除霊(kukokomola)

以下の簡単な解説は、事例として紹介したカヤンバについてのフィールドノートの記述および録音テープの書き起こしの日本語訳に対する一般的予備知識を提供するためのものである。

目次

  1. 除霊とは

  2. 除霊される霊(nyama wa kuusa)

    1. 身体の憑依霊で除霊の対象となる霊たち

    2. イスラム系のジネたち

    3. ニューニ、あるいは「上の霊」たち

    4. 霊の分類の曖昧さ

  3. 除霊

    1. 除霊の基本パタン

    2. ジネの治療と除霊

  4. 事例

  5. 注釈

除霊とは

日本で憑依霊と言えば、やることは「お祓い」、つまり霊との関わりを断ち切る作業であるが、ドゥルマでもその手段がないわけではない。それが除霊(kukokomola1)である。しかしこの作業は、憑依霊をめぐるさまざまな実践の中でも、一部の特殊な憑依霊に対してのみなされる、どちらかと言えば周辺的な実践である。

まず第一に、それはいわゆる「憑依霊の施術師(muganga wa nyama)」と呼ばれる人々によって行われる作業ではない。憑依霊の施術師の仕事は、もっぱら宿主とその憑依霊たちとの関係を良好に保つべく、憑依霊たちと交渉することにある。施術師本人もたいがいは自分がもっている憑依霊たちとのトラブルに四苦八苦しているのだが、多くの憑依霊との「友人」関係(?)のおかげで、憑依霊と上手に(一般人と比べてだが)交渉できる存在なのである。除霊とは、憑依霊を宿主から誘い出して(あるいは出ていくよう説得し)、それが二度と帰ってこれないように「打ち付け(ku-k'ota36)」て、「閉め出し(ku-sindika37)」てしまうわけで、霊との友好的な交渉という仕事とはいささか折り合いが悪いのかもしれない。私がよく知っている(それほど数は多くはないが)ご近所の憑依霊の施術師で、除霊もやるという人はいない。

除霊の仕事をする施術師は、ニューニ23と総称される、乳幼児にひきつけを含むさまざまな病気をもたらす憑依霊の治療を専門とする施術師のなかに、除霊もできる人々がいる他、妖術の治療に長けた施術師たちのなかにも、除霊で知られている人がいる。

ニューニとは、多くは鳥の憑依霊(別名で「上の霊(yama wa dzulu22)」とも呼ばれる)で、無差別に乳幼児を襲って特徴的な病気を引き起こすが、それを治療するのがニューニの施術師である。ニューニはときに母親にとり憑いて、以後彼女が妊娠する子供をすべて早流産させたり、乳幼児のうちに殺してしまったりする場合があり、その場合には母親からとりついているニューニを除霊する必要がある。

憑依霊の施術師たちは、自らが病気になるという形で憑依霊から選ばれ、その要求に従って施術師になるしかなかった人々である。志せば誰でもなれるというものではない。そもそも最初から憑依霊の施術師になろうと志す人などいないし。こうした憑依霊の施術師とは異なり、お金を払って知識を買えば誰でもなれるニューニの施術師は、数も多い。自分たちの子供がニューニに襲われる場合にそなえて、その施術を買う人も多い。近所の子供がひきつけを起こした場合にも、すぐに治療できるので、わずかながら現金収入もある。そのなかで除霊まで極める人となると、数は少ない。チャリ38さんも2~3のニューニについて施術する知識をもっている。自分の子供のために買ったというが、除霊はしない。

一方、妖術の治療に用いられる(妖術をかけるのにも用いることができる)さまざまな「薬」に対して、それを使役する力があるとされる(あらゆる「薬」とその知識は、その対価を払って「奴隷」として購入しなければならない)妖術の施術師たちのなかにも、その治療のレパートリーに除霊の施術を加えている人々もいる。

除霊は、とり憑いた憑依霊を完全に追い払うことを目的とする施術であり、楽器としてカヤンバが用いられ、憑依霊の歌が歌われる場合もあるが、憑依霊と宿主に折り合いをつけられるように憑依霊と交渉するために開くンゴマ/カヤンバとは異なる。しかもそれは大きな危険が伴う施術だと考えられている。もし失敗すると、患者は健康を永久にそこなったり、貧乏になったり、女性の場合には子供をもうけることが永久にできなくなったりするかもしれない。子供を嫌い、女性の産む子供を片端から殺してしまうような危険な憑依霊に限って、行う施術だと言ってもよい。

除霊される霊(nyama wa kuusa)

除霊の対象とされる霊52は「除去の霊(nyama wa ku-usa3)」と呼ばれる。それに対して、宿主と共生可能な霊は「身体の霊(nyama wa mwirini2)」と呼ばれる。両者はまるで2種類の憑依霊のグループがあるかのように語られることもある。

たとえば施術師カリンボさんが説明するように、「除去の霊も身体の霊もお前を突然捕らえる(anakugbwavukira57)。つまり霊がお前をク・ツヌカする(kuhenda kukutsunuka)。」ク・ツヌカ(ku-tsunuka58)は「惚れる、好意をもつ、目をつける」といった意味の動詞である。「しかし除去の霊は、(妖術使いによって)水場や道に(罠として)仕掛けられる(kuhenda hegerwa[^hega])こともある。身体の霊は仕掛けることはできない。」「除去の霊は除霊される(anahendwa kukokomolwa)。しかし、身体の霊はお前から(切り離して)出してしまうことはできない(kaalaviwa)。お前が死ねば、霊は去っていく。」(DB 2397)

この2分法はフィールドワークの初期にはとても魅力的に見えたので、憑依霊について聞く際に、それは除去の霊ですか、それとも身体の霊ですか、なんて聞きまくっていた。でも当然、話はそううまくは進まない。

比較的初期のフィールドワークでの、次のような説明に頭を抱えることになる。 「ムキリマ(muchirima59)は、身体の(wa mwirini)霊だね。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe62)は除去の(wa kuusa)霊だね。スディアニ(sudiani9)というのもいる。除去の霊だね。ロハニ(rohani63)もいる。それは身体の霊だね。ペンバ人(mupemba39)もいる。そいつも除去の霊だね。ペンバ人と言えば、それは妖術の(wa utsai64 妖術で仕掛けられた)霊だと心得なさい。除去の(wa kuusa)霊と聞けば、妖術の(wa utsai)霊だと心得なさい。でも身体のペンバ人もいるな。雌羊がそいつのためにとって置かれる66。それとその羊の仔も。そいつは馴れて、自分の仲間たちといっしょに放牧されるのが嫌で、飼い主について回ってばかり。このことはジム(zimu68)にも当てはまるね。そうキズカ(chizuka69)といえば、妖術のだ。ジネ(jine70)といえば妖術の霊だ。ペンバ人といえば妖術の霊だ。そしてお前に惚れる、身体のペンバ人もいる。そいつこそ、お前が富を手に入れるようにしてくれる憑依霊だ。お前の農地に着けば、そいつは耕してくれる。そんな具合で、そいつが身体の憑依霊だとわかるんだ。でも妖術のやつ(ペンバ人)もいる。」 ドゥルマ語テキスト (DB 233-234)

単に「除去の」と「身体の」を憑依霊の類別原理だと思っていた私が間違っていたわけで、それは個別の憑依霊がもちうる属性(そのいずれであるかに応じて対処方法が異なるという)の話だった。身体の憑依霊であっても、もし女性に憑いてその子供を殺すような場合は、除霊の対象となるということである。

身体の憑依霊で除霊の対象となる霊たち

たとえば通常のンゴマ/カヤンバで交渉可能な霊でもある、人を食べ、その血を吸う怪物ゴジャマ30は、若い既婚女性に憑くと問題であり、除去の対象となるかもしれない。上記のベニィロ氏は、それを次のように語る。 「そしてゴジャマがいる。同じく憑依霊だ。そう、子供が育たない。女性が妊娠しても、早流産(ku-lavya)のみ、早流産ばかりさ。ゴジャマのせいだと判明すると、必要なのはヒツジ(ng'onzi)だ。ンゴマを打って(ンゴマ/カヤンバを開催して)、雄ヒツジ(t'urume)(仔ヒツジ)がそいつのためにとって置かれる。成獣になるまでね。さて、除霊する(「閉め出す(kusindikwa)」)なら、除霊する。(そのヒツジの)毛で(問題の症状は)解除される(ku-taphulwa71)。その毛を使って(女性の)胸のところにつける護符(pingu)を縫ってあげる。彼女に、ヒツジの尻尾を食べさせる。それが解除さ。それと「薬(mihaso6)」。(その尻尾は)薬と一緒に煮るのさ。」 ドゥルマ語テキスト (DB 232)

普通に(?)宿主が気に入ってやってきて、宿主を通していろいろな要求をかなえてもらいたがっている「身体の霊(nyama wa mwirini)」でありながら、それが加える危害、とりわけ女性に憑いて、その子供を殺してしまうという形での危害がある者には、除霊という選択肢が生じうるということである。 こうした憑依霊には、ゴジャマ以外にも、イスラム系のスディアニ導師(mwalimu sudiani9)、ときにその別名であるともされる、似た振る舞いをするペポ・ムルメ(p'ep'omulume8)、カドゥメ(kadume27)、ツォヴャ(tsovya35)など、同じくイスラム系のジキリマイティ(zikiri maiti72、母親に憑いて、その幼い子供を捕らえる(発熱、嘔吐、下痢、泣き止まない)ドゥングマレ(dungumale31)、人食い民族とされる憑依霊マウィヤ人(mawiya28)や憑依霊マコンデ人(makonde29)、死に執着するムァハンガ(mwahanga73)などがいる。結構いますね。

イスラム系のジネたち

一方、ジネ(jine4)と呼ばれる一群のイスラム系の霊は、基本的に「除去」よりの霊たちである。ドゥルマで流通している話によると、ジネは海岸部のイスラムの妖術使いによって送りつけられる憑依霊である。なんでもコーランの章句を紙に描いて唱えごととともに投げ上げるとそれはジネに変化し、彼の命令に従って犠牲者を攻撃するというのだ。他にもターゲットとなる者が通る道の分かれ目などに「埋設薬(fingo5)」を埋めて、通りかかったターゲットを襲うよう命令しておく、など妖術使いのみが知るいろいろな方法があるらしい。治療も、私が全くと言ってよいほどカヴァーできていないイスラム系の抗妖術の施術だ。

ジネは屋敷の所有者が自分の屋敷を守るために、施術師を雇って「埋設薬」として設置されることもある(浜本 2014: Chap.5-2)。定期的に鶏などの供犠をせねばならないが、それを怠ると、血を求めて逆に屋敷の人びとを襲い始めると言われる。この場合は、その埋設薬を「引き抜く(ku-ng'ola)」という危険な施術を専門とする抗妖術の施術師が求められることになる。「引き抜き」は、妖術使いが攻撃目的で犠牲者の屋敷などに仕掛けた「埋設薬」の探索と除去のためにも求められる施術である(浜本 2014: 431-435)。

ジネの多くが妖術によって生み出されたものであるとしても、いったんジネとなったものは、今度は自分の意志で特定の犠牲者に惚れてとり憑いてくるかもしれない。相変わらず危険な霊ではあるが、他の身体の霊と同様に、憑依霊の施術師によって交渉・取引の可能な存在になる場合もある。上のベニィロ氏の憑依霊ペンバ人の説明にも見られるように、こうなるとジネと他の身体の憑依霊たちとの区別は曖昧になる。ジネが宿主の命すら脅かすようになると、これは除霊するしかなく、イスラム系の施術が必要になる。こちらの施術についてもも私はほとんどカヴァーできていない。

ニューニ、あるいは「上の霊」たち

別項で紹介するように、主として乳幼児を襲って、ひきつけ、その他の症状を引き起こすニューニ23、または「上の霊(nyama wa dzulu22)」と呼ばれる霊たちのグループがある。ニューニとはキツツキの一種で、歩いているときにその鳴き声がどちらから聞こえるかで旅先の運不運がわかるという予兆の鳥で、「ニューニを試す ku-heza nyuni」という言い回しは、吉凶の占い一般を指すイディオムになっている。しかしニューニという言葉は「忌み言葉(dzina ra siri)」であり、乳幼児がいる場ではみだりに口にしてはならない。それを口にすると、その子供がニューニにとり憑かれるかもしれないからである。この理由から、ニューニと言うかわりに婉曲表現で「上の動物/霊(nyama wa dzulu)」という言い方が用いられるのだという。

「上の霊」が乳幼児に引き起こす病気は、多岐にわたるが、「口から泡を吹く」「手足を引きつらせる(痙攣させる)」「ひよめきが『開き』、横腹がぺこぺこするような呼吸」「咳」「泣き止まない」などで放置するとそのまま死んでしまうのだとされる。ムウェー(mwee、別名ニャグ(nyagu))、キルイ(chilui、別名ズニ(dzuni))、ズカ(zuka)などが主だった霊である。ムウェーは鷲や鷹などの猛禽類、キルイは水辺に済む長い嘴と長い脚をもつ鳥といった説明もされるが、おや、実在の鳥なのかと思ったら、いずれも脚の太さがバオバブの木くらいあって、シマウマやゾウも捕らえて舞い上がるなどというので、これは完全に想像上の鳥である。

これらが引き起こす、上述の病気を治療するのがニューニの施術師たちで一つか二つのニューニのみ治療できるものから、10種類以上のニューニを治療できると豪語する者まで、さまざまである。これらの施術は購入によって手に入れることができるので、自らが霊に憑依されていないとなれない憑依霊の施術師とは、まったく別のカテゴリーの施術師であることになる(なかにはゴジャマやムドエもニューニに数えて自分のレパートリとして語る施術師もいる)。すでに述べたように、ニューニのあるものは子供ではなくその母親に憑依することもあり、その女性が産む子供をすべて殺してしまう。おまけにムウェー、キルイ、ズカのどれもが、しばしば母親の方にとり憑いているのだ。ドゥルマで除霊と言えば、たいていはこいつらの除霊だと言ってもよいほど。

霊の分類の曖昧さ

除霊が必要となるかもしれない霊をとりあえず3つに分類しておいたが、この区別はしばしば曖昧である。たとえば女性の産む子供を片端から殺してしまうツォヴャは、最終的には除霊されねばならないが、施術師の間でも、それをニューニの一種とする人もいれば、イスラム系の身体の霊とする人もいれば、ジネの仲間としている人もいる。

ある施術師によるイスラム系の身体の霊たちに対する唱えごと(スワヒリ語でなされている)のなかでは、あまりにも見事に混在しているので、このような区別はどうでも良いという気になる。「導師たちとはどなたの一族でしょう?ロハニご自身、メッカのスディアニ、メッカを巡礼する者がいらっしゃる。ゴジャマ導師、ジネ・ツィンバ、スルタン・ムァンガ。マスカットのロハニご自身。あなたツォヴャの一族、ムァンガの一族もいらっしゃる。あなたジャンバ、偉大なるヘビ、サンゴ礁に御座す方々。そしてあなたジャバレ王、天空に御座すお方もいらっしゃる。あなたヴヴのペンバ人、チャツのペンバ人、浮き付き丸木舟のペンバ人、タコノキのペンバ人もいらっしゃる...」(DB 2865)

除霊(kukokomola)

除霊の基本パタン

除霊のやり方は、イスラム系のジネの除霊を別とすると、ニューニであれ身体の霊であれ、基本は同じであるように見える。もちろん細部においては施術師ごとに違いはあるが、次のような手順を踏む。

  1. 小屋の中、あるいは小屋の前庭(muhala)で患者を囲んでンゴマ(太鼓、カヤンバなど)で霊(nyama52)の歌を演奏。供犠用の動物(憑依霊ごとに異なる鶏、ヤギ、ヒツジなど)、その他の事物(泥人形など)、薬液(vuo)が用意されている。除霊の施術師の他に、患者に身体の霊が複数いる場合には憑依霊の施術師も必要。除霊の施術師の弟子たちと楽器(太鼓、カヤンバ)演奏者。

  2. 患者は憑依状態になる(golomokpwa74)と、突然走り出す。その後を施術師と弟子、演奏者たちが追う。患者は、たとえばバオバブの木、土の小丘、道の分かれ目、その他の場所へ着くと、意識を失って倒れる。

  3. その場で用意されていた供犠動物が殺され、カップにその血をとって「薬(muhaso6)」、蜂蜜などと混ぜて飲ませる。施術師は自分のもつ「薬」の瓢箪で唱えごと。

  4. 霊(nyama)は死んで二度と戻ってくることはない(kakuna mutu afaye akauya)と宣言され、患者に薬液が振りまかれる。施術師は患者を立ち上がらせ(その際に患者を背負ってストレッチさせたり、頭部をねじったり、背中を叩いたりして)患者を正気にもどし、ゆっくり小屋(あるいは前庭)まで連れ戻す。

  5. 複数の霊が除霊対象になっている場合、各霊について同じ手順が繰り返される。 (以上、1987年のフィールドノートより)

私は実際の除霊は2回しか見ていないが、なぜムウェレ(muwele76、「患者」という訳語はいささか不適切だが)が、こんな筋書き通りの行動をちゃんととるのかは、いつも不思議に思っていた。しかし施術師によっては、もっと無理筋なシナリオで除霊をやる者がいるらしい。

カタナ君の実母エッガさんは、カタナ君のお父さんと別れた後、ディゴ地域の男と再婚したが、彼(1987年にはすでに故人だったが)は地域でも高名な妖術に対処する施術師だった。彼の除霊の方法は、随分違ったものだったと彼女が詳しく、生き生きと語ってくれたのだが、アホな私は録音機材を携帯していなかったので、フィールドメモだけでしか再現できない(1987年7月1日のフィールドノートより。忠実な転記ではなく、必要な箇所は日本語を補ったもの)。それによるとそのやり方は、

  1. 患者(muwele)の毛髪を剃り、「薬(muhaso)」を頭に十字を描くように塗る。背中にも塗る。

    こんな感じだそうです

  2. 太鼓(カヤンバも)などは用いない。

  3. 雄鶏(これは当然憑依霊ごとに違った供犠動物に読み替えるべき)を殺し血をコップに入れる。それに蜂蜜(nyuchi)と瓢箪のなかの「薬(muhaso wa ndongani)」、それにムァディガ(mwadiga81)の葉を加えたものを、患者に飲ませる。このとき患者はまだ憑依に入っては(golomokpwa)いない。

  4. 施術師は患者と背中合せに座り唱えごと(makokoteri)。以後、二度と患者を見ない。

  5. 唱えごと「さあ、さあ、さあ、行ったら戻るな、投げ棄てたら戻るな。絡み合うな、絡み合うな、旅なのだ。(ここまでを何度も繰り返す)さあ、ゴジャマよ(ここにはゴジャマ(gojama30)、マジム(mazimu68)など除霊対象の名前が来る)絡み合うな、絡み合うな。」(Haya haya haya...kpwenda na kuya, kutsupha na kuuya. Utsilingana lingane. Kpwa safari.(以上反復)Haya gojama, mazimu...(各霊の名前を挙げる)utsilinganalingane.)

  6. 患者は立上がり、太鼓がないのに踊り出し、自ら歌い出す。「コブラヘビがいる。施術師の杖を突き刺す(kuna mafira nyoka wadunga muroi)」と歌う。

  7. 患者は前庭をしばらく動き回り、突然走り出す。しばらく走って意識を失って倒れる。

  8. 施術師の弟子の一人が患者の後を追っていき、どこで倒れるかを見届ける。患者の倒れた場所には近付かない。霊にとりつかれる危険があるため。

  9. 患者はしばらくして自分で起き上がり、屋敷に走り帰って、自分でもとの席に座る。

  10. 施術師は立ちあがり瓢箪(ndonga)と(3.)で作った液の入ったコップをもって患者が意識を失って倒れたブッシュにいき、コップの中のものを埋める。こうして憑依霊をそこに釘付け(ku-k'ota36)にする。

  11. 施術師は戻ってくると患者に背を向けたままでヤシ酒を飲む。

  12. (3.)~(11.)までが除霊対象の霊それぞれについて繰り返される。

  13. 除霊終了後、施術師は憑依霊の絵を紙に描いてそれを折り込んだ護符(pingu)を作って患者に与える。 (DB 2411-2412 一部字句修正・補完)

エッガさんの回想譚である点を割り引く必要があるが、打楽器も歌もなしで(歌は憑依状態の患者が歌うのみ。歌詞、なんで知っとんねん)憑依状態が作り出されるとか、ありえないと思う。もしかしたら素面時に飲まされたものに配合されているムァディガ81という毒草のせいか。しらんけど。

最後の事例コーナーで詳しく紹介する除霊の事例は、ほぼ上記の基本手順でおこなわれたものである。

ジネの治療と除霊

すでに述べたように、私はイスラム系の霊、とりわけジネをめぐる治療や除霊については詳しく調査していないし、実地に経験もしていない。ディゴ地域のイスラム系の施術師たちや、さらには海岸部のスワヒリの施術師たちにまで手が回らなかったのである。まあ、さぼっていたわけだが。

私自身の経験が薄いぶん、私の永年にわたるドゥルマでの調査パートナー、カタナ君自身の経験を紹介しておきたい。

セカンダリ・スクールを終え、成人教育の学校の教師として働き始めたばかりの1980年の10月、カタナ君は突然の原因不明の病気に襲われ生死の境をさまよった。キナンゴの病院にも3週間入院したが、症状は改善されなかった。めまいと動悸、激しい頭痛、立ち上がることも、手を伸ばして自分で食事を摂ることもできず、寝台に横たわったまま尿も垂れ流す状態。占いではジネとりわけジネ・マカタ(jine makata82)のせいだとされ、「霊を見るカヤンバ」でも「薬の憑依霊(nyama wa muhaso)」であることが確認された。というわけで、彼はジネに対する治療を2度にわたって受けることになった。

一度目はタンザニアとの国境の町ルンガルンガ近くのディゴ人のイスラム施術師による治療だった。白い雄鶏が必要とされた。

「キヴォ(chivo: ココナッツの核を半分に割った容器)に入った薬(muhaso)を全身に塗られた。床にはヤシの葉で編んだマット(kuchi)が敷いてあり、白い布を被せた木製の箱(sanduku)が置いてあった。そこに座るよう言われた。自分を取り囲んだ周りの人々が手を打ちながら歌い始めた。その呪医はコーランの朗読を始めた。すると次第に身体が勝手に前後に揺れ始め、自分では止められなくなった。『お前は誰だ』という呪医の問に、私の喉から勝手に『私はジネ・マカタだ。私はこいつを殺すために送りつけられた』という声が立ちのぼった。呪医はスワヒリ語で『この者を殺してはならない。ごちそう(karamu)がほしいなら、お前に与えよう。』と告げた。用意した白い雄鶏の首が切られ、コップにその血が注がれ、それを飲むように言われた。その後呪医は唱えごとをした。 その後、ジネが嫌いなロバの糞を入れた護符(hirizi[^hirizi])を与えられた。ちょっと良くなったような気がして、マングダ(地名)にある祖父の屋敷に帰ったが、実はなんの効果もなかった。一週間ほど経って、まだ相変わらずだとわかり、別の妖術の呪医が呼びにやられた。」(DB 2093-2094、一部字句修正)

ここでは、ジネに対するこの対処法は、通常の「身体の憑依霊」に対する対処法と似たものである。「妖術によって送りつけられた」ジネでも、取引・交渉が可能である相手として扱われている。しかし護符は、身体の憑依霊にとってのさまざまな護符14とは異なり、日本で言うところの「魔除け」的な働きをする護符に見える。身体の憑依霊にとっての護符は、それぞれの憑依霊が好むもので作られ、憑依霊たちがやって来たときに、宿主の身体に座る代わりに腰を下ろす「椅子」だとされているのに対し、ジネに対する護符(hirizi)にはジネが嫌う物が縫い込められる。ジネを寄せ付けないという目的がうかがわれる。

その後もさまざまな治療が試みられたが、時間とともに彼の症状は悪化し、息づかいが激しくなり、睡眠も満足にとれなくなった。母が占いに行った結果、4人のジネが身体のなかにいることがわかり、イスラム系の呪医による除霊を行うことになった。除霊には、ハルワ(halua83)、干しデーツ(tende ナツメヤシの実)、バナナ、焼き菓子などのほか、赤い(茶色の)ヤギが必要とされた。ヤギは彼の祖母によって提供された。

「これらの準備が整う間に、呪医は護符(hirizi)を作成し、また寝るときには布を頭から被り、コーランを頭の下に置けばよいと言った。しかし睡眠は戻ってこなかった。 (除霊の当日)再びヤシの葉で編んだマット(kuchi)の上に置かれた木箱(sanduku)に座らされた。大皿(chano)の上に(用意しておいたハルワその他の)さまざまな食べ物が並べられ、周りで人々は手拍子で歌を歌った。やがてカタナは憑依状態になり(golomokpwa)、激しく前後に揺れた末に、突然大皿に手をのばし、その食べ物の一つをとると一口食べた。食べるやいなや意識を失い倒れた。人々によるとその後呪医自身も憑依状態に入り、除霊(kukokomola)は順調に終わったということだ。カタナは再び座らされ、唱えごとをしてもらい、すべては終了した。呪医は「大皿(chano)を食べたからにはもう治った」と告げた。 しかし一週間たっても症状の改善は見られなかった。」(DB 2095、一部字句修正)

このイスラム風(?)の除霊では、太鼓やカヤンバなどの楽器は用いられていないが、歌と手拍子で憑依が促され、大皿の食べ物を食べて意識を失うことで、憑依霊が締め出されたことになっているようだ。憑依状態の患者が、突然走り出し、然るべき場所で意識を失って倒れるというドゥルマ風(?)除霊に共通に見られる、もっともらしいシーケンスはここでは見られない。明らかに別系統の施術であることがわかる。

カリンボさんもジネの除霊についてほぼ同様な説明をしている。(以下はフィールドノートより)

「chano: jine の kukokomola1 に用いられる広い皿(盆)。 その上に jine の chiryangona84を並べる。もし muwele76 が golomokpwa74 し、その皿の上に並べられた食物のどれかを口にすると(あるいはそれに触れただけで)muwele は倒れる。そして霊はすでに去っている。 muwele は jogolo85 dzeruphe86 を屠殺した血と、nyuchi87, mihaso6 を混ぜた物を飲ませられる。」(DB 2414)

事例

  1. バハティの除霊のカヤンバ

参考文献

浜本満. 『信念の呪縛: ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』 九州大学出版会, 2014年.

注釈


1 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini2」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa324と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume8)、カドゥメ(kadume27)、マウィヤ人(Mwawiya28)、ドゥングマレ(dungumale31)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga32)、トゥヌシ(tunusi33)、ツォビャ(tsovya35)、ゴジャマ(gojama30)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu22」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」23)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
2 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola1)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
3 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola1)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち4)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba7)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu22)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni23)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini2)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
4 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo5)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
5 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso6)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine4)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
6 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。
7 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume8)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani9)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
8 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola1)もありうる。
9 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」10による鍋(nyungu17)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe21)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu16)。
10 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術11においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba12)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande13)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu17)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
11 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
12 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
13 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符14。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
14 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata15)、パンデ(pande13)、ピング(pingu16)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
15 ンガタ(ngata)。護符14の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
16 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符14の一種。
17 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza18、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
18 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya19)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu17)とセットで設置される。
19 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo20)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza18)と呼ばれるが)。
20 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
21 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
22 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ23)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola1)の対象となる。
23 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu22」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
24 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」25など)を行うことなどを意味する。
25 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ26などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
26 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ25」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
27 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
28 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde29)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama30)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
29 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
30 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola1)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
31 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola1の対象になる)24。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
32 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
33 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine4)の一種という説と、ニューニ(nyuni23)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ34らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola1)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
34 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
35 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ23の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola1)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa24」。see p'ep'o mulume8, kadume27
36 ク・コタ(ku-k'ota)。(強い力を加えて)何かを「詰め込む、押し込む、打ち込む」などの動作を指す動詞。比喩的に何かを固定する、動かなくする。妖術の一種で"ku-k'ota muche"というと、妻が去ることができないようにする妖術。妻の足跡の土と腰を下ろしたところの土を取り、「薬muhaso」と混ぜ炉石の灰の下に置くと、彼女にどんな仕打ちをしても、彼女は夫の元を去ることができないという。
37 ク・シンディカ(ku-sindika)。「(扉などを)閉める」という意味の動詞だが、ときに憑依霊を「除霊する」という意味でも用いられる。ku-kokomola1、ku-chomowa、ku-usa nyamaなどと同意味。これらの使い分けについてはku-kokomola1の項を参照のこと。
38 チャリ・ワ・マラウ(Chari wa Malau)。憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba39)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)40」とドゥルマ人(muduruma44)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri50)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza51)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。私が最も親しくしていた女性施術師のひとり。
39 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」21、香料12と海岸部の草木10の鍋17。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
40 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師41。内陸bara系42であると同時に海岸pwani系7であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」43)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
41 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia40)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
42 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
43 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia40)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
44 ムドゥルマ(muduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性45)、カシディ(kasidi 女性46)、ディゴゼー(digozee 男性老人47)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
45 憑依霊ドゥルマ人(muduruma44)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
46 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma44)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
47 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo48)マンダーノ(mandano49)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
48 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
49 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
50 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza51と呼ばれる手続きもある。
51 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri50)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ15を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
52 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o53)、シェターニ(shetani54スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini2)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa3)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola1)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani55)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba7)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara56)」の2つに分ける区別もある。
53 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani54もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞52)という言葉が最も一般的に用いられる。
54 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
55 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba7)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
56 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
57 ク・グヮヴキラ(ku-gbwavukira)。「不意をつく、不意に襲う、驚かせる」を意味する動詞。憑依霊が突然、人にとり憑くさまを表すのにも用いられる(「突然捕まえる」=ku-gbwira gafulaに同じ)。憑依霊が「とり憑く」ことを指す動詞には、他にも、スワヒリ語のク・パガア(ku-pagaa)がある。とり憑くさまを表すドゥルマ語の最も一般的な表現としては「惚れる」を意味するク・ツヌカ(ku-tsunuka)58がある。
58 ク・ツヌカ(ku-tsunuka)。憑依霊が人にとり憑くのは、つねに憑依霊側に主導権がある。霊と偶然遭遇してしまう経験もまれにあるが、これも含め、霊が突然相手を気に入り、「惚れて」とり憑くのである。これを表現する動詞が ku-tsunuka で「惚れる、好意をもつ、目をつける」の意で、この意味で最も広く用いられる動詞。他に ku-gbwira「捕らえる」、ku-pagaa(スワヒリ語)「とり憑く」も用いられる。
59 ムキリマ(muchirima)。憑依霊の一種。昔からいる古くから知られている憑依霊。施術師によって意見は分かれるが、憑依霊ペンバ人(mupemba39)の別名とも、ムァムニィカ(mwamunyika60)=ムルングの別名とも言われる。しかし要求する布は「赤い布」でムルングの布とは異なる。ムキリマ(muchirima)はまた大型太鼓の一種の名前でもある。
60 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ61。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
61 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps
62 ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)。ンゴンベ(ng'ombe)は「ウシ」。イスラム系憑依霊jine(fr.(ス)jini,(英)genie,(ア)jinn)の一種。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴だが、ウシが首を切られるように血を奪われる。症状は吐血、喀血など。ウシを屠殺してその血を飲むことによって治療。
63 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
64 ニャマ・ワ・ウツァイ(nyama wa utsai)。ニャマ・ワ・ムハソ(nyama wa muhaso65)に同じ。除霊(kukokomola1)の対象になる「除去の霊(nyama wa kuusa3)の中には、妖術使いによって作り出され、犠牲者を攻撃するよう命じられたり、犠牲者を襲うよう罠として仕掛けられたりする霊がある。ジネ4の多くがそれにあたる。
65 ニャマ・ワ・ムハソ(nyama wa muhaso)。除霊(kukokomola1)の対象となる「除去の霊(nyama wa kuusa3)」のなかでもジネ4のように妖術使いが使役して攻撃対象に送りつける霊については、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」という言い方で語られることがある。
66 憑依霊によっては、宿主に自分のためのしかじかの動物を飼うように要求する霊がいる。憑依霊ドエ人(mudoe67)の黒犬、憑依霊サンバラ人の赤犬、ペンバ人の雌ヒツジなど。売ることも、食べるために殺すこともできないで、ずっと飼われている。憑依霊はンゴマの席上でその動物の血を所望することもある。
67 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水に変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
68 ジム(zimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
69 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
70 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ4もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
71 クタブラ(ku-taphula)。「初物を食べる」「課せられていた禁止を解く」「呪詛(キラボchirapho)を解除する」などの意味を持つ動詞。
72 ジキリ・マイティ(zikiri maiti)。マイティ(maiti)は「死体、遺体」。イスラム系憑依霊zikiriの一種。憑依霊「死体」lufuと同じとも。白い布(死者の埋葬に用いるsandaのような),白い雄鶏あるいは山羊。この霊に憑かれると患者は意識を失ったままである。一般に憑依霊は死体を嫌うが、とりわけzikiri maitiはそう。埋葬、服喪などから戻ると水とローズウォーターを浴びなければならない。kukokomolaの対象だという人もいる。
73 ムァハンガ(mwahanga)。憑依霊「ハンガの人」。ハンガ(hanga)とは死者の埋葬の後に行われる服喪のこと。ムァハンガはムセゴ(musego)という別名ももつが、ムセゴ(musego)とは埋葬時、およびその直後の「生のハンガhanga itsi」で歌い踊られる卑猥な歌詞の歌。ムァハンガに取り憑かれた者は、平時においてもムセゴを歌ったり、義理の両親(mutsedza)や長老の前でも猥褻な言葉を口走ったりする。女性の産む子供を殺すので、しばしば除霊(kukokomola1)の対象にもなる。バナナの茎(mugomba)を芯にして泥で人形を作り、それを用いて除霊する。また白い雄鶏を屠殺し、その血を患者に飲ませる。泥を掘り出した盛り土にはこの人形に合う墓を作っておく。人形は死体のように白い布に包まれて患者の脚の上に置かれ、カヤンバが打たれる。除霊の後、泥人形はその墓に埋葬される。
74 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka75)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
75 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
76 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)77であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
77 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba78)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)79や母(女性施術師の場合)80ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
78 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
79 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」77を参照されたい。
80 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」77を参照されたい。
81 ムァディガ(mwadiga)。「アデニウム・オベスム、砂漠のバラ」。樹液には毒性成分が含まれている。wikipediaの記述
82 ジネ・マカタ(jine makata)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。他のジネ同様に、人を襲って血を奪うが、ジネ・マカタの場合はハサミ(makasi(ス))を用いて血を奪うのだという。
83 ハルワ(halua)。小麦粉、でんぷん、ギー、砂糖から作られた甘くて柔らかいスナック
84 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
85 ジョゴロ(jogolo)。雄鶏
86 ドゥルマの色彩名称。形容詞:「白い」 -eruphe; 「黒い」-iru; 「赤い」-a kundu(茶色も含む); 「青い、緑の」 -chitsi(chanachitsi)。鶏を例にすると、k'uk'u mweruphe「白い鶏」jogolo dzeluphe「白い雄鶏」、k'uk'u mwiru「黒い鶏」jogolo dziru「黒い雄鶏」、k'uk'u wa kundu「赤い(褐色の)鶏」jogolo ra kundu「赤い雄鶏」などとなる。
87 ニュキ(nyuchi)。「ミツバチ」「ハチミツ」。高い木の枝にムヮト(mwat'o, pl. miat'o)と呼ばれる両端を塞いで一箇所穴をあけた木製の筒状容器を仕掛けて、巣箱とし蜂蜜を採集する。シェラやライカ、デナ、世界導師、憑依霊ディゴ人や女性の憑依霊ドゥルマ人(カシディ)などの瓢箪子供には「血」として蜂蜜を入れる。