiga tando yidzanzwa chiramuko kare, hata nyo munda usere phachache. Hata mumwenga yunaunuka, udzimona yuya muchetu. Unamba 'Richani majembe, adze arime enye.' Gogolo. Katana(K): Anambwa arime enye. ","chitsimbakazi,kurima,農耕,p'ep'o,狩猟,女",1991/8/25 0:00:00

2623,"伝説","農耕の起源04","Nyundo Murabu"," Nyundo(N): 'Nzooni murime kuno kuno, kumurimira mona ni kuphupha. Munaona hudziphupha kare.' Aonewa ni ye mutumia kpwa ukala ukpwenda phirika leu ra nyama. Ala muchetu kana subutu kpwenda. Haya ndo mutumia unauka. Unamba unafika phapho, unambwa 'Aa wee mucheo wakudza kudza hulola, kudza hutsungurira. Haya sambi ni machero murime enye.' Ala atu angari kaarima. Ala chetu ra wivu ndiye kpwenda gabananga. Unauya ye mutumia unamwamba yedzikpwamba wende ko mundani ni nyani? Unambwa haya majembe gapigbwa ndulu phapho machero hinde vyehu hukarime. Ndo hunagbwira kazi yino ya kurima. Ala atu akala kaarima. Katana(K): Na atu achanza kare kuphanda matsere? N: Mba matsere. Atu anarima matsere, aphande kuko. ","chitsimbakazi,kurima,農耕,p'ep'o,狩猟,女",1991/8/25 0:00:00

2624,"伝説","農耕の起源05","Nyundo Murabu"," Nyundo(N): Namwi kuno mumanya kuphukusa mbeyu na kutsetsa, kpwenda ika pho phao muyuni. Mvula yichigbwa be ao(chitsimbakazi) ni dong'odong'o(from ku-dong'ola) kare. Vivi. Haya mundangbwa unarimwa tsiku mwenga hata kala ni dza phapha na kuko. Tsiku mbiri tu. Mupa(M): Uhenda enenda muno ye mwenye munda, 'Haya bat'ani. Kpwani vyo mwaka u phephi.' Na kaona. Uhenda gomba tu. N: Uhenda gomba atu, na kaaona hinya. M: 'Bat'ani' tu, 'Kpwani mwaka u phephi vivi.' Na kaona. Uhenda gomba tu. Hata chamba machero unadza fika ni dzicheru tu. Huchidzibananga vino. Sambi yikala kazi. ","chitsimbakazi,kurima,農耕,p'ep'o,狩猟,女,muyu",1991/8/25 0:00:00

雨乞いは失敗に終わっている

2625,"解説","雨乞い01","Nyundo Murabu"," K: Hata kuna kutu kokala atu achilomba mvula vino taa. N: Aaa ni kuphayaphaya baye, hata kakulombwa. M: Wee unenda lomba, unenda na chibakuli chibakuli, choni cha wari, sahani, nguo ni yino yino. Udzikpwenda lomba makongo yee na maleso. N: Siswi hunakala mudzi uu be akala atu anachimwenga. Dzua dza riri, atu anenda lomba, be, huphaphase mizuka yosi phapha, mvula yigbwe jeri. Sambi ni kuphupha tu. M: Mba dzuzi yakpwenda lombwa phara, kayinyire uwe. Unenda ukalombe nguo ni kongo. Unenda ukalombe maleso. N: Uratu muzuka uwonao pharatu, sabuni kayihenzwa hipho. K: Yaani vihenzekanavyo vyenye chikala mutu unenda lomba ni atsukule? N & M: Ni atsukule nguo nyiru mba. ","kulomba mvula,muzuka,禁止,nguo nyiru,mulungu",1991/8/25 0:00:00

2626,"解説","雨乞い02","Nyundo Murabu"," N: Aratu nyodzilongozwa aambiwao ndo enye ni adzikumbe kumbe mafuha ga nyono. Phokala yinalomberwa hangu dzuzi ngari kayidimika. M: Kuno unenda ukalombe yinalomberwa na vibakuli vibakuli, ndo vya kutiyira mboga ni ye pho muzukani. Mukaza Mwana: Wakala utiyira utuwani sambi? M: Ni njele na nyungu ya mitsanga. N: Atu akala ni mivure yenda mivure. M: Na njele. K: Ni mivure na njele. Sabuni kayifika. N: Aaa hata koga(neg.) na sabuni. K: Maviko? N: Maviko ga? ","kulomba mvula,muzuka,禁止,mafuha ga nyono,muvure,njele",1991/8/25 0:00:00

2627,"解説","雨乞い03","Nyundo Murabu"," K: Phakala kaphalombwa madzi pho phahekewapho? N: Phanahekpwa hata vivi. K: Phanjine phakale ni muhoni mba kpwa mufano. N: Ni muhoni mba. Yino njira yino kudzangbwe kuyigbwira rino dzuyu rino kurona rira? M: Ura muyu kuwona ura muyu? K: Naona. N: Pharatu muyuni be phana muzuka wa jeri. Na vino phano dzuzi akpwenda kumba hinyuno hiphano na phapho basi achitsinza mbuzi yao arya nyama enye. Phapha ngari yakumbwa kumbwa. Kumba phana hinyuno, hinyu phapha phana uzima pho dzulu phana uzima, udze usindikize hipha.(pointing to various mizuka) Haya na atu adze aime. Phaolagbwa achetu hiphano ni Katana. ","kulomba mvula,muzuka,禁止,mbuzi",1991/8/25 0:00:00

2628,"解説","雨乞い04","Nyundo Murabu"," N: Katana wa Mekumvuna, nduguye Nyanje. Ye Nyanje wakukala phara. K: Nyanje Chirezi? N: Nyanje Chirezi tsona. Be muvyerewe, ha tsiye wakudza uloga akaza aphwangu? K: Kale ni nyani ni Bora chipimo kale. M: Yekala achulaga atu? Ni Katana. K: Nduguye Bora Chipimo. N: Haya hukauya hukadza humbula ng'onzi, hukadzareza zo mbiraa. Haya atu agbwira muganga wa mihi ya peho. Haya anjine anadza vunga, kudza hivi. Anjine anavunga kpwenda hiko. Ko nako ahewa anjine anavunga kpwenda kanda hiyo. Mvula yindakudza jeri. ","kulomba mvula,muzuka,ng'onzi,reza mbira",1991/8/25 0:00:00

考察・コメント

キツィンバカジについて

キツィンバカジ2は昔からいる憑依霊の一つで、至高神ムルング(女性)の子供たちだとされている。背丈が極めて小さい姿でイメージされている。占いなど、さまざまなメッセージを宿主に教えてくれる憑依霊で、ムルングが「外に出される」際に、同時に外に出されるとされている。一方、水辺系の霊たち(ライカなど)の一種であるとされることもあり、ライカが奪ったキブリ(chivuri44)を取り戻す施術であるクズザ(kuzuza43)においても教示の役目を務めていると語る施術師もいる。

このニュンド老人が語ってくれた「昔話」は、キツィンバカジがもともとは人間に代わって耕作の仕事を引き受けてくれていたと、愚かで嫉妬深い女性がそれをこっそり盗み見てしまったために、キツィンバカジが仕事を放棄してしまい、人間が自らの手で労働をする羽目になったという、ありがちの物語の構造を示しているが、他の憑依霊については人間との現実的な交流について語るものが一切ないので、キツィンバカジの特殊性をうかがわせてくれる。「働き者の小人さんたち」みたいでおもしろい話だ、と個人的には思う。

降雨祈願

降雨祈願については、キナンゴ周辺の地域では1986年の時点で、そんなのもうとっくにやってないよ、みたいな話だったのに、やっぱり干ばつで飢饉となると、やってますやんということだが、ニュンド夫妻が嘆いているように、ちゃんとしたやり方を知らないせいで、一向に雨がふらず失敗に終わったということになっている。

雨を降らしているのは天空の神であるムルング14、雨季に上流から海まで川を下っていくとされる伝説上の大蛇ムァムニィカ118であるが、このムルング=ムァムニィカを怒らせる禁を破る行為が旱魃の原因だとされている。

このニュンド氏の話の中にも一見脈絡なく、この地域で過去に大量殺人があったこと、その結果地域を挙げてムズカを巡って冷しの施術を行い、その後すぐに雨が降った、という話が出てきている。人の血を大量に流すことは、人の死体がブッシュの中などに放置されていることとならんで(さらにネコの死体(なぜかネコだけ)が埋葬されずに放置されていることとも並んで)ムルングを怒らせる行為で、それが雨を止めてしまうという連想で、過去の大量殺人が唐突に思い出されたのだろうと思う。

1980年から数年続いた旱魃(「チャパティの飢饉」と言う名で呼ばれている)は、「青い芯のトウモロコシ」では妖術使いがブッシュの中に「薬」をつめた頭蓋骨を放置したせいであったと語られていた。1982年に抗妖術の施術師カトトの探索でその頭蓋骨が発見され、妖術が冷やされたというのだが、残念ながらその年は、望んだほどの雨は降らなかった。が翌年、ペレの屋敷の人びとが自分たちの始祖が設置したムズカ(カイングのムズカ)で祈願した結果、潤沢な雨に恵まれ、豊作が得られたと語っていた。実際にはこの地域だけじゃなく、キナンゴ周辺でもこの年は豊作だったのだが... カイングのムズカは、博愛主義だったのかもしれない。

私が憑依霊との関係で疑問に思っているのは、降雨祈願はムルングに対してなされるものであり、その意味ではムズカはムルングと結びついた場所だということになる。もちろんムズカのなかにはライカやキツィンバカジといったムルングの眷属の棲み処とされる場所もある。しかし1986年以降の調査で聞いた話では、ムズカの主は「イスラム系」の憑依霊とされるていることが多く、私が実際に参加したムズカでの施術では、そこに入る前に全員履物を脱ぎ、スワヒリ語で「おじゃまします、入らせて下さい(Hodi120)」を唱えて入り、線香が焚かれたり、唱えごとももっぱらスワヒリ語で行われるものだった。

しかしこの1991年にニュンド氏が経験した降雨祈願では、地域のムズカをすべて回ったとされている。ムルング系のムズカがそれほど多いとは思われないので、おそらくムズカと名のつくところをすべて回ったのだろうが、ではムズカ自体には特定の憑依霊に特化したものではなく、場合次第でどのような霊ともコニュニケーションがとれる場所だということなのだろうか。しかもムズカの多くは妖術使いが犠牲者から盗んだ品物の一部をそこに置く事によって犠牲者の生活を破綻させる目的でも「大いに」利用されている場所で、後ろめたいものも含めて様々な願いを祈願する(そしてそれが成就した暁にはすぐに代価を払わねば、不幸なことになる)便利だがヤバイ場所でもあるので、その性格はワタシ的にはちょっととらえにくい。まあ、日本の神社で子の刻参りして人を呪う連中もいるとのことだし、似たようなものだろうか。

ごめんなさい。私はムズカについてはあまり真面目に調査しませんでした。

注釈


1 冗談関係(joking relationship)。一定の親族関係にたつ者どうしに過度の親密性の表現が期待されている場合がある。単に冗談の応酬をしたり、嘘をつきあったり、特別な場合には、相手の持ち物を盗んだり(隠したり)、異性の相手の場合には性的な行為(相手の胸にタッチしたり)といったことも含まれる。相手のそうした行為は単に許容されているだけではなく、積極的に期待されている節もある。ドゥルマの場合、冗談関係は、祖父母(分類上も含めtsawe & wawe)と孫(mudzukulu)、父方および母方の交叉イトコ(mukoi)どうしが、とりわけ過激な冗談が交わされる関係である。父方および母方の交叉イトコは実際に結婚することも可能で、性的なジョークも頻繁に交わされる。祖父母と孫も異性同士の場合は、互いを我が夫、我が妻と呼びあって身体的にタッチしあうなどもあり。私が実際に見た例では、祖父が州都クワレの裁判所に呼ばれており、そこまでのバスを私とカタナ君の調査小屋で待っていたのだが、そこにいたその老人の孫息子が、老人の財布を隠してしまい、結局老人は裁判に欠席することになったなどのシリアスなケースがある。老人は孫に対しておどけて怒ってみせたのみ。彼の心中については計り知るすべもない。
ドゥルマで冗談関係があるのはこの2つ以外にも、互いをmulamuと呼び合う姻族関係(BWZ-ZHB、BWB-ZHB)間に軽度の冗談関係、互いをwifiと呼び合う女性同士の姻族関係(BW-HZ、BWZ-HZ、W-HZ)間に自由な冗談関係、互いをchivyereと呼び合う息子と娘を結婚させたそれぞれの両親どうしの間の、極めて激しい冗談関係などがある。
2 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
3 キツァガ(chitsaga, pl.vitsaga)。「穀物(トウモロコシ)貯蔵庫」。ドゥルマの家屋(nyumba)は、前庭に面した側に戸口があり、そこを入ると左右いずれかの半分が煮炊きをする台所スペースで3つの石からなる炉(mafiga)が設けられている。炉の上の空間は上下に分けられており、上部は細い枝を編み繋いだ壁をもつ穀物庫になっている。キツァガに上るのは夫と妻のみ。下位の妻、息子や娘、息子の妻、孫などは上ってはならない。それはphingani4を引き起こす。もし下位の者がキツァガに上ってしまうと、上位の者は二度とそのキツァガに上ることはできない。
4 マブィンガーニ(maphingani, sing. phingani)。ドゥルマにおいても近親の異性との性関係は不適切で、さまざまな災いを引き起こすと考えられている。こうした性関係がもたらす異常な状態をマブィンガーニと呼び、それが引き起こす災いや症状をキティーヨ(chitiyo, pl. vitiyo)と呼ぶが、両者を互換的に用いる人々もいる。この概念を日本語の「近親相姦」と翻訳するのは不適切である。例えば、父と息子や、2人の兄弟が一人の女性(たとえそれが町の売春婦であっても)と誤って性関係をもってしまうと、それもマブィンガーニになるからである。それはその女性との性関係によって、父と息子、あるいは2人の兄弟が「混じり合う」が故にマブィンガーニなのだと言われる。この概念についての詳しい分析は〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章参照のこと〕。こうした不適切な性関係によって引き起こされた状態を解消するためにはクヴォリョリャ(kuphoryorya5)と呼ばれる手続きが必要になる。
5 クブォリョリャ(ku-phoryorya)。不適切な性関係によって生じた状態、マブィンガーニを解消するための手続き。混じり合ってしまった全ての人々が地面に互いの脚を重ね合いながら一列に座らされ、施術師によって一匹の(深刻な場合は8匹までの)ヒツジが彼らを周回させられた後に、通常の殺し方ではなく、生きたまま腹部を刺され、胃の内容物を取り出した後に、首を切って屠殺される。その胃の内容物は、特別な草木の薬液に混ぜ合わされ、全員に振り撒かれる。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章:162-172〕
6 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wari)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。
7 ここではsubutuが「許可」を意味する名詞のように使われているが、本来は動詞 ク・スブトゥ(ku-subutu)。「大胆にも~する、覚悟して~する」といった意味の動詞。スワヒリ語 ku-thubutu より。
8 コンゴ(-kongo)。形容詞としては「病気の、悪い」。ムコンゴ(mukongo, pl.akongo)は「病人」。ウコンゴ(ukongo)は「病気」。ムズカ・ワ・コンゴ(muzuka wa kongo)はモンバサ島以南の南海岸にある有名なムズカ(muzuka9)で強力なイスラム系の霊が棲むとされる。コンゴ(kongo, pl.makongo)は布地の一種。安物のプリント布。カンガ(kanga, leso)と同様なプリント柄だが、裏にはプリント柄がない安価品。
9 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ10」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
10 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ9などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
11 レソ(leso pl.maleso)。女性が腰巻きにしたり羽織ったりするプリント柄の一枚布。ポルトガル語に由来するスワヒリ語。スワヒリ語のカンガ(kanga, pl.kanga)に同じ。詳しくはカンガ12を参照のこと。
12 カンガ(kanga, pl.kanga)。レソ(leso11, pl.maleso)。cotton cloth wrapperとも。今日の海岸部の女性たちに愛用されている布で、110cmX160cmの長方形のデザインで下部にスワヒリ語の諺や格言が書かれている。同じデザインのものが2つつながった一枚布として売られており、ゴラ(gora)一つ、ゴラ二つと数える。購入した人はミシン職人にそれを2枚に裁断し、かがり縫いをしてもらう。ワンピースのような薄手のドレスの上に、カンガを巻くが、一枚は腰に巻き、もう一枚は上半身に纏う。ドゥルマの女性たちは茶色と黄色が中心のデザインを好むが、若い女性たちは緑や青その他の色彩のものも喜ぶ。女性たちのお土産に最適。
13 ングオ・ニィル(nguo nyiru)。文字通りには「黒い布」であるが、単にングオ・ニィルと言うとムルング14の布で、実際の色は紺色である。
14 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)15との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
15 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza16)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる20。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている21。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
16 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya17)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu19)とセットで設置される。
17 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo18)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza16)と呼ばれるが)。
18 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
19 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza16、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
20 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供21がある。瓢箪子供の各部の名称については、図30を参照。
21 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供20。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神15がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande22)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料28)、血(ヒマ油29)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
22 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符23。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
23 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata24)、パンデ(pande22)、ピング(pingu25)、ヒリジ(hirizi26)、ヒンジマ(hinzima27)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
24 ンガタ(ngata)。護符23の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
25 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符23の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
26 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima27)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
27 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi26)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
28 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
29 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
30 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
31 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
32 ムヴレ(muvure, pl.mivure)。木をくりぬいて作った横から見ると台形を逆さにした形の椀。今日ではアルミやプラスティック製のお椀(chibakuli33)に取って代わられたが、かつてはトウモロコシの練粥(wari)はこれに入れて供された。憑依霊ドゥルマ人(muduruma34)や憑依霊ムリサ(牛追い114)はこれに入れた練粥を要求する。小型のものはキヴレ(chivure muvureの指小形)。
33 キバクリ(chibakuli, pl. vibakuli)。椀、大きめの椀。ボウル。
34 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性35)、カシディ(kasidi 女性36)、ディゴゼー(digozee 男性老人38)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele31)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
35 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma34)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
36 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma34)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga37)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。
37 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供21がある。
38 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo39)マンダーノ(mandano40)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
39 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
40 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ41とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ42の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
41 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera42)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza43)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)93」、「外に出す(ku-lavya konze112)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki113
42 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)43、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす93)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku95)、おしゃべり女(chibarabando96)、重荷の女(muchet'u wa mizigo97)、気狂い女(muchet'u wa k'oma98)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma99)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo109、長い髪女(mwadiwa110)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba111)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
43 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri44)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika49)やシェラ(shera42)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri44)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza92)を施され、ンガタ24を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
44 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術45)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza43と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
45 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ44は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine46)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
46 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo47)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
47 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso48)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine46)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
48 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
49 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi2)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka50) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri44)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi54など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo78,laika mukusi79など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe80, laika ra nyoka80, laika chifofo83など。(4) その他 laika dondo84, laika chiwete85=laika gudu86), laika mbawa87, laika tsulu88, laika makumba89=dena90など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze16)で薬液を浴びる、護符(ngata24)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza43)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
50 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi51)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
51 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao52))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka50)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
52 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi51)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine53)に数えられることも。
53 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ46もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
54 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni55)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
55 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu56」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
56 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ55)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola57)の対象となる。
57 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini58」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa5960と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume62)、カドゥメ(kadume67)、マウィヤ人(Mawiya68)、ドゥングマレ(dungumale71)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga74)、トゥヌシ(tunusi75)、ツォビャ(tsovya77)、ゴジャマ(gojama70)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu56」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」55)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
58 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola57)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
59 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa60)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola57)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち46)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba61)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu56)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni55)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini58)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
60 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」10など)を行うことなどを意味する。
61 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume62)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani63)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
62 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola57)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
63 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」64による鍋(nyungu19)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe66)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu25)。
64 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術65においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba28)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande22)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu19)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
65 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
66 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
67 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
68 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde69)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama70)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
69 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
70 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola57)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
71 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola57の対象になる)60。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama72
72 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu14)の草木、ドゥングマレ(dungumale71)、ニューニ(nyuni55)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala73)に同じとも。
73 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama72とも呼ばれる。ムルング1415、ドゥングマレ(dungumale71)、ニューニ(nyuni55)の草木。
74 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
75 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine46)の一種という説と、ニューニ(nyuni55)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ76らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola57)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
76 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
77 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ55の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola57)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa60」。see p'ep'o mulume62, kadume67
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
78 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
79 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
80 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira81)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka82)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
81 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
82 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
83 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
84 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi2)の別名ともいう。
85 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
86 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
87 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
88 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
89 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena90)の別名。
90 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ49と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari91)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande22)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
91 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)43」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena90が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee38)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande22には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
92 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
93 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo94)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
94 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
95 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera42)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
96 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera42の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
97 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ42の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
98 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ42の別名ともいう。
99 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera42)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo100))の別名ともされる。
100 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo101, mupweke102, mutundukula103, mupera(mpera104), manga105, mbibo(mubibo106), mukanju(mkanju107)
101 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
102 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
103 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
104 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
105 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
106 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)107、muk'orosho(mkorosho)108。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
107 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo106を見よ。
108 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo106を見よ。
109 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ42の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo100)の女性であるともいう。
110 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
111 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
112 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
113 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero41)の草木。
114 ムリサ(murisa)「牛追い」動詞 ku-risa「放牧する」より。憑依霊ドゥルマ人(muduruma34)の別名とする人もいる。ムリサに憑依されると、飼っている山羊が多くの子供を産むが、それを使用することは出来ない。それを個人的な目的で使用すると病気になる。ムリサに憑依された人はカヤンバの席で子供たちに牛追いの真似をさせ、中ごしに座ってウガリと酸乳を食べる。立ち上がって自分でも牛追いの真似をし、また座ってウガリを食べるといった動作を繰返す。持ち手の曲がった杖mukpwajuと木の御椀muvureを要求。
115 マヴィコ(maviko no.sing.)。水場で水を瓶やバケツに入れて持ち帰る際に、水が揺れてこぼれないよう、小枝や木の葉で上を覆っていた。これをマヴィコと言った。
116 ムブァ(muphwa, pl.aphwa)。甥、姪(ZS(sister's son), ZD(sister's daughter)。伯父(MB(mother's brother)は aphu。甥・姪と伯父は互いを aphuと呼び合う。
117 ヒツジの腹を(屠る前に)ナイフで穿って、胃の内容物を取り出し、それを冷しの草木と混ぜて薬液を作るのは、屋敷で流血、事故、悪い死そのたの不慮の災いが起きた際や、深刻な性の違反が多発した場合に、それが反復しないよう、屋敷を冷し、その後に産み直す手続きの中心部分である[浜本2001『秩序の方法』弘文堂, 第8章を参照されたい]。が、ここでは、どうも大量殺人のせいで、屋敷を超えた地域を冷やす作業がおこなわれたと思われる。
118 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ119。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
119 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。
120 ホディ(hodi)。スワヒリ語で、家や部屋など様々な場所について、「入る許しを乞う」際の呼びかけの言葉。ドゥルマでも使われているが、エーニェ(enye)「(字義通りには)所有者の皆さま」という呼びかけのほうが普通。