ムベユに出産祈願のムルングとムドゥルマの瓢箪子供を出すカヤンバ

概要

(日記より、Nov. 9, 1991の夜からカヤンバは始まったが、このカヤンバの記録は翌日の Nov. 10, 1991の日記に記載されている) Nov. 10,1991(Sun), kpwaluka

昨夜は7時半過ぎにMurina宅へ着いた。anamadzi1たちもすでにほぼ全員そろっている。kuku2で夕食をとり、22:00kayamba開始。女たち3はmahamuri4の準備をしている。近所の若者たちも大勢詰め掛けて、けっこうな人出。しかしmudigo5を打っている途中でMwanza氏6がやってきて、一瞬緊張が走る。見物に来ただけなのだが。具合の悪いことに、そのあと次々異なるnyama7の歌を打っても muwele8が一向に踊らなくなってしまう。anamadziたちは聞こえよがしに utsai13 の干渉を口にし、意味ありげにMwanza氏に言葉を投げかける。やがてChari自ら、naonerwa chidzitso kazi ya uganga ni kondo ee! の歌を歌いだし、kayambaがフォロー。chariはgolomokpwa14し、小屋の中に駆け込んでchiluu15を被り,mudat'a16を持ち出して、踊りながらぐるぐる歩き回り人々の顔を覗き込む。Mwanzaのところでは、おどろいたような身振りをして見せたりして、私ははらはらしてしまう。と、golomokpwaしたChariを静めに来たMurinaも突然golomokpwaし、怒りまくったふうに(chisiru chisiru17)、訳のわからないアラビア語風言語を喋りだす。スワヒリ語で人々に、どうしてここに「悪い物」があるのかと詰る。人々は、「ここにはなにもない」と答える。Murina, 小屋の中に飛び込み、すごい勢いでまた飛び出してくる。しかしChariも例のGanda語を喋りだし、Murinaの「アラビア語」と激しく応酬。水をもってこさせ、Murinaに頭からかけて、Murinaを「説き伏せ(?)」、Murinaは次第に静まる。Chariはgolomokpwaしたままで,mburuga18をはじめ、Mwanamadzi1の一人(Mawaya19)に対して子供の死産の原因を占う。 この後も、肝心のmuwele8は一向にgolomokpwaしない。Chari, Murina、小屋の中で mwana wa ndonga(chereko20)の準備。一連のライカの歌が聞こえているが、あいかわらずkuvina30していない様子。Chariたち合流後も一時mwahanga31でkuvina, ちょっとgolomokpwaするが、ほぼそのままあまり踊らない状態で午前3時になる。再びChari自身が nindahendadze の歌で golomokpwaし、人々との間でコミカルなやりとり。午前4時10分、chai32とmahamuri4の用意ができたのでmakoloutsiku35 休憩。 午前5時15分、kayamba再開。Mwanamulungu22から始まり、mulunguの子供を与え、次いでmuduruma36の子供を与える今日のクライマックス。muweleはgolomokpwaし、Chariとやりとり。Chari が子供を与えることを説き聞かせている。残念ながら,kayambaが一層激しく打たれ、私自身もマイカヤンバで演奏に参加していたので、このやりとりについては録音できず。mudurumaではmuweleは喜んでげらげら笑い、mwanaを与えられた後、今度は勝手にdigozee39にgolomokpwaして、ひとしきり踊る。ついでmudigo。ここでもmuweleは激しくgolomokpwaし、泣く。Chari はしきりにpore42を繰り返し,muweleをなだめる。Shera43で終了。例のヤケクソの盛り上がりである。 Chari はkayamba終了後もちょっとハイ状態。私は眠いので7時に辞す。ちょうどカタナもmukutano48から帰宅。一緒に朝食をとっているところにMuchemunda, Memulanda49が来て、お茶を飲みつつ噂話に花を咲かせる。昼ごろまで仮眠。

主宰者、患者など

施術師: Chari wa Malau, Murina wa Chimera ムウェレ8: Mbeyu(Chariのmwanamadziの一人でもある、Mwanza氏の姪(ZD)) 歌い手(main kayamba player): Mawaya

日記にもあるとおり、通常は患者が所属する屋敷で行われるのが普通であるが、このカヤンバはムリナとチャリ夫妻の屋敷で行われた。チャリの女性弟子(ateji, anamadzi1)たちも近隣から参集し、夕食やマコロツィク(makolotsiku35)、朝食のお茶などの調理を担当。男性弟子たちも演奏者として多数参集。賑やかなカヤンバとなった。

ムウェレのムベユ(Mbeyu)は、結婚したのち子供に長い間恵まれなかったが、占いの結果、ムルングと憑依霊ドゥルマ人が彼女の「腹を縛ってしまった ku-funga ndani」、つまり妊娠を封じてしまったのだと判明し、瓢箪子供が必要とされていると言われた。出産祈願の瓢箪子供を約束し、子供が生まれた。2人の子供を産んだが、瓢箪子供の約束は果たさぬままだった。その後、彼女の夫が他所に女を作って出ていったため、問題は放置されることになった。婚資が返却されていないため、彼女はまだこの夫の妻であり、2人の子供も夫の子供である。今、ムベユは「腹の病気」50に苦しんでおり、占いにより、再び、瓢箪子供を差し出す約束が破られていることを指摘された。

ムベユはチャリの施術上の子供の一人であり、施術上の子供たちが多く参加し、近所から来た観客たちを除くと、仲間内のカヤンバという雰囲気が強かった。

カヤンバの流れ

(1991年11月9日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。セクションごとのタイトルはウェブ化の際に付与したもの。またドゥルマ語テキストへのリンク、その和訳へのリンクは、当然ウェブ化の際に付加したものである。 フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語などは訳さずそのままとし、注釈の形で補足説明している。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。 今回のカヤンバにおいても、案の定頻繁にレコーダーの操作ミス(フェザータッチのせいにしたい)で録音が盛大に失敗している。また写真もきちんと整理して保管していないせいで、一枚しか見つからなかった。

【Murinaの屋敷でのkayamba】

(DB 3861-3890)

カヤンバ前半: ムウェレが踊らない問題

22:00 kayamba開始 チャリによるンゴマ開始のクハツァ ドゥルマ語テキスト(DB 3861)

22:05 mwanamulungu51 少し踊る Mwanza6氏来る52 mwarabu53 ×54 mudigo golomokpwa 泣き、笑い、激しく踊る ngoma yangu55!と叫ぶ

ムベユ、憑依霊ディゴ人で激しい憑依状態に ドゥルマ語テキスト(DB 3862-3863) chitsimbakazi ×56

23:50 musambala57 少し踊る zimu58 × mukpwaphi59 少し この後、muweleまったくkuvinaしなくなる

24:20 Chari jinja60の占い歌を歌いだし、カヤンバが続く。 Chari golomokpwaし、chiluu15を被り、mudata16をもって出て、顔を覗き込みながら人々のなかを回る、はらはらする、Murina 駆けつけて、冷静にChariをなだめる ジンジャ導師の歌、チャリ憑依 ドゥルマ語テキスト(DB 3864-3865)

少しのやり取りの後、Murina自身も golomokpwa、いきなり怒り出す、すさまじい剣幕なので、Mwanza氏と喧嘩になるのではと心配したが、ChariとMurinaがそれぞれのchiryomo61で言い合い、ついに水を掛けられて Murina 鎮まる ムリナとチャリ、理解不能な異言で応酬 ドゥルマ語テキスト(DB 3865-3867)

この一連の流れに、参加者たちちょっと鼻白んだ感じ(my impression)、どうもいかん Murinaはその後は座ってkayambaを打つが、体を屈伸させたり、しきりにゲップしたり、気分悪そう

占いで人々の注意を取り戻す

Chariはgolomokpwaのまま、占いを続ける。Mawayaは真剣に聞いている チャリの占い ドゥルマ語テキスト(DB 3868-3877) いつのまにかMwanzaいない

瓢箪子供の作成

01:30 MurinaとChari、 kayambaをanamadziたちに任せて小屋の中で mwana wa ndongaを kuhumbula62する 外ではlaika63等が演奏、盛り上がりに欠ける感じ82
[2つの瓢箪子供を制作するムリナとチャリ。瓢箪に穴を開け、中身を取り出した後、瓢箪の首にビーズ飾りを巻く]

ndonga にいれるもの mwanamulungu roho83 ...mwerekera(mapande2)(未同定)84 mutserere(Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391))85 muvunzakondo(Allophylus rubifolius)87 kaya tahu にちなんで三種類の木の mapande24 MurinaとChariが一緒に入れていく milatso88 ...mafuha ga nyono29 mavumba28 細かく砕いたムルングのmihi(上記のmihi含む)89

muduruma roho ...muchimwimwi(mapande2)(Gardenia volkensii(Pakia&Cooke2003:393))92 muphingo(Dalbergia melanoxylon(Pakia&Cooke2003:391))93 murandze(Dalbergia boehmii(Pakia&Cooke2003:391))94 milatso ...mafuha ga nyono mavumba ...上記のmihi89 + kachiri95 etc.

ついで chiphogo97 の作成 [ディゴ人のビーズは白と紺、シェラのビーズは白と赤のビーズが交互に並んだもの(スケッチ下手すぎ、ごめん)] mudigo5 と shera43 のushanga98をつなぎ合わせたもの これはmuwele8の腕に巻く まだkuphula mizigo46が済んでいない(それを待っている)ことを示す

Chariによると muwele は mulungu と muduruma によってkufunga ndani99 されていた kuvoyera mwana100 をして子供が生まれた そこで約束どおり、ngomaを開き、mulungu と mudurumaに対して mwana wa ndonga を与えねばならないのだが、その約束は果たされないでいた

そして今、ukongo wa ndani101、ana a ndongaの約束を果たすべき

この女性は子供が生まれた後に、夫と別れたので、matumia102 の必要はない Murinaたちもmatumiaする必要はない ただkulavya103すればよいだけ MurinaとChariでkuhumbulaしたのもそれが理由(普通は患者夫婦が行う)

カヤンバに再合流

02:05 murisa104の途中で muwele泣き出し、自ら先導してmwahanga31の歌を歌いだす ムベユ(ムウェレ)、自分からムァハンガの歌を歌いだす ドゥルマ語テキスト (DB 3878)

立ち上がって泣きながら、ひとしきり踊ると鎮まり、再びmurisa に戻る 少し踊る

02:15 kalumeng'ala37 に始まる一連のmuduruma36の歌 muwele ku-sukaでgolomokpwa、Chariもgolomokpwaしやり取り、演奏一時中断 憑依霊ドゥルマ人でチャリもムベユも憑依 ドゥルマ語テキスト (DB 3879) 続く一連のmudurumaの歌で少し踊るが、すぐに座る ドゥルマ人の歌が激しいリズムで続いている途中で、チャリは突然ギリアマ語にチェンジ、自分で新しい歌を歌いだし、泣き出す、ムリナなだめる そしてその後、ギリアマ語で占いに入る105 チャリ(おそらくデナ)に憑依され、そのまま占いへ。またかい。 ドゥルマ語テキスト (DB 3880-3889)

その後、makoloutsiku35 まで種々のnyama7の歌が演奏される 途中MawayaがMwalimu jamba106の歌を歌おうとするが、Chariに止められる ChariはMurinaを指差して、jambaは歌わないようにジェスチャー Chariは私に、あいつらイスラムはみんなatsai108だ(adzomba osi ni atsai aa)などという109

休憩タイム

04:10 makoloutsiku35

瓢箪子供を差し出す

05:15 kayamba再開 mwanamulungu lola anangu の歌でmuweleにmwana wa ndonga(chereko)を与える 続いて muduruma mwana を与える けらけら笑う
途中digozee39にgolomokpwaし、急遽その歌にスィッチ 「子供を育てることはできない」などと言っている110 ムベユ、ディゴゼー(digozee)に憑依 ドゥルマ語テキスト (DB 3890)

mukoba10 wa chingo111, chihi112 cha magulu113 mahahu114, mukpwaju115 を与えて踊らせる 歌が終わると、Chariは mutumia uphokerwe116 と言って、mukobaなどを muweleからはずす

その後は再び普通のmudurumaの演奏に戻り、muweleは肩を揺する程度のおとなしい踊り

05:40 mudigo kusukaの段階でgolomokpwa matungo118を与えられる しかしUmazi(Tushe)が同時にgolomokpwaし、いきなりmuweleを引きずりおろそうとする。 Tushe、人々に脇から支えられるように、別の小屋に連れて行かれる Tushe、別の小屋でがたがた暴れている 05:50 muwele、mwalimu jinja60で硬直症状的なgolomokpwa MurinaとChari、スケッチブック(nyamaの絵が描いてある)を持ち出しmuweleに見せてやる 絵をお前にも描いてあげると約束する

最後はいつものようにsheraで大盛り上がり 機嫌よく踊る

06:20 終了

終了後、muweleはかなり気分悪そう Chariは一種の躁状態で、異様に陽気

Murinaは一眠りした後、Chariと2人でMwainziを訪問し、 mwalimu dunia のnyungu91から始めるように依頼し、makokoteri119を受けてくるという

考察・コメント

というわけで、全体としてはかなりハチャメチャな徹夜のカヤンバだったのだが、主目的の「2つの瓢箪子供の差し出し」というクライマックス自体は、さらりと終了。「見てるだけじゃなくて、お前もカヤンバ叩け」と言われて私も演奏に参加していたので、このときのやり取りは残念ながら録音できていないが、録音してもほとんど聴き取れなかったろうと思われる。普通はムルングについてなされる出産祈願の瓢箪子供の差し出しが、憑依霊ドゥルマ人に対してもなされるということで、私も構えていたのだが、単に「ドゥルマ人も患者の腹を縛っていたから」というだけの説明で、誰もそう特別なことだとは考えていないようだった。

ムウェレのムベユさんは、休憩タイムの前までは、憑依するときは凄まじいのだが、それ以外のときは軽く肩を揺する程度で、立ち上がって踊ることもあまりなく、カヤンバ演奏者たちもちょっと不満そう(私の印象)。で、どうしても中だるみになりそうなときに、チャリが自ら憑依状態になって占いを始めるというパターンに見えた(私の印象)。まさかカヤンバのテンションを維持するための演出というのではなかろうとは思うが。 休憩タイムの後、瓢箪子供が差し出された後は、突然激しい憑依の連続で、憑依した者どうしが激しく絡んだり(トゥシェは連れ去られた後でも小屋の中でなにやら暴れまわっている有り様)、すごいことになり、結果としては大成功(?)のカヤンバであった。

といっても、ムウェレがいっこうに踊らないのでずいぶん雲行きが怪しかった。ここでは、今回のカヤンバで注目すべき問題として、ムウェレが踊らない問題と、それとの関係もあるが、ンゴマと妖術の問題の二点について、もう少し考えてみたい。

ムウェレが踊らない問題

ンゴマ(カヤンバ)の概説のページで、私はンゴマについて解離経験を生成する装置だという言い方をした。実際数多くのンゴマやカヤンバに参加して、ほぼ確実に言えるのは、太鼓やカヤンバの演奏者・歌い手たちはムウェレをgolomokpwa状態に導くことに躍起になっているように見えるということである。そこで憑依という解離経験が出現することにびっくりするのは、私のような外部の観察者だけで、人々にとってはそれは、もし患者が霊を持っているならば、当然起こるべきことなので、驚くには当たらない。むしろ驚くべきこと、意外なことは、それが起こらないことなのである。

というわけで、日本人の部外者にとっては、そこで憑依が起こることが不思議で説明を要することなのだが、ドゥルマの施術師や演奏者たちにとっては、むしろそこでそれが起こらないことこそが、説明を要することになる。そして、これを当たり前と言ってよいのかどうか微妙だが、ンゴマやカヤンバにおいて、これは結構頻繁に見られる問題なのである。ムウェレが踊らない問題と言おう。このサイトで紹介しているンゴマの実際例でも、多くでこの問題が生じている。けっしてそんな実例ばかり集めたわけではない。

他の霊がじゃまをしている

この問題は、憑依霊がもとになって生じることがある。ンゴマの開始の唱えごと(クハツァkuhatsa120)のなかの決まり文句とでも言うべきものに、霊たちに対して、いっせいにやって来て、邪魔しあわないようにと願うくだりがある。ここでの事例でもチャリは憑依霊たちに対して「お静かに、お一人、お一人おいでください。...やって来て、押し合いへし合い、互いに追い出し合いは、なしです。」と願っているし、筆頭演奏者も憑依霊たちが「やって来て、お互いに譲り合う」ことを求めている。憑依霊たちは自分勝手で利己的な存在なので、自分が踊るために、他の霊たちが憑依するのを邪魔し、妨げる場合がある。その結果、ムウェレは踊らなくなる。ここでの事例でも、最初ムウェレが踊ろうとしなかったのを、憑依霊ディゴ人が、自分の曲が演奏されることを望んで、ムゥエレを「縛り」、本来最初に踊るはずのムルングと憑依霊アラブ人を封じてしまっていたのだという解釈を演奏者の一人が叫んでいる。ムルングとアラブ人でまったく踊る素振りのなかったムウェレが、憑依霊ディゴ人の一曲目で「獰猛に」踊り始めたのを見て、彼は「こいつ(憑依霊ディゴ人)がお母さんを縛ってたやつだったんだ。今や、癇癪を起こして踊っているよ。」と叫んでいる。そしてそれに対して、チャリは、憑依霊ディゴ人とその仲間が満足して、他の霊たちに場所を譲ってくれるように、彼らの曲を演奏するよう指示している。

このように霊たちが競い合うことによって、結果的にムウェレが踊らないという現象が起きるというのが、ムウェレが踊らないよくある理由の一つである。なかでもイスラム系の憑依霊は「獰猛」で他の霊たちが踊るのを封じてしまうことがしばしばある、とされている。

近親者の心の中のしこり

ムウェレが踊らないもう一つの原因が、ムウェレの近親者がムウェレに対して感じたことのある怒りや不満に求められることがある。こうした心の中の怒りや不満は、ドゥルマ語ではフンド(fundo, pl.mafundo)「結び目」という言葉で言い表されるのだが、この言葉から派生した語にムフンド(mufundo, pl.mifundo)という概念がある。父や母が子どもに対して怒りや不満を覚えると、本人に子供に対して危害を加えるつもりがなくても、子供にさまざまな災がふりかかる。子供は、父あるいは母のムフンドに捕らえられたのだ、と言われる。逆はなく、親が子供のムフンドに捕らえられることはない。子供に降りかかる災いが、親のムフンドのせいだとわかると(もちろん占いによってだが)、親は子供をクハツァ(ku-hatsa120)することでムフンドを解除することができる。自分が感じたかもしれない怒りや不満について語り、もはや自分には悪い言葉はないと宣言して、口に含んだ水とともに唾液を、自分の胸と子供の口の中に吹きつけるのが、クハツァの行為である。ムフンドは基本的に親子関係の中で発動するが、多くの人は配偶者も相手のムフンドによって捕らえられることがあると主張する。

ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない場合、しばしばその配偶者にクハツァすることが求められる。配偶者のムフンドのせいで、ムウェレが縛られているために踊らないのだと考えられているのである。

1989年の調査から、2つばかり事例を挙げておこう。

  1. 11月17日のベクェクェの屋敷での昼のカヤンバ (DB 810-813) 手付の瓢箪子供をムルングに対して示すカヤンバと鍋の差し出しが行われたが、ムウェレの女性は、冒頭の憑依霊アラブ人でいっこうに踊る素振りを見せなかった。施術師は患者の夫にムフンドの解除のクハツァを求めるが、夫はやや非協力的。結局、クハツァでも患者は踊るようにならなかった。(施術師は最終的に妖術の介入を疑うことになる)

Chari: ご主人を呼んできて、クハツァしてもらいましょう。もう日が暮れちゃった。 Bekpwekpwe(ムウェレの夫(Bek)): 私は誰とも言い争いなんかしてません。 C: 問題の発言が、誰かとの言い争いに限るとでも?あんたが冗談で口にしたことが、本当になることもありうるのよ。 Woman(W): 誰とも言い争いをしてなくても、あんた、言ってみなさいよ。そしてこの人(ムウェレ)にも言わせましょうよ。 C: 皆、頑張ってるのに、日が暮れちゃう。 Murina(Mu): ここにある薬液(vuo)をすくって(それでクハツァしてしまえよ)。 Bek: はー、でも何を言えと? W: ああ、ああ、お話しなさいよ。チュンバさんの奥さん、いる?文句を言えばいいのよ。「何を言えと」なんて、なし。 (Bek、自分の胸に口に含んだ薬液を吹きかけ、クハツァ) Bek: 私には諍いはありません。あなた、踊りなさい。それだけ。 C: 私に大事なのは、この人が内にあるものを全て話すこと。だって、私は病人を治療し、彼女に治ってほしいだけ。でも私はフンド(しこり)のある患者は、治しません。あなたがたは、話すこと。たとえ冗談で言ったことでも、憑依霊自身はあなたの声をそのまま受け取る。(例えば)「私には憑依霊はいないよ。」(などと冗談で言ったら)、その人はそれだけで取り憑かれてしまう。そんなものよ。 W: (患者に向かって)ごらん、彼女に憑依霊はすでにやって来ている。なにか言うべきことがあるのなら、まずは話しなさい。ここにいる仲間たちをいじめるんじゃないよ。 C: さあ、話しなさいよ。私の娘(施術上の)よ。もし話さないのなら、水をもってきて、ぷっと(吐きかけ)なさい。それで終わりにしましょう。 Mu: 彼女はとっくに(憑依霊に)満たされてるよ。彼女に何を言わそうと?ムルングの歌を打ちましょうよ。皆さん、カヤンバをお打ちなさい。 (ムルングの歌演奏。しかしムベユはムルングの歌にも反応なし) W: ご主人を、ベクェクェを呼んで、こっちに来させて。 Man(Kayamba player): 彼は、この人がどのンゴマを打ってもらっても踊らないって言ってなかったっけ? W: (霊は)来るのよ、でもあの人(ベクェクェ)はいなくなるの。 Man2(kayamba player): まだ霊にぶつかっていないんだよ。普通は人が(心の中の怒りについて)話して、フーッてやる(水を吹きかける)ものだよ。彼は水を飲み込んでから、フーッてしてた。 W: それが理由じゃないわよ。

  1. 11月8️日のンゴメの屋敷でのバハティの除霊 ンゴメ氏の若い妻バハティの子供(乳児)が病気で、病院で手術するも、おもわしくない。ンゴメ氏は占いに行き、それが除霊すべき霊たちの仕業だと知る。急遽カヤンバが開かれることになった。しかしバハティは踊らず、ンゴメ氏にクハツァが求められた。 (DB 738-759) (憑依霊アラブ人の歌7曲演奏するが、バハティは踊らず)

kayamba player1: アラブ人は彼女の中には全然いないよ。この人、いままで扇がれた(ンゴマを受けた)ことがないのかい? Ngome: 試したことはある。 Pl1: 試しただって? N: (憑依霊は)やって来た、でもその踊り具合には問題があった。 Mulongo(Mu): 彼女が身体を固くしたら、憑依霊が来たとわかる。でも彼女がほぐれたら、憑依霊はいなくなったとわかる。 Pl1: でも、もし(憑依霊が)やって来たのなら、私たちは彼女には踊ってほしい。身体を固くしないで欲しい。だって、私たちは彼女に踊ってもらって、ほどいてもらいたいんだから。 (ムルングの歌8曲演奏。施術師ムルングに、子供が病気で、私たちは子供に治ってもらいたいのだと説得する。でないと子供の体力が尽きてしまうと。しかしバハティは身体を固くしている。) Woman: この人、身体を固くしているよ。 Kalimbo(muganga)(Ka): さあ、さあ、踊って。あなたの歌ですよ、これは。 さあ、これはムルングの布ですよ、これ。後でビーズも縫い付けますよ。ゆっくりとですが。でも今は、踊ってください。私に、あなたを困らせていることを教えて下さい。もしあなたが実際に子供を苦しめている人なのなら、何が欲しいのか言ってください。すっかりお調えします。やって来て踊ってください、あなた。私は恥ずかしがり屋のムルングは嫌いです。 (ムルングの歌停止) Ka: ああ、ごらんなさい、あなた。あなたは困ったことをする。さあ、あなた、私の友よ。さあ、ごらんなさい、友よ。あなたはやって来たのに、何も話さない。それじゃ、私は何も知りようがないじゃないですか?(子供を)つかんでいるのが、あなたなのか、それともあなたの仲間なのか?ムルング子神よ、私はあなたが恥ずかしがり屋じゃないことを知っています。やって来たら、すぐにどんどんお話になる。さあ。どうして今あなたは愚か者なのですか。もしかして何か欲しいものがおありですか。そうなのですか?もしおっしゃらなければ、いったい誰に調えてもらえるというのですか?あなたは愚か者ですよ、あなた。 Mulongo(Mu): このカヤンバで三度目よ。打ってもらっても、身体を固くしてしまう。 Ka: これじゃ、あんたは(子供を)食べてしまうことになる。 Pl1: まだ(ムルングは)やって来てないんじゃないか。身体の中にやって来たら、もういつでもOK。全然恥ずかしがり屋じゃないよ、そいつは。 Pl2: 恥を知らないのは憑依霊ディゴ人じゃなかったっけ?でも彼女(バハティ)のディゴ人はそうじゃない。こんな感じ(身を固くしている)なだけ。 Pl1: 恥知らずのディゴ人といえば、ムサンブェニ121の連中だね(冗談)。 Mu: だって、三度目よ。これが初めてだっていうんなら、... (キツィンバカジの歌2曲、憑依霊サンバラ人の歌3曲演奏) Pl1: サンバラ人もいないな。 Kalimbo(Ka): (ンゴメ氏に向かって)あんた、何も言うべき事はないのかい? Ngome(Ng): 今日のことは、もう私の問題じゃない。彼女(彼の妻)自身の問題だ。 Mu: (バハティに)恥ずかしさを捨てなさいな。あんた、非常識にも、あんたの子供一人一人を扇いでもらえばよいなんて、考えているの?あなた自身のカヤンバだったら、あれこれ言われることもない。自分を固くするんなら、一人でお好きなだけどうぞ。でもね、ごらんなさい。あなたの子供の異常の問題なのよ。(カヤンバが)始まって以来、あんたは憑依霊を縛っている。もしかしたら、あんたの子供を苦しめている憑依霊かもしれないのに。あんたはそいつを、相変わらず縛り付けている。 Woman: (ンゴメに向かって)あんた、話すつもりがないなら、あなたの心に唾液を吹きかけるだけでもいいわ。 Kaingbwa(Kai): あんたは、あんたの言葉を喋ったらいい。 Pl1: だって彼女は、憑依霊に満ちている。でも、彼女は今、身体を固くしているんだ。ンゴメさん、こっちへ来て。彼女を少し解いてあげてよ。兄弟、私たちが、こうしてやっているのも、子供の今の状態を戻そうと頑張っているんだ。どうです、ごらんなさい、この子供の状態を。 Ka: 皆さん、お静かに。彼(ンゴメ)に喋らせましょう。 Ng: 私は多くは喋りますまい、この者(バハティ)について、つまりお前について、たくさんは。私がこんな風に喋るとすれば、この者が口にしたことについてなのです。もしこのカヤンバがお前のためのものだったら、お前が自分の身体を捻じ曲げようと、それで苦しもうと、私はお前を放っておいたでしょう。でも子供があんな風。この屋敷の何もかもが彼女には気に食わない。お前には気に食わない。誰もがみんな、まさに昨日のこと、お前がこう言うのを見ている。「(この屋敷の)ヤギは全部、誰かのもの、ウシは全部、誰かのもの、私のものじゃない。」何一つとっても私のものと言えるものはない、とな。でもそれらの物こそがお前を治療するもの(資金)なんだぞ。それらこそ、お前がこの屋敷に妻として据えられるようにしているものなんだぞ。何かあるごとに、お前はそれらの言葉を吐いた。私は多くを喋りますまい。でももしこうした怒りのせいなら、たった今より、憑依霊よ、とき解けてください。そしてその口(悪い言葉)を彼女が捨て去りますように。私は、ほんの少しのものを外に出しました。私の心は平安です。すっかり、全部。この子供のために、こうして私の言うことはおしまいです。 Pl1: そういいながら、別のことを隠していたりして。 Mu: あんたは彼に洗いざらいぶちまけてほしいのかい、それらを自分で引き受けるの? (ズニ1222曲、ついでムァハンガ31、バハティ、激しく憑依状態) Ka: さあ、さあ、あんた。あんたは昨日、一昨日やって来た。でも今日が旅立ちだ。さあ、さあ、あんた。これが旅立ちだ。今日だ。あんたの故郷にお戻りください。さあ、旅です。 (バハティ、泣きながら首を左右に振り拒絶しているが、突然、膝の上に置かれた白い布にくるまれた土人形を抱えて、外に飛び出す。その後ろを、施術師や他の演奏者が追いかける。バハティは屋敷の外で意識を失って倒れる。施術師は口の中で小声で唱えごとをしながら、鶏を供犠する。その血をコップにとってバハティに飲ませ、何度も彼女の名前を呼ぶ。しばらくして彼女は正気を取り戻す。ズニの除霊完了。その後は他の憑依霊についても除霊を繰り返す)

そして妖術

もちろん、というか、妖術もムウェレが踊るのを妨げる理由の一つである。1991年~1992年にかけてのンゴマでは、なんどか触れたように、ムリナとチャリの夫婦は近隣のムァンザ氏の一族に対して妖術の疑いを向けていたために、妖術の介在を「ムウェレが踊らない問題」で真っ先に疑う理由としていたように見える。この疑惑を、彼らのアナマジ(anamadzi1つまり弟子・患者たち)も共有していた。そのせいで、途中からそんなこととは露も知らないムァンザ氏が登場しただけで、一気に険悪な雰囲気になった。ムァンザ氏の参加は、近所でもあり今回のカヤンバの患者が彼の姪(muphwa135)でもあったことから、当然のことだったのだが。

あろうことか、妖術使いを見抜けるという憑依霊ガンダ人で憑依状態になったチャリ自身が、妖術使い探索の際のスタイル(羽毛の頭飾りをつけ、蝿追いはたきをもった)になり、意味ありげにムァンザ氏の顔を覗き込んだりするものだから、気の小さい私など、どうなることかと冷や冷やするくらい、険悪なムードになった。それを宥めにやって来たムリナまで、獰猛なイスラム系の霊に憑依されて、いきり立って怒鳴りまくり始め、さすがに周囲のアナマジたちまで引いてしまうほどの空気になった。ここでチャリ(ガンダ人)が逆にムリナ(おそらくジャンバ導師)を鎮める側にまわり、二人で延々とわけのわからない言葉で応酬するものだから、周囲はすっかり白けムード(私の個人的感想)。結局ムリナに水をぶっかけて沈静化させ、占い師モードに転じたチャリが、弟子の一人が前日に経験したばかりの不幸についてその原因を明らかにする語りを始め人々の注意を再び集めることで、なんとか事態が収拾つくことになったが、いや、ほんとうに危なかった。気がつけば、ムァンザ氏はこの成り行きに呆れたのか、姿を消していた。

もちろん、この事例は施術師本人が妖術問題の渦中にあったという特殊なケースだが、妖術がンゴマの成功を妨害するという考え方は、施術師が特定の問題に関わっているかどうかとは無関係に、広く見られるものである。それには、施術師どうしの嫉妬、あるいはライバル意識の問題が関係している。憑依霊の施術師は、憑依霊によって引き起こされた自分の病気を自分では治療できないので、他の施術師の存在に依存している。その結果、施術師どうしの間に、治療による親子関係の網の目が成立する。治療上の(あるいは施術上の)子供が親を治療する場合がときにあるとはいえ(簡単な飲む草木や薬液、ときには鍋の設置など)、「外に出す」ンゴマや「重荷下ろし46」のような大掛かりな治療は、すでに自分の施術上の親である施術師や、まだ親子関係にない施術師を頼る必要がある。それによって複雑な施術上の親子関係が広がる。こうした施術師どうしの関係は、友好的・協力的な場合が多いが、そこにも微妙なライバル意識や嫉妬が見られる場合がある。とりわけ自分が「外に出した」施術上の子供が、施術師としての評判を得たり、すぐれた能力をもっていると思われた場合など。このあたりの事情は、特定の施術師のキャリアを紹介していくなかで、考察したいと思う。

施術上の親子関係にある施術師は、互いのやり方をよく知っているかもしれないが、そうでない施術師どうしは、他の施術師のやり方に大きな興味をもつ。施術師どうしが出会うと、しばしばお互いの経験について語り合ったり、特定の憑依霊の特徴や必要な治療とそのやり方などについて、熱心に議論しあったりする場面を、しばしば見た。まるで研究者や専門家どうしの意見交換のようで、どこか私にとっても馴染み深い場面に見える。素敵な人たちだ。でも、そこにはときに、ちょっとした嫉妬やライバル心もほの見えたりする(私の個人的印象かもしれないが)。チャリが占いの際によく歌うジンジャ導師の歌のなかでも歌われているように「私は嫉妬されている。癒やしの仕事は争いだから」というわけだ。

同じ好奇心が、他の施術師が主宰するンゴマが近所で開かれる場合に、その様子を見に来るという行動になって現れる。そんなおりに、たまたまムウェレがいっこうに踊らない場合には、その訪問者がなにかしたに違いないということになる。いきなり追い出すのは問題があるので、憑依した施術師が妖術師探索の施術(uganga wa kuvoyera)によって観衆の中から、トラブルを引き起こしている妖術使いを探し出し、対決するという形になる。そのような形でスポットライトを当てられてしまった客人は、気まずくなってンゴマの場を去ることになる。

あるいは、主宰の施術師がひそかに妖術返し(ku-phendula136)をして、かけられたと思しき妖術をキャンセルする。これなら、ンゴマの場を緊張させずに済む。

実は、後日聞いたことなのだが、このカヤンバにおいてもムリナたちはムァンザ氏が来ることを当然予測しており、前もって対処していたそうだ。それにしては、当日ちょっとゴタゴタしていたが。

(Nov. 11, 1991のフィールドノートより) 【Nov. 9 夜のkayambaについて】Murina

Murina はあの夜、Mwanzaが来るのを予期しており、前もってkuphendulaを済ませていた mulembeganga(mutsungang'ombe(Sonchus oleraceus(Kilifi Utamaduni Conservation Group2011)))の根を口に含んで噛み、 唾液をmuweleの roho83、moyo wa nyuma137、mbavu138、luhotsi139、chikomo140 に吐きかける

その唱えごと ドゥルマ語データ(DB 3898-3900) 日本語訳

むすび

ドゥルマの憑依霊のために開かれるンゴマは、憑依霊たちが喜ぶイベントであるばかりでなく、地域の人間たちも楽しみにするイベントである。自分に霊がいる人にとっては、他人のンゴマは、自分で自らンゴマを開催する資金のない人が、自分に憑いている霊たちに踊る喜びと満足を与えて、とりあえずンゴマの要求で霊が自分を苦しめるのを先延ばしにできる、またとない機会でもある。いろいろな霊がやって来ては、機嫌よく楽しく踊り、帰っていくだけの、なんの障害も滞りもないンゴマがベストであるのは当然だ。

しかしすべてが順調にいくンゴマばかりではない。なかでもムウェレが踊らない問題は、ンゴマの開催自体の意味をなくしかねない問題だ。おまけに結構起こる。それらに対する対処も、あれこれそろってはいる。しかしそれは、しばしば綱渡り。最後は霊たちがすすんで踊りを楽しみにやってきてくれるかどうかにかかっている。その過程のなかで、家族内の人間関係や葛藤、近隣の人々とのトラブル、施術上の親子関係に潜んでいる亀裂、施術師仲間との張り合いなど、あらゆる要素がチェックされていくのである。

テキストの日本語訳

(ンゴマ開始の唱えごと、クハツァ120) 3861

Chari: おだやかに、おだやかに。私たちが「おだやかに」と申すこともなかったでしょうに。私たちが「おだやかに」と申すとすれば、私たちは、砦の主に他ならぬあなたムルングに、そしてあなた憑依霊ドゥルマ人に「おだやかに」と申しているのです。このンゴマはあなた方のものです。そしてお約束のンゴマです。 さて、私たちは皆さまにもお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu141)の方々に、ニェンゼ142の小池の方々に。 私たちはまた、子神ドゥガ(mwanaduga143)、子神トロ(mwanatoro144)、子神マユンビ(mwanamayumbi145)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga146)、キンビカヤ(chimbikaya147)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera148)、そして子神サンバラ人(mwana musambala57)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi149)、皆さまにお祈りいたします。 お静かに、お静かに、お一人、お一人、おいでください。でも、皆さま一緒にお着きになるのは、なしです。このンゴマはお約束の(開催期日を定めた)ンゴマです。もし皆さま方が、ぼろぼろ涙でお着きになるなら、私のこの屋敷を引っ越してしまいますよ。いなくなりますよ。私が、皆さま方にお差し出ししているこの屋敷の持ち主なのですよ。やってきて、押し合いへし合い、互いに追い出し合いは、なしです。これは約束のンゴマなのです。 今、皆さま方に乳香をお注ぎします。兄弟がお注ぎしますので、しっかりお感じください。そして今日はンゴマだ、あなた方のンゴマなのだとご理解ください。そう、お一人、お一人、おいでください。やってくるなり泣くのは、なしです。 Mawaya(Maw,チャリの弟子): 憑依霊ディゴ人、ムルング、憑依霊アラブ人、そしてその他の皆さま。やって来て、お互いに譲りあう、やって来て、お互いに譲りあう、です。 Chari: さらにこの乳香を鼻の穴に突っ込んだりしたら、鼻水ダラダラですよ(冗談か?)

3862

Mawaya(Maw): (乳香を入れた容器を落としそうになりながら)なんでこんなに熱いんだ、これ。 Chari: あんた、灰を入れなかったでしょ? Maw: こいつ、俺をいじめやがる。 C: あんた、自分で自分をいじめてるんだよ。あんた自身が火を入れたんでしょ。自分のせいよ。自業自得よ(文字通りには「それがどんなふうに感じさせるかは、あなたが感じるのよ」。 Maw: ああ、いい気持だよ。ほんとだよ。 (カヤンバ開始)

(ディゴ人の歌で突然憑依する) 3862 (ムウェレはムルングの歌で最初少し身体を揺すったのみで、それ以降の憑依霊アラブ人ではまったく踊らなかった。この2つの霊では憑依が予想されていたので、人々はかなり一生懸命演奏したが駄目だった。ところが次に憑依霊ディゴ人に移った途端にクスカ(ku-suka150)の一曲目で激しい(どちらかというと獰猛な)憑依状態に入った) (録音ミスでカヤンバ開始時よりディゴ人の一曲目まで録音失敗)

Man: こいつ(憑依霊ディゴ人)がお母さんを縛ってたやつだったんだ。今や、癇癪を起こして踊っているよ。 Chari: さあさあ、皆さん、(カヤンバを)お打ちなさい。そいつの仲間に場所を譲らせなさいな。

(憑依霊ディゴ人の歌 2 ku-suka150) (ソロ)

見ないわね、見ないわね、ニンベガさんのお子さん 私はここにいましたよ、もう 病人は戻ってきた、治療されるために 私はカイエンガヤツリ(mukangaga)の夢(k'oma 祖霊?)に祈ります 私は癒しの道の夢に祈ります 私は nkagunguwala(不明)の夢に祈ります なんと施術師がやって来た あなた方なんで私を憎んだの ニンベガさんの子供 私はここにいましたよ、もう 病人は戻ってきた、治療されるために (合唱) 瓢箪子供 瓢箪子供 私は癒しの術が欲しいの、皆さん 瓢箪子供

(ムベユとチャリたちとのやり取り(聞き取れた分のみ))

Mbeyu(Mb): 私は食べられてるのよ、みなさん。、私は食べられてるのよ、皆さん。 Chari(C): お静かに(または落ち着いて)、お静かに、お静かに。 Mb: できないの。できないの。私をつかんでよ、お母さん。 C: お静かに、お静かに。見えないよ。お静かにってば。


[歌の途中で、憑依したムベユと周りの人々とのやり取りも聞こえる。歌詞もやり取りも聞き取れていない部分が多い。]

3863 (憑依霊ディゴ人の歌3 kutsanganya151)

(ソロ) さてさて、あなたは病人かい? 瓢箪子供、ウェー (合唱) さてさて、あなたは病人かい? 瓢箪子供、ウェー (ソロ) さてさて、あなたは病人かい? 瓢箪子供、ウェー (合唱) さてさて、あなたは病人かい? 最初に生まれた子供 (以上、何度も繰り返し) (ソロと合唱) お母さん、私は布が欲しいの、お母さんってば。 私は私の布を求めているの、私の憑依霊ディゴ人の布 私の布よ、お母さんってば。 私は私の布を求めているんだよ。ねえ。 憑依霊ディゴ人の布。

(ムベユは憑依状態のままチャリたちと言葉を交わしている。聞き取れた箇所のみ。)

Mbeyu: 私はンゴマが欲しい。私のンゴマよ! woman: ンゴマは与えてもらえるよ、お母さん。でも肩を上げて、ンゴマ頑張って。 Mb: はい、お母さん。


[歌の途中で、憑依したムベユと周りの人々とのしきりとやり取りしているが、よく聞こえない。歌の歌詞も聞き取れないところが多い。]

(憑依霊ディゴ人の歌4 kubit'a152)

今は、争いだよ、あんたお母さん 癒しの術の争いがあるんだよ 生みの親は子供を困らせなかった 癒しの術の争いだよ なんと、争い 私は争いでひどい目にあった、貧乏という争いで


3864 (再び不手際で、キツィンバカジから憑依霊クァビ人まで、録音できず。もっともこれらの歌のどれでもムベユはいっさい踊らなかった。するとチャリ自身が憑依状態に入り、彼女の持ち歌の一つ、世界導師153の別名とされるジンジャ導師60の歌を歌いだす。)

(チャリのリードを受けて、ただちにマワヤ(mawaya)が引き継ぎ、自らのアレンジで他のカヤンバ演奏者とともに歌う。チャリの元歌をよく知らないため、単純化されている。) (憑依霊ジンジャ導師の歌 kutsanganya151のみ)

うるさい騒ぎ声が聞こえるわ、だって癒しの仕事は 争いがある、あなた、みじめな人 争いがある、あなた、施術師 (これを何度も反復)


(注: 日記の方により詳しく描かれているように、(私個人の印象かもしれないが)チャリはこのカヤンバを駄目にしようとしている(ムウェレを踊れなくさせてしまった)「妖術使い」をまるで探し出そうとしているかのように、蝿追いハタキをもって、場にいる人々の顔を覗き込んでいき、Mwanza氏のまえで、大げさに驚いたような素振りを見せたりして、今にも騒ぎを引き起こしそうで私をはらはらさせていた。)

(チャリはそのまま憑依状態。ムリナがあわてて走ってきて彼女をなだめようとする)

Murina(Mu): さあ、お静まりなさい(または落ち着いて)、友よ。お静まりなさい、お静まりなさい。そして(何か話して聞かせるべきことがあるなら)あなたの仲間たちのために告げること。仲間たちに告げること(さらに3回繰り返す)。このンゴマは子供(施術上の子供)のためのンゴマなんですよ。子供のンゴマなんですから、誰もがあなたにびっくりしちゃってますよ、友よ。なにかあなたが見て取ったことがあれば、仲間たちに話してやってくださいよ、友よ。 Chari: そう、何を喋れっていうんだい?あんたにこのンゴマのことを喋れと?ンゴマならもう打たれているじゃないか。

3865 (ムリナ、突然憑依状態になり、異言(人々に理解不能な言葉)を喋りだす。とても怒った調子で。)


[ムリナの異言の後ろで、人々笑いだしたり、何いってんだかわからないよ、などと言い合っている。]

(チャリの筆頭男性弟子のマワヤ氏があわてて宥めにかかる)

Mawaya(Maw): お静まりください、お静まりください、お父さん。 Chari: ねえ、あんた、ねえ、あんた。私はもうやったって言ってるんだよ。 Maw: いったい何が問題なんだい。 Murina(Mu): (スワヒリ語にチェンジして)。何があるんだ。ここにどんな物があるんだ。ここにどんな物があるんだ。ちょっと待ってろ。(再び異言に戻る) Maw: 何の問題だい。 C: (ムリナに憑いた憑依霊に向かって)ちょっと、あなたは何を約束したのですか、あなた。 Mu: ここにはどんな物があるんだ。ちょっと待ってろ。ピー(不明)を出してやる。 Woman: これじゃあ、今はンゴマは打てないわね。

3866 (ムリナ、なおも怒り狂った様子で、理解不能な言語を喋り続けている。)

Mawaya(Maw): 物なんてなにもありませんよ。 Murina(Mu): (スワヒリ語で)どうして私の仕事をもて遊ぶ? Maw: これはただのンゴマですよ。あなたの子供(施術上の)のための。さあ...

(ムリナ小屋に入って、ローズウォーターを飲み、理解不能な言語でチャリと言い争う。チャリはなおも喚いているムリナを小屋のなかに残して、出てくる。チャリは、憑依状態のまま、マワヤに話しかける)

Chari: ところで、あんた自分の問題をちゃんと調えたかい、あんた。(憑依霊の要求していた)課題を調えたかい?そいつの(要求した)ンゴマは開催したかい? Maw: 私の妻のンゴマですか、私の? C: そうだよ。 Maw: まだ打ってません。 C: あんた、このうえまた何を見たいっていうの?だって、もう(憑依霊によって約束違反の制裁となる出来事を)見せられただろう?さらに別のものを見せられたいっていうのかい? Maw: ああ、そんな!

3867

Chari: さて、私はもう話すまいよ、あんた。やって来て、面倒を引き起こした人がいる。私は話しますまい。 Mawaya: 話してくださいよ、話してくださいよ、話してくださいよ。 Woman: 彼女(Chari)にはあの人を大人しくさせに行ってもらわないと。

(ムリナ、なおも怒り狂い理解不能な言語でわめきながら、小屋から出てくる。チャリはムリナと話し始めるが、内容は(異言どうしのため)理解不能。人々は、笑っている。)


[2人の憑依霊どうしの言い争い。さすがに5分以上続くと、げんなりする]

(チャリは水を持ってこさせ、バケツの水を2度ムリナにぶっかける。ムリナ、徐々に大人しくなる。)

Woman: (スワヒリ語で)戦いはありませんよ。おじいさん。もし戦いなら、私たちは全員ここから逃げ出します。もし戦いだというのなら、子供たち(施術上の)は全員逃げるでしょう。そいつ(憑依霊)は放っておきましょう。そいつのことは神に委ねましょう。神様が仕事をしてくださるでしょう。

[注:ここでカセットのA面が終わっていたが、それに気づかず放置してしまったので、この後未録音がしばらく続く]

(チャリの占い1) 3868

Chari: あんたに話してあげようかね、あんた。あんた、私に話して欲しいって言ったよね、どう?あんた、私に話すよう言ったよね。ドゥルマ語で話したら、理解できる?あんた、ドゥルマ語、聴き取れるよね? Mawaya(Maw): よく聴き取れます。 C: 良いかい、そもそも、あんた何をいたしますって言ったんだい。で今、それを放置した結果、子供が腹の中で殺されてしまったんだよ。聴いてるかい。なのに、まだやっていない、あんたは。そもそも、ンゴマの約束をして、あんた、それを打ったのかい? Maw: 打ちませんでした。 C: 仮に打たなかったとしても、打つ約束の日時は決めなかったのかい? Maw: 日時の約束なら、しました。でも実りませんでした(yichifuka159)。 C: もし実現しなかったら、そのこと私に言ったかい、あんた。 Maw: 言いませんでした。 (Chari(憑依霊)、理解不能な異言で喋りだす) Maw: お母さん、私に話して、話してください。先日来、いろんな大問題に見舞われていたんです。私は後悔しているんですよ。

3869

Mawaya(Maw): 話してください。先日来私を見舞った丸太(悪い問題)について話してください。そもそも私は後悔しています。話してください。 Chari: さて、あんたは奥さんを殺されたいのかい、それとも何だい? Maw: そもそも違いますよ。私はそんなこと祈ってません。そんな風に願ってもいません。 C: さあ、私は帰りますよ、もう。またいつの日か、あんたに話してあげるよ。 Maw: いつの日かっていつなんですか!今、話してしまってくださいよ、あなた。 C: いやだよ。踊ろうにも、私には歌もなし。延々と話し続けるだけって? Maw: 皆さん、曲を演奏してくださいな! (演奏者たち、カヤンバを打ち始める) C: やれやれ、あんたたち私に何の歌を打ってるんだい、もう! (演奏中止) Maw: さあ、お母さん、あなたに何の歌(kadziwira160)をあげましょうか、言ってくださいな。 C: 私にはほんのちっぽけな歌をくれるだけかい。あんたたちは私に打ってくれるというけど、来る日も来る日も私がもらうのは「ちっぽけな歌」だけ。私はずっと、(ちっぽけな歌をもらうだけの)ちっぽけな人間。私は他人のおこぼれに与りつづけるだけの人間。そんな私に、あんたのために話を始めて欲しいって?

3870 (チャリ、自分から歌い出す。カヤンバ奏者たち、ただちに従う) (チャリの元歌「憑依霊ガンダ人の歌」)

私はいったいどうしたらいいの 私は喋らない、私は惨めで、私は難儀 私は私の癒やしの術を乞い祈ります 私は惨め、私は惨め 眠ると、私はムルングに祈ります そして今、私はどうしたらいいの 施術師は、惨めで難儀 私は癒しの術を乞い祈ります

(数分踊った後、チャリはムウェレが座る椅子に腰をおろす)

Chari: 盗んじゃったよ。(人々、笑う) ほんのちょっとだけ、あんたに話してやろうかね。この場を完全に立ち去ってしまいましょう。ここには長居しません。 Mawaya: ほんのひと欠片でも教えて下さい。まずは、私が近くに寄ります。 C: でも、もし(言われたとおりに)しなかったら、あんた、ほんとにほんとに最悪な目に遭うだろうよ。もうひどい目に遭わされたんじゃないかい?もし、間違っていたら、違うとお言い。 Maw: もう(ひどい目に)遭わされました。そもそも、いまだに、いったい何だったんだろうと(途方に暮れています)。このカヤンバに来たのだって、お母さん(施術上の)のためだったんですから(さもなければ来なかったでしょう)。

3871

Chari: 埋葬はもうしたのかい? Mawaya: もうしっかりと。だって昨日のことなんですから。 C: 死んだのかい? Maw: この髪の毛は、子供に死なれた髪ですよ161。まだ生え始めてもいないですよ、髪が。ごらんなさい。ツルツルでしょう? C: でも、お前自身が絞め殺したんじゃないのかい? Maw: 死ぬことは、ムルングのことと言います。私はその子を絞め殺したりはしてません。 C: あんただよ。 Maw: 私は知りません。 C: でも、あんた、奥さんは妊娠していた。そして便を縛られてしまった。三ヶ月ものあいだ排便しないでいるようにと。何以来だったっけ。子供が腹の中にいる。子供が腹の中にいるのに、大便もそこにある。子供が焼かれないってことがあるだろうか。 Maw: 彼女は憑依霊に治してもらった。憑依霊に治してもらったんだ。 C: (その前には)奥さんは排便していたのかい? Maw: 妻は排便していませんでした。

3872

Chari: 何の薬で治されたんだい? Mawaya: あなたに治してもらったんですよ。 C: いやいや、私は人の中に入り込んではいないよ。何の薬で治されたんだい? Maw: 憑依霊ドゥルマ人の薬です。 C: 彼女は排便するようになったと。大便そのもの、ぶりぶりと。 (人々、爆笑) C: 彼女は治らなかったかい? Maw: しっかり治りましたとも。私が彼女の中に入った(性交渉をもった)ほどです。 C: 腹のなかの子供は、成熟しなかったかい? Maw: しっかり成熟しましたとも。 C: そこであんたそいつ(憑依霊ドゥルマ人)に何を約束したんだい? Maw: ンゴマです、それも盛大な。 C: ンゴマが開催されるまで、彼女は子供を産まない。もう(出産)が迫っていた。だろう?そう言われなかったかい、あんた。 Maw: お母さん、あなたはそんなふうにおっしゃった。そう、そうおっしゃった。

3873

Chari: さて、子供は腹の中で身体を伸ばした、ピンとね。こうして、今あんたは子供が死んだと言う。死んでしまった、あんた。 (人々ざわめく) C: さて、子供はこんな風に(仕草で示しながら)伸びきった。そもそも産む間近だった。奥さんは、また排便を縛られてしまった。便がほんの少しずつしか出なくなった。 Maw: 私にはなんとも言ってくれなかった。 C: 行って聞いてくるがいいよ、あんた。 Maw: 今更、尋ねに行ってどうなる。もう私の子供は死んでしまったんだから。これからすることを話してください。 C: そう、これからどうしたら良いって?あんた、これからそいつの(憑依霊ドゥルマ人の)ンゴマを開いて、また彼女は妊娠する。そうして彼女が妊娠しても、流産。そしてあんたは呆然。泣きさえするだろうよ。もしあんたがつべこべ言われたくないんだったら、そもそも私は恥知らずなこと(はしたないこと)162を言うために、やってくるんじゃなかったよ。もう、あんたは彼女とそれ(性交渉)をしちゃいけないよ。 Maw: いやいや、話してくださいよ。私は彼女にそれをしますよ。だってしないわけにはいかないから。

3874

Chari: おや、あんたが止められないのなら、私だって止めないよ。 Mawaya: 私はそれをしますけど、やるべきことを話してくださいよ。彼女を治療させてください。私はそれをしますよ。だって彼女がすぐ傍で息をしていると、我慢していられませんから。私はそれをします。だからそのあれについて私に話してくださいよ。 C: なあ、あんた、あんたは自分がンゴマを開催しないって、わかってるんだろ。それだったら、あんたはこう言うこともできたはずだよ。とりあえず(憑依霊に)そいつの椅子だけ与えてやってください、と。さて、彼女が出産し終えるまで。なんで前もってそう言わなかったんだい、友よ。さてさて、ごらん。子供はニョンゴー(nyongoo86)に殺されたわけじゃないし、ムァズル(mwadzulu163)に殺されたわけでもない。子供は憑依霊ドゥルマ人に殺されたんだよ。 Maw: 私はムァズルだと。誰もがムァズルのせいだと言ってますよ。 C: 死んで出てきたとき、そう、もしかして小さな水ぶくれだらけだったってことはなかったかい? Maw: まさにそのとおりです。あの子は。私たち自身が見に行ったのですから。 C: そしてね、言わばまるで(肌の色が)黄色、黄色じゃなかったかい? Maw: タイレ(taire164)です。タイレです。

3875

Chari: おお!憑依霊ドゥルマ人だよ、あんた。そしてマンダーノだよ。 Mawaya: そもそも、臍が腹の中で腐っていた。 C: そう、あんたが腐らせたんだよ、あんた。 (人々、爆笑) Maw: いやいや、私じゃない。私じゃないですよ。 C: もしあんたがンゴマを開催していたら、腐ることもなかったろうよ、あんた。 Maw: 私には知識がないんですよ。(ンゴマは)開きますよ。私には知識がない。私が知っているのは子作りだけ。 C: なんだって?お前はンゴマを約束しなかったのかい、お父さん、あんた。 Maw: 忘れちゃってたんですよ! (人々、大爆笑) C: あんた、忘れちゃってたと。じゃあ、私も分別なしだよ、あんた。そもそも、分別の欠片もない。そうしてお前はまたもう一人子供を(妻の腹のなかに)入れる。そして出てきてしまう(早産)。あいつ(憑依霊)の方にも、故意のいやがらせがある。同じようなことをするよ。

3876

Mawaya(Maw): いやいや、私はそいつ(憑依霊)のために調えますよ。ンゴマでしょう?それともまた別のことも? Chari: そいつのためのンゴマだよ、あんた。それからそいつのための頭飾り(chisingu165)だよ、あんた。ビーズで作った被り物のことだよ。あんたはもう(ンゴマの)約束はしている。早急に開催するのではないでしょ、そうなら、ピング(pingu27)を縫ってもらって、与えるだけでもよかったんだよ。それだけのことで、あんたの奥さんも助かったんだけどね。 Maw: ありがとうございます。よくわかりました、お母さん。調えてまいります。 C: もしすぐに妊娠しないとしたら、あんたの奥さんはこんなふうに(悲しみに)捕らえられる。(我が子に)死なれたんだから。そしてあんたも(奥さんに)死なれることになる。 Maw: いやいや、そんなのは嫌です、私は。そんなのは嫌です。あの病気がちの妻は、たった一人の妻です。それが死んだら、私はいったいどうすれば良いんでしょう。 C: そもそも私は今立ち去るところだったのが、こうしてここでおしゃべりして... Maw: お母さん、今やしっかりわかりました、今はしっかり。 C: だって、今あんたたちはこう言いたいんじゃないかい?あんたたちは私に何が言いたいか?あんたたちは、「彼女(Chariの霊)をあおぎますまい(に対してカヤンバを打ってあげるまい)。こいつは、他人のカヤンバを見て、二度と立ち去ろうとしないんだから」って言いたいんだ。

3877

Mawaya(Maw): いやいや、そんなふうには申しませんよ。そんなふうには申しませんよ。 Chari: 私にゃ、そんな気がするがね。さてもう、私においとまさせてちょうだいな。さあ、握手しましょう。さて、ここでおしっこもします。 People(Pe): (爆笑)いや、それはやめて!あなたがここでおしっこしたら、あんたは汚い人って言われますよ。 Chari: 何かい?あんたたち、ここにいて、おしっこはしないと。うんちもしないと、あんたたち。 Pe: 私たちは、おしっこは裏でしますよ。ここみたいな人前ではしません。 C: そう、なるほど、わたしは便意があっても踊りたいって?わたしは帰るよ。 (人々、笑いながら、てんでにチャリに話しかける) Maw: わたしは妊娠させるのには熱心だけど、治療となると、たしかにやる気がない。ああ、お母さん、とてもありがとう。どうか御主人様!と申し上げます。 Pe: たいへんありがとう。でもどうか治してあげてください。妊娠の知らせを聞いて、逃げ出す。それは駄目ですよ。 Maw: どうか御主人様、と申し上げます。 (カヤンバ再開)

3878 (録音は、いきなりmwahangaの歌に飛ぶ、チャリの占い1以降、ここまでテープは無音)

Mawaya(Maw): ムァハンガだ、ムァハンガだ。 (ムァハンガ31の歌) (カヤンバ演奏を被せる。歌っているのはムベユ) (ソロ=ムベユ) ウシでその人を埋葬します ハーイェ、私、その人を埋葬し終えたの エーエ、まだよ (合唱) ウシでその人を埋葬します ハーイェ、私、その人を埋葬し終えたの エーエ、まだよ (ソロ=マワヤ) お母さん、 まだ(近親者に)死なれていない わたしはその人を埋葬し終えたの、エー (合唱) わたしはその人を埋葬し終えたの その人はベンガンドゥ(人名)のところに帰りました、お母さん、 エーエ、まだよ


3879 [憑依霊ドゥルマ人で憑依] (最初のクスカ(ku-suka150)の曲で、ムベユがいきなり憑依状態。録音は憑依状態のムベユと人々とのやり取りから始まる。ドゥルマ語だが、舌足らずの幼児のような喋り方。例えば「今日(rero)」を "yeyo"と発音するといった具合。)

Mbeyu: 今日かい?それとも今日じゃないのかい? People(Pe): 今日ですよ。 Mbeyu: うまく行ったのかい?それともうまく行かなかったのかい? Chari: うまく行ったよ。ていうか、うまく行くでしょうよ。 (そこにいる別の誰かに)そう、あの女性は、(憑依霊の)草木を採取してくるようにって言われていたのよ。その女性は鍋(nyungu91)を設置しに来てもらった。回復して、ご主人と一緒に畑仕事ができるようにね。癒やしの術の女性というのは、まずは草木を探しに行く必要がある。だから「今日じゃないよ、お母さん。私は「(憑依霊たちを)呼ぶ(憑依霊たちの仕事をする)」気にならないのよ。」ってね。というわけ。166

(ドゥルマ人の歌1 カルメンガラ ku-suka150)

ハヤ、エー、私の名前はカルメンガラ(私はカルメンガラと呼ばれています) 休みましょう、ウェー 私の名前はカルメンガラ ハヨー、ウェー、私の名前はカルメンガラ 災難に巻き込まれてしまったよ、お母さん 私の名前はカルメンガラ 外の問題も知っている、内の問題も知っている お母さん、私は尋ねられる 私の名前はカルメンガラ もしお前が男なら、おいで


(ドゥルマ人の歌2 カシディ ku-tsanganya151) (ソロ)

号泣を知らない人、やって来て歌をごらんなさい お母さん、ドゥルマ人がやってくる (合唱) 号泣を知らない人、やって来て歌をごらんなさい お母さん、ドゥルマ人がやってくる (以上、何度も繰り返し) (ソロ) カシディが惨め者だと知らない人 (合唱) ホワー、ドゥルマ人がやってくる

(さらにドゥルマ人の歌 (kubitaのリズム)が数曲続く。書き起こしていない。)


3880 (チャリ、ドゥルマ人の歌が演奏されている中、突然golomokpwa)

Chari: (叫ぶように甲高い声で)さあ、踊るのよ、私の友だち!(ギリアマ語にスイッチ)どう、聞こえたかい?あんたどうだい? (チャリは突然、別の歌を歌いだす。) C: 遠いよ そう、遠いよ ウェー 遠いよ、そう、私の子供 ウェー (カヤンバ停止) ムニャジは私に言った 遠いよ ヘー 石の心(心が重い?) (カヤンバ停止) Murina: ああ!別の歌だ!

(チャリ、泣きながら歌い続ける)

C: 遠いよ そう、遠いよ ウェー 遠いよ、そう、私の子供 ウェー (カヤンバあわてて演奏開始。チャリの歌をフォロー) 美しい女は私に言った 遠いよ ウェー 石の心

(女性の合唱が自信無さげに続くが、どうも歌詞を知らない様子。チャリの自作の歌詞のようにも見えるが、おそらくは憑依霊デナ(dena80)の歌の変化形だと思う)

(ムリナ、駆けつけてチャリ(憑依霊デナ?)を宥める)

Murina(Mu): さあ、さて、落ち着いて(静まって)、友よ、落ち着いて。私はあなたにお静まりくださいと申しております。そう、しっかり落ち着いて。あの人は逝ってしまったのですよ、あの人は。そして逝ってしまった者については、考えるものではないと言うじゃないですか、友よ。でも、同じくお静まりなさい、あんた。彼は私たちから逃げ去ったんです。あまり彼のことを思わないようにね、友よ。私たちのお父さん(1989年にChariをライカ、シェラ、デナの3人の憑依霊について「外に出し」てくれた施術師ニャマウィ氏)は、この世を去りました。もういません。あなたがムルングによって与えられたものは(なんであれ)、あなたは受け取るしかないのです。私たちはそれを受け取って、ただそれに感謝するだけ。彼は去りました、本当に逝ってしまったのです。 (チャリ(デナ?)はなおも泣き続けている) Chari: (ギリアマ語で)さあ、さて今、あんたたちは歌を打とうとしているのか、それともわしを眺めようとしているのか。わしは動物じゃないぞ。あのンゴマの主(ムベユのこと)のために打ってやんなさい。わしは、惨めさを思い出しただけのこと。もう喋るべきことなどないぞ。 Mu: さて、そう、落ち着いて、落ち着いて。その惨めさは消え去りますよ、我が友よ。すべてはムルングがしたこと。そしてムルングのすることには、反対できませんよ、我が友よ。だから、こんなふうに終わりにしましょう。でも、完全に、お静まりください。 C: ンゴマを打ちなさいな。さあ、あんたたち主(ムベユ)のために打ちなさい。わしは二度と踊りますまい。 Mu: さて、そう、そこまでです、友よ。涙を拭いなさい。あなたも子供みたいに泣かないで。彼はもう死んでしまったんですよ、我が友よ。で、今、私たちには何もしようがありません。私たちのお父さんです。でも彼はこの世の私たちから逃げてしまいました。ムルングに感謝です。沈黙167。だって彼は(ムルングに)チェックを入れられたってわけ。

3881

Chari: さよなら。(カヤンバ演奏者たちに)あんたたち、クツァンガーニャ151はもう打ったのかい、あんたたち。で次は、どの憑依霊(の曲)を打つつもりじゃ? Murina(Mu): あんたたち、まだクツァンガーニャは打ってないよな。あの老人(憑依霊デナ)の。 (チャリ、いきなり一人の男に向かってギリアマ語で語り始める) C: ところで、あんたのお母さん、咳しとるな。 Man1: (同じくギリアマ語で)たしかに咳をしています。何なのか私にはわかりません。 C: お前さんにはわかるまいよ。お前さん、自分の嫁のことも気にかけとらん。母親のことを気にかけるわけが? Man1: ふたりとも気にかけますよ。だって、ふたりとも私のものなんですから。誰を放置したりしましょうか。 C: 人の妻(父親の妻=お前の母親)は咳をして、ときにはゼーゼー息を切らせる。それとも、間違っているかい、我が友よ? Man1: タイレ164です、タイレです。だってタイレですから。タイレです。咳をして、本人もとっても驚いているんです。 C: それとも、もしわしがお前に嘘を言っているんなら、お前はわしが気狂いだ、とか気が触れたとか言うんじゃろうな。 Man1: あなたは全然、嘘を言ってませんよ。あなたは嘘を言わない。タイレですよ。 C: あとで、あんたの嫁の肺について話してやろう。今は、お前の母親のことだ。

3882

Man1: 本人がそう言っていますよ。 Chari: そしてここ、背中の真ん中あたり。 Man1: タイレ、その通り。 C: ときには腰が折れ裂ける。 Man1: タイレ、その通り。 C: この両脚、そう、「私にゃもう我慢できないよ、私にゃ。」ときには両脚、しびれて感覚がなくなる。 Man1: タイレ、タイレ。 C: お前さん、お前のもつ人手168全員が、畑仕事できないようにと願っとるんじゃあるまいね。どうじゃ? Man1: それこそ私が面食らっている問題です。すでに誰も畑仕事していないんですよ。 C: さて、もう一人、泣いてばかりいる彼女、彼女もいずれ水に自分を沈める(自殺する)だろうよ。もしお前が彼女のために施術師を探してこなければね。 Man1: 泣いてばかりいる人? C: 施術上の母に死なれて泣いている人がいるんじゃないかな? Man1: 泣いていました。そう昨日だって、泣いていました。

3883

People(Pe): タイレ。 Woman: (必要な)施術師はあんただ。タイレですよ、お母さん。 Chari: 彼女は施術上の母に死なれた。今は彼女の母は誰もいない。そうとも。彼女は(死んだ施術上の)母につきまとわれて、すっかり死んでしまおうと、水に自分を沈めに行くだろうよ。わしはもう帰るよ。 Man1: 彼女は昨晩も泣いていました。タイレですよ。お母さん。 C: 一昨日だけじゃない。昨日もひどく泣いていた。 Man1: (周囲にいる者に)4シリング貸してくださいよ。この母さんに差し上げます。 C: その4シリングで、わしに何をしろと言うんだい、いったい。 Man1: タイレのお金じゃないですか、お母さん。 C: その4シリングも、お前は人から借りようとしている。一体誰に貸してもらおうってんだい? Man2: ところで、その昨日泣いていた者は、どうすればいいのですか。お母さん。 C: お前たち、彼女のために母(彼女を治療してくれる施術師)を探してこなくちゃな。彼女の施術上の母を探してくる。薬液(mavuo169)が必要なんじゃよ。そして唱えごとをしてもらい、飲む薬をもらう。彼女はひどい頭痛と悪寒があるからな。

3884

Man2: タイレです、お母さん。タイレです。 Chari: 彼女は母親(施術上の)に死なれた。でも会いに行かなかった。その母親の服喪(hanga)にすら行かなかった。さらに、母が死んだ際に浴びるための搗き臼(に入れられた薬液)も設置してもらわなかった。彼女の母親だったのに。まるで彼女を産んだ母親のようですらあったのに。友よ、なんでお前はこの女性を殺したいんじゃ? Man2: タイレ、そのとおりです。 Woman2: この人、ギリアマ人の長老みたい。(女たち哄笑) C: あんたら人を殺したいのかね、どうだね。さて、私の友よ、彼女のために別の母親(施術上の)を探してきてやれと言っておくよ。そしてその別の母親がほしいのなら、うむ... (突然歌い出す) 遠いよ、そう、遠いよ 遠いよ、つまり、そこ、我が子よ、ウェー 美しい女は私に言った、呼ばれているよと、エー

C: そう、わしゃ、ンゴマは二度と嫌いじゃ。わたしゃ、お前に言っておきたい。わたしゃ、他人のンゴマは嫌いじゃ。

3885

Man2: さあ、私に話してください。 Chari: あんたら、わしを困らせたいのか?(kuchukaはギリアマ語で「困らせる、面倒をかける」の意) Man1: いえいえ、ただ話していただくだけです、お母さん。 C: ところで、あんたこの kuchuka って言葉知っとんのか? Man2: kuchuka という言葉、私はまったく知りません。 C: わしゃ、他人のンゴマは嫌いじゃ。あんたら、もう私を困らせるな。 (チャリ、再び歌い出す) 遠いよ、そう、遠いよ 遠いよ、エエ、我が子よ、ウェー 私は食べられる、遠いよ、石の心 Man2: その歌、我が友よ、私はそれをまったく知りません。 Man1: あなた、お母さん... (チャリ、別の歌を歌いだす) 私は嫉妬された、癒やしの仕事は闘争だから 私の癒やしの仕事 今、私は泣いている、お母さん話して 癒やしの仕事が私を食べるでしょう (以上2回反復) C: わたしゃ、ンゴマが嫌いじゃ。あんたらに、耳をおっ立てられんようにな170。彼女のためにお母さんを探してきてやりな。薬液(mavuo169)と煎じる草木、しっかりと唱えてもらうのじゃ。ほんとうにしっかり、しっかりとじゃな。嘘じゃなく。

3886

Chari: できればな、ちょっとしたキザ(chiza23)を置いてもらえばな。その後でちょっとしたカヤンバ、彼女の(施術上の)お母さんも、そのおでこをもっていることになる(その場にいることになる)。「この人がお前のお母さんだよ。(前の)お母さんは死んだんだ」と告げるためだ。というのも彼女(あるいは、彼女のなかの憑依霊)は、その人がおでこをもっている(その場にいる)のを見る。それは彼女の母(施術上の、死んだ)ではない。お前は(憑依霊に)こう言われるだろう。「あんたのお母さんは、この人じゃないよ」ってね。彼女(新しい施術上の母)はお前を怖がらせないだろうか? Man2: お前を怖がらせるでしょう。そのとおりです。 C: たとえ、彼女の目がでかくなくても、お前には彼女がでかい目をしてるって見るだろう。たとえでかい鼻をもってなくても、お前は彼女の鼻がでかいと見るだろう。だって、彼女のあの母親(死んだ施術上の母)はとっても美人じゃったから。さてさて、例のちょっとしたカヤンバ、それにちょっとした搗き臼、それに彼女の(新しい施術上の)母に与える8シリング。あんたがたが、彼女を買うためのな。 Man2: その8シリングを差し出すのは、この子供(施術上の)ですか? C: 8シリングを差し出すのは、ほれ、あの人だよ。そう。 Man2: (患者の)母親がですか?

3887

Chari: あの亭主自身がだよ。 Man2: なんと、夫自身。つまり屋敷の主がですか?8シリングを出して、その施術師を買う。つまり彼女を買う? C: そうじゃ。「お前の母は死んだ。お前の母は死んだ。そして人はその母に死なれると、別の母を手に入れる。この人がお前の母親だ。逝ってしまった者は帰らないのだ、友よ。もしお前が母がいないがゆえに泣いていたのなら、この者が、そういまやお前の母だ。」彼女(新たに施術上の母となった者)もな、4シリング差し出す。「我が子よ」「はい」「お前の母さんは私だよ」。そう、彼女は言わば飾りの(追加された)メソモ(mesomo171)みたいなもの。こうして彼女(患者およびその憑依霊)はその人に馴染むんじゃよ。でも、もしこうしなかったら、彼女はなにもかもいやになってしまう。果ては水の中に自らを沈めてしまうことになる。あんたらは、彼女をしっかり立たせてあげなけりゃならんのさ。 Man2: 彼らがそうやって馴染み合うようにですね。わかりました。 C: 以上、そういうことじゃ。わしはお前にこんな風に話してやるだけじゃ。(Man1に向かって)でも、お前の母親は咳をしておる。 Man1: ひどく咳をしています。それには私は何をしたらいいのでしょう?私はそう尋ねていたのに、あなたは別の話題に跳んでしまった。

3888

Chari: そもそも、お前は彼女を扇いだ(彼女のためにンゴマを開いた)のかい、あんた。お前の母親を扇いだのかい?「重荷おろし」はやってあげたのかい? Man1: ああ、私は彼女を扇ぎましたし、重荷も降ろさせてあげました。施術師は実家のほうの者たちです。 C: さてさて、なんであんたはチョーニ語を喋っとるんじゃ?(注: Man2はうっかりチョーニ語の単語を用いてしまっていた) Man2: ああ、私はギリアマ語はそんなによく知らないんです。 C: ギリアマ語をよく知らんとな。あんた、ここギリアマで生まれた者なのに、ギリアマ語を知らんとはな172。さて、一つだけあんたに言っておきたいことがある。あのマサイ人の鍋を彼女に置いてやったかな。(もしそうしていなければ)あんたは他人に属する人173を、いまにも殺すことになるぞ。 Man2: 彼女はマサイ人の鍋は置いてもらったことが在りません。それは確かです。 C: マサイ人の布はあるかい? Man2: マサイ人の布は、彼女は以前もっておりました。ずいぶん昔に、敗れてしまいました。 (人々笑う) C: それじゃあ、彼女のために布を買いに行ってやりなさい。それから(マサイ人の)護符キブェレ(chiphele174)と、マサイ人の棍棒もね。さらに槍も必要とされているぞ。

3889

Chari: ときに、彼女、胸のわきがトゲを刺されたみたいに痛いんじゃないかい。息切れもひどい。さてさて、おいとまするよ。 Man2: タイレです。つまり、護符キブェレと、マサイの布、それから鍋でしたっけ。 C: マサイの棍棒もな、その後で、マサイのちょっとした鍋じゃな。ああ、わしゃ、おしゃべりじゃな。そんなつもりじゃ... Man2: 友よ、おしゃべりじゃありません。おしゃべりなんかじゃ。 C: それ以外にも、あれやこれや、もし、あんたが従っていかなかったら、あああ。こちらのあれこれは、お前の母さんたちに関するもの、でもこちらのあれこれときたら、はあ。 Man2: 友よ、そんな風に言わないでくださいよ。頑張って調えに行きますよ。だって私は疲れて、もうぐったりなんですよ。 C: あの人には、けっこう昔からのライカ(malaika63)たちがいるし。子供たちともども病人だよ。子供はだれもかも、健全じゃないしな。 Woman: (Man2に向かって)あんたたち、どうせこの後、ミトゥンバ(mitumba175)のところへ行くくせに。 Man2: ミトゥンバなんて、なしです。お母さん、あなた、人聞きの悪いことを。私たちにはミトゥンバなんていません。そもそも私たちはそんなのは卒業しました。私たちはもう老人。長老なんですから。 Woman: ご老人たち、昔々ね、思い出すんじゃない。ムァルブァンバ(Mwaluphamba176)のミトゥンバ。

3890 (憑依霊ドゥルマ人の一連の歌の途中で、ムベユ、憑依霊ディゴゼーに憑依され、ムリナとやり取りする) (ムベユ、すっかりかすれた声で、泣きながら訴える)

Mbeyu(Mb): 子育て、私、あんた。 Murina: あんた、子供のいない人はいるだって?ああ、どうしてそんなに早々に諦めようとするんだい。飢餓に負けたのかい、それとも病気に負けたのかい? Mb: いやいや、あんた、母親のいない子供たちよ。 Mu: 母親のいない子供たちだって?どうやって母親がいないことになるんだ?

(ディゴゼーの歌、書き起こしは不正確(会話が同時に進行中で歌詞が聞き取りにくいため))

ディゴゼー、ウェー、エー、ハーイェ 搗き臼で搗いたり、石臼で挽いたりも大仕事 争いを見に来てごらん


(ディゴゼーの歌が演奏される中やり取りは続く)

Mu: ちょっと、ちょっと。年少者をもたない人間などいないよ、あんた。ちょっと。その女性が自分の子供を連れて行くの、邪魔しないで。諦めないで、諦めないで、あんた。諦めないで。絶対、諦めないで。女性が、自分の子供を連れて行くのを邪魔しないで。どうして諦めてしまおうとするんだい、なあ私の友よ。何に負けるっていうんだい、さあ。子育てなんて些細なこと。畑仕事をして、子供たちはご飯を頬張る。子供たちは。 Chari: 彼女にディゴ人の歌を打ってあげなさいよ。その後でシェラを。ああ、もう、あんたたちどうしたの? [カセットテープ終了]

(ムァンザ氏の妖術に対するキャンセル施術) 3898 (mutsunga ng'ombeに対する唱えごと)

Murina: 私はお前に告げる。お前ムツンガ・ンゴンベよ。ムツンガ・ンゴンベはお前だ。ウシを追うものを、そして生まれ来たるものを、お前は追い導く。お前は北の者を追い導く、南の者を追い導く、西の者を追い導く、東の者を追い導く。4つの方角全て、お前は追い導く。 お前、ムシシムロ、ムシシムロはお前だ。かき立てる者(usisimulaye)、おまえよ。洞窟に棲まう者をかき立て、池に棲まう者をかき立て、海岸に棲まう者をかき立て、樹上に棲まう者をかき立てる。バオバブに棲まう者をかき立て、分かれ道に棲まう者をかき立てる。お前、ムシシムロよ。 ニャマガナ(直訳すると100の憑依霊)はお前だ。お前一人を除けば、この世に人と張り合う者はない。今、行って憑依霊をかき立てよ。霊は脚には棲まわず、霊は膝には棲まわず、霊は腰には棲まわず、霊は腸には棲まわず、霊は胸には棲まわず、霊は腕には棲まわず、霊は手には棲まわず、霊は肩には棲まわず。

3899

霊は頭に棲まい、霊は分別に棲まう。霊は這いながら後頭部に至り、霊は頭頂部に立ちて、言葉を告げる。 さあ、行ってこの者を刺激せよ(ukamuchichimule177)。お前は刺激する。洞窟に棲まう者を刺激し、池に棲まう者を刺激せよ。水に棲まう者を刺激し、海に棲まう者を刺激せよ。お前、ムシシムロはお前だ。さあ、今、徹底的に刺激し、一人ひとりの憑依霊を、正しく配置せよ。 [唱えごと終了] Murina: さあ、(その根を)噛みます。それが済んだら、あなたはプッ、プッ、プッ(唾液をムウェレの胸に、背中の中心に、肋骨の両脇に、頭頂部に、前額部に)吐きかけます。そうして彼女を冷やすのです。その後で、唾液を吐いたところに、息を吹きかけます。それが済むと、こんな細い小さな棒を彼女の髪の毛の中に差し込みます(unamutsomeka)。そのままにしておきます。この小さな棒こそ、彼女を踊らせるものなのです。

3900

Murina: さて、たとえ人(妖術使い)が憑依霊を捕らえたとしても、憑依霊たちを縛ったとしても、結局彼の手には負えません。憑依霊たちは力強く(rafu=rough, Eng.)やって来て、彼を振りほどいて、踊りに行くでしょう。さて、そうしておいて、あなたは小枝(katai)を彼女(ムウェレ)にもってきてやるでしょう。彼女にうんざりするをやめて(?178)、彼女を(その小枝で)鞭打ちます。背中の真ん中あたりを打ちなさい。脚を打ちなさい。膝を打ちなさい。胸の両脇を打ちなさい。頭を打ちなさい。分別を打ちなさい。そして小さい棒をこんな風にもってきて、それを折り、遠くに投げ捨てます。 Hamamoto: それで問題がおしまいになる? Mu: そう。彼女を妖術返し(kuphendula)終えたのです。さあ、さあ、ンゴマを打ちなさい。 H: なるほど、では先日のあのンゴマは、前もってすでに妖術返しされていたんですね。 Mu: そうですとも。

注釈


1 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
2 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 黒地に白や茶の細かい斑点、'k'uk'u wa chiphangaphanga' 鳶のような模様の毛色の鶏など。
3 料理などを用意しているのは、Mbeyu(Chariのmwana wa chiganga1でもある)の親族の他、多くはChariの女性anamadzi1たちである。彼女らはChariが主宰する多くのカヤンバでこうした役割を演じている。
4 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
5 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchetu wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
6 1987年Murina夫婦が「ジャコウネコの池」に移り住んだとき、ChariがMwanza氏の分類上の母の姉妹(chane)であるという縁で、Murina夫婦はMwanza氏の土地の一角に小屋を建てさせてもらった。Chariはすぐに評判の占いの施術師になり、その治療も多くの人々に求められ、この地域に多くの施術上の子供をもつようになった。Mwanza氏と彼の屋敷の人びともChariの治療を受け、Chariが自分たちの土地に住んでいることを喜んでいた。しかし1990年ころから関係は悪化し、1991年にはMurinaたちがMwanza氏を妖術告発する(不発に終わるが)ぎりぎりまでになった。近隣長老会議でのMwanza氏の妻に対する告発(これは直接の妖術告発ではなく、彼女がMurina氏を陰で妖術使いと呼んでいたことを非難する形をとった)につづき、キナンゴのサブ・チーフの法廷でMwanza氏のもう一人の妻に対する告発と、対立はエスカレートし、翌年には、Murina夫婦はこの地を去ることになる。
7 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o)、シェターニ(shetani)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。
8 その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)9であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
9 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba10)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)11や母(女性施術師の場合)12ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
10 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
11 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」9を参照されたい。
12 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」9を参照されたい。
13 ウツァイ(utsai)。「妖術」。基本的に「薬muhaso」を用いて(それに命令を出すことによって)他者に危害を加える行為。単なる毒殺とは異なる。ウロギ(ulogi)という言い方もある。それを行う妖術使いはムツァイ(mutsai, pl.atsai)、あるいはムロギ(mulogi, pl.alogi)。
14 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。
15 キルー(chiluu)。ダチョウの羽を縦にずらりと植えたヘッドバンド。憑依霊ガンダ人、ジンジャ導師などChariの占いをになう憑依霊の頭飾り。
16 ムダタ(mudat'a, pl. midat'a)。棒状の杖。ムクァジュ(mukpwaju)との違いは真っ直ぐであること。ムクァジュは握りが曲がっている。
17 キシル(chisiru)。形容詞シル(-siru)「獰猛な、攻撃的な、怒り狂った」の副詞。
18 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
19 マワヤ(Mawaya)。チャリの弟子(anamadzi)たちのなかでも、最もチャリを敬愛する人物。カヤンバの巧みな歌い手。自分の妻が病院にも見放され、死を覚悟していた際に、チャリの治療を受け、その後もチャリの家で面倒を見てもらい回復したことから、チャリの忠実な弟子となった。
20 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供21。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神22がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande24)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料28)、血(ヒマ油29)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
21 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供20がある。
22 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza23)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる21。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている20。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
23 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
24 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符25。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
25 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata26)、パンデ(pande24)、ピング(pingu27)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
26 ンガタ(ngata)。護符25の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
27 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符25の一種。
28 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
29 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
30 ク・ヴィナ(ku-vina)。「踊る」を意味する動詞。憑依の文脈では、ンゴマなどでmuweleが憑依された状態で踊ることを意味する。
31 ムァハンガ(mwahanga)。憑依霊「ハンガの人」。ハンガ(hanga)とは死者の埋葬の後に行われる服喪のこと。ムァハンガはムセゴ(musego)という別名ももつが、ムセゴ(musego)とは埋葬時、およびその直後の「生のハンガhanga itsi」で歌い踊られる卑猥な歌詞の歌。ムァハンガに取り憑かれた者は、平時においてもムセゴを歌ったり、義理の両親(mutsedza)や長老の前でも猥褻な言葉を口走ったりする。女性の産む子供を殺すので、しばしば除霊の対象にもなる。
32 チャイ(chai)。「お茶、紅茶」ミルクティは chai cha maziya33。ミルク抜きは chai cha rangi34「色のついた茶」
33 マジヤ(maziya)。「ミルク」。
34 ランギ(rangi)。「色」。rangi ya kundu「赤の色」etc.
35 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
36 ムドゥルマ(muduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性37)、カシディ(kasidi 女性38)、ディゴゼー(digozee 男性老人39)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
37 憑依霊ドゥルマ人(muduruma36)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
38 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma36)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
39 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo40)マンダーノ(mandano41)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
40 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
41 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
42 ポーレ(pore)。名詞・副詞として、ゆっくりしたさま、穏やかなさま、礼儀正しいさまなどを指す。間投詞としては、穏やかに、もの静かに、ゆっくりと、などに加えて、ひどい目に遭った人や、感情を高ぶらせている人に対して、相手がクールダウンするように、宥めたり、同情の意を示したり、謝ったりする言葉として用いられる。憑依の文脈では私はこれを「お静まりください」と訳している場合が多いが、コンテクストによっては異なる訳語を当てている。
43 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)44、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす46)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku47)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
44 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri45)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ26を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
45 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza44と呼ばれる手続きもある。
46 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
47 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera43)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchetu wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮る女(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
48 ムクタノ(mukutano)。「集会」カタナ君はカタナ君でこの日キリスト教の集会で徹夜していた。
49 ムチェムンダさんとメムランダさんは、近所の噂大好きな仲良しおばあちゃんたち。口は悪いが、素敵な情報源。
50 ウコンゴ・ワ・ンダニ(ukongo wa ndani)。「腹部の病気」であるが、単に消化器系のみではなく、下腹部全般(生殖器を含む)に関わる病気、不妊、月経不順などもふくむ。
51 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)22との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
52 pauseボタンでレコーダーを操作していたのだが、pauseを解除したつもりで、できておらずカヤンバ開始のムルングの歌から憑依霊ディゴ人の一曲目まで、録音に失敗している。帰宅後、書き起こしの際にミスに気づく。以下、同様なミスが繰り返し起こっている。
53 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
54 「x」は、ここではムウェレが踊らなかったことを示す
55 「私のンゴマよ!」
56 同じ操作ミスで憑依霊ディゴ人の途中から、チャリ自身が歌いだすまで、録音失敗。
57 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
58 ジム(zimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
59 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
60 ジンジャ(jinja)。憑依霊ジンジャ(jinja)。ジンジャ導師(mwalimu jinja)。イスラム系か内陸系かあいまい。かつてChariのもつ主要な憑依霊の一つだった。瓢箪子供を世界導師(mwalimu dunia)と共有。使用草木は、ジャバレ導師(mwalimu jabale)、世界導師(mwalimu dunia)、ジンジャ、カリマンジャロ(karimanjaro/kalimanjaro)で同一。他方で、ガンダ人(muganda)の別名ともガンダ人の王だとも言う。上着、横縞の布、羽毛の帽子(chiluu)、右手に毛はたき(mwingo)、左手に瓢箪子供をもった姿で現れる。Chariの占いの担い手。症状: いたるところにヘビが見える、道を歩いていてヘビに出会う、身体じゅうをヘビが這い回る(のを感じる)、意識が変調する(kubadilisha akili)、血を吸われる、死んだり(意識をなくしたり)生き返ったり。治療: 12日間の「鍋」(mudurumaと同じ)。mudurumaと同時に「外に出された」。ただし瓢箪子供はドゥルマ人は自分の瓢箪子供をもち、ジンジャは世界導師の瓢箪子供を共有。歌の中では「私は海岸部(pwani)にもいるし、内陸部(bara)にもいる」とされ、世界導師の属性そのものを示す。
61 キリョモ(chiryomo)。憑依霊はときに普通の人には理解不可能な、未知の言語でしゃべる。いわゆる異言(tongues, glossolalia)であるが、chiryomoは動詞 ku-ryoma (訛って喋る、うまく喋れない)から来ており、人々が聞いたことのない外国語全般がchiryomoと呼ばれる。
62 ク・フンブラ(ku-humbula)。「穴を開ける、穿つ」
63 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi64)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka65) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri45)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi66など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo68,laika mukusi69など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe70, laika ra nyoka70, laika chifofo73など。(4) その他 laika dondo74, laika chiwete75=laika gudu76), laika mbawa77, laika tsulu78, laika makumba79=dena80など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze23)で薬液を浴びる、護符(ngata26)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza44)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
64 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
65 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
66 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni67)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
67 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
68 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
69 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
70 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira71)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka72)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
71 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
72 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
73 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
74 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi64)の別名ともいう。
75 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
76 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
77 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
78 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
79 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena80)の別名。
80 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari81)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande24)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
81 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)44」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena80が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee39)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande24には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
82 瓢箪子供制作中の私と2人のやりとり、完成した瓢箪子供に対する唱えごとなど、全て録音できていない。あ~あ、である。
83 ロホ(roho pl.maroho)。「心」まれに「心臓」。p'umuzi(息)を蓄えておくところだと言う人もいる。モヨ(moyo)は「心」の意味でも「心臓」の意味でも等しく用いる。
84 ムェレケラ(mwerekera)。ムルングの草木。未同定。おそらく動詞ク・エレカ(kpwereka)「背負う、おぶう」のprepositional fromに由来。
85 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo86)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni67と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
86 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
87 ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
88 ミラツォ(milatso)。「血、血液」。通常複数形のみ。稀に単数形ムラツォ(mulatso)も用いられる。
89 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術90においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba28)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande24)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu91)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
90 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
91 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza23、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
92 ムキムィムィ(muchimwimwi)。憑依霊ドゥルマ人の草木。Gardenia volkensii(Pakia&Cooke2003:393)。chimwimwiはドゥルマ語で「笑い上戸」ほんのちょっとしたことでも笑ってしまう性格。
93 ムブィンゴ(muphingo)。アフリカ・ブラックウッド。幹の外側は通常の木質だが、芯は黒檀のように黒く重く固い。Dalbergia melanoxylon(Pakia&Cooke2003:391)。憑依霊ドゥルマ人の草木。
94 ムランゼ(murandze)の木。Dalbergia boehmii(Pakia&Cooke2003:391)。憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba)の重要成分。昔はドゥルマの女性が香料として用いており、出産後の女性や赤ん坊に塗ったり、週ごとの踊り(wirani)に行く際に少女が塗った。今や老人である当時の若者が言うことには、遠くからでも香りでわかったという。
95 カキリ(kachiri)。ルワフ(lwahu)ともいう。ブバ(buba96)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)
96 ブバ(buba)。カキリ(kachiri95)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料名は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。
97 キブォゴ(chiphogo, pl.viphogo)。ムウェレ(muwele8)の腕に巻く、憑依霊mudigo5とshera43のビーズをつなぎ合わせたもの。「重荷下ろし ku-phula mizigo46」施術の開催を予定している患者が腕に巻く。
98 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。
99 ク・フンガ・ンダニ(ku-funga ndani)。「腹を縛る、封印する」。憑依霊などが女性を妊娠・出産できなくしてしまうこと。
100 クヴォイェラ・ムァナ(ku-voyera mwana)「子供を祈願する」。
101 ウコンゴ・ワ・ンダニ(ukongo wa ndani)。「腹の病気」。単に消化器系の病気のみならず、不妊や、月経をめぐる女性器関係の問題なども含む広い概念。
102 マトゥミア(matumia)。地面の上での手を使わない一回きりの無言の性行為。ドゥルマにおいてはマトゥミアはさまざまな機会に執り行われねばならない。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第8章〕
103 ク・ラビャ(ku-lavya)。「差し出す、(来客などを)途中まで送る、発する」など外になにかを移動させる意味で広く用いられる動詞。
104 ムリサ(murisa)「牛追い」動詞 ku-risa「放牧する」より。憑依霊ドゥルマ人(muduruma36)の別名とする人もいる。ムリサに憑依されると、飼っている山羊が多くの子供を産むが、それを使用することは出来ない。それを個人的な目的で使用すると病気になる。ムリサに憑依された人はカヤンバの席で子供たちに牛追いの真似をさせ、中ごしに座ってウガリと酸乳を食べる。立ち上がって自分でも牛追いの真似をし、また座ってウガリを食べるといった動作を繰返す。持ち手の曲がった杖mukpwajuと木の御椀muvureを要求。
105 この占いの終了後、またしばらく録音できていない。
106 ジャンバ(jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿107、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
107 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
108 ムツァイ(mutsai, pl. atsai)。「妖術使い」。薬を用いて犠牲者に危害をもたらす術を行使する者。
109 ムリナは今回は憑依状態になると、怒り狂って喧嘩腰になるので、またジャンバ導師で憑依状態になるとまずいとの判断だろう。チャリはイスラム系の霊はトラブルメーカーだと考えているらしい。
110 ここでテープが終了し、録音が止まっていたことに気づかなかった。以後は録音なし。
111 チンゴ(ch'ingo)。「動物の皮、毛皮」。
112 キヒ(chihi)。「椅子」を意味する普通名詞だが、憑依の文脈では、憑依霊に対して差し出される「護符25」を指す。私は pingu、ngata、pande、hanzimaなどをすべて「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防・治療になる。
113 グル(gulu, pl.magulu)。「脚」
114 ドゥルマ語の数詞。形容詞的に 1 から [ -mwenga -phiri -hahu -nne -tsano sita(-handahu) saba(-fungahe) -nane -chenda kumi]、数え上げ 1 から[motsi, phiri, tahu, nne, tsano, sita(handahu), saba(fungahe), nane, chenda, kumi]
115 ムクヮジュ(mukpwaju)。持ち手が曲がっている杖。
116 「長老、お荷物をいただきます117
117 ク・ボケラ(ku-phokera)。動詞ク・ボカ(ku-phoka)「奪う、取り上げる」のprepositional form。人を目的語に「奪ってあげる、取り上げてあげる」という意味だが、訪問客に対して、礼儀作法の一部として、ホスト側は客のもってきた荷物を「取り上げ」、別室あるいは小屋のなかにきちんと隠し置いてあげるというのがある。客に対して undaphokerwa「あなたは取り上げられますよ」あるいは uphokerwe (let you be robbed)などと言って、荷物を受け取り別室などに隠す。
118 トゥンゴ(tungo, pl.matungo)。ビーズを紐に通して作った飾り物で、関節部に身につける。施術師の装束の一部。
119 マココテリ(makokoteri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokotera「唱える」より。
120 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。
121 ムサンブェニ(Musambweni)。モンバサ以南の海岸部の中程にある町。ディゴ人が多く居住する地域。
122 ズニ(dzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)ともいう。子供の痙攣などを引き起こすニューニ(nyuni67)、「上の霊(nyama a dzulu)」と呼ばれる霊の一つ。ニャグ(nyagu)、キルイ(chilui)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola123)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。
123 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa」124と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊(ku-kokomola123)によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume127)、カドゥメ(kadume128)、マウィヤ人(Mwawiya129)、ドゥングマレ(dungumale132)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga133)、ライカ・トゥヌシ(laika tunusi66)、ツォビャ(tsovya134)、ゴジャマ(gojama131)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」67)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)も同じ除霊を指すのに用いられる。
124 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」125など)を行うことなどを意味する。
125 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ126などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
126 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ125」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
127 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。
128 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
129 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde130)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama131)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
130 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
131 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola123)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
132 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola123の対象になる)124。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
133 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊。=sorotani mwangaとも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
134 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。除霊(kukokomola123)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa124」。see p'ep'o mulume127, kadume128
135 ムブァ(muphwa, pl.aphwa)。甥、姪(ZS(sister's son), ZD(sister's daughter)。伯父(MB(mother's brother)は aphu。甥・姪と伯父は互いを aphuと呼び合う。
136 クブェンドゥラ(kuphendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。
137 モヨ・ワ・ニュマ(moyo wa nyuma)。背中の真ん中あたり
138 ムバヴ(mbavu sing. pl.)。ルバヴ(lubavu,pl.mbavu)とも。「脇腹」正確には肋骨の側面部。
139 ルホツィ(luhotsi, pl mahotsi)。(赤ん坊の)泉門、ひよめき、頭頂部
140 キコモ(chikomo)。「額」「ひたい」「前額部」
141 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
142 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
143 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
144 トロ(toro、pl.matoro)は睡蓮
145 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。
146 ムカンガガ(mukangaga)「葦」, 正確にはカイエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)
147 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
148 マレラ(marera)。ムルング子神の別名。「養う者」。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo5)やシェラ(shera43)のグループに入れる者もいる。
149 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
150 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
151 ク・ツァンガーニャ(ku-tsanganya)。カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
152 クビタ(ku-bit'a)。「投げ倒す、叩きつける」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、カヤンバ演奏のリズムで最も速いリズム。憑依の兆候を見せた患者を、本格的な憑依状態に導く。同じ歌詞の繰り返しになるが、演奏者たちは躍起になって患者を憑依状態にしようとする。
153 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師154。内陸bara系155であると同時に海岸pwani系156であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」158)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
154 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia153)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
155 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
156 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume127)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani157)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
157 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」89による鍋(nyungu91)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe107)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu27)。
158 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia153)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
159 ク・フカ(ku-fuka)。本来は「収穫に失敗する」を意味する動詞。比喩的にプランが実現しなかったときにも用いられうる(稀に)。
160 マワヤ氏が、kadziwira(wira「歌」のdiminitive)という言葉を用いたために、チャリはその言葉尻を捕まえて、私にはちょっとした歌だけしかくれる気がないのだなと文句をつけている。
161 死者の近親者は、「生(なま)の服喪(hanga itsi)」の最終日に頭を剃髪する。
162 ハヤ(haya)。「恥じらい、慎み深さ」。それがないことは「恥知らず、はしたない」こと。「はしたない」口ききをすることは、ク・ハカナ(ku-hakana)という動詞で表される。ク・ハカナには罵倒なども含まれるが、性に関する事柄を口にすること、排泄行為に言及することなど、人前では口にすべきでない話題を口にすることなどが含まれる。占い師や施術師は、しばしばこうした話題に言及するので、その都度、自分は恥知らずだ(tsina haya)と明言する。
163 ムァズル(mwadzulu)。顔、腹、身体各部が浮腫む病気。妊娠中の女性、大人と同じものが食べられるようになった幼児が多くかかるとされる。後者は mwadzulu wa chinga(細棒のムァズル)と呼ばれる。いずれも「鍋(nyungu91)」による蒸気浴びが主たる治療法だが、出産間近の女性の場合、強すぎて死産、早産の危険がある「鍋」治療ではなく、飲み薬の治療を続け、出産後に「鍋」治療を行う。幼児のムァズルは、子供が鮫の干し肉、キングフィッシュ、ヒツジを食べることでかかるとされる。ムァズルの患者には、塩をひかえ、ヒツジ肉を食べないなどの禁止が課される。自然に罹る病気であるとされるが、妖術が原因だとされる場合もある。ムァズル治療を専門とする施術師がいる。
164 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
165 キシング(chisingu, pl.visingu)。憑依霊の施術師が被るビーズを紐に通して作った輪状の被り物。
166 テープに録音されているこの会話が何について話しているのか、日記にもフィールドノートにも記載がないので、不明。ただ憑依状態のムベユの語り口(舌足らずの)が引用されていることから、この女性はムベユについてその場にいる誰かに説明しているものと思われる。
167 ジー(zii)。無音であるさまを表現する擬態語。
168 アダム(adamu)。「人間(mudamu, pl.adamu)」の複数形。ここでは屋敷の主であるMan1が支配下においている従属者たち(妻、子供などを指す)。
169 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
170 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。耳(masikiro)がディディムカするとは、野生の動物が危険を察知して、耳を立てる(masikiro ganadidimuka)こと。あんたらが警戒して耳をおっ立てるもんだから、ンゴマにやってくるのは嫌いだと言っている。
171 メソモ(mesomo)。一夫多妻婚において、生みの母以外の父の妻のことを、子供はメソモ(mesomo)と呼ぶ。
172 憑依霊は「ここギリアマ」などと言っている。実際にはドゥルマの土地なのだが。憑依の文脈では、霊が出現する仮想舞台は、その霊によってシフトする。
173 ここではMan1の母親のこと。父の所有になる女性であるので、他人の支配下にある人という言い方を用いている。
174 キブェレ(chiphele, pl.viphele)。ウシの革にタカラガイの殻とビーズを縫い付けて作った護符25の一種。憑依霊マサイ人用。
175 ミトゥンバ(mitumba, sing.mtumba)。スワヒリ語で「束、一包」を意味する。1990年代に東アフリカでは、西洋や日本などの援助団体からの送られた古着の市場が隆盛を極めたが、ミトゥンバは、そこで売られている古着を指す言葉としてケニアでは用いられている。ドゥルマでもこの意味で用いられているが、比喩的に「中古の女性」つまり浮気相手としての人妻などを指す言葉としても使われている。
176 ムァルブァンバ(Mwaluphamba)。地名。キナンゴロケーションに隣接するロケーション、およびその中心の町の名。シンバヒルの西斜面の丘陵地で比較的降雨にも恵まれている。
177 ク・チチムラ(ku-chichimula)。この単語はドゥルマ語ではないかもしれない。ク・シシムラ(ku-sisimula)は(DB 3898)に出てきており、これはドゥルマ語で「興奮させる、刺激する」などを意味する動詞。この動詞から派生した musisimulo は薬(muhaso)の名前である。(DB 3899)における ku-chichimula, muchichimulo は DB 3989におけるこの動詞をもじったものであろうと解釈した。
178 ここは訳して、意味不明な部分。ク・ツォカ(ku-tsoka)は「疲れる be tired」を意味する動詞で、普通は目的語を取らないが、目的語をとると「~にうんざりする」の意味になる。しかし「彼女にうんざりし終える」は意味をなさない。書き起こしのミスの可能性もあるが、カセットテープが郵便事故で紛失しているので、確認の術がない。ku-tsoka ではなく ku-tsodza だとすれば、妖術の治療において皮膚に切り傷を入れ、薬を擦り込む施術を ku-tsodza というので、意味は通るが...。あるいは ku-tsomeka とすべきところを ku-tsoka としてしまったのか。それなら小さい棒を彼女の髪に差し込むのを終える、で意味は通じる。