メムロンゴの「重荷下ろし」のカヤンバ

(注意: 以下のウェブページはどのように読んでもよいのですが、メインは録音書き起こしを日本語に訳したテキストで、日記の抜粋、フィールドノートはこのテキストに対するコンテキスト情報として読んでいただけると幸いです。)

目次

  1. 概要

    1. 日記より

    2. 重荷おろしとは

  2. 当日の出来事の流れ(フィールドノートより)

    1. ビーズ飾り作業

    2. 第一部:徹夜のカヤンバ開始

    3. 第二部:シェラの嗅ぎ出し

    4. 第三部:重荷おろし

  3. チャリ・ムリナ施術師夫婦による補足・コメント

  4. 書き起こしドゥルマ語テキストの日本語訳

    1. ビーズ飾り作り

    2. 徹夜のカヤンバ

    3. 嗅ぎ出し

    4. 重荷おろし:ウリンゴに向かう

    5. 重荷おろし:ウリンゴにて

    6. 重荷おろし:ウリンゴからの帰り道

    7. 重荷おろし:屋敷にて

  5. 注釈

概要

(日記1より抜粋)

Dec.1, 1993, Wed, kpwaluka, mwezi6, kumi ra kahi

午後1時Mazora2に向かう。Mazora方面が今にも雨が降りそうで、Mazoraに向かう坂を登っていると冷たい風が吹き付けて来て黒雲が立ちこめ、気が気でない。幸い雨が降りだす直前にMechombo3の屋敷に到着。Mwainzi夫妻4とChariたちはすでに到着してmarero87を作成したり、薬液を作ったりの作業をしている。約束通りの食事が用意されていないといってanamadzi88しきりと不平をいう。marero87の作業ではmulungu90とmudigo83、shera76の歌が楽器なしで歌われる。丁度良い機会なので何曲か録音。mareroの作業は深夜まで続く。kayamba95は10時前に始まる。かなり早い開始時間だ。私は一応1時近くまでおきていたが、明日のkuphula mizigo56が今回の目玉なので、テント97で仮眠をとる。3時ごろ目を覚ますとちょうどMunyaziがmuduruma48でgolomokpwa98しているところ。慌ててテントの外に出て録音。しかしその中断をきっかけにmakolotsiku100に入る。残念ながらuchi101のmakolotsiku。再びテントへ。次に目を覚ましたときには、mwalim kuruwani102の歌を演奏中。5時だった。一人Jamba103でひっくり返っている。その後mulunguの演奏によって、mwana wa ndonga(chereko93)が与えられる。何とこのkayambaはcherekoを与えるkayambaでもあったのだと気がついたときにはすでに遅い。もし知っていたなら、chereko作成の呪文を録音できたのに。Murinaによるとチェレコは朝4時ごろ作成されたという。その後mudigoとDena74で夜の部を終了する。けっこう寝たのであまり疲れていない。

Web化に際しての注

Mechombo: メチョンボ(Mechombo)。施術師ムニャジ(Munyazi3)の「子供名dzina ra mwana86」。日記、フィールドノートともこの2つの名前が混在しているが、同一人物であることに注意していただきたい。本来統一するべきだが、日記とフィールドノートにおける記述に手を加えないでそのまま提示するという方針に従って、あえて統一していない。ごめんなさい。

Dec.2, 1993, Thu, kurimaphiri mwezi7/kahi

朝食後8時すぎにkuzuza55が始まる。疲れてないと思って調子に乗ってついて行ったのが大失敗。Mechombo3が先頭に立って行ったのだが、Kinango近くまで引っ張りまわされる。マラソンか。これでぐったり疲れる。しかし屋敷に戻って小屋の中でchivuri54を戻すと、全く間をおかずすぐさまkuphula mizigoに入る。Chariに対しておこなったときには若干省略ぎみであったが、今回はほとんど完全バージョンをみることができた。uringo104は屋敷からずいぶん離れたziyaの中に設定してあったし、そこでのmaphuli105の手順も非常に組織だっていた。残念ながらスライドフィルムが途中でなくなり(何故か準備が悪い)せっかく2台のカセットレコーダーで万全を期していたのに、相変わらず一部で録音を失敗する。ziya19の中なので近寄れずmakokoteri106を録音することができなかったのも残念。午後1時すぎに全過程を終了する。後は例によってkulumbana107なので失礼しようとするが、Mechomboに引き止められる。ちょうど激しいvuri108の雨が10分近く降り、その間にすでにmaini109が煮てあったのでそれを一口食べただけで失礼する。帰り際、Mwainzi夫妻から土曜日の結婚式に招待されてしまう。行かない訳には行かないだろう。疲れる。 3時半に帰宅。コーヒーを飲み荷物を整理して一息ついているとMurinaたちも帰途立ち寄る。mwana wa ndonga92が与えられた経緯について少々質問。Murinaたちも疲れている様子で、ココアを飲むとすぐに帰る。自転車疲れがたまって来ているせいか、腰がめちゃめちゃ痛い。水浴びを明るいうちに済ませ、ベッドで横になる。

「重荷下ろし」とは

そもそも「重荷下ろし」とは何か、ということだが、それについては「重荷下ろし」についての総説のページにざっと目を通していただきたい。ここでは個別の二日がかりのいくつものカヤンバが複合した施術のなかで、重荷下ろしのプロセスに重点を置いて紹介することにする。

主な参加者

施術師: 男性 Mwainzi wa Lugo(Munyaziの施術上の父)、女性 Munyazi wa Shala(Mechombo)

カヤンバ奏者: Mwainziのアナマジ(anamadzi88)が担当。 ゲスト施術師:Anzazi(Mwainziの妻)、MurinaとChariの夫婦

Anzaziは単なるオブザーバーとしての参加だったが、かなり積極的に活躍していた Chariたちは、ただ見に来ただけだが、matungo110の作成、Murinaはchereko93 の作成等に従事。

患者: Memulongo

場所・日時

開催場所: Shalaの屋敷(Munyaziの家) 日時: Dec.1, 1993(14:00) ~ Dec.2, 1993(13:00)

ムウェレについて

ムウェレは、メムロンゴ(Memulongo)という子供名(dzina ra mwana86)をもつ女性。今回のカヤンバには夫とともに参加(「重荷下ろし」の際に配偶者がいる場合はその参加が必須であるため)。ムニャジの占い(mburuga)の客。ムニャジ自身の占い以外に、他の施術師の占いにも2回行っている。いずれもが最初のムニャジによる診断を裏付けた。施術師の選定111についても、全ての占いがムニャジを治療担当施術師に選んでいた。 この結果を受けて、ムウェレの訪問を受けたムニャジは、彼女にそのまま自分の屋敷に留まって治療を受けるよう勧め、ムニャジの屋敷で鍋(nyungu17)と薬液(chiza18)で治療した後に、カヤンバを開催する手筈を立てた。

当日の出来事の流れ

(フィールドノートよりの抜粋)

例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。といっても、ドゥルマ語がそのまま使われていたりして、私以外には読みづらいものであるが、フィールドノートそのものの記述に手を加えるのは避けたいので、ドゥルマ語箇所は注釈の形で補足説明する。ただしフィールドノートの記述の一部は、ワタシ何をトチ狂ったか下手くそな英語でメモしており、この英語箇所はあまりにも恥ずかしすぎるので、そのまま転記の原則を破って、日本語に直しています。ごめんなさい。セクションごとの表題は、ウェブページ化する際に追加。使用している訳語などは当時のまま訂正せず。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。

ビーズ飾り作業(matungoni110)

女性aganga、ateji88たちによる ku-tunga110 marero87 必須113: sigara114 & mukahe115 na chai116 ムルングの歌、シェラの歌を歌いながら ドゥルマ語テキスト (DB 6747-6761) (日本語訳)ビーズ飾りを作りながら歌う


ムァインジ氏とムリナ氏は仲良く、あれこれ議論しながら、薬液作り。

【Part1: kayamba95 ra kuchesa119

22:00 kayamba開始 makokoteri106 for kusimika ngoma120 (Mwainzi) ドゥルマ語テキスト (DB 6762-6763) (日本語訳) ンゴマを据える唱えごと

(一連の憑依霊の歌) ドゥルマ語テキスト (DB 6764-6784) (日本語訳) ンゴマ開始からの歌(抜粋) mwanamulungu91 (DB 6764-6765) mwarabu121 (DB 6766) chitsimbakazi59 (DB 6767-6769) mwavitswa122 (DB 6770) mubarawa123 (DB 6771-6773) musambala124 (DB 6774-6776)

次にどの憑依霊の歌を歌うかについての短い議論 ドゥルマ語テキスト (DB 6777) mukpwaphi125 (DB 6778-6779) chiyuga aganga126 (DB 6780-6784)

00:50 * | シェルターで仮眠 *

憑依霊ドゥルマ人出現!

02:45 muduruma48 の歌(unrecorded)
憑依霊ドゥルマ人では当然チャリさんも、ここぞとばかりに踊った。でもいつものように占いを始めたりして、衆目を集めるようなパフォーマンスはなし。今日の主宰者ムニャジがちょっとうざいドゥルマ人となって、管を巻いていた。
Munyazi 憑依状態 ドゥルマ語テキスト (DB 6785-6799) 3つの異なる人格が現れる 小さい子供、男のドゥルマ人(ドゥルマ語で喋る), ギリアマ人長老

03:20 ヤシ酒の makolousiku100 * | シェルターで仮眠 * 05:00 mwalimu kuruani102 (unrecorded) mudigo83 ディゴ人の歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6800-6804,6806)
muwele128 yugolomokpwa132、Anzazi yunakokotera133 アンザジの唱えごと(一部) ドゥルマ語テキスト (DB 6805)

mudigo(ku-bit'a) ディゴ人の歌 ドゥルマ語テキスト DB 6806

瓢箪子供を差し出す

kulavya134 mwana wa ndonga92 (chereko93)

mwanamulungu (unrecorded) muwele yugolomokpwa、Anzazi 彼女に chereko を探しに行けと言う "haya mwana yunarira, mwana yunarira"135 と言ってもcherekoは特に隠されていたわけではなく、小屋の中、戸口の わきに布にくるんで置いてあった muwele 'chereko' をもって嬉しそうに踊る

jamba との会話

jamba103 (unrecorded) 私が目覚める前にgolomokpwaしていた女性に対して演奏 彼女はcherekoの授与が終わるまで、中断され待たされていた

Munyazi もまたjambaで golomokpwa Murinaと chiryomo136で会話、次いでスワヒリ語で。やがて沈静化する。 ムニャジ、異言でムリナと応酬 ドゥルマ語テキスト (DB 6807-6808)

dena74 憑依霊デナの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6809-6810)

mugayi137 憑依霊ムガイの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6811)

mudigo83 憑依霊ディゴ人の歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6812-6813)

Mwainzi 徹夜のカヤンバを締めくくる makokoteri(not recorded)

【Part2: kayamba ra kuzuza mashera138

aganga: Mwainzi & Munyazi, Chari, Murina, Anzazi はmuweleとともに屋敷に残る muwele は小屋の中に仰向けに地面に横たわる

mwanamulungu 4 songs(unrecorded) mugayi 2 songs (ordered by Mwainzi, unrecorded) mudigo 3 songs (unrecorded)

mudigo 3曲目にMwainzi、小屋を反時計回りに巡る
sheraの曲でkuzuzaに出発 最初はMwainziが先導するが、途中からMunyaziを先頭に 今回は私も同行する
「嗅ぎ出し」出発!

途中2箇所のmuzuka36を経て(mafufuto139を採取)、キナンゴ近くのMienzeni川 まで(遠すぎ!)進む。 最初のムズカでの唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6814) 憑依霊シェラの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6815)
川の深みにて

kuku141 wa kundu142をku-tsinza143 川底の泥やmatoro144, vilongozi145を採取して戻る

屋敷に戻ると、反時計回りに小屋を巡り、Mwainzi後ろ向きに背中から小屋の中にはいる 泥、matoro等を包んだmulunguの布を、地面に仰向けに寝ているmuweleの上に広げ、バケツの水を盛大に注ぐ(muweleびしょ濡れ)

kuku141 mwiru142の脚を持ってvuo20の水に浸け、muwele を kuvunga146 ndonga147 の口を患者の身体の各部(目、鼻、耳、口などの開口部、各関節など)に近づけ息を吹きかける 以上で ku-udzira chivuri148 は終了

makokoteri 嗅ぎ出し終了の唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6816)

【Part3: kuphula151 mizigo】

出発~ウリンゴまで
  1. 屋敷にて kuzuzaが終了すると、おお急ぎでmuweleを小屋の外に連れ出し、chinu152の前でvuoの薬液で洗う

kayamba隊がmuweleを囲み、sheraの歌を打つ 重荷おろしに出発するシェラの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6817)

その一方でmahundu153にビン12本を詰めたりの作業が大忙し 水の入った瓶12本、manga1541本、miwa1551本、payu1561個、nazi1571個、izu1581本、mahamuri891個、kuni1593束

muwele これらの入ったmahundu2つを両肩に斜めがけに掛けられ、頭にchinu152を載せられる(重すぎ!)

Sheraの歌が打たれるなか、出発 二人のagangaが鞭で急き立てる。 急き立てる ドゥルマ語テキスト (DB 6818)

  1. 道中(uringo104は池のなかに作られている。結構遠い.) 7songs of shera 道中歌われるシェラの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6819-6825)

ウリンゴにて

3-1.
uringoにmuweleを座らせる前に、彼女が運んできた荷物を下ろしてやる。
muweleをuringoに座らせる。muteji88の膝の上に。 足がブラブラしないように足を置く小さな台の上に乗せる。 muweleを膝に乗せるmutejiはmatungo110を身に着けた者でなければならない。
3-2. chibakuli160にziya19の水を入れ、なかに昨日作成したmatungoを入れる 3-3. Mwainzi+Anzazi、kuku141 mwiru142の羽毛をむしりながらmakokoteri kuku mwiruをkutsinza143し、その血をmatungoを入れたchibakuliに滴らせる。 kuku mwiruを北の方角に投げ捨てる 3-4. Mwainzi、kuku mweruphe142の羽毛をむしりながらmakokoteri kuku mwerupheでmuweleの体を洗う kuku mwerupheをkutsinzaし、西の方角に投げ捨てる 3-5. Mwainzi、kuku wa kundu142の羽毛をむしりながらmakokoteri kutsinzaし、東の方角に投げ捨てる (uringoは池の中に設置してあり、近づけず、その周りでkayambaが演奏されているため以上のmakokoteriはほとんど聞き取れない) 鶏に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6826) 3-6. muweleにmatungoを着けてやる 3-7.
mubuzi161 ya kundu142を二人のanamadziの手を借りてmuweleの頭上に置き、 Mwainzi yunakokotera133 赤い(褐色の)ヤギに対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6827) 3-8. mbuziをmuweleの背後に下ろし、kutsinza143 3-9. 二組の女性atejiが、uringoの前後のchinu152をmutsi162でkuphonda163しはじめる その間にmuweleの頭上に、manga154, payu156, miwa155, mahamuri89, izu158, nazi157 を順番に置いてそれをmundu164で切り(あるいは、割り)、その都度makokoteri (例によってmakokoteriの大部分は聞き取れない)
パパイヤが割られる場面
makokoteri for cassava キャッサバ(manga)に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6828) makokoteri for mahamuri 揚げパン(mahamuri)に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6829) makokoteri for banana バナナに対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6830) makokoteri for coconut ココナツに対する唱えごと (DB 6831) ドゥルマ語テキスト (DB 6831) 3-10. Mwainzi、瓶の水をmuweleに背を向けて、makokoteriしながら後ろ向きにmweleに一本ずつかけていく。Murinaが補助(ちゃんと頭頂部に水がかかるよう) 一本かけ終わるごとに、空き瓶を後ろを向いたまま、muweleの頭越しに投げ捨てる。 makokoteri for 12 bottles of water 12本の水の入った瓶に対する唱えごと (DB 6832-6833) ドゥルマ語テキスト (DB 6832-6822) 3-11. kuni159を一束ずつmuweleの頭に載せてmakokoteri 薪に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6834) 3-12. バケツの水でmuweleを洗い、muweleの身体に、女たちがchinuで搗いたトウモロコシをこすりつけながらmakokoteri (録音失敗、テープが終了していたのに気づかなかったため) 3-13. makokoteri (by Mwainzi, Anzazi, Mechombo3) 燃える炭を muweleの身体を周回させ、その後、炭は ziyaに投げ入れられ、さらに水をぶっかけて完全に消火 燃える炭に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6835)

uringoni からの帰り道

sheraの歌をずっと演奏 帰り道のシェラの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6836-6838) 4-1. Mechombo3 yunakokotera133 鞭で打つと脅しつつ、屋敷への帰還を促す 帰還を促す語りかけ(ディゴ語) ドゥルマ語テキスト (DB 6839) 4-2. muwele、薪を集めるよう命じられる(鞭で打つと脅されながら) 薪を集めさせる語りかけ ドゥルマ語テキスト (DB 6840-6841) 4-3. vuwe165の一角を「夫」役の男(実際の夫が務める)が草なぎし、muweleはそこをjembeで耕すよう命じられる 畑仕事をさせる語りかけ ドゥルマ語テキスト (DB 6842-6843) 4-4. おかずにするmutsunga166を採るように命じられる おかずにする野草摘みでの語りかけ ドゥルマ語テキスト (DB 6844)

5. 屋敷にて

5-1. 小屋に入る muweleが小屋に入る際に、「夫」が4/=を小屋の戸口に置き、muganga(Mwainzi)がそれを拾い上げて、一行は小屋に入る 5-2.kubusa moho167 songs of shera(DB 6845) 室内でのシェラの歌1 ドゥルマ語テキスト (DB 6845) muwele採ってきたkuni159で火を起こすよう命じられる lalwa170をもってこさせる 「夫」はlalwaのところに4/=、figa171のところに2/=を置く muwele、搗いたトウモロコシをfigaにおいた石板の上で乾かすよう命じられる トウモロコシ粒を乾燥させる ドゥルマ語テキスト (DB 6846) 5-3. ku-saga172 song of shera 室内でのシェラの歌2 ドゥルマ語テキスト (DB 6847) Mechombo、muweleにlalwaの前に脚を伸ばして座り、粉挽きをするよう命じる (その場にいる皆がめいめい大声で喋っているのでほぼ聞き取り不可能) Mechombo yunakokotera 粉挽きを命じる、途中から唱えごとに ドゥルマ語テキスト (DB 6848-6849) songs of shera 室内でのシェラの歌3、4 ドゥルマ語テキスト (DB 6850-6851) kusaga締めくくりの唱えごと 粉挽きを締めくくり調理へ ドゥルマ語テキスト (DB 6852) 5-4. ku-jita173 wari muwele に wari174 na mutsunga166 を調理するよう命じる song of shera 室内でのシェラの歌5 ドゥルマ語テキスト (DB 6853) Mechombo、 muwele に順を追って wariを料理するよう命じていく Mechombo yunakokotera. 練粥作りの際の唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6854) song of shera 室内でのシェラの歌6 ドゥルマ語テキスト (DB 6855) Mechombo は muwele に小屋から出て、「夫」のところに wari と手洗いの水をもっていくよう命じる kayamba 演奏者たちも小屋の外に出る 練粥の調理を終え、外へ ドゥルマ語テキスト (DB 6856) 5-5. out of the hut(muhalani) song of shera 前庭でのシェラの歌1 ドゥルマ語テキスト (DB 6857) muwele=shera、muhala175で夫(これからsheraが「結婚」することになる)の手を洗ってやり、wariを食べさせる。muwele=shera 自身も食べる。 Mwainzi 加わる Mwainzi、muwele=sheraの「父」として、「娘」の作ったwariに文句を言う。「お前は私の mutsedza(義理の息子=muweleの夫)にひどいwariを食べさせるつもりなのか」。 ムァインジ「娘」の練粥に文句をつける ドゥルマ語テキスト (DB 6858) song of shera 前庭でのシェラの歌2 ドゥルマ語テキスト (DB 6859) Mechombo、水に生の草を浸しただけの「おかず」を差し出し、食べろという。 muwele 食べ、「夫」も食べる。 Mechombo、「嫁ぎ先についたら、すっかり変わった自分を見せなさい」 女たち「花嫁」をからかう。 5-6. 婚資の受け取り 「夫」、muweleの「父」に8/=の「婚資」を差し出す。 Mwainzi、muweleに自分は「婚資」を受け取ろうとしている。だから嫁ぎ先ではしっかり仕事をしてほしい、と諭す。怠け者は嫌いだと。 私は「婚資」受け取ってもよいか?お前の夫となるのは誰なのか、この場で私に示すようにと命じる。 muwele うなずき、同意する。 共食、その後婚資のやりとりで結婚成立 ドゥルマ語テキスト (DB 6860) 5-7. 小屋の中で Mechombo、小屋のなかでmuweleにku-handika(bed-making)するよう命じる Anzazi、kayamba playerを室内に呼び、演奏を続けさせる song of shera ベッド傍でのシェラの歌 ドゥルマ語テキスト (DB 6861) muwele、寝台に横たわる。「夫」もその横に横たわる。 Mechombo、muweleに妻の心得を諭す。お前は娶られたのだから、夫を敬え、水をもってこいと言われたら、持っていけetc. つづいてAnzaziも結婚したからには、今の振る舞いは捨て去り、このお母さん(Mechomboのこと)が、「あの人の娘はとっても分別がある娘だ」という噂を耳にするように、と諭す。 寝台での諭し ドゥルマ語テキスト (DB 6862-6863) 5-8. 小屋の外で songs of shera(unrecorded) Mechombo 締めの makokoteri Anzazi 追加の makokoteri Mwainzi さらに追加の addition 最後に再び Mechombo makokoteri 小屋の外での締めくくりの唱えごと ドゥルマ語テキスト (DB 6864-6865)

チャリ・ムリナの施術師夫婦による補足とコメント

Dec.2, 1993, Thu, kurimaphiri (from diary)

3時半に帰宅。コーヒーを飲み荷物を整理して一息ついているとMurinaたちも帰途立ち寄る。mwana wa ndongaが与えられた経緯について少々質問。Murinaたちも疲れている様子で、ココアを飲むとすぐに帰る。

(from the fieldnote) 【commentary on kayamba ra kuphula mizigo at Mazora】(Murina & Chari at my hut, on their way back from Mazora) ドゥルマ語テキスト (DB 7228-7230)

  1. 昨夜与えられたcherekoについて muwele は第一子がなかなか生まれず、mwana wa ndonga wa kuvoyere mwana(chereko)を作り、第一子が生まれたのちに、正式に与えられた。 しかしその後、与えられた mwana wa ndongaは壊れてしまった。 そして第二子Dumaeが生まれたが、病気になった。そこでcherekoを授けなおすことになった。

  2. muweleはmugangaではないのに、mwana wa ndongaは隠されて、自分で見つけるよう言われていた。普通cherekoはただ与えられるものなのに。 Chari: Chira mutu yuna ugangawe.(施術師ごとに癒やしのやり方は違うもの)

  3. Mechomboたちはmwana wa ndongaに鶏の心臓を入れた!Murinaが入れた。 鶏が割かれ心臓が取り出されたとき、それはまだ鼓動していた。それをぐるぐるに縛って入れた。入れたのはMurina自身。入れろと言われたので。

  4. cherekoは明け方4時に完成。Murinaが整えた。ushanga176はChariが巻いた。

  5. Mechomboは不機嫌だった。きっとMwainziが勝手に私たちをkayambaに招待したから。 自分の取り分(報酬)が減ると思ったのだろう。自分はお金をもらおうと思って行ったわけじゃない。ただどんなやり方でやるのか見たかっただけ。

書き起こしドゥルマ語テキストの日本語訳

ビーズ飾り作り

(ビーズ飾りを作りながら歌う歌) 作業しながらなのでカヤンバ伴奏なしに歌う。最初はングイ(ngui177ムァンザさん)が独りで歌い、チャリも参加。他の女性たちは無言。やがて何曲か歌った後にングイが苦情を言い、女性たちも加わる。

6747 (ムルングの歌1)

私はお母さんに呼ばれました、ムベガ兄弟よ、ウェー お父さんは私に言った、お前ムチェクィシャと 祖霊に祈りましょう ムルングに祈願するのよ 癒やし手たちの私たちの祖霊(夢か?) あなたは病人を与えられた、そしてあなたは治療した あなたは病人を与えられた、そしてあなたは治療した 一昨日 夜が明けたら、病気はぶり返す、難儀よ 癒やしの術は私を苦しめる

6748 (ムルングの歌2) ムァンザ氏が歌うが、途中からチャリもリードに入る。 (ソロ)

文句の多い人178、本当に、私は惨め、お母さん マレラ(marera179)よ、あなたは言われる、とき解いてくださいと ムルング子神(mwanamulungu)よ、人々はあなたに尋ねます 縛られている者は、やがてとき解かれるのでしょうかと、エー (合唱) 文句の多い人、ムルング子神、お母さん、ウェー 縛られている者は、やがてとき解かれるのでしょうか 縛られている者は、尋ねます 縛られている者は、やがてとき解かれるのでしょうかと、エー

6749 (ムルングの歌3) チャリが歌い出すが、ムァンザ氏はその歌を知らないと言う。

私の蝿追いはたきをください 私の蝿追いはたきをください 私はひどい目にあっています、ヘー、私の蝿追いはたき 私はひどい目にあっています 私の蝿追いはたきをください 私はひどい目にあっています、ヘー 蝿追いはたきをください、施術師さんたち、私のために祈願して

6750

Mwanza(Mz): ああ、その歌、全然つかめそうにないよ。知らない歌だよ。 Chari: ご存知ないの?まずは不平をおっしゃいなさいな。そして慣れるわよ。 Mz: ああ、そもそもあなたがここで歌えば、明日になれば私も歌っているさ。それとも...

6751 (シェラの歌1)

落ち着いて、ええ、落ち着いて 池に、お母さんのところに、ウェー 仲間のアナマジ88の方々 ああ、もう、池で心を掃かれに 何を探しに?ムヴモ180とムザジ182とムグィラツォンゴ184 施術師たちの秘密 さあ入りましょう、アテジ88の仲間たち さあ、池で心を掃かれに さて、何を探しに?ムヴモとムザジとムグィラツォンゴ、入りましょう ウェー、お入りなさい、アテジの仲間たち ウェー、池にお入りなさい、心を掃かれに

6752

Murina(Mu): さあ、シェラ、シェラ、シェラ。 Anzazi(An): さあ、なんて言われてましたっけ?どうしてあなた何も歌わないの? Woman: ああ、何も歌わないって、なによ、お母さん。歌は終わったわ。つまり、あのングイ(ngui177)が歌いやめたのよ。 Mwainzi(Mw): ねえ、お母さん。あなたはあっちのディゴの人たちといっしょに暮らしている。だからあなたは知っている歌はどれも、あちらの方たちとうまくいくように、ディゴ語で歌おうとされてるんでしょ。それじゃうまくいかないよ。だってディゴ人はゆっくり歌うけど、ドゥルマ人は速く歌うから。 Chari: ところで、私はゆっくりに慣れてるわ。結果、私は取り残される。仲間たちは先の方に進んでる。 Mw: 私もね、3年暮らしましたよ。でもまだ良くは知らないです。

6753 (シェラの歌2)

気の触れた女(muchetu wa k'oma=シェラの別名)は、お母さん、ホー もう、やってきた 私は嬉しいわ、みなさん 彼女はもう、やってきた

6754 (シェラの歌3)

私は貶められている、ウェー みなさん、私は貶められている、ウェー 私は困難に見舞われています、みなさん どうして私は消えてしまうの、仲間の方

6755 (シェラの歌4) (Mwanza & Murina)

ホー、瓢箪、ヘー 皆さんに言います。私は貶められている、私の癒やしの術は、ウェー 私は、驚いた、ヘー シェラ、お母さん、ホーウェー 癒やしの術は、家には、無くなっちゃった (Chari) ヘーワ―、瓢箪、ヘー 私は泣いたの、ウェー、ハー、瓢箪、ウェー 慎重に、瓢箪、ヘー 私は食べられた、ウェー、お気の毒に、ヘー 私はムルングに祈ります 私は食べられた、お母さん、私はびっくりした、ヘー 癒やしの術は、家には、なくなっちゃった (合唱) 第一部をリピート

(皆さん、歌に熱が入って、手元が疎かになっているように思うのですが...)

6756 (シェラの歌5) (ソロ)

道で待ってて、エエ 道を見ながら待ってて 私は難儀の奥さんを待ってるの、来ないのでしょう 私は鍋を火にかけた、客を待ってるの、でも見えないわ ウェー、チカルワ奥さんは、来ないでしょうね、エエ (合唱) 道で待ってて、エエ 道で待ってて 私の義理の母は、来ないのでしょう、ウェー 私は鍋を火にかけた、客を待ってるの、でも見えないわ ウェー、カルワ(人名)奥さんは、来ないでしょうね、エエ

6757 (シェラの歌6)

ウェー、お母さん、おお神よ お母さんはシェラをもっている 池に行きなさいと言われました みなさん、ウェ、お母さん、シェラをもっている (ここまで未録音) 私は言われました、お母さんのところに行きなさいと。ああ神よ、お母さん、シェラ、エエ あなたは池に行きなさいと言われました シェラ、エェー お行きなさい。あなたはシェラをもっている

6758 (シェラの歌7)

ハーヤ、私は速い、ええ ホー、高速の人 私のいたところは、遠い 私はやって来た、高速の人 シェラは高速の人

6759 (シェラの歌8)

ホーウェ、ティウィ186への旅 石の間を縫って 私はシェラに逃げられた 私は自動車にのって 行きましょう 兄弟ムァナヴリ(人名) 私は独り残された ウェー、すべては神がご存知よ

ムァンザ(ングイ)歌うが、女性たち、ついてこれない。歌詞を教えて、再度挑戦。

6760 (ディゴ人の歌1)

私は私の布が欲しいの ハヤ、ウェー 今日、私は私の布を求めているの、ウェー 憑依霊ディゴ人の布 私の布よ、ハヤ、ウェー 今日、私は私の布を求めているの、ヘー 憑依霊ディゴ人の布。

誰もが知ってる憑依霊ディゴの歌、途中からムァインジさんも、ンズガ187を鳴らしながら参入。

6761 (シェラの歌9)

とうもろこしの収穫は得られなかった 楽士さん方、ウェー 鍬を手に取り、キャッサバを耕しな 下手くそ、下手くそ、ウェー、楽士さん方 鍬を手に取り、キャッサバを耕しな

そろそろ皆さん、お疲れなご様子

徹夜のカヤンバ

6762 (徹夜のカヤンバ開始の唱えごと。予告なくいきなり始まった188ので、途中から録音)

Mwainzi(Mw): (Munyaziがどう言って、自分に施術のパートナーを依頼しに来たかを述べていると思われる)「...私がその仕事をやるようにと(言われたのです)。その占いのなかで、そこには男女の施術師がいなければならないと言われました。私は、あなた、施術上のお父さんに依頼に参りました。」確か、(そのとき)私はちょっとした遠出の旅がありました。そこで草木を差し出し、言いました。「私はこれから急ぎの旅があります。でも私の薬液(michocho189)をもってお行きなさい。」そしてそのとおりになりました。私の施術師仲間(ムニャジのこと)のもとで、ことはうまく運びました190 あなた全能の神よ、あなた憑依霊アラブ人121も、そしてバラワ人子神123、サンバラ人子神124、クァビ人子神125、カツィンバカジ子神59、そしてあなたライカ子神58、ガラ人子神191、そしてペポコマ子神192、みなさんもご一緒に。そしてあなたドゥングマレ41、そしてジム193、そしてあなたドエ人子神194も。わたしたちはあなた方に申しあげました。「このように今、あなた方はこの者(ムウェレ)を捕らえていらっしゃるが、私たちは身体のつつがなきことを欲しております。もしこの者から手を引いていただければ、歌(ンゴマ)をあなた方は手に入れるでしょう」と。さて、今、歌(ンゴマ)とは他でもございません、これです。 皆さま方、世界の住人の皆さま方、私は皆さま方が、一人、一人お着きになることを、到着するやお互いを邪魔しあったりなさらぬことを、欲しています。歌(ンゴマ)はあなたがたのものです。明日まで。どなたの御座すところでしょうか。あなたムァニィカ(mwanyika195)の御座すところ、あなたカリマンジャロ子神(Kalimanjaro198)の御座すところ。どうかお静まりください。歌はあなたがたのものです。 そうこうしてここにやって来て、病人とも楽しく話ができるとは!私たちはムルングに感謝します。なぜなら問題は、その病人が病院にいたときから深刻なものだったからです。そこで彼らは思い至りました。どうすればよいだろう。占いを打った方がいいのではないでしょうか、皆さん。だって、バナナの木は(倒れそうになっても支柱で)支えられることで真っ直ぐ立つものじゃないですか。はたして占いは、こちらで治療した方が良かろうという結果を出したのです。

6763 (ムァインジの唱えごとは続く)

Mwainzi: 私たちは感謝しています。そして病人の親族たちもまた感謝しています。皆さま方、どうか宜しくお着きいただき、踊り、(患者の)身体をとき解いてください。ニャリ(75)の御座すところ、ルキ127の御座すところ、ガシャ199の御座すところ、あなたボコ200の御座すところ、キユガアガンガ126の御座すところ、ムガイ137の御座すところ、どうかお静まりください。マサイ人殿201の御座すところ、長老デナ・ムカンベの御座すところ。歌は皆さま方のものです。どうか、ゆっくりゆっくりと。お一人ずつ、お一人ずつ、ゆっくり、ゆっくりと。夜が明けて、明日になるまで。 自分たちの争い事(まだかなえられていない要求)をお持ちだという方々も、明日、完全に調えて差し上げます。私どもの望んでいるのは、つつがなきことだけです。けっして争い事をもってお出でにならぬよう。そもそも、私たち施術師どもも、今日この日を喜んでおります。わたしどもの病人を治療したのち、今、彼女はとても気分が良いと申しているのです。これこそ私たちが望んでいるとおりのことです、皆さま、世界の住人子神(anarumwengu204)の皆さま方。 私どもの言葉をお聴きになられたように、私たちは今、歌を差し上げます。皆さま方も、宜しく到来ください。どうか到着するや、勝手に一斉にお話をしないでください。私たち、それは望みません。ペンバ人の皆様が御座すところ、スディアニ導師の御座すところ、コーラン導師、ジネ・ムァンガの御座すところ、ジキリ・マイティの御座すところ、カドゥメ、あなたツォヴャ、ロハニ子神の御座すところ。皆さまお静まりください。今日の歌は皆さまのものです。明日の夜明けから正午までが。そこでこのンゴマは終了します。お静まりください、憑依霊ディゴ人の皆さま、そしてあなたキリク。こんどはあなた方の歌そのものです。あなた方ご自身の順番です。あなた方のために準備しておりました。人々は今日の朝からここにやって来ておりました。さて、どうかお一人、お一人おいでください。どうかお静まりください、皆さま。

カヤンバ冒頭部での歌 6764 (ムルングの歌 ku-suka205)

行きましょう、エエ、私はムルングに祈願します ヘー、退きなさい206、兄弟よ 池よ 私は苦しんでます、ムルング子神、ウェー 池よ 睡蓮子神(mwana matoro) がいる、私の子供、ウェー 池よ カンエンガヤツリ(kangaga) 子供

行きましょう、エエ、私はムルングに祈願します ヘー、退きなさい206、兄弟よ 池よ 私は苦しんでます、ムルング子神、お母さん 池よ 睡蓮子神(mwana matoro) がいる、ホーウェー 池よ カンエンガヤツリ(kangaga) 子供

6765 (ムルングの歌 ku-tsanganya207 ....)

私の布、ヴョー、私の布 おじゃまします、ヴョー、布、お母さん、この布 私は傲慢じゃない、ヴョー、私の布 ヴョー、私の布、布 私には父がいない、私は傲慢じゃない どこに行くの妹よ ヴョー 布、お母さん、この布

6766 (アラブ人の歌 ku-tsanganya ....)

私は祈願します208、本当です。ウェー 私は神に祈願します。ホーヤラ なんと、あなたは我が家のアラブ人 私は神に祈願します。ホーヤラ

6767 (キツィンバカジの歌 ..._ ..._)

私は ランギ118についていく、エエ ヘー、ランギ、お母さん、ヤンガ、ヤンガ(あるいはムイェ、ムイェ、ムンゲ、ムンゲなど) ホー、ヤンガ、ヤンガ 私には仕事がいっぱいあるの、エエ ヘー、私に池に入らせて、ヘー、ヤンガ、ヤンガ 私には仕事がいっぱいあるの、エエ

この歌の別バージョン

6768 (キツィンバカジの歌 .._ .._)

キツィンバカジ、お母さん、 ヘー、行きましょう、我が子、私の最初の子 キツィンバカジ、お母さん、ウェー 行きましょう、母さん、ヘー、我が子よ キツィンバカジ、お母さん 池には(mwaroni209)ムルングがいます

6769 (キツィンバカジの歌 ..)

キツィンバカジ、ヘー 行きましょう、ウェー、我が子よ、道をとき解いて私を通して 問題が終わるように、ヘー、ウェーお母さん、ウェー我が子よ 道をとき解いて私を通して

6770 (ムァヴィツヮの歌 ku-tsanganya)

アア、ハヤ、キバルコ(chibaluko210) 私はヤギとウシを食べた お母さん、私の子供、ウェー ホーウェー、キバルコ

6771 (憑依霊バラワ人の歌 ku-tsanganya)

私自身が知ってます ハヤ、私自身が知ってます 私自身が知ってます 私自身が知ってます ホーワー 私は喋りません、ハヤ、ムァニュンバ211、ホー、ホ 今日、私自身が知ってます

6772 (憑依霊バラワ人の歌 ku-tsanganya)ちょっぴりアラブ風の旋律

バラワ人 ホワーホワー あなたのンゴマだよ これだよ バラワ人、ウェー、ハヤー あなたのンゴマだよ これだよ 子供は泣いてます さあ、私はその様子を見に行きます 泣くのはおやめなさい、ウェー、おまえ 私はバラワ人を見に行きます バラワ人 ホワーホワー あなたのンゴマだよ これだよ バラワ人、ウェー、ハヤー あなたのンゴマだよ これだよ 私の子供が泣いてます さあ、私はその様子を見に行きます 泣くのはおやめなさい、ウェー、おまえ 私は施術師に会いに行きます ウェー

6773 (憑依霊バラワ人の歌 ku-tsanganya)

ホー、私の布が帰ってきます、お母さん 私の布が、エエ ホー、私の布、ホワー 癒やしの術の布

6774 (憑依霊サンバラ人の歌 ku-tsanganya)

サンバラ、私は癒やしの術を求める サンバラ、私は癒やしの術を求める 頭のなかの癒やしの術 私はいいます。もうたくさん。おばあさん ホー、私は癒やしの術を捨てます サンバラ、私は癒やしの術を求める 私は癒やしの術を求める 頭のなかの癒やしの術212 それは無意味とわかったわ、おばあさん ホー、私は癒やしの術を捨てます

この歌の別バージョン

6775 (憑依霊サンバラ人の歌 ku-tsanganya) (solo)

サンバラ、そう、私は事件(不思議)を見た、ウェー、マリアム(人名) ホワー、私は戻ります 私はンゴマを打ってもらいました ホワー 癒やしの術を声高く213 (chorus) サンバラ、私は事件(不思議)を見た ホワー、私は戻ります 私はンゴマを打ってもらいました ホワー 癒やしの術を声高く サンバラ、ウェー、どうする?(dze214)

6776 (憑依霊サンバラ人の歌215 ku-bita) (ソロ)

ジネ・ムァンガ 今日、ジネ・ムァンガ 睡蓮子神、お静まりくださいと申します、お母さん、ウェー、癒やしの術 サンバラ人、ウェー、なんの用? ウェー、私の施術師、とき解いて (合唱) 睡蓮子神は眠らない、ウェー、癒やしの術 子供を見ていなければ、子供が殺される 見ていましょう、施術師よ、治療して (ソロ) 治療して、ウェー、なんの用? (合唱) 見届けよう、施術師が治療する (ソロ) 治療して、ウェー、なんの用? (合唱) 見届けよう、施術師が治療する

(このあと次の掛け合いがずっと繰り返される) (ソロ)

子供が病棟で泣いている、(子供の)所有者が先に行く ホワー

別バージョン

6777 (次の選曲について)

Player1: たしかに、あんたたち施術師こそ、指示役です。でも、あんたたちがもし失敗したとしても、私はあなたがたに言ってはいけないのですか? Munyazi(Mun): ねえ、ねえ、あんた憑依霊のことを知ってくれてないと。こいつ(この霊)が終わったら次はこいつだって。あんた、さあ、そいつをお打ちなさいな。そいつがあんたが憑依してもらいたい霊なんだから。私はいなくなりますよ。 Player1: 違う、違う。あなた方が忘れたことがあるなら、そのままにはできませんよ、みなさん。もしあなたが、忘れてしまってたっていう憑依霊がいるのなら、私に言ってくださいよ。打って差し上げますから、私が。 Player2: その前に打ったやつ?あんた、私はそれがなんていう憑依霊だったか忘れちゃったよ。 Player3: 憑依霊クァビ人(mukpwaphi125)をお打ちなさいな。 Player2: その前に打ったのは誰(どの憑依霊)だっけ? Player1: その前に打ったのはサンバラ人ですよ。 Munyazi: クァビ人を、あんたたち、忘れようがないでしょうが、あんたたち?

6778 (憑依霊クァビ人の歌 wa pore, kpwiha216) (solo)

ホー、わたしは食べられる、ウェー ホー、ムクァビ、ウェー 昨日、わたしは誓いをたてた 私を殺すがいいさ、昔のことはもう捨てた 私はもう人妻を口説きません (chorus) ションゴリヨ、ションゴリヨ、ヘー、ブラヘー ションゴリヨ、ションゴリヨ、ヘー、ブラヘー217

6779 (憑依霊クァビ人の歌 kutsanganya)

ハヤ へー あなたに事件がある ウェー ハヤ へー あなたに事件がある ウェー 評判を聞きました、カセジャさん 私たち仲間218はまだ彼に会ったことがありません 気持ちをそそられました219 ウェー ホーワー カセジャさん、本人はその気がない

6780 (キユガアガンガの歌 kusuka)

ホー お前キユガ、癒やしの術を困らせる ホー お前キユガ、施術師を困らせる ホー 今日、施術師は難儀、お前は困らせる 昨日、お前は拒絶した。お前は施術師を困らせる、お前は困らせる ホー お前キユガ、癒やしの術を困らせる ホー お前キユガ、施術師を困らせる ホー 今日、お前はやって来て困らせる 昨日、お前は拒絶した。お前は施術師を困らせる。キユガお前は困らせる。 ホー お前キユガ、お前は困らせる、お前は困らせる。

6781 (キユガアガンガの歌 kutsanganya)

ハヤ 私は驚きました ウェー ハヤ あなた、私は遠くへ行きます なんでって?息子の嫁よ、私は遠くへ行きます

6782 (キユガアガンガの歌 kubita)

ハヤ キユガ ウェー お前は施術師たちを困らせる ウェー ユガ お前たちの仲間は心を困らせる ウェー お前は困らせる 親父の霊は ウェー 厄介だ(困らせる)

6783 (キユガアガンガの歌 kutsanganya) (solo)

私はお前の仲間に呼ばれました ヴョー 学校220 ヴョー 学校、寝てこいと言われました ヴョー 学校、私は馬の口笛(いななきか?)で呼ばれました (chorus) ヴョー 学校、寝てこいと言われました ヴョー 学校、私は馬の口笛で呼ばれました、エエー

6784 (キユガアガンガの歌)

私はキリンギーリョ221と呼ばれます、おじさん、ウェー 大きな声を出しましょう、どう、我が子よ お母さん、私は尋ねます、施術師が見えません 我が子よ、私は尋ねます、施術師が見えません

(ムニャジ、憑依霊ドゥルマ人でgolomokpwa) 6785 (ムニャジが憑依状態、子供のような声音で喋っている、アンザジが応答、録音は途中から)

Anzazi(An): ああ、ちょっと、あなた準備できてるって?ええ?別の機会に(憑依霊)「気狂い女(muchetu wa vitswa)」をここで打ちませんでしたか? Munyazi(Mun): なに?仕事よ、仕事よ。 An: 私も、それが難しい仕事だってことはわかるわ、でもやるしかないのよ。 Mun: ああ、難しいわよ、これは(この仕事は)。 An: そいつ(その仕事)はね。 Mun: 日が沈むまでかかるわよ、あんた。 An: ああ。 Mun: 日が沈んじゃうよ。 An: そう? Mun: 日が沈んじゃうよ、私の友だち。 An: 日が沈むでしょう。 Mun: まずあなた方、頑張らないとね。 An: ええ? Mun: 私ね、あっちの隅っこに行ってるわね。 An: あっちの隅にいる? Mun: 私、隅っこの一番隅っこにいるわ。私の友だち。 An: あなた、まるで争いを怖がってるみたい。なんでよ、あなた。 Mun: ああ私ね、隅っこの隅っこにいるわ。 (ムニャジ、男性のような話しぶりに変わる) Mun: 俺はお前のことを見てるからな、俺の友だちよ。さて、見せてもらおう。 An: ああ駄目よ。あなたがその仕事をするのよ、あなた。 Mun: あんた、俺の友だちじゃないのか、あんた。 An: そうですよ、でもね... Mun: あんた、嘘つきの友だちだな、嘘つきの。俺を騙してるな。 An: ぜんぜん。 Mun: そう、たしかに(お前は)友だちを騙すやつだ。


ここまでの2人のやりとり

An: どこで私があなたを騙したっていうんですか、あなた。

6786

Munyazi(Mun): なあ、あんた、あんたが長老で、嘘をつくんだったら、なあ、ここにいる子供に嘘をつきなよ、あんた。 Player(Pl): わあ!長老が来ちゃったよ。 Mun: さあさあ、とっとと、俺に俺の物をよこせよ。ええ?返事は? Anzazi(An): あんた、何を欲しがってたんだっけ? Mun: あんた、俺になんて言ってた? An: なあ、あんたの仲間の長老たちは忘れちゃったんだよ。 Mun: やれやれ。あのカヤンバのことだよ。お前、俺にカヤンバを開いてくれるって言ったじゃないか。それはどうなったんだ。なんてまあ、お前は役立たずだぜ。 An: この飢饉をどうお考えになる、あんた? Mun: よし、待ってろ。俺は長老をお前に差し向けてやる。そいつにお前の頭をむしゃむしゃ食わせてやる。お前、食われるぞ。 An: そいつが?これから食うと。この争い(要求がかなえられなかったこと)は、人々が食いあうところまで行くのですか? Mun: なんだ、お前...(聴き取れない)...?お前、おしまいだよ。 Mwainzi(Mwa): 欲しがるならトウモロコシの練粥にしろよ、トウモロコシの練粥に。 Mun: さあ、後で泣くことになるぞ(222)。あいつが歯をむき出しにして、ンガー、お前を食おうとするぞ。 An: お前を食おうとするのかい。 Mun: お前は、もう、えーん(maye)、えーん、えーんだ。 An: ところでもしそいつが食ってしまったら、そいつは誰に、そいつのための薬液(muguviguvi223)を買ってもらえるというんだい。

6787

Munyazi(Mun): だから、お前に分別を入れてやろうってことさ。 Anzazi(An): へえ、そう。 Mun: そう。お前に圧力をかけたら、お前も他の問題について思い出すだろうからさ。あー、もう帰るぜ。 An: ところで、その薬液(mugovigovi)はいったい誰のための? Mun: あいつのためのさ。 An: ゴジャマ40の? Mun: そうさ。 An: おお。 Mun: じゃあなに?こいつの布はお前もってるのか? An: どの人のこと?ゴジャマのこと、それとも? Mun: 別のやつだよ。 An: 別の人、といってもたくさんいるからねえ。思い出させてくださいよ。思い出させてくださいよ。ねえ思い出させてくださいよ。 Mun: 嫌だね。お前、長老さんよ、おい、お前言い争うつもりか、お前。 An: いや、言い争いって。思い出させてくださいよ。その別の人の布について話してくださいよ。あんた、私は言い争いはしません。同意しているんです。 Mun: だって、お前な。お前馴れ馴れしいぞ。お前、嘘なら許さんぞ。 An: 本当ですよ。本当ですよ。 Mun: だが、お前は嘘つきだから。

6788

Anzazi(An): 違いますよ。長老はお互いに尊敬し合うというじゃないですか。私はすでにあなたを尊敬していますよ。その薬液について話してくださいな。 Munyazi(Mun): もう、泣いちゃってるぜ。そいつは怯えてる。お前が分別なしだからさ。 An: もう、何のことかわかりませんよ。 Mun: だからお前が分別なしってこと。はあ、静かにしてな。そのもう一人にやって来させよう。やって来てお前に話してくれるだろうさ。でも今は、全然だめ。 An: じゃあ、今そいつは? Mun: ああ、ああ帰ろうとしている。空腹なんだ。 An: ああ、そっちじゃ飢饉なんだね。 (すでに別の憑依霊に入れ替わっているようだ) Mun: うう、今こっちじゃお前さんら何も食べてなかったのか? Player: そいつにトウモロコシの練粥あたえて、全部喋らせろよ。 An: そもそも私たちもここじゃ、一昨日来何も食べてないよ。ここには何の食べ物もないよ。 Mun: さてさて、もうここ、ここ、もうここときたら、へー。(私に向かって)ああ!なんと、お前さん、ちょっと私に挨拶しなさいよ。私はお前さんのことを知らなかったよ。なんとお前さんいたのかい。さあ、私に挨拶しなさいよ。 Hamamoto: はや、ごきげんいかが(文字通りには「何かおっしゃることはありますか?」) Mun: 私どもは問題ありません。お前さんらはいかがかな?はや、そっちはどうだい。身体は? H: ああ、私たちは大丈夫(文字通りには「起きてます」)、あなたがたはいかがですか。 Mun: ああ、それは実に結構。とっても結構だ、とっても結構だ。おお、なんとお前さんだったのか。 H: はい。

6789

Munyazi(Mun): 気が付かなかったよ。許してくださいな、でも。 Hamamoto(H): むむ。 (ムニャジは一人の女性に向かって、話し始める。占い口調の語り) Woman: でもこの旅224はねぇ...それには人(資金を提供してくれる配偶者)が必要なんだよ。 Mun: だがな、私がこんな風にすれば、その配偶者225は、ああそれこそ、グラグラしますよ(落ち着きをなくすの意)。 Anzazi(An): 腰布をしっかり巻き付けてないからですよ。彼もしっかりしますよ。腰布を自分でしっかり巻き付ければ、固定しますよ。(訳注: なんだかわかるような、わからないような喩えである) Mun: だって、本人が自分でもよくわかってないんだから。もし別の争いの相手(別の要求をもった憑依霊)が近くに来たとしても、本人がわかってない。そこにね、どっちつかずの場所にね、いるんですよ。じゃあ、この人のことを言っておきましょう。この人に、全能のムルングのための鍋を置いてあげなさいな、友よ。それが済んだら、あの田舎者(憑依霊ドゥルマ人のこと)の鍋。それが済んだら、もう一回戻って、全ての人(憑依霊)のための鍋を設置してあげなさい、私の友よ。全ての人のだよ、あんた。その後でちょっとだけ、ろくでなし(mudude226)のカヤンバ(weyeweye)を打ってあげなさいな。少しだけ。そうしたら、そう、そいつ(患者)はすこしね、でもいっぱいじゃないですよ。ちょっと。そいつはね、友よ。だって、約束はすっかり腐ってしまってるんだから。 An: ウジ虫がわくくらいね。 Mun: まず、頭の中がむずむずする感じ。こいつには(身体じゅう)どこも良い場所はない、良い場所はない。 An: たしかに良い場所はないね。 Mun: そもそも、身体もな、ときとして痺れ出す、この身体もな、友よ。 (ムニャジ、再び小さな子供のような話しぶりになる)

(最後に唐突に男性の語り口に変わる)

そう、この旅(charo224)はとっても大きな旅よ。私は、そこを懐中電灯で照らしたのよー。 An: あなたはその場所を照らした。

6790

Munyazi(Mun): とっても遠いわ。私はこの人には敵わないわ。 Anzazi(An): あんた、なに?仲間を力ずくで動かすつもり?そのお仲間が、遠いところも大丈夫な人なの? Mun: そうよ。その人は行くのよ。 Woman(W1): ねえ。場所が遠いところなら、人は朝に荷造りして、朝出発するもんだよ。 Mun: 行くのよ。どんどん行くのよ、もう。 W1: お前さん、間違ってるよ。お前さんが先に行かないと、お前さんが。 Mun: 私はまだほんの小さな子供なのよ。 W1: お前さんが、この長老に道を教えてあげるんでしょ。 Woman2(W2): あんた、仲間といっしょなんだよ。小さい子でもたどり着けるでしょ。 W1: お前さん、お友だちといっしょにいくんでしょ。小さい子供がたどり着けないとでも? W2: あんた、老人が子供たちと一緒に歩いているのを見たことないの?

(ムニャジ、男のような口調に変わる。言葉はドゥルマ語のままだが、後にギリアマ人の霊であることが判明する)

Mun: だがね、ええ、そもそも私は以前、測ったのですよ。その旅はすぐ近くなんです。お前さんが行こうと言えば、私は今すぐにでも出発しますよ。そのことを言ってるんでしょう?それともお前さん、別の話をしてるのかな? Anzazi: 今すぐに?今すぐに?この時間に? Mun: そうとも。とっくに夜明けです。友よ。さあ行きましょう。

6791

Anzazi(An): ああ、まだその時間じゃありませんよ。 Munyazi(Mun): もう行きましょう。用意はいいですか? An: ああ、まだです。あなたはあの月に惑わされてるんですよ。 Mun: おやなんと、お前さん方は、夜が明けたら別の課題があるのをご存じない。今こそが絶好の時間。私たちのところじゃ、もう夜明けさ。 An: さてね。あなた方の地方ではね。でも私たちのところではまだ夜ですよ。 Mun: 私たちのところじゃ、とっくに夜が明けてるよ、友よ。 An: ああ、人々はまだぐっすり眠ってるよ、あんた。でもごめんなさいね。許してね。だって、あなた方の地方のほうが良いですもの。厄介がない。私たちのところじゃ、面倒があるのよ。夜中には絶対出歩けないのよ。 Mun: こちらでは? Woman1(W1): そうなのよ。 Mun: 警官がいるのかい? W1: そうなのよ。 Mun: (発作的な笑い)なんとこっちには警官がいるのかい、このあたりには。お前さん、私たちのところは良いところだよ、あんた。警官などおりゃしない。私たちのところじゃ、私たちはただ歩くだけさ。今だって、私たちのところじゃ真っ昼間だ。 W1: 夜中の12時でもかい? Kayamba Player(P): おい、あんたがた、憑依霊たちを遅らせてるぞ。もう夜明けだよ。 (演奏者たちは、とりとめのない彼女(彼?)らのやりとりに、少し焦れ始めている。)

6792

Munyazi(Mun): なあ、私はなんと言いましたっけ、友よ。お前さん方はあんたらの仕事をなさい。私は私のをするから。そいつは、このあたりで腰をかがめてるんだってな(農作業のこと)。ああ、そんな仕事は、私はとっくの昔にやめたよ。もう私は家に帰りますよ。 (占いの語りが途中で脱線したので、女性たちもう一度戻そうとする) Woman1(W1): ところで、あんた何をご覧になったんだい。喋ってくれないのかい? Woman2(W2): ところで、あんた誰のことを言ったんだい?教えてくれないのかい? Mun: ああ、私が見ると、そいつは目を据えて見ている。そいつはじっと見ている。まるでそうすれば、自分のことを思い出してもらえるか、みたいに。 Anzazi(An): ええ?その人はいったい誰に思い出してもらおうと? W1: あなた、その人のことに少し触れてくださいな。仲間をそんなふうに放っておいては駄目ですよ。そんな風に放っておくと、その人を悲しませることになりますよ。 Mun: だから、私たちのムルングの鍋に戻れって言ってるんです。ムルングの鍋を煮てもらいなさいな、友よ。そのあと、友よ、あの「独りでいたがる人 mukala hicheye」の鍋を置いてもらいましょう。お前さん、その「独りでいたがる人」、ご存知ですよね、友よ。お前さん、その「独りでいたがる人」のこと知ってますよね。 W1: 知らないわ。 Mun: ああ、なんてこと。じゃあ、こいつに聞いてごらん。 An: ああ、私も知らないわ。 Mun: あの「独りでいたがる人」を? An: ええ。 Mun: ホォー、ホォー(嘲りの声)。...(小声で聴き取れない)... 遠くには行かないで。この近くに行きなさい。ところで、火付けの木(ndodo)がとても欲しいのですが。

6793

Woman1(W1): いえいえ、こちらの私たちの地域にはトウモロコシはありません。 Munyazi(Mun): 私たちのところにおいでなさいってば。私たちは、昨日も収穫しましたよ。 Kayamba Player(Pl): じゃあ、どうしてそれらのトウモロコシを持ってここに来なかったんだい?その火付けの木で焼けたぜ。 Anzazi(An): 「私は自分の食料を持っていこう。途中でお腹が空いたら食べよう。そうそう、あっちへ行って、何も食べ物がないなら、予備を残しておいて、仲間に残しておいてやろう」とも言わずに。あんた、いったいどういうつもり? Mun: お前さんら、火付けの木くずももたないで、私にものを尋ねてばかり。トウモロコシの練粥もなし、火付けの木くずもなし。 An: でも、今はあなたの仲間を救ってあげてよ。でも食べ物は全然ないわ。 Mun: 言ったでしょうが、あれらのことをしてもらったら、あの連中をちょっと徹底的に調えてやらないと。この辺り、この辺り、ときに冷たくなったりすることはないかい?ええ、友よ。そうあいつ(憑依霊)が、このあたり(胸のあたりを指して)を這い回っているあいつ、あんた感じたことはないかい、友よ。 W1: 感じてるわよ。 Mun: ときにはそいつはこの辺りにやってくる、ときにはお前は言う。「この後頭部辺りを触ってくるこいつはいったい誰なの」って。 W1: そうなのよ! Mun: さてさて、そいつ、そいつはな、そう、あそこヴィニュンドゥニ(Vinyunduni227)の奴の手の者だな。 W1: そいつが!

6794

Munyazi(Mun): そいつは狂気の野郎とつるんでるそうな。狂気の野郎とな、ほんとかな。ほんとかな。人に見られたら、言われるんだ。お前さん、気狂いですかってな。そう、そいつこそ、(首筋を指して)ここ、ここんところをつかんで、(胸のあたりを指して)ここをぐるぐる回って、はあ、友よ、そんな風にされると、ちょっと、ちょっと、ちょっと、お前さんにはなにか問題が起こる。そう、ここの辺りに役立たずが腰を下ろしてしまっていた。 (ムァインジさん、憑依霊たちのやりとりを切り上げさせようと介入) Mwainzi: さあ、さあ、とっとと終わりにしてくださいな。夜が明けます。ムウェレにここらで急いで休憩(kaarazi)をあたえないと。 Mun: ああ、もう少しでそいつのことを思い出させたのに。お前さん、お前さん、やかましいやつだな、お前。そもそも、私はすごく腹が減ってるんだが。 Woman1(W1): 自分の食料をもっていく代わりに、あんたは行く先でありつくことに頼ってる。こっちは飢饉なのに。 Mun: さて、それが済んだら、友よ、なあ、そいつに(憑依霊)マサイ人の布を買ってやりなさいな。 W1: ああ、その人は持ってるよ。 Mun: 鍋といっしょに、差し出したのかい、ええ? W1: ああ、鍋は無しでした。でも持っています。 Mun: しかも椅子(憑依霊が座るための228)が見えないんだが?椅子がまだなのに、どうやって布を買えるというんですか。 W1: ああ、だって施術師が椅子をだしそこなったんだもの。

6795

Munyazi(Mun): ああ、なあ、この布だけど、これが憑依霊ニャリ75のあの長老(憑依霊デナ74のこと)の布だってこと、知られてないんですね、友よ。そいつ(患者)は、自分の身体のなかに布があるってこと、全然知らない。いま、そこに(その憑依霊の)椅子が必要とされてるんですよ。(だから)そいつの脚(の問題には)あいつ(憑依霊ニャリの長老)も絡んでいる。あのニャリの長老なら、脚を真っ二つに折ることもできる。ああ、私たちはね、タバコを嗜むんですよ。私たちはね、(タバコを)食うんじゃなくて、こんな風にするんだよ。 Woman1(W1): あなた、嗅ぎたばこ入れ(chiko)を捨てちゃったんですか。 Mun: 知りませんよ。 W1: じゃあ、どうするおつもり? Mun: 行った先でお願いするだけですよ。 W1: 誰のところで? Mun: (嗅ぎタバコを鼻に含んだような鼻声でしゃべり、内容はよく聴き取れない) (人々、爆笑) W1: あんた、今嗅いでいるんだね。 Mun: あっちにゃ、知り合いがいてね。そいつのこと、私はとっても気に入ってるんだ。そいつに会わなくちゃ。なに?お前そいつを知らないの?そいつは若造でね、いやな臭いがするんだよ。そいつは。 Anzazi(An): お前の友だちなんでしょ、違うの? Mun: 友だちだよ。こいつは、こいつは、私を困らせるんですよ。 W1: その人のこと知らないよ。その人を知ってるのはあんただけ。 Mun: ところで今...(はっきり聴き取れない)

6796

Anzazi(An): (Munに)じゃあ、今は私に何をしろと? Woman1(W1): (Anに)こいつは嗅ぎタバコが欲しいのよ。(Munに)あなた、嗅ぎタバコは家に置いてきたのね。 An: (Munに)じゃあ、あなたは何を食べるの? Munyazi(Mun): あの嗅ぎタバコ入れ、お前さん、どこに置いたんだい。 An: 見当たらないのよ。 Mu: さて、さて、私がさっきお前さんに話したあいつ、あいつは背の高いムスリムの男さ。あそこ、下の方で分かれたんだが、そいつが言うことには...(聴き取れない)...。そいつからは蛆が湧いて出てくるんだよ、あんた。いつからそんなのが始まったのか、私にもわからないね。 An: そう、お仲間から(嗅ぎタバコを)そんなふうに分けてもらったのね。さあ、どうぞ。 Mun: お前、その嗅ぎタバコ、どこから出してきたんだ、それ。 An: ああ、あの私たちの嗅ぎタバコ入れなら、ここにはありません。私も同じように、色んな人から分けてもらったのよ。さあ、あなたも分け前にお預かりなさいな。 Mun: 私は、そんな中に(紙に包まれている)入っているそんなタバコは嗜みませんよ。 W1: あんたは嗅ぎタバコ入れに入っているタバコを嗜むのね。 Mun: そもそも、お前さん自身、ご存知のことじゃないですか。 W1: ウシの(角で作った)嗅ぎタバコ入れでしょ。 An: でも今はないのよ、私の友よ。 W1: でもここにはないのよ。だってこのあたりの者は、その手の嗅ぎタバコ入れは作らないんだもの。 [カセットA面終了]

6797

Anzazi(An): この人の出身地はバンバ(Bamba230)なんだって。ベカリサ(カリサの父)さんの身内だって。今は、ここドゥルマにやって来てます。 Munyazi(Mun): ええ?なに?私らドゥルマに来てるのかい? An: そうよ。 Mun: 本当に? An: (一部ギリアマ語で)さて、あなた方は今、ここドゥルマにいらっしゃいます。私がお会いしている方たちはバンバの方々なんですね。 Mun: (相変わらずドゥルマ語のままで)私が今ドゥルマに来ているなんて言わないでくれよな。 An: え?つまり、あなたはただの通りがかり? Mun: そうだよ。 An: (ギリアマ語で)それで、ベカリサさんをお探しになってる。 Mun: (一部ギリアマ語に)そう。私たち、私たちにできるあれが欲しかったんだよ。 An: (憑依霊の)歌のこと? Mun: そうですよ。 An: (ギリアマ語で)でも、あなた何も言わなかったんだもの。あの子供たちだって、もしあなたが来てちゃんと話してくれたなら、あの子供たちをあなたに差し上げることもできたのに。 Mun: (一部ギリアマ語で)私たちは、今はカタカタ(おそらくカヤンバの音)しか見えません。私たちのところじゃ、カタカタは全然知らないんですよ。 An: (ギリアマ語で)そう、もし長老がこのような場所にお出でになって、もし... Mun: 私たちは、私たちのところではこんな風にこんな風にすること(太鼓を打つ仕草)に慣れているんですよ。 An: (ギリアマ語で)はい、でもここにはムニュンブ(minyumbu231)の木はありません。 Mun: あの長老は...

6798

Anzazi(An): (ギリアマ語)あの長老にも、あなたたちは全然お話ししなかった。あなたがたは、バンバには長老はいないなんて言ってた。後で、彼に(食料の)蓄え分を持っていってあげて、彼としっかりお話してちょうだい。さて、さて私は場所を探しましょう。 Munyazi(Mun): (ギリアマ語)お前は私に話をさせようとする、なのにお前、私にタバコはくれようとしない。 An: (ギリアマ語)嗅ぎタバコはここには全然ありませんよ。よくわかってます。そうなんです。...(聴き取れない)... kayamba player: さて、施術師の皆さん、ご傾聴ください232 People: ムルングの。 Kayamba player: さて、わたしたちのマコロツィク100の用意ができました。近くにお寄りください。集まってカヤンバを打ち、酒を飲みましょう。 (まだ言い合いを続ける憑依霊と施術師たちを無視して、演奏者たち酒の準備を始める) Mun: (ギリアマ語)その嗅ぎタバコは「薬(muhaso)」を仕込まれてるぞ。 An: (ギリアマ語)なに、いったい誰に? Mun: 私も知らないよ。 An: (ギリアマ語)ええ?そんな風に感じたのかい? Mun: (ギリアマ語)そうさ、それは「薬」を仕込まれてるぞ、お前さん。 An: (一部ギリアマ語)ああ、それなら私は持ち主に返すよ。長老はこの嗅ぎタバコを欲しがらなかったと言ってね。 Mun: だってね、私がそのタバコをこんな風にしたとき(鼻に吸い込んだとき)、そう、その「薬」が前面にあったんですよ(タバコの味の前に「薬」をまず感じた、ということ)。 An: (ギリアマ語)いやいや、長老にタバコを差し出したのは、小さい子供です。「薬」について何も知りませんよ。 Mun: いやいや、奴らは「薬」を知ってるぞ。友よ、奴らは...(聴き取れない)... An: いや、あなた方の、内陸部の方ではね。でも...

6799

Munyazi(Mun): 私たちのところじゃ、お前さんが妖術使いとわかったら、斬り殺されますよ。 Anzazi(An): (ギリアマ語)こちらでも、それなら、こちらでも広まり始めてますよ。さあ、それじゃあ、場所を見つけて、おやすみください。 Mun: お前さんたち、乳を打ちはしない233のか、飲みたいんだが234 An: あなたに牛乳は差し上げますよ。まず夜が明けたらね。私は仔牛がいるお宅を探し回ります。でも今、ここには牛乳はまったくありません。それでは、あの長老さんにも、場所を見つけて、休んでいただきましょう。だって牛乳は、このあたりにはないんですから。わかっていれば、たとえ少しでも牛乳を探したのですが。さあ、皆さん、お静まりになって、この戦いを御覧ください。この戦いを(施術の大仕事、憑依霊たちとの交渉を戦いと表現している)。そう戦いになります。だって私たちはどこで通り過ぎたか(憑依霊たちの要求をかなえ損なっているか)知らないのですから。 Mun: ああそう。もし問題を見たとしても、私は何も話しますまい。 An: ムボコ(酒を飲むための瓢箪製のコップ)、差し上げましょうか。 Mun: (ギリアマ語)私はちょっと(酒を)舐めたいね。 An: (ギリアマ語)あなた、お舐めになりたいって、ここで何をお舐めになるおつもり?...(聴き取れない)...さあ、(長老に)場所を見つけて、大人しくさせて、彼を困らせないでね。あなた方も場所を見つけて、大人しく彼を見ていてくださいね。 (人々マコロツィクの酒を飲み始める)

(一連の、憑依霊ディゴ人の歌 kutsanganya) 6800 (憑依霊ディゴ人の歌 kutsanganya)

ハーイェ エー 瓢箪 ヘー ムワカ(女性の名前) エー 睡蓮を増やせ エー 瓢箪 良好な癒やしの術を買いに行きましょう (異アレンジ: 良好なムルングに祈ります)

6801 (憑依霊ディゴ人の歌 kutsanganya) (solo)

良き平安を どうかお元気で お母さんによろしく あなたムヮカさん、もしあなたが貧乏だったら、どうしますか どうしますか、私の子供よ ええ もし貧乏だったら、どうしますか (chorus) もし貧乏だったら、どうしますか

6802 (憑依霊ディゴ人の歌 kutsanganya)

私は瓢箪の施術師と一緒に出発します 私はこの施術師と一緒に出発します 何を言ったらいいの、私の心 何を言ったらいいの、私の心

6803 (憑依霊ディゴ人の歌 kutsanganya)

ビーズ飾りの女 私は彼女に馴染んでる おお 私は彼女に馴染んでる 私は惨め 私は彼女に馴染んでる ウェー オオ 私は惨め

6804 (憑依霊ディゴ人の歌 kutsanganya)

ヘー 雨 雨がやってくる 畑の雨 あなた方のお仲間 ムルングに祈ります カンエンガヤツリ235 ムルング子神 私の布 ウェー 縫い付けられた 斜めのビーズ飾り

(ディゴ人の歌のさなかに憑依、アンザジの唱えごと) 6805 (6806 演奏中のためほとんど聴き取れず)

Anzazi: 子供の身体、発熱するのはなし、私はあなた方がその子から離れてくださるよう願います。脚が腫れるのもなし...

6806 (憑依霊ディゴ人の歌 kubit'a) (solo)

母さん、ヴョー、こっちに見に来てよ、ウェー こっちに来てよ、逢いましょう (chorus) こっちに来てよ、逢いましょう

(ムニャジ、異言でムリナと応酬) 6807 (ムニャジ、ジャンバの演奏で憑依状態になり、理解不能な言葉でムリナと応酬)

Munyazi(Mun):....そうよ、そうよ.... Murina(Mu): ...アラビア語風言語で.... Kayamba Player(Pl): カリンボ! Hamamoto: ヨォー Pl: 君、この言葉わかる? H: いえ、いえ、全然わかりません。 (ムリナとムニャジ、ここからスワヒリ語にスィッチする) Mun: いったい何の仕事だって、ここで? Mu: お金を稼ぐことですよ。見せてあげましょう。あなた、まずこの全能の神をご存知でしょう。私は互いに与えあいたいのです。なにを?病人と(その病人を癒す)仕事をです。その仕事はあなたの仕事です。協力し合いましょう。でも平和的にですよ。 Mun: だめだ!なに?お前は私になにをくれたというんだ? Mu: スバニア...(アラビア語風発話)... Mun: なに?お前は私に何をくれるというんだ。 Mu: いいとも。ラジャスティ...(再び「アラビア語」) Mun: だめだ、だめだ! Mu: ....(「アラビア語」)...いっしょに稼ぎましょう、いっしょに稼ぎましょう、旦那、いっしょに稼ぎましょう。 Mun: ああ、私によこしなさい、それなら!

6808

Murina(Mu): あなたに何を差し上げましょうか?ここには何も見当たりません。私は昨日来ましたが、何の徴しもありませんでした。食べること自体、満腹しませんでした。仕事がないせいです。あなたが封じてしまった。(仕事無しで)いったい何を食べるというのでしょう。そもそも、何をあなたに差し上げられるでしょうか。あなた自身、仕事をしたくない。私はここに来て何を食べるというのでしょう。ええ?だから少し協力して行きましょう。少しずつ。仕事も少しずつ。こうやって主な収入を稼ぎましょう236、旦那。そのあとで、一緒に洞窟を作りましょう、旦那。いかがですか? Munyazi(Mun): ....(聴き取れないが、なにやら怒っている)... Mu: 違います。私はそれについて知りません。それはあなたのではありません。しかしですね、肩を並べて(力を合わせて)。ハランベー237こそ力ですよ。今は?私は何をしたら? Mun: いやだ、いやだ、いやだ。 Mu: ああ、もう結構。もしそういうことなら、終わりです。それは、すっかり放置しておきましょう。一緒に仕事をして、彼らを見守りましょう。私たちも、彼らの仕事をやりましょう。彼らの道を塞がないでください。どうか。 Mu: (人々にむかって)コップに水を入れて、私にください。 Mu: (ムニャジに向かって)あなたにも仕事を差し上げます。でもあせらずに。仕事はゆっくりゆっくりです。 (しばらくしてムニャジは沈静化する)

6809 (憑依霊デナの歌1)

見においでなさい、見においでなさい、あなたがた施術師たち 彼は会いにやって来た、ああ、施術師 見においでなさい 太鼓がデナで苦しんでいる人のために鳴っているのが聞こえます 彼は戦う相手が欲しい 私はどこに行けばいいんでしょう 施術師は戦う相手が欲しい 見においでなさい 彼はあなた方に会いにやって来た、施術師たち、見においでなさい

6810 (憑依霊デナの歌2)

へえ、今日は確か、私の兄弟よ 夢、号泣が私を驚かせた 良き平安 キテジェ ンゴマの汚れた身体でやって来た、ええ お母さんにお詫びの挨拶を ご近所の方々ともども 一緒に行きましょう、いかがですか 以前は健康、私は痩せました、いかがですか 私は彼女の脚を切るでしょう、ええ

6811 (憑依霊ムガイの歌)

私は孤児として生まれました 悲惨な者(mugayi)です、お母さん 父に死なれました 悲惨な者です、お母さん

6812 (憑依霊ディゴ人の歌1)

ヨーヨー、髪長女 お前は見られた、ヘー、ヨーヨー 私は見られた、お母さん、髪長女 ムヮカ母さんのところにやって来た 今日、彼女は癒やしの術を求めてやって来た、エー ヨーヨー、彼女は輝いている、ウェー238 ヨーヨー、彼女は輝いている、ウェー ムヮカ母さんのところにやって来た 今日、彼女は癒やしの術を求めてやって来た、エー

6813 (憑依霊ディゴ人の歌2)

私が行くところは、お母さん、ウェー、見に行かせて 私が行くところは遠い 太陽と雲が出てくるところ 私は遠いところからやって来ました

嗅ぎ出し

6814 (kuzuza: 最初のムズカでの唱えごと(途中からの録音))

Mwainzi: ....私たちのすることは、力を乞い、私たちの課題をなんとかこなすことです。あなた導師よ、それをかなえさせてください、サラマ、サラミーニ239。あなた導師よ、私たちはお静かにともうします。私たちはここであなたに平安を捧げに参りました。私たちはさらに道を先に進んでまいります。しかし、平安に。私たちはあなたに、えーとあれ、あなたの乳香をここで差し上げ、あなたに今日、いったい何があるのかを知っていただかないことには、進むことはできません。私たちはそこをただ通り過ぎることはできません。あなたになにがしかを差し上げに参らなければなりません。人は互いに知らせ合うものです。私たちは...(一部聴き取れず)... あなたには能力がおありです、あなた導師よ。(私たちの)旅がつつがなきよう、お骨折りください。どうか仲間の皆さまともども、お静まりください。私はあなたが独りきりでおられないことを知っています。お仲間とおられます。どうかお静まりください。

6815 (憑依霊シェラの歌)

昨日、私はここに来た 速く、素速く 私は遠くから来た 私に水浴びの水をください 昨日、私はここに来た

(以上を繰り返し)

6816 (嗅ぎ出し終了の唱えごと) (終了をマークするというよりは、次にひかえている「重荷下ろし」に向けて、関係する憑依霊たちに説明している感じ。)

Anzazi: 落ち着いて、落ち着いて、あなたキバラバンド(chibarabando 「おしゃべり女」7876)、よしよし、落ち着いて、あなた「きちがい女(muchetu wa k'oma80)」。この女性に狂気を二度と掻き立てさせないように。どうか彼女にかまわないでください、chigurye240の所有者の方々。どうか彼女にかまわないでください、あなた方レロニレロ(rero ni rero241)。レロニレロ、これこそあなたの仕業です。お静まりください。私はあなたにもお静まりくださいと申します。ここにはあなたのための飾り物はございません。それらはあなたの仲間のものです。あなたの仲間、「ディゴの女(muchetu wa chidigo82)」のものです。あなたの仲間「シェラの女(muchetu wa shera76)」のものです。ごめんなさいね。よしよしよし。 Mwainzi(Mw): ウリンゴ104のところに参りましょう。ンゴマを打ってもらいましょう。 Woman: さあ、行きましょう、太鼓をもって。 Mw: カヤンバだよ。もうカヤンバはないとでも? (人々ムウェレを連れて小屋の外に出る)

ウリンゴに向かう

6817 (重荷下ろしに出発するシェラの歌)

お母さんに呼ばれました あなた方の仲間よ、お母さん ムヮナヴリ(女性名「小雨季の娘」の意)、お母さん、お母さんはその子を見て 惨めだねと言った 私はムヮナジュマ(女性名「休息日の娘」の意)母さんに呼ばれました。 お母さんに呼ばれました。惨めな子と。

6818 (カヤンバの演奏が続く中、人々、ウリンゴ104に向けて進む。2人の施術師がムウェレを鞭で脅しつつ急き立てる)

Munyazi(Mun): 進め、進め。急いで。今すぐ、鞭で打つわよ。叩くわよ。 Mwainzi: さあ、出発しろ、我が子よ。日差しが強いぞ。急いで、急いで、出発してほしいぞ。....(聴き取れない)... Mun: あんたは人の財産を持っていくんだよ。...(聴き取れない)...

(道中で歌われるシェラの歌) 6819 (シェラの歌1)

お前は独りきりで生まれた、孤独だね、ウェー 施術師たちと太鼓を演奏する お前は独りきりで生まれた、孤独だね、ウェー 施術師たちと太鼓を演奏する 難儀だね、うろうろ彷徨え(ndengeleke) 箕のようにくるくる回る方がまし(nitengeleke) 何を言えばいいの 孤独な人、ムルングは守ってくれる 箕のようにくるくる回る方がまし

6820 (シェラの歌2)

我が子よ、ウェー 私は謗られているの、我が子よ、ウェー 今は、さて

6821 (シェラの歌3)

シェラは見えない シェラは見えない そう、さて、タンガ242への道 お前は癒やしの術を尋ねる シェラは見えない

6822 (シェラの歌4)

さて、私は道を眺める ええ、私は道を眺める 私の友だちの奥さん、カルワ母さんはやってこないでしょう

6823 (シェラの歌5)

私の名前はキツァンゼ(Chitsanze)、探せ(tsanze[kutsanza])、探せ。 池は遠い 私の平安は、あなた方施術師さんたちにおいていきます 私の平安は、あなた方、施術師のお弟子さんたち(anamadzi)においていきます 私の名前はキツァンゼ、探せ(tsanze)、ぐるっと周れ 私に名前をくださいな

6824 (シェラの歌6)

ホーワー、あなたは誰にやってもらえるの 一人ぼっち、ウェー、あなたは誰にやってもらえるの、エー あなたは誰にやってもらえるの 一人ぼっち、ウェー、施術袋(mukoba85)を運ぶ弟子もいない癒やしの術 こちらではあなたは泣いている 一人ぼっち、あなたは誰にやってもらえるの 私の癒やしの術には人がいない

6825 (シェラの歌7)

さあ行こう、狂気の言葉 さて、ウェー (そいつは)もうやって来た 私は苦しい、みなさん (そいつは)もうやって来た

ウリンゴにて

(カヤンバの音が大きいため、ほとんどの部分はよく聴き取れない) 6826 (鶏に対する唱えごと)

Mwainzi: ...(聴き取れない)...あの黒い鶏はムルングの鶏です。白い鶏、彼女(ムニャジ)はあの白い鶏をシェラに与えます。その仕事は白い鶏です。白い鶏を捧げれば、彼女(ムウェレ)は健康になるでしょう。さて、私たちは言葉を申します。私が得たところのその言葉は....(聴き取れない)...、しかし、その言葉は私が(施術上の)父ニャレと母ニンデグヮ243によって語られたものです。 さて、赤い鶏はお前です。あなたシェラよ、あなたの鶏はこの赤い鶏です。今日この日、あなたがこの者をとき解いてくださることを願います。サラマ、サラミーニ239、世界の住人子神の皆さま。おだやかに、おだやかに、頭がホウキで掃かれることも、なし。脚がホウキで掃かれることも、なし。腹がホウキで掃かれることも、なし。どうか友人の皆さま方、とき解いてください。争いは昨日、一昨日のこと(過ぎたこと)です。今は、なしです。....(聴き取れない)...、サラマ、サラミーニ。

(以下も、カヤンバの音のためにほとんど聴き取れていない) 6827 (赤い(褐色の)ヤギに対する唱えごと)

Mwainzi: ふう。さて、けっこう。私はあなた「ディゴの女(muchet'u wa chidigo82)にお話します。ムロンゴの母244はこの人です。ムロンゴの母です。この人です。私は、私なる者はお話いたしますが、私はこの癒やしの術を盗んではおりません、私は。私は自身の苦難に見舞われ、(癒やし手になることを)拒みはいたしましたが、結局は外に出されました。ムルングがそのようにおっしゃったからです。皆さま方、ムロンゴの母であるこの者も、思うにまかせません。脚も思うにまかせず、腹も思うにまかせず。...(聴き取れない)...あなた「シェラの女(muchet'u wa shera76)」よ、あなたはギリアマを出て、ギリアマを出て、ゾンボ(Dzombo245)に至り、ゾンボを出て、ドゥルマにもどってこられたと言います。ドゥルマに戻ってこられると、あなたはメムロンゴの身体を捕らえました。メムロンゴはその住む処でもなにもすることがない。行方不明になったと言われます(小屋にこもったきりなので、誰も彼女の姿を見ることもなくなった、という意味。誇張表現である)。病気のせいで姿を消されたのです。 さて、今日というこの日、お前、赤いヤギよ。メムロンゴが健康を得ますように。なぜなら、私自身もそんな風にするようにと、(施術上の)父ニャレと母メンデグヮ246に命じられているからです。二人はこう言いました。もしお前が別の病人を得て、その者を癒やしてみせたいなら、赤いヤギと三羽の鶏によってその者の重荷をおろすように、と。このように私は盗んではおりません。このヤギが死ぬのは、メムロンゴの身体のためなのです。そしてメムロンゴとはこの者です。私は、こうして今日、そうメムロンゴの身体がつつがなきことを望みます。サラマ、サラミーニ239。あなた「ディゴの女」、「シェラの女」よ、どうか、とき解きください。 (ヤギが屠殺される)

6828 (キャッサバに対する唱えごと)

Mwainzi: あなた「ディゴの女」よ。あなたはキノンド(Chinondo247)の出身です。あなたはキノンドを出て、ムリマ248に行く。あなた「ディゴの女」よ。この者はメムロンゴです。あなたは心臓をホウキで掃く。頭をホウキで掃く。脚をホウキで掃く。そしてあなた「ディゴの女」よ、あなたの仕事は怠惰(ukaha)であることです。今日、私はあなたに全てのあなたの仕事を与えます。あなた「ディゴの女」よ。手鍬を握って耕せ。あなた「ディゴの女」よ。水を汲んでこい。あなた「ディゴの女」よ。薪を折れ。なぜなら、あなた「ディゴの女」よ、あなたの仕事は怠惰であることですから。でも、私はあなたに落ち着いてくださいと申します。私は今日あなたに、あなたがお使いになる品々を全てお調えします。あなたの仕事は、イチジクの樹の下に腰を下ろすこと、マンゴーの樹の下に腰を下ろすこと、そしてカシューナッツの樹の下に腰を下ろすこと、そしてキャッサバを見るとそれをかじる。キャッサバをかじり終えると、さあ、仕事です。そうでしょう?今日はとき解きください。このキャッサバは...(聴き取れない)..と私の子供(弟子)によって耕されたものですよ。はい。 (キャッサバを患者の頭の上に置き、ナタで半分に切る)

6829 (揚げパン(mahamuri)に対する唱えごと)

Mwainzi: ...(聴き取れない)...メムロンゴは畑仕事をしない。メムロンゴを見た人はみんなびっくりする。そして言う。彼女は魔物(majine249)をもっていると。なんと、あなた方だったんですね。あなた方は彼女の血を吸い取る、あなた「シェラの女」、「ディゴの女」よ。どうかお静まりください、そして降りてきてください。池の皆さま方、降りてきてください。ブグブグ(bugubugu250)の皆さま方、降りてきてください。私はお静まりくださいと申します。あなたの食べ物はこれです。 とき解いてください、あなた「シェラの女」、とき解いてください、あなたタンガ(Tanga242)の女。あなたの仕事はなんでしょう。それは朝に揚げパンを調理して食べること。そして寝台に入って眠ること。私は今日、あなたにあなたの揚げパンを差し上げます。そう、私はあなたに、仕事とともに差し上げるのです。手鍬をつかみ、畑仕事をしなさい。家の中に座っていたのは、昨日、一昨日のこと(過ぎたこと)です。...(聴き取れない)...とき解いてください。揚げパンを食べて、畑に行ってください。

6830 (バナナに対する唱えごと)

Mwainzi: ...(聴き取れない)...あなたの仕事はこれです。バナナを好むこと、そして畑仕事をしないこと。ところであなたはこの者、メムロンゴにとり憑くと、彼女の脚をホウキで掃き、彼女の頭をホウキで掃く。彼女の心臓をホウキで掃く。そして全身がただ燃えるように熱い。人々が占いに行って言うには、おっしゃるとおりでした、でも魔物(majine29)でした。私は...(聴き取れない)...しにやって来ました。そして感謝いたします。まさしくあなた(のせい)だったのです。私の判断もこれでした。今、私はあなた方に手鍬を差し上げました、そしてあれを差し上げました251、薪を伐るあれです。もう二度と怠惰は、なし。お静まりください。

6831 (ヤシの実に対する唱えごと)

Mwainzi: よし、さて、私はあなた「ディゴの女」、そしてあなた「シェラの女」にお話します。落ち着いてください、そうかそのままに、落ち着いてください、みなさん。この者を、あなた方は連れていき、池にお置きになりました、あなたきちがい女、あなた「ディゴの女」よ。今日、この者、ムロンゴの母はすっと思うに任せませんでした、この者は。...(この後聴き取れない部分が続く)...私は祖霊とムルングに祈ります。こうして皆さま、憑依霊の皆さま全員に同様にお話し申し上げます。...(聴き取れない)...これこそあなた方の食べ物です。鮫肉の干物をとり、キャッサバをとり、それにココナツミルクを加え、あとは一日じゅう寝る。私は怠惰は嫌いです。私はあなたに仕事を与えました。私はあなたに山刀を差し上げました。未開墾のブッシュを切り開きなさい。私はあなたに手鍬を差し上げました。手鍬を握って畑仕事をなさい。女性は、(トウモロコシを)搗いて、トウモロコシ粥を調理するものです。どうかお静まりください。

6832 (12本の瓶の水に対する唱えごと)

Mwainzi(Mw): ゆっくりと降りてきて、あなた「シェラの女」よ。あなたの荷物は12個です。あなた、「シェラの女」、あなたはタンガからやって来た。タンガを去って、ここドゥルマにやって来た。さて、私は欲します。とき解いてください、サラマ、サラミーニ。身体が熱くなることは、なし。ゆっくりと降りてきて、あなた「ディゴの女」よ。身体が熱くなることは、なし。あなた、「ディゴの女」よ。とき解いてください。 (ムァインジ氏、患者に背を向けて、瓶の水を患者の頭にかけようとする。) Mw: (ムリナに)大泉門は、このあたりかい? Murina(Mu): そう、そこだよ。 (ムァインジ、患者に水をかけながら) Mw: 皆さま方、とき解きください、降りてきてください。ムロンゴの母の身体が熱くなることは、なし。あなた「シェラの女」よ、あなたの荷物は12個です。あなたはタンガからやって来た。お静まりください。私はあなた方をこうして冷やします。皆さま方、池の水のごとく冷たくなってください。あなた、岩の上の穴に溜まった水の如く、冷たくなってください、「シェラの女」よ。メムロンゴが屋敷に着けば、手鍬を握って彼女が耕しますように。メムロンゴが屋敷に着けば、薪を砕きますように。もう病気は、なし。お静まりください、あなた「シェラの女」よ。あなたの荷物はこれら12個です。私はあなたに重荷を調えて差し上げました。これら12個です、あなた「シェラの女」よ。私はあなたに、とてもお静まりくださいと申します。どうかメムロンゴの脚に手を出さないでください。メムロンゴの頭をそっとしておいてください。メムロンゴの腹をそっとしておいてください。プッ(唾液を吐く)。

6833 (12本の瓶の水に対する唱えごとの続き)

Mwainzi: さて、しっかりとき解きください、あなた「シェラの女」、この者をとき解き、昼に夜に健康でありますように。お静まりください、お静まりください、あなた「ディゴの女」よ。あなたの出身地はタンガ(Tanga242)です。この者は畑仕事をしません。彼女の仕事はバナナを食べて、パパイヤを食べること。お静まりください、皆さま方、お静まりください。

6834 (薪に対する唱えごと)

Mwainzi: あなた方、あなた方こそ「きちがい女(muchet'u wa k'oma80)」の皆さまですね。(メムロンゴは)家に着くや、彼女は心臓が燃えると言う。水場に(水汲みに)も行かない。薪集めにも行かない。私にはわかります。確かにあなたシェラのせいだと。もしあなたシェラのせいなら、私はあなたに申します。お静まりくださいと。彼女に健康をあたえてください、彼女が薪を集め、水を汲み、手鍬を握って畑仕事をしますようにと。私は楽しみにしていますよ。あなたシェラがゆくゆくは癒やしの仕事を欲しがるようになられるのを。でも今は、どうか彼女を、今このときより、煩わせないでください。...(聴き取れない)...そもそも、私たちはあなたのお気に入りの素敵な品々を差し出しました。さあ、彼女に何年もつづく健康をお与えください。どうかお静まりください。 [カセットテープ終了]

6835 (燃える炭を患者の身体に巡らせるときの唱えごと) (燃える炭を土器片に乗せて、患者の身体を周回させる。炭はその後、池の中に投げ込まれ消される)

Mwainzi(Mw): ...怠惰(ukaha)よ、投げ棄てられよ。ギリアマ人は、(トウモロコシを)搗き砕き、粉に挽き、練粥に料理する。今日、これらの重荷は、下げ降ろされる、このように。 Munyazi(Mun): (ディゴ語で話している、これ以降、彼女は一貫してディゴ語で語り続ける)重荷は一昨日、昨日のことです、あなた奥さん。今や、あなた奥さん、ご自身が食べてばかりは、なし。そうじゃないでしょうか。脚が折れ壊れることも、なし。...(聴き取れない)...すべての関節を動かせない、そうじゃないでしょうか。降りなさい、あなた「ディゴの女」あなた「狂気を煮立てる者(mujita k'oma81)」...(以下、聴き取れない) Anzazi(An): 脚が、折れ、折れることは、なし。人の母は、怠惰を捨てよ。どう?こちら(ドゥルマの地)に来たからには、行って手鍬を握り、土を引っ掻け。(ここからディゴ語)「私があちら(ディゴの地)に行ったら、キャッサバをとりに来るわよ、バナナを取りに来るわよ。」でもそのバナナはね、奥さん、耕作の産物なのよ。行って(地面に座って)脚を投げ出すことじゃないのよ、奥さん。...(以下聴き取れない)... Mw: 今日、私はあなたのこの火を消します。それが消えてしまいますように。今や、身体が二度と熱くなることは、なし。身体は冷えよ、サラマ、サラミーニ。身体は、冷えますように、冷えますように。火は一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)。...(聴き取れない)...この身体よ、冷えよ。この火は、とても激しい。でも水が触れると、火は死んでしまう。ジーッと冷たくなる。今、私は命じます。この者の、ムロンゴの母の身体よ、冷たくなれ。火は二度と、なし。冷たくなれ、この火よ。火はたしかに獰猛です。でも水に話しかけられると、すぐに死にます。そして今、このシェラが苦しめていたのは、一昨日、昨日のこと。でも今、私たちはシェラに彼女の問題を調えてあげました。冷やすことです。ムルングの子供たち全員、もう争いはございません。身体よ、冷たくあれ。

ウリンゴからの帰り道にて

(帰り道でのシェラの歌) 6836 (憑依霊シェラの歌1)

ヘー、あなた方の仲間、ウェー、花をもっている、けっこうよ シェラ、行きましょう、あなたはお父さんに呼ばれています ...聴き取れない... 花をもっている、けっこうよ 花をもっている、けっこうよ

6837 (憑依霊シェラの歌2)

端っこにお行きなさい、太陽に焼かれますよ ご婦人たち、端っこにお行きなさい 端っこにお行きなさい、太陽に焼かれますよ ご婦人たち、端っこにお行きなさい

6838 (憑依霊シェラの歌3)

さて、私は癒やしの術を求めて池にやって来た ホー、争いよ、ウェー 私は癒やしの術が欲しい (solo) 私は出発します、癒やしの術を求めに池に行きます。 (chorus) ヘー、争いよ、ウェー 私は癒やしの術が欲しい 「長い髪の女」は言うよ 池で癒やしの術を求めなさい 今日は争い、ウェー、私はビーズ飾りを作ります

(帰還を促す語りかけ) 6839 (カヤンバ演奏続く。会話はディゴ語で(シェラはディゴからやって来た憑依霊であるため))

Munyazi(Mun): (周りの女性たちに向かって話す)そんな風に彼女(メムロンゴ)をじろじろ見るのは、なしですよ。皆さん、鞭(といっても一本の細く柔らかい木の枝)を握って彼女を鞭打ってくださいな。だって、なまけ者になってしまいますよ。 (メムロンゴに対して唱えごと)みんな疲れてます。だから厳しく当たるんですよ。この人を鞭打って、急がせないとって。みんな疲れてます。ほら、鞭を持ってるでしょ。すごく厳しく当たるんです。みんな疲れてます。ほら、太陽をご覧なさい。もうあんなところです。誰もが疲れてます。みんな家に帰りたいんですよ。そうでしょ?急ぎなさい、奥さん。なまけ者になっちゃ駄目。さて、あなた、いつになったら皆の話題になる人になれるの、奥さん?

(薪を集めさせる語りかけ) 6840 (カヤンバ演奏続く、会話はディゴ語で)

Women: 薪を集めなさい、薪を集めなさい Munyazi(Mun): 急いで、急いで。無駄に鞭で打たれないようにね。この仕事はよくご存知でしょう、奥さん。 (メムロンゴ急き立てられて、適当に数本の枯れ枝を集める) Woman: ねえ、この人に、自分で(薪をくくる)紐を剥ぎ取らせる(エダウチヤシ(mulala)の葉を繊維に沿って縦に割いて作る)んでしょ、ここで。 Anzazi(An): そうね。さあ紐をお探しなさいな。 Mun: 急いで、急いで。 An: 紐を剥(は)いで、(薪を)縛って、屋敷に向かいなさいな。 Mun: 太陽は6時(正午)の位置に着いたよ。あんたの仲間たちはまだ食事をしていない。お母さんもお腹をすかしているよ。急いでね。 An: さあ、剥(む)いて、剥いて、剥いて。 Mun: あのね、一本の紐で縛る薪なんて、ある?あなただらしないわよ。両腕ともぶらぶらしてる。 An: (ムニャジに向かって)彼女がなまけ者になりそうだったら、ほら(鞭を渡す)、あなたの(施術上の)子供を鞭打ちなさいな。(メムロンゴに向かって)みんなに負けるわよ、あなた奥さん。これらの薪だって、ご覧なさいよ。まるで鮫の塩漬け肉みたいに、尻尾が出てるわ。 Chari(C): (冗談めかして)その(たったそれだけの)薪で、トウモロコシの練粥と野草のスープが完成するとでも! An: (傍らの女性に)お椀はどこにあるの、御婦人。 Woman: 後の方にあるわ。 An: ねえ、トウモロコシ粒を入れておくの(お椀)なんだけど、見ないわね。出発したときには...(聴き取れない)..ないわ。 Woman: ああ、葉っぱがおいてあったトウモロコシの粒のこと?それって必要なものだったの? ....(以下聴き取れないが、お椀についての数行の会話も含め、進行中の儀礼の一部ではない、舞台裏的トークだと思われる)...

6841 (薪集めの続き、同じくディゴ語でのやりとり)

Munyazi(Mun): さあ、奥さん、(薪を)そこ、頭の上に置いて、お行きなさい。 Anzazi(An): さあ、頭の上に置いて、頭の上に置いて、奥さん、さあ行きましょう。 Woman(W): (数本の薪を縛ったものを渡す)ほら。あんたの荷物をつかんで、頭で運んで、お行きなさい。 An: 頭で運びなさいってば。あなたを鞭で打ちますよ、私は。 W: そもそも、間違っただけよ。 Chari(C): さあ、子供に負かされちゃだめだよ。 W: (薪を)下ろしに行くんだよ。 An: この先には、(スープ用の)野草はないのかい、この先には? Mun: さあ、先にお行きなさい。あんたはゆっくりゆっくり歩くね。太陽が厳しくなったことがわからないのかい?

(畑仕事をさせる語りかけ) 6842 (畑を耕す、語りはディゴ語)

Munyazi(Mun): まず、御婦人、手鍬を持ってきて。私が打ってあげる(叩いて刃を柄にしっかり固定する)から、あなた(その後で)持っていってね。 Chari(C): ご主人(メムロンゴの)はどちら? Anzazi(An): ご主人は(山刀で)草をこれから切りはらいに行くのよ。 C: で、今はどこにいるの? (屋敷の裏手の草むらに到着) An: 今からすぐ彼女(メムロンゴ)に畑を耕してもらいます。畑を終わらせます。もし彼女がダラダラしているのを見たら、私に彼女を手ひどく鞭打たせてください。さあ、ご主人、草を切りはらって、切り払って。奥さんは耕して。 Mun: さあ、あの草が密集しているところを切り払って。奥さんに遠慮しないで。はっきり、はっきりお言いなさい。奥さんがなまけ者になってはいけないから。そうでしょ。おっしゃいなさい。「早くしろ、私は腹が減った」って。はっきりお言いなさい。だってここで彼女をなまけ者のまま、ほうっておくと、屋敷でも彼女はあなたを尊重しないわよ。はっきりお言いなさい。そして彼女に急いでここを耕させなさい。みんなお腹をすかしている。 Bemulongo(Memulongoの夫)(Bem): さあ、ムロンゴの母よ。急いで畑を耕しなさい。私は空腹を感じているぞ。 Mun: こっち、こっちから(耕し)始めなさい。こちらの草むらは、このあんたのご主人が切りはらってくれたんだからね。ここ、ここ、ここを耕しなさい。ここから始めなさい。 (メムロンゴは気が進まない素振り) Kayamba players: もし耕さないなら、鞭打ちなさいな。 Mun: しかもきれいにしない。私はいい加減な耕しをする人は嫌いです。この両腕にしっかり力を入れて、この両腕に。

6843 (畑仕事の続き、ムニャジとアンザジはディゴ語、他の男性たちはドゥルマ語)

Mwainzi(Mw): 急いで耕せ、お腹が空いた。 Murina(Mu): ああ、なまけ者だね、この人は。 Munyazi(Mun): なんと、その両手は耕作ができないのかい?ところで、あんた切りつけ、切りつけして、同じところに戻って、一箇所ばかりじゃないか。 Mu: 頑張れ、頑張れ、頑張れ。皆んな帰りたがっているよ。頑張れ、頑張れ。ご主人は(空腹で)死んでしまう。 Kayamba player(PL): (土を)被せてるだけ、被せてるだけ。 Chari(C): ねえ、肘に力が入ってないわ。 Anzazi(An): 腕もすごくだらんとしてるわ、腕も。 Mun: 手鍬は両手で握るものよ。奥さん、手鍬を両手で持ちなさいな。そして急いで急いで。奥さん。頑張ってよ。この場の皆んな疲れてるよ。私は怠惰は嫌いですよ、奥さん。耕作に力を入れて、終わらせて、あちらの屋敷に行って、トウモロコシの練粥を調理して頂戴。 Mw: なあ、あんたたち彼女に割り当てた地面が広すぎるんじゃないかい。 Mun: ああ、終わるでしょうよ。急いで、急いで、急いで。速く、速く、引っ掻いて。 PL: 急いでよ。いつ耕し終わるのやら。もう結構な時間に感じるよ。 Mw: 広すぎるよ、ここ。 An: こっちに来て彼女(Munyazi)にお言いなさいよ。あなた、そんな端の方にいて。あなたの(施術上の)子供じゃないの。 Mw: なあ、あんたたちが言いなさいよ。

(おかずにする野草摘み) 6844 (畑の周囲で野草摘み、語りはディゴ語)

Munyazi(Mun): あちらにお行きなさい。また、だらだらしてるわね。女性は野草を指し示してもらうものなの?おかずにする野草を示されないといけないの?自分では見つけられないの?なに?あなた目はついてないの?示してもらえないとだめなの?それってなまけ者ってことじゃないの?そう、女性は畑に着いたら、食用野草を探し、薪を探すものよ。あなたはどうしてそんなになまけ者なの。 (メムロンゴ、野草をほんの少し摘む) Mun: ねえ、あんたは、あんたのお母さんに食べてもらいたいでしょ。お母さんはお腹をすかせてるよ、あんた。さあ家に行きなさいな。お前の怠惰さを持ったままでね。 Anzazi(An): さあ、行きましょう、行きましょう、行きましょう。 Mun: お行きなさい。急いでね。私は疲れちゃった。ああ、そうね、歩いてね。あんた、歩いていく脚をもってないのかい? Woman: 見てよ。彼女とってものろのろ。今にも空腹で倒れそう。 Mun: なに?私たちは婚資を受け取りに行くのよ。もしあんたが、なまけ者だったら、あんたは実家に戻されるわよ。...(聴き取れない)... 速く歩いて、速く歩いて。ほらあの、あんたのお父さんが(嫁とりの話を)投げ出しちゃうよ。 An: 兄弟たちもここでお腹をすかせているよ。

屋敷にて

(小屋の中でのシェラの歌1) 6845 (シェラの歌1)

お待ち、私に道を先導させて252、ムウェレ、ウェー シェラはまだ良く知られていない 腹の奥の病気、身体が震える シェラ、お母さん、あなたは私を産まず女にする シェラ、お母さん、あなたは私を産まず女にする シェラは子供を産んで、その子に名を与えた、産まず女と言う名を シェラは子供を産んで、その子に名を与えた、産まず女と言う名を 腹の奥の病気、身体が震える シェラ、お母さん、あなたは私を産まず女にした

(トウモロコシを粉に挽く) 6846 (シェラの歌1が演奏される中)

Munyazi(Mun): 石臼をここに持ってきて。 Mun: 仕事は一発でやってよ。さあさあ、しゃきっと石臼をもっておいで。 (メムロンゴ、石臼を運んでくる) Mun: 重ねて、重ねて、奥さん。ここでトウモロコシをお挽きなさい。 Mun: 4シリングをここに置いて。 Mun: トウモロコシ(粒)を載せて、奥さん、早く。石(板状の)はもう置いてあるよ。大きな火はここにはないよ。これらのトウモロコシにはこの火でじゅうぶん。火に息を吹きかけなさい。2シリングはここに置いて。

(小屋の中でのシェラの歌2) 6847 (シェラの歌2) (solo)

あのシェラがやって来た、ウェー、まさにここにやって来た ごらん、やって来て泣いている (chorus) 脇に捨てなさい、ウェー、お父さん、彼女がやって来た (solo) 脇に捨てなさい 妹よ(またはお姉さん) 彼女は速いのが好き (chorus) 脇に捨てなさい、ウェー、お父さん、彼らがやって来た

(粉挽き) 6848

Munyazi(Mun): さあ、腰を下ろして、腰を下ろしてここに。脚を伸ばして、粉を挽いて。 ....(演奏の音と人々の会話で、ムニャジの発話はほとんど聴き取れない。メムロンゴ憑依状態)... (ムニャジ唱えごと、部分的にしか聴き取れない、概ねディゴ語) Mun: 降りてきてください、降りてきてください、兄弟よ。今は、怠惰をお捨てください。

6849 (唱えごとの続き)

Munyazi(Mun): ...そこに着けば、手鍬を握って、耕せ。女性は(臼と杵で)搗くもの、女性は粉挽きするもの。あなたはシェラの女、あなたはなまけ者。そちらの畑に着けば、そう、耕すのはあなたの仕事。雨がやって来る。あなたはカシューナッツの木陰で寝るばかり、マンゴーの木陰で寝るばかり、お母さん、噂話に興じるばかり。全部やめ。手鍬を握って、耕しなさい。

(粉挽き中のシェラの歌) 6850 (シェラの歌3) (solo)

驚きの心は長い髪を落とした(or捨てた、切った、満たした)253 落ち着いて、我が子よ、ウェー お前は癒やしの術の長い髪を落とした 驚きの心は長い髪を落とした、ウェー 泣かないで、我が子よ、ウェー お前は癒やしの術の長い髪を落とした (chorus) ウェー、お母さん、お父さん 驚きの心は長い髪を落とした

6851 (シェラの歌4) (solo)

不運、エー、不運だよ、私の仲間 (chorus) 不運、エー、不運、私の仲間たち、不運

(粉挽き終了の言葉) 6852 (概ねディゴ語)

Munyazi: ねえ、あなたはなまけ者になるよ。(そばにいる女性を指して)この人のこと、あなたはなんて呼ぶ?さて、仲間の女性たちは皆んなそんな風に粉を挽きますか?あなたの怠け心ときたら、あんた!さあ、その怠け心はここに捨てていきなさい。家に着いたら、いいですか、最高の粉をお挽きなさい、とっても良い粉を。さあ、急いで野草を煮てくださいな、奥さん。

(練粥作り中のシェラの歌) 6853 (シェラの歌5) (solo)

カヤンバを打て (カヤンバは)ドゥルマを驚かせる あなたは周回する 彼に不運について話してやれ、兄弟たち なに? 心は悲しむ 彼に不運について話してやれ、兄弟たち (chorus) 不運、不運、私の仲間たち、不運

(練粥作りの際の唱えごと、ディゴ語)

Munyazi(Mun): そこの(水瓶の)中の、その中の水を行って取っておいで。...(聴き取れない)...あんた汚れるよ。私はそんな汚い娘は嫌いだよ。さあ、(炉の)火を集めなさいな。練粥のアルミ鍋(sufuria254)はどこ? Anzazi(An): まずは、そのなかで彼女に煮させなさいな。 Mun: 彼女につがせましょうね。 Mun: さあ、急いで煮えろ、煮えろ。さて、あんた自身も急ぎなさい。ああ! Mun: こちらではあなた方の仲間は、のどが渇いているよ。誰かに水を持ってこさせなさい。あなた方の仲間は、こちらで喉が渇いてますよ。 Mun: さあ、それらの砕けたトウモロコシ粒を煮なさい255。あんたが自分でトウモロコシ練粥って言うところの。あのディゴ人(憑依霊)自身も不潔。ディゴ人はそんな風に不潔。あんたもディゴ人かい、あんた自身も。水はどこにあるんだい、仲間たち。なんでここに水がないの? Man: 水はあちらまで汲みに行きました。 Mun: もっとこっちにお寄りなさいな、妹よ。あんたに課題をあげる。それらのあんたのトウモロコシ粒を入れなさい、あんた汚い人。トウモロコシ粒を入れなさいよ。なにを待ってるの? Mun: その水をもってきて、彼女にたっぷり注がせましょう。 Mun: じゃあ、それらのあんたの粒を入れて、奥さん。 Mun: 降りてこい、降りてこい、降りてこい、降りてこい、降りてこい。さて、ディゴの女、降りてこい。狂気を煮る女、降りてこい。彼女に狂気を煮立たさせ、それ(狂気)をここに置き去りにさせましょう、そうでしょ?家に着いたら、手鍬を握って、耕作しなさい。怠惰は捨てましょう、奥さん。病気は、なし、違いますか。体が燃えるのも、捨てなさい。腹(の病気)もなし。捨てなさい、奥さん。脚が折れ壊れることも。お静まりください。怠惰さも捨てなさい、奥さん。怠惰さも捨てなさい。あちらの家に着いたら、問題をvuvumusaしなさい。

(練粥作り中のシェラの歌2) 6855 (シェラの歌6)

これは不運、ウェー ファトゥマ(人名)はやられました 未開の地(nyika256)でシェラの治療を治療してもらいなさい 未開の地でシェラの治療を治療してもらいなさい お行きなさい、兄弟(姉妹)よ、私は他人のことは言いません さあ、シェラの治療を瓢箪でしてもらいなさい 話しなさい、一緒に行きましょう、ウェー ご婦人よ、瓢箪を弄びます さあ、未開の地でシェラの治療をしてもらいなさい (憑依霊)ペンバ人、ウェー、私の仲間たちはやられました さあ、未開の地でシェラの治療をしてもらいなさい (kubitaのリズムで) 妹、マリアム(人名)は言いました。ウェー、万事はOK

(練粥の調理を終え、外へ) 6856

Munyazi(Mun): あんたたちの仲間、水をどこに取りに行ったんだい? Woman: 川に汲みに行ったよ。 Mun: ああ、そうなの。 Mun: (メムロンゴに向かって)なに、あんた自分でこれが粉だっていうの、これが! Girl: さあ、水ですよ。 Mun: じゃあ、奥さん、火から下ろして、(練粥を)こちらによそって、外にお行きなさい。 Woman: これが練粥?団子? Mun: さて、あなたあちらの家に着いたら、お口を慎みなさいね。あの人(夫の父)から「なんだよ、あちらのお前の父のところに、婚資を返してもらいに行くよ、私は」なんて言われないようにね。 Mun: さあさあこの練粥と手を洗う水をもって、お外にお行きなさいな。 Mun: さあ、ほら、外に行って。あれらのあんたの(トウモロコシの)砕いた粒を差し出しなさい。あんたたち、私の仲間も太鼓(実際にはカヤンバ95)をもって外にお行きなさいな。太鼓をもって外にお行きなさい。この彼女の練粥を持って行かせて。皆が練粥を食べるように。

(前庭でのシェラの歌1) 6857 (シェラの歌7)

私は蝿追いハタキを乞います、私を通して257 ハアー、私は疲れました、ウェー 私は蝿追いハタキを乞います、私を通して 私は蝿追いハタキを乞います、私を通して 私は疲れました、ウェー、ハアー 私は蝿追いハタキを乞います、私を通して

(シェラ、練粥を「夫」に食べさせる) 6858 (前庭でメムロンゴ=シェラが作った練粥を、「夫」(メムロンゴにとっては現在の夫、シェラにとってはこれから夫になる男性)に食べさせる)

Munyazi(Mun): さあ、彼に練粥を食べるよう言いなさい。「練粥を食べなさい」って言いなさい。何?この人、練粥を握り固めることもできないの?「練粥を食べなさい」って言いなさいってば。あなたを鞭で打つわよ、そうじゃない?「練粥を食べなさい」ってこの人に言いなさいよ。 Anzazi(An): (ムニャジに向かって)ねえねえ、まず彼女に「この人があなたの夫ですか」って尋ねて、彼女自身に同意させないと。まず、あなたのお父さん(施術上の)をお呼びなさい。あっちの隅に隠れているわ。まずここに来てもらわないと。 (ムァインジ食事の場に加わる。彼自身は食べない。) Mun: (目を閉じているメムロンゴ=シェラに)。その目ったら、私は目をつぶっているのは嫌い。その目を鞭打つわよ。 Chari(C): この練粥は、この人(夫)だけに残しておくの?それとも彼女に締めくくらせるようにしているの? (夫が食べるのを見て、チャリは、施術のやり方について質問している。) Mun: ええ、そうよ。 (ムァインジ、不出来な練粥について問いただす) Mwainzi(Mw): そもそも、なんでこんなことになってるんですか?彼女を鞭打たないことで、私の子供(義理の息子)がこんな練粥を食べることに?ああ、歯が!いったい何を粉に挽いたんだ? Mun: 鞭打ったわよ。だって、本人、怠惰そのものなのよ。これからもしこたま鞭打つわよ。 Mw: あんた方、この人にさらに挽きなさいって言わないのかい。あんた方がこの人をなまけ者にしてるんだよ。 Mun: ねえ、もしあなたも近くにいたら、この人がこんな風に(やる気なさそうに挽いているジェスチャー)挽いているのを見たでしょうよ、そしてあなたも彼女を鞭打ったでしょうよ。そう、私たちはしこたま鞭打ちましたよ。彼女の両腕すら鞭打ったわ。でも彼女は何も感じないのよ。 Mw: あんた方、私を呼ばなかったじゃないか。もし何かがうまく行かなかったら、私を呼びなさいって、言っておいたでしょ? (メムロンゴ=シェラに向かって)さあ、この練粥を自分で握ってみなさいな。もしできるなら(握って食べられるような団子状の固まりにできるなら)ね。怠惰そのもの。お前は私の義理の息子(メムロンゴの実際の夫であるが、シェラの夫となるべき男)と結婚するのに、こんなひどい練粥を彼に食べさせようというのかい。これこそ怠惰じゃないかい? (ムニャジらに向かって)あんた方、この娘を鞭打ったのかい?

(前庭でのシェラの歌2) 6859 (シェラの歌8)

良い言葉を話しなさい そう、私に、そう蝿追いハタキのことを話してください、マリアムさん お母さんの無事を、ウェー、妹(姉さん)よ なに?万事、順調よ (kubitaのリズムで) 小さなニュースの人(?)よ、お母さん、ウェー258 小さなニュースの人よ

(共食後、婚資のやりとりでシェラとの婚姻成立) 6860 (ムニャジ、水に先ほどメムロンゴ=シェラが帰途採った野草を、そのまま入れたものを「野草スープ」と称してメムロンゴ=シェラに食べさせる)

Munyazi(Mun): さあ、(練粥を握って作った団子を)そこのあなたの野草スープにちょんちょんと浸けて召し上がれ。なんと、たしかに野草ですよ。さあ、生のままの葉をお食べなさいな。 (次いで、メムロンゴの夫にも食べさせる) Mun: さあ、お食べなさい。 (メムロンゴ=シェラに向かって)(食後に)手を洗う水を、ここに持っておいで。小屋の中にある水を。 Mwainzi: 彼女に、飲むための水もとってこさせて。 Mun: さあ、水を持ってきておくれ、いいね?行って...さあ、立った、立った。あんた手を洗う水を持ってきておくれ。ご主人に手を洗ってもらうんだから。 Mun: あんた向こうの家に着いたら、すっかり変わったところを見せておくれよ、あんた。 (周りの女性たち、てんでにメムロンゴ=シェラをからかう) Woman1: ここじゃ、彼女しゃきっとしないね。水はあちら、そこのバケツの中だよ、そう。 Woman2: その恥じらいって、まるで花嫁さんみたい! Woman3: ところでその恥じらいはいったいなあに? Woman2: なに?今日、この人があなたを娶るんでしょ? Mun: あんた、何かを言われたら、なんとあっちの方を見る。ちゃんと話が聞けないでしょうが。 Mwainzi(Mw): 私は怠惰な娘は嫌いだよ。ここで私は婚資を受け取ります。私は怠惰な娘は嫌いです。もし私が婚資を受け取るとするなら、そう、私は我が娘が、行って仕事をちゃんとしてくれることを欲します。だから、そういうの(今彼女が示している怠惰な振る舞い)は嫌いです。今日、この日に、それを止めて欲しい。 Mun: さあ、あんたこれらの食器を片付けなさい。これらの食器を片付けなさい。 Mw: さあ、これらの食器を持っていきなさい。 (メムロンゴ=シェラ、食器を片付ける) Mw: そういうのを私は欲しています。私は婚資を受け取りたい(字義通りには「婚資を食べたい」)です。お前が、このお父さん(結婚相手)を私に紹介してくれるよう欲します。今、私は婚資を請求してもいいですか、受け取ってもいいですか。お父さんはどの人ですか?お前に今すぐ答えてもらいたい。私はここでこの婚資を受け取りたいのです。私はなまけ者の娘は嫌いです。私はお前にお父さんがどの人か言ってもらいたい。この人ですか。 (メムロンゴ=シェラ、頷く。ムァインジ氏、婚資8シリング(当時の日本円で40円ほど)受取る259。婚姻成立!)

(寝台脇でのシェラの歌) 6861 (シェラの歌)

私は戸惑っています、エエ、お母さん 私は戸惑っています、エエ、お母さん (repeated many times) お邪魔します、私はひどい扱いを受けています。治療してもらえない。 (repeated many times) 今日、ウェー、お母さん、私は病気を治療します。 (repeated many times)

(寝台でのシェラに対する諭し) 6862 (メムロンゴ=シェラ、寝台の寝具をきちんと整えるよう命じられる)

Chari(C): 最初に、寝台を調えさせなさいって、言われたわね。 Munyazi(Mun): 奥さん、寝台(寝具)を調えなさい。寝台を調えなさい。きちんと調えなさい。きちんと調えなさい。あっちをご覧。ちょっと、こっちに戻って。こっちに戻って。憑依霊たちを、ここに呼ぶべきかしら。 Anzazi(An): あなた方、カヤンバ演奏の皆さん、こちらへ。こちらへいらっしゃい。 Woman: ハアー。寝台を調えなさい。もう調えたの。ご主人、横になってください。だって、この人(メムロンゴ)、もう、眠たそうだもの。 (寝台にメムロンゴ=シェラとその夫を並んで横たわらせる) Mun: そちらに横になって、奥さん。鞭で打つわよ。あれこれ、終わりにして、皆に休んでもらわないとね。そう、ここだってば。あんた不吉なこと260をされたいの?あんた、奥さん。そこの端っこに横になりなさいよ。 C: 鞭で打たれないのね、結局。 Mun: あんた、仲間を疲れさせてるんだよ。のろのろしたいんだね。ここにいるあんたの仲間たちは、皆んな間抜けで、疲れたりしないとでも?なんと、ちゃんと横になるじゃない。それともまたこんな風にこんな風に? ほら、この人よ、あなたのパートナー。... 脚は、横切るようにね、脚は。この脚はこちらに戻して。パートナーの脚はここに戻して。ああもう、あんた、まだ間違ってる。あんた、頭おかしいんじゃない?まだちゃんとしてないよ。 さて、ご主人、脚を伸ばしてくださいな。 (二人が並んで寝台に横になったので、シェラに対して夫婦の心得を諭す) Munyazi(Mun): それ、寝台のところに置いてちょうだい、そこよ。さて、妻よ、さて。妻は娶られる。夫に娶られる。そしてあちらに着くと、夫を敬う。そうじゃないですか?妻は呼ばれます。「水を持って来い。私は水浴びをします。お前は練粥を料理しろ。」妻は行って練粥を料理します。さて、夫は水浴びを終えると、言います。「私は疲れた。寝床の用意をしなさい。私は眠りたい。私の身体を休めたい。」妻は寝床の用意をします。そうでしょ。寝台を調えませんか?呼ばれたら、寝台を調えて「ヘエー」と返事します。それこそ、私たち女性のやり方です、それが。オーケー、こんな風にあちらの家では敬意を示すのですよ、あなた奥さん。

6863 (続いてアンザジも、シェラを諭す)

Anzazi(An): さらにこのご主人があなたを娶ったなら、さらにあなたも変わります。このお母さん(ムニャジのこと。ムニャジはメムロンゴの施術上の母であると同時に、今回の「重荷下ろし」によって、ムァインジとムニャジが<メムロンゴ=シェラ>の父母になる)が、「あのあなたの娘さんは、あちらでは分別のあるしっかり者ですね」という評判を耳にしますように。今のあなたのもつ悪い癖は、ここに置いていきなさい。そうでしょ?だってあなたのお母さんは、他人のウシを受け取ったんだから。このあなたのお母さんは他人の婚資を受け取ったんだから。これからは敬いの態度です。さあ、起き上がって、奥さん。 Munyazi(Mun): さあ外に行きましょう。外で締めくくりましょう。 Chari(C): (寝台から)降りるのも嫌なのかな? An: ああ、なまけ者なんだよ。彼女、ここで今日は眠りたいんだよ。でもそれは駄目。

(小屋の外での締めくくりの唱えごと) 6864 (小屋の外に出て、数分間シェラの歌を演奏した後に、締めくくりの唱えごと)

Munyazi(Mun):(途中から録音)...私たちはしっかり踊りました。チェレコ(出産祈願の瓢箪子供)もあなたに与えました。あなた全能のムルング91よ、あなた憑依霊アラブ人121よ、憑依霊サンバラ人子神124よ、カルングジ子神261よ、どうかとき解きください。おだやかに、皆さまどうかこの女奴隷(mujakazi(fr.ス mjakazi))をとき解きください。もう争いはございません。どうかお静まりください。 Anzazi(An): お静まりください。ンゴマはこれです、友よ。そもそも、あなた方自身は、感謝の気持ちを差し出されないのですか。どうか考えてもみてください。昨日のあの時間から、10時(午後4時)までです。 Chari(C): あなたの兄弟たちは疲れ、空腹で死のうとしています。 Mun: 人々は皆、空腹で死のうとしています。彼らをお許しください、砦の中におわします世界の住人の皆さま、全員。さらに、この者の身体をとき解き、幼子たちが健康でありますように。ここを出てのち、行ってこれらの幼子に入りこまれることは、おやめください。そしてあなた御自身、手鍬を握って、畑仕事をしてください。 Mwainzi(Mw): そしてあの獰猛なお方。どうか皆さま方、その者にお言い聞かせください。というのも、その者は大きな難題そのものをなす者なのです。今、どうかその者にお言い聞かせください。何事もゆっくり、ゆっくりなのです。 Mun: (昨夜のンゴマで)おっしゃられたあれらのことでしたら、探し求めさせていただきます。ねえ、難題は一つ一つ解決するものでしょう。 今回の歌(カヤンバ)は、急ぎの歌でございました。なぜならその女性は、ただ驚き戸惑っていたのです。なぜなら、死すら、死ぬところだったのです。その配偶者(夫)は、大急ぎでした。彼は言います。お父さん、私に(彼女の病気がよくなるために)あれこれ、できることをさせてください。もしかしたら(憑依霊たちに)別のことが求められているのかもしれません。人は癒やしの術を、病気を通して与えられることもあります(憑依霊が人を癒やし手にするために、その人を病気にすることもある)。私たちはこの者が治り、あれらの幼子たちを養うことを欲します。

6865 (ムニャジの唱えごとの続き)

Munyazi: もし、あなたが癒やしの仕事を求めるとすれば、まずはあなたは招待されねばなりません263。まずはとき解きください。もう再び病気は、なし。そもそも、また「どうかどうか御主人様方」などというのは嫌です。もしそちらにお着きになったら、手鍬を握って、地面を引っ掻いてください。あれらの幼子たちを、お養いください。とき解いて。もし癒やしの術でしたら、あなたはお父さんとお母さん(いずれも施術上の)によって与えられることになるでしょう。しっかりとき解いてください。今や、争いはありません。 私たちの、このンゴマは、御主人様方のンゴマです。身体をとき解いてください。脚が痛むこともなし、腕が痛むこともなし、肩が痛むことも、なし。今日、この日より、とき解きください。あなた、ディゴの女よ。争いはございません。私たちはあなたに美しいもの(ビーズ飾り)をお与えしました。歩くときに、ジェレジェレ音をお立てください。そう、平安とつつがなきことの。とき解きください。争いはございません、我が友よ。しっかりお静まりください、お母さん。

注釈

また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira264)」と呼ばれることもある。

 


1 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注記で訂正している。
2 キナンゴとモンバサ街道沿いの町マリアカーニを結ぶ道の途中にある地区。私の小屋があった「ジャコウネコの池」地区からは自転車で約1時間ほどの距離。施術師ムニャジの村。歩くと3時間以上かかるのだが、ムニャジはよく徒歩で遊びに来てくれた。ムァインジ夫妻の家(バンガ(Bang'a)地区(正確にはマディアニ(Madiani))からも近いと言えば近い。
3 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(4)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana86, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
4 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi3)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari5)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)56」とライカ(laika58)およびシェラ(Shera76)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師21を「外に出し」てもらうことになる。
5 私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師6などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze7を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba8)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)21」とドゥルマ人(muduruma48)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri54)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza55)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
6 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
7 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
8 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」9、香料10と海岸部の草木11の鍋17。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
9 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
10 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
11 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術12においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba10)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande13)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu17)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
12 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
13 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符14。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
14 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata15)、パンデ(pande13)、ピング(pingu16)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
15 ンガタ(ngata)。護符14の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
16 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符14の一種。
17 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza18、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
18 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya19)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu17)とセットで設置される。
19 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo20)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza18)と呼ばれるが)。
20 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
21 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師22。内陸bara系23であると同時に海岸pwani系24であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」47)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
22 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia21)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
23 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
24 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume25)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani46)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
25 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola26)もありうる。
26 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini27」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa2834と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume25)、カドゥメ(kadume37)、マウィヤ人(Mwawiya38)、ドゥングマレ(dungumale41)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga42)、トゥヌシ(tunusi43)、ツォビャ(tsovya45)、ゴジャマ(gojama40)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu32」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」33)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
27 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola26)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
28 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola26)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち29)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba24)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu32)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni33)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini27)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
29 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo30)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
30 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso31)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine29)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
31 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。
32 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ33)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola26)の対象となる。
33 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu32」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
34 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」35など)を行うことなどを意味する。
35 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ36などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
36 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ35」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
37 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
38 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde39)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama40)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
39 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
40 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola26)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
41 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola26の対象になる)34。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
42 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
43 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine29)の一種という説と、ニューニ(nyuni33)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ44らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola26)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
44 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
45 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ33の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola26)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa34」。see p'ep'o mulume25, kadume37
46 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」11による鍋(nyungu17)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe9)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu16)。
47 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia21)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
48 ムドゥルマ(muduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性49)、カシディ(kasidi 女性50)、ディゴゼー(digozee 男性老人51)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
49 憑依霊ドゥルマ人(muduruma48)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
50 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma48)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
51 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo52)マンダーノ(mandano53)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
52 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
53 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
54 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza55と呼ばれる手続きもある。
55 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri54)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ15を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
56 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo57)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
57 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
58 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi59)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka60) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri54)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi61など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo62,laika mukusi63など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe64, laika ra nyoka64, laika chifofo67など。(4) その他 laika dondo68, laika chiwete69=laika gudu70), laika mbawa71, laika tsulu72, laika makumba73=dena74など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze18)で薬液を浴びる、護符(ngata15)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza55)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
59 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
60 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
61 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni33)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
62 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
63 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
64 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira65)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka66)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
65 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
66 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
67 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
68 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi59)の別名ともいう。
69 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
70 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
71 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
72 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
73 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena74)の別名。
74 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari75)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande13)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
75 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)55」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena74が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee51)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande13には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
76 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)55、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす56)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku77)、おしゃべり女(chibarabando78)、重荷の女(muchet'u wa mizigo79)、気狂い女(muchet'u wa k'oma80)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma81)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo82、長い髪女(mwadiwa84)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba85)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
77 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera76)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
78 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera76の別名の一つ
79 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ76の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
80 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ76の別名ともいう。
81 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera76)の別名の一つ。
82 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ76の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo83)の女性であるともいう。
83 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
84 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
85 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
86 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
87 マレロ(marero pl.のみ)。ビーズ(ushanga)で作った装身具、特に施術師らが身につける装身具の総称。chisingu 頭部につけるもの、tungo(pl. matungo) 関節部につけるもの、mudimba 首から背中にかけてつけるもの、mudzele たすき掛けにつけるもの、など。
88 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ89)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
89 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
90 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)91との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
91 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza18)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる92。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている93。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
92 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供93がある。瓢箪子供の各部の名称については、次図を参照。
93 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供92。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神91がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande13)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料10)、血(ヒマ油94)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
94 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
95 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti96)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
96 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
97 テントとは言っても総重量2kgちょっとの一人用シェルター(mont-bell MoonlightOne)で、徹夜が予想される場合には常時携行していた。
98 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka99)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
99 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
100 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
101 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
102 クルアーニ(kuruani,kuruwani)はイスラムの経典「コーラン」。 コーラン導師(mwalimu kuruani)はイスラム系の憑依霊。憑依霊アラブ人(Mwarabu)の別名とも。
103 ジャンバ(jamba)。ジャンバ導師(mwalimu jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿9、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
104 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。憑依霊の文脈ではシェラ76に対する「重荷下ろしkuphula mizigo56」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。
105 マブリ(maphuli)。「下ろすこと、下ろす作業」。動詞ク・ブラ(ku-phula)の名詞形。
106 マココテリ(makokoteri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
107 ク・ルンバ(ku-lumba)。「議論する」だが、ンゴマの後で議論すると言えばもっぱら価格交渉である。たいていは支払われた施術師への報酬を、弟子や演奏者たちとのあいだでどんな風に分配するかを巡って、延々議論になる。
108 ヴリ(vuri)。小雨季、10月から1月にかけての雨。短時間に激しく降るのが特徴。またそれがやって来る方角(北)。ヴリーニ(vurini)ともいう。反対に大雨季の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう。
109 イニ(ini, pl.maini)。「肝臓」。ウシやヤギを屠って食べる際に、長老やゲストに賞味する権利がある。
110 トゥンゴ(tungo, pl.matungo)。ビーズを紐に通して作った飾り物で、関節部に身につける。施術師の装束の一部。「制作する、ビーズ飾りを身につける」を意味する動詞ク・トゥンガ(ku-tunga)より。集合的にマレロ(marero87)ともいう。
111 キゴンゴ(chigongo pl.vigongo)。「小枝、棒」。占い(mburuga112)の最後に、診断されたトラブルを治療する施術師の選定のプロセスがある。選定は当の占いの施術師(muganga wa mburuga)が行うが、相談に訪れた者はブッシュに行って5cmほどの小枝(chigongo)を何本か折り取ってくる。一本、一本が相談者が念頭に置いている異なる施術師に対応する。取ってきた小枝を無言で占いの施術師に差し出すと、占いの施術師はその一本一本を念入りに嗅ぐ仕草を見せ、そのうちの一本を「これがあなたの(トラブルを治療する)施術師です」と言って差し出す。その後に、相談者が選ばれた施術師の名前を明かすこともあるが、何も言わずに帰っていくこともある。
112 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
113 キレロ(chirero)。「今ふう」。今風の贅沢で怠惰な生き方に慣れたディゴ系の憑依霊が、こうした贅沢品を嗜むため
114 シガラ(sigara)。「紙巻きタバコ」。これに対し人々自身が作る、嗅ぎタバコ、噛みタバコはトゥンバク(tumbaku)と呼ばれる。
115 ムカヘ(mukahe, pl.mikahe)。パン。ケーキ。
116 チャイ(chai)。「お茶、紅茶」ミルクティは chai cha maziya117。ミルク抜きは chai cha rangi118「色のついた茶」
117 マジヤ(maziya)。「ミルク」。
118 ランギ(rangi)はドゥルマ語では(スワヒリ語でも)「色」を意味する名詞。あるいはミルクを入れない紅茶。しかし "namutuwa(I follow him/her) rangi" であるので、人名と考えるしかない。書き起こしの"namutuwa"が誤りで、"namutiya"であるとすれば、「私は(彼/彼女にミルク抜きの)紅茶を注ぎます」とも解釈可能。
119 ク・チェサ(ku-chesa)。「徹夜する、夜を徹しておこなう、寝ないでいる」
120 クシミカ(ku-simika)。「据える」「設置する」「セットアップする」
121 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
122 ムヮヴィツワ(mwavitswa)。憑依霊の一種。ヴィツワ(vitswa)は名詞キツワ(chitswa,「頭」を意味する)の複数形であるが、「気狂い」の意味になる。「気狂いである」は字義通りには「ヴィツワをもっている」という意味の句 kukala na vitswa で表現する。ムァヴィツワに憑依されると、人は友人たちと意見を同じにすることができなくなったり、友人の丁寧な物言いに対して、悪罵で答えたり、卑猥な表現を叫んだりする(ku-hakana)。要求は、白い布(赤い線が刺繍されているもの)。
123 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
124 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
125 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
126 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki127)、キツィンバカジ(chitsimbakazi59)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
127 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ74、ニャリ75、ムビリキモ52などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika58)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
128 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)129であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
129 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba85)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)130や母(女性施術師の場合)131ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
130 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」129を参照されたい。
131 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」129を参照されたい。
132 yuは三人称主格接頭辞、yugolomokpwaは動詞ku-golomokpwa98の三人称単数現在完了形「彼女は憑依状態になった」という文になる。
133 yuは三人称主格接頭辞、naは現在形の時制詞、yunakokoteraは「彼女は唱えごとをする(している)」。
134 ク・ラビャ(ku-lavya)。「差し出す、(来客などを)途中まで送る、発する」など外になにかを移動させる意味で広く用いられる動詞。
135 和訳「さあ、子供が泣いているよ、子供が泣いているよ」
136 キリョモ(chiryomo)。憑依霊はときに普通の人には理解不可能な、未知の言語でしゃべる。いわゆる異言(tongues, glossolalia)であるが、chiryomoは動詞 ku-ryoma (訛って喋る、うまく喋れない)から来ており、人々が聞いたことのない外国語全般がchiryomoと呼ばれる。
137 ムガイ(mugayi, pl.agayi)。憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは動詞ク・ガヤ(ku-gaya)に由来する。ク・ガヤは「困っている、難儀している」を意味する動詞だが、主として物が不足して困っている状態を指す。「困窮者」
138 クズザ・マシェラ(kuzuza mashera)。クズザは憑依霊によって奪い隠された患者のキヴリ(chivuri54)を探し出し(嗅ぎ出し)、それを患者に戻す施術であるが、単にクズザというと、ライカ(laika58)系の憑依霊によって奪われたキヴリを取り戻す施術である。ライカと並んでシェラ(shera76)も患者のキヴリを奪うとされているが、このシェラらによって奪われたキヴリを取り戻すためのクズザを指すときには、クズザ・マシェラという。
139 フフト(fufuto, pl. mafufuto)。ムズカ36に溜まった枯れ葉やゴミ。これらを持ち帰って燻し(kufukiza140)に用いる。妖術使いが奪ったとされる犠牲者の汚れを取り戻す際に必要な手続き。
140 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
141 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' 鳶のような模様の毛色(白、黒、茶が入り混じった)の鶏など。
142 ドゥルマの色彩名称。形容詞:「白い」 -eruphe; 「黒い」-iru; 「赤い」-a kundu(茶色も含む); 「青い、緑の」 -chitsi(chanachitsi)。鶏を例にすると、k'uk'u mweruphe「白い鶏」jogolo dzeluphe「白い雄鶏」、k'uk'u mwiru「黒い鶏」jogolo dziru「黒い雄鶏」、k'uk'u wa kundu「赤い(褐色の)鶏」jogolo ra kundu「赤い雄鶏」などとなる。
143 ク・ツィンザ(ku-tsinza)。「(ナイフで)切る」「喉を切って殺す」「屠殺する」
144 トロ(toro、pl.matoro)は睡蓮
145 キロンゴジ(chilongozi, pl.vilongozi)。浮草の一種。Water Lettuce= pistia stratiotes
146 クヴンガ(ku-vunga)。薬液を振りまく。鶏の脚をもって鶏を薬液(vuo)に浸け、それを患者に対して激しく振り、薬液を撒く動作。
147 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
148 クウザ・キブリ(ku-udza149 chivuri)。「嗅ぎ出し(kuzuza)」の施術において、キブリを取り戻し、マイロニ(maironi150)から屋敷に戻った施術師は、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている(あるいは茣蓙の上に脚を投げ出して座っている)患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。
149 ク・ウザ(ku-udza)。「返す、戻す」。prepositional formはク・ウジラ(ku-udzira)
150 マイロ(mairo -gaga)。名詞として「速いこと、高速」。形容詞、副詞として「速い」「速く、高速に」。憑依の文脈では、「嗅ぎ出しku-zuza」の施術において、施術師が奪われたキブリを探しながら早足で(ほとんど走るように)人々を先導していく過程を、マイロニ(maironi)という言葉で表現する。
151 クブラ(ku-phula)。「(荷物などを)下ろす」を意味する動詞。
152 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
153 フンドゥ(hundu, pl.mahundu)。まだ緑色の(乾燥していない)ヤシの葉で編んだ籠。スワヒリ語由来のパカツァ(pakatsa)(スワヒリ語では pakacha)という言葉も用いられる。
154 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。
155 ムワ(muwa, pl.miwa)。サトウキビ。
156 パユ(payu, pl.mapayu)。パパイヤの実。
157 ナジ(nazi)。ココナツの実の核。ココナツの木はムナジ(munazi, pl.minazi)。
158 イズ(izu, pl.mazu)。「バナナの実」バナナの木はムゴンバ(mugomba)。
159 クニ(kuni)。「薪」
160 キバクリ(chibakuli, pl. vibakuli)。椀、大きめの椀。ボウル。
161 ムブジ(mbuzi)。「ヤギ」。 ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊
162 ムツィ(mutsi, pl. mitsi)。杵。長さ1.5mほど直径10cmほどの棒で、搗き臼(chinu152)とペアで用いられる。
163 クブォンダ(ku-phonda)。「(搗き臼に入れて)搗く」を意味する動詞。
164 ムンドゥ(mundu, pl.myundu)。「マチェーテ、山刀、大なた」
165 ヴウェ(vuwe)。「草むら、草が密生している場所」。
166 ムツンガ(mutsunga, pl.mitsunga)。「野菜、食用の野草」ドゥルマの日常の食事の副菜。
167 ク・ブサ(ku-busa168)は息を強く吹きかける動作を意味する動詞fモホ(moho169)は火。クブサ・モホは息を強く吹きかけて火を起こすこと。
168 ク・ブサ(ku-busa)。息を強く吹きかける動作を意味する動詞。
169 モホ(moho)。名詞として「火、熱」叙述形容詞として「熱い、暑い」(dziwe hiri ri moho.「この石は熱い」)。
170 ラルワ(lalwa, pl.malalwa or nyala)。石の挽き臼。
171 フィガ(figa, pl.mafiga)。炉、炉石。3つの石を置いてそれらの石の上に鍋を置いて煮炊きする。女性の象徴で、男性(夫でも)がそれに手をかけることは禁止。また数字3は女性の数字とされる(男性は5)。
172 ク・サガ(ku-saga)。「(石臼で)挽く」の意。「遠路を徒歩で歩く」という意味でも用いられる。
173 クジタ(ku-jita)。「料理する」「煮る」「煎じる」
174 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。大きな更に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。
175 ムハラ(muhala, pl.mihala)。小屋の前庭、とりわけ屋敷の長の小屋の前の庭、公共的空間。屋敷の人びとの共食はここで行われる。小屋の中はそれに対してより私秘的空間とされる。
176 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。
177 ングイ(ngui pl. mangui)。カヤンバやンゴマにおける歌い手。特にリードヴォーカル。即興で自ら作詞作曲、アレンジも行う。ンゴマを首尾よく主宰するうえで重要な役割を果たす。
178 ゴンベゴンベ(gombe gombe)。「論争好き、文句の多い人」を指すが、この歌の文脈では、この訳語では意味をなさないような気がする。
179 マレラ(marera)。ムルング子神の別名。「養う者」。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo83)やシェラ(shera76)のグループに入れる者もいる。
180 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ33と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo181の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
181 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
182 おそらくはムザジェ(mudzaje183)の誤り。ムザジェはグレープフルーツに似た柑橘類の木、Strychnos spinosa(英名 Natal Orange)。
183 ムザジェ(mudzaje)。シェラの草木か。ムザジェはグレープフルーツに似た柑橘類の木、Strychnos spinosa(英名 Natal Orange)(Pakia&Cooke2003:394)。
184 おそらくはムジェンガツォンゴ(mujenga tsongo, muzengatsongo185)の誤りか。ムジェンガツォンゴはコミカンソウ科の草木。Antidesma venosum(英名 tassel-berry)。
185 ムジェンガツォンゴ(mujenga tsongo)、ディゴ語で muzengatsongo。 Antidesma venosum(Maundu&Tengnas2005:104); コミカンソウ科; 果実は可食、根は有毒。ライカ(laika)、シェラ(shera)の草木
186 ティウィ(Tiwi)。ケニア海岸部の町。
187 ンズガ(nzuga)。三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
188 ンゴマ開始の唱えごとは、予告なしに始まる。それは人々に向けてのアナウンスメントではないからで、語りかけられているのは憑依霊たちだからだ。小屋の中で独りで唱え始めるので(出だしは小さい瓢箪に入れたヤシ酒を地面に垂らしながら、祖先に対する語りかけから始まる)、よほど注意していても聞き逃してしまう。今回も、最初の何十秒かを聞き逃すことになった。
189 ミチョチョ(michocho)。ムァインジ夫妻がよく用いる用語で、薬液(vuo)のこと。
190 カヤンバに先立っては、招待する憑依霊たちに対する「鍋17」と「池1918」の施術が行われる。今回はシェラ(shera)の「重荷下ろし」がメインなのだが、ムルング(mwanamulungu)の瓢箪子供の差し出しもあるので、ムルングとサンバラ人のための「鍋」と「池」7日間、それにシェラの「鍋」と「池」4日間、その後2日の憑依霊全般に対する「招待の鍋」と「池」が必要であった。これらはカヤンバを主宰することになる男女二人の施術師によって据えられる必要があるが、ムァインジ氏は別の仕事で家を離れていたため、必要な草木をムニャジに託して、彼女一人で据えてもらうことになった。それがうまく行ったことをここで感謝しているのである。
191 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
192 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
193 ジム(zimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
194 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水に変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
195 ムァニィカ(mwanyika)。ムァインジ夫婦に固有の憑依霊名。他の施術師が言うムァムニィカ(mwamunyika196)か。
196 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ197。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
197 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps
198 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。ムリナとチャリの夫婦は、かつて憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語っていた。ジンジャ導師は世界導師の別名とされる。しかし後には憑依霊ドゥルマ人(女性)だとしていた。使用する草木は、世界導師の草木と同じ。歌の中でも「自分は内陸部(bara)にもいる。海岸部(pwani)にもいる」と歌われる。
199 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena74)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari75)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga126)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。
200 ボコ(boko)は「カバ」。ニャリ・ボコに捕らえられると、全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間であるからという。ボコは施術師によっては、ニャリの一種とも、ニャリと独立した単独の憑依霊ともみなされうる。いずれにしても、瓢箪子供は、デナ、ニャリ、キユガアガンガ、ガシャと共有。
201 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai202 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande13)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka203)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
202 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
203 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
204 anaは子供(mwana)の複数形。arumwenguは住人(murumwengu)の複数形。ここでも「子供」が憑依霊に対する敬称として用いられている。とりあえず「子神」と訳しておく。
205 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
206 ドゥルマ語では、若者の使う俗語として1000シリング紙幣のことを"tenga"と呼んでいるが(500シリング紙幣は"pajero(三菱の四駆車)"、200シリング紙幣は"album"など)、文脈上不適。スワヒリ語の場合、動詞ku-tenga は「別れる、分ける、避ける」など複数の意味がある。名詞tenga(pl. matenga)は、「籠、編み袋、(魚の)カレイ」などの意味がある。この文脈で意味を解釈することは困難。ここでは動詞として訳した。
207 ク・ツァンガーニャ(ku-tsanganya)。カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
208 書き起こしでは naumbeya となっている。これは"(ni)na umbeya"と解釈すると「私はおしゃべりだ、私は噂好きだ」という意味になる。umbeyaはドゥルマ語では「口が軽いこと、おしゃべり、他人の秘密を人に喋ってしまうこと」を意味する名詞。しかし文脈から不適切である。スワヒリ語と解釈して"(ni)naombea"であれば、「乞い願う、祈願する」という意味になるので、こちらの方が意味的に適切。というわけで書き起こしのミスと判断する。
209 ムァロニ(mwaroni)。いろいろな人に尋ねたのだが(カヤンバの歌い手も含む)これが何を意味するのか、意見はさまざま。「占い(mburuga)」のことで、占いの中に(mburugani)に出てくるということだ、とか、「ブッシュで weruni」の意味だとか、「池で ziyani」の意味だとか、「癒やしの術を呼ぶ(求める?)場所(phatu pha kuronga uganga)」とか。
210 意味不明
211 ムァニュンバ(mwanyumba)。私の妻の姉妹の夫(WZH)。姉妹のそれぞれと結婚した男たちは互いをムァニュンバと呼びあう。なぜ、この歌のなかで登場しているのか不明。歌の意味も不明。歌っている人に聞いても不明。
212 ウガンガ・ワ・キツワ(uganga wa chitswa)。施術師になる際に、施術上の父や母である施術師から、いろいろ手ほどきを受ける。しかし憑依霊から直接に頭の中に知識を与えられる場合もある(夢などで)。後者の仕方で身につけた癒やしの術を「頭の癒やしの術(uganga wa chitswa)」という。施術師のなかにはチャリのように、自分の癒やしの術は「頭の癒やしの術だ」と誇らしげに語る人もいる。しかしンゴマの歌にも「頭の癒やしの術は、災難だ(あるいは、もうたくさんだ、なんにもならない)。私は癒やしの術を捨てます」(憑依霊サンバラ人の歌)と歌われているように、それは厄介な憑依霊たちとのより直接的な交渉を重ねることであり、病気と裏表の関係にある。それはうとましいことでもある。
213 解釈が難しい単語。動詞 ku-zuma「拒絶する、退ける」のprep. ku-zumiraからの派生と考えるべきか、「大きな歌声」を意味するzumiroに由来すると考えるべきか。Katanaくんも判断がつかないという。とりあえず後者の解釈をとる。
214 ゼー(dze)。「どんな、なんの」などコンテクストに応じて様々な訳になるドゥルマ語の疑問詞。これを末尾に付けるととにかく疑問になる。
215 この曲は、歌詞のなかにイスラム系の憑依霊ジネ・ムァンガの名前が出てくるにも関わらず、多くのカヤンバでは憑依霊サンバラ人(musambala)の歌とされている。しかし別バージョンに見るように、この歌をジネ・ムァンガの歌だとする歌い手もいる。また、ほとんどの歌では"mwana matoro kalala"「マトロ子神(睡蓮子神)は眠らない」と歌うが、別バージョンのように「あなたがたのお仲間のムァナジュマ(女性の名前)は、癒やしの術のせいで眠らない」と歌う人もいる。もっともこのバージョンでも、後半では「睡蓮子神は眠らない」と歌っている。何度か指摘したが、カヤンバの歌は歌い手の自由な編曲・変曲が許されているので、どれが正規の歌詞かと問うことにはあまり意味はない。
216 クウィハ(kpwiha=ku-iha)。「呼ぶ」。憑依の文脈では憑依霊をンゴマに呼ぶ行為を指す。カヤンバの場合、多くは ku-suka205のリズムだが、単に演奏がゆっくりの場合もある。
217 クァビ語(マサイの話すマー語の一種)の音真似。この曲の歌詞にも別バージョンがある。dzana napiga hati(昨日、私は誓いを立てた)の後の部分。"tsenzi ulozi"「結婚は嫌いだ、私は人妻を口説かない」と来る場合とか。"nichamba tsina milozi"「私は口笛は吹かない。絶対に。人妻を口説かない。」と来る場合とか。この2つは書き起こしのブレかもしれないが(ulozi/miloziの混同とか)、現バージョンはかなり異例。私はうまく聴き取れないので(ちょっと違うような気もするのだが)ハミシ君の書き起こしを信じることにする。
218 リカ(rika, pl.marika)。世代、正確には年齢組(同時期に生まれた者たちのグループ)を意味する言葉。同義語にコモ(komo, pl.makomo)、キコモ(chikomo, pl.vikomo, dim.of komo)など。しかしこの文中での意味、役割は不明。私は kahudzangbweの主語一人称複数の同格と解釈。カタナ君は憑依霊の世代のことじゃないかという。
219 ク・レンブヮ・ニ・モヨ(ku-lembwa ni moyo)はドゥルマ語の慣用句で、字義通りには「心に欺かれる、騙される」だが、日本語で「出来心で(なにかする)」「誘惑に負けて(なにかする)」「気の迷いから(なにかする)」に当たる表現。Mwivi walembwa nimoyo achiya ng'ombe.「盗人は『心に欺かれて』ウシを盗んだ」といった形で用いる。
220 チュオ(chuo, pl.vyuo)。スワヒリ語で、「本」(祈祷書 chuo cha sala, 予言者の書=コーラン kuruani, chuo cha mutume など宗教関係についてのみ用いられているみたいだ)、「学校」。
221 キリンギリョ(chiringiryo, pl.viringiryo)。高熱と悪寒、全身の震えを伴う病気。マラリアだと言う人もいるが、ムティチョ(muticho 外傷などがもとでリンパ節が腫れ、発熱する病気)がひどくなるとキリンギリョになるという人もおり、それだと敗血症?私もムティチョで寝込んだことがあるが、ペニシリン服用して治した。
222 マイェ(maye)。鳴き声の擬音語、日本語の「エーン」に当たる。ドゥルマでは子供は泣く際に実際に「マイェー、マイェー」と泣く。あるいは、大人でも愕然としたときや、ひどいと感じたときに嘆息しつつ「ああ、マイェ、マイェ、マイェ」と呟くように発する。「あれまあ」「そんな、そんな」という感じか。
223 ムゴヴィゴヴィ(mugovigovi)またはムグヴィグヴィ(muguviguvi)。施術師用語で薬液(vuo20)に同じ。
224 チャロ(charo, pl.vyaro)。「旅」。しばしば比喩的に「なさねばならない課題、仕事」の意味でも用いられる。charocho、字義通りには「お前の旅」の意味だが、「おれの知ったことか」という相手を突き放す台詞になる(英語の non of my businessに近い感じ)。憑依のコンテクストでは憑依霊が課してきたかなえなければならない要求の意味でも用いられる。
225 ヅンベ(dzumbe)。本来の意味では、屋敷に属する農地のうち、屋敷の長のものとされる大きな畑のこと。長の妻たちが4日の週(majuma)のうち最初の2日間共同で耕作する旗系。これに対して長の妻たちが個々人に割り当てられ、週の3日目に各妻が一人で耕作する畑をコホ(koho)と呼ぶ。ここから転じてヅンベ(dzumbe)は「夫」あるいは女性にとっての「配偶者」を意味する言葉としても用いられる。
226 ドゥデ(dude, pl.madude)。「モノ」。ドゥデ(dude)は、一般に名前の不明な物、正体不明な物に言及する名詞。しばしば、くだらない物、役立たずな物という軽侮的ニュアンスを伴う。mududeは、このdudeに人や動物を表すクラスの接頭辞 mu-(pl.a-)を付けたもので「ろくでもない人間」「ろくでなし」「得体のしれないやつ」などの意味をもちうる。
227 ヴィニュンドゥニ(Vinyunduni)。地名。キリバシ山に近いドゥルマ地域でも北西端に位置する辺境地域。
228 キヒ(chihi, pl.vihi)。「椅子」を意味する普通名詞だが、憑依の文脈では、憑依霊に対して差し出される「護符14」を指す。私は pingu、ngata、pande、hanzimaなどをすべて「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防・治療になる。カヤンバのときにも、椅子に座るよう説得することで、憑依霊が別の憑依霊を妨害することを防ぐことができる。同様な役割を果たすものに「馬(farasi)」229がある。
229 ファラシ(farasi, pl.farasi)。スワヒリ語で「馬」。ドゥルマでもそのままこの言葉を用いる。憑依の文脈では、とりわけイスラム系の憑依霊が、宿主の身体のかわりに滞在する依代(という訳語を使って良いものか、躊躇いはあるが)。憑依霊は宿主のところにやってくると、もしこうした場所が用意されなければ、宿主の身体のどこかに腰を下ろしてしまう。そうすると宿主は身体に苦痛を感じる。病気とはこうした形での憑依霊の到来である場合もある。というわけで、憑依霊が滞在する場所を用意してやることが、治療の一部となる。通常、こうした場所は「椅子(chihi228)」と呼ばれるが、具体的には施術師が患者に作って身に付けさせるピング(pingu)、ヒリシ(hirizi,herizi)、パンデ(pande)、ンガタ(ngata)など、とりあえず護符とでも呼んでおくが、こうした身に付けるなにかである。憑依霊はやってきたらこれらの椅子に座って、患者の身体に座らないので、患者は苦痛を感じずに済むのである。憑依霊を追い返すのではなく、むしろ迎え入れ滞在させてあげるものなので、魔除けを連想させる「護符」という言葉は不適切なのだが、あいにく代わりの言葉がない。それに対して、患者の「外」に憑依霊の滞在場所を確保する場合が「馬」である。鶏やその他の家畜が「馬」として差し出されると、憑依霊は患者の身体に座るかわりにその「馬」にまたがってくれるわけである。必ずしも生き物であるわけではない。除霊などの際に用いられる泥人形も「馬」と呼ばれることがある。
230 バンバ(Bamba)。キリフィ・カウンティの一地域。ケニアの海岸部の町タカウングから内陸に約50キロほどはいったところ。ギリアマ人が多く居住する。
231 ムニュンブ(munyumbu, pl.minyumbu)。Lannea schweinfurthii(Pakia&Cooke2003:386). 憑依霊ムルングの草木。冷やしの施術(uganga wa kuphoza)に用いる草木の一つ。
232 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
233 クピガ・マジヤ(ku-piga maziya)、字義通りには「乳を打つ」だが、クスカ・マジヤ(ku-suka maziya)と同じ意味で用いられる。牛乳は搾乳してそのまま飲むことは稀で、瓢箪の容器に入れ、それを振ってバターと分離させ、バターを取った後に(それは近所で売る)、残りを自然発酵させてヨーグルトとし、それはトウモロコシの練粥の副食として好まれる。
234 クァムァ(kpwamwa(ku-amwa))は、乳児や仔牛が乳房から母乳を飲む行為を指す動詞。おそらくここでは単に「飲む」という意味でもちいられているものと思われる。
235 ムカンガガ(mukangaga)「葦」, 正確にはカイエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)
236 メインコロショ(mainkorosho)。ムリナ氏はよくこの言葉を用いるが(ミニコロショ(minikorosho)だったり、メニコロショ(menikorosho)だったりする)、他の人が使っているのを聞いたことがない。コロショ(korosho)はカシューナッツのこと。ケニア海岸部の後背地では、カシューナッツが換金作物として注目され、クワレ・カウンティの首府クワレ近くには、その工場も建設されていた(これは残念ながら完成していないが)。ドゥルマの屋敷でも、カシューナッツの木が植えられていることも珍しくない。ムリナ氏が現金収入の意味でこうした言葉を用いているらしいことは文脈からも類推できる。カタナ氏によるとこの言葉はスワヒリ語にも、ドゥルマ語にもない、ムリナ氏独特の言葉。
237 ハランベー(harambee)は、ケニア初代大統領ジョモ・ケニャタが国民統合をもとめてかかげたスローガン。重いものを持ち上げたり押したり、問題に取り組むときに人々の協力的行動と精神を高めるためにかけられる掛け声。「力をあわせて!」「全員で!」
238 ク・ンガラ(ku-ng'ara)はディゴ語で、ドゥルマ語の ku-ng'ala に同じ。
239 サラマ(salama)。スワヒリ語で形容詞としては「平安な」「安全な」「平和な」、名詞としては「平安」「健康」。さまざまな唱えごとで、締めくくりの言葉として使われる。salama salamini「平和に、そして安全に」とでも訳せるかもしれないが、唱えごとの締めの決まり文句として、「サラマ、サラミーニ」とそのまま音表記する。
240 意味不明。この施術師固有の用語ではないか。
241 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera76)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza55)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)56」、「外に出す(ku-lavya konze7)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
242 タンガ(Tanga)。タンザニア海岸部の都市。ドゥルマの人々は、妖術使いが訪れて、新たな妖術の技法を仕入れてくる場所の一つと考えている。
243 ニンデグヮはムァインジ氏の施術上の母の「子供名」でデグヮの母を意味する。ただし、ここではディゴ語の子供名を挙げている。後の唱えごとではドゥルマ語を用いて彼女のことをメンデグヮ(Mendegbwa)と呼んでいる。
244 アメイェ・ムロンゴ(ameye mulongo)。「ムロンゴの母」。患者はメムロンゴという名前で知られているが、言うまでもなくこれは「子供名(dzina ra mwana)86」である。彼女の第一子が娘で、ムロンゴと名付けられたため、彼女は以後、敬意を込めて、「ムロンゴの母」であることを示すメムロンゴ(Memulongo)という名で呼ばれることになった。Memulongoはameye Mulongoと同じ。
245 ゾンボ(Dzombo)。地名。この名で呼ばれる場所は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
246 メンデグヮは「ンデグヮの母」であることを示す「子供名(dzina ra mwana)86」である。別の唱えごとのなかではディゴ語を用いてニンデグヮ(Nindegbwa)と呼んでいる。
247 キノンド(Chinondo/Kinondo)。クワレ・カウンティ、ムサンブェニにある聖なる森で、かつてのディゴ人の要塞村落の最大のもの。現在は文化遺産・保護林となっている。kayaKinondo
248 ムリマ(Murima)。モンバサとルンガルンガを結ぶ街道沿いの地名。
249 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ29もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
250 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
251 ムァインジ氏は utuwani という言葉を用いている。utu「モノ、コト」、wani「何」がいっしょになった言葉で「どんなもの?何?」。日本語で、ほれアレだよアレのアレに当たる。他に ninihino, naniyophi などでも可。山刀(mundu)という言葉がとっさに出てこなかったものと思われる。
252 ク・タンバ(ku-tamba)。若者言葉だという。「先導する、指導する、皆んなを引っ張る」といった意味で用いられているらしい(カタナ君の解説)。
253 ディワ(diwa pl.madiwa)。「長い髪」だが、訳文として意味をなさない。動詞ク・ブヮガ(ku-bwaga)はディゴ語で同音異義語として「投げる、投げ捨てる、落とす」「卵を生む」「切る」「満たす」の4つの意味がある。-ka はディゴ語で完了形の時制マーカー。これとは別の機会にに録音したシェラの歌では "mwana wa mayo nikaribwaga ziya, wee nyamala mwenehu mayo, nikaribwaga ziya ra uganga" という歌詞がもし"diwa"が"ziya"の聞き間違いであるなら、「驚きの心が池を満たした」という訳が可能。
254 スフリア(sufuria)。ケニアで一般家庭で用いられているアルミ製の、取っ手のない鍋。
255 砂粒のような小さい粒。すでに行った「粉挽き」ではちゃんとした粉になるまで挽けず、砂粒程度にしかならなかった。それでは練粥は作れない。
256 ニィカ(nyika)。「荒地、不毛の地、未開地、人跡未踏の地、木々のない草原」。ドゥルマを含むミジケンダは、かつてはワニィカ(wanyika)という蔑称で呼ばれていた。今でもイスラム化したディゴの人々は、ドゥルマ人を田舎者、ニィカの人間だと軽蔑して語ることがある。私が調査した地域のドゥルマの人々は、自分たちの土地がニィカだとは考えていない。しかし同じドゥルマでもさらに奥地はニィカで、そこのドゥルマ人は自動車も見たことがなく、自動車が通ると皆が動物だと思って弓で射ってくる、などと冗談とも真面目ともつかずに話す。憑依霊ドゥルマ人はニィカからサボテンやミドリサンゴの木を打倒しながらやって来て人々に取り付く田舎者の霊として語られる。
257 ku-tsupa, ku-tsapa ともにディゴ語で「通る、通過する、通り過ぎる」を意味する動詞。なぜここで使い分けられているのかは不明。
258 文法的にも少し変で、解釈がむずかしい。-dogoはスワヒリ語の「小さい」を意味する形容詞だが、"ndogo"という形はn-nクラスの名詞を形容する形なので、省略されている名詞はおそらく habari「知らせ、ニュース」ではないかと類推できる。しかしその直前の "wa" はm-waクラスの名詞の所有関係を示す言葉なので、その前に省略されている名詞は、おそらくなんらかの「人」に関する名詞だと思われる。がそれ以上は、どうにもわからない。
259 言うまでもなく、これは単なる形だけの婚資。婚資の当時の相場は現金に換算すると日本円で5万~10万円といったところだった。40円じゃ、もちろん無理。
260 ク・ロタ(ku-rota)は「(目的地を)目指す、(目的地に向かって)進む」を意味する動詞だが、もう一つの意味として、なにか悪いことが起こる凶兆となるような行為をすることを指す。例えば、誰も死んでいないのに、屋敷の前庭で埋葬歌を歌ったり、踊ったり。子どもたちがそうしたことをしていると、anache aratu anarota vii(あの子どもたちは悪いことを兆す行為をしている)というふうにいわれる。それは実際に悪いことを引き起こす(屋敷に死者が出るなど)。そうした行為はキロト(chiroto, pl. viroto)と呼ばれる。この動詞のprepositionalであるク・ロテラ(ku-rotera)は、誰かに対してク・ロタの行為を行うことを意味し、他人(あるいはその屋敷)になにか災いを引き起こすために、妖術使いなどがわざとキロトの行為を夜中に行うことをもっぱら意味する動詞である。ここではムウェレが死体のようなポーズで横たわろうとするので、寝台の周りの人々に埋葬歌のような振る舞い(=不吉な振る舞い)でもしてもらいたいのか、不幸が実際に起こるぞ、とからかっている。
261 カルングジ(kalunguzi)。ムルングジ(mulunguzi262)に同じ。"ka-"は指小辞。
262 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
263 ク・ロンガ(ku-ronga)。施術師たちの「専門用語」のようなもので、解釈はなかなか難しい。一般の人々やカヤンバ奏者たちにとっては、ク・ロンガするとは、憑依霊たちを「呼ぶ(kpwiha)」行為を指す。カヤンバで特定の憑依霊の歌を演奏する際に最初にカヤンバを左右に振り動かすク・スカ(ku-suka)という憑依霊を呼ぶリズムが用いられるが、このク・スカの行為がク・ロンガだという。他方、施術師たちの唱えごとからは、憑依霊が癒やしの術を(「外に出すことを」)「求める、欲している」という意味で使用していると解釈されることがしばしばある。また人間が癒やしの術を手に入れようと求めることもク・ロンガという動詞で語られることもある。ク・ロンガから派生した動詞にク・ロンゲシャ(ku-rongesha)がある。動詞ク・ロンガのcausativeである。こちらは「招待の鍋(nyungu ya kurongesha)」のように、憑依霊たちを「招待する、呼ぶ」という意味が主であるが、人が癒やしの術をク・ロンガ「求める」際に、それに相応しいようにさまざまな準備(鍋治療とか)や訓練を受けることを、その受動態ク・ロンゲシュワ(ku-rongeshwa)を使って語る。コンテクストに応じて訳し分ける必要がある。
264 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ95の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(265)、カヤンバ(95)と同じ意味で用いられる。
265 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri96)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira264)」と呼ばれることもある。