バハティの除霊のカヤンバ

(注意: 以下のウェブページはどのように読んでもよいのですが、メインは録音書き起こしを日本語に訳したテキストで、日記の抜粋、フィールドノートはこのテキストに対するコンテキスト情報として読んでいただけると幸いです。)

目次

  1. 概要

  2. カヤンバの進行(フィールドノートより)

  3. 考察・コメント

  4. 書き起こしドゥルマ語テキストの日本語訳

  5. 参考文献

  6. 注釈

概要

(日記より抜粋)

Nov.8, 1989, Wed1

朝から激しい雨。13:30現在、ぬかるんで街道が通行不能の状態で、朝から一台のバスもまだ通っていない。日曜日もこの状態だと少々困る2。14:00 Ngome(Chonyi3の)の妻Bahatiに対してkayamba ra gafula(別名 kayamba ra ngudungudu)。nyama wa kuusa5のkukokomola6を初めて実際に見る。... 14:00 直前になってNgome氏本人が彼の第4夫人Bahatiのkayamba ra gafula(ngudungudu)をこれから実施すると告げに来た。Bahatiの子供(1歳)が病気で、病院で手術するも、おもわしくない。Ngome氏はmburuga37に行き、それがnyama wa kuusaたちの仕業だと言われた。そのため急遽kayambaが開かれることになったとのこと。カタナ君は...参加できないので、いつものように私一人で出向く。 なんと、Kalimbo38も呪医の一人として参加。最初Bahatiがなかなかgolomokpwa40せず、Ngome氏がkuhatsa42する場面も。単なるkulola nyamaだと思って、あまり期待していなかったのだが、予想していたのとは違う展開にびっくり。ほとんどメモが取れなかったので、帰宅後、急いで整理して書く。

データの提示について

ここで紹介する除霊(kukokomola)は、別の論考(浜本 2001)で紹介、分析された数年間にわたる人々の解釈の変遷の歴史のなかの1エピソードを構成する儀礼である。この全体の流れの中では、この除霊は単に失敗した治療のエピソードでしかない。そこでは登場人物にはすべて仮名を用いている。

今回のウェブ化プロジェクトでは、日記、フィールドノート、書き起こしデータは、原則として編集を加えずそのまま提示する方針でやっているので、こまかく突き合わせて調べる人がいたら、仮名で紹介されていた人物の実名がわかってしまうことになる。ただ、すでにこの出来事から30年以上が経過しており、実名判明の影響は軽微であろうと思われる。とくに憑依霊関係は、妖術などとは異なり、人間関係にかかわるスキャンダラスな問題とは無縁であり、誰かの不名誉になる話でもないので、その限りでは匿名化にはもともとあまり意味がなかったのかもしれないし。

「除霊(kukokomola)」とは

これについては「除霊」についての総説のページにざっと目を通していただきたい。

そもそも大多数の憑依霊たちは、除霊の対象にはならない。憑依霊の多くはニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini)7、つまり「身体の霊」であり、たしかに面倒くさく厄介な存在ではあるが、憑依霊の施術師たちの手を借りて、交渉が可能な相手で、その要求を満たしてやることで、比較的安定した友好的な(?)関係を維持することができる。

こうした憑依霊たちは、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にはする。そして施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらったり、さまざまなことを行う。憑依霊はこのように宿主の身体を借りてお気に入りの布や所持品を身につけることを楽しんだり、踊りを楽しんだり、好物の鍋をごちそうになったりする。子供も(瓢箪の形をとるが)もてるし、さらには「治療」の仕事すら楽しめる(この場合、宿主は憑依霊の要求通り自ら施術師にならねばならない)。「身体の憑依霊」と呼ばれるのは、こうした存在である。ただ彼/彼女らは宿主から切り離したり、追い出したりすることはできないとされる。

それに対してある種の霊は妖術使いによって送りつけられてきたものである場合があり、放置すると宿主やその子供たちを殺してしまうので、除霊しなければならない。そもそもこうした霊と宿主が共生することなど考えられない。これらは「除去の霊(nyama wa kuusa5)と呼ばれる。このわかりやすいケースの霊は、端的に「薬の霊(nyama_wa_muhaso)」と呼ばれることもある。妖術は、典型的には妖術使いが「薬(muhaso)」を使役しておこなう攻撃だからである。

一般の(施術の知識が乏しい)ドゥルマの人々は、両者をクリアカットな対立するカテゴリーとして語るかもしれないが、施術師たちにとってはグレーゾーンがある。一部の「身体の霊」として扱われうる憑依霊であっても、宿主を不妊(不能)にしたり、生まれてくる子供を殺してしまったりといった具合に深刻な害を宿主に及ぼす場合があり、そうした場合に限り除霊の対象となることがある。イスラム系のスディアニ導師(mwalimu sudiani24)や、ブッシュの人食い怪物ゴジャマ(gojama15)、ムァハンガ(mwahanga、字義通りには「葬式(服喪)の人」を意味する49)などなどがそれだ。さらに、憑依霊の施術師が治療対象としないニューニ(nyuni19)あるいは「上の霊(nyama wa dzulu[^nyama_wa_dzulu)」と呼ばれる、その多くが「鳥」である霊は、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、その治療を専門にする施術師がいる。憑依霊の施術師が、自らも霊にとり憑かれ、霊の要求によって施術師になる者であるのに対し、ニューニの施術師には誰でも、お金でその施術を購入することでなることができる。大きな費用がかかるわけでもないし、子供がヒキツケを起こすのはさして稀なことではないので、父親や母親が念のためにその施術を買って、自らニューニの施術師になっている場合もある。しかしこれらの「上の霊」が女性に憑いて彼女の生む子供を片っ端から殺すようなことになると、これは普通のニューニの施術師の手には終えない。除霊を専門とする施術師のお世話になることになる。ニューニの施術師が、さらに除霊の施術を手に入れるかもしれないし、妖術関係の治療をする妖術の施術師(あるいは「薬」の施術師)が、除霊の施術をレパートリとしてもっている場合もある。憑依霊の施術師が、除霊も行うことは、私の身近な施術師に限ってはない。前者が憑依霊とうまくやっていくこと、憑依霊たちと交渉し良好な関係を築くことを得意としている(?)ことを考えると、当たり前のことかもしれない。

目的

今回の「突然のカヤンバ(kayamba ra gafula)」の目的は、高齢のンゴメ氏の第4夫人である若い(当時19歳)バハティの病気の子供の治療である。バハティはンゴメ氏と結婚して以来、すでに2人の子供を生後すぐに失っている。そして今、彼女の1歳の3人目の子供が再び重い病気になった。人々は彼女の子供の立て続けの死は、彼女に憑いている霊の仕業ではないかと疑っていたらしい。彼女がもっている憑依霊が彼女の母乳を「駄目にした」せいだと、したがって、バハティ自身を治療しないと子供は回復しないだろうと。しかしバハティは病院での治療を主張した。病院では開腹手術までして原因を知ろうとしたが、医者は手術をしてもそこに「なにも見つけることができなかった」という(ムチェムンダお婆さん談)。

そこでンゴメ氏は占いに行き、子供の病気がバハティに憑いている「除去の憑依霊」の仕業であると告げられた。バハティはすでにカヤンバを経験しており、他の霊の可能性も排除できない。本当に「除去の霊」の仕業かどうかを確認する必要がある。というわけで「突然のカヤンバ」の開催目的は「憑依霊を見る(kulola nyama)」ことだと私たちには知らされていた。しかし、ンゴメ氏の屋敷に行ってみると、そこには除霊の施術師も来ており、もし本当に「除去の霊」の仕業であるなら、その場で除霊してしまおうということだったらしい。それほど事態は急を要していた。

主な参加者

バハティに他の霊も憑いている可能性があるということで、そこには普通の憑依霊の施術師も参加していた。私の友人、カリンボ爺さんだった。カヤンバ自体は、ほぼ屋敷の人びと中心の内輪の催しという感じ。

除霊の施術師(muganga wa kukokomola): カイングヮ(Kaingbwa wa Munga) 施術師(通常の「身体の憑依霊」の施術師 muganga wa nyama): カリンボ(Kalimbo wa Mwero) 患者(muwele43): バハティ(Bahati) 患者の夫: ンゴメ(Ngome wa Jefa) 補助をつとめる近所の女性: ムロンゴ(Mulongo, Mwadiga氏の妻) カヤンバ奏者(複数): カイングヮ氏の助手たち、およびンゴメ氏の屋敷の男性たち数名 その他: ンゴメの屋敷の女性たち、浜本

場所・日時

開催場所: ンゴメ氏の屋敷 日時: Nov.8, 1989, Wed, 15:00~18:30 カヤンバはもっぱら小屋の中で行われた。参加者総数17名(一応数えたが、途中に出入りあり)。

カヤンバの進行(フィールドノートより)

以下はフィールドノートから(DB 2046-2052)に転記された記述に基づく50 カメラはこの日、携行しなかったため写真はなし。この年の調査のテープはケニアから郵送中に紛失し、音声データもなし。現地で行った書き起こしデータのみ示す。

カヤンバ開始

15:00 すぎ kayamba51 が始まる。 ディゴ風に、mwarabu55 → mulungu56 の順で始まるが、muwele (Bahati) がなかなか golomokpwa40 しないため、muwele の夫である Ngome 氏によって kuhatsa が行われる。

開始の言葉~憑依霊アラブ人の歌7曲演奏後の問答 ドゥルマ語テキスト(DB 738)

憑依霊アラブ人の歌1~7 ドゥルマ語テキスト(DB 739-745)

ムルング子神の歌1~5 ドゥルマ語テキスト(DB 746-750)

ムルング子神の歌5~9の間、施術師カリンボが憑依を急き立てる ドゥルマ語テキスト(DB 746-750)

ムルング子神の歌6~9 ドゥルマ語テキスト(DB 752-755)

踊らないムウェレについての協議 ドゥルマ語テキスト(DB 756)

キツィンバカジの歌1~2 ドゥルマ語テキスト(DB 760-761)

憑依霊サンバラ人の歌1~3 ドゥルマ語テキスト(DB 762-764)

憑依をうながすクハツァ

憑依しないムウェレに対し人々は、バハティの夫ンゴメにクハツァ(kuhatsa42)を促す 夫ンゴメ氏にクハツァを促す ドゥルマ語テキスト(DB 757-759)

Ngomeのkuhatsaの後、ズニ(dzuni62)が2曲演奏されるが、Bahatiは golomokpwa せず。 上の霊ズニの歌1~2 ドゥルマ語テキスト(DB 765-766)

ムァハンガ(mwahanga)で憑依

しかしその直後 mwahanga49 が演奏されると Bahati は激しく golomokpwa し始める。彼女にすっぽり被せられていた房つきの白い布が、頭の上にターバンのように巻かれる。 憑依霊ムァハンガの歌 ドゥルマ語テキスト(DB 767)

Mwahanga の除霊

旅立ち

施術師Kaingbwa、Bahatiに出発をけしかける ドゥルマ語テキスト(DB 759) kukokomolaの呪医Kaingbwaは Bahati に safari tayari などとけしかける。Bahatiの前に投げ出した足の膝の上にムルングの紺色の布が広げられ、白い布で包まれた棒状のものがおかれる(後に泥で作った人形であることがわかる)。

Kaingbwa、白い雄鶏の翼を両手で広げもってBahatiにつきつけながら、safari tayari64 と執拗に繰り返す。Bahati泣きだし首を左右に振って抵抗しているが、いきなり膝におかれた白い包をもって小屋から走り出る。
写真ないので、その場で描いた下手くそスケッチ(後で小屋で清書したけどアカンね

Mwahanga を閉め出す(ku-sindika)

(注: 一回目の除霊は私の心の準備ができていなかったので、遠巻きに見ることになり、ほとんど録音はできていない。フィールドメモは頑張ってとったけど) 呪医、カヤンバ奏者、人々(野次馬)は大急ぎで後を追いかける。Bahati は、走り出ると小屋から5m ばかり離れたところにうつ伏せに倒れる。私は近づけず、人垣の後ろから見るのみ。(聞き取れず)

カヤンバ演奏がつづくなか、呪医は白い包みを拾い上げ、それをBahatiの背中に何ヶ所か押しつけながら p'ep'o65 に去るよう告げる。(聞き取れず)

白い鶏を供犠し、コップの中に白い鶏の血を nyuchi70 と混ぜたものを作ってBahatiに飲ませる。(注:大声による指示のみ録音できていた) 呪医、彼女を座らせ、ndonga61 を彼女の頭の上に置いて、その lulimi71 を激しく上下させながら小声で ku-kokotera。(聞き取れない、録音できず) lulimi71 につけたndonga の中身を舐めさせ、また耳などに吹き込む。

その後呪医は muwele の名を呼びかけながら mavuo35 の液体をはねかける。 ややあって、muwele は正気に戻るが、ぼんやりしている。

呪医は彼女をたたせ、背中合せになり、その腕をとって自分の背中にストレッチさせるようにのせる。

そのまま小屋の前まで運んで、再び地面に立たせ、名前を呼びかけながら、再度 mavuo の液体を振りかけると、彼女は身振るいして正気に戻る。 Kaingbwaによる戸外での除霊 ドゥルマ語テキスト(DB 768)

カヤンバ再開

正気に戻ったBahatiはのろのろと小屋の中に入り、再びカヤンバが始まる。 ゴジャマ(gojama15)、マウィヤ(mawiya13)と演奏されるがBahatiに変化は見られない。 ゴジャマの歌 ドゥルマ語テキスト(DB 769) 憑依霊マウィヤ人の歌 ドゥルマ語テキスト(DB 770)

程なく彼女は dzuni bomu で再び golomokpwa し始めるが、演奏は止められる。 なんと chiryangona72として用いる泥人形の準備がまだできていない。 カヤンバは用意ができるまで中断される。 ズニ・ボムの歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 772) ちょっと不満なンゴメ氏 ドゥルマ語テキスト(DB 771, 773-774)

男たち全員(ンゴメ氏と私以外)出ていって、泥人形作成を手伝いに。小屋の中の女たちは噂話に興じる。
制作途中の泥人形を見に行った。カメラないので下手なスケッチで。枝が指しているだけの嘴や、羽(手)にも後で泥が盛られるはず。クチバシ2本、手4本。オスとメスが合体したもの
今回とは別の除霊で用いられたズニの泥人形。これは泥の上に彩色だけだが、今回用いたのには灰色と白の模様の鶏の羽がいっぱい指してあった

ようやく用意が整い、dzuni bomu62の曲が再開されるが、今度は muwele43 が golomokpwa40 しない。しばらく演奏を続けるが変わらず。 ズニ・ボムの歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 772)

除霊再開 ドゥルマ語テキスト(DB 776)

ズカの歌 ドゥルマ語テキスト(DB 777)

「身体の憑依霊」たちを試す

バハティの無反応をめぐって、議論 ドゥルマ語テキスト(DB 778-779)

そこで mulungu の布を被せ、nyama wa mwirini7 を試みることに。 mudigo73, muduruma74, ichiliku80 で golomokpwa40 する。 憑依霊ディゴ人の歌1~6 ディゴ人の歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 783)

ディゴ人の歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 784)

ディゴ人の歌3 ドゥルマ語テキスト(DB 785)

ディゴ人の歌4 ドゥルマ語テキスト(DB 786)

ディゴ人の歌5 ドゥルマ語テキスト(DB 787)

ディゴ人の歌6 ドゥルマ語テキスト(DB 788)

憑依霊ディゴ人に対する語りかけ(施術師カリンボ他) ドゥルマ語テキスト(DB 779-780)

muduruma のところでは、突然 muwele の態度が豹変し、ふてぶてしく、激しい身振り混じりで tsiricha と繰り返す。 natsoka kulembana kpwa vivyo tsiricha. という。 憑依霊ドゥルマ人の歌とドゥルマ人との交渉 ドゥルマ語テキスト(DB 780-781)

ドゥルマ人の歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 789)

ドゥルマ人の歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 790)

ドゥルマ人の歌3 ドゥルマ語テキスト(DB 791)

ドゥルマ人の歌4 ドゥルマ語テキスト(DB 792)

ドゥルマ人の歌5 ドゥルマ語テキスト(DB 793)

カリンボが憑依霊ドゥルマ人に霊に対して説得のmakokoteriで締めくくる 憑依霊ドゥルマ人、締めくくりの唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 781-782)

除霊の施術師kaingbwa氏、合流。ドゥルマに対する唱えごとを補い、シェラ(shera80)の演奏に入る。 憑依霊シェラとの交渉 ドゥルマ語テキスト(DB 794-796)

シェラの歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 800)

シェラの歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 801-802)

シェラの歌3 ドゥルマ語テキスト(DB 803-805)

カリンボ、演奏中でのシェラとのやりとり ドゥルマ語テキスト(DB 794-795)

シェラの歌4 ドゥルマ語テキスト(DB 806)

シェラの歌5 ドゥルマ語テキスト(DB 807)

シェラの歌6 ドゥルマ語テキスト(DB 808)

カイングヮによるシェラに対する締めくくりの唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 795-796)

除霊再開

(注: 今回の除霊は、施術師に密着して行動したので、ある程度録音できている。まあ、それほど重要な語りがなされていたわけではないが。)

再び Dzuni bomu が試みられ、今度は彼女はあっさり golomokpwa する。 ズニ・ボムの歌 ドゥルマ語テキスト(DB 775)

ku-kokomola が先と同じ順序で行われる。

泥で作った鳥の形をした人形が用いられる。kuku wa chiphangaphanga92 の羽根が人形一面に植付けてある。

彼女はそれをもって走り出し、mwahangaの場合と同様に小屋の外で倒れ、kuku wa chiphangaphanga が供犠され、その血が飲まされる。 Bahatiの頭に瓢箪を置いて唱えごと。 Mwahangaのときとまったく同じ、薬液撒き→正気に戻る手順で終了。 ズニ・ボムに対する処置(唱えごとと施術) ドゥルマ語テキスト(DB 797-798)

(全体に、何となく彼女が筋書にいやいや従って演じているような感じを受けた。個人的感想)

三番目 ズカ(zuka) の除霊は断念

もう一つの予定されていたズカ(zuka93) のkukokomolaを試みるが、人々は全体に投げやりな感じ。 除霊に必要な赤い鶏がないとのことで(実は、泥人形の chiryangona も用意できていなかったわけだが)人々、あっさりと除霊の継続を諦め、もう締めくくろうということになる。 ズカはすぐに断念し、除霊は中止 ドゥルマ語テキスト(DB 798-799) (カセットテープ終了)

締めくくりは「身体の憑依霊」で

(以下、録音資料なし(テープ切れ)) nyari94, laika96, 締めはまたmwanamulungu56 の順で演奏され、その都度バハティは肩を揺すりながら踊る。 laika の途中で別の女性が golomokpwa し、彼女の要求も一応きいてやる。 この過程はすべてカリンボがとりしきった。 mwanamulungu が終わり、players は外に出る。カリンボはバハティの頭に手を置いて、長々とkukokotera。バハティを立上がらせ、左右の腕を数回ずつ振り下ろし、左右の足を数回ずつ蹴り出すという、体操のようなことをさせて終わり。これはカヤンバのあとではいつも見られる体操。後は料金の交渉が始まる。

翌日、カリンボさんからカヤンバについて説明を受ける

(DB 2050-2052)

  1. この日のカヤンバは、どの憑依霊が子供の病気に責任があるかを確認するための「憑依霊を見るカヤンバ(kayamba ra kulola nyama)」であり、急遽依頼された「唐突のカヤンバ(kayamba ra gafula)」だった。

  2. カリンボは「身体の霊(nyama wa mwirini)」を担当する憑依霊の施術師、カイングヮ氏は、憑依霊の施術師ではなく「ニューニの施術師(muganga wa nyuni)」だが、除霊もできるし妖術系の治療もできる人。「除去の霊(nyama wa kuusa)」が見つかったら、緊急事態なので、その場で除霊するという手筈だった。

  3. なおこの日のカヤンバはアラブ人から始まったが、これはディゴ式のやり方である。

  4. 当初バハティは一切の憑依霊にまったく反応しなかった。それは夫のンゴメ氏が、彼女の日頃の「口」(つまり悪い言葉)に怒りを感じていたためで、その心のなかの結び目(mufundo)が霊たちを縛っていたから。クハツァしたので、それは解決した。

  5. 占いで告げられた除霊すべき「除去の霊(nyama a kuusa)」は(1)ムァハンガ(mwahanga49)、別名ムセゴ(musego)、(2)ズニ・ボム(dzuni bomu62)、別名キルイ(chilui63)、(3)ズカ(zuka93)の3人だったが、ズカは結局いなかった。バハティは踊らなかったから。他に、一応、人食いのゴジャマ(gojama15)とマウィヤ(mawiya13)も見たが、いなかった。

  6. 「身体の霊」については、憑依霊アラブ人(mwarabu55)とムルング(mwanamulungu57)。この二人は霊を持っている人はかならずもっている霊なので、どのカヤンバでも演奏しなければならない。その他、キツィンバカジ(chitsimbakazi97)とサンバラ人(musambala111)。「身体の霊」で問題を起こしていたのは、ディゴ人(mudigo73)、ドゥルマ人(muduruma74)、シェラ(shera80)だった。とくに、ディゴ人とドゥルマ人は、除霊されるべき霊が出てくるのを妨害していた。彼らは他人のために(他の霊のために)開かれたンゴマが気に食わない。彼らのンゴマなどを約束して、おとなしくしているよう説得せねばならない。ニャリ(nyari94)とライカ(laika96)も見たが、彼らは特に問題をもっていなかった。ただ踊った。しかし、いつかはこれらの「身体の霊」のためのカヤンバを開いてやる必要があるだろう。

  7. 取り除かれた2人の霊と、除霊に必要な媒介物(chiryangona)について。

  8. ムァハンガ

バナナの茎の断片を芯にして泥で人形を作る。屋敷の外の土の山(tsulu)から掘った土で作るが、泥を掘り出した土山には、この人形に合う墓が掘られる。人形は死体をくるむ白布で包み、ムウェレの脚の上に置く。ムァハンガは去ることに同意すると、この人形を抱えてこの墓のところまで走っていき、そこで意識を失い倒れる。 白い鶏を殺し、その血を与えると、ムァハンガは去るので、人形を墓に埋葬する。こうしてムァハンガはク・コタ(ku-k'ota112)され(その場所に打ち付けて動けなくされ)るので、二度と戻ってこなくなる。ムァハンガはク・シンディカ(ku-sindika「(戸を)閉ざす、閉め出す」)されたともいう。

  1. ズニ・ボム 別名キルイ(chilui)。大きな鳥で、長いくちばしをもち、ヤギですら空へもちあげるほど。泥で人形を作り、白と灰色の混じった模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga、カタグロトビ色の鶏)の羽で飾られる。オスとメスが一体になった人形。ムウェレはこの人形を抱えて走り出て、倒れる。鶏は殺され、その血を飲ませるとズニは去る。除霊終了後、この人形は道の分かれ目あるいはバオバブの木のもとに捨てられる。

考察・コメント

開催日時を前もって定めて催されるンゴマ/カヤンバとは異なり、緊急の必要によって開催される「唐突のンゴマ/カヤンバ」がいつもそうだというわけではないが、わずか4時間ほどの間にたくさんの内容が詰め込まれた、盛りだくさんのイベントとなった。

  1. 除霊(ku-kokomola)

メイン・イベントは、占いで幼児の病気の原因であるとされた3つの「除去の霊nyama wa kuusa」の除霊(kukokomola)であるが、一つの霊ズカ(zuka93)については実施できなかった。原因は除霊に必要な物(chiryangona72)である赤い鶏とズカの泥人形がなかったことだが、前者は開催者(ンゴメ氏)側の不手際、後者は施術師側の準備不足による。カリンボさんは、そこには触れず、バハティが「踊らなかった」つまりこの霊はいなかったという解釈をしている。

除霊されたムァハンガ(mwahanga49)は単に「身体の霊7」として普通に交渉できる霊でもあるが、深刻な被害を宿主にもたらす場合には除霊の対象となる霊であり、もうひとつのズニ(dzuni62)は、乳幼児を襲うニューニあるいは「上の霊」の一種で、異なる霊のカテゴリーに属するが、除霊の方法はほとんど同じであることがわかる。カヤンバで呼び出し立ち去るよう説得し、泥の人形(それぞれの霊の「子供」だとされる)を与えられ、血を飲まされて、宿主から完全に出ていき、泥人形を適切に処分して、二度と戻ってこれぬよう「閉め出す(ku-sindika)」。

  1. 「ムウェレが踊らない」問題

他のカヤンバの紹介の中でも触れたが、こうした催しの中で人々がトランス状態に陥る現象が驚くべきことであるのは、こうした憑依霊とのつきあいのあり方に馴染みのない外部の観察者にとってだけで、そもそも解離経験を生成する装置であるンゴマ(カヤンバ)でそれが起こることは人々にとっては当然期待できることで、むしろそれが起こらないことのほうが対処するべき、驚くべき問題なのである。ムウェレが踊らない問題(私が勝手に名付けてるだけだが)は、今回の「霊を見る」ための「唐突のカヤンバ」においても、解決すべき問題として出現している(というか、今回のカヤンバもその事例の一つとして上のリンク先で引用している)。

書き起こしテキストの和訳を読んでいただければわかるように、今回のカヤンバはムウェレのバハティにとっては3回目のカヤンバ経験なのだが、彼女の夫の老ンゴメ氏や近所の女性は、彼女が前2回でも同じように「身体を固くして」踊らなかったと述べている。ンゴメ氏に至っては「憑依霊はやってきていた」のだが「その踊り方に問題があった」と不思議な説明をしている。しかしもちろん施術師たち的には身体を固くして踊らなければ、憑依しているとは言えない。

当時のワタシ的には、バハティが踊らなかったことは驚くべきことではなかった。彼女の母Bは夫がおらず、自分の母のところで暮らしていたが、バハティを生んだあと死亡し、バハティはその祖母Kに育てられていた。Kは当時はまだ圧倒的少数者であった熱心なキリスト教徒であった。バハティ自身はその祖母Kのような「本物の」キリスト教徒ではなかったが、Kが金曜ごとに自分の小屋で孫たちと一緒に開く「祈りの会」(というか「歌の会」)、では太鼓代わりのポリ容器のリズムに合わせて楽しそうに歌っていた。Kの家では病気治療を施術師にたよることは全くなく、もっぱら(当時は無料だった)キナンゴの町の病院にかかっていた。だからバハティがカヤンバで治療されること自体、気乗りがせず、そこで身体を固くしていたとしても、全く不思議ではなかったのである。でも、これは浅はかな理解。彼女は結局、踊ったからだ。それも、たくさん。

この日の「ムウェレが踊らない」原因として人々が問題にしたのは、近親者(今日の場合はムウェレの夫)の心のしこり(ムフンドmufundo48)と、憑依霊どうしの邪魔しあい、だった。前者にはンゴメ氏のクハツァで、後者は邪魔しているディゴ人とドゥルマ人を説得することで、対処がなされた。

正直に言って、この程度のことで身体を固くしていたムウェレがあっさり憑依状態になるというのは、私には意外というしかない。やっぱりまだ、あまりわかっていないのだろう。

  1. 憑依霊ドゥルマ人問題

Boddyは、北部スーダンのザール祭祀についての民族誌のなかで、憑依するザイラン霊たちについて、その外部性を強調している。「彼らは単に非人間的な存在であるのみならず、(ホフリヤティの住民にとっての)ホフリヤティ以外の民族集団の霊的対応物に属しているのである」(Boddy 1989: 165)、つまり異族の名前をもつ霊たちであると。で、これは東アフリカの精霊憑依概念に広く見られる特徴である。ドゥルマの霊たちの大部分も、異民族集団の名前をもつ者たちからなっている。憑依霊アラブ人に憑かれた者は、カヤンバの席でいきなりなんちゃってアラビア語で怒鳴りまくったりするし、ディゴ人ならディゴ語で、ギリアマ人の霊だったらギリアマ語で、白人の霊に取り憑かれると、いきなりWhy!とか20shillingとか叫ぶのだ。とてもおもしろい。 でも不思議なことに民族名をもつ霊の中に、なぜかドゥルマ人という霊がいる。ドゥルマ人が「ドゥルマ人」なる霊に取りつかれても、喋るのは当然ドゥルマ語だし、そもそも最初から自分自身ドゥルマ人なのだから、取り憑かれたところで素のままとなんの違いもないということになる。 ドゥルマに隣接するディゴ地域でも、ディゴの人々はディゴ人を名乗る霊に憑かれたりするのだろうか。当然の疑問だと思うだろう。でもサボリな私はドゥルマ地域での調査で手一杯で、ちょいと脚を伸ばしてディゴに行って調査という考えは、これっぽっちも浮かばなかった。遊びには行ったけど。 これが憑依霊ドゥルマ人問題、と私が勝手に呼んでいた問題である。霊は外部の存在という、東アフリカ社会で一般的な原則が、破れているという、現地の人々にとってはどうでもいい問題。

しかし、そのうちカヤンバで憑依霊ドゥルマ人が出現すると、それに対する施術師たちの応対に奇妙な語りが見られることがある、ことに気づいた。今回の「霊を見る」カヤンバにもそれがはっきり見える。 除霊しなければいけない霊ズニ・ボムの出現を邪魔している「身体の霊」の一人が「ドゥルマ人」だと気づいたカリンボさんが、カヤンバでドゥルマ人の歌を演奏させると、バハティはすぐに憑依状態になって、横柄な口調で「私ゃ役立たず野郎と呼ばれている。私は馬鹿なことしかしないのさ」と居直る。言うことを聞いてくれないドゥルマ人とひとしきり交渉した後、カリンボさんは「ドゥルマ人」にこんな風に話して聞かせている。

Kalimbo(Ka): (ドゥルマ語で)穏やかに、穏やかに113。あなたの話は、私たちはしっかりお聴きしました。あなたがおっしゃるのはこうですね。「私は捕らえたが、それは私のことが知られていないからだ。私は誰からも全然知られていない。私はこうしてディゴの土地にやって来たが、ブッシュに放っておかれている。私はこうしてディゴの土地に来たが、誰からも思い出してもらえない」と。さて、今、私たちはあなたにお静まりくださいと申します。あなたがたドゥルマ人は当地では知られておりません。ここはディゴなんですから。さてさて、あなたがこんな風に出て来られたので、今や私たちは、あなたこそがあれらの子供たちを捕らえている方だと知りました。というわけで、彼らをとき解いてください。

憑依霊「ドゥルマ人」を自分たちにとっての異民族にするために、自分たちが虚構のディゴ人になってしまうという離れ業である。

  1. ワタシ的には一番の難問。

バハティ自身がキリスト教徒を自認していたわけではないが、彼女が当時としては珍しいキリスト教徒の家庭で育ったという背景から、私が彼女が「踊らない」ことを当然のことと理解していたことはすでに述べた。間違っていたが。しかし、単に踊るくらいならまだわかるのだが、彼女は踊ったり、ドゥルマ人になって(もともとドゥルマ人ではあるのだが)、いかにも「傲慢じゃないドゥルマ人はドゥルマ人じゃない(Muduruma atsiyena ngulu tsi muduruma)」という格言(?)どおりに横柄の限りを尽くしたばかりじゃなく、突然人形を抱えて走り出し、土盛りのところで意識を失って倒れる、などというワザとらしいシナリオに忠実に振る舞ったりできた、それも2度にわたって、というのは、どういうことだろう。 周囲の連中が期待してるもんだから、もう仕方なくやりましたよ、などということではあるはずがない。自分の子供の命がかかっているわけだから。2ヶ月後にその子が死んだときのバハティの取り乱しようを見ると、考えられない。 やはりすべては、バハティがそれらの瞬間には、実際に無礼者のドゥルマ人に乗っ取られたり、自分の子供を殺そうとしているらしい敵に乗っ取られたりしていたかのように見えるのである。ンゴマ(カヤンバ)を土地の人々が理解し経験するように理解するということは、こうした事実を受け入れることであるように思える。それはどのようにして可能なのだろうか。

  1. 結局は失敗に終わる

病院での治療が功を奏さなかった病気の子供をなんとか救いたいと、占いの結果に望みを繋いでのこの日の「唐突のカヤンバ」で、バハティに憑いているとされた3つの霊のうち、少なくとも2つについては除霊ができた。 しかし、結局このカヤンバは無駄に終わった。約2ヶ月後の1月15日に子供は息を引き取り、翌日の16日に埋葬された。その少し前に、ンゴメ氏は再度、別の占いをたずねたという。事件はその後、憑依霊の物語から、以前から伏流として潜在していた3つの別の物語へと分岐していくことになる。

書き起こしドゥルマ語テキストの日本語訳

(日本語訳 DB738-DB808) (開始の言葉~憑依霊アラブ人の歌7曲演奏後の問答) 738

Kalimbo(Ka): (途中から録音)....皆さま、この者をとき解きください。この者に(場所を)お譲りください。この者とご対面ください。どんな具合になるか、どうか御覧ください。私たちは、そう、皆さまの御座しますところにお祈りいたします。皆さま、どうかこの者をとき解きください。サラマ、サラミーニ114 (憑依霊アラブ人の歌 1~7演奏) kayamba演奏者1(Pl1): 憑依霊アラブ人は彼女のなかには全然いないね。なに?この人、これまでに一度も扇いで115もらったことないのかい? Ngome(Ng): すでに試みたよ。 Pl1: もう試みたって? Ng: 霊はやってきたんだ、でもその踊り方に問題があった。 Mulongo(Mu): もしこの人が身体を固くしているのを見たら、憑依霊はやってきてるんだとわかります。もし身体がリラックスしてるのを見たら、憑依霊はいないとわかります。 Pl1: もしやって来てるのなら、私たちは、踊ってほしいね。身体を固くしてほしくないよ。だって私たちは踊ってもらいたいんだもの。とき解いてほしいんだってば。 (ムルング子神の歌 1~5演奏)

(憑依霊アラブ人の歌 1~7) 739 (憑依霊アラブ人の歌1)

癒し手(aganga)の皆さん ご傾聴ください 匠(たくみ mafundi116)の皆さん ご傾聴ください、ウェー、癒し手の皆さんの ご傾聴を (ここまでを2回繰り返し) 私は祖霊をクハツァ42します 慈悲深いムルング、ウェー 癒し手の皆さん ご傾聴ください 私は祖霊に祈ります 慈悲深いムルング、ウェー 癒し手の皆さんの、ご傾聴を

740 (憑依霊アラブ人の歌2) (スワヒリ語で)

ヨーヨー、アラブ人、私は神に祈願します 預言者の書 ムエレ(muwele43,この単語はドゥルマ語)は神に祈ります、お母さん 預言者の書 ヨーヨー、アラブ人、私は神に祈願します 預言者の書 ヨーヨー、アラブ人、私は神に祈願します 預言者の書、ウェー

741 (憑依霊アラブ人の歌3)

ヘー、忘れなさい、ヘー、忘れなさい アラビアのアラブ人 ヘー、忘れなさい、ヘー、忘れなさい アラビアのアラブ人 ヘー、忘れなさい、ヘー、忘れなさい アラビアのアラブ人 ホー、忘れなさい

742 (憑依霊アラブ人の歌4)

私は神に祈ります ヘー、忘れなさい ウェー、私は祈ります ヘー、忘れなさい 憑依霊アラブ人 今日、ウェー 私は神に祈ります エエ、忘れなさい

743 (憑依霊アラブ人の歌5)

ヘー、昇っていけ、アラブ人 浮き彫り刺繍の護符(pingu31)を縫ってもらいます へー、さて、アラブ人 浮き彫り刺繍の護符を縫ってもらいます どうして泣いているの、我が子よ、よしよし どうして泣いているの、我が子よ、よしよし

744 (憑依霊アラブ人の歌6) (solo)

港に、ウェー、アラブ人は港に 港に、ウェー、アラブ人は港に お父さん、あなたは身を引いた、ウェー アラブ人は、あちらの港に (以上を何度も繰り返す) (chorus) 港に、惨めな人 アラブ人は港に

745 (憑依霊アラブ人の歌7) (solo)

鏡をくださいな、自分を見たいから ヘエ、ヤシの木が、あんなにユラユラしている ヘエ、お前は私になじんだよ、ホワー お前は、いろいろで私を活気づけた ホー、ホー、ヤシの木が、あんなにユラユラしている なんとまあ (chorus) お前は私になじんだよ、ホワー お前は、いろいろで私を活気づけた

(ムルング子神の歌1~5) 746 (ムルング子神の歌1)

池にはムルング子神、ウェー 池にはお母さん お母さんに落ち着きなさいと言われました、ウェー ムルングの池に足を踏み入れなさいと エー、お母さん 小雨季の雨がやって来て 私の身体を消耗させました そう、池にはムルング子神 カンエンガヤツリが池に繁茂している

747 (ムルング子神の歌2) (solo)

急いで、そう、ムルング子神のように そう、ウェー、ヘエー 私は大きな森と呼ばれています、ムルングの母 主のいる池には足を踏み入れないものです 施術師たちがそこに足を踏み入れます さあ、行きましょう、そう、ムルング子神のように 行きましょう、ウェー、へー (chorus) さあ行きましょう、そう、ムルング子神のように 行きましょう、ウェー、ヘー

748 (ムルング子神の歌3) (solo)

ウェー、お母さん、ムルング子神 なんと、ムルング子神の池 私は、お母さん、そんなにムルングを畏れています 降りておいで、私の子よ 客人が来ます (chorus) 私は、お母さん、そんなにムルングを畏れています 降りておいで、私の兄弟よ 客人が来ます

749 (ムルング子神の歌4)117 (solo)

ハー、雨 雨が来る、畑の雨が ごらん、カンエンガヤツリお母さん、ムルング子神 私の布には、ウェー、ビーズ飾りが(周囲に)縫い付けられている (その布は)寝てしまった、私はいじめられた ムルングに祈ります (chorus) ハー、雨、ハー、雨 私の布には、ビーズ飾りが縫い付けられている

750 (ムルング子神の歌5) (solo)

ヨーヨー、ムルング子神よ、降りたて ほんとうに、ムルング子神、ハー、ホーワー、私の癒し手 お母さん、ムルング子神、ハー、ホーワー、私の癒し手、エー 私はムルング子神に尋ねます、ハー、ホーワー (chorus) 私の癒し手

(カリンボ、憑依を急き立てる) 751 (ムルング子神の歌1~5の演奏後)

Kalimbo(Ka): (ムウェレ、バハティに向かって)頑張って、頑張ってよ、あんた。子供が病気なんだよ。煮え立って118ください。やって来て、症状(chimako120)をごらんなさい。私は、この子に治ってほしいのです。 (カヤンバ演奏者たちに向かって)あんたらのカヤンバ、音が小さすぎ。 (再びバハティ(あるいはそのなかにいる憑依霊)に向かって)あんた、急いで。やって来て歌(カヤンバ)をご覧くださいよ、あんた。ごらんなさい、子供の体力が尽きてしまいそうです。私は、あなたの仕業だと知ってますよ、あなたムルング子神。 (ムルング子神の歌再開。ムルング子神の歌6、続いてムルング子神の歌7。しかし歌7は途中で止まる) Mulongo(Mu): 彼女も自分を奮い立たせようとしているのに。 (ムルング子神の歌8開始) (歌8の演奏中にカリンボ、バハティに踊るよう急き立てる) Ka: さあ、さあ、あんた、踊って。歌はあなたの歌ですよ、この歌は。 (ムルング子神の歌9) (歌9の途中でのカリンボの語り) Ka: さあ、あんた、ムルングの布はこれですよ。ビーズも調えてさしあげますよ。でも、それはゆっくりゆっくりとです。でも、今は踊ってくださいな。何に困っておられるのか、私に話してくださいな。もし、あなたこそがこの子供を苦しめているお方ならば、あなた。何を求めておられるのか、お話くださいな。すべて、調えてさしあげます。だから、来て踊ってください、あなた。私は、恥ずかしがり屋のムルングは嫌いですよ、あなた、私は。 (ムウェレは踊らず、歌は停止)

(ムルング子神の歌6~9) 752 (ムルング子神の歌6)

太鼓が鳴っている、ホー、池では 太鼓が鳴っている (以上2回繰り返し) 子蛇が足鈴(nzuga121)を鳴らしている 太鼓が鳴っている、ホー、池では (chorus) 子蛇が足鈴を鳴らしている 太鼓が鳴っている、エー、池では

753 (ムルング子神の歌7)

ムルング子神、降りてこい、ウェー 癒やしの術の (演奏は途中で中止になる)

754 (ムルング子神の歌8) (solo)

ムルング子神が帰ってくる、池に踏み込め もしも思い出し、思い出して。 池に踏み込め ムルング子神が帰ってくる、池に踏み込め もしも思い出し、思い出して 池に踏み込め (chorus) ああ、我が子チャンガよ 池に踏み込め 癒しの術の(池に) 癒しの術の(池に)

755 (ムルング子神の歌9)

女性たち、マレラ(養う者)、お母さん、ムルング 癒やしの術の (途中で中断)

(踊らないムウェレについての協議) 756

Kalimbo(Ka): ああ、ご覧なさい、あなた。あなたは困ったことをする。ほら、あなた、あなたは私の友でしょう?さあ、友よ、ご覧なさい。あなたはやって来たのに、私に何も話してくれない。それじゃ、私に何がわかると言うんです?ああ、捕らえているのがあなたなのか、それともあなたの仲間の誰かなのか、私にわかりましょうか?ムルング子神、私はムルング子神が恥ずかしがり屋122じゃないことを知っています。やってくるなり、どんどんしゃべってくださる。それがどうです。どうして、あなたはお馬鹿さんになるんですか。もしかしたら、あなたには何か欲しいものがある。さあ、その通りなのですか?もしあなたが話してくれないなら、あなたは誰に調えてもらえるというのですか。あなたは、愚か者ということになるでしょう、あなたは。 Mulongo(Mu): このカヤンバで、もう三度目なのよ。カヤンバを打ってもらっても、この人、身体を折りたたんでしまう(固まってしまう)だけなの。 Ka: (子供を食らう憑依霊が)彼女まで食べてしまうんではないかな。 Kayamba Player1(Pl1): 身体のなかにやってくるやつ(憑依霊)が、まだ到着していないんだよ。そいつがちゃんと来さえすれば、もういつでもOK。この人は、もうなんの恥もなくなるだろうよ。 Kayamba Player2(Pl2): 恥知らずなのは、憑依霊ディゴ人だってさ。でもこの人のディゴ人は、そんなふうにはならない。ただ、もっぱらこんな感じ(身を固くしているだけ)。 Pl1: 恥知らずのディゴ人といえば、ムサンブェニ地区123の連中だよな(冗談)。 Mu: だって三回目(のカヤンバ)よ。もしこれが初めての(カヤンバ)だっていうんなら、... (言い終わらないうちに、Pl1、憑依霊キツィンバカジを呼ぶリズムを打ち始める。そのまま、キツィンバカジの歌1~2、つづいて憑依霊サンバラ人の歌1~3が演奏される)

(人々ンゴメにクハツァを促す) 757

Kayamba Player1(Pl1): 憑依霊サンバラ人はいないね。 Kalimbo(Ka): (バハティの夫ンゴメ氏に向かって)何か言うべきことはないのかい? Ngome(Ng): 今日のことは、もうわし個人の問題ではない。こいつ(バハティ)自身の問題じゃよ。 Mulongo(Mu): (バハティに向かって)恥じらいはお捨てなさいな。あんた、どの子供も(バハティのすでに死んだ2人の赤ん坊のことも含めて話していると思われる)、扇いでも(カヤンバを開催しても)何の意味もないなんて思ってるんじゃないでしょうね。もし、あんた自身だけのためのカヤンバだったら、誰もここで問題にしたりしなかったわ。あんた独りで心ゆくまで格闘してればいいのよ。でもね、ごらんなさい。あんたの子供がたいへんなのよ。バタバタ(dugu124 ここではカヤンバのこと)を始めて以来ずっと、あんたは憑依霊を縛っている。もしかしたらその憑依霊が子供を苦しめているやつかもしれないのに。あんたはそんなふうにそいつを縛っている。 Woman: (ンゴメ氏に向かって)あなた、もし語るつもりがないのなら、あなた、自分の胸に唾を吐きかけなさいよ125 Kaingbwa(除霊の施術師、Kai): (ンゴメ氏に)あなた、あなたが思っていることごとを、あなたは口に出すだけで良いんです。

758

Kayamba Player1(Pl1): だってこの人、憑依霊でいっぱいになってますよ。でも、もう少し頑張ってもらわないと。ンゴメさん、こっちへ来て。この人を、少しだけとき解いてあげてください。そうすれば... 兄弟よ、もし私たちがこうしてカヤンバをやっているのも、この子供の今の状態を戻そうと頑張ってるわけですよ。ねえ、ごらんなさいな、その子がどんな状態かを。 Kalimbo(Ka): ちょっと皆さん、静まってください。彼(ンゴメ氏)に語らせましょう。 Ngome(Ng): 私は多くは語りますまい、この人に関しては、お前という人に関しては、たくさんは。私としては、こんな風に語ります。この人(ムロンゴ)が先ほどおっしゃったように、このカヤンバがお前のためのものだったら、私はお前のことを放っておくだろうと。お前が身体をよじって、思い知ったとしても。しかし、子供だ。その子の現状のためなのだ。ここ(この屋敷)のもの、何もかもがこいつには気に食わない。お前には気に食わない。ありとあらゆることが。まさに昨日のことだ。偶然、こんなことを言ってるのを聞いた。「このヤギたちは、人のヤギだ。ウシたちも人のウシだ。私のものじゃない。」なにもかも、お前のものと言えるものは何もない。でもそれらこそ、お前を治療するものなんだ(それを売ってお前を治療するための金にするのだから)。それらによって、お前はこの屋敷にきちんと置かれている(困窮せずに暮らせている)んだぞ。

759

Ngome(Ng): 何かあるごとに、お前はそれらの言葉を吐いた。私は多くは申しません。でも、もしあの怒りの、あれのせいだったのなら(私の心のなかの怒りムフンド48が憑依霊を外に現れないように縛っていたのだとすれば)、憑依霊たちよ、たった今より、とき解かれるように。そしてその口(悪い言葉)の数々を彼女が捨て去りますように。私は、ほんのちょっとしたことを、外に出しました。私の心は平安です。すっかり、全部。この子供のために、こうして私の言うことはおしまいです。 Kayamba Player1(Pl1): とか言いながら、ほかの問題(怒り)を隠しちゃってたりしてね。 Kayamba Player2(Pl2): おまえ、(ンゴメさんに)何もかも全部ぶちまけてもらいたいのかい?お前がそれを引き受けるとでも? (しばらく冗談の応酬などでざわつくが、除霊の施術師の合図で、いよいよ除霊されるべきと占いが示した「除去の霊(nyama wa kuusa5)」の曲に入る)

(ズニ(dzuni)の歌1~2) (ズニ(dzuni62)ではBahatiは再び、憑依のなんの徴も見せなかった。ムァハンガ(mwahanga49)が続いて演奏される。驚いたことに、Bahatiはすぐに激しく身を震わせ始めた)

(ムァハンガ(mwahanga)の歌)

(除霊の施術師KaingbwaはBahati(=憑依霊ムァハンガ)に旅立ちをうながす)

Kaingbwa(Kai): (ムァハンガの歌が演奏される中)さあ、さあ、あんた。あんたは一昨日、昨日にやって来た。でも今日は旅立ちだ。さあ、さあ、あんた。旅はこれだ。今日だ。あんたの家に帰りなさい。さあ、旅だ。 (こうした台詞を何度も繰り返す) (患者は泣いて抵抗しているが,突然膝の上におかれた白い布にくるまれた人形 を抱えて外に走りでる.その後を施術師、カヤンバ演奏者が演奏しながら追いかける。)

(キツィンバカジの歌1~2) 760 (キツィンバカジの歌1)

キツィンバカジ、登れ、エエ 山に登れ ムルング子神 登れ キツィンバカジ、登れ、エエ 山に登れ 登れ

761 (キツィンバカジの歌2) (solo)

あなた方のお仲間、ホワー 池で太鼓を打ってもらっている あなた方の子供は泣いている 池で太鼓を打ってもらっている、エエ 私は、お母さん、キツィンバカジと呼ばれています この言葉、ウェー (chorus) お前は池に土を撒いている

(憑依霊サンバラ人の歌1~3) 762 (憑依霊サンバラ人の歌1) (solo)

歌いなさい126、 癒しの術、ウェー、匠(mafundi116)のみなさん 歌いなさい、癒しの術 御婦人は養う者 今日、やって来ました そう、歌いなさい、癒しの術 歌いなさい、癒しの術、ウェー 泣きながら訴える (solo) 御婦人は養う者、今日、やって来ました そう、歌いなさい、癒しの術

763 (憑依霊サンバラ人の歌2) (solo)

私は歌うよう言われました 癒しの術を歌うようにと (以上、2回繰り返し) サンバラ、エエ、私に歌わせて サンバラ、私は歌うよう言われました (chorus) サンバラ、エエ、私に歌わせて 癒やしの術を歌わせて (solo) 私は稲を耕します サンバラ、エエ、エエ、闘いよ (chorus) 私は稲を耕します、お母さん、ウェー エエ、闘いよ

764 (憑依霊サンバラ人の歌3)

大きな池にはワニがいる お母さんに水浴びするよう言われました アア、エエ、なんてこと お母さんに水浴びするよう言われました

(上の霊ズニの歌1~2) 765 (上の霊ズニの歌1) (solo)

子供が泣いています ダマ(ギリアマ人の女性名)よ、ウェー 驚いています、ホワー (chorus) 子供が泣いています ダマ(ギリアマ語の女性名)よ、ウェー 驚いています、ホワー (solo) アヘー、カヤ(kaya127)、ウェー、カヤ (chorus) アヘー、カヤ、ウェー、カヤ

766 (上の霊ズニの歌2) (solo)

なんてまあ、お母さんの小屋、(鶏を)追い立てます アア、エエ、今日、アラブ人は追い立て、追い立てない (chorus) 追い立て、追い立てない、夜が明けた、アラブ人

(憑依霊ムァハンガの歌) 767 (憑依霊ムァハンガの歌) (solo)

私はその人をウシで埋葬します、ホワー もう埋葬したの (chorus) おお、まだよ (以上、何度も繰り返し) (solo) お母さんは、 まだ(近親者に)死なれたことがありません 私は彼を埋葬しました (chorus) 私は彼を埋葬しました 彼はベンガンドゥさんの家に帰りました、お母さん 私は彼を埋葬しました エエ、まだよ

(Kaingbwaによる戸外でのムァハンガの除霊) 768 (施術師、コップがないことに気づき、大声でもってくるよう命じる)

Kaingbwa(Kai): おーい、ブチェ(人名)!コップもってきて。お茶を飲むのに使うあのコップだよ。 Kayamba player1(Pl1): コップを持って来いってば。空き缶(chikopo128)でもいいから、もってこいよ。 (施術師、白い雄鶏の首を切り、血をコップに注いで蜂蜜を加え、Bahatiに飲ませる) Jefa(J Ngome's son): その布を取り除けましょう。汚れてしまう。その大きい布。 (Kaingbwa、バハティを座らせ、瓢箪をバハティの頭に置いて、瓢箪の栓を上下しつつ唱えごと(聞き取れず)) (瓢箪の中身を栓につけて舐めさせる。瓢箪の口を目、耳、鼻、各関節部に当てて息を吹きかける) Kai: この人の本名は、この人の。 Woman(W): バハティです。 (バハティに呼びかけながら、薬液を彼女に振りまく) Kai: ハー、バハティ!ハー、バハティ! Bahati(B): う、うう。 (バハティ、ぐったりしている) Kai: ここに、外に何をしに来たんだ? W: なんだか、意識がぼんやりしているみたいね。 (Kaingbwa、バハティを立たせ、背中合わせに彼女を背負う、その状態でバハティの腕を上に引き上げて身体を伸ばさせる。背負ったまま小屋の前まで運ぶ) (小屋の前で、バハティを地面に立たせ、再度名前を呼びながら薬液を振りまく) Kai: ハー、バハティ!ハー、バハティ!ここに何をしに来たんだい? (バハティ、身震いして正気に戻る。) Kai: (バハティに)さあ、小屋にお入りなさい。(助手に)薬液を彼女に撒き終えたら、もう行きなさい129

(小屋の中で別の「除去の憑依霊」に対する歌再開)

ゴジャマの歌 憑依霊マウィヤ人の歌 Kalimbo(Ka): 彼女の中にはマウィヤはいないね。

(ゴジャマの歌) 769 (ゴジャマの歌)

ああもう(maye130)!私は貶められている ゴジャマは食べられない 私はムァニュンバ(私の妻の姉妹の夫)に尋ねる。ああもう! ゴジャマは食べられない、エエエ。 ゴジャマは食べられない。 うん、そう、私は、そうムァニュンバに尋ねる。 ゴジャマは食べられない、エエ。

(憑依霊マウィヤ人の歌) 770 (憑依霊マウィヤ人の歌)

私は内陸部に行く マウィヤ、エエ お前は内陸部に行く、エエ ホーワ、マウィヤ

(ズニ・ボムの歌) 772

なんてまあ、ズニ・ボムはセセと言われました お母さん、私はそいつを舐めます、ウェー 泣くのはおやめなさい 歌をごらんなさい、お母さん バヤ(人名)の子供よ 待って、いまそいつを舐めます、ウェー ズニにセセとお言いなさい

771 (カリンボ、ズニ62の歌を歌い始めるが、止められる)

Kalimbo(Ka): どうした?憑依霊ドゥングマレ(dungumale16)でも打ちましょうか、それとも? Kayamba player1(Pl1): 今、あれらの憑依霊たちは、見たところ、今のところ、あちら(外)にいたがってます(ここでカヤンバを演奏して憑依霊を呼んでも、来そうにないということ)。(あちらでは)彼らのための用意をしているところなんです(除霊に必要な泥人形を制作中)。あの物体(泥人形のことをほのめかしている)を、ここに置いてやれば、OKです。あちらで私たちは太鼓(実際にはカヤンバ)を打つことにします。他の憑依霊についても見てみようと。そいつらに必要なキリャンゴーナ(viryangona72)がないにしても、そいつらにも探りを入れさせてください。 Ngome(Ng): お前さんたち、現在、どの憑依霊とどの憑依霊を確保してるのかね? Pl1: ズカ(zuka93)と、このズニ・ボム(dzuni bomu62)ですね。だから、2人です。こいつらのモノを置いてやりさえすれば、こいつらはすぐに出てくると確信してます。 Ng: 2人いっしょにかい? Pl1: いえいえ。憑依霊それぞれに、別の物体が必要です。だって、一人はクチバシが長い。もう一人には長いクチバシがない。それが厄介なんです。

773

Ngome(Ng): それはあんたらの問題だろう。だって、あんたらが鶏を用意しておけって言うから、私はとっくに用意していたぞ。なのにあんたらはまだ(施術に必要な)物を調えていない(ズニ・ボムのための泥人形がまだ準備されていなかったことに文句を言っている)。 Kayamba player1(Pl1): そいつの鶏は、トンビ模様のこれみたいなやつで。 Man(Ngomeの弟のKutsoma氏だと思うが、確信はなし): そもそもね、こいつ(ズニ・ボム)こそ、きわめて汚い(したたかに捕らえる)憑依霊だ。こいつこそ獰猛なやつだ。 Pl1: この鶏は、もしこのオーカー(mbuu131)で斑点をつけるなら。 Kaingbwa(Kai): 斑点の付け方を知っているなら、そう言って。もし知らないなら、そう言って。(Kaingbwa出ていく) Pl1: まずは、このとても獰猛なやつをチェックして、除霊しましょう。 Ng: 今あなたがおっしゃった、そのこと、その通りですよ。その汚い、汚いのをすべて、私は取り去って(除霊して)もらいたい。また別の場所に行って(別の占いにあたって)、同じ問題を、どうして(ちゃんと対処していないんだ)とか、言われたくない。 Man: そもそもね、あなたが占いに行って、たとえ、それが別の人の問題をうかがいにいったものであっても、同じくこの屋敷のお金が出ていくわけだけど、かならず、バハティの問題が指摘されるんだよなぁ。

774

Ngome(Ng): そして(占いの)施術師が言うんだ。「あんた、これらの問題、もう知っていたのか、それとも私が始めてですか」って。「ああ、すでに言われておりました」「で、おまえそれを調えたのか?」「いいえ」「すぐに取り組みなさい」そいつは私がお金をもっていくしかないとわかっているのさ。お金は彼のところに戻ってはいかないさ(その手にはのらないさ)。 Man: どうしてこの人(バハティ)、まだ震えているのかな。カヤンバはとっくに止んでいるのに。 kayamba player(Pl1): ちがうよ。そいつ(憑依霊)だよ、あんた。 Woman: バハティ、バハティ、バハティ! Kaingbwa(Kai): (入ってきて)黒い雄鶏は手に入りますか。 Man: 憑依霊たちは、ずっと以前からだよ。あのもう一人の子供(バハティのすでに死亡した別の子供)も、同じようにやられた。その子たちが先なんだよ。そして今や、彼女の腹も(中にいた胎児を)やつら(憑依霊)が消してしまった。だって、そうじゃなければこんなふうに除霊できないところだったよ。妊娠6ヶ月くらいだったら、除霊はできなかっただろうよ。 (泥人形の用意が遅れているので、小屋の中にいた男たちは皆、その用意のために出ていき、小屋の中には女たちとンゴメ氏だけ(と私)が残る。私もちょっとだけ見に行く。)

(ズニ・ボムの歌、再開) 775

ズニ・ボムはデデ(dede132)と言われました ムァムニャジ、ムァムニャジ、爪、まっすぐ伸びろ ムァムニャジ、ムァムニャジ、爪、まっすぐまっすぐ ズニ・ボムはセセと言われました お母さん、私はそいつを舐めます、ウェー 泣くのはおやめなさい 歌をごらんなさい、お母さん バヤ(人名)の子供よ 待って、いまそいつを舐めます、ウェー ズニにセセとお言いなさい

(キリヤンゴナの泥人形が用意でき,カヤンバ再開.ズニボム2の歌から) 776 ズニ・ボムの歌 (3歳くらい(?)の子供が小屋に入ってくる。いそいで追い出される(「上の霊」の攻撃をうけてしまうから))

Man: この年齢の子供にはその憑依霊はよくない Ngome(Ng): そもそも、それは今どきの話(昔はあまり気にしなかった)。でも、背負われている乳幼児は別。この年齢でもまだ。 (ズニ・ボムの歌の演奏続く。バハティは変化なし。Kaingbwa、泥人形を示しながら、「旅」をせきたてる) Kaingbwa(Kai): さあ、さあ、旅は今日です。私はあんたに今日だと示しました。旅は今日。さあ、さあ、遅れますよ、あんた。馬133は準備OK、これ。さあ、さあ、さあ、さあ。遅れますよ、あんた。ンゴマは今日です。馬も準備OK。さあ、さあ、もう遅れてますよ。旅は今日です。あんたの家への旅は今日です。どうしてあなたは反対するんですか。 (バハティ、全く変化せず。ズニ・ボムはあきらめて、続いてズカ93の歌の演奏を始めるが、依然として、バハティに変化なし)

(ズカの歌) 777 (ズカの歌)

ワドラ、ドー ワドラ、ドー 憑依霊ペンバ人の大きな池 ラドラ、ドー (以上、何度も繰り返す)

(無反応のバハティを巡って、議論) 778

Man(Kutsoma?): この人(バハティ)は、随分前から泣き始めてた。私はそいつはズニじゃないと思う。 Kayamba player1(Pl1): じゃあ、なんていう憑依霊だい? Man: なあ、この人はどんな風に打たれていた(カヤンバが演奏されていたときの様子)?ずっと、自分を引きこもらせてた。お前さんが、(泥人形の準備で)いなかったときもね。この人は背中がなにかにつつかれているって言ってた。憑依霊ディゴ人だよ。そいつこそ、まさにこの人の持ち霊だよ。 Woman: 他の(霊たちも)同じように出てこようとしていた。別の霊たちもいて、出てこようとしていた。でもそいつらも、この霊(憑依霊ディゴ人)が立ち塞がって、邪魔していた。 Ngome(Ng): 彼女のために(カヤンバを)打っていた人、あんたたちも、あの問題をこねるために(泥人形をこねて作るために)演奏をやめてしまった。 Man: そいつら(除霊されるべき憑依霊たち)全員、そんなわけでやってこない。準備はできているのに、やって来ても、力がないんだ。 Pl1: そいつら(除霊されるべき憑依霊)のなかには、「身体の憑依霊((nyama) a mwirini)」を驚かせてしまう(ku-shetuwa fr.(ス ku-shitua))やつもいるんですよ。もし言葉をしゃべるなら、あなた方全員が証人になって、すべてをしっかり聞くことになるでしょう。なにが間違っているのかを。

779

Man: 違いますよ。あなた方は(その問題が起きているとき)皆さん外でした(泥人形の準備で)、でも彼女は背中がなにかにつつかれると言っているのですよ。 Kayamba player1(Pl1): じゃあ、面倒を起こしている憑依霊を取り除いてしまいましょう。 (カヤンバ再開。憑依霊ディゴ人の歌1~6演奏。) ディゴ人の歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 783)

ディゴ人の歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 784)

ディゴ人の歌3 ドゥルマ語テキスト(DB 785)

ディゴ人の歌4 ドゥルマ語テキスト(DB 786)

ディゴ人の歌5 ドゥルマ語テキスト(DB 787)

ディゴ人の歌6 ドゥルマ語テキスト(DB 788)

(施術師カリンボ、憑依霊ディゴ人に語りかける)

Man(Kutsoma?): そいつとうまく合意してください。まずは、私のこの場所に、あなた来てください(字義通りには「まずは、私のこの場所をあなたに譲らせてください」)。 Kalimbo(Ka): (ほぼディゴ語で語りかける)御婦人、どうしたのですか、あなた?さて、私に話してくださいな。一緒にンゴマ51を楽しみましょう。ンゴマはこれです。仕事の場です。子供たちは病気です。あなたのせいじゃないとおっしゃるのですね。あなたはあなたの池で水浴びがしたいのですか。ここにはありません、御婦人。我慢なさい。あちらで(あちらの薬液で)水浴びなさい。あちらので十分です。あちらので十分です。オーケー。あなたには別の日に、たとえば明日にでも、明日にでも(明日をドゥルマ語で言ってしまったので、もう一度ディゴ語で言い直している)、あなたに調えて差し上げます。あなたにあなたの池34を調えてあげます。でも、この今は、あいつら他の人々に譲ってください。あいつらにに彼らの仕事をさせましょう。もし彼らが立ち去るのなら、立ち去らせましょう。おわかりでしょうか、でも?(スワヒリ語で)明日、あなたの池を調えてあげましょう。(780に続く)

780

Kalimbo(Ka): でも、彼らムァンガ135に、出かける暇をあげてください。あなたの仲間たちも行きたがってます。でもあなたが彼らを妨げてます。さあ、彼らを自由にしてやってくださいな。それだけ。でも、わかりましたか?私の仕事はあなたに慰撫を与えること。私はあなたにとき解いてくださいと申します。 Kayamba player1(Pl1): あなた方、一番獰猛な憑依霊はどれっておっしゃってましたっけ。あなた方自身が、それをどう扇ぐかご存知なんですよね。

<a id="muduruma"<(カリンボ、自ら憑依霊ドゥルマ人の歌を歌い出す。) ドゥルマ人の歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 789)

ドゥルマ人の歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 790)

ドゥルマ人の歌3 ドゥルマ語テキスト(DB 791)

(バハティ、身体を激しく震わせている.)

Man(Kutsoma?): (バハティに)お前に言います。子供を治しなさい、お前、ドゥルマ人よ。子供を自由にしてやりなさいと、言います。そうしたら、お前の布を買ってもらえますよ。 ドゥルマ人の歌4 ドゥルマ語テキスト(DB 792)

Bahati(B): (憑依状態で、無礼な態度で)私ゃ、役立たず野郎と呼ばれてるさ、あんた。私ゃ役立たず野郎と呼ばれてる。私は馬鹿なことしかしないのさ。... (カリンボ、バハティ=憑依霊ドゥルマ人と小声でやりとり。カヤンバの音が大きすぎて ほとんど聞き取れない。「子供をとき解いてください」と言われて、ドゥルマ人は「いやだ、自由にしてやらない(tsiricha)」と繰り返している。)

ドゥルマ人の歌5 ドゥルマ語テキスト(DB 793)

Man(Kutsoma?): お前は、まさにドゥルマ人だ。お前こそ、その子(バハティのこと)を妊娠させたやつだな。その子を自由にしてください。そしてあの、人の子(バハティの胎内にいたが、その後、姿を消したとされている胎児)が、成長して固まりますように。 Kalimbo(Ka): (バハティに)ちょっと、聞きなさいよ、あんた。...(聞き取れない)... B: 私ゃ、手は引きませんよ、あんた。手は引きません。...(聞き取れない)...疲れたよ。騙されるのには疲れちゃったよ、あんた。 (カリンボ、演奏を止めるよう指示)

(憑依霊ドゥルマ人に対する締めくくりの唱えごと)

Kalimbo(Ka): (ドゥルマ語で)穏やかに、穏やかに113。あなたの話は、私たちはしっかりお聴きしました。あなたがおっしゃるのはこうですね。「私は捕らえたが、それは私のことが知られていないからだ。私は誰からも全然知られていない。私はこうしてディゴの土地にやって来たが、ブッシュに放っておかれている。私はこうしてディゴの土地に来たが、誰からも思い出してもらえない」と。さて、今、私たちはあなたにお静まりくださいと申します。あなたがたドゥルマ人は当地では知られておりません。ここはディゴなんですから。さてさて、あなたがこんな風に出て来られたので、今や私たちは、あなたこそがあれらの子供たちを捕らえている方だと知りました。というわけで、彼らをとき解いてください。あなたは、あの匠に来てもらって、あなたのためにお調え差し上げます。あなたの池34もお調えいたします。あなたは布136もお手に入れられます。お手に入れられます。あなたがあれらの子供たち、あの子らをとき解かれるからです。あなたがあの子らをおとき解かれるならです。そのときにこそ、あなたは調えてもらえるでしょう。ああ、もしあなたが、あんな風に人々を捕らえてしまったなら、いったいあなたは誰に調えてもらおうというのでしょうか、あなた。とき解きなさいな。私は申します。とき解きなさいと。もし本当にあなたドゥルマ人の仕業でしたら、とき解きなさいな。この人(バハティ)を、とき解いてください。そして子供たちが、どこに行っても、見られますように。さらにはそのご主人(ンゴメ氏)も、健康でおられますように。(782に続く)

782

Kalimbo(Ka): 手に入れてもらえますよ。手に入れてもらえますよ。あなたは、あなたの布をやがて与えられます。あなたの池34も与えられます。また、もし歌53でしたら、あなたの歌も、与えられることでしょう。夜を徹して朝になるまでの歌ですよ。でもこれらはゆっくりのことです。でも、まずは、あれらの子供に、意識をお与えください、あの子らに。ああ、もしあなたが彼らをそんな風に捕らえていては、彼らをどうやって救えるというのですか。それこそまさに、あなたに適うことです。ああ、人が子供を産むことで救われるというのは、そういうことですよ、思うに。あなたがそんな風に彼らに巻きついていては、どこに行っても光は見えません。彼らをどうやって救えるというのですか。もしあなたが調えてほしいというのでしたら、あれらの子たちをおとき解きください。(そうすれば)歌も手に入り、布も手に入りますよ。あれらの子たち、かれらをとき解いたことで。彼らをとき解いてくだされば、そのときにあなたも調えて差し上げます。もし、あなたが人々をこれからもあんなふうに捕らえるとしたら、あなたは誰に調えてもらえるというのでしょうか?さあ、とき解いてくださいな。私はあなたにとき解くよう申し上げます。もし本当にあなたドゥルマ人の仕業だとすれば。とき解いてください。この者をとき解いてください。 子供たちのためにも、長老のためにも、とき解いてください。ご主人の商売もとき解いてください。長老にもお金が手に入りますように。お母さん、ンゴマを打つにもお金がかかるのです。 (除霊の施術師Kaingbwa合流し、唱えごとを締めくくる) Kaingbwa(Kai): 長老は行った先で、何も手に入れない。賃仕事も見つからない。彼がやりたいと思う商売は、すべてうまく行かない。さあ、あなたのためにお調えするためのお金は、どこからやって来るというのでしょうか? 穏やかに、穏やかに。椅子134に行って、腰をかけて、おとなしくしていてください。ここは歌の場なのです。 (DB 794 に続く)

(憑依霊ディゴ人の歌1) 783

ディゴ人は狂気をもっている そう、良い評判のない御婦人 私たちのお金は、施術師で底をつく おまけに病気は治らない 困窮者137 お米をぶちまける138、エエ お父さん、お母さん お母さんがいれば、誰を怖がるでしょう、惨め者 お米をぶちまける。

(憑依霊ディゴ人の歌2) 784

私は私の布が欲しい、お母さん、ウェー 私は布を求めます 布は、憑依霊ディゴ人の布 私は私の布が欲しい、お母さん、ウェー 今日、私は私の布を求めます、エエ 憑依霊ディゴ人の布>

(憑依霊ディゴ人の歌3) 785

今日は闘い 癒やしの術の矢じり(vyembe)は、あてもなくうろつく(vinayembeya) 今日は闘い、オォ 癒やしの術の矢じり(vyembe)は、あてもなくうろつく(vinayembeya) 今日は闘い

(憑依霊ディゴ人の歌4) 786

マディワ(madiwa139)は光っている、エエ、ホー 光っている、マディワ母さん ムワカ母さんのところにやって来た 私は癒やしの術を求めてやって来ました マディワは光っている、マディワ、ウェー ムワカ母さんのところにやって来た、母さん、 私は驚かせるもの120を見にやって来ました。

(憑依霊ディゴ人の歌5) 787

私はここにいました、エエ 私はここにいました、貧乏人 おかあさん、平安114 施術師よ、とき解け (以下、聞き取れない)

(憑依霊ディゴ人の歌6) 788 (solo)

平安が第一、健康でいてね ムワカお婆さんによろしくね もしあなたが貧困137だったら、あなたどうします? あなたどうします?ムワカさん、ウェー もしあなたが貧困だったら、あなたどうします? あなたどうします?ムワカさん、ウェー (chorus) もしあなたが貧困だったら、あなたどうします?

(憑依霊ドゥルマ人の歌1) 789

お母さん、私の名前はカルメンガラ(私はカルメンガラと呼ばれています) お母さん、私の名前はカルメンガラ 外の問題も知っている 内の問題も知っている お母さん、私は尋ねられる 私の名前はカルメンガラ

参考、別バージョン

(憑依霊ドゥルマ人の歌2) 790 (solo)

曲つくりを知らない人、やって来て歌をごらんなさい お母さん、ドゥルマ人が去っていく ごらんなさい、ウェー ドゥルマ人がやって来る (chorus) お母さん、ドゥルマ人がやってくる

参考、別バージョン

(憑依霊ドゥルマ人の歌3) 791

癒し手ドゥルマ 私を憎む 癒やしの仕事が ドゥルマ人、ヘー 臼で挽き、こちらじゃ杵で搗く 太陽はそちら 私を憎む 癒やしの仕事が ドゥルマ人、ヘー 粉挽き、こちらじゃ杵で搗く

(憑依霊ドゥルマ人の歌4)

私は家に帰ります、ウェーお母さん 私は家に帰ります 私は家に帰ります ドゥルマの地は広大 私は家に帰ります ドゥルマへ

(憑依霊ドゥルマ人の歌5)

きれいな女は評判よ、ヘー 美人に生まれつきました、ヘー 杵で搗き、臼で挽く あなたは評判よ、ヘー 美人にうまれつきました

(憑依霊シェラとの交渉) 794 (一連のシェラの歌の演奏始まる。バハティはすぐに憑依状態になる) シェラの歌1 ドゥルマ語テキスト(DB 800)

シェラの歌2 ドゥルマ語テキスト(DB 801-802)

シェラの歌3 ドゥルマ語テキスト(DB 803-805)

(バハティ、歌3で激しく身体を震わせ、泣き出す) (カリンボ、シェラの歌3が続く中、シェラとやりとり。録音は途中から)

Kalimbo(Ka): (ディゴ語)私もこうして急いで駆けつけました。この子供の今の状態のためです。お母さん、とき解いてくださいな。この子を自由にしてやって。ちょっとだけ踊りなさいな。このンゴマは私たちのために開かれたンゴマじゃないんです。それは「唐突(gafula)」に打たれているのです(「唐突のカヤンバ(kayamba ra gafula)140」のこと)。あなたは泣いている。でも、出かけて行ってもらいたい奴ら、自分たちの家に帰るたびに出てもらいたい憑依霊たちに、場所を譲ってください。もし布136でしたら、布であなたを困らせはしません。布なら、差し上げます。でも、あの子供をまずはとき解きください。 Bahati(B): 私は憎まれてるよ(泣きじゃくる)。

795

Kalimbo(Ka): あなたを憎んでる人は誰だというんです(誰も憎んでませんよ)?さあ、あなたの仲間たちのンゴマを踊ってくださいな。そして彼らが出発できるように、彼らに場所を与えてくださいな。あなた自身は、自分の椅子134に腰掛けていてください。あなたはこの仕事が、あなたの仕事だと思っておられる。怒らないでください。この仕事はあなた方のための仕事ではありません。あなたには私が調えてあげます。池34にもご案内します。でも、まずはあの人の子供が健康でありますように。今あなたにお話したことを、しっかり理解して下さいね。

シェラの歌4 ドゥルマ語テキスト(DB 806)

シェラの歌5 ドゥルマ語テキスト(DB 807)

シェラの歌6 ドゥルマ語テキスト(DB 808)

(カイングァによる締めくくりの唱えごと)

Kaingbwa(Kai): さて、おだやかに、あなたシェラよ、私たちはあなたに、そして同じく、あなたドゥルマ人にお会いしました。ところでご主人様。このンゴマはあなたのンゴマではありません。このンゴマにはあなたの池34もありません。このンゴマには憑依霊ドゥルマ人の香料27もありません。このンゴマは「唐突のンゴマ(ngoma ya gafula)」なのです。その代わりに、私たちはあなたこそ、争いの人であることがわかりました。あなた憑依霊ドゥルマ人、そして憑依霊ディゴ人、そしてあなたシェラがです。まことにけっこう。私たちはあなたに申します。私たちはあの子供の症状の改善を願います。私たちは、この子がちょっとは良くなった、みたいなところを見たいのです。そのとおりだ(本当にあなた方のせいだったのだ)ということを知りたいのです。(796に続く)

796

Kaingbwa(Kai): 憑依霊は人です。話して聞かせると、理解します。穏やかに、穏やかに。もしあなたの仕事でしたら、調えて差し上げます。ゆっくりとですが。あなたのための匠(fundi116)を探してまいります。ここに来て、あなたのために鍋を置いてもらいましょう。歌53も差し上げましょう。布も差し上げましょう。ゆっくりとです。しかし、あれなる子供の病状に、改善がみられますように。ご覧なさい。人々は困惑しています。人々は病院にも参りましたが、事態は明るくはなりませんでした。今では人々はその心臓が、破裂してしまいました。もしそれらがあなたのせいであるならば、とき解いてください。確かにあなたの仕業だと知る知らせを受けとりますように。あなたは調えてもらえるでしょう、ご主人様。調えてもらえます。あなたは、充分な歌をご覧になることでしょう。夜を徹して、夜が明けるまでの歌を。でもあの、人の子が小康状態(yauni)になりますように。小康を得ます(unalembalemba)ように。どうして、ともすれば人々の心を割ってしまいそうなことになるのでしょうか。人々はあの子供に驚いているのです。御主人様。もし、あなたなのでしたら、どうかその子をおとき解きください。椅子134まで行って、腰を下ろし、大人しくしていてください。

(次にどの憑依霊の曲を演奏すべきかで、再び議論になる。結局は、再度ズニ・ボムを演奏することになる。議論は録音せず。)

797 ズニ・ボムの歌 ドゥルマ語テキスト(DB 775)

(ズニボム演奏中 Kaingbwaしきりと safari を促す。) (バハティいきなり人形を抱えて走り出す) (鶏 (kuku wa chiphangaphanga92)屠殺、バハティに血を飲ませる。 (バハティを座らせ、頭に瓢箪を置いて唱えごと)

Kaingbwa(Kai): ...お前は他の場所は見なかった。ただこの者の身体のなかを見ただけ(バハティの身体のなかを居場所にした)。今日、今、私は命じます。彼女を今日とき解きなさいと。お前たちの家に向かう旅は、これです。死んで、また戻って来る者は、なし。サラマ、サラミーニ114。この者の身体から出ていけ。出ていって、高く、高く羽ばたき、荒地に行け。荒地に行け。荒地こそお前が食らうエランドがいるところ、シマウマがいるところ。しかし、ここでは、この身体から出ていけ。今日そこから出ていけ。死んでまた戻って来る者は、なし。お前の家への旅は、これだ。そう、サラマ、サラミーニ。お前、ズニ・ボムよ、お前の家への旅は、これだ。死んでまた戻って来る者は、なし。この者の身体より出ていけ。とき解け。サラマ、サラミーニ。とき解き、この者の身体より出ていけ。(この者の身体が)お前の椅子であったのは、一昨日、昨日のこと。今はそこにはお前の椅子はもはやない。

798

Kaingbwa(Kai): プッ。(小声で唱えごと。聞き取れない) (Kaingbwa、バハティの身体の各部に瓢箪の口を当てて、それに口を近づけ強く息を吹きかける) (彼女の身体を背中合せに背負って手足を伸ばさせ、背負ったまま小屋の前まで運び、地面に立たせる。) Kai: はー、バハティ、はー、バハティ、お前はここに何をしに来たのだ? Kaingbwaの助手(A): 鶏が底を尽きました。別のには代えられません。 Kai: 薬液(vuo)を。 A: 薬液はこれです。 (バハティに繰り返し薬液(vuo)を振り撒く) Kai: お前はここに何をしに来た?お前は...を屋敷に置いてきた。...(聞き取れない)

(バハティ、不機嫌そうにだるそうに小屋に入る) (続いて他の人々も小屋の中に入る)

(小屋の中で、ズカ93の歌の演奏が始まるが、すぐに中止)

Kaingbwa(Kai): ところで、今、思うに、まずね、キリャンゴナがもう底をついてしまいました。というのも赤い(褐色の)鶏が手に入らないとなると、もう(除霊に必要な)キリャンゴナはないということになります。というわけで、(除霊の対象になる憑依霊は)3人だったのですが、立ち去ったのは二人、一人は失敗でした。 (赤い鶏がないというのは事実だが、それ以前にズカの泥人形もまだ作られていなかった)

799

Ngome(Ng): うまく行かなかったのはどの憑依霊かな? Kaingbwa(Kai): うまく行かなかったのはズカです。 Woman: でもズカ(の歌)は打たれて、おまけに彼女は憑依の兆しを見せた(akadedemuka141)んじゃなかったっけ。 Kai: あの煮え立ち(muchechemuko119)は、別の憑依霊たちのざわめき(muyuwano142)だったんですよ。だって、そいつら(憑依霊ディゴ人、ドゥルマ人、シェラたち)こそが、妨害していた奴らだったんだから。施術にぎりぎり巻きついていたんだから。 Woman: (施術師たち、カヤンバ奏者たちに向かって)あなたたちがもしそれ、わかっていたなら、(このカヤンバも)とっくに終わっていたでしょうに。あなた方も、とっくに帰路についていたことでしょうに。 [カセットテープ終わり]

憑依霊シェラの歌1 800

驚かされた、エエ 私は驚かされた、私は驚かされた、お母さん そう、私は驚かされた きちがい女、お母さん 池で見かけました、そう 私の布にはビーズ(vitembetembe)がいっぱい 私の布にはビーズ(vishangashanga)がいっぱい この布にはビーズ(vitembetembe)がいっぱい ヘー、私の布にはビーズ(vitembetembe)がいっぱい(2回繰り返し) ヘー、私の布、お母さん、 (chorus) ビーズの(付いた)布

憑依霊シェラの歌2 801 (solo)

シェラ、ウェー、どうかおだやかに あなたはお母さんに呼ばれました、ウェー シェラ、ウェー なんと池には心が残っている 見つけてください、ムヴマ(muvuma143)の木を一本 ムザツァ(mudzadza145)の木を一本 ムゼンガ・ツォンゴ(mudzengatsongo147)を私にください 私を行かせて、ウェー(続く) 802 シェラといっしょに、ウェー、お母さん おだやかに、癒やしの術の池に踏み込まないで (chorus) ハー (solo) なに? あなたは遠いところからやって来た 私はあちら、遠いところからやって来た 遠いのです、お母さん お母さん、ウェー 癒やしの術の池に入っておいで (chorus) ハー (solo) ハーイェー、ハエ追いハタキ、エー 施術師たちが占いにやって来た、ウェー 友よ、あなたは布を身に着けている

憑依霊シェラの歌3 803

シェラがやって来た。自分でやって来た。 お父さん、泣くのは止めて 待ってて、私に放浪させて そう、本当に シェラはまだよく知られていない シェラは腹を支払った、腹を切った シェラ、私をムヴンバと呼ばないで シェラは子供を生んで その子をムヴンバと名付けました(続く) 804 (chorus) ホー、さて私はまだここにいます お父さんを待ってます 昔の家 よく考えて なんと、この世界はお返ししあい 今の世の中 なんと、鞭はだめになった 今の宇宙 なんと、変わってしまった(続く) 805 お前を見たものは、皆、お前をバカと見る (お前を見たものは)、皆、お前を食べたがる 問題ない タマリンドは、木 猿がつきもの 私は誰にしてもらえるのだろう あなた方、匠のみなさん? ムァナマジ(助手)のいない癒やしの術、(施術師の)袋を頭に載せて運ぶ 誰に運んでもらうのか (女性の)助手たちは、皆、にげちゃった

憑依霊シェラの歌4 806

彼の子供、カゾ(人名)を生みなさい、ウェー 一緒に癒やしの術のンゴマを踊りましょう 難儀だ、ウェー、お母さん 私は尋ねます、何が難儀なの、私の兄弟 箕のように転がった方がまし 何が狂気なの、私の兄弟 難儀、箕のように転がったほうがまし

憑依霊シェラの歌5 807

ビーズ飾りを上下に震わせる、ンダロ(人名) そして私の子供たち ビーズ飾りは私にすっかり馴染んだ、ビーズ飾り 私は誰にしてもらえるのだろう? ハヨー、私は池に来た munyungbwiがある 今日は闘い 池に行きましょう シェラは速い人 お母さんは池に munyungbwiがある、今日は闘い 占いに行きましょう

憑依霊シェラの歌6 808

私に仮小屋を建ててください 私は太陽に焼かれます ご婦人たち 私に仮小屋を建ててください (以下、聞き取れない)

参考文献

Boddy, Janice Patricia. 1989. Wombs and Alien Spirits : Women, Men, and the Zār Cult in Northern Sudan. University of Wisconsin Press.
浜本満. 2001. 秩序の方法 : ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り. 弘文堂.

注釈

 


1 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注記で訂正している。
2 日曜の夜の列車でナイロビに向かう予定があった。
3 ドゥルマ地域にはドゥルマの7つの父系氏族(ukulume4)に加えてChonyiと呼ばれる父系クランが住んでいる。彼らはミジケンダの別のグループであるチョーニィ(Chonyi)人である。伝承によると、19世紀末にドゥルマの3つの伝統的要塞村(kaya)の一つがマサイによって破壊された際に、その要塞村カヤを修復する儀礼手続きを知る者が生き残った人々のなかにいなかったため、チョーニィ地域から施術師を招いた。同様なことがあったときにそなえて、人々は施術師たちにこの地にとどまってくれるよう願った。彼らはチョーニィ地域の親族を呼び寄せた。植民地時代に入って彼らの子孫は、ドゥルマの父系氏族の一つムァニョータに編入され、「チョーニィのムァニョータ」と呼ばれるムァニョータ氏族の分枝の一つとなった。植民地統治下で彼らチョーニィの人々は植民地行政によって任命されるヘッドマンの地位を得て、有力な地位を築いた。「ジャコウネコの池」地区でも、比較的裕福な一族となっている。
4 ウクルメ(ukulume)。父系クラン。母系クランは、ウクーチェ(ukuche)。ドゥルマはミジケンダの9グループのなかで、隣接するラバイと並んで二重単系出自のシステムをもつ。
5 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola6)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち22)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba23)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu20)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni19)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini7)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
6 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini7」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa58と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊(ku-kokomola6)によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume11)、カドゥメ(kadume12)、マウィヤ人(Mwawiya13)、ドゥングマレ(dungumale16)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga17)、ライカ・トゥヌシ(laika tunusi18)、ツォビャ(tsovya21)、ゴジャマ(gojama15)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu20」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」19)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
7 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola6)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
8 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」9など)を行うことなどを意味する。
9 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ10などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
10 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ9」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
11 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
12 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
13 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde14)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama15)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
14 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
15 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola6)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
16 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola6の対象になる)8。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
17 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊。=sorotani mwangaとも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
18 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni19)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
19 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu20」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
20 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ19)と呼ばれる、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉はこの病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があり、その場合は通常の憑依霊の施術師が治療する。しかししばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola6)の対象となる。
21 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola6)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa8」。see p'ep'o mulume11, kadume12
22 マジネ(majine)はjineの複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲う、など。憑依霊のjineと、一応区別されているが、あいまい。fingoのような埋設呪物も、供犠を怠ればjineに変化するなどと言われる。
23 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume11)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani24)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
24 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」25による鍋(nyungu32)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe36)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu31)。
25 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術26においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba27)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande28)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu32)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
26 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
27 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
28 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符29。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
29 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata30)、パンデ(pande28)、ピング(pingu31)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
30 ンガタ(ngata)。護符29の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
31 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符29の一種。
32 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza33、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
33 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya34)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu32)とセットで設置される。
34 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo35)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza33)と呼ばれるが)。
35 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
36 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
37 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
38 「すっぱい」村のカリンボ老人(Kalimbo wa Mwero)。1983年の調査の頃からの、最も親しく付き合っていた老人。当時、私はキナンゴの町から、さらに30キロほど奥に入ったところにある「青い芯のトウモロコシ」村でカタナ君とツマ君という2人の青年とともに調査をしていた。そこはキナンゴの町で知り合った、ある人物の屋敷があるところで、ツマ君はその人物にそこの畑でタダ働きさせられる格好で、私と、私の助手というか言葉の先生を買って出てくれていたカタナ君は、それに乗じて、その人物の屋敷にしばらく暮らさせてもらう形で、「青い芯のトウモロコシ」で共同生活することになった。青い芯のトウモロコシまではキナンゴとモンバサ街道沿いの町サンブルを結ぶ小型バスが朝夕2便運行しているはずだったのだが、押しがけをしないとエンジンがかからないその小型バスが実際に走るのは週に1~2回(それも毎朝バス停に通って運試しをする以外に乗るすべがない)というありさまだったので、キナンゴへ出るのも、青い芯に戻るのも、基本徒歩を覚悟するしかなかった。というわけでキナンゴの町に買い出しに出る都度、キナンゴからさらに徒歩1時間弱の、カタナ君の生まれた「すっぱい」村に宿泊していた。そこでカタナ君から紹介されたのがカリンボさんだった。私も青い芯でムァニョータ氏族に編入させてもらい、そこでカリンボという名前をもらっていた。同じ名前をもつ者は互いをソモ(somo)と呼ぶ親密な関係になる。カリンボさんはカタナ君の分類上の祖父(tsawe)であり二人は互いにいわゆる「冗談関係」にたつ者(muhani)どうし。というわけでこの時期から、その後カリンボさんとメバカリさん夫婦は、お二人が同じ年にお亡くなりになるまで、私にとって気安く付き合える最も貴重なお話し相手だった。特に人前で口にすることがはばかられるマトゥミア(matumia39)の慣行について、大笑いしながら話せるのはカリンボさんくらいのものだった。太鼓(ngoma)の名手で、憑依霊の施術師でもあった。
39 マトゥミア(matumia)。地面の上での手を使わない一回きりの無言の性行為。ドゥルマにおいてはマトゥミアはさまざまな機会に執り行われねばならない。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第8章〕
40 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka41)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
41 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
42 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele43)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo48))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
43 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)44であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
44 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba45)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)46や母(女性施術師の場合)47ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
45 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
46 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」44を参照されたい。
47 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」44を参照されたい。
48 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをkuhatsa42と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、kuhatsaの手続きがしばしば挿入される。
49 ムァハンガ(mwahanga)。憑依霊「ハンガの人」。ハンガ(hanga)とは死者の埋葬の後に行われる服喪のこと。ムァハンガはムセゴ(musego)という別名ももつが、ムセゴ(musego)とは埋葬時、およびその直後の「生のハンガhanga itsi」で歌い踊られる卑猥な歌詞の歌。ムァハンガに取り憑かれた者は、平時においてもムセゴを歌ったり、義理の両親(mutsedza)や長老の前でも猥褻な言葉を口走ったりする。女性の産む子供を殺すので、しばしば除霊(kukokomola6)の対象にもなる。バナナの茎(mugomba)を芯にして泥で人形を作り、それを用いて除霊する。また白い雄鶏を屠殺し、その血を患者に飲ませる。泥を掘り出した盛り土にはこの人形に合う墓を作っておく。人形は死体のように白い布に包まれて患者の脚の上に置かれ、カヤンバが打たれる。除霊の後、泥人形はその墓に埋葬される。
50 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ただ、当時使用していたデータベースソフト(1990年の時点では管理工学研究所の「桐」)の仕様で、改行のないテキストになっているため、改行を適宜挿入した。ドゥルマ語がそのまま使われていたりして、私以外には読みづらいものであるが、フィールドノートそのものの記述に手を加えるのは避けたいので、ドゥルマ語箇所は注釈の形で補足説明する。セクションごとの表題は、ウェブページ化する際に追加。使用している訳語などは当時のまま訂正せず。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけられたドゥルマ語書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。フィールドノートにはないウェブ化に際して付した注釈はフォントサイズを下げて括弧でくくった。
51 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri52)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira53)」と呼ばれることもある。
52 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
53 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ54の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(51)、カヤンバ(54)と同じ意味で用いられる。
54 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti52)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、これらの催しを単に「歌(wira53)」と呼ぶこともある。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
55 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
56 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)57との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
57 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza33)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる58。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている59。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
58 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供59がある。瓢箪子供の各部の名称については、図61を参照。
59 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供58。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神57がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande28)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料27)、血(ヒマ油60)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
60 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
61 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。各部の名称については次図を参照のこと。
62 ズニ(dzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui63)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni19)」、「上の霊(nyama a dzulu20)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola6)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。子供が取り憑かれて引きつけを起こすからである。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
63 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu20)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola6)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa5)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni62)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
64 サファリ・タヤリ。「出発準備完了!」
65 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani66もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞67)という言葉が最も一般的に用いられる。
66 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
67 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o65)、シェターニ(shetani66スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini7)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa5)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola6)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani68)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba23)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara69)」の2つに分ける区別もある。
68 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba23)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
69 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
70 ニュキ(nyuchi)。「ミツバチ」「ハチミツ」。高い木の枝にムヮト(mwat'o, pl. miat'o)と呼ばれる両端を塞いで一箇所穴をあけた木製の筒状容器を仕掛けて、巣箱とし蜂蜜を採集する。シェラやライカ、デナ、世界導師、憑依霊ディゴ人や女性の憑依霊ドゥルマ人(カシディ)などの瓢箪子供には「血」として蜂蜜を入れる。
71 ルリミ(lulimi)。「舌」を意味する名詞。ndonga(瓢箪)の栓の瓢箪内部に入っている部分もlulimi舌と呼ばれる。瓢箪子供の各部の名称については図61を見よ。
72 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
73 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
74 ムドゥルマ(muduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性75)、カシディ(kasidi 女性76)、ディゴゼー(digozee 男性老人77)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
75 憑依霊ドゥルマ人(muduruma74)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
76 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma74)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
77 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo78)マンダーノ(mandano79)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
78 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
79 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
80 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)81、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす83)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku85)、おしゃべり女(chibarabando86)、重荷の女(muchet'u wa mizigo87)、気狂い女(muchet'u wa k'oma88)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma89)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo90、長い髪女(mwadiwa91)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba45)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
81 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri82)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ30を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
82 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza81と呼ばれる手続きもある。
83 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo84)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
84 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
85 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera80)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
86 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera80の別名の一つ
87 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ80の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
88 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ80の別名ともいう。
89 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera80)の別名の一つ。
90 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ80の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo73)の女性であるともいう。
91 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
92 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' 鳶のような模様の毛色(白、黒、茶が入り混じった)の鶏など。
93 ズカ(zuka)。ズカ・ラ・キペンバ(zuka ra chipemba)、ズカ・ラ・キカウマ(zuka ra chikauma)等の種類がある。母親にとり憑き、その子供を病気にするニューニ(nyuni19)あるいは「上の霊(nyama wa dzulu20)」などと呼ばれる、鳥の霊の一種。子供の病気の治療には、憑依霊の施術師ではなく、ニューニ専門の施術師が当たるが、ニューニの施術師になるためには憑依霊の施術師のように霊との特別な結びつきが必要なわけではなく、単に他のニューニの施術師から買うことでなれる。ズカが女性が生む子供を次々に殺してしまうといった場合には除霊(kukokomola6)が必要となる。除霊を専門とする施術師がいる。除霊にはズニ(dzuni62)等と同様に泥で作った鳥を形どった人形を用いるが、ズカの人形は嘴が短い。白い鶏、赤い鶏の2羽がキリャンゴナ(chiryangona72)として必要。
94 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)81」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena95が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee77)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande28には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
95 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari94)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande28)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
96 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi97)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka98) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri82)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi18など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo99,laika mukusi100など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe101, laika ra nyoka101, laika chifofo104など。(4) その他 laika dondo105, laika chiwete106=laika gudu107), laika mbawa108, laika tsulu109, laika makumba110=dena95など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze33)で薬液を浴びる、護符(ngata30)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza81)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
97 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
98 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
99 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
100 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
101 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira102)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka103)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
102 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
103 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
104 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
105 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi97)の別名ともいう。
106 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
107 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
108 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
109 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
110 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena95)の別名。
111 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
112 ク・コタ(ku-k'ota)。(強い力を加えて)何かを「詰め込む、押し込む、打ち込む」などの動作を指す動詞。比喩的に何かを固定する、動かなくする。妖術の一種で"ku-k'ota muche"というと、妻が去ることができないようにする妖術。妻の足跡の土と腰を下ろしたところの土を取り、「薬muhaso」と混ぜ炉石の灰の下に置くと、彼女にどんな仕打ちをしても、彼女は夫の元を去ることができないという。
113 ハイ(hai)。相手が目上、あるいは複数の場合はハイニ(haini)となる。誰か、あるいは事態を沈静化したい思いを伝える間投詞。OK、とか Be coolといった感じ。憑依霊への語りかけのなかで頻繁に発せられる。私は「穏やかに」と訳することが多いが、ちょっと工夫が足りない気もする。「ヨシ」、「よしよし」が良いかも。
114 サラマ(salama)。スワヒリ語で形容詞としては「平安な」「安全な」「平和な」、名詞としては「平安」「健康」。さまざまな唱えごとで、締めくくりの言葉として使われる。salama salamini「平和に、そして安全に」とでも訳せるかもしれないが、唱えごとの締めの決まり文句として、「サラマ、サラミーニ」とそのまま音表記する。
115 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga)も、同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。
116 フンディ(fundi, pl. mafundi)。「職人、匠」。一般に特定の技術にたけた専門家を指す。憑依霊の治療の際に、フンディと呼ばれるのは太鼓やカヤンバの奏者や歌い手、施術師の助手たちだが、癒しの術の施術師自身もフンディという言葉で指されることがある。「匠(たくみ)」という訳語に統一しようかと思う。
117 この歌は通常ムルングの歌とされているが、別の機会に憑依霊ディゴ人の歌として歌われたものに酷似している。
118 ク・チェムカ(ku-chemuka)。「煮える、煮え立つ」を意味する動詞だが、ンゴマ(カヤンバ)の場で憑依にはいった状態を指すのにも用いられる。肩を上下に激しく揺すって踊ることをク・チェムラ(ku-chemula)と呼ぶこととも関係しているかもしれない。こうした憑依の最初の兆候をムチェチェムコ(muchechemuko119)と呼ぶが、これもこの動詞に由来。同じ兆候はまた、動詞ク・ディディムカ(ku-didimuka41)を用いて言及されることもある。ンゴマやカヤンバの席では、ク・ヴィナ(ku-vina)字義通りには「踊る」も、憑依状態に入っていることを指す(実際にも踊っている)。憑依状態に入ることそのものを指す言葉にはク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa40)がある。この動詞には受動態以外の形が存在しない。
119 ムチェチェムコ(muchechemuko)。「煮え立ち」。憑依のコンテクストでは、カヤンバやンゴマでムウェレ(muwele43)が示す最初の憑依の兆候に言及するのに用いられる。動詞ク・チェムカ(ku-chemuka118)「煮える」に由来。同じ状態は、動詞ク・ディディムカ(ku-didimuka41)、ク・デデムカ(ku-dedemuka)(木々がいっせいに芽吹く様、鳥が驚いていっせいに飛び立つ様を指す動詞)によっても指示される。
120 キマコ(chimako, pl. vimako)。「人を驚かせること・もの」動詞 ku-maka 「びっくりする、驚く」より。しばしばチャムノ(chamuno)と同様に、病気の主症状を指すのにも用いられる。
121 ンズガ(nzuga)。三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
122 ハヤ(haya)。「恥じらい、慎み深さ」。それがないことは「恥知らず、はしたない」こと。「はしたない」口ききをすることは、ク・ハカナ(ku-hakana)という動詞で表される。ク・ハカナには罵倒なども含まれるが、性に関する事柄を口にすること、排泄行為に言及することなど、人前では口にすべきでない話題を口にすることなどが含まれる。占い師や施術師は、しばしばこうした話題に言及するので、その都度、自分は恥知らずだ(tsina haya)と明言する。
123 ムサンブェニ(Musambweni)。モンバサ以南の海岸部の中程にある町。ディゴ人が多く居住する地域。
124 ドゥグ(dugu)。擬音語、忙しく動き回っている様、忙しげに走っている音。重ねてduguduguという形でも用いる。動詞ク・ドゥグザ(ku-duguza)「奔走する、しのぎ合う」はここから。ザガダ(zagada)、ザガ(dzaga)も同じ意味で用いられる擬音語。
125 特定の親族関係においては、心に抱いた怒り(ムフンド(mufundo)という特別の名前で呼ばれる)が、怒りの対象に対して(本人に危害を加える意図がまったくなかったとしても)さまざまな災いをもたらすとされている。父、あるいは母から子供へと言う方向が一般的だが、夫婦の間でもそれはあるという。それを解除するのがクハツァ(kuhatsa42)と呼ばれる行為で、怒りを感じた者に対して、自らの感じた怒りについて言葉に出して語り、「もはや悪い言葉はもっていない」と宣言して、水を口に含んで(あるいは唾液のみでも可)、相手の口の中(あるいは胸)に吹きかける。自分にはまったく心当たりがなくても、相手が求めてくればそれを解除する行為をすすんで行わねばならない(そうしないと、今度は、あからさまに相手の不幸を望んでいるととられる)。その場合は、心当たりがないので、何も口に出して語ることはできない。そんなときには、自分にはもう何も悪い言葉はないと宣言だけして、水を口に含んで相手の胸に吹きかける。さらには相手の胸にはかけず、自分の胸に対してだけ吹きかける行為ですませることもできる。
126 ズミラーニ(zumirani)。解釈が難しい単語。動詞 ku-zuma「拒絶する、退ける」のprep. ku-zumiraからの派生と考えるべきか、「大きな歌声」を意味するzumiroに由来すると考えるべきか。Katanaくんも判断がつかないという。とりあえず後者の解釈をとる。
127 カヤ(kaya)。カヤとはミジケンダの諸集団がガラ人やムクァヴィ人、マサイなどの牧畜民の襲撃に備えて、海岸にそった山脈に19世紀まで形成して暮らしていた要塞村のことである。今日ではいずれも深い森林になっている。ドゥルマでは、今日カヤは機能していないが、カヤの森の木は伐採してはならないという禁止がある。いくつかの父系氏族は1950年代くらいまでは、かつて死者はカヤに埋葬していたと主張する。またカヤの中では長老の集会がそこで行われ、人肉を食べていたと語るものもいるが、かつての最上位年齢組の長老たち(ngambi)の集会について、こうした誤解をしているだけだろう。隣接するギリアマではカヤは儀礼場として機能しているとも言われる。ディゴ語ではカヤ(kaya)という言葉は、こうした意味での他に、単に「家、屋敷」(ドゥルマ語ではムジ(mudzi, pl.midzi)に当たる)の意味でも用いられている。
128 ムケベ(mukebe, pl.mikebe)。「空き缶」を意味するが、空き缶は水を飲むコップとしてよく用いられているので、「コップ」という意味にもなっている。同じくコップとして用いられている空き缶を指す言葉に、ムコポ(mukopo, pl.mikopo)、その小さいものを指すキコポ(chikopo, pl.vikopo)がある。
129 後日カリンボさんから受けた説明によると、この後白い布にくるまれていた泥人形は、それを作成するにあたって土を掘り出した場所に持っていき、そこにできていた穴に「埋葬」されることになっていた。この作業を助手に命じていたものと解釈される。
130 マイェ(maye)。鳴き声の擬音語、日本語の「エーン」に当たる。ドゥルマでは子供は泣く際に実際に「マイェー、マイェー」と泣く。あるいは、大人でも愕然としたときや、ひどいと感じたときに嘆息しつつ「ああ、マイェ、マイェ、マイェ」と呟くように発する。「あれまあ」「そんな、そんな」という感じか。
131 ンブー(mbuu, pl.mbuu)。「オーカー ochre」赤色の彩色に用いる酸化鉄を含んだ赤い粘土。水を少量加えて擦り、赤い模様を描くのに用いる。黒は炭で、白は灰、トウモロコシ粉などを用いる。
132 デデ(dede)。「姉妹」に対する呼称。姉妹は互いをデデと呼びあう。女性が同年輩者や親しい女性に対して親しみを込めて呼ぶときにも用いられる。
133 ファラシ(farasi, pl.farasi)。スワヒリ語で「馬」。ドゥルマでもそのままこの言葉を用いる。憑依の文脈では、とりわけイスラム系の憑依霊が、宿主の身体のかわりに滞在する依代(という訳語を使って良いものか、躊躇いはあるが)。憑依霊は宿主のところにやってくると、もしこうした場所が用意されなければ、宿主の身体のどこかに腰を下ろしてしまう。そうすると宿主は身体に苦痛を感じる。病気とはこうした形での憑依霊の到来である場合もある。というわけで、憑依霊が滞在する場所を用意してやることが、治療の一部となる。通常、こうした場所は「椅子(chihi134)」と呼ばれるが、具体的には施術師が患者に作って身に付けさせるピング(pingu)、ヒリシ(hirizi,herizi)、パンデ(pande)、ンガタ(ngata)など、とりあえず護符とでも呼んでおくが、こうした身に付けるなにかである。憑依霊はやってきたらこれらの椅子に座って、患者の身体に座らないので、患者は苦痛を感じずに済むのである。憑依霊を追い返すのではなく、むしろ迎え入れ滞在させてあげるものなので、魔除けを連想させる「護符」という言葉は不適切なのだが、あいにく代わりの言葉がない。それに対して、患者の「外」に憑依霊の滞在場所を確保する場合が「馬」である。鶏やその他の家畜が「馬」として差し出されると、憑依霊は患者の身体に座るかわりにその「馬」にまたがってくれるわけである。必ずしも生き物であるわけではない。除霊などの際に用いられる泥人形も「馬」と呼ばれることがある。
134 キヒ(chihi, pl.vihi)。「椅子」を意味する普通名詞だが、憑依の文脈では、憑依霊に対して差し出される「護符29」を指す。私は pingu、ngata、pande、hanzimaなどをすべて「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防・治療になる。カヤンバのときにも、椅子に座るよう説得することで、憑依霊が別の憑依霊を妨害することを防ぐことができる。同様な役割を果たすものに「馬(farasi)」133がある。
135 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
136 ングオ(nguo)。「布」「衣服」の意味。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。多くはカヤンバなどにおいてmuwele43として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
137 ムガイ(mugayi, pl.agayi)。憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは動詞ク・ガヤ(ku-gaya)に由来する。ク・ガヤは「困っている、難儀している」を意味する動詞だが、主として物が不足して困っている状態を指す。「困窮者」
138 ク・ムヮヤ(ku-mwaya)はディゴ語でドゥルマ語のク・ムァガ(ku-mwaga)に同じ。「撒く、溢す」の意味。
139 ここでは人名らしい。続く動詞の主格接頭辞が三人称単数になっているから。普通名詞としてのmadiwaは長い髪(diwa)の複数形である。「長い髪の人mwadiwa」は憑依霊sheraの別名。というわけで複数の解釈が可能であるが、ここでは単純に人名とした。
140 ガフラ(gafula)。「突然,急に,すばやく」(ス)ghafula に同じ。「突然のカヤンバ(ンゴマ)kayamba ra gafula」は前もって開催を予定しておらず、急遽開かれるカヤンバ54のこと。詳しくはカヤンバの種類参照のこと。
141 ク・デデムカ(ku-dedemuka)。急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
142 ムユワノ(muyuwano)。動詞ク・ユワナ(ku-yuwana)「多くの人々が勝手にいっせいに話をする」を意味する動詞に由来。憑依のコンテクストでは、多くの霊がやってきて混乱させられている状態を指す。
143 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ19と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo144の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
144 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
145 mudzatsaとの書き起こしもあるが、いずれも誤記と思われる。他のシェラの歌に登場するのは dzedza146。ドゥルマでは"dzedza"はツユクサの一種commelina forskaolii,あるいはcommelina africanaの名前。同じ草木はギリアマではdzadzaの名で知られているのでギリアマ名が紛れ込んでいるのかも。
146 ゼザ(dzedza, pl.madzedza)。ツユクサの一種。commelina africanaまたはcommelina forskaolii。憑依霊シェラ80の草木。また母系氏族が管理する壺キフドゥ(chifudu)による治療にも用いられる草木。
147 ムジェンガツォンゴ(mujenga tsongo)、ディゴ語で muzengatsongo。 Antidesma venosum(Maundu&Tengnas2005:104); コミカンソウ科; 果実は可食、根は有毒。ライカ(laika)、シェラ(shera)の草木