ムァナコンボの「嗅ぎ出し」治療(under construction)

目次

  1. 概要

  2. 日誌より抜粋

  3. 主な参加者

  4. 施術の背景

  5. 施術の進行

  6. ドゥルマ語テキスト日本語訳

  7. 考察・コメント

  8. 注釈

概要

チャリは、1989年に施術師NyamawiとMwakaによって、シェラ、ライカ、憑依霊ディゴ人の3人の霊を「外に出し」てもらっている。しかし、病気はますます深刻になり、この「外に出す」施術が失敗していたと考えるにいたった。私が帰国後、別の施術師によって再度同じ憑依霊たちについて「外に出し」てもらうが、チャリの話によると、これも失敗した。そして1991年11月にMwainziとAnzaziの施術師夫妻によって、これら3人の霊に対する三度目の「外に出す」ンゴマを受けた。三度目の正直というか、このンゴマは成功したみたいだった。このンゴマ後の初「嗅ぎ出し」は翌月12月14日の瓢箪子供を差し出すカヤンバのなかで行われた「嗅ぎ出し」だが、大成功のうちに終了。その後「嗅ぎ出し」はチャリの得意分野のひとつになった。

「嗅ぎ出し」は、「外に出す」カヤンバや「瓢箪子供」カヤンバ、「重荷下ろし」など、さまざまなンゴマ(カヤンバ)の構成要素としても組み込まれているが、もちろん単独でもなされる。おそらくそちらのほうが多いだろう。ここでは「嗅ぎ出し」をメインとするカヤンバの中でも、私がわりと真面目に記録しようと頑張ったカヤンバの一例として、1992年の9月にチャリが、自分のかつてのムテジ(muteji1)であった女性のために実施したものを紹介したい。参加者はほぼ、チャリ夫妻と彼らの施術上の子供(現/過去)および、その親族関係者であるので、内輪のカヤンバと言ってもよいだろう。そのお陰で、他のカヤンバの場合にはできなかった、小屋の中でのフラッシュを使っての写真撮影にも許可が出た。

この事例では「嗅ぎ出し」のやり方がかなり詳細にわかると同時に、一人の施術師の施術上の子供たちとの関係、子供たちどうしの人間関係などの問題も垣間見える事例となっている。

日誌より抜粋

(from diary of Sept. 26(sat), 1992, kurimaphiri)17

...9:00チャリが行うkuzuzaを見に出かける。すでに何人かが集まっている。チャリとkayamba14の調達に出かけ、私自身もkayambaを一つ手に入れる。良くできたkayambaで、よく鳴る。12時前にkayamba開始。しかしmuwele18のMwanakomboのkuphunga19が延々続き、なかなかkuzuzaに出発しない。チャリとムリナはkayambaの場に常駐せず、頻繁に小屋に引っ込んで準備作業やっている。Mueleは頻繁にgolomokpwa55したが、....(浜本注チャリの代わりに)Mwa...ti57がいろいろ世話をやく。....muweleはgolomokpwaするとしばしばkayambaの場を離れて歩き出したり、小屋まで泣きながらチャリやムリナを迎えに行ったりする。 kuzuza自体は16時前に始まる。chiza cha photsi58のところでチャリをkuphunga19し、川に向かって出発。チャリは直前まで足が腫れて、普通に歩くのも痛そうにしていたのに、いざkuzuzaが始まると、この年に始まった新技の焼けた炭の上を飛び跳ねる火渡りまでして、例の飛び跳ねるような軽やかな歩調で川に向かって走り出す。川のどこに入るのか、行ったり来たりし、一度は入ってもまたすぐに出たりで、ついていくanamadzi16たちもたいへんだ。結局いつものpanga59のあるところに行き、終了。 今回は小屋の中に入ってからの手続きに重点を置いて写真も撮影。...6時前に皆でチャイとマハムリを食べて終了。160シルの料金は、施術師とanamadziたちで半々に折半する。

主な参加者

  1. 患者(ムウェレ(muwele18)): Mwanakombo(「ジャコウネコの池」村以来のチャリの施術上の子供であり助手(muteji1)であったが、その後、疎遠になっていた。彼女はまた、チャリの夫ムリナの姉妹の娘でもあった。

  2. 施術師: Chari wa Malau60

  3. 助手その他の参加者: Mwanakomboを「扇ぐ(kuphunga19)」する際に、チャリに代わってムウェレを世話する助手は、「ヒツジの場所」村のMwa..tiさんだった。今回チャリの娘のMuchenzalaも初めて助手として活躍した。カヤンバ奏者や食事の用意は全てチャリの施術上の子供たちとその家族(子供たちとか)が務めた。観客にはそれ以外の地域住民の姿も見られた。

施術の背景

カヤンバ開始後にムウェレが一向に憑依状態にならないことから、チャリとムリナがそれぞれ行ったクハツァ(kuhatsa109)の唱えごとからもわかるように、ムウェレのムァナコンボはチャリたちが「ジャコウネコの池」にやって来た当初からの、最初の「施術上の子供」の一人であり、もう一人の「子供」とともに、チャリの施術に遠方まで同行するなど、良好で親密な関係であった。が、どういう理由でか(おそらく自分たちの病気に対するチャリの施術の効果に不満をもって)離反し、別の地域(異なる民族集団)の施術師を頼り、そこで施術師として独り立ちしたらしい。チャリのところには寄り付かなくなった。その後、自分たちの病気は憑依霊のせいではない、自分たちには憑依霊はいないと主張し、妖術系の治療を求めるようになった。ムリナは妖術系の施術師だが、ムリナに治療を求めず、ムリナはそのことに憤っていた。結局は、病気は良くならず、どうしようもなくなって再びチャリのもとに助けを求めてきたというのが事情である。今回の原因は、占いでは患者はライカにキブリが奪われたせいだということで、クズザの施術が中心であるが、カヤンバの席でも明らかになるように、彼女は内陸系、海岸系双方の多くの霊をもっており、チャリはムァナコンボの主症状の一つである腹部膨満が憑依霊ドゥルマ人のせいではないかと強く疑っている。さらに憑依霊ドゥルマ人が、イスラム系の憑依霊たちにムァナコンボの身体が蹂躙されるにまかせているために、ますます深刻な状態に陥ったと。クズザに取り掛かる前に、かなり念入りに多くの憑依霊のためのカヤンバを演奏したのは、こうした事情を反映している。 あくまでも中心がライカによるキブリ誘拐に対するキブリ戻しであるため、イスラム系のジャンバ導師に激しく憑依された際にも、ムリナはイスラム系の霊たちに、この日の趣旨を説明し道を譲ってくれるよう祈願している。

施術の進行

(from the fieldnote of Sept.26(Sat), 1992)111 場所: 「的中しただろうに」村のムリナの屋敷

kuphunga muwele before kuzuza

12:00 kayambaの用意始る muwele18、小屋から芋虫行列で連れ出され、席につく
「池」の前に着席するムウェレ。「池」は搗き臼ではなく、大きなプラスチックの洗面器。

12:25 ubani112で燻す mafufuto113 ga muzukani26 で燻す short makokoteri115 日本語訳(DB 5342)

12:30 kayamba開始 mulungu1194曲 日本語訳(DB 5343-5347)
12:43 チャリ、kuhatsa109 ←Mwanakomboが憑依状態にならないため Chariの初期のateji1たちとの関係と不和について言及 日本語訳(DB 5348-5350) コップの水を口に含んで患者に吹き付ける 続いてMurinaがkuhatsa ムリナ風アラビア語でmakokoteriすると、Mwanakomboぶるぶる震え始める 日本語訳(DB 5351-5352) 12:50 Mwarabu125 演奏開始 日本語訳(DB 5353) muwele少し震えるが、憑依とはみなされない

12:55 Mwarabu 2曲目 日本語訳(DB 5354) Murina、muweleが踊らないので、kuphendulaを始める 日本語訳(DB 5355) Mwarabu 2曲目再開、 muwele yugolomokpwa126 and start kuvina127. Murina&Chari 小屋の中に入って準備作業しているが、Muwele泣きながら小屋の中に入り、Murina&Chari、Muweleをkayambaの場に連れ戻す。

13:00 jamba 演奏開始。 日本語訳(DB 5356-5358) 2曲目で激しくgolomokpwaし、再び泣きながら小屋の中に。Murina外に連れ出す。 Mwanakombo 激しく踊り、後ろに倒れかかる
13:10 Murina、makokoteriする 日本語訳(DB 5359-5360) 13:15 Chitsimbakazi78 日本語訳(DB 5361-5364) 13:22 Masai128 日本語訳(DB 5366-5374) Mwanakombo、golomokpwaし、vuo7の水を撒き散らす。 激しく腕を振り回しながら踊る
13:36 Musambala131 日本語訳(DB 5375-5379) Jine mwanga50 日本語訳(DB 5380) Mukpwaphi132 日本語訳(DB 5381-5382)

13:48 Gojama48 日本語訳(DB 5383-5384) 白い布 Mwanakombo、golomokpwaして泣きながら歩き出す 我が子を追い回し捕まえようとする 子供たち、および子供をおぶった女性たち、あわてて逃げる (Gojamaは子供の血を吸うとされる) Mwanakombo泣きながらムリナに連れ戻される 激しく踊る 全員立ち上がる。女たち踊りまくる。 Mwanakombo、vuoの水を浴びせかけられる。 Mwanakombo、皆にvuoの水をかけて回る この間、チャリは姿を消し、患者の世話をmutejiの女性にまかせっきりだった。

14:10 Ichiliku100 日本語訳(DB 5385-5387) 14:20 muwele 自分の子供を無理やり捕まえ、裸にしてvuoの水で洗う。 子供おびえて激しく泣く。 一方、ムリナは chiza cha mwalimu dunia133 の用意をしている。 地面に杭を4本打ち、その上に白い磁器の器をのせる。器は水で満たし、中に白いペレメンデ134を入れる 世界導師のキザ
灰で作った団子(mikahe ya ivu135)7個用意される。

14:30 kuzuzaする用意がまだ整っていないという

14:35 mudigo105 日本語訳(DB 5388-5390) 14:43 muduruma67 日本語訳(DB 5391-5396) muwele 激しくgolomokpwaし、泣く。Chariを探して小屋に入り込み、連れ戻される。Chari彼女に対してmakokoteri(only partially audible because of the loud sounds of makayamba) 唱えごと日本語訳(DB 5397-5398) ドゥルマ人の歌続き日本語訳(DB 5399-5401) 終了後の会話日本語訳

ku-zuza 開始

15:05 チャリ、chiza cha photsi58 の前に座り、anamadzi16たちにndonga124 (mulunguの)の中身をこすりつけてやる カヤンバ再開 pini136の歌 日本語訳(DB 5402)
15:22 laika77 日本語訳(DB 5403) mwingo140を持って立ち上がる。 chiza cha photsi の中に足をつっこむ 焼けた炭をもってこさせて、それを踏む 小屋の周りを一周し、chizaに戻って、vuoの水をmwingoであたりに撒き散らす 焼けた炭を踏みしだく チャリ、自ら歌を先導し、しきりと大きなため息をつく Hofwi 再び立ち上がり、小屋の周りを時計回りに一周。 Murina、anamadziたちにkufinywa141のndongaの中身を塗ってまわる 喉元と右目の下
15:29 左手にshera74のndonga144、右手にmwingo sheraのndongaをMek...(one of muteji)に渡し、kufinywaのndongaをもつ ペレメンデ134の水145を数人の顔に撫でつける

15:31 another song of laika77 (led by Chari、unrecorded) kuzuza 出発!!
出発準備完了!
15:59 キラジニ川の淀みに到着
(チャリ、憑依霊ディゴ人の肩掛けをムテジの一人に渡して水の中にじゃぶじゃぶ入っていく) 水中で k'uk'u mweruphe146 のkutsinza147 laika mwendo83 を激しく演奏しつつ 白鶏kutsinza147、血は水中に撒かれ、鶏も投げ捨てられる 水中から泥、matoro148、水草の根などを採取し、布に包んでもちかえる 屋敷に向かって出発!!
16:15 屋敷に戻る 小屋の周りを反時計まわりに2回周回し 小屋の中に後ろ向きに入る muweleを寝かせたまま、ndongaで各関節をkubusa149 mulunguの布を仰向けに横たわっているmuweleの上に数人でもって広げ、とってきた泥等を入れて、上からバケツの水をかける muweleを座らせて、同様の仕方で、同じく大量の水をかける ムリナ、チャリ、患者の前後に立って、交代で患者の背中側から布をkutimvya150して風を送る カヤンバ演奏終了、laika 歌のみのなか 子供4人を使って、kufinywa141のndongaの中の黒いmuhasoをもたせ、muweleの各関節に擦り込ませる ライカの歌2(DB 5404) Muchenzalaにngata151を持たせ、後ろ向きに立たせて、3回患者の名を呼ばせる。 患者が三回目に呼び掛けに応えると、mwana hiye152 と言って ngataを患者に渡す。 ngata手渡し日本語訳(DB 5405)
その後、Muchenzala 患者にngataを結んでやる。

16:45 終了 Muchenzala 患者の両手の小指をとって立ち上がらせる。患者、手足を順番に kutsuphaする
17:15 チャイを飲んだ後、k'uk'u mwiru146 をmuweleの頭にのせてmakokoteri 唱えごと日本語訳(DB 5406-5407) 完全終了

書き起こしテキストの日本語訳

(各段落の冒頭の数字をクリックすると、対応するドゥルマ語テキストに飛びます) ドゥルマ語書き起こしテキスト全文(DB 5342-5407)

5342 (小マワヤ、ムウェレに対し乳香を燻しながら唱えごと。以下のテキストは、この唱えごとを録音しようとしたものだが、唱えごと自体はほぼ、口のなかでもごもご聞き取れずに終わってしまい、周囲の女性たちの無関係な会話の断片が録音されている。)

Mwawaya mudide(Ml): キツィンバカジ78、憑依霊サンバラ人131、それから、なんとか母さん、彼ら... Mawaya muvyere(Mb): 列挙して、列挙して、すべての憑依霊をさ、おっさん。 Ml: グジャマ48、ニャグ153... Woman1(W1): あんたに言っとくけど、ここでのこの難儀。 Woman2(W2): あんたの子供をちょっとあっちに除けてよ。 Ml: なんて憑依霊だっけ、お父さん(Bekpwekpwe: Mlの父の弟)?一人の憑依霊がいるよね、いろんな場面で優先して彼女の身体の中にいないといけないっていう。 W2: 土をひっかくのはあっちでしてよ、私はこっちの方を向くから。 Woman3(W3): マハムリ(mahamuri15)用意するのにこの茣蓙がいるんだけど、人が座ってるのよ。ムボゼ(人名)!そっちの茣蓙をとってきて! W2: この茣蓙、マハムリ用なの? Chari(C): そっちの茣蓙でも寝ないでちょうだい。 Ml: お父さん(Bekpwekpwe)、もう少し入れてください。 Bekpwekpwe(Bk): どこに入れたらいいんだい? Ml: ここで(ムウェレを)布ですっかり覆ってくださいってば。上位夫人ですよ、この人は、あなた。 (Bk、ムウェレをムルングの布ですっぽり覆い、その中でムズカ(muzuka26)から採ってきた塵芥他を燻す。チャリ、ごく短い唱えごと) C: ムズカはこれです。ムズカの塵芥はこれらです。今、もはやムズカはありません、まったくありません155

5343 (ムルング子神の歌1) (solo)

私は苦しんでいますよ、ムルング 池にムルング子神がやって来る (chorus) ムルング子神、ウェー、ホーワー なんと池にムルングがいる 私は畏怖します、仲間の皆さん 池に癒やしの術がやって来る (solo) さあ行きましょう、ムルング子神、ヘー、私のキョウダイたち なんと池にマレラ(marera156)がいる 私は苦しんでいますよ、ねえ施術師の方々 池にムルング子神がやって来る (chorus) ムルング子神、ウェー、ホーワー なんと池にマレラがいる 私は畏怖します、仲間の皆さん 池に癒やしの術がやって来る

5344 (ムルング子神の歌2) (solo)

行きましょう、行きましょう、ねえムルング子神 行きましょう、ウェー 急いで行きましょう、ねえムルング子神 行きましょう、ウェー、ヘエエ 私(施術師)は大きな森に呼ばれています なんと主のいるムジジモの池157 主のいる池は、踏み込んではなりません そこに踏み込むのは、施術師たちだけ 行きましょう、行きましょう、ねえムルング子神 池に踏み込みに行きましょう (chorus) 同じ歌詞

5345 (ムルング子神の歌3) (solo)

私は登る、エエー、山に 私は登る、エエー、山に ニマユガ158の山 私はお母さんに呼ばれています、ねえ、ムカンガガ子神159 こころ(roho160)はびっくりした、ねえ、健康な年下のキョウダイ お母さん、いっしょに祈りましょう (chorus) 私は登る、エエー、山に、エエー 私は登る、エエー、山に ニマユグ158の山 私は妬まれています、ねえ、うんざりです さあ、いらっしゃい、皆さんムルングにお祈りなさい

5346 (ムルング子神の歌4) (solo)

カンエンガヤツリと言い争い、池、ホーウェー 睡蓮の池には事件がある 私は困窮している、思うに、池、あなた方の仲間よ 睡蓮の池には事件がある (chorus) カネンガヤツリと言い争い、池、ホーワー 睡蓮の池には事件がある 私は言い争いにおどろいている(nangalala)、池、あなた方の仲間よ、 睡蓮の池には事件がある (solo) 私はびっくりする(ninamaka)。それと言い争い、池、ヘエーお母さん 睡蓮の池には事件がある 言い争いは終わりますように、お母さん、思うに、池、ラー、ホーワー お母さん、睡蓮の池には事件がある (chorus) 私はびっくりする(ninamaka)。それと言い争い、池、ホーウェー 睡蓮の池には事件がある 言い争いは終わりますように、私は妬まれています、池、ラー、ホーワー 睡蓮の池には事件がある

5347 (ムルング子神の歌5) (solo)

ムルング子神、あなたは言う、縛られた者は あなたは言われる、解きほどいてください、ウェー ムルング子神よ、人々は尋ねます 縛られている者たちは、解きほどかれたのでしょうか (chorus) 口喧嘩ばかり、ムルング子神よ、あなたは言う 雨とともに、あなたは言う、解きほどいてください、ウェー ムルング子神、人々は尋ねます 縛られている者たちは、解きほどかれたのでしょうか

5348 (ムウェレであるムァナコンボは憑依される徴候を示さなかった。チャリが来て、彼女をクハツァ(kuhatsa109)する)

Chari(C): さて、このような時間にお話するつもりではありませんでした。私がお話するとすれば、それはムァナコンボのためです。ムァナコンボ、ムァナコンボといっても大勢います。だってあなた方憑依霊の皆様も子供を大勢おもちです、それはムァナコンボの一族についてもそうなのです。でもこの者はF...(父の名前)161の娘のムァナコンボです。母親はM...です。この子供(施術上の5)は、私が「ジャコウネコの池」に到来したときより、この者こそが最初の子供(施術上の)でした、それとMe...という名の者と。これらの子供たち(施術上の)を私は連れ歩きました、そして彼らも私を連れ回してくれました。たしか私の出身地(一族の暮らす地域)マリアカーニまでも。私たちはみんなで扇ぎに(kupunga19)行ったのです。私の施術上のお父さんを扇ぎにです。しかしながら、彼ら子供たちの異常さは、彼らの異常さは突然始まりました。彼らは言うのです。「私たちはもうこの人(チャリ)の癒やしの術には用はないわ。私たちは、ラバイ162へ行って、憑依霊を外に出してもらいましょう。」「さて、私たちがどこに何を外に出してもらいに行くにせよ、あちら(チャリのところ)なら、もう二度と行きません。」実際、あのMe...にいたっては、いまだにここに戻ってさえいません。 Woman1: それはMemb...ですよ。あなたのお仲間の。

5349 (チャリのクハツァは続く)

Chari(C): さて、この者、この者、この者が拒んでいる(yunazira164)ことはわかっています。でもこの者は施術上の子供という関係でもありますが、この者はムリナのムブヮ(muphwa165姉妹の子供)です。さらには、彼女はどうしたでしょう?彼女は戻って来たのです。その母のもとに戻ったのです。なぜならあなたのアブ(aphu166)ということは、あなたの母です167。私は、彼女のアブの妻で、しかも彼女のまさに施術上の母でもあります。たしかに、私は多くの言葉を浴びせられてきました。でも、私はそれに対し多くの言葉を返したわけではありません。... Bekpwekpwe(Bk): (別の女性たちに語りかけている)あなた方、お母さんたち、子供たちに授乳しにここに来たんですか? C: さらに、私が出身地マリアカーニを去ったとき、私はこちらに来てこの人たちがすでに施術師になっているのを見ました。だから、「この人は私の施術上のお母さんです」と言ってくれる人は、私は問題ありません。私のことを「このお母さんには、用がありません」と言うだろう人は、そもそも私は施術上の子供たちを頼ってやって来たわけではありません。私がやってきたのは、私自身の苦難が理由でした。でもチャリを施術師と語ってくれるだろう人は、私もその人を病人(私が治療してあげる人)だと話します。チャリは施術師じゃないと語るだろう人は、私にとっては病人ではありません。その人は(他の)施術師たちを求めればよいのです。だから私は、この者を再び自分で扇いであげることになろうというつもりはありませんでした。だって、私のところから去って、ラバイ人のもとで憑依霊を出してもらいに行ったのですから。 今日、この者、この人はムリナのムブヮです。私の施術上の子供でもあります。今、口が話すことを、ムルングは書き留めます。今、もし彼女が踊らないのが、私が今お話したその言葉のせいでしたら、私は確かにそれを話しました。でも私は理由もなくそれを口にしたのではありません。だって、私の方では彼女が私の屋敷を訪れることを禁じたりしなかったからです。私は、彼女を治療する施術師は彼らであれ、と申しました。でも、いつでも私の子供であることを、彼女がわかっていてくれますように、とも申しました。そして今日この日、彼女は戻ってきて、私は再び彼女を扇ぎました。

5350 (チャリのクハツァは続く)

Chari(C): 口(口にした言葉)は捕らえるものです。もし私の口が、書き留められ、捕らえたのだとすれば、今日今私は、ムァナコンボが踊り、治るように望みます。腹が膨満することは、なし。発狂することも、なし、あくまでもなし。なぜなら、彼女の分別(akili168)もまた、私が見るに、ろくでもない(mikojo mikojo169)。 (チャリ、水を口に含み、自分の胸とムァナコンボの胸に吹きつける) C: プッ、プッ、プッ。お前の糞便、あいつの犬(ともに罵倒語)!

(カヤンバ演奏者たち、憑依霊アラブ人の歌を演奏し始めるが、すぐに人々によって止められる)

Woman2: 笑ってるわね。彼にも水を吹いてもらって、言うべき言葉を彼女に与えてもらいましょうよ。むん、彼にも(水を)与えて、お父さん(施術上の)にも来て話してもらいましょうよ。お父さん、来て彼にも話してもらいましょうよ。 Chari(C): 彼に初めてもらわないと。彼こそ話すべき人なのよ。私は話さない。彼の方がてきめん(ムフンド(mufundo110)がその結果を引き起こす点で)なのよ。 Woman1: 彼の水をもって来てあげないと? Woman2: いいのよ。心(心臟(roho160))を生き返られせさえすればね。 Bekpwekpwe(Bk): 長老さん、おとなしくしてらしたですね。ついに立ち上がらされましたね。 Murina(Mu): 自分でもよく知らない罪で、刑に服しているのさ。 Man1: マリファナで禁固刑じゃないの? Bk: いやいや、おまえこそ今日行くことになるぞ。 Man1: お前さんもマリファナで禁固刑さ。 Woman2: さっさと口を(水で)満たして、終わらせておしまいなさいよ。 Woman1: 本当のことをお話しなさいね。

5351

Chari(C): だって、彼(ムリナ)こそ、まさしく彼女の「母」なんだもの167。だから、彼はすばやいのよ。(母親というものは)寝ている子どもが(寝台の上で身動ぎして寝台に敷いた革の敷物を)ガサガサ音をたてたら170、もう、私、私が見てくるわって(進んで動くものよ)。私だったら、私からはそちらには行かないわ。(困ったことがあるのなら)子供のほうが来るがいい。私にはここで癒やしの術をしなきゃならない謂れはないもの。 Murina(Mu): さて、私はお話します。こんな時間にお話しなかったことでしょうに。この狂気の人(mwavitswa)の人です。狂気の人とはムァナコンボです。ムァナコンボはずっと申し分のない、上々の子供でした。すばらしいことです。なのに、ムァナコンボには、この歯を生やしてきました(悪い評判がたってきた)。その歯、ムホゴ(muhogo, スワヒリ語でキャッサバ)畑を拓くこともなく、キャッサバ(manga)畑を拓くこともないその歯を。そこで私は申しました。この者がこのように独りで苦しみのたうち回るようにと。マジネ(majine27)を抜いてもらうやら、なにやら、ただ次々におやりなさいと。でも、その先には、「アブ(aphu166)のところに戻った方がよいかも」と言って、戻って来るでしょうと。そして彼女は、まさに戻ってきました。私はね、私のすることはただ、期待して眺めているだけ。今、彼女は戻ってきました。この者、彼女が、あちらで何を喋っていたかは私は知りません。私が知ったことは、私が今お話することです。この者は行って、自分には憑依霊などいないと、モノそのもの(vitu vyenye171)のせいだと言いました。でも今、彼女は今日、憑依霊のためのカヤンバを打ってもらっています。そして癒やし手は他の誰でも有りません。癒やし手はチャリとムリナです。今日、今、もしこの者の心(roho)が、今日、今私は扇いでもらいに行きましょうと信じているなら、さあ、私は彼女が踊ることを願います、たっぷり踊って彼女が治ることを願います。 池の皆さま方、今日、今、この昼、ただ今、彼女はチャリの子供、ムリナの子供です。今日、今、私が心(roho)と会話することは、なしです。私の仕事は、お話することです。私は心でお話ししていました。今日、今、私はこの口でお話しいたします。

5352 (ムリナは、口に含んだ水を自分の胸に吐きかけることで、クハツァを締めくくる)

Murina(Mu): プウッ。 さて、お前、心よ、冷えよ。フンド(fundo110)よ、股をつかめ。この者は私の子供だ。プウッ。この人は、私を恐れないね。

(ムリナは引き続き、ムァナコンボに対して「アラビア語」(彼独自の)で唱えごとをする。書き起こし不可能なため、省略。途中から、ムァナコンボ小刻みに震えだす。)

ムリナのアラビア語

Woman2: お父さんのムフンド(mufundo110)が捕らえたのね。プウッ。さあ、解かれなさい。(冗談) Man1: これは独身男たちのンゴマだね。(冗談)

(カヤンバ奏者たち、憑依霊アラブ人の歌を演奏開始。ムウェレは震え始めるが、人々はそれを憑依のサインとはみなしていない様子)

5353 (憑依霊アラブ人の歌1 kusuka172) (solo)

施術師たち、ご傾聴ください。 匠たち、ご傾聴ください、ウェー 施術師たち、なんと、ご傾聴ください 私は祖霊に祈ります 慈悲深いムルング、ウェー 癒やしの術の、ご傾聴ください (chorus) 上のパッセージを反復

5354 (憑依霊アラブ人の歌2 kutsanganya173) (solo)

ヨーヨー、アラブ人 私は神にいのります 預言者の書 病人、私は神に祈ります 預言者の書 憑依霊アラブ人、私は神に祈ります 預言者の書 病人、私は神に祈ります 預言者の書 (chorus) 上のパッセージを反復

5355 (ムァナコンボが憑依の徴候を示さないため、妖術の妨害があると判断され、ムリナは急遽クブェンドゥラ(kuphendula174)を試みる) (ムリナ、彼の薬(muhaso29)に対して唱えごと。前半は聞き取れず。)

Murina(Mu): ...フングヮ(fungbwa)、お前は洞窟に閉じ込められた(wafungbwa)、お前は妖術によって閉じ込められた、お前は死によって閉じ込められた、フングヮよ。今日、今、私は命じた。お前、ムユンボ(muyumbo)よ、夜に昼に揺り動かす者(uyumbisaye)よ、この者を下に降ろせと。今日、今、海にいる者を揺り動かす、洞窟にいる者を揺り動かす、池にいる者を揺り動かす。お前、ムシシムロ(musisimulo)よ、ムシシムロはお前だ、徹底的に興奮させよ(sisimula)。 (唱えごと終了) Mu: さあさあ!仕事に参りましょう! Man2: みんな「天に(mulunguni)/ムルングの曲に」戻るのかい?それとも、憑依霊アラブ人を続行するのかな? Mu: カリンボ!カリンボ!(私を呼んでいる。私はレコーダーとバッグを残して、小屋の後ろに用を足しに行っていた) Woman3: 彼なら、逃げて天に(mulunguni)行っちゃったよ、あの人は。 (憑依霊アラブ人の歌2曲目再開。今度はムァナコンボはすぐに憑依状態になる。ムリナとチャリは小屋の中でクズザのキリャンゴナ(chiryangona175)の準備作業で、その場には不在。私もムリナに呼ばれて小屋の中。憑依霊アラブ人の歌3曲目以降は録音できず。やがてムァナコンボが「お母さん、お母さん」と泣きながら、小屋の中に入って来る。ムリナとチャリ、彼女をカヤンバの場に連れ戻す。) (ムァナコンボ、激しく憑依。洗面器の薬液に突っ込もうとする) Mu: そら、行きましょう、行きましょう、行きましょう。 Woman3: その白い布を彼女から取り上げて。水がかかっちゃうわ。ムァナコンボから取り上げて。だめになっちゃうわ。 Chari(C): 浴びる池((ziya) ra koga)はこれよ、ねえ。

(人々は曲を憑依霊ジャンバ(jamba176)の歌に変更。ムァナコンボはますます激しく暴れ、ムリナが唱えごとを始める)

5356 (ジャンバ導師の歌1 ほぼスワヒリ語) (solo)

行きましょう、へえー 行きましょう、へえー 行きましょう 私は神(mungu)に祈ります 行きましょう、海のムァニュンバ(mwanyumba177) (chorus) 行きましょう、へえー 行きましょう、へえー 行きましょう 私は神(mungu)に祈ります 行きましょう、海のライオン (solo) 行きましょう (chorus) 私は神に祈ります 行きましょう、海のライオン (solo) 行きましょう、みなさん行きましょう、海に 乳房、彼の幸運(nondo bahatiye178) (chorus) 行きましょう、みなさん行きましょう、海に 乳房、彼の幸運

5357 (ジャンバ導師の歌2) (solo)

ヘエー そのジャンバ、あなた ねえ、お母さん、私はジャンバをつかんでしまった (chorus) お母さん、ジャンバ、ヘエー ジャンバ、お母さん、私はジャンバをつかんでしまった (solo) お母さん、ジャンバ、ウェー、ジャンバ導師 お母さん、私はジャンバをつかんでしまった (chorus) お母さん、ウェー、お母さん、ジャンバ、お母さん 私はジャンバをつかんでしまった

5358 (ジャンバ導師の歌3) (solo)

私は山に登ります ムココの木(mukoko179)の蛇を見るために (chorus) 私は山に登ります ムココの木の蛇を見るために

5359 (ジャンバで激しく憑依したムァナコンボに対する、ムリナの唱えごと。イスラム系の霊であるため、スワヒリ語でなされている。)

Murina(Mu): あなたのお仲間に道を譲ってください。あなたのお仲間を通してあげてください。あなたにも同様に調えて差し上げます。あなたが要求されている事柄を。あなたの事柄を。でも今日、この昼間は、私どもにはライカ(malaika77)たちのための事柄があります。でも、あなたは適当に満足されるような方ではありません。あなたの事柄を、入念に準備された、この上なく素晴らしい形でお目にかけるべき貴紳であられます。しかしながら、この瞬間より、私は丸太の上に御座す王、サンゴ礁(あるいは断崖)に御座す王にお話しいたします。どうか子供たちに場所をお譲りください。それらの事柄が終わりましたら、私どもはあなたの事柄に着手し、お望みのように調えて差し上げます。さあ、そこで7と70の扉をお開きください、そうです。全能の神の御慈悲とともに、そこで7と70の扉をお開きください。道を閉ざすこと、けっしてなし。足かせを着けることも、なし。縄で縛ることも、絶対になし。人はその声によって互いを敬いあう。声そのものが(人と人をつなぎ合う)縄のごとく、カンバイラ・カバイラ180。全能の神において、慈悲の心において、神と預言者に祈りましょう。イサララ・アリーフ・ワサラーム。 あなた方、匠(mafundi)の皆さま方全員、そこにはコーラン導師(mwalimu kuruani181)、ペンバ人導師(mwalimu mupemba61)、ジキリ導師(mwalimu dhikri182)、ジキリ・マウラーナ(zikiri maulana183)、ジネ・バハリ(jine bahari184)もいらっしゃいます。ジネ・バハリとともに御座しますのは、丸太に御座す者(mukalia magogo)。あなたメッカのスディアニ導師(mwalimu sudiani32)、メッカを徘徊する者、あなたとともに御座しますのは、天空に御座しますジャバレ導師(185)。あなたとともに御座しますのは、あなたメッカのスディアニ、メッカを彷徨する者、メッカのジャバレも同様です。さて、今、私は皆様に開いてくださいと申し上げます。完全に。もしこの後にあなた方の仕事があるということでしたら、私はあなた方に同様に調えて差し上げます、貴紳の皆様。しかしながら、今は、貴紳の皆さま方全員、どうかチャンスを差し出してください。各人、それぞれの場所に退いて、小者たちに道を譲ってやってください。

5360 (新たなカヤンバ奏者が到着してイスラム風挨拶)

Man4: さて、施術師の皆さん、ご傾聴ください(taireni aganga!)。 Men: ザ・ムルング(taireni に対する決まった返答) Man4: アサラーム・アレイクム Men: サラーマ、サラーマ (ムリナ、中断させられた唱えごとを続行しようとする) Murina(Mu): それゆえに、今... Man4: (スワヒリ語で)ご気分はいかが、皆さん。 Men: サラーマ、サラーマ。ようこそ匠。 (ムリナ、唱えごとを締めくくる) Mu: 皆様方、どうかここで7と70の扉をお開きください。そしてまたあなたの場所にお戻りください。私はあなたにこの上なく素晴らしく調えて差し上げるでしょう。隣人なるご主人の皆様。そしてまた、友であり、キョウダイであり、アマニ(amani「平安」ムリナ氏の施術名)である私が、正しく調えて差し上げます。ですから今は、どうか開いてください。ここで7と70の扉をお開きください。 (ムリナの唱えごと終了) Mu: さあさあ、カヤンバを続行してください。

5361 (キツィンバカジ(chitsimbakazi78)の歌1) (solo)

お母さんに呼ばれています 私はランギの後を追う ランギに会いに行くわ、ムイェムイェおばさん186 私には仕事がいっぱいある 私は池に足を踏み入れなくては 嫉妬する人は放っておきましょう 荒蕪地に仕事を見に行きます (chorus) 私はランギの後を追う、ヘエエ お母さんランギはどんな色、ヘエ、ムイェムイェ 私には仕事がいっぱいある 池に足を踏み入れなくては 嫉妬する人は掘っておきましょう 私は荒蕪地に仕事を見に行きます

5362 (キツィンバカジ(chitsimbakazi78)の歌2) (solo)

キツィンバカジは元気ですか、あの人は? ムブワ母系クラン187は紛争慣れしている 言い合いは厄介 ヒツジ(ng'onzi188)を出せと言われたよ、ウェー、ラッパ(nzumari)、私は姦通賠償(malu191)を支払いましょう 病気は、ムルングの病気です (chorus) キツィンバカジ、さあ、ウェー ムブワ母系クランは紛争慣れしている 言い合いは厄介 ヒツジが必要だと言われたよ、ウェー 我が子、私は姦通賠償をだせってさ 病気は、ムルングの病気です。

5363 (キツィンバカジ(chitsimbakazi78)の歌3) (solo)

キツィンバカジ、ムルング、さあ ムルングは池に何かをもっている、ウェー 私は苛められました、ンダワお母さん、ウェー ムルングにお祈りします 雨が降ったら、おんぶし合いましょう (chorus) キツィンバカジ、ムルングは池に何かをもっている、ウェー 私は苛められました、ンダワさん、ウェー 今は私のムルングにお祈りします ムルングは池になにかをもっている、ウェー 私は苛められました、ンダワさん、ウェー ムルングにお祈りします 雨が降ったら、おんぶし合いましょう

5364 (キツィンバカジ(chitsimbakazi78)の歌4) (solo)

あなたは私に言った 治りなさい 私は池でンゴマを打ってもらいました ウェー、我が子よ治りなさいな あなたに何の言うことがあるの? (chorus) ヘエエ、私はあなたがたに言いました、ウェー あなたは池でンゴマを打ってもらいました、ウェー 我が子よ、治りなさいな あなたに何の言うことがあるの?

5365

Mwanakombo(Mk): マサイの歌を打ってくださいな Man: マサイ? Mk: そうよ。 Man: そらごらん。そうした方がいいよ、御婦人。もう、おれたち疲れちゃったんだよ、御婦人。わかるね。 Man2: そんな風に注文してくれるムウェレはいいね。 Man3: なんと俺たちバッタを圧し潰すところだよ... Man1: マサイの歌はまだだね。じゃあ、マサイ行こう。 (曲名をクリックすると、その歌詞の和訳に飛びます。戻りはブラウザの戻りボタンで) 憑依霊マサイ人の歌1 kusuka 憑依霊マサイ人の歌2 kusuka 憑依霊マサイ人の歌3 kusuka 憑依霊マサイ人の歌4 kutsanganya 憑依霊マサイ人の歌5 kutsanganya 憑依霊マサイ人の歌6 kutsanganya 憑依霊マサイ人の歌7 kutsanganya 憑依霊マサイ人の歌8 kutsanganya 憑依霊マサイ人の歌9 kubita 憑依霊サンバラ人の歌1 kusuka 憑依霊サンバラ人の歌2 kubita 憑依霊サンバラ人の歌3 kubita 憑依霊サンバラ人の歌4 kubita 憑依霊サンバラ人の歌5 kubita ジネ・ムァンガの歌 憑依霊クァビ人の歌1 kutsanganya 憑依霊クァビ人の歌2 kutsanganya

Man: お前さん、ゴジャマを。その次はシェラだ。 Mawaya(Maw): 私はこんなふうな(演奏してほしい曲を指定してくれる)御婦人がいいね。本当のところ。 Man: (スワヒリ語で)降りておいで、降りておいで。 (ゴジャマの歌、演奏開始。ムァナコンボは憑依状態になり、自分の子供を追いかけ回す。チャリがカヤンバの場に呼び戻される。) ゴジャマの歌1 kutsanganya ゴジャマの歌2 kutsanganya (その後、シェラと憑依霊ディゴ人、憑依霊ドゥルマ人が演奏された。憑依霊ドゥルマ人ではムァナコンボは激しい憑依状態になり、チャリが彼女に対して唱えごとをした) シェラの歌1 シェラの歌2 シェラの歌3 憑依霊ディゴ人の歌1 憑依霊ディゴ人の歌2 憑依霊ディゴ人の歌3 憑依霊ドゥルマ人の歌1 憑依霊ドゥルマ人の歌2 憑依霊ドゥルマ人の歌3 憑依霊ドゥルマ人の歌4 憑依霊ドゥルマ人の歌5 憑依霊ドゥルマ人の歌6

5366 (憑依霊マサイ人の歌1 kusuka) (solo)

マランザがやって来た、(詰めかける)大勢の人々192 洞窟に私はやって来た 憑依霊 寝ている者は 解きほどかれる お母さん、(詰めかける)大勢の人々 私はやって来て、泣き、(しばし)泣き止んだ ハヨー、ウェー、私にウシを数えさせて あのマランザがやって来た、(詰めかける)大勢の人々 洞窟に私はやって来た、憑依霊 寝ている者は 解きほどかれる お母さん、(詰めかける)大勢の人々 私はやって来て、泣き、そして(しばし)泣き止んだ (chorus) 彼らはやって来た、心に、私にウシを数えさせて あのマランザがやって来た、(詰めかける)大勢の人々 洞窟に私はやって来た、憑依霊 私は憑依霊を追ってきた、(詰めかける)大勢のマサイ (solo) 私にウシを数えさせて あのマランザがやって来た、(詰めかける)大勢の人々 私は来て、ひとしきり泣き、泣き止んだ 寝ている者は 解きほどかれる お母さん、(詰めかける)大勢の人々 私は来て、ひとしきり泣き、泣き止んだ (chorus) アア、ヘエエ、私にウシを数えさせて あのマランザがやって来た、(詰めかける)大勢の人々 洞窟に私はやって来た、憑依霊 (詰めかける)大勢の人々 私は来て、ひとしきり泣き、泣き止んだ (合唱、このフレーズを繰り返す) (solo) マサイの たくさんの池(ziya ra mange)がやって来る 私はやって来た、私に布を寄付してくださいな マランザは帰っていくよ、ウェー たくさんの池 私はやって来た、私に布を寄付してください

5367 (憑依霊マサイ人の歌2 kusuka) (solo)

私はお父さんに呼ばれています。ウシを放牧しておいでと。 私はお母さんに呼ばれています。来てウシを数えなさいと。 私は姉妹に呼ばれています。法を裁きなさいと 私はお母さんに呼ばれています、友よ。舷外浮材付きの小舟193の水を飲んでおいでと。 (chorus) 私はお父さんに呼ばれています。ウシを放牧しておいでと。 私はお母さんに呼ばれています。ウシを数えておいでと。 私はお父さんに呼ばれています。法を裁きなさいと 私はお母さんに呼ばれています、友よ。舷外浮材付きの小舟193の水を飲んでおいでと。 (solo) ホー、ウェー、私はお父さんに呼ばれています。ウシの乳を絞っておいでと。 私はお母さんに呼ばれています。そう。ウシを放牧しておいでと。 私は姉妹に呼ばれています。法を裁きなさいと。 私はお母さんに呼ばれています。ンゲレンゲ194の水を飲みなさいと。 (chorus) ドスン、ドスン、私はお父さんに呼ばれています。ウシを放牧しておいでと。 私はお母さんに呼ばれています。ウシを数えておいでと。 私はお父さんに呼ばれています。法を裁きなさいと 私はお母さんに呼ばれています。ンゲレンゲの水を飲みなさいと。

5368 (憑依霊マサイ人の歌3 kusuka) (solo)

内陸部の連中には欠点がある、ヘエエ 欠点がある、ホーイェ、ウェー、ヘー 行きましょう、でも内陸部から来たあなた方には欠点がある、ねー なんと、ホォー、(預言者の)書 被造物人間、ビョー 道を閉ざされた者は、開放されます、ウェー、ンダワよ(人名) 内陸部に行く連中には欠点がある ムヮマディ、書、被造物人間、ウェー 縛られた者は、解かれます、ンダワよ 内陸部に行く連中には欠点がある 内陸部の連中には欠点がある、ヘエエ 欠点があるよ、ホーイェ 問題ありません 内陸部から来たあなた方には欠点がある (chorus) 内陸部の連中には欠点がある、ヘエエ 欠点がある、ホーイェ、ウェー 内陸部から来たあなた方には欠点がある 内陸部の連中には欠点がある 欠点がある、ホーイェ、ウェー 内陸部から来たあなた方には欠点がある 神の書、被造物人間、ビョー、ンダワよ 縛られた者は、解きほどかれます、ンダワよ 内陸部に行く人には欠点がある 内陸部の連中には欠点がある、ヘエエ 欠点があるよ、ホーイェ 問題ありません 内陸部から来た連中には欠点がある (solo) 神の書、被造物人間、ビョー 彼らには欠点がある 縛られた者は解きほどかれます、ビョー、ンダワよ 縛られた者は解きほどかれます、ンダワよ 内陸部から来た者には欠点がある (chorus) 内陸部の連中には欠点がある 彼らには欠点がある、ホーイェ 内陸部から来た者には欠点がある

5369 (憑依霊マサイ人の歌4 kutsanganya) (solo)

内陸部でウシを放牧しておいで、さあ行きましょう、ウェー、ハイェ、ウェー 内陸部でウシを放牧しておいで (chorus) 内陸部でウシを放牧しておいで、さあ行きましょう、ウェー、ハイェ、ウェー 内陸部でウシを放牧しておいで

5370 (憑依霊マサイ人の歌5 kutsanganya) (solo)

私はウシの数を数えます、トンボの子供 私はウシの数を数えます、睡蓮の池 私はウシの数を数えます、ヘー、トンボ 私はお父さんに言われました。ウシの数を数えろと。 (chorus) 私はウシの数を数えます、トンボの子供 私はウシの数を数えます、睡蓮の池 私は苦しい、ヘー、トンボ どうして未亡人結婚しないといけないの195 (solo) 私はウシの数を数えます、トンボの子供 私はウシの数を数えます、睡蓮の池 私はウシの数を数えます、ヘー、トンボ 私はお父さんに言われました。ウシの数を数えろと。 (chorus) 私はウシの数を数えます、トンボの子供 私はウシの数を数えます、睡蓮の池 私は苦しい、ヘー、トンボ どうして未亡人結婚しないといけないの195 (solo) ホォオ 内陸部 ホォウェ (chorus) ハヤ、ウェー (solo) 内陸部、ホォワー (chorus) ハヤ、ウェー

5371 (憑依霊マサイ人の歌6 kutsanganya) (solo)

ハーイェ、ライオン そいつ、ライオンが唸り声を立てている (chorus) 落ち着いて、闘い 問題を打倒し、打倒した ライオンは唸り声を立てている 落ち着いて、闘い (solo) ホーウェー、落ち着いて、お母さん この世には多くのことがある 我が子の嫁は、サメ(papa)とマダラトビエイ(chipungu)を常食196 ホーウェー、お母さん、ヘエエ、お母さん この世には多くのことがある 前からあなた方は私の娘を娶りたいと言っている まだ気が変わっていないかな ライオン、お父さん、あのライオンは唸り声を立てている (chorus) ハヤ、闘い、ウェー 問題を打倒し、打倒した ライオンは唸り声を立てている 落ち着いて、闘い

5372 (憑依霊マサイ人の歌7 kutsanganya) (solo)

いらっしゃい、家では争い、ウェー お母さん、ウェー、あなたには多くの問題がある、ウェー、ムァマディってば 今日は、争い 今日は、争い おじゃまします、なるほど争いだね お母さん、ウェー、あなたには多くの問題がある、ウェー、夫のキョウダイ、いいえ 今日は、独身男たちの争い (chorus) 今日は争い、おじゃまします、今日は争い お母さん、ウェー、あなたには多くの問題がある、ウェー、夫のキョウダイよ、今日は争い 今日は争い、おじゃまします、なるほど争い お母さん、ウェー、あなたには多くの問題がある、ウェー、夫のキョウダイよ 今日は、独身男たちの争い

5373 (憑依霊マサイ人の歌8 kutsanganya) (solo)

内陸でウシを追ってこい、マサイ、ウェー、ホーウェ 内陸でウシを追ってこい (chorus) ウシを追ってこい、行きましょう、ウェー、ホーウェ 内陸でウシを追ってこい (以上、何度も繰り返す)

5374 (憑依霊マサイ人の歌9 kubit'a) (solo)

ハーイェ、ハーイェ、ウェー、マサイが帰ってくる 彼に癒やしの術のンゴマを打ってあげて マサイが帰ってくる マサイが帰ってくる 彼が癒やしの術のンゴマを打ってもらえますように (chorus) ハーイェ、ヘー、ハーイェ、ウェー、マサイが帰ってくる 癒やしの術のンゴマを打ってもらった マサイが帰ってくる マサイが帰ってくる 癒やしの術のンゴマを打ってもらった (solo) ハーイェ、ホーウェ、ウェー、マサイが帰ってくる 癒やしの術のンゴマを打ってもらった おじゃまします、帰ってくる、マサイが帰ってくる 癒やしの術のンゴマを打ってもらった

5375 (憑依霊サンバラ人の歌1 kusuka) (solo)

サンバラ人は嘆き サンバラ人の場所の施術師、ウェー 癒やしの術をより強力に(zumira uganga198) サンバラ人、ヘエエ、お母さん 私はサンバラ人の場所に呼ばれています、ウェー 行って癒やしの術をより強めておいで もしあなたがディゴ(の土地)に嫁いだら、あなたは多くのディゴ人たちに食べられる もしゾンボ(Dzombo199)に嫁げば、あなたはドゥルマ人たちに食べられる サンバラ人はどうしたの?嘆き サンバラ人の場所の施術師、ウェー 癒やしの術をより強力に (chorus) サンバラ人、この言葉、あなたはサンバラ人の場所に呼ばれています、ウェー 行って癒やしの術を受け入れておいで サンバラ人、この言葉、あなたはサンバラ人の場所に呼ばれています 行って癒やしの術をより強めておいで ディゴに嫁いだら、あなたはたくさんの人に娶られます ゾンボに嫁いだら、あなたはドゥルマ人たちに娶られます サンバラ人、この言葉 サンバラ人の場所の施術師、ウェー、癒やしの術をより強力に

5376 (憑依霊サンバラ人の歌2 kubit'a) (solo)

続けていきます。私は言われました。癒やしの術の仕事を続けていけと200 サンバラ人、さあ、私は続けていきます。癒やしの術をずっと続けていきます。 私は言われました。私は癒やしの術の仕事を続けていきます。 サンバラ人、さあ、私は続けていきます。癒やしの術をずっと続けていきます。 (chorus) サンバラ人、私は言われました。私は癒やしの術の仕事を続けていきます サンバラ人、さあ、私は続けていきます。癒やしの術をずっと続けていきます。 サンバラ人、私は癒やしの術の仕事を続けていきます。 サンバラ人、さあ、私は続けていきます。癒やしの術をずっと続けていきます。

5377 (憑依霊サンバラ人の歌3) (solo)

大きな池にはワニがいる お母さんに言われました。水浴びしておいでと。 ハーイェ、お母さん、お母さんに言われました。水浴びしておいでと。 なんと、池にはワニがいる お母さんに言われました。水浴びしておいでと、ホーワ お母さん、お母さんに言われました。水浴びしておいでと。 (chorus) 水浴びしておいで。大きな池にはワニがいる。 お母さんに言われました。ハーイェ、お母さん。 お母さんに水浴びしておいでと言われました。 何と、池にはワニがいる。 お母さんに言われました。水浴びしておいでと、ホーウェ、お母さん お母さんに水浴びしておいでと言われました。

5378 (憑依霊サンバラ人の歌4) (solo)

サンバラ人、太鼓を演奏しなさい、お母さん、ウェー ヨーヨー、あなたは太鼓を演奏しにやって来た、お母さん サンバラ人、問題はありません、お母さん、ウェー サンバラ人、太鼓を演奏しなさい、お母さん、癒やしの術の太鼓を。

5379 (憑依霊サンバラ人の歌5) (solo)

ホーウェ、家、ウェー、家 家の癒やしの術 家がなくなってしまいました 家の癒やしの術について尋ねておいで (chorus) ホーウェ、家、ウェー、家 家の癒やしの術 家がなくなってしまいました 家の癒やしの術について尋ねておいで

5380 (ジネ・ムァンガの歌1) (solo)

ジネ・ムヮンガ、ジネ・ムヮンガ、ウェー 睡蓮子神は眠らない、癒やしの術の夜 睡蓮、眠ってもらいました、瓢箪 ご傾聴ください 私の癒やしの術、解けなさい (chorus) ジネ・ムヮンガ、ジネ・ムヮンガ、ウェー 睡蓮子神は眠らない、癒やしの術の夜 睡蓮、眠ってもらいました、瓢箪 ご傾聴ください 私の癒やしの術、解けなさい。

5381 (憑依霊クァビ人の歌1 kutsanganya) (solo)

ハーイェ、私は眠ります、ウェー ハーイェ、私は眠ります、ウェー 昨日私は誓いました。結婚は嫌です。 他人の妻をかどわかしません (chorus) ハーイェ、私は眠ります、ウェー ハーイェ、私は眠ります、ウェー 昨日私は誓いました。結婚は嫌です。 他人の妻をかどわかしません

これはかなり有名な歌なので、多くの人が知っている。ただ残念なことにこのカヤンバではソロ演奏者(歌い手)が独自の歌詞で歌っており、書き起こし担当はソロパートを書き起こせていない。コーラスパートのみ書き起こされている。コーラスパートも有名な歌詞とは少々異なっているのだが、よく知られた歌詞で書き起こされてしまっている。別バージョンで演奏されると、ドゥルマの青年ですら聞き取るのが困難だということ。ましてやワタシにおいておや、で、なんとかスロー再生したりして頑張って書き起こそうとしたが断念。サンプルと思って音響的にお楽しみください。 (参考:別のよく知られたバージョン 5382 (憑依霊クァビ人の歌2 kutsanganya) (solo)

それはなんですか、お母さん、ウェー そいつでは子供は養えない(それは子供の食べ物にはならない) そいつでは子供は養えない、ウェー、そいつでは子供は養えない そいつでは子供は養えない、ウェー、そいつでは子供は養えない そいつでは子供は養えない、ウェー、そいつでは子供は養えない 切り売りの嗜好品では、ウェー、子供は養えない 切り売りの嗜好品では、ウェー、子供は養えない 煎じる嗜好品では、子供は養えない 嗅ぎタバコだよ、お母さん、ウェー (chorus) ホ、ホー (solo) 泣かないで、お母さん、ウェー (chorus) ホ、ホー、マイェー、ウェー、ハー、ホーワー 飢えがそいつを打ち倒す

5383 (ゴジャマの歌1 kutsanganya) (solo)

ホーワー、あなたはゴジャマと呼ばれています どうしたのですか、ウェー あなたは重荷を運んでいる、ゴジャマ どうしたのですか、ウェー あなたは重荷を運んでいる、荒蕪地201にお行きなさい (chorus) ホーウェー、あなたはゴジャマと呼ばれています どうしたのですか、ウェー あなたは重荷を運んでいる どうしたのですか、ウェー あなたは重荷を運んでいる 荒蕪地にお行きなさい (solo) どうしたのですか、ウェー、ゴジャマ導師 どうしたのですか、ウェー あなたは重荷を下ろすでしょう、荒蕪地にお行きなさい ゴジャマ、どうしたのですか あなたは重荷を下ろすでしょう、荒蕪地にお行きなさい (chorus) ホーウェー、ゴジャマ導師、どうしたのですか あなたは重荷を下ろすでしょう 荒蕪地にお行きなさい ゴジャマ導師、どうしたのですか あなたは重荷を下ろすでしょう 荒蕪地にお行きなさい

5384 (ゴジャマの歌2 kutsanganya) (solo)

ゴジャマは食べられません おじゃまします、私はキョウダイのンダワに尋ねます あなた自身、知ることになるでしょうか ゴジャマは食べられないと ゴジャマは食べられないと おじゃまします、私はキョウダイのンダワに尋ねます あなた自身で、知ることになるでしょうか ゴジャマは食べられないと (chorus) ゴジャマは食べられません 私は疲れました、お母さん 私は尋ねます。ヘー、ンダワ、お母さん ゴジャマは食べられません あなたは知ることになるでしょう そのとおり、ゴジャマは食べられません ゴジャマは食べられません、ヘエエ お母さん、私は苛められました、ヘエエ、ンダマ、お母さん 私は尋ね、驚きます、ウェー なんと、ゴジャマは食べられません

(この後、kubit'aのリズムで、ソロ歌手による即興)

たとえ食べられなくても、デンデ 私は不当な扱いを受けています、エエ、デンデ 私は私のを買って、明日それを持って旅にでます、ムヮマディ 泣きやみなさい、ウェー、デンデ あなたは不当な扱いを受けた、エエ、デンデ 問題ありません、あなた友よ、ヘー 行きましょう、あなた、友よ ヘー、行きましょう、あなた友よ ヘー、行きましょう、あなた友よ 私は不当な扱いを受けています、ウェー、ムヮマディ、トウモロコシを取って来ましょう、あなた病人に

5385 (シェラの歌1) (solo)

我が子よ、ウェー 私は求めてやって来ました、我が子よ、ウェー ムベガの毛皮202を、ホーウェ (chorus) 我が子よ、 私は求めてやって来ました、我が子よ、ウェー ムベガの毛皮を、ホーウェ

5386 (シェラの歌2) (solo)

私は道を期待しながら見ています 私は道を期待しながら見ています 私の友人の奥さんが やって来るでしょう、ウェー 鍋を火にかけ 私はカルワさんを待ってます、ハーイェ カルワはやってこないでしょう、ウェー (chorus) お母さん、私は道を期待しながら見ています 道を期待しながら見ています 私の友人の奥さんがやって来るでしょう、ウェー ハーイェ、私は鍋を火にかけて、カルワさんを待ってます、ハーイェ カルワはやってこないでしょう、ウェー (以上、複数回繰り返し)

(以下、何度も何度も繰り返し) (solo)

ホー、私のお仲間たち 私は道でキルワを待ってます、ウェー (chorus) カルワ奥さんはやってこないでしょう、ウェー

5387 (シェラの歌3) (solo)

狂気の女は、ハーイェ、ウェー もうやって来た 私は悲しいよ、仲間のみなさん 彼女はもうやって来た (chorus) 狂気の女は、ハーイェ、ウェー もうやって来た 私は悲しいよ、仲間のみなさん 彼女はもうやって来た

(kubit'a のリズムに移行) (solo)

ハーヤ、私は止まります、ウェー 瓢箪子供、ウェー (chorus) ハーヤ、私は止まります、ウェー 瓢箪子供 (以上何回も繰り返し)

5388 (憑依霊ディゴ人の歌1) (solo)

お母さん、私は自分の布(nguo203)が欲しい、ハーイェ、ウェー 私は自分の布を求めます、ウェー 憑依霊ディゴ人(mudigo)の布を 私の布、ハーイェ、ウェー 私は私の布を求めます、ウェー 憑依霊ディゴ人の布を (chorus) お母さん、私は自分の布がほしい、ハーイェ、ウェー 私は自分の布を求めます、ウェー 憑依霊ディゴ人の布を 私の布、ハーイェ、ウェー 私は私の布を求めます、ウェー 憑依霊ディゴ人の布を

5389 (憑依霊ディゴ人の歌2) (solo)

私は恥をかかされました、私は貧乏人 私は、難儀と貧困に見舞われています 眠るたびに、つつがなきことを祈ります (chorus) 池にはびこる者よ、ウェー (solo) 私は恥をかかされました、私は貧乏人 私は、難儀と貧困に見舞われています 眠るたびに、つつがなきことを祈ります (chorus) あらゆる池にお立ちなさい204

5390 (憑依霊ディゴ人の歌3) (solo)

ヘー、瓢箪、ハーヤ 私は驚いた、ヘー、瓢箪 へー、瓢箪、ヘー 私は驚いた、ヘー、瓢箪 癒やしの仕事にはうんざりです ねえ、仲間の方々、ウェー 仕事は放棄しちゃいます (chorus) ヘー、瓢箪、ハーイェ 私は驚いた、ヘー、瓢箪 ヘー、瓢箪、ヘー 私は驚いた、ヘー、瓢箪 癒やしのしごとにはうんざりです ねえ、仲間の方々 癒やしの術を私は捨てます 私は疲れました

5391 (憑依霊ドゥルマ人の歌1) (solo)

ホーウェ、私は去ります、ウェー、お母さん、ウェーホーウェ ホーウェ、私は去って、荒蕪地に行きます カシディ(kasidi69)の太鼓を叩いてもらいに、ホーウェ 私は去って、荒蕪地に行きます (chorus) ホーウェ、私は去ります、ウェー、お母さん、ウェーホーウェ ホーウェ、私は去ります、ウェー、お母さん ホーウェ、私は去ります、私 カシディの太鼓を叩いてもらいます、ホーウェ 私は去って、荒蕪地に行きます

5392 (憑依霊ドゥルマ人の歌2) (solo)

曲作りを知らない人、歌を見にやってこさせましょう ほら、憑依霊ドゥルマ人が到来します (chorus) 曲作りを知らない人、歌を見にやってこさせましょう ほら、憑依霊ドゥルマ人が見ています

5393 (憑依霊ドゥルマ人の歌3) (solo)

私たちの出身地(家)に行きましょう、お母さんドゥルマ人 私たちの出身地(家)にいきましょう すだれ寝台205の婚姻 (chorus) 私たちの出身地(家)に行きましょう 内陸部の私たちの出身地(家)に行きましょう 私たちの出身地(家)にいきましょう すだれ寝台の婚姻

5394 (憑依霊ドゥルマ人の歌4) (solo)

私はカルメンガラ(kalumengala68)と言われる お前たち、どうしたんだ、ウェー? 癒やしの仕事、私は疲れた 私は太鼓を演奏する お前たち、どうしんたんだ、ウェー? 癒やしの仕事、私は疲れたよ、それで。 (chorus) 私はカルメンガラと言われる あなた方どうしたんですか、ウェー 癒やしの仕事、私は疲れました カルメンガラ、あなた方どうしたんですか、ウェー 癒やしの仕事、私は疲れました、それで。

5395 (憑依霊ドゥルマ人の歌5) (solo)

子供ドゥルマ、私を憎む 施術師ドゥルマ、癒やしの仕事を憎む ドゥルマ人、ヘエー、石臼で粉挽き、こちらでは搗き臼で搗く 問題有りません 癒やしの仕事を憎んでいる ドゥルマ人、ヘエー 石臼で粉挽き、こちらでは搗き臼で搗く (chorus) 子供ドゥルマ、私を憎む 施術師ドゥルマ、癒やしの仕事を憎む ドゥルマ人、ヘエー、石臼で粉挽き、こちらで搗き臼で搗く 太陽があの辺り 癒やしの仕事を憎んでいる ドゥルマ人、ヘエー 石臼で粉挽き、こちらで搗き臼で搗く

5396 (憑依霊ドゥルマ人の歌6) (solo)

私は私のトウモロコシを粉に挽く、ハーイェ ヘー、ムルング キジ(女性の名前)を娶ったのは誰? ウェー、客人が来たら、ワリ(wari197)を作ってあげなさい (chorus) 私は私のトウモロコシを粉に挽く、ハーイェ ヘー、ムルング キジ(女性の名前)を娶ったのは誰? ウェー、客人が来たら、ワリ(wari197)を作ってあげなさい

私は私のトウモロコシを粉に挽く、ハーイェ ヘー、ムルング キジ(女性の名前)を娶ったのは誰? ウェー、客人が来たら、ワリ(wari197)を作ってあげなさい

5397 (憑依霊ドゥルマ人の歌6が演奏される中、憑依霊ドゥルマ人に激しく憑依されたムァナコンボに対して、チャリは唱えごとをはじめる。唱えごとの前半はカヤンバの音のため、書き起こしは不可能、唱えごとはドゥルマ人の歌7,8の間も続く。)

Chari(C): ...人間、もしあなたがその腹をこんな風に膨らませてしまったとしたら、果たして健康だと言えますか?何がご不満なのですか?あなたが何を要望し、それを拒まれたというのですか?ドゥルマ人は遠慮しないというじゃないですか。そうじゃないなら、いったい何者なのですか?私は、あなたがただ好きでした。来て、あなたに尋ねたいだけです。なぜなら、私たちは病気を見ているのですが、その病気がどこから出てきたのかを知らないのです。あなたこそが、これらの問題の張本人なのですか?それとも誰なのですか?もしあなたなのでしたら、言ってください。もし、あいつらイスラム系の奴らだというのなら、私に告げてください。誰なんですか、お母さん。ああ、あなたなんだ!あなたなんだ!はあ、では、私の道具を取って来ましょう。自分で取ってきますとも。さらに自分で浴びますよ。あなた、あなた、あなたは奴らイスラムの連中を放置したので、奴らは身体に腰を下ろしてしまった。さて、御覧なさい。あなたはイスラムの連中に負けちゃったんですよ、あなた。あなたこそ、このお腹を膨らませてしまった人なのに、あなた。はあ、ドゥルマ人が遠慮したりするんですか?あなたのせいなのですか、私の友よ。あなたは何を調えてもらいたいんですか?鍋が欲しいのですか?ええ、あなた?もう、あなたは私の友だちじゃあ、ありません、あなた。 (チャリの唱えごとに対するムァナコンボの反応ははっきりしない。) 憑依霊ドゥルマ人の歌6 憑依霊ドゥルマ人の歌7 憑依霊ドゥルマ人の歌8 憑依霊ドゥルマ人の歌9

5398

Chari(C): あなた、私はあなたに水をあげましたよ、まるで、あなた...でも、あなたは嫌なんですね、まったく。あなたは、遠いところからやってきた連中に、いいようにされていますよ。あの大きな家(モンバサのアラブ人、スワヒリ人が住んでいるような)の連中。あなたは分別をそいつらに乱されてるんですよ。あの碌でもない奴らに、あなた。... (憑依霊ドゥルマ人の歌9終了) Woman: みんな、こうしてFord206みたいなものに、乱されてるのよ、Kanu207じゃなくて。(冗談) Man: DP208によって乱されているんじゃないの?(冗談) Woman: DPに乱されているのよ、Fordじゃないわ。(冗談) Man: 真実の政党と、虚偽の政党。(冗談) Chari(C): ところで、子供たち。あれらの憑依霊、あれら、彼らの歌も打ってたら、日が暮れちゃうわ。私たちをここに導いたその仕事(クズザのこと)をしましょうよ。祝福ってことなら、一人ひとり(憑依霊)に与えたわ。憑依霊の数にはきりがないけど、でも、彼らには与えたわ。やって来たら、すぐに施術師を座らせて(施術師に対してカヤンバを打ち)、即クズザに出発なんていうクズザのカヤンバなんてある?でもこの人(憑依霊ドゥルマ人)も何を受け取りましたか? Mawaya(Maw): 祝福を受け取りました。 C: じゃあ、行きましょう。施術師(自分のこと)を連れてきて、座らせましょう(冗談)。 Maw: じゃあ、その施術師を探してきましょう(冗談)。 C: その人を座らせましょう。 Maw: その人は近くにいるのかな?(冗談) C: はあ、行きましょう。もう行きましょうってば。 Maw: 行きましょう、行きましょう、行きましょう。施術師を探してきて、泣かせてしまいましょう。(冗談) (人々、クズザにとりかかる) (「地面のキザ」の前に座り、チャリ、歌を先導する、占いを司るピニの歌) ピニの歌 (チャリ、しきりと大きなため息 Hofwi hofwi。と叫び声) (ライカの歌1とともに蝿追いハタキをもって立ち上がり、火渡り) ライカの歌1

(準備作業ののち、人々チャリを先頭に出発。)

5399 (憑依霊ドゥルマ人の歌7) (solo)

ハーイェ、じゃあ、あなたは誰にしてもらえるのですか、お母さん あなたはまだ小さい 誰にしてもらえるのですか、タブ(tabu209) あなたは困難に見舞われます 誰にしてもらえるのですか、タブ あなたはまだ小さい 誰にしてもらえるのですか、タブ (chorus) ハーイェ、じゃあ、あなたは誰にしてもらえるのですか、お母さん あなたはまだ小さい あなたは誰にしてもらえるのですか、キョウダイ 私は困難に見舞われました あなたは誰にしてもらえるのですか、タブ あなたはまだ小さい あなたは誰にしてもらえるのですか、タブ (solo) 私は癒やしの術をほどきます、私、あなた方の仲間 心はびっくりしました、ウェー 私は癒やしの術をほどきます、タブ、貧乏人 誰にしてもらえるのですか 私はまだ小さい、私は誰にしてもらえるのですか、タブ (chorus) ハーイェ、じゃあ、あなたは誰にしてもらえるのですか、お母さん あなたはまだ小さい あなたは誰にしてもらえるのですか、キョウダイ 私は困難に見舞われました あなたは誰にしてもらえるのですか、タブ あなたはまだ小さい あなたは誰にしてもらえるのですか、タブ

(歌に被せるようにチャリの憑依霊ドゥルマ人に対する語りかけがなされる)

5400 (憑依霊ドゥルマ人の歌8) (solo)

困窮者ドゥルマ人、ヘー、ドゥルマ人、踊りなさい 私に恥をかかせないで、ドゥルマ人、踊りなさい 夜が明けました (chorus) ドゥルマ人、ハーイェ、ドゥルマ人、もういい、夜が明けた 恥を知りなさい、ドゥルマ人、ヘー、ドゥルマ人 もういい、夜が明けた 肉、5セント硬貨(gbwengbwele210) (solo) 施術師ドゥルマ人、ヘー、ドゥルマ人、踊りなさい、夜が明けた 私に恥をかかせないで ドゥルマ人、踊りなさい、夜が明けた 私は私の布が欲しい (chorus) 施術師ドゥルマ人、ヘー、ドゥルマ人、踊りなさい、夜が明けた 私に恥をかかせないで ドゥルマ人、ヘー、ドゥルマ人 踊りなさい、夜が明けた 小さい肉、5セント硬貨

(歌に被せるようにチャリの憑依霊ドゥルマ人に対する語りかけがなされる)

5401 (憑依霊ドゥルマ人の歌9) (solo)

ドゥルマ人、私は貶められています、お母さん 施術師ドゥルマ人、惨めな暮らしに慣れています、お母さん、ホー 私の仕事です、友よ 私には、なんの喜びもありません (chorus) ドゥルマ人、私は貶められています、お母さん 調べてごらん、ドゥルマ人、惨めな暮らしに慣れています、お母さん、ホー 私の仕事です、友よ 私には、喜びはありません、私はさまよい歩いています

(憑依霊ドゥルマ人の最後の歌。ムァナコンボ、沈静化し、チャリはクズザに取り掛かるよう人々に告げる)

5402 (ピニの歌) (solo=Chari)

ヨーヨー、彼らは惨めな暮らしをしている、ウェー、我が子さえも、いなくなる、ウェー お母さん、ママ、私の子供がいなくなる、ウェー (chorus) お母さん、惨めな暮らしをしている、ウェー、お母さん、私の子供もいなくなる、ウェー あなたたちはそんな具合に生まれたの、ウェー あなたたちはそれらを終わりにする

5403 (ライカの歌1) (solo)

お母さん、私は独り ウェー、私の池 ウェー、池 私は困難に見舞われた、ヘー 私の池 ウェー、池 (chorus) ホー、ライカ ホー、ライカ、私の池 ウェー、池 私は困難に見舞われた、ヘー 私の池 ウェー、池

(チャリ大きなため息を何度もつき、叫び声もあげる) (この後、クズザ(maironi143)に出発)

5404 (ライカの歌2) (solo: チャリが歌を先導)

私は泣いています、お母さんのところに行きます お母さん、ゆらゆら、ホーウェ、解きほどかれなさい、ウェー、お母さん 私は病人として来ませんでした、ホー 解きほどかれなさい、ウェー、お母さん (chorus) 私は泣いています、お母さんのところに行きます chiyumbe ホーウェ、解きほどかれなさい、ウェー、お母さん 私は病人として来ませんでした、ホー 解きほどかれなさい、ウェー、お母さん

5405 (クズザから屋敷に帰って、小屋の中でのキブリ戻しの一連の手続き) (チャリが先導しカヤンバ演奏抜きの歌が歌われる中、4人の子どもによって患者の身体の各部に瓢箪の中身の薬が擦り込まれる) ライカの歌2 最後にチャリの次女 Muchenzalaがngata38を患者に渡す)

Chari(C): で、「この子ですよ」(と言いなさいね)。後ろ向きでね、でも。 Murina(Mu): もう彼女を呼びなさい。 C: ムァナコンボというだけよ。 Muchenzala(Mn): ムァナコンボ! Mwanakombo(Mk): ええ? Mu: 彼女は目をつぶっている。お前は、こんな風にまっすぐに立つ。その後で、お前は彼女に与えるんだ、後ろ向きにね。 C: こんなふうに与えるんだよ。そして彼女に言うのよ。「この子よ、この子よ、この子を握って」ってね。 Mu: お前の両手を完全に後ろに突き出す(字義通りには「追い越させる」)んだよ。さあ、呼んで。三回呼ぶんだよ。 Mn: ムァナコンボ!ムァナコンボ! Mu: あともう一回呼んで。 Mn: ムァナコンボ! Mk: ええ? Mn: この子だよ、この子だよ、子供をつかみなさい。 C: はあ、向き直って、あなたが彼女に結んであげてね。 Woman: 向き直って、(ンガタを彼女の腕に)結んであげるのよ。 Man: ええぇ。どうして彼女(ムァナコンボ)は(ンガタを)握らなかったんだい? Mu: 結びなさいな。 C: (直前の男性からの問いに応えて)ちゃんと握ったわよ。 Man: ああそう。 Woman: ムチェンザラは、小さい女の子みたいに、呼ぶのね。呼ぶのなら... Man: いや、ここは施術の場なんだから。

5406 (締めくくりの唱えごと)

Chari(C): ビスミラーイ・ラフマーニ・ラヒーム....211。ううむ。さてどうかおだやかに、世界の住人の皆様。世界の住人の皆様、私はこのような時間にお話することもなかったでしょうに。私がお話するとすれば、私はムァナコンボのためにお話するのです。ムァナコンボはその父と母から生まれました。生まれた時には、ムルングの被造物、ムルングの人間でした。でもひどい目に遭っています。しかしながら、私たちは私たちの知っていることをいたしました。それがしっかりと捕まえるよう欲します。 Murina(Mu): 牧童たちは放牧に出かけたのかい? Woman: ここにいるよ。一人はあそこにほら、いるじゃない。 Mu: じゃあ、彼らにヤギを外に出しにいかせてよ。 Chari: さて、皆さま、どうかおだやかに。私は皆様にお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東の皆さま(a mulairo wa dzuwa)に、西の皆さま(a mutserero wa dzuwa)に、ブグブグ(bugubugu212)の方々、ニェンゼの小池213の方々に。私はお祈りいたします。子神ドゥガ(mwanaduga214)、子神トロ(mwanatoro148)、子神マユンゲ(mwanamayunge215)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga159)、キンビカヤ(chimbikaya216)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。あなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera156)、そして子神サンバラ人(mwana musambala131)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi217)に。私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi218)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura219)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo199)の方々。サンブル(Samburu、地名220)は、ムガマーニ(Mugamani221)で争っておられる皆さま。ンディマ(ndima222)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe223)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。

5407 (唱えごとの続き)

Chari(C): さて、私は皆さま方にお静まりくださいと申します。あなたムルング子神、それに続いておられるペーポー子神(mwana p'ep'o)、バラワ人(mubarawa224)、サンズア(sanzua137)、バルーチ人(bulushi225)、クヮビ人(mukpwaphi132)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni78)、池のキツィンバカジ(chitsimbakaza cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma226)、あなたガラ人(mugala230)、ボニ人(muboni231)、ダハロ人(mudahalo232)、コロンゴ人(mukorongo233)、あなたコロメア人(mukoromea235)。ドゥングマレ(dungumale49)、ジム(zimu238)、キズカ(chizuka239)、スンドゥジ(sunduzi229)、ドエ人(mudoe189)。ドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao240)。あなた奴隷(mutumwa241)、またの名をンギンドゥ人(mungindo234)。 皆さまのあいだには、あなたデナ(dena95)とニャリ(nyari96)、キユガアガンガ(chiyugaaganga247)、ルキ(luki248)、ムビリキモ(mbilichimo71)、カレ(kare249)とガーシャ(gasha250)、レロニレロ(rero ni rero73)、あなたマンダノ(mandano72)、あなたプンガヘワ(pungahewa251)。あなたディゴ人(mudigo)もおられます。ともにおられるあなたイキリク(100)、あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai129)、あなたゴロゴシ(gologoshi252)またの名をンガイ(ngai253)、ンガイまたの名をカンバ人(mukamba254)、カヴィロンド人(mukavirondo237)、マウィヤ人(mawiya46)、ナンディ人(munandi236)、ムマニェマ人(mumanyema255)。皆さま方におしずまりくださいと申します。 私はおしずまりくださいと申します。あなたライカ・ムェンド(laika mwendo83)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キブェンゴ(laika chibwengo256)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga159)。あなた方にお静まりくださいと申します。この鶏、これはライカの鶏です。私たちはライカのキブリを戻しました。あなたライカ・ムズカ(laika muzuka79)、ライカ・ムバワ(laika mbawa92)もいます、ライカ・キディディマ(laika chididima)もいます、ライカ・ムクシ(laika mukusi84)もいます、ライカ・マジャロ(laika majaro257)もいます。今、今日、私どもはライカのご馳走(karamu258)を差し出しました。この鶏、これは、私はこれが産むことを望みます。この鶏、これはライカの(ライカのために取り置かれた)鶏、出産してもらいたい鶏です。もしその鶏が仔を産み、十分な数になったとわかれば、所有者は物を買います。布(nguo203)も買えます。果てはヤギを買うにも十分な数にもなります。もともとは私は無一文だったのに。この鶏、この者がそうでありますように。そしてこの鶏、これを大切に、上々にお見守りください。この鶏が(鶏を襲って奪う)獣と出会うことのないように、どこからやって来た獣であれ、獣がこの鶏に会うことのないように。どうか御主人様!

考察・コメント

この事例のもつ資料的意味

「嗅ぎ出し」つまりクズザ(ku-zuza)の施術は、スペクタクル的要素に溢れているが、言語的データの収集はあまり期待できない施術である。まあ、それは私の超「控え目」な性格から来る部分もあるのだが、水の中にザブザブ入り込んで、そこでの鶏やキリャンゴーナ(chiryangona175)に対する作業や唱えごとを記録・録音したり、写真におさめたりする気にはちょっとなれず、他の見物人たちとともに遠巻きに見ているだけだったり、盛大に水(泥混じりの薬液)をぶちまけたり、水を跳ね飛ばしたりする小屋の中での作業も、やはり遠巻きに見ているだけのことが多かったというのもある。おまけに窓のないドゥルマの小屋の暗がりの中では、よほど近づかないとそこでどんな作業が行われているかまではわからず(気が変になってしまいそうなカヤンバの騒音のなかでは録音作業は遠巻きだとほぼ無意味だし、写真撮影は、ストロボを発光させると霊が怒るとか、踊らなくなるとか言われて通常は許可されない、というか初期の調査ではそのせいで人々の怒りを買ってしまい何度かトラブルになった)で、勢い事前・事後に施術師や参加者から解説してもらうのに頼るしかなかった。言い訳がましくて申し訳ないですが。

今回も、私の控え目さは相変わらず全開ではあったが、チャリたちの「治療上の子供たち(ana a chiganga5)」内部の内輪の施術であったため、珍しく屋内でのストロボによる写真撮影もOKという、極めて特例の機会となった259。そのわりには、なんだかワケのわからない写真ばかりなのは、私の腕のせいなので、どうしようもない。

という訳で、この事例は「嗅ぎ出し」の概説で述べたプロセスの詳細が一番よくわかる事例になっていると思う。

この事例固有の特徴

冒頭のたまたま録音されていたやりとりは、このカヤンバが気心のしれた仲間内のものであることを物語っていると言えるかも知れない。若干緊張感を欠いているが、カヤンバ開始に向けての準備が着々と(?)進んでいる。 この緩い感じは、カヤンバの展開においても見られた。演奏者や周りの女性たちが、なにかと冗談めいたやり取りをおこなっているのが、書き起こしテキストの翻訳の中にも読み取られるだろう。普段でもこうしたやり取りがないわけではないが、今回はとりわけ目立った。

しかしその後の展開が明らかにしたように、このカヤンバは施術師とその施術上の子供との、対立関係を背景に持つものであった。

施術師とその施術上の「子供たち」の打ち解けた関係には、しばしば緊張や対立の根が潜んでいる。 私は人々の「心理」について分析するなんてのは性に合わないのだが(それにあまりうまく把握できないのだが)、施術上の母親(あるいは父親)と施術上の子供の間には、しばしば単に言葉の上だけのもの以上の、母子(あるいは父子)関係的な情緒的なつながり、心的依存があるように思える。病にくるしむ患者は、施術上の母が治療にやって来ると、小さい子どもが親に示すような喜び、依存を示し、慰めを求める。例えばある目の不自由な女性のための鍋設置の施術の際のやりとりは、かなり症状が重症化した患者についてのものだが、こうした母子のつながりをよく示している。

しかし、こうしたつながりのゆえに、一人の施術師の「子供たち」の間に、あたかもその施術師の与える情緒的慰めを巡って、対抗的な競争関係が見られることがある。子供たちの間で施術師が誰にどのような接し方をしたかで、対抗や嫉妬が見られ、それがカヤンバの場で憑依状態の患者の振る舞いのなかに見てとられることがある。ときにはそれが「子供たち」グループの分裂につながる場合もある。

さらに「子供たち」と施術上の親の間には、両者の葛藤や対立を産む構造的要因があるといえるかもしれない。施術師と子供たちは、癒やし手と病人の関係である。両者の関係は、親子という言葉が示しているように非対称的であるが、憑依霊の病気に関しては、この非対称性は容易に対称的・対抗的なものに変質しうる。憑依霊は自らの様々な要求をかなえるために宿主を病気にするのだが、その最大かつ最終の要求は、宿主自身に癒やし手(施術師)になってもらうという要求だからだ。憑依霊とのコミュニケーションに自信をつけ、施術上の親に不満を持つ「子供」は親から離反し、別の高名な施術師のもとで「外に出してもらう」ことにするかもしれない。別の親に乗り換えるわけである。

チャリと今回のカヤンバの患者ムァナコンボも、非対称的な親子関係が、こうした形で対抗的なものに変質してしまった例である。ムァナコンボが踊らないのを、自分の心のなかの凝り(mufundo110)のせいかもしれないと、チャリは心のなかの憤りを吐き出し、それを解消するクハツァ(kuhatsa109)を行っている。その語りでは、ムァナコンボともう一人のチャリの最初期の「施術上の子供」が、初期のいつもチャリとともに行動していた時期の後に、離反し別の地域の施術師のもとで「外に出された」こと、そして「チャリのところには二度と行かない」と語っていたことが明らかにされている。そしてチャリは、自分を母と言ってくれない人にはもう治療はしない、他の施術師を求めるがいいと語ったことを述べている。こうした言葉が、ムァナコンボらを捕らえて彼女を踊らなくさせているのかもしれないと。一方ムリナも、自分の実際の姉妹の娘(muphwa)でもあるムァナコンボの離反を腹立たしく思っていたことを述べている。チャリは現実の「親娘」関係でもあるムリナの怒りのほうが、強く捕らえたにちがいないと語っている。

こうしたケースとは反対に「子供」が示す並外れた能力に、施術上の親が嫉妬することもしばしばあるとされている。チャリ自身も彼女に世界導師と憑依霊ドゥルマ人という2大憑依霊を「外に出して」くれた、彼女の施術上の母フピ(Fupi)さんとの間にこうした葛藤を経験している。その結果、最終的に彼女はフピさんと決別して「ジャコウネコの池」に移り住むことになったのである。

無関係な施術師どうしのあいだには普通であるとされる、競争、対抗関係が施術上の親子関係のなかにも入り込むのである。施術師チャリの夢のなかで彼女の憑依霊ジンジャ導師260=世界導師64から学んだという(自作の)占い歌のなかでも「私は嫉妬されている。癒やしの仕事は争いだから。私の癒やしの術」と歌われているように。

私の印象では、この日、チャリは必ずしもムァナコンボの和解の願いを完全には受け入れておらず、まだ幾分凝りが残っているように見えた。いつもはカヤンバの場を中心となって仕切っているのに、この日は、クズザの準備を理由に(実際に準備の必要があったのだが)カヤンバの場を女性の助手(muteji1)にまかせて、小屋にこもっていることが多かった。私にはあまり気乗りしていないようにすら見えた。ムァナコンボは憑依すると、ときに泣きながらチャリを探し周り、小屋の中にも二度ほど入ってきた。一度は実際に準備作業をしており、私も同席しているところに乱入したが、こうしたことが生じるたびにチャリとムリナは一緒にムァナコンボをカヤンバの場に連れ戻し、宥め、唱えごとをするのだった。

注釈


1 ムテジ(muteji, pl.ateji)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga2)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジ(mwanamadzi16)は男性の助手、ムテジ(muteji1)は女性の助手という区別もあるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
2 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba3)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)4や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)6ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo7)や鍋(nyungu8)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)1114に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ15)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
3 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
4 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」5を参照されたい。
5 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba3)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)4や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)6ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
6 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」5を参照されたい。
7 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
8 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza9、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
9 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya10)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu8)とセットで設置される。
10 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo7)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza9)と呼ばれるが)。
11 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri12)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira13)」と呼ばれることもある。
12 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
13 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ14の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(11)、カヤンバ(14)と同じ意味で用いられる。
14 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti12)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira13)」と呼ばれることもある。
15 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
16 ムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga2)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジは男性の助手、ムテジ(muteji1)は女性の助手という区別があるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
17 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
18 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)5であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
19 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga20)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni44)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo7)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo54)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
20 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga19)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele18)としてンゴマやカヤンバ11を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola21)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni44)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo7)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo54)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
21 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini22」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa2324と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume31)、カドゥメ(kadume45)、マウィヤ人(Mawiya46)、ドゥングマレ(dungumale49)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga50)、トゥヌシ(tunusi51)、ツォビャ(tsovya53)、ゴジャマ(gojama48)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu43」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」44)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
22 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola21)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
23 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa24)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola21)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち27)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba30)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu43)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni44)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini22)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
24 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」25など)を行うことなどを意味する。
25 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ26などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
26 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うnoムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ25」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
27 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo28)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
28 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso29)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine27)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
29 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
30 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume31)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani32)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
31 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola21)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
32 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」33による鍋(nyungu8)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe42)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu39)。
33 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術34においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba35)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande36)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu8)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
34 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
35 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
36 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符37。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
37 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata38)、パンデ(pande36)、ピング(pingu39)、ヒリジ(hirizi40)、ヒンジマ(hinzima41)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
38 ンガタ(ngata)。護符37の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
39 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符37の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
40 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima41)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
41 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi40)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
42 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
43 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ44)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola21)の対象となる。
44 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu43」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
45 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
46 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde47)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama48)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
47 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
48 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola21)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
49 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola21の対象になる)24。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
50 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
51 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine27)の一種という説と、ニューニ(nyuni44)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ52らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola21)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
52 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
53 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ44の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola21)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa24」。see p'ep'o mulume31, kadume45
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
54 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ44の治療においては、薬液(vuo7)を患者に振り撒くのにも用いられる。
55 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka56)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
56 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
57 「ヒツジの場所」村に住むチャリのムテジ(muteji1)の一人。
58 キザチャボツィ(chiza cha photsi)。「地面のキザ」。チャリが編み出した(夢で彼女の憑依霊から教えられた)新機軸。1992年に初めて治療に取り入れられた。容器に薬液を入れる代わりに、地面に掘った穴に入れるというもの。その方がたしかにリアルな「池ziya」の演出だとは言える。でも水がどんどん吸い込まれて、すぐに無くなってしまうんですけど。
59 パンガ(panga, pl.mapanga)。「洞窟、洞穴」
60 チャリ・ワ・マラウ(Chari wa Malau)。憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba61)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)63」とドゥルマ人(muduruma67)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri76)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza75)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。私が最も親しくしていた女性施術師のひとり。チャリの父系クラン(ukulume)はムァニョータ(Mwanyota)、母系クラン(ukuche)はムァゴロ(Mwagoro)。チャリは自分の癒やしの術がクラン(fuko)に由来するものだと言うが、この場合のクランは父系クラン、母系クランのいずれでもなく、母方の祖父デレ氏のもっていた癒やしの術がその孫たちに継承されているという意味である。なお祖父デレはギリアマ人であった。
61 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba62)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」42、香料35と海岸部の草木33の鍋8。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
62 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
63 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師64。内陸bara系65であると同時に海岸pwani系30であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」66)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
64 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia63)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
65 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
66 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia63)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
67 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性68)、カシディ(kasidi 女性69)、ディゴゼー(digozee 男性老人70)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
68 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma67)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
69 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma67)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
70 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo71)マンダーノ(mandano72)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
71 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
72 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ73とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ74の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
73 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera74)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza75)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)98」、「外に出す(ku-lavya konze108)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
74 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)75、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす98)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku100)、おしゃべり女(chibarabando101)、重荷の女(muchet'u wa mizigo102)、気狂い女(muchet'u wa k'oma103)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma104)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo106、長い髪女(mwadiwa107)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba3)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
75 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri76)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika77)やシェラ(shera74)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri76)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza97)を施され、ンガタ38を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
76 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza75と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
77 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi78)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka79) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri76)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi82など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo83,laika mukusi84など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe85, laika ra nyoka85, laika chifofo88など。(4) その他 laika dondo89, laika chiwete90=laika gudu91), laika mbawa92, laika tsulu93, laika makumba94=dena95など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze9)で薬液を浴びる、護符(ngata38)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza75)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
78 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
79 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi80)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
80 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao81))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka79)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
81 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
82 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni44)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
83 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
84 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
85 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira86)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka87)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
86 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
87 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
88 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
89 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi78)の別名ともいう。
90 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
91 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
92 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
93 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
94 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena95)の別名。
95 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari96)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande36)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
96 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)75」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena95が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee70)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande36には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
97 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
98 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo99)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
99 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
100 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera74)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
101 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera74の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
102 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ74の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
103 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ74の別名ともいう。
104 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera74)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo105))の別名ともされる。
105 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
106 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ74の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo105)の女性であるともいう。
107 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
108 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
109 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze108)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele18)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo110))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
110 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをクハツァ(kuhatsa109)と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
111 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。
112 ウバニ(ubani)。乳香
113 フフト(fufuto, pl. mafufuto)。ムズカ26に溜まった枯れ葉やゴミ。これらを持ち帰って燻し(kufukiza114)に用いる。妖術使いが奪ったとされる犠牲者の汚れを取り戻す際に必要な手続き。
114 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
115 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 116」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma117)から派生したマルミ(marumi118)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
116 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma117)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
117 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi118)で「唱えごと」の意。
118 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri115)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
119 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)120との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
120 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza9)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる121。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている122。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
121 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供122がある。瓢箪子供の各部の名称については、図124を参照。
122 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供121。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神120がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande36)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料35)、血(ヒマ油123)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
123 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
124 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
125 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
126 「ムウェレは憑依状態になった」
127 ク・ヴィナ(ku-vina)。「踊る」を意味する動詞。憑依の文脈では、ンゴマなどでmuweleが憑依された状態で踊ることを意味する。
128 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai129 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande36)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka130)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
129 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
130 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
131 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
132 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
133 世界導師のキザ(chiza9)
134 ペレメンデ(peremende, pl.maperemende)。スワヒリ語で(ドゥルマ語でも)「飴、キャンディ」、とくに「ハッカ飴。ペパーミント。」英語の peppermint より。いくつかの憑依霊の治療でも用いられる。
135 ムカヘ・ワ・イヴ(mukahe wa ivu, pl. mikahe ya ivu)。イヴ(ivu)は「灰」。「灰で作った団子」で憑依霊ライカやシェラに対する施術で用いられる。
136 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua137の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera139)」の技も与えてくれる。
137 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga138)
138 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua137)、別名(?)ピーニ(pini136)が必要とする道具の一つ。
139 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
140 ムィンゴ(mwingo)。施術師が「嗅ぎ出し」ku-zuzaなどで使用する短い柄の蝿追いハタキ(fly-whisk)。

「嗅ぎ出し」で右手に蝿追いハタキをもって水の中を進む施術師
141 ク・フィニャ(ku-finya)。「覆う、閉ざす」を意味する動詞。eg. ku-finya matso「目を閉じる」。「予防的対処をする」意味でも用いられる。患者を主語にする場合には受動形 ku-finywa。eg. yunenda akafinywe nyongoo「彼女はニョンゴー142の予防施術をしてもらいに行く」, kufinya chilume 妖術使いの攻撃に対して全身を防御するための施術 etc.。ライカやシェラによって影あるいはキヴリ(chivuri76を奪われないようにする施術もク・フィニャと呼ばれ、ライカやシェラ、デナ、ニャリなどの施術師は通常の瓢箪子供の他にク・フィニャの瓢箪を所持している。この瓢箪の中身の薬(muhaso)は、キブリ探索行(maironi143)に同行する弟子たちが危険に遭わないように彼らに塗ってやったり、クズザ(kuzuza75)を終えた患者をクツォザ(kutsodza97)するのに用いられる。
142 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
143 マイロ(mairo -gaga)。名詞として「速いこと、高速」。形容詞、副詞として「速い」「速く、高速に」。憑依の文脈では、「嗅ぎ出しku-zuza」の施術において、施術師が奪われたキブリを探しながら早足で(ほとんど走るように)人々を先導していく過程を、マイロニ(maironi)という言葉で表現する。
144 シェラの瓢箪と記述しているが、シェラ、ライカ、憑依霊ディゴ人は同じ瓢箪を共有する。
145 先に「世界導師のキザ」としてムリナが準備していたもの。
146 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' カタグロトビのような模様の毛色(白、黒、灰色)の鶏など。
147 ク・ツィンザ(ku-tsinza)。「(ナイフで)切る」「喉を切って殺す」「屠殺する」
148 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu120)の別名。
149 ク・ブサ(ku-busa)。息を強く吹きかける動作を意味する動詞。
150 ク・ティンヴィャ(ku-timvya)。布などを激しく大きく振る動作を指す動詞。通常、洗濯した布の水を切るために素早く大きく振る動作を指す。
151 ライカのクズザのngataは黒い細長い布切れの中にクズザで取得した泥や、ムズカの塵芥、ライカの瓢箪の中の薬と液を垂らし、それを包み込んでねじったもので、そのまま患者の上腕に巻き付ける。
152 「ほら、この子供だよ」
153 ニャグ(nyagu)。ニューニ44の一種。ムウェー(mwee154)の別名とも。女性にとり憑いて、その子供に危害を及ぼす。子供は、泣き止まない、やせ衰える、頻繁にビクッと驚く様子を示す、などの症状。ヒツジと泥人形(長い嘴をもつ)で除霊(kukokomola21)される。妻がニャグをもっているとき、夫か妻のいずれが婚外性関係をもつと、子供は病気になる(ただちに死んでしまうとも言われる)。
154 ムウェー(mwee)。ニューニ(nyuni44)の一種。ニャグ(nyagu153)、グァヴ・ムクンベ(gbwavu mukumbe)の別名とも。鷲、鷹に似た猛禽類。
155 カヤンバの前にムズカから採ってきた塵芥でムウェレを燻すことがしばしばある。ムウェレが万一ムズカに「汚れ(nongo25)」をもっていかれている場合、それでカヤンバがうまくいかないことがある。前もってそれに対策しておくため。
156 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu120)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo105)やシェラ(shera74)のグループに入れる者もいる。
157 この部分はいくつかヴァリエーションがある。muzizimoは動詞 ku-zizimaに由来する名詞と思われる。ku-zizimaは「冷たくなる、濡れている」を意味する。他に ziyangbwa ra chechemu もよく聞かれるが、こちらは地名。水をいっぱいたたえた大きな池だという。動詞 ku-chechemuaとも関係があり、この動詞は「刺激する、掻き立てる」の意味。
158 ニマユガ(nimayuga)という言葉は、私は知らない。ku-yuga という動詞に由来する mayugoは「難問、人を困らせる問題、難儀」などの意味になるが。ソロの歌を女性たちが繰り返す合唱部ではニマユグと歌われているので、少なくとも安定した語であるとは言えない。この歌にはヴァリエーションが多く、共通部分はnachipanda chilima「私は山に登る」と roho yamaka「こころはびっくりした」と-voye mulungu「ムルングに祈り」ぐらいしか共通部分のないたくさんの異版がある。
159 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza9)、池(ziya10)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu120)の別名の一つである。
160 ロホ(roho pl.maroho)。「心」まれに「心臓」。p'umuzi(息)を蓄えておくところだと言う人もいる。モヨ(moyo)は「心」の意味でも「心臓」の意味でも等しく用いる。
161 私の身近な人々でその人のことを本に書くよ、と言ってOKをくれた人以外は本人特定を避けるために仮名を使って来たので、ここでもそうしたいが、オリジナルのドゥルマ語テキストまで変えてしまうことは、躊躇してしまう。でも、それだと翻訳で仮名を使っても意味ないということになるが。まあ実際問題としてドゥルマ語のテキストを読む人はこれからも皆無に近いだろうから、しかも30年以上前のデータに限って今回は公開することにしているので、まあまあ…。我ながらいい加減だなぁ。
162 ラバイ(raphai)。ミジケンダ163を構成する9ある下位集団の一つ。ドゥルマに隣接する。ドゥルマと同様に父系・母系両方の出自集団をもつ。ムラバイ(muraphai, pl.araphai)は「ラバイ人」、キラバイ(chiraphai)は「ラバイ語」あるいは「ラバイ風、ラバイ流」を意味する。
163 ミジケンダ(midzichenda)は直訳すると「9つの屋敷(村)」を意味し、過去においてミジケンダを構成する9集団のそれぞれがカヤ(Kaya=ディゴ語で屋敷(村)を意味する)と呼ばれる要塞村に暮らしていたことに由来する。9つの民族集団は、シュングワヤ(Shungwaya)伝承と呼ばれる共通の起源伝承をもっている。言語的にも近く、それぞれの集団の言語どうしでもかなりな程度の相互理解が可能である。ミジケンダには、ディゴ(Digo)、ドゥルマ(Duruma)、ギリアマ(Giriama, Giryama)、ラバイ(Rabai, Raphai)、カウマ(Kauma)、リベ(Ribe)、カンベ(Kambe)、ジハナ(Jibana, Dzihana)、チョーニィ(Chonyi)が属している。
164 ク・ジラ(ku-zira)。食べるよう提供された食べ物を拒む行為を指す動詞。非常に無作法な振る舞いとされる。敵意の表明に近い。
165 ムブァ(muphwa, pl.aphwa)。甥、姪(ZS(sister's son), ZD(sister's daughter)。伯父(MB(mother's brother)は aphu。甥・姪と伯父は互いを aphuと呼び合う。
166 アブ(aphu, pl. aphu, ano aphu)。「母の兄弟、母方オジ」。甥、姪は muphwa。甥姪と母の兄弟は互いを aphu と呼び合う。
167 アブ(aphu)は「母の男キョウダイ」であり、当然男性であるが、甥・姪にとっては「男性である母」のような存在であるとされる。ラドクリフ=ブラウンが論文「南アフリカにおける母の兄弟」で論じた、アフリカではしばしば、母の兄弟は一種の「男性の母(male mother)」で、父の姉妹は「女性の父(female father)」的な存在であるという主張(Radcliffe-Brown, 1972(originally 1952): 19)を、ドゥルマで再確認することは(個人的には)ちょっと感動ものだったのだが、今更だれも驚かないですね。
Radcliffe-Brown, A.R., 1952, Structure and Function in Primitive Society London: Routledge & Kegan Paul.
168 アキリ(akili, pl.akili)。「知恵、知性、分別」などを意味する名詞。スワヒリ語とも共通。脳の頭蓋骨の大泉門があった辺りの下がアキリの場所とされている。
169 ミコジョ(mikojo)。「尿、精液」。動詞ク・コジョラ(ku-kojola)「排尿する」より。mikojo mikojo は「とるに足らない、ろくでもない、価値がない」を意味する表現。
170 ク・ヘンダ・ガガラ(kuhenda gagala)。ガガラ(gagala)は擬音語で、固い布や、かつて寝台に敷いて用いていたヤギの革のような固いものが立てる、ガサガサいう音のさまを表現する言葉。チャリはここで、母親というものは眠っていても、そばで寝ている子どもがみじろぎして革の敷物をガサガサ言わせると、すぐに起きて見に行くほど、子供のことをいつも気にしているのだと、述べている。
171 憑依霊に対する「モノ vitu」は、ここでは命令によって作動する「薬」を用いて人を害する妖術の婉曲表現として用いられている。
172 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
173 ク・ツァンガーニャ(ku-tsanganya)。カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
174 ク・ブェンドゥラ(ku-phendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。基本的には、妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてやる、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、その患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。他にも、さまざまなやり方が、妖術の異なる種類に応じて、存在する。ニューニ(nyuni44)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。
175 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。
176 ジャンバ(jamba)。ジャンバ導師(mwalimu jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿42、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
177 ムァニュンバ(mwanyumba, pl. anyumba)。姉妹のそれぞれと結婚した男たちは、お互いをムァニュンバ(mwanyumba)と呼び合い、互いに協力関係にたつ。
178 このくだりは聞き取りにくいのだが、bahatiyeは、ドゥルマ語的表現で、スワヒリ語であれば bahati yakeになるはず。困るのは ノンド(nondo)はドゥルマ語では「乳房」を意味するが、スワヒリ語では「ドラゴン(竜)」であるという点。ここまでのところ、使われている単語はムァニュンバ(mwanyumba)以外はすべてスワヒリ語だった。ジャンバに対する唱えごとの中にも nondo baharini という表現は頻出する。スワヒリ語である点に拘ると、書き起こし担当の聞き間違いで「海のドラゴン」で良いと思われるのだが、イスラム系の憑依霊に詳しいムリナ氏によるとジャンバは女性の憑依霊で、その別名Jamba nondoをムリナ氏は、ジャンバは女性なので「乳房のジャンバ」なのだと説明したので、迷いつつもこの説明に従うことにした。
179 Rhizophora mucorata, マングローブの木の一種、建築資材として利用される。海岸系の憑依霊の草木(muhi wa pwani)。
180 直前の「縄 (ukambaa)」に乗せて、アラビア語風の唱え文句としたもので、特に意味はないと思われる(私の感想ですが)。
181 クルアーニ(kuruani,kuruwani)はイスラムの経典「コーラン」。 コーラン導師(mwalimu kuruani)はイスラム系の憑依霊。憑依霊アラブ人(Mwarabu)の別名とも。
182 ジキリ(zikiri)。イスラム系憑依霊のグループの一つ。イスラムの神を称える踊りや祈祷を意味するスワヒリ語 dhikiri より。zikiri maiti, zikiri maulana, zikiri nabisi(nabii=「預言者」の誤りか), zikiri labi(nabiiの間違いか), zikiri maulanaなど。
183 ジキリ・マウラーナ(zikiri maulana)。イスラム系憑依霊zikiriの一種。maulanaはスワヒリ語で「主、神、主人」
184 ジネ・バハリ(jine bahari)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。直訳すれば「海のジン」。男性。杖(mukpwaju)を要求。
185 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia63)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
186 ツァンガジミ(tsangazimi)。父の姉妹。
187 ウクーチェ(ukuche)。母系クラン。父系クランは、ウクルメ(ukulume)。ドゥルマはミジケンダの9グループのなかで、隣接するラバイと並んで二重単系出自のシステムをもつ。母系クランは数も多く、私が初期の調査で確認しただけで22の母系クランがあった。 1.Tsongo, 2.Nguvu, 3.Kabu, 4.Nimwaka, 5.Nizije, 6.Mbari ya kupha, 7.Mwagoro, 8.Ngome, 9.Mbari ya boze, 10. Nigandi, 11. Mbari ya mbere, 12. Mwalea, 13.Chinasaburi, 14.Chinangara, 15.Ndzibana, 16.Mbari ya Uchi, 17.Chinatsui, 18.Mdziribe, 19.Mbuwa, 20.Chinakulo, 21.Chinakuria, 22.Mahija。これらの母系クランのなかにはディゴのクランも含まれているかも知れない。かつてはウシなどの家畜、現金などの動産はすべて母系的に、つまり母の兄弟から姉妹の息子へと継承されていた。今日では相続は父系相続に一本化されており、母系クランの役割は殺人賠償を受け取る権利/支払う義務においてのみ見られる。各母系クランとその分枝はキフドゥと呼ばれる壺を管理しており、ある種の皮膚病などがこのキフドゥの壺によるものであることがわかると、自分の母系集団の壺を管理している施術師(bora wa chifudu)のところで治療を受けねばならない。キフドゥの壺は、その継承者を自分で選び、現管理者が死亡すると、自ら道を転がって継承者の家を訪れると言われている。またキラボと呼ばれる呪詛は、しばしばターゲットの属する母系親族全体に及ぶとされている。
188 ンゴンジ(ng'onzi)。「ヒツジ」この地域で広く見られるヒツジは尾に脂肪を蓄えた東アフリカの固有種。ドゥルマでヒツジを儀礼、施術に特別に必要とするのは、性の規範の逸脱による災厄(日本で言う近親相姦的な性関係を含む)の矯正施術を始めとする、秩序の乱れの修正に関するものである。憑依霊のなかにはゴジャマ(gojama48)やニャグ(nyagu153)、ムドエ(mudoe189)のように、ヒツジを取り置かれれる動物として要求する憑依霊がいる。
189 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu39)は、ムドエの草木(特にmudzala190)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
190 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma67)、憑依霊ドエ人(mudoe189)の草木。
191 マル(malu)。姦通の賠償。1990年当時、人の妻と性関係をもった男には、ヤギ一頭または3~400ケニア・シリングが要求されていた。
192 何を意味しているのか不明だったのだが、カタナ氏が zumo ra mangeじゃなく zumo ra manje で「大勢の人々が集まっている様」だとのこと。"Maana ya 'zumo ra manje' ni atu anji. Ni ungi wa atu. e.g., Atu anji anararamuka kpwa muganga."
193 ンガラワ(ngarawa)。ケニア、タンザニア海岸部で見られるアウトリガー(舷外浮材)付きの小舟。スワヒリ語では ngalawa。
194 ンゲレンゲ(Ngelenge)は、このカヤンバが開催された場所の地名。舷外浮材付きの小舟ンガラワ(ngarawa)が本来の歌詞だが、音が似ているために即興で変更したものだろう。
195 グング(gungu, pl. magungu)。「未亡人」。夫に死なれた女性は、夫の父系クラン(ukulume)の誰かの妻になる。通常は死者の父方平行イトコの範囲(彼女に対する婚資の支払いに関わった)の誰か。この場合は婚資の支払いなしに再婚される。ただしヒツジの供犠が必要。祖父の未亡人と孫息子が再婚する場合は、ヒツジの供犠は必要ない。再婚に当たっては未亡人の意思が尊重され、未亡人は誰の妻になるかを告げ、告げられた男は再婚を拒否できない。この範囲外の男性の場合は、同じ父系クランの成員であっても、死者の兄弟たちに婚資の支払いをせねばならない。父系クランの誰とも再婚を望まず、そのまま屋敷に残る場合は、彼女にはその後、一切の性関係が禁じられる。父系クラン外の男性との再婚を望む場合は、相手の男性は死者の親族に対して、婚資(mali)に加えて姦通の賠償(malu 通常ヤギ1~5頭あるいは300~1000シリング(1980年代))を支払わねばならない。このシステムで未亡人を娶ることをク・ワラ・グング(ku-wala gungu)、未亡人として誰かに嫁がれることを ku-walwa gungu,あるいはku-lozwa gunguという。
196 サメもエイも海岸部の漁民(主としてディゴ人)が漁り、塩漬けにして干し乾燥させた物は、内陸部のドゥルマの市でも売られており、ワリ197のおかずとして食されている。
197 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wari)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。
198 解釈が難しい。動詞としては、ku-zumira は明らかに「不平の声をあげる」を意味する動詞ku-zumaのprepositional formであり、「私に癒やしの術に不平を言わせて」とやや意味不明の歌詞になる。一方名詞zumo(pl. mazumo)は「不平の声」を意味し、名詞zumiro、zumwi(pl.mazumwi)は「大きな歌声」。これら一連の単語は、なんとなく「声」に関係しているようだ。カタナ氏の説明によるとku-zumira ugangaは uganga をより強力にする、nguvuを増大させるという意味だという。一応、それを受け入れることにする。癒やしの術を「歌っておいで」、癒やしの術を「(声をあげて)称えておいで」でもいいかもとは思うが、「不平」はだめだと思う(独断)。
199 ゾンボ(Dzombo)。地名。この名で呼ばれる場所は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
200 ここでは、韻を踏むように'runga'という語が繰り返されている。動詞ク・ルンガ(ku-runga)はディゴ語で「ついて行く、follow」を意味する動詞。しかしディゴ語には私の理解する限りでは'runga'を名詞として使用する用法はない。しかしここでは、runga za uganga は明らかに'nirunge'の目的語となっている。ドゥルマ語では名詞のrungaがある。runga(pl.runga)が「かつて農地だったが休耕によってブッシュに戻った土地」の意味で使われている例に一度だけ遭遇したことがある。一方同じくドゥルマ語のrunga(pl.marunga)は、通常複数形(marunga)で用いられ、「賃仕事」を意味するが、近年ではあまり耳にしない名詞である。近年ではこの意味ではスワヒリ語のkipandeに由来するchipande(pl.vipande)の方が普通に用いられている。これは他人の畑の特定の区画を割り当てられて耕し、現金で報酬を得るという近年(といっても1980年代以降)の慣行(それ以前には近隣で日本のかつての「結」のような形での互酬的な共同労働の形をとっていた)で「賃労働で耕す畑の一区画、またはその労働」を指す名詞である。「賃仕事」では歌詞に筋が通らなくなるので、私はこの歌のなかでのこの名詞を単に「仕事」と訳することにした。...と書いたが、もっと単純な解もあるかもしれない。ドゥルマ語では動詞を重ねて、その持続や程度の大きさを伝える用法がある。例えばku-tuwaは「ついていく」だが、ku-tuwa tuwaになると「つきまとう、どこまでもついて行く、どこにでもついて行く」といった意味になる。narunga runga za uganga は、narunga runga (kazi) za ugangaであると考えると、「癒やしの仕事をどこまでも極めて行く、ずっと続けていく」という意味で単純に理解できることになる。このケースではどちらの解釈にせよ、訳としては、そう違いはないことになるが。
201 ニィカ(nyika)。「荒地、不毛の地、未開地、荒蕪地、人跡未踏の地、木々のない草原」。ドゥルマを含むミジケンダは、かつてはワニィカ(wanyika)という蔑称で呼ばれていた。今でもイスラム化したディゴの人々は、ドゥルマ人を田舎者、ニィカの人間だと軽蔑して語ることがある。私が調査した地域のドゥルマの人々は、自分たちの土地がニィカだとは考えていない。しかし同じドゥルマでもさらに奥地はニィカで、そこのドゥルマ人は自動車も見たことがなく、自動車が通ると皆が動物だと思って弓で射ってくる、などと冗談とも真面目ともつかずに話す。憑依霊ドゥルマ人はニィカからサボテンやミドリサンゴの木を打倒しながらやって来て人々に取り付く田舎者の霊として語られる。
202 ムベガ(mbega, pl.mbega)。オナガザル科のアビシニアコロブス(Colobus guereza)。そのマント状の長い毛が特徴の毛皮を、背中に付けて激しく揺り動かす伝統的な踊りもムベガと呼ばれる。写真はwikipediaより。
203 ングオ(nguo)。「布」「衣服」を意味する名詞。スワヒリ語も同様。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。多くはカヤンバなどにおいてmuwele18として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
204 ドゥルマ語では ku-ima は動詞で「立つ」を意味する。imani は二人称複数の命令形。しかしもしスワヒリ語だとすると名詞で imani は「信念、信頼、良心、敬虔」などの意味をもつ。ここでは前者で解釈したが...
205 タンダラ(t'andara, pl.mat'andara)。伝統的な(昔の)寝具の一種で、細い棒をすだれのように編み繋いだもので、伝統的(昔の)寝台(uriri 地面に立てた6本の杭の上に棒を並行に渡したもの)の上に敷いて寝た。
206 FORD(Forum for the Restoration of Democracy)。ケニアは1991末まで26年間に及ぶKANU(Kenya African National Union)207の一党独裁制のもとにあったが、1992年の憲法改正により多党制が導入され、いくつかの政党がその年の選挙に候補者を立てた。一党制のもとでの支配政党であったKANUに対抗する有力な勢力がFORD(Matiba率いるFord-AsiliとOginga Odinga率いるFord-Kenyaの二つの政党に分かれていた)であった。
207 KANU(Kenya African National Union)。ケニア独立後の1964年に対抗勢力であったKADU(Kenya African Democratic Union)を吸収し、KANUは事実上の単一支配政党となっていたが、初代大統領Jomo Kenyattaの死後、その後を次いだDaniel Arap Moi大統領のもとでの1982年の憲法改正でKANUの一党独裁体制が完成した。1991年に盛り上がりを見せた民主化要求の流れのなか、1991年12月に憲法による一党独裁は終わりを告げ、1992年には初めての多党制のもとでの総選挙が行われた。その後もKANUの勝利は続いたが、2002年の総選挙でMwai Kibaki率いるNARK(National Rainbow Coalition)の勝利により、KANUによる40年に及ぶ一党支配と24年に及ぶMoi大統領の治世はようやく終わりを告げた。
208 DP(Democratic Party)。ケニアは1991末まで26年間に及ぶKANU(Kenya African National Union)の一党独裁制のもとにあったが、1992年の憲法改正により多党制が導入され、いくつかの政党がその年の選挙に候補者を立てた。一党制のもとでの支配政党であったKANU207に対抗する、FORD206とならぶ有力な勢力の一つがMwai Kibaki率いるDPであった。
209 タブ(tabu)は「困難、厄介事、難儀」などを意味する名詞だが、ここでは人名であるように見える。なおチャリの長女の名前はタブである。
210 グウェングウェレ(gbwengbwele, pl. magbwengbwele)。「大きい硬貨」。1990年代にはドゥルマでは5セント硬貨を指すのにこの言葉が用いられていた。しかしこの歌の中にいきなり出てきて、どう解釈したらいいのか、困ってしまう(カヤンバの歌はそんなのばかりなんだけど)。
211 ビスミラーイ(bismilahi)。コーランの最初の章 Surah Al-Fatihahの冒頭。ドゥルマの自称イスラム教徒の多くは、この言葉を「始まり」(ドゥルマ語では maunuki)という意味で理解している。食事の際に、最初にトウモロコシの練り粥に手を伸ばすときに、ビスミラーイと一言唱える人も多い。イスラム系の憑依霊ももっているチャリたちも、唱えごとの最初に Surah Al-Fatihahの冒頭と思われる部分を唱えることがある。その部分の書き起こしとAl-Fatihahの冒頭を対照してみる。例えばムリナの唱えごとの始めの部分。そこそこ正確と言っていいのだろうか。
Bismilahi rahmani rahim(Arabic:Bismillah al-Rahman al-Rahim =In the name of God, the Most Gracious, the Most Merciful). Audhubilahi mina shetwani rajim(Arabic:Auzubillah Minashaitan Nirajeem=I seek refuge in Allah from the outcast Shaitan). Swala(スsala,swala=mavoyo kpwa mulungu) Iyaka na budu wa yaka na mustahim.(Arabic:Iyyaaka Na'budu wa Iyyaaka Nasta'een=It is you alone we worship and You alone we ask for help). Mali ya umidini(Arabic: Maaliki Yawmid-Deen= Sovereign of the Day of Recompense). Mswaidi na mswirata musitakim(Arabic: Ihdinas-Siraatal-Mustaqeem= Guide us to the straight road).
212 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
213 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
214 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
215 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。スワヒリ語ではmayungiyungiは睡蓮(ドゥルマ語ではtoro(pl.matoro))なのだが。ムユンゴ(muyungo)も同じか。「マユンゲ(マユンギ、ムユンゴ)子神」はムルング子神(mwanamulungu120)の別名。
216 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
217 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
218 ジャビジャビ(jabijabi)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとに出てくる言葉。コンテクストからは高い山、池などの地名と思われるが該当箇所は不明。なお憑依霊ジャビジャビ導師(mwalimu jabijabi)は憑依霊ペーポームルメ(p'ep'o mulume)つまりスディアニ導師(mwalimu sudiani32)の別名とされている。しかし唱えごとのコンテクストからはこの意味ではないと思われる。
219 ングラ(ngura)。意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
220 サンブル(Samburu)。ナイロビとモンバサを結ぶ街道沿いの小さな交易町。モンバサからナイロビに向かい、マリアカーニを過ぎると、次の主要交易町がサンブルである。ドゥルマの中心町キナンゴで分岐する道の一つは、ヴィグルンガーニを経由してサンブルに至るダートロードで、私の最初の調査地、「青い芯のトウモロコシ」村もこのダートロード沿いにあった。この街道のサンブルの手前にムガマーニがある。
221 ムガマーニ(Mugamani)。地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cooke2003:393)
222 ンディマ(ndima, ndimwa)。チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
223 ポングェ(Pongbwe)。チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
224 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
225 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
226 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu119)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma227)、ムブァツァ(muphatsa228)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata38)やピング(pingu39)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi229)やムドエ(mudoe189)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
227 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa228)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
228 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma227としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
229 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
230 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
231 ムボニ(muboni)。民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
232 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
233 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人234の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
234 ムンギンドゥ(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
235 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、ナンディ人236の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
236 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea235、mukavirondo237はいずれもナンディ人の別名であるという。
237 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
238 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
239 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola21)の対象となることもある。
240 ムリマ・ンガオ(murima ngao)。民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
241 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)234の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi242)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
242 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(243)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana245, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
243 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi242)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari244)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)98」とライカ(laika77)およびシェラ(Shera74)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師63を「外に出し」てもらうことになる。
244 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師185などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze108を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba61)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)63」とドゥルマ人(muduruma67)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri76)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza75)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
245 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)246」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
246 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
247 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki248)、キツィンバカジ(chitsimbakazi78)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか、カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
248 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ95、ニャリ96、ムビリキモ71などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika77)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
249 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
250 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。チャリの唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena95)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari96)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga247)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。施術師によっては、ガーシャをディゴ系の憑依霊だとし、rero ni reroやmandanoを同じグループに入れる人もいる。
251 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
252 ゴロゴシ(gologoshi)。憑依霊カンバ人の女性の別名。
253 ンガイ(ngai)。憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
254 ムカンバ(mukamba)。民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai253)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ253を参照のこと。
255 ムマニェマ(mumanyema)。民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
256 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。別表記としてライカ・キブェンゴ(laika chibwengo)、ライカ・キブェング(laika chibwengu)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。スワヒリ語のキブェンゴ(kibwengo)は辞書では「大木や海に棲む悪霊」と定義されている。Caplan,1975によるとMabwenguは憑依しない海の精霊だと述べられている(Caplan,A.P., 1975, Choice and Constraint in a Swahili Community: Property, Hierarchy and Cognatic Descent on the East African Coast, Routledge, p.112)
257 ライカ・ジャロ(laika jaro)、ライカ・マジャロ(laika majaro)とも。ジャロ(jaro)は「旅」を意味するチャロ(charo)のaug.形、その複数形がmajaro。このライカは休むことを知らず、ひたすら旅を続ける(mutu ariye kaoya, jaro kpwenda tu.)。ライカ・ムェンド(laika mwendo83)の別名。
258 スワヒリ語で、「お供え」「ご馳走」の意味。憑依霊などに与える動物やその血などの供物を指す。
259 夜間のカヤンバでの写真撮影を許してもらえたのは、ムリナ・チャリ施術師夫妻、ムニャジさん、ムァインジ・アンザジ施術師夫妻だけ。それでも患者の親族が拒む場合は当然無理だった。カメラをもっていっても、結局撮った写真のほとんどは、出席者が要求する「記念写真」(プリントは全員に―画面の隅に偶然チラリと入った人も含めて―必ずあげなければならなかったし、多くはネガまで要求された。)で、次第に私は写真を撮る気をなくしていった。全体に写真資料が少ないのはそのためもある。下手なスケッチで代用してたり(恥)
260 ジンジャ(jinja)。憑依霊ジンジャ(jinja)。ジンジャ導師(mwalimu jinja)。イスラム系か内陸系かあいまい。かつてChariのもつ主要な憑依霊の一つだった。瓢箪子供を世界導師(mwalimu dunia)と共有。使用草木は、ジャバレ導師(mwalimu jabale)、世界導師(mwalimu dunia)、ジンジャ、カリマンジャロ(karimanjaro/kalimanjaro)で同一。他方で、ガンダ人(muganda)の別名ともガンダ人の王だとも言う。上着、横縞の布、羽毛の帽子(chiluu)、右手に毛はたき(mwingo)、左手に瓢箪子供をもった姿で現れる。Chariの占いの担い手。症状: いたるところにヘビが見える、道を歩いていてヘビに出会う、身体じゅうをヘビが這い回る(のを感じる)、意識が変調する(kubadilisha akili)、血を吸われる、死んだり(意識をなくしたり)生き返ったり。治療: 12日間の「鍋」(mudurumaと同じ)。mudurumaと同時に「外に出された」。ただし瓢箪子供はドゥルマ人は自分の瓢箪子供をもち、ジンジャは世界導師の瓢箪子供を共有。歌の中では「私は海岸部(pwani)にもいるし、内陸部(bara)にもいる」とされ、世界導師の属性そのものを示す。