妻の月経不順と不妊の占い

目次

  1. 概要

  2. 占いの日本語訳

  3. 考察・コメント

    1. 憑依霊の施術師と占い

    2. 占いはなぜ当たる

    3. 占いにおける診断の流れ

    4. おわりに

  4. 注釈

概要

(from diary 1989/12/18 (Mon) kpwaluka)1

朝8時にチャリのところでmburugaの録音。チャリとタブが作ったチャパティをご馳走になる。その後、キナンゴへ...

クライアントは40代くらいの男性。妻の不調についての占い。原因は憑依霊とされ(ムルング、ライカ、シェラ、憑依霊ドゥルマ人)、出産祈願の瓢箪子供についての指示、ライカのキザ(chiza2)その他の治療の指示を受ける。さらに、この治療が終わった後ということでイスラム系の霊(とりわけ夫妻のそれぞれがもっているスディアニ導師によるトラブル)に対する治療も指示される。妻の不調についてはチャリは、一貫して憑依霊についてのみ語り、妖術の話は排除していたが、その後、一転して屋敷の人々の人間関係に目を向け、屋敷の人々を仲違いさせ、屋敷を経済的にも破綻に導いたとして妖術フュラモヨの存在をあげ、その治療が指示される。

占いの日本語訳

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以下、Cl=クライアントの男性、Mm=Chari, muganga wa mburuga、M=Murina、H=浜本

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Mm: ところで彼(カタナ君)の父の姉妹のところには、あなたたち行くの? H: いいえ。そもそも彼も行ってないんです(アポイントメントをとるために)。 M: 彼が行かなかったってことは、まだ準備ができてないってことさ。 (占い開始) Mm: さて、まずは祖霊にクハツァ(kuhatsa6)しましょう。さあ、ご傾聴くださいと申しましょう14 Cl: ムルングの。 Mm: さあ、祖霊に祈りましょうね、今。私はキマコ(chimako15)に驚いています。そしてそのキマコは悪いわ...(聞き取れない) Cl: タイレ14 Mm: 炉16よ、あなたご存知よね? Cl: 炉は知ってますよ。女性のことです。

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Mm: 病人は5じゃないわ。ねえ、病人は炉なのよ。 Cl: わかってますってば。 Mm: さらに炉にも二種類あるの。言葉をしゃべる炉もあります。そして背中に負われている小さな炉もあります。私には、言葉をしゃべる炉そのものが与えられたわ。 Cl: タイレ。 (占い歌 nasirima mimi..) Mm: ご傾聴ください。 Cl: ムルングの。 Mm: うまく歩けない人、身体の不調を訴える人ね。 Cl: タイレ。 Mm: さらにこの頭痛、あなたに話してる? Cl: 話してくれたことがあります。でもかなり前です。

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Mm: この目眩については? Cl: 言ってました。 Mm: 以前って、なに、今は彼女、家にいないの? Cl: いますよ。私の妻なんですよ。 Mm: この腹のことは、彼女言ってた?私には見えるんだけど? Cl: それこそが、私を立ち上がらせて、ここまで来させたものです。 Mm: この腹こそがあなたを家から出てこさせたものなのね? Cl: それ以外の何物もありません。 Mm: でもその「それ以外のもの」もお腹の中、身体の中にあるわよ。 Cl: そのあなたがおっしゃった別の場所っていうのは... Mm: 頭の中がそうでしょ、あなた。それと目眩もあるでしょ。さらに胸も、彼女語ってない? Cl: それはタイレです。

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Mm: 胸のところが重苦しい。そして背中の真ん中あたり、石を置かれたように(重苦しい)わ、あなた。さらにこの寒け、ときには... Cl: そう、そうなんですよ。その石と、その腹... Mm: 両脇、肋骨がときに押しつぶされる。 Cl: まさにそうなんですよ。 Mm: でも腹がとりわけ病気だわ。 Cl: それこそ私をここにもたらしたものです。 Mm: 腹は空っぽね。中に人(胎児)はいない。 Cl: 私の見るところ、なにもないです。 Mm: なのに中で何かが動き回っている。

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Cl: その動き回っているものをよく見てくださいな。それが人なのか、物なのか。見えるんでしょう? Mm: 病気よ。腹が切られるよう(に痛い)ってこと、奥さんはあなたに言った? Cl: 言ってました。 Mm: 腹が(なにかで)一杯になっている18感じ。 Cl: 便秘19ってことでは、便秘してます。 Mm: 便秘、一杯になっているということはそういうこと。 Cl: まさにそのとおりですね。 Mm: そしてこの両の腎臓のあたりが重苦しいのよ、あなた。何かに噛み潰されている20のよ、あなた。 Cl: タイレです。 Mm: この下腹部21も。噛み潰されている。 Cl: まさに、そのとおりです。 Mm: 重苦しい。もし違っていたら、違うと言ってちょうだい。間違いだと。

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Cl: 私は否定の仕方なら知ってますよ。でも、あなた、私はタイレだと申しているのです。 Mm: 下腹部が重苦しいわ。そしてここと、このあたり、針で刺されるような痛み。感じているかしら。これから別のことも言いたいんだけど、あなたは私に分別がない(人前では口にできないことを口にする)って言うでしょうね。 Cl: ああ、言ってください。 Mm: でもね。 Cl: 私の見解はこうです。もう(あなたの指摘に)私はうなずいたじゃないですか。私が嘘をつくとでも?病気を隠したいと思っているとでも? Mm: まずね。(性器から)水が溢れてくるという、ちょっとした異常(kajama)22ね。 Cl: 今日もありました。 Mm: さらに掻きむしったりもする。 Cl: 挙げ句に、表皮が剥けてただれました。 Mm: 挙げ句に、表面がただれたのね。 Cl: 私は隠さずに申しました。

1159 (歌 nasirima mimi)

Cl: 病気は恥ではありません。病気は。 Mm: 掻きむしって、ただれ、ただれてるのね。ほんの少し歩いただけで、ね、すごくただれる、もう。 Cl: さあ、まさにこれじゃないですか。でもそれらからはときほどかれました、すっかり。 Mm: ただれは収まった。かと言って、すっかりなくなったわけじゃない。一時、退いただけね。 Cl: じゃあ、そこに行きましょう(詳しく見てください)。 Mm: さて、でも今は腹だわよ。ここ腰が断裂する。 Cl: タイレ。

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Mm: 腰が切り離される(みたいに痛い)、この腹部。さらに、例の女性の事柄(maneno ga chiche: ここでは月経のこと)、ときに順調に見える? Cl: あなたが調べてください。恥ずかしがらないで。病気です。ただ、お話しください。 (チャリ、占い歌を口笛で) Mm: それの日数が長引いてしまうこと、あなた見たことない? Cl: タイレ。 Mm: 終わったと思ったら、その後で、例のモノが戻って来る。 Cl: タイレ。 Mm: そしてお腹が痛い。刃物で斬られるように。ここのところが斬られる。腰が切り離される。両腰の腎臓のある辺りが、噛み砕かれる。 Cl: そのとおりです。 Mm: もう痛くて泣いているばかり。その挙げ句、月経(maada)が終わると、彼女、まるで真っ白(貧血で蒼白)に見えるでしょ?

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Cl: まさに、そのとおりです。 Mm: もう、病気がいっぱい、全部。ときに心臟が心配で破裂する。 Cl: タイレ。 Mm: ときどき、両腿の付け根がバラバラになる。果ては、両脚で踏みしめることも難しいほど。さらにこれらの脚のこと、彼女、それらが痛くなるってまだあなたに話していないかしら?脚が縦に裂き割られるみたいに? Cl: ああ、しょっちゅう聞いてます。 Mm: 両足が縦に裂き割られる。そして火がつく(熱く感じる)。ここ足の内側も、ときに火がつく。 Cl: タイレ。 Mm: そしてこの身体も、ときに燃える(火照る)。 Cl: タイレ。

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Mm: ねえ、病気は一つ所だけってことはないのよ、あなた。わかる?この病気は、一箇所だけじゃ済まないの。この腹部こそが、あなた方を驚かせたものでしょ。 Cl: 私自身も、とっても苦しんでるんですよ。それにあの水、あなたが見たあれですが、どうしても完全には去ってくれないんですよ。他の、あなたがこれから見ようとおっしゃる他の問題の方が、まだましだというくらいです。 Mm: (それらの問題は)終わってるのでは? Cl: それらの問題なら、そう私は取り除きました。それらは。 Mm: あなたそれらを注射で取り除いたの? Cl: わかりません。 Mm: なに、彼女病院にも行ったんでしょ。 Cl: ああ、一回だとでも?(何度も行きました) (チャリ、占い用のマラカス(chititi23)をひとしきり振る) Mm: あなた、簡単な仕事(字義通りには「小さい仕事」)で悩んでいるだけよ。 Cl: 簡単な仕事ですって?

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Mm: だって、病気だから。 Cl: あなたはそれが簡単な仕事だって言うんですか? Mm: この腹に、「人(mutu)」が入り込んでる、腹が唸るでしょ。 Cl: それはどういうことなんでしょう?その「人」、私はあなたにそいつを調べてくださいと申します。腹の中にいるその「人」、あなたがおっしゃるその「人」って、あなた、いったいどんな「人」なんですか。 Mm: さらに、この排便についてだけど、しばしば、ほんのちょっとでしょ。 Cl: 少なすぎます。 Mm: 腹は唸る、唸る。そう、この子宮(dzumbani24)のあたりで、あなた、ヴーッて(風が吹くような)音をたてている。 Cl: タイレ。 Mm: ときどき、ここ胸郭の胸骨の内側あたりに(mbavuni tsanga mumu25)入ってきた「人」、まるで内側からこんな風にこすってくる。そして息ができなくなる異常、ときどき彼女経験してるんじゃない?

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Cl: タイレ。 Mm: ときには、このお臍、ここが、そう拗られる、お臍が。ときにはそれ(「人」)は、ここ心臟をつかんで、ムカムカ(tsivu tsivu), まるで嘔吐しそうな感じで。どうでしょ?でも、そう、お腹よね。 Cl: タイレ。 Mm: お腹に火がつく。お腹が一杯になる。便秘そのもの。 Cl: そいつ、その「人」、その動き回っている「人」、そいつがときにしでかす奇妙なことがあります。そのことについてお聞きしたい。 Mm: さて、ときには、ここ陰部のあたりに、なにかがやって来てたかっているみたいな。 Cl: タイレ。 Mm: ときには、彼女はまるで軍隊アリの群れに噛まれたみたいに。 Cl: タイレ。

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Mm: ときにはトゲがジュウと刺しこまれる。 Cl: ああ、タイレ。ああ、あなたは私を仕留めました(私の聞きたかったことをすべて当てました)。 Mm: あなた、難しい仕事よ。 Cl: あなた簡単な仕事って言ったじゃないですか。私は言ったでしょう。問題が私を驚かせている(途方に暮れてさせている)とね、あなた。 Mm: おしっこもね、ときに燃えるようなのが出るでしょ、おしっこ。かと思うと、ときにひっきりなしに出る(頻尿)。挙げ句に、気がつかないうちに彼女、寝床のなかで排尿しちゃう。 Cl: タイレと言いいますよ、あなた。 Mm: かと思うと、出るのは少しで、色も変わっている。まるで黄疸のおしっこみたいな。もし私があなたに、彼女が膿を排尿すると言ったとしたら、私はあなたに嘘をつくことになります。でも膿のような水が出てくるわね。 Cl: 私もすでに見ています。その水についてあなたによく見て欲しい、だってその... Mm: その水ときたらね、膿みたいに白濁しているのが出てくるのよ。

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Cl: その水には異常があります。 Mm: ときにはね、まるで紐のようなものも混じっているの。まるで鼻水みたいなね。 Cl: タイレ。 Mm: そしてその水はおしりの方に流れていくの。 Cl: タイレ。病気ですよ。過ちではありません。 Mm: ねえ、腹は焼けるわ。 (チャリ、歌うnasirima mimi) Cl: 恥ではありません。話してください。病気は恥ではありません。 Mm: まずね、ときには身体が痒くなるでしょ。 Cl: タイレ。

1167 (チャリ、占い歌を歌うmwalimu jinjaの1バージョン)

私は憑依霊を扇ぎます、ジンジャ導師です 我が子ジンジャは癒やし手 ジンジャ導師がいます ジンジャ導師は癒やし手 私は海岸部にもいます、内陸部にもいます 私はここにいます、私本人、仕事をしましょう 我が子ジンジャは癒やし手 今日、蝿追いハタキをください、(妖術使いを)探し出しましょう (歌終わり) Mm: まずね、この下腹部、ときどきなかに痼り(kahe)があるでしょ。 Cl: タイレ

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Mm: そこがとっても固くなって、こんな風にすると、まるで痼りのよう。おまけに、ときどきそれは動いていく。 Cl: タイレ。 Mm: 本人が自分はモノ(chitu)を入れられたと言うこともある。ときには、なかにモノがあって、それが出てくる...(聞き取れない) Cl: タイレ。 Mm: もしかして彼女はまだあなたに言ってないかもしれないけど、そう、あなた... Cl: もう彼女から聞いています。私はあなたにすべてお話しますよ。もし彼女がまだ私に話してくれていないなら、私は言ったりしません。 Mm: ときには、痙攣もね。 Cl: タイレ Mm: この腹がぴくぴく痙攣する。ピクッ、ピクッ、ピクッ。ついには彼女本人が言うことには、私、本当になにかを入れられちゃったわって。

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Cl: タイレ。ピクッとするってだけじゃないですよ。痙攣のことだけ考えていたんです。でも、「ちょっとここをつかんでみて、よく感じて(字義通りには「耳を澄ませて」)」と言うんですよ。 Mm: つまり腹の中で、例のモノが息をしている、ってことでしょ。 Cl: タイレ。私はもしかしたらツァンゴ(tsango26)かと言ったほどです。 Mm: こんな風に、トゥ、トゥ、トゥってね。そのモノは、そんな風にしているかと思うと、やがて止まるのね。そしてあなたが手を除けると、手のなかにはなにもない。すると例のモノは火がつく(熱くなる)。 Cl: タイレ。 Mm: そして、ときどきそいつは脇腹(胸郭(mbavu25)の中に入ってくる。そいつ(ro dude27)は胸骨の内側25に入り込む。そして次に、ここ(心臟のあたりを指して)に腰を下ろす、このモノは。あなた、わかる? Cl: タイレ。

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Mm: それはたかってくる。彼女は、もうまるでアリ(adudu28)にたかられている人みたい。ときにはそれは熱い。最後にそのモノはこの子供が生まれてくる場所から、外に出てくる。 Cl: タイレ。 Mm: このトゲ。一箇所だけじゃないわ。だって病気なんだもの。でもここ水の問題が、とりわけ酷いわ、あなた。この水、この。 Cl: お母さん、思うに、この腹、水には全く空きがないんでは。それで彼女が病気になっているんです。 Mm: 出産経験もある歴とした女性なんだけどね。 Cl: 彼女には何人も子供がいます。 Mm: でも今は(ウシのように)追いたてられて、子供を産むのを止めようと考えるほどに、追いつめられてるのよ。 Cl: (腹は)すでに子供を産むのを止めていますよ。止めて欲しいとは言いますまい。でもすでに止まっているのです。だって現状は...

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Mm: とんでもない。彼女はまだ止まってないわ。 Cl: 止まってますよ。だって最後に(子供が)出てきてから、随分経ってます。 Mm: すでに随分経ったと。でも、対処されることが必要な場所が、依然としてあるのよ。 Cl: それはけっこうじゃないですか。さあ、それこそ私は探しているんですよ。 Mm: 腹の中が痒くなるという症状は? Cl: タイレ。そのとおりです。 Mm: あなた、もう後は彼女を苦しめているモノを、教えてあげるだけね。 Cl: さあ、彼女が何に苦しめられているのか、言ってください。 Mm: さてさて、あなた急ぎすぎよ。 Cl: ああ、あなたにお話しするのに疲れてしまいました。 Mm: 疲れないでよ。

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Cl: あなたは、小さいことだ(小さい仕事だ)とおっしゃったじゃないですか。私は、その小さなモノですでに苦しんでいるんだと考えます。私がそれを食べれば、それはすぐ静まりますよ。 Mm: ときに、彼女は血を洗い流してしまう(血を失ってしまう)。 Cl: タイレ。私に、この人には血がないと言わせるほどです。 Mm: でも血はあるよ。 Cl: まるでハアハアと息を切らしたようになることも、あります。 Mm: ときに、少し咳き込むのがみられるんじゃない? Cl: あります。でも長続きはしません。 Mm: 咳をして、挙げ句にえずく。ときに脇腹(肋骨)が押しつぶされる。 Cl: タイレ。 Mm: そして、睡眠のちょっとした癖(kajama ka kulala)はどう?ちっちゃな子供みたいに突然なにかにびっくりしたみたいに目を覚ます。そんなことはなかった? Cl: ああ、そもそも彼女の異常な癖ですよ。異常な。

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Mm: 夢と話をしているみたいな。ときには何かを食べているみたいに口をむしゃむしゃ。 Cl: ああ、私本人がその場にいるんですよ。見ていますとも。 Mm: 彼女には(解決すべき)いろんなことがあるわね、あなた。 Cl: ああ、あなたが見たものをすべて言ってください。もしもっと見たものがあるなら、言ってください。 Mm: 不安でいっぱい。ところで、あなた...(小声で聞き取れない)...。憑依霊(shetani)についてのことは全部、調えたの、最後まで。 Cl: やりました。でも最後までかどうか知りません。全部終わったかどうか、見てくださいよ。 Mm: 終わってはないわね。 Cl: 私はやりましたと申しましたが、すべて終わったとは言ってません。やりましたと言っただけです。 Mm: 瓢箪子供(mwana wa ndonga30)は彼女に与えたの? Cl: 瓢箪子供、彼女はまだ瓢箪子供は受けていません。

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Mm: まだ彼女に子供をあたえてないの? Cl: いいえ、まだです。そもそも... Mm: ところであなたは子供はほしいの? Cl: 私自身の子供ですか。 Mm: そうよ。 Cl: ああ、私が彼女を急かしたとして、いったい何になるでしょう。子供をもうけるまさにその場所が(病気に)捕らえられているんですから。そこが捕らえられているとすれば、私になにが出来ましょう? Mm: 彼女がどうであれ、彼女には可能よ。でも、今はそんな具合。憑依霊ドゥルマ人42の鍋5はまだ据えていないのかしら? Cl: ああ、それなら、私はまだ鍋を据えたことはありません。まだ(そうしろと)言われたこともなかったのです。

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Cl: こうしなさい、ああしなさいと言われたら、私は言われたとおりにいたします。あるときなど、(占いに)見てもらい指示されて、そのとおりにして、太陽があれくらいの時(朝8時くらい)、妻の様子を見ると、もう完全に健康。人も、この女性は健康そのものだと言うほど。 Mm: ああ、彼女のこの病気はね、...そもそも、朝あなたが出かけるときには、彼女は健康そのもので、あなたが帰宅すると、病気の彼女をみることになる。 Cl: そう、まさにそんな感じです。 Mm: 逆に、朝、別れるときには重病人そのもの、でも帰宅してみると、しっかり目を開いている(元気そのもの)44 Cl: まさにそのとおり。 Mm: さて、私は、こんなふうには言うつもりはありません。「さあ、行って施術師をさがし、10000シリングの料金をおはらいなさい。何千シリング。彼女の重荷を下ろし(kuphula mizigo)102してあげるためにね。」あなたはンゴマを開き、重荷下ろしをする。なのに病気は相変わらずそのままでしょうね。

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Mm: 私はあなたにほんのちょっとした課題だけをあげるわ。それであなたはここに戻ってきて、私に握手を求めることになるわよ。まず、ムルング子神(mwanamulungu33)の鍋(nyungu5)を彼女に据えてあげてちょうだい。 Cl: ムルング子神の鍋。 Mm: それとムルング子神のキザ(chiza2)。 Cl: それとムルング子神のキザ。 Mm: わかった? それとシェラ50と憑依霊ディゴ人109の「戸外のキザ(chiza cha konze)」 Cl: シェラと憑依霊ディゴ人の。 Mm: それとライカ・ムズカ(laika muzuka59)本人の。奥さんが鍋の湯気を浴びて、終わったらこのキザ(ムルング子神の)を浴びるのよ。この(ムルング子神の)キザを浴びたら、まずは彼女はよくなるから。このキザを浴び終わったら、彼女はあっち(外)に行く。(搗き臼は)上手に模様を描いてある(灰の白、炭の黒とオーカーの赤で)。(赤、白、紺三色の)布切れをこんな風にね。ムコネの枝を2本こんな風に(搗き臼の上に)渡してね、カンエンガヤツリ草122をこんな風に差して、搗き臼に向かってこちら(北)を向いてね。とっても気にいるわよ。奥さん自身も。ここ(小屋の中)で鍋の湯気を浴びて、終わったらそちら(小屋のキザ)で浴びる。

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そちらが終わったら、彼女はあちら(外のキザ)に行く。それが済んだら、また小屋に戻って煎じ薬(muhaso)を飲む。鍋が終わるまで。7日間で終わります。さあ、中身は捨てて。さあ、憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きなさいね。 Cl: この彼女が湯気を浴びるのはムルング子神の鍋ということでしょうか。 Mm: ムルング子神のです。 Cl: で、あちらで浴びるのは。 Mm: 池(ziya3)はムルング子神の池です。あちらの方には、ライカ57・ムズカ59とシェラ(shera50)と憑依霊ディゴ人(mudigo109)いっしょのキザです。 Cl: あちらの外れのほうの? Mm: そう。さて、彼女が湯気を浴びて、終わったら、そちらで水浴び。そちらで水浴びして終わったら、あっちの方で水浴び。で、終わりよ。 Cl: 7日が終わるまで。 Mm: 7日が終わると、このドゥルマ人の鍋を(施術師が)設置に来ます。奥さんは良くなるわよ。

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Cl: 鍋を設置に来る。そしてタイレと? Mm: さらに、そんなふうに彼女が(ムルング子神の)鍋の湯気を浴びる際に、こちらに瓢箪(chirenje)、まだ口を開けていない瓢箪を。 Cl: うまく立たせておくのですか。 Mm: ここ、(ムルングの)キザのところによ。で唱え手に唱えてもらいます。「私は、この腹が小康を得ることを望みます」って。小康を得るってことは、治ることよ。腹が治るのを見ることは、腹に子供を見ることよ。その腹を見ても(妊娠がわかっても)、この子供(瓢箪)の口は穿ちません。それからは、寝台の脚のところ(gunguhi)に置いておかれます。その子供(瓢箪)にはこれ(占いに用いる瓢箪のマラカス(chititi))みたいに3連程度のビーズを巻いておくだけよ。それは寝台の脚のところに置いておかれます。この子は口を穿ちません、脚をもった(人間の)子供が生まれるのを見るまではね。そのときにこの子の口を穿って、彼女に二人の子供(生まれてきた人間の赤ん坊と瓢箪子供)を与えるのよ。この鍋の湯気を浴びて、このムルングの鍋が終わったら、施術師を連れてきて、彼(彼女)にこの子を寝台の脚のところに置いてもらいます。でもこの子を寝台の上に上げてはだめよ。

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Cl: 上にあげたらだめ? Mm: (施術師に)寝台の脚のところに、こんな風に置いてもらいます。この子はそこにずっといます。ときどき、見てあげます。それはそこにいます。奥さん本人も、ときどきその子を見てあげます。 Cl: ああ、自分でもその子を見るんだね。 Mm: ああ、そうそう。まずね黒い布(nguo nyiru=ムルングの布。実際には色は黒というよりも紺色)を手に入れて、その上に置いてあげる。石(このあたりにみられる平たい粘板岩)があれば、そこに置いてあげる。そこに座らせておく。以上よ。あなたは(奥さんの病気が治ったと言って)私に握手を求めに来るでしょうよ。それから憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きます。ドゥルマ人に鍋の湯気を浴びさせるのよ。12日間。ドゥルマ人の鍋を差し出す際には、ほんの少しばかり歌を用意してね。 Cl: 歌を用意しておく? Mm: さらにいっそう祈願するのよ。つつがなきことと、子供が生まれることをお願いするのよ。 Cl: (徹夜のじゃなくて)昼間の(カヤンバ)でも?

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Mm: 昼間のでも。ちょっとした歌よ。でも(本当の子供が生まれた後で、正式に)瓢箪子供を与える日にはね、夜の歌(カヤンバ)といっしょに与えられるんだけどね。というのも瓢箪子供は昼に差し出すものではないから。そうされる場合もあるけど、施術的にはちょっとね。瓢箪子供といえば、ンゴマを打ってもらうこと。その日の早いうちに、瓢箪子供の口を穿ちます。そしてンゴマが明け方のひんやりする時間まで打たれます。夫婦がその子作りに励む時間ね、その時間に瓢箪子供は差し出されるんです。おわかり? Cl: わかりました。 Mm: でも祈願すること、それなら、昼間で大丈夫。そのときこそね、しっかりこの子を(ムルングに)お示しするのよ。私はこの子に口を穿ちませんって。 Cl: はっきり口に出して言うんですね。私はこの子に口を穿ちませんって。 Mm: 私はこの子に口を穿ちません。脚をもった子供をこの目で見るまでは。彼女が憑依霊ドゥルマ人の鍋を終えますね。そうしたら、彼女に憑依霊ペンバ人(mupemba123)とスディアニ導師(mwalimu sudiani74)の「飲む大皿(kombe ra kunwa77)」を描いてもらってね。

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Mm: もしかして、彼女夜ごと夜ごとに夢で見るものがあるんじゃない? Cl: そのとおりです。 Mm: スディアニっていうのは、ペーポームルメ(p'ep'o mulume73字義通りには「憑依霊男」)のことよ。彼女にこいつのンガタ(ngata36)を結んであげて。そう、たくさん(ンガタを)やっても、それは無駄ね。でも、ジネ・ムァンガ(jine mwanga83)のンガタは... Cl: スディアニ導師。 Mm: ツォヴャ(tsovya86)..さて、ンガタを結んであげて、それとズカ・ボム(zuka bomu125)のも。3人よ、そいつら。そいつらのンガタを結んであげて。スディアニ導師の、憑依霊ペンバ人の。大皿を欲しがるイスラム教徒たちよ。あなた、スディアニ、スディアニ、スディアニ・マッカ(メッカのスディアニ)って聞くでしょ。スディアニってイスラム教徒なのよ。大皿を欲しがるの。ああ、スディアニは憑依霊ペンバ人で、ロハニ(rohani129)で、憑依霊アラブ人でもあるの。 Cl: たしかに。

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Mm: だから、「飲む大皿(kombe ra kunwa)」と「浴びる大皿(kombe ra koga)」77を手に入れてね。彼女(の月経の不調)は相変わらずで、小康を得ないままだったり、小康を得たり。彼女が買い求めた薬(madawa 通常の医薬)をつづけて、結果、小康を得ることも。でもあなた方が出会う(性的関係をもつ)日がくると、また出血が戻ってくる。もしかして、彼女自身は、まだあなたに話していないかしら? Cl: ああ、しっかりと。ああ、私自身がそれをよく知ってます。 Mm: あるいは、あなたがあなたのすることそのものを行うと(性交をすませると)、例のもの(精液)が外に出てしまう。 Cl: ああ、さあ、握手してください。 Mm: 私は握手するつもりはないわよ。 Cl: あなたはずばり的中した。私を射止めました。 (チャリ、nasirima mimi歌う)

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Mm: そして、あなたがたくさんすると、その最後には、あなたは奇妙なことを目にするでしょうね。...(聞き取れない)... Cl: 病気を私に隠さないでください。病気を話してください。 Mm: 私は話してますよ、あなた。もし間違っていたら、すぐに違うって言って。 Cl: あなたの話す言葉がそのとおりだったら、私は即そのとおりですと言います。もしそのとおりでないなら、私はそれを否定します。だって... Mm: さて今、あいつらはあなたを駄目にしかかってるわ。あいつら憑依霊たちは、あなたを駄目にしようとしています。だって、あなたの中にも憑依霊がいっぱい、彼女の方にもいっぱいなんだもの。この頭痛だって、あなた自身しばしば経験するでしょ? Cl: まさにそこですよ。すでにそれで倒れた(寝込んだ)ほどです。そこですよ。他には... Mm: その頭痛でも、頭のこの辺りが痛むやつ、ときどき経験しない? Cl: 昨日も起きているあいだじゅうそれでした。

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Mm: そしてこの心臟が破れて、不安がいっぱい。と思うと、なにもかもにうんざりする。 Cl: 一晩中ですよ。 Mm: そしてあなたのお金についてもね、たとえ手に入ったとしても、それらがどちらの方面に行ってしまったのか、あなたにはわからない。 Cl: ほらここでも、あなたはいっそう私を射止めた。ええ、私は私のお金の使い方がそんなふうなんだと言ってたくらいです。 Mm: 憑依霊ペンバ人(に必要なもの)は、そのコフィア(kofia130)、カンズ(kanzu131)、杖、キシバオ(chisibao132)、飲む大皿と浴びる大皿、その椅子、それにピングを二つばかり。これらの憑依霊は、あなたの一族の(なかで継承されてきた)憑依霊たちですよ。 Cl: それらは始祖たちのもっていた133憑依霊です。今、あなたはそれらを知らないのでは? Mm: 誰を? Cl: 私が、それらの霊を知らないって言ってるんですよ。

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Mm: それらを知らないって、あなた何者?怠慢じゃないの134。なに、(言われたのは)ここが初めてなの? Cl: 問題を経験していることですか?ああ、起きている間じゅう経験してますよ。 Mm: でも、それに専心する(信心する)ってことでは、専心していない135 Cl: でも目眩の問題なら、私は目眩の問題をもってますよ。でもまだ、本当にそれに苦しむにはなっていない136、というか、お前には、これこれのモノがあると指摘されていないんです。 Mm: 憑依霊ペンバ人本人、それとスディアニ導師。あなたのもっているスディアニは女性よ。あなたの妻がもっているスディアニは男性。ときどき、あなた夢で少女が出てくることない? Cl: しょっちゅうです。 Mm: そして、ね、あなた夢をみて、その女性と寝るでしょ、本当に。 Cl: たしかにそうです。 Mm: 夢のなかで喧嘩して、あなたが負けることは? Cl: そもそも未だかつて人に倒されたことはありません。

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Mm: (夢のなかで)空を飛ぶのは知ってる、あなた? Cl: はい。 (チャリ、歌うnasirima mimi) Cl: だって、それをして、目が覚めると、すごく力がみなぎっている感じがするんです。 Mm: え、何を感じるって?私に噛み煙草をちょうだい、食べたいの。あなた、人が自殺にいたっちゃうこともあるのよ。怠慢のせいで。 Cl: 怠慢で? Mm: あなた、血のおしっこをさえ出すことになるわよ。 Cl: 私自身がですか? Mm: そもそも、ときどき、あなた下腹部が重苦しく感じる異常があるでしょ。 Cl: タイレ。 Mm: そしておしっこを出すとき、おしっこがすごく重くなっている。 Cl: タイレ。

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Mm: おしっこが重くて、量もすごく少ない。 Cl: タイレ。 Mm: そしてヒリヒリ痛む。 Cl: いいえ。生まれてこのかた、そんなことはありません。 Mm: でも、とても長時間歩くと、おしっこの色が変わるんじゃない? Cl: ヒツジの尿の色に。よく見ると、まるでヒツジの尿みたい、おしっこ。 Mm: でも、ヒリヒリ痛いって言うと、間違ってるわね。 Cl: はい。もし、私にありとあらゆる症状があったとしても、私は水(がこぼれ出ること)は未だかつて経験してませんし、他になんであれ、この病気は、そう、私は未だかつて経験してません。 Mm: 私だって、あなたが水の問題をもってるとも、何をもってるとも言ってないわよ。水が溢れ出すのは、あなたの奥さんよ。 Cl: それは確かです。それはタイレです。

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Mm: でも、あなたの行為の異常さといったら。あなたがそれをするとしたら、それで子供ができるようにという期待からでしょ。でもしばしば、そこに到達したと思ったら、それははねつけられるのよね。 Cl: その場で出てきてしまうんだよ。この目で見たよ。翌日になったら出てくるっていうんじゃない。もうその場で。彼女がこう言うくらい... Mm: さて、この期待っていうのは何なんでしょうね。あなたは私のことを分別がないとおっしゃるでしょうね。 Cl: ああ、心配しないで。話してくださいよ。 (チャリ、歌う。manasirima we anangu) Mm: 彼女はあなたの幸運すら握ってしまったのね。 Cl: タイレ。 Mm: まずね、あなた自身が(報酬として)受け取ったシリング(お金)を、奥さんに渡すでしょ、それでもうげんなり。 Cl: タイレ。

1189

Mm: あなた自身、場所のことを考える。寝る場所。しかじかの場所でのあなたの旅。でも心があなたを捻じ曲げる。結局、あなたはそこに行かないことになる。(浜本注: 婉曲表現なので直訳してもわからないが、夜、妻と性交渉を持つことを考えるが、結局、気が変わってしないですませる、ということ) Cl: 結局彼女のなかには行かない。 Mm: かと思うと、些細な言葉で喧嘩。癇癪をおこす。心臟が火で燃えるのを感じる。 Cl: タイレ。 Mm: あれら(憑依霊たち)のために調えておあげなさい。「大皿(kombe77)」もいいわね。もし描いてもらうなら、お二人いっしょに描いてもらいなさいね。「飲む大皿(kombe ra kunwa)」と「浴びる大皿(kombe ra koga)」よ。でも、最初は何をしたら良いでしょうか。憑依霊たちに、唱えごとをしてもらい、彼らを称えてあげないとね。でも、ムルングの鍋とムルングのキザ、そして屋外のキザを据えてもらわないと。(ムルングの屋内のキザの薬液を)瓢箪子供といっしょにお浴びなさい。鍋を(7日間の湯気浴びが終わり)空けたら、その瓢箪子供はあちら(夫婦が寝る寝台の下の空間)に置きます。憑依霊ドゥルマ人の鍋を据えてちょうだい。カシディ(kasidi44)、こいつカシディよ。そもそも、彼女には、ときどき自分がすぐに死んでしまうみたいに感じるという異常があるでしょ。

1190

Cl: まさにその通りです。 Mm: 本人が恐怖心にとらわれてるのよ。 Cl: まさにその通り。それはタイレです。 Mm: というわけで、彼女はありとあらゆる場所が、健全じゃないの。私はそれが薬(muhaso137)のせいだとは言いません。けっして。 Cl: 私自身もそれは薬のせいじゃないかと疑ってました。だって... Mm: 私は薬のせいだとは言いません。私は憑依霊のことだけお話します。ライカ(laika57)のこともお話しましょう。... でも、こうしましょう。一番最後にね、つまり、あなたがこれらの問題をすべて調えた。そしてそれが終わった。さらにあなたの妻も治った。そうしたら、逆毛の鶏と、白い雄鶏と、黒い雌鶏を手に入れてね。 Cl: 私自身でですか? Mm: ええ。そしてあなたはフュラモヨ(fyulamoyo138)をクブェンドゥラ(kuphendula139)してもらうのよ。 Cl: 私自身がですか?

1191

Mm: そうよ。ねえ、(そのフュラモヨは)ずっと以前に掛けられた妖術なのよ。あなた方全員に掛けられたもの。あなた一人だけに掛けられたものじゃない。男全員が掛けられたのよ。商売をしている人も、何も利益を手に入れられないようにとね。 Cl: 私は今、そいつ(妖術使い)の正体がわかりました、もう本当に。 Mm: フュラモヨ。あなたフュラモヨそのものにやられている。憑依霊のフュラモヨよ。 Cl: そこも同じくタイレです。だって、これが初めてじゃないんです。とってもタイレです。 Mm: あなた方は嫉妬されているのよ。フュラモヨ、挙げ句にはあなた方の関係がうまく行かないようにとね。あなた方、いっしょに暮らしていないし、お互いを訪問し合ってもいないんでしょ。 Cl: タイレですよ、それは。 Mm: あなた方、分裂しちゃったのよ。各人が自分勝手に。そう、これこそフュラモヨ。もしそれに対処しなかったら、そうそのうち誰かが自分自身を憎むようになって、「俺の心はいったい何なんだ、俺は」って言って。 Cl: 「自殺したほうがましだ」って。

1192

Mm: 入水かもしれないし、ロープかもしれない。だってジメネ(dzimene140)そのものだから。 (チャリ、キティティ(占いのためのマラカス23)を振り鳴らす) Mm: あなた方がお互いの言うことに耳を傾けなくなるようにとね。 Cl: そしてまさしくそんな感じなんですよ。 Mm: 一人ひとりが、自分をわかってもらいたいと嘆く。 Cl: まさにそのとおり。 (チャリ、歌う。manasirima we anangu) Mm: ところで、あのキザ(chiza2)なんだけど、子供たちもいっしょに浴びさせてね。 Cl: あの戸外のキザですか、それともここの(屋内の)ですか? Mm: 戸外のだよ。鍋は、彼女、独りで湯気浴びさせなさい。ムルングのキザ(屋内のキザ)も独りで浴びさせて。ンガタは、彼女も子供たちといっしょに結んであげて。もしかして小さい子供で、身体を固くして丸まってしまう感じの子供がいるんじゃない?

1193

Cl: もう、その通りです。 Mm: ときおり夢(祖霊?)と話をしている(寝言を言っている)。 Cl: 本当です。 Mm: よく歯をごりごりする。また歯ぎしりする。 Cl: その通りです。 Mm: 健全じゃないわね。そう、みんな健全じゃないわね。 Cl: 全員、健康じゃない? Mm: そうよ。ときどき自分自身で燃える(高熱を出す)でしょ。 Cl: タイレ。 Mm: 食事していないみたいな感じだし。 Cl: タイレ。 Mm: もし子供たちがとっても痩せてると言えば、それは嘘になるわ。 Cl: タイレ。

1194

Mm: でも、状態は良くないわ。彼女、子供たちの母親が、子供たちを苦しめているのよ。最後の子供、一番最後の子供がいるでしょ?その下の子供がまだ生まれていない子供が? Cl: います。 Mm: 女の子でしょ。 Cl: ええ、いますよ。 Mm: ときどき、独りで突然癇癪を起こす。怒りっぽい、怒りっぽい子。あなたは、おそらくその子には分別が欠けているんだと言う。そして落ち着きがない子だと。ときどき、やって来ると、そのまま通り過ぎていく。その子の母親の(に憑いている)憑依霊たちのせいなのよ。彼女、随分以前に風(peho)を持ち去られているのよ。一回でも彼女をクズザ(kuzuza51)したことある? Cl: いいえ。クズザしたなら、私がそれを見るはずじゃないですか? Mm: あなたがたぶんまだ注意して見ていないだけじゃない? Cl: 私は注意して見てますよ。でも見てません。

1195

Mm: それにしても、なぜまたこの人、ムズカの主のライカのキブリかね? (チャリ、キティティを振る) Mm: じゃあ、私に施術師たちを探してきてちょうだいね141 Cl: 施術師たち。あなたに施術師たちを今すぐに差し出しますよ、あなた。 (クライアント、外のブッシュに生木の枝を取りに行く。それと入れ替わりにムリナ氏小屋に入ってくる。) Chari(C): 人間って互いに傷つけあうのね142、あなた。仲間を苦しめる者(妖術使い)が、一人いるのよ。 Murina(Mu): そいつは仲間を追い払おうとしているのさ。 C: 仲間を苦しめる者が一人いるのよ、あなた。 M: そいつはすでに仲間を屋敷から洗い流しているのかい143 C: そうよ。このフュラモヨよ、この。 M: 彼、フュラモヨを知ってるのかい? C: いいえ、男(妖術使い)がもっているのよ。 M: 人間の心(roho)っていうやつは... (クライアント、生木の小枝を数本もって戻って来る。ムリナ退出。)

1196 (チャリ、生木の小枝を一本、一本、臭いを嗅いで、その都度頭をかしげたり、頷いたりしながら、会話を続ける)

Cl: 薬(muhaso)。欲しければ、もう買うだけのこと。そのつもりなら、それをもって... Mm: ただのカメネ(kamene144)だわ。 Cl: それをもって、試みてみる、そしてうまくいく。 Mm: でも、まだうまく行ってないわよ。 Cl: うまくいったから、こんなざまなんですよ。それは人々を困まらせてます。 Mm: でも誰もまだいなくなってないわね。 Cl: まだ誰も死んでないです。でも、今こそ頑張らないと。頑張らなかったら、それを放置しろと.. Mm: 男らしくね。男らしさは屈服しないこと(chilume ni k'ani)って言うじゃない145。私、あなたに言わなかったっけ?まず、眠りの異常について話したわね。 Cl: タイレ。 Mm: ビクッとして目を覚ます。 Cl: タイレ。

1197

Mm: 死体の夢を見る。 Cl: まさにそのとおりです。 Mm: さらに彼女、蛇の夢を見るわね。 Cl: タイレ。 Mm: (夢のなかで)彼女、水の中に連れ去られたりするでしょ。彼女には行けない場所なんてないの。病気も、いたるところなの。 Cl: 私は彼女が病気だと言いました。だって、もしあなたが私に会いに来たら、私がいきなり立ち上がって、さあ、私は今から人に悪口を言いに行こうと言う(とします)。私は、たしかに病気でしょ?私は陰口をきいたりしません。人は健康で、為すべきことをもっているものでしょ。 Mm: 彼女の腹は健全じゃないわね。でも、あなた自身のモノの問題、あなた自身がそれをしようと思って、あなたには欲望があって、なのにそれ(精液)はその場で外に流れ出てしまう。それはスディアニ導師のせいよ。あなたのもっているスディアニと、彼女のもっているスディアニが嫌っているからなの。あなた自身も嫌っている。だって汚くない?

1198

Cl: 汚いです。 Mm: 精液(mikojo146)だからね。そもそもそいつ(スディアニ)は徹底してきれい好きなのよ。その後も、ぬるぬるした感じが続くからね。 Cl: 私がやりすぎたせいかも。 Mm: ところで、あなたについてもね、あなたがもっているそいつ(スディアニ)も嫌いなのよ。あなたの(スディアニ)もおなじように子供が嫌い。あなたのもっているそいつもね。というわけで、あなた方ふたりともそんな状態で止まったまま。子供が生まれない。そもそも、あなたが日時を決めて、そのことをやりたいと思っても、惨憺たるもの(あなたのモノが役に立たない)。 Cl: まさにそのとおりです。 Mm: まるですでにやり終えた後のようにね。 Cl: それ、まさに本当ですよ。たとえ、彼女が試みても、怒ってしまう。 Mm: ところで、ときには....(ささやき声で聞き取れない)

1199

Cl: それ、まさにその通りです。 Mm: ああ、さて私は言うことは終わりです。あとは言ったことを調えなさいね。でももしこのまま病院の薬(dawa)に頼り続けたら、彼女にさらに病気を注ぎ込むことになりますよ。 Cl: さらに病気を注ぎ込むことになる? Mm: それらの薬は腹のなかで嫌がられてるのよ。彼女に望まれているのは、鍋(nyungu5)でしょ、それと煎じる薬(mihaso ya kujita)、それと憑依霊の布切れ、憑依霊のンゴマよ。あなた、私に握手を差し出しにいらっしゃるわよ。あなたも、すっかり治るでしょうよ。 Cl: 彼女も治るでしょう。 Mm: 彼女もすっかり治るでしょう。そして、二人そろって「飲む大皿(kombe ra kunwa)」と「浴びる(大皿)(ra koga)」を描いてもらいにお行きなさい。各人が、それぞれ二つずつのピング(pingu37)を手にお入れなさいね。彼女も治りますように。そしてあなたもすっかり治りますように。そしてあなたの稼ぎも良くなりますように。 Cl: 本当?

1200

Mm: 今は、あなたは現に稼いでいる通り、稼いでいますよ。私はあなたが何ももっていないとは言わないでしょう。でも、あなたは来客のための鶏を用意するのさえ、できなくなるでしょう。彼ら(憑依霊たち、それとも妖術使い?)があなたをがっちり捕らえているからです。鶏は卵を落とし、産み続けていきます。でも子供たちがお金を奪っていく。 Cl: そもそも私、お金を見ることすらない。 Mm: たとえお金が入ってくるのを目にするとしても、お金はとどまらない。人間は、手に入れないということはありません、でもたとえあなたが手に入れたとしても、お金は全然あなたをつかんでくれない。 Cl: 握手しましょう。 Mm: まだよ。お金はとどまりません。そして、あなたがこんな状態のままで、友人のところに行って、トウモロコシ一袋のための10シリング私に貸してくださいと言っても、その友人は、そんな金はないよ、と言うのです。 Cl: タイレ。 Mm: でもあなたは、お金があれば、(貸してあげることを)躊躇しないわね。

1201

Cl: いえいえ、もう即ですよ。そもそも、あれこれ言い訳されるのは嫌いです。 Mm: 信頼の心をお持ちなのね。 Cl: あれこれ語られるのは嫌いです。これは良いことだと見ると、もうただちにそれを行います。私自身は、ええ。 Mm: (憑依霊の)コフィア(kofia130)ね。この目眩の症状ね。 Cl: コフィアね。(目眩と言えば)その場で倒れてしまいそうになったほどです。 Mm: ときには、目がまったく闇で覆われる。ときには、目覚めるとまるで目ヤニが大量に出てるように感じる。 Cl: ああ、夜通し...そもそもね、顔を洗いに行って...自分(の目)を何度も何度も、ここまで拭って... (ここまでチャリは、クライアントが持ってきた小枝を一本、一本、嗅ぎながらチェックしていたが、ついにそのうちの一本を選び出して、クライアントに差し出す) Cl: (チャリから受け取った一本の枝を手にとって)この人が、私の妻を治してくれるだろう私の施術師ですか、この人が? Mm: ええ、奥さん本当に治りますように。 Cl: それでけっこうです。

1202

Mm: でも、ライカのところでは、子供たちを除外しないでね。さらに、奥さんをクズザしてね。 Cl: 彼女のクズザをするのは、順調であると見てのことですよね。 Mm: 彼女は治るでしょうって、あなた、私お話したわよね。指示した事柄を、すっかり終わるまで、従ったらね。まず、終えていること、治るのはその後よ。あなたが話したことのいくつかを忘れてしまうこともありえます。もし忘れてしまったら、後戻りすることになりますよ。 Cl: いやいや、私は遂行しますよ。だって私がお話したように... Mm: でも、あなた、あなた、もし言われたあれらのこと、あれらをしなければ、あなたは打ち倒されて、「女され」てしまうわよ147。だって、あなたは人妻と寝ようと考えたりするからね。 Cl: そもそも、そうしたトラブルはもう卒業してますよ。 Mm: 心に捻じ曲げられて、あれこれ考えること。別の方に目を向けて、(夜通し)あれこれ考えて、(眠れなくなり)いつ夜が明けるんだろうと。 Cl: 外に出て腰を下ろさせてください。外で腰を下ろしたいだけ。ありがとう、ありがとう。

1203 (前庭の木の下の日陰での雑談、最初は施術師の選択について)

Mm: (Cl がもってきた小枝が代理していた施術師たちについて)施術師たちは女性も男性もいたの? Cl: 全員、女性の施術師でした。 Mm: 全員女性ばかりだったのね。 Cl: あれらは皆、女性でした。 Mm: (全員ちゃんとした)施術師よ。でも先頭にいたのは... Cl: ああ? Mm: みんな施術師よ。でも先頭にいた者。全員施術師よ。私はその人たちが施術師ではないとは申しません。 Cl: でも先頭にいた者こそ、施術師だと?ウシ148は何と言ってますか?[phiga]ですね、これ。 Mm: 3つのカヤ(kaya tahu149)の癒やしの術よ。 Cl: 結構なことです。 Mm: ふむ。

1204

Cl: さて、思いますに、(占いの)施術師が(差し出された)ウシ148を受け取るのを見たら、施術は終了したと言えます。この病気とともに巡り歩いていたきましたが、今、こうして一息がつけました。私の心の内では、私がここにたどり着いたことは、目的にかなったものでした。占い(mburuga)を見に行こうと。そう、この施術師、この人は問題を明るみに出してくれました。言葉はまさしく正しいものでした。私を徹底的に射止めました。私の辿った道筋すべて。さらには、私のこの苦々しい思いもつまびらかにしてくれました。私は、この人こそが私の癒やし手であれと、決めました。私の道筋におけるこの苦々しさのゆえにです。しかし、私がお話するように。どうか聞いて下さい、まず、私がその道筋にそってお話しすることを。 さて、私がここに来て、あなたは占いを打ち、終わり、そして施術師を探してくるように私に言った。私は、施術師として、まず、あなた自身を、そして他の施術師たちを握りました。そしてこのように、彼女は自分自身を施術師としてつかんだのです。というわけで、打ち合わせしましょう。仲良くなりましょう。だってあなたが私に述べられたことは、素敵な言葉(字義通りには「甘い言葉」)だけだったのですから。私は感謝しています。 Mm: あなたは感謝するけど、病人はまだ治ってないのよ。

1205

Cl: 私は感謝しています。私は一つのことに感謝しています。つまり占いに行って、あなたが見た意味ある話そのものを聞かせてもらったことに。そう、この占いは、真実の占いです。 Mm: なあに、どの施術師も同じよ。 Cl: いいえ。他の施術師たちは。あなた、私はもう何度も占いを打っています。他の施術師のなかには、行ってみると、当てずっぽうです。(あるいは)あなたが占い師を動かさないといけない(誘導尋問をする)。「ねえ、これは何でしょうか。」そう言って相手を動かす。でもここでは、あなたは私を徹底的に射止めた。 Mm: あなたがどうやって占い師を手助けするって言うの? Cl: あなたは別の(問題)領域へ(占い師が目を向けるように)手助けするんですよ。 Mm: (トピックを)増やして、あなたが話して上げる。 Cl: だって、普通は、占い師が質問して、あなたがそれに答えるんですよ、あなた。 Mm: 占い師が尋ねる。占い師の方から話すだけなのよね。

1206

Cl: さて、占い師はあなたに問いかける。(問題をかかえている)その人は女性じゃないかい、その人は?さあ、あなたは何て答えます?病人は確かに屋敷にいる女性です。あなたは「はい」と答えるんじゃないですか?でもあなたはさらに、この男(nzigamba ya mulume)と言った。この男は炉について驚いていると。そしてそれも正しい。たしかに私は、私の妻について驚き途方に暮れていた。そして(あなたは続けて)この人は大人だね(と言った)。それも真実だった。自分で言葉をしゃべる(成人)。さらに今、私は彼女が寝ているのを置き去りにしてきた。彼女は腹のせいで起き上がることすらできない。さてさて、これがコケコッコーです150、これが。そして考えてください。今もなおコケコッコーなのです。というわけで打ち合わせましょう。あなたが(治療に当たる施術師として)つかまれたのですから。占いの結果でもあるのです。私は隠し事は嫌いです。(違う人が良ければ)「私はこの人は嫌だ。別の施術師にします」と言います。仲良くなりましょう。良いことです。私たちの合意は、幸運でもあります。だってイスラム系の施術師も、この屋敷にはいらっしゃるんだから(ムリナ氏のことを指している)。私には、この人で申し分ありません。とっても申し分ありません。そもそもこの人のやり方も。さて、私は... (チャリ、クライアントの語りを手で制して、私に向かって) Mm: さ、終わりましたよ、カリンボ。あとは雑談だけ。

考察・コメント

憑依霊の施術師と占い

別項で述べたように、占い(mburuga)は、憑依霊の施術師にとってもっとも核心となる能力である。憑依霊の施術師としてのキャリアは、最初にムルング(ムルング子神(mulungu, mwanamulungu))を「外に出す」ンゴマを通過することから始まる。そこでは3つのテストが課される。その日の明け方に授与されるムルングの「瓢箪子供」は、主宰する施術師の一人によってブッシュに隠され、施術師候補生はそれを憑依状態で自力で見つけ出さねばならない。これが第一のテストである。次に課されるのが、同じく憑依状態でブッシュに赴き、ムルングの草木を自ら探し出して握らねばならない。これが第二のテスト。そして最後のテストが占い(mburuga)である。

これ以降、施術師は自分がもっている他のさまざまな憑依霊たちを「外に出し」ていくが、そうしたンゴマではテストとしては、その憑依霊の草木を自力でつかみ取るテストのみが行われ、瓢箪子供を見つけ出したり、占いをしたりのテストは以後二度と行われない。ムルングを「外に出し」なおすンゴマをもう一度受ける、つまりゼロからやり直す必要が生じない限りは。

しかし、施術師としての危機は、多くは「占い」ができなくなるという形をとる。チャリ自身も、最初にムルングの「外に出る」ンゴマを受けて施術師となるが、6ヶ月後彼女の癒やしの術は封印されてしまう。つまり占いができなくなってしまったというのである。彼女を苦しめていた病気もぶり返した。憑依霊ドゥルマ人と世界導師のせいだったと後に明らかになったというのだが、彼女が再度、ムルングとともに、ドゥルマ人と世界導師を外に出し、施術師としての活動を再開するまでに4年以上がかかっていた。

多くの施術師が、「外に出た」ものの占いがうまくいかず、あるいは何年か経って占いができなくなり、施術師の仕事をやめている。

1991年にチャリが主宰して「外に出す」ンゴマを受けたトゥシェさんは、「外に出る」以前は「発狂」したり、施術的に意味のある夢(草木を夢のなかで示されるなど)を見たり、有望な新人だったのだが、その後、なかなか自信をもって占いができず(チャリは臆病なだけだと語っていたが)、結局施術師の仕事を続けることはできなかった。1990年に「外に出す」ンゴマで施術師になったムニャジさんも、最初の頃は占いに自信がなかったようだ。占いに訪れた客から逃げたりしていたそうだから(1991/11/02のフィールドノートより)。でもその後は、施術師として大活躍していた。そんなムニャジさんだが、2017年に一ヶ月だけドゥルマを訪問した際に、癒やしの術を放棄してしまっていると噂に聞いた。彼女の癒やしの術が封じられてしまった(占いができなくなった)ことが理由だという。噂では妖術によって駄目にされたとも言われている。今ではすっかり痩せて、かつての面影はないそうだ(2017/08/18のフィールドノートより)。

ここで取り上げた占いは、子供出産祈願のための瓢箪子供(chereko)を差し出す「鍋(nyungu5)」の手続きを具体的に指示している占いの例として訳出したものである。そこでは部分訳だったが、ようやく全訳(及び改訳)した。チャリの占いの施術師としての腕前が遺憾なく発揮されているのがわかるだろう。

占いはなぜ当たる

これはあまりにも幼稚な愚問で、そもそも答えなどなさそうだが、ドゥルマの施術師たちの占いに同席していて、どうしても考えてしまう問いだった。人間の知らない情報も熟知して、自分が宿主にしている施術師に教えてくれる憑依霊が実在している、というのが一番簡単な説明だが、それは一応除くとして、正反対の味も素っ気もない合理的な説明から始めよう。

施術師のほとんどが長期にわたるさまざまな病気(体調不良)に苦しんできた者である。いろいろな身体症状、精神症状に慣れ親しんでいる。自分の身体をベースにした、疾患の感覚的経験的データベースをもっている。さらに施術師のもとには、さまざまな苦しみや問題を抱えた人々が、その解決のヒントを求めて毎日のようにやって来る。というわけで、ドゥルマ地域の人々が苦しむ諸問題や身体・精神症状についての、一般人にはもてない大きなデータに通じていることになる。したがって、問題を抱えている人が誰であるか、性別、年齢層などがわかると、そうした人が苦しむ可能性の高い問題領域はある程度絞り込まれる。

憑依霊の施術師の行うムブルガ(mburuga)タイプの占いは、相談に来た者は病人(あるいは問題を抱えている人)本人であるよりは、その関係者であることが普通である。さらに相談者は、自分からは誰が病人で、その症状がなんであるかを明かさない。そこから占いの施術師自身に語らせるのである。「キマコには脚が二本のキマコと脚が四本のキマコがある」と述べるところから占いは始まる。前者が人間、後者が家畜にかかわる問題である。それがクリアされると今度は「炉」、あるいは3のキマコ(女性)か、5のキマコ(男性)か。さらにそれが「炉」(女性)のキマコであるということになると、「口をきく、話をする」キマコが「背中に背負われている」キマコかを当てていくことになる。

この段階での間違いは(私の観察では)けっこう起こるが、簡単にクリアできる。つまり「5のキマコですね」と言って、この占いにおけるように相談者の反応を見て、「5が驚いている。5は炉のキマコに驚いているのだ」と言えば、一貫して正しい指摘をしていたことになる。キマコ(chimako)という言葉は、「驚き、途方に暮れる」を意味する動詞ク・マカ(ku-maka)の名詞で、驚き途方に暮れるような問題そのものの意味とも、家族のそうした状態を見て驚いている関係者の反応の意味とも、どちらともとりうるからである。

いったん患者が男か女か、赤ん坊か、子供か、成人かがわかると、例のデータベースに基づいて、彼らが直面している問題もある程度絞られる。病気であることが明らかになれば、施術師は患者の頭から順番に、身体の各部分をたどりながら、症状を指摘していく。「頭痛がしたことはなかったか」と問われて、頭痛を経験したことなどありませんと答えることができる人などめったにない。こうして少しずつ、正しい指摘を重ねていくと、おそらく相談者の反応から、身体的問題の核心に達することも可能だろう。

ああ、つまらない分析。でも、ある程度はそのとおりに違いない。実際、1987年に近所のおっさんに連れられて、最近「ジャコウネコの池」にやってきためちゃめちゃ当たる占いの施術師がいるから、体調不良気味の私のパートナーについて見てもらいに行こうと尋ねたのがチャリであった(その時は名前も知らなかったが)。その顛末は別項で簡単に紹介しているが、ほとんど何の手がかりもない異国の客を相手にチャリはいかにもやりにくそうで(個人的感想ですが)、その占い結果も私にそう強い印象を与えなかった。

相談者は、ご近所ではなく離れた場所に住む占いの施術師を求める。ご近所の施術師は、最初から相談者の抱えている問題が何であるかを知っている可能性があり、それを言い当てたからといって、占いの能力を示したことにはならない。とはいえ、流石に日本ではあまりにも遠すぎたのだろう。

しかし占いの施術師の能力が、こうした地域の人々が直面しうる諸問題のデータベースを元に、若干の当て推量と論理的推論によって、相談者が印象付けられ、納得できる物語を生成しているのだと考えてしまうことは、単につまらないだけではなく、実態にも反している。 それは占いの施術師にとって自らの健康にもかかわる、突然占いができなくなるという経験を説明できなくする。記憶喪失でも仮定しない限り、占い師がこうしたデータベースを喪失するとは思われないし、論理的推理能力を失うとも思われない。もし上記の説明が正しいなら、占い師はそう簡単に、その占いの能力を失うはずがないのである。

さらに、施術師自身が語る占い時の経験がある。たとえばチャリは、占いの際に自分は憑依状態になっている(ku-golomokpwa)訳では無いと主張する。普段通りだ(「素面である(matso mafu)」)という。「mburuga17の際、nyama151はmuganga156に実際にしゃべって教えてくれるのだという。右耳の後ろの方で声が実際に聞こえる。あるいは頭の中で実際に声が聞こえる。」(1990/01/08のフィールドノートより)のだそうだ。

もちろん「素面である」という言葉は額面どおりにはとれない。四六時中、右後から見えない誰かがひっきりなしに話しかけてくる、なんていうのは全然、普通ではない。おそらく占いのキティティ(chititi23)を目を閉じて耳元で振り鳴らしたり、伏せた箕の上に広げ撒いた灰に左手の中指でなにやら模様を描いてそれを注視するといった、占い特有のセッティングで、声が聞こえたりするようになっているのだろう。でも本人にとっては、まだ普段通りの感覚なのだ。たぶん。

とは言うものの、調子が良いときには屋敷にやって来るクライアントの姿を見ただけで、どういう件でやって来たのか、何が困難の原因であるのかまで教えてくれるので、占いを開始したときには、ほとんどすべてが分かっている、などとも言う。かなり誇張も入っているのかもしれない。しかし占いにおける事実究明が占いの施術師の能動的な営みであるというよりは、受動的な経験として捉えられていることは否定できない。

だからこそ、憑依霊が語る声が聞こえなくなってしまう、つまり占いができなくなってしまうということが起こりうるのだ。しかもかなり頻繁に。なにか憑依霊たちを怒らせるようなことをしてしまっている、と解釈され、いろいろやってみて、しばしば成功し、再び占いができるようになる。こんなことを繰り返している。あくまでも憑依霊など実際にはいない。占いは施術師がもっている膨大な住民悩みごとデータベースに基づく推論プロセスの産物であるという見方に拘るとすれば、データへのアクセスも、推論も、本人の意識的な営為であるというよりは、「前意識的」なプロセスに近いものであると考えるしかないだろう。

この占いにおける診断の流れ

占いの語りは、前もって厳密に定まった筋書きやプランに従って展開するわけではない。が、すでに述べたように、一定の流れはある。冒頭で、問題を抱えている人の性別、年齢層などを確定した後に、施術師は頭から始めて、身体の各部を順番に「見ていく」。そして箇所ごとに「見え」た、「聞こえ」たことを語る。憑依霊はしばしば「嘘をつく」ので、本当かどうかをクライアントに確認しながら進んでいかねばならない。

こうしたプロセスのなかで、占いは一気に核心に向かって進んでいく。さて、これを私が真似しようとしてもできるわけがない。なぜなら私には、何も聞こえてこないし、見えないから。できるのは当てずっぽうの推量しかない。当然、まったく当たらないことになる。見えてきたり、聞こえてきたり、というのは、実際に見せてくれたり、教えてくれたりする憑依霊がいないとすれば、上で提案したような、意識でダイレクトにアクセスできないデータベースへの前意識的なアクセスとしか考えようがないだろう。こう説明したからと言って、何かがわかったわけではないけれど。

予想していなかった思いがけない方向への転換がしばしば見られる。こうして思いがけない症状とそれに責任があるエージェントが次々に登場してくることになる。このケースでは当てはまらないが、当初しばらくは、妖術の可能性はないとしておきながら、途中から妖術も原因の一つに挙げられる、といった首尾一貫しない展開も、普通に見られる。このケースでも、最初は「簡単な仕事」だと告げておきながら、途中から「難しい仕事」に変わってしまったり。

下腹部の異常と不妊に対する対処

最初に下腹部の症状、病変にたどり着き、すぐに月経の異常の指摘へと進み、そこで「簡単な仕事」と断定したものの、すぐに患者の腹の中をまるで動き回っているかのような「なにか」が見えてくる。それこそが彼女の妊娠をさまたげている、カシディの病気44の主、憑依霊ドゥルマ人である。

そこで提案されるのが、 (1)憑依霊によって引き起こされている不妊に対する標準的対処 子供を養う瓢箪子供チェレコ(chereko30)を望んでいるムルング子神に瓢箪子供を約束するための7日間の「鍋」である。 その際に口を開けていない瓢箪が用意され、ムルングに対して示され、屋内のキザの脇に置かれて、患者とともに薬液を浴びさせるように指示される。 「鍋」は薬液(vuo)を入れたキザ(chiza2)あるいは池(ziya3)とセットになっているが、鍋の蒸気を浴びたすぐ後に浴びる「屋内のキザ」はムルング子神のためのもの、その後外に出て浴びる「戸外のキザ」は、ムルング子神の子供たちであるとされる池系の憑依霊キツィンバカジ、ライカ、シェラ、憑依霊ディゴ人のためのものである。 7日間の鍋が終わると、瓢箪は寝台の脚元に置かれる。 無事妊娠し、出産すると、瓢箪子供は口を開けられ、中に「心臟」と「血」と「内臓」を入れて完成され、徹夜のカヤンバを通じて、ムルングに正式に差し出される。これについては詳しくは別項参照のこと。

(2) その後同じく、彼女の妊娠を妨げて、より厄介な問題にしている憑依霊ドゥルマ人のための12日間の「鍋」。(占いの中では言及されていないが、ドゥルマ人のための鍋も、同様にドゥルマ人のための薬液とセットになっている。

夫婦の性関係の不調、イスラム系の霊の介入

(3) 上記の指示を与える直前に、チャリは患者の女性の睡眠時の奇妙な癖について触れていたが、上記の指示を与えた後に、チャリはイスラム系の憑依霊に対する大皿施術を指示する77。彼女が夜ごとに夢で見るもの、と婉曲的に表現されているのは、夢の中での若い男との性交である。憑依霊スディアニ導師、またの名をペーポームルメ(憑依霊男73)、さらに別名ツォヴャ(tsovya86)は、自分の宿主の女性と夢のなかで性交し、そのせいで彼女は夫とちゃんとした性交がもてなくなる、さらに極度に潔癖な霊とされ、母親の衣服の排尿する幼児を嫌い殺してしまう習性ももつ。大皿とンガタ(ngata36)はこれらのイスラム系の霊のための応急施術である。 さらに厄介なことに妻が男性のスディアニ導師をもっているだけでなく、クライアントである夫の方にも女性のスディアニがいる。そして彼も夢の中に現れる美女と寝ていることが判明する。そして最後には、二人が夫婦としての性行為をちゃんと営めていないことが明らかにされてしまう。ときとして夫は性的な不能に陥りさえしている。こうして夫婦の不仲まで、チャリは明らかにしてしまう。これらの問題は、大皿の施術を必要としている。

(4) しかし、まずはムルングの鍋とキザ、そして憑依霊ドゥルマ人の鍋である。大皿はそれからでよい。

やっぱり妖術も出てくるのか

(5) このように結論づけたときに、チャリにはすでに全く別の問題が見えている。それは屋敷全体にかけられている妖術の問題である。いったい何をきっかけにして彼女にこの問題が見えたのか、まったく見当もつかないが、彼女が指摘した通り、屋敷を構成するすべての男性が互いに不和になり、ばらばらになっていることが判明する。これにはフュラモヨ138の妖術に対するクブェンドゥラ(kuphendula)139が必要だ。

(6) 最後に、チャリは母親のもっている憑依霊のせいで、彼女の子供にまでトラブルが及んでいることを指摘し、ムルングの鍋の際に、戸外のキザは子供たちにも浴びさせるようにという指示で占いを終える。

締めくくりは、施術にあたる施術師の選択である。クライアントは5本の小枝を持ち帰った。チャリはそのうちの一本を選び出すが、偶然にも、それはクライアントがチャリのつもりで折り取った小枝であった。

すっかりチャリの占いに「やられ」てしまったクライアントは、チャリを激賞する。

おわりに

占いのこのような展開を、いったい誰が予想できるだろうか。チャリの占いだけがとりわけよく当たるわけではない。施術師は自分で自分を占うことができないので、チャリたちは自分たちに降り掛かった問題の解決のため、頻繁に他の占いの施術師を諮問する。それにも何度かつきあったが、どれもけっこうよく当たるのだ。 こうした占いの力は、結局は占い師のもっている憑依霊の力である。占いは、憑依霊の実在性の源泉のかなり強力な一つであるという気がする。

注釈

 

 


1 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
2 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya3)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu5)とセットで設置される。
3 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo4)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza2)と呼ばれるが)。
4 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
5 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza2、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
6 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze7)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele8)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo13))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
7 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
8 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)9であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
9 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba10)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)11や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)12ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
10 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
11 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」9を参照されたい。
12 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」9を参照されたい。
13 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをクハツァ(kuhatsa6)と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
14 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
15 キマコ(chimako, pl. vimako)。「人を驚かせること・もの」。動詞 ku-maka 「びっくりする、驚く」より。しばしばチャムノ(chamuno)と同様に、病気の主症状を指すのにも用いられる。占い(mburuga, mulamulo)のコンテクストでは、占いの対象を指すのにこの言葉が用いられる。占いを諮問する相談者は、なんらかの「驚き当惑する」問題をもってきている。その問題が、家畜や他の財産に関するものか、人に関するものか、男女いずれに関するものか、などを占い師は言い当てるところから始まる。
16 フィガ(figa, pl.mafiga)。炉、炉石。3つの石を置いてそれらの石の上に鍋を置いて煮炊きする。女性の象徴で、男性(夫でも)がそれに手をかけることは禁止。また数字3は女性の数字とされる(男性は5)。占い(mburuga17)において、炉あるいは数字の3は問題を抱えているのが女性であること、数字の5は男性であることを意味する。
17 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガをすることをドゥルマ語ではムブルガを「打つ(kupiga mburuga)」と表現する。相談者が占いに相談に行くことを婉曲的に「山に行く(kpwenda vilimani)」と言う言い方もある。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。占いに行く者は、必ずしも病人、あるいはトラブルの当事者本人であるとは限らない。むしろ事情に詳しい代理人が行くのが普通である。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、まず問題を抱えているのが男性であるか女性であるか、大人であるか、子供であるかを当てねばならない。次に自ら患者(あるいは問題の当事者)の抱えている問題を、それが病気であれば、頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、生木の小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
18 ク・オザラ(kodzala, ku-odzala)。「いっぱいになる、満ちる」。ku-odzazaは「一杯にする、満たす」
19 ク・クタ(ku-kut'a)。同音異義語と言える異なる意味を持つ動詞。(1)何かを(水や埃、その他)払い落とす動作を意味する動詞。(2)「満ちる、一杯になる」を意味する動詞。ku-odzalaに同じ。「便秘になる(=ku-vumbirwa)」の意味も。(3)慣用表現になるが、燃えている棒(chinga cha moho)を使って何かに「火をつける」こと(ku-kut'a moho)、瓢箪を振ったり、その「舌(lulimi)」を上下させて瓢箪の中の薬を活性化する、発動させる(ku-kut'a muhaso)、などの用法もある。
20 ク・アフナ(kpwafuna, ku-afuna)。「ムシャムシャ食べる、もぐもぐ食べる、噛み砕く、咀嚼する」
21 陰部も含む下腹部。「彼は私のchinenaに触った yudzinikumba chinena」は「彼は私を怒らせた」の意味になる。
22 vyama(=人や出来事が示す悪性の異常な傾向性)の指小辞(diminitive)。「ちょっとした異常」と訳したが、過小評価にみせつつ、大変だとのニュアンスがこもっている。
23 キティティ(chititi)。占い(mburuga)に用いる、中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れた小型瓢箪のマラカス。
24 ヅンバ(dzumba, pl.madzumba)。「小屋、家」を意味する名詞ニュンバ(nyumba, pl.nyumba)のaugmentative formなので、「大きな家(ときにはビル)」などを意味するが、解剖学的には「胎児の家(nyumba ya mwana)」である臓器、つまり「子宮」の意味で用いられる。
25 ムバヴ(mbavu sing. pl.)。ルバヴ(lubavu,pl.mbavu)とも。「脇腹」あるいは物、特に建造物の「側面」を意味する名詞。解剖学的には「肋骨」。肋骨には固い肋骨と、柔らかい肋骨があるとされ、後者はムバヴ・ツァンガ(mbavu tsanga)と呼ばれるという。具体的にはどこを指しているのか不明なのだが、もしかしたら「胸骨」のことではないかと(いう気がする)
26 ツァンゴ(tsango, pl.matsango)。女性が腹の中にもっている一種の消化器官、あるいは子宮。それが外部に垂れ下がって出てくる病気の名前。
27 ドゥデ(dude, pl.madude)。「モノ」。ドゥデ(dude)は、一般に名前の不明な物、正体不明な物に言及する名詞。しばしば、くだらない物、役立たずな物という軽侮的ニュアンスを伴う。mududeは、このdudeに人や動物を表すクラスの接頭辞 mu-(pl.a-)を付けたもので「ろくでもない人間」「ろくでなし」「得体のしれないやつ」などの意味をもちうる。
28 ムドゥドゥ(mududu, pl.adudu)。「虫」全般を指す言葉だが、しばしば軍隊アリ(tsalafu29)と同義で用いられる。
29 ツァラフ(tsalafu, pl.tsalafu)。サファリ・アント(軍隊アリ)
30 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供31。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神33がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande34)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料40)、血(ヒマ油41)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
31 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供30がある。瓢箪子供の各部の名称については、図32を参照。
32 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
33 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza2)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる31。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている30。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
34 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符35。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
35 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata36)、パンデ(pande34)、ピング(pingu37)、ヒリジ(hirizi38)、ヒンジマ(hinzima39)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
36 ンガタ(ngata)。護符35の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
37 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符35の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
38 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima39)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
39 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi38)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
40 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
41 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
42 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性43)、カシディ(kasidi 女性44)、ディゴゼー(digozee 男性老人46)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele121)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
43 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma42)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
44 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma42)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga45)を要求する。
45 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供30がある。
46 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo47)マンダーノ(mandano48)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
47 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
48 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ49とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ50の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
49 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera50)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza51)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)102」、「外に出す(ku-lavya konze7)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki120
50 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)51、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす102)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku104)、おしゃべり女(chibarabando105)、重荷の女(muchet'u wa mizigo106)、気狂い女(muchet'u wa k'oma107)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma108)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo118、長い髪女(mwadiwa119)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba10)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
51 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri52)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika57)やシェラ(shera50)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri52)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza101)を施され、ンガタ36を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
52 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術53)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza51と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
53 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ52は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine54)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
54 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo55)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
55 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso56)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine54)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
56 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
57 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi58)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka59) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri52)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi63など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo87,laika mukusi88など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe89, laika ra nyoka89, laika chifofo92など。(4) その他 laika dondo93, laika chiwete94=laika gudu95), laika mbawa96, laika tsulu97, laika makumba98=dena99など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze2)で薬液を浴びる、護符(ngata36)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza51)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
58 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
59 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi60)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
60 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao61))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka59)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
61 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi60)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine62)に数えられることも。
62 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ54もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
63 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni64)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
64 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu65」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
65 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ64)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola66)の対象となる。
66 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini67」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa6869と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume73)、カドゥメ(kadume78)、マウィヤ人(Mawiya79)、ドゥングマレ(dungumale82)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga83)、トゥヌシ(tunusi84)、ツォビャ(tsovya86)、ゴジャマ(gojama81)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu65」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」64)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
67 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola66)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
68 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa69)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola66)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち54)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba72)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu65)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni64)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini67)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
69 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」70など)を行うことなどを意味する。
70 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ71などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
71 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ70」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
72 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume73)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani74)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
73 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola66)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
74 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」75による鍋(nyungu5)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe77)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu37)。
75 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術76においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba40)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande34)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu5)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
76 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
77 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
78 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
79 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde80)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama81)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
80 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
81 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola66)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
82 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola66の対象になる)69。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
83 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
84 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine54)の一種という説と、ニューニ(nyuni64)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ85らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola66)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
85 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
86 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ64の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola66)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa69」。see p'ep'o mulume73, kadume78
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
87 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
88 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
89 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira90)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka91)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
90 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
91 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
92 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
93 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi58)の別名ともいう。
94 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
95 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
96 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
97 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
98 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena99)の別名。
99 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari100)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande34)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
100 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)51」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena99が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee46)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande34には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
101 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
102 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo103)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
103 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
104 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera50)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
105 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera50の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
106 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ50の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
107 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ50の別名ともいう。
108 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera50)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo109))の別名ともされる。
109 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo110, mupweke111, mutundukula112, mupera(mpera113), manga114, mbibo(mubibo115), mukanju(mkanju116)
110 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
111 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
112 ムトゥンドゥクラ(mutundukula, pl.mitundukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 tundukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
113 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
114 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
115 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)116、muk'orosho(mkorosho)117。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
116 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo115を見よ。
117 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo115を見よ。
118 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ50の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo109)の女性であるともいう。
119 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
120 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero49)の草木。
121 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
122 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza2)、池(ziya3)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu33)の別名の一つである。
123 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba124)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」77、香料40と海岸部の草木75の鍋5。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
124 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
125 ズカ(zuka)。ズカ・ラ・キペンバ(zuka ra chipemba)、ズカ・ラ・キカウマ(zuka ra chikauma)等の種類がある。母親にとり憑き、その子供を病気にするニューニ(nyuni64)あるいは「上の霊(nyama wa dzulu65)」などと呼ばれる、鳥の霊の一種。子供の病気の治療には、憑依霊の施術師ではなく、ニューニ専門の施術師が当たるが、ニューニの施術師になるためには憑依霊の施術師のように霊との特別な結びつきが必要なわけではなく、単に他のニューニの施術師から買うことでなれる。ズカが女性が生む子供を次々に殺してしまうといった場合には除霊(kukokomola66)が必要となる。除霊を専門とする施術師がいる。除霊にはズニ(dzuni126)等と同様に泥で作った鳥を形どった人形を用いるが、ズカの人形は嘴が短い。白い鶏、赤い鶏の2羽がキリャンゴナ(chiryangona128)として必要。
126 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui127)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni64)」、「上の霊(nyama a dzulu65)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola66)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
127 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu65)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola66)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa68)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni126)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
128 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。
129 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
130 コフィア(kofia, pl.kofia)。イスラム教徒の男性が被る鍔なし帽子。kofia at the British museum
131 カンズ(kanzu, pl.kanzu)。スワヒリのイスラム教徒男性が着用する白い長衣。写真は、胸元に赤い合わせのあるカンズ(kanzu ya moyo wa tsimba「ライオンの心臟のあるカンズ」)を着た子供。憑依霊アラブ人が憑いているとされ、憑依霊を喜ばせるためにときおりカンズを着用することになっているそうだ
132 キシバオ(chisibao, pl.visibao)。カンズ(kanzu131)の上に羽織る、前開きのジャケット、あるいはベスト。
133 アシリヤ(asiliya)。おそらくスワヒリ語の asilia のつもりであろう。しかし asiliaは「起源の、真正な」を意味する形容詞なので、ここは asilia ではなく「祖先、起源」などを意味する名詞のasiliを使うべきところ。
134 キブーリェ(chiphurye)。「無視」。動詞ク・ブーリャ(ku-phurya)「無視する、相手にしない」より。「キブーリェの人(mut'u wa chiphurye)」とは他人の言うことに耳を貸さない、丁寧な依頼も相手にせず、無礼に拒絶する、といった人間を指す。人として好ましくない人格だと考えられている。憑依の文脈では、憑依霊の要求と思われる症状を無視している、あるいは(占いで)憑依霊の要求を伝えられても、それを無視して実行しない、などの態度を指している。
135 ここでのやり取りには、若干の理解のすれ違いがある。チャリがクライアントが、彼の親族集団が古くから関係を持っている(例えば親族に憑依霊の施術師がいるなど)憑依霊の要求とされたものを無視していたのか、それともこれまで占いでそうした見立てをされたことがなかったのか、と尋ねているのに対して、クライアントは、自分が自分の症状に気づいていなかったのか、今初めて気がついたのかという問いだと勘違いして受け答えしている。まあ、これまで占いで自分に憑依霊がいると告げられたことがない、という事実は明らかになったわけだが。
136 ク・ズンブラ(ku-zumbula)はスワヒリ語(ドゥルマ語にも定着している)の動詞ク・パタ(ku-pata)を同義の「手に入れる」という意味の動詞。単に利得を意味するのではなく、問題を「手に入れる」というのは、問題を抱え込む、問題に苦しむという意味にもなる。
137 ムハソ(muhaso, pl. mihaso)。「薬」。ムハソ(muhaso)という言葉は、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)や憑依霊の治療(uganga wa nyama)において用いられる生の草木(muhi, pl.mihi)、あるいは煎じて飲まれる草木なども含む広い概念であるが、単にムハソというと、ムレヤ(mureya, pl. mireya)あるいはムグラレ(mugurare, pl.migurare)と呼ばれる、さまざまな材料を黒い炭になるまで炒めて粉にした形態のものが、含意されている。こちらには妖術で邪悪な意図で用いられるものが多数あり、そのため、単になんらかの不幸や病気がムハソによるものだと言うことで、それが妖術によるものだと言うのと同義に解釈される。
138 フュラモヨ(fyulamoyo, pl.mafyulamoyo)。妖術の一種。ザイコ(zaiko)と呼ばれる薬によって掛けられる妖術。さまざまな症状を示す。特徴的な身体症状の一つが全身が痒くなって掻きむしること。しかし深刻なのはさまざまな「心理的」症状。動詞ク・フュラ(kufyula)は、「曲げる、(無理やり)向きを変えさせる」を意味し、モヨ(moyo)は「心、心臓」を意味する名詞。字義通り、人の心を変な方向に曲げてしまう妖術である。これにかかると、自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がする、自己嫌悪、他人と一緒にいられない、などの異常な心的状態を呈する。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo renye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye( mbayumbayu, mbonbg'e) etc.〔浜本, 2014:61-66を参照のこと〕
139 ク・ブェンドゥラ(ku-phendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。基本的には、妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてやる、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、その患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。他にも、さまざまなやり方が、妖術の異なる種類に応じて、存在する。ニューニ(nyuni64)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。
140 ジメネ(dzimene)。「憎む」を意味する動詞の再帰形ク・ジメナ(ku-dzimena)「自分を憎む、自己嫌悪する」に由来する。妖術フュラモヨ(fyulamoyo138)の一種で、これに捕らえられると、犠牲者は文字通り自己嫌悪に陥って自殺する。
141 治療にあたる施術師を決めるために、占いの客は複数の候補を提示しなければならない。客は藪に入り、5cmほどの生木の枝を4~5本持ってきて、占い師の前に差し出す。一本一本が、特定の施術師なのだが、それぞれが誰であるのかは占い師にはわからない。占い師は枝を一本一本嗅ぎ、最後に「あなたがたの施術師はこの人さ」と言って一本の枝を客に差し出す。それが治療に当たる施術師になる。
142 ク・チェンガナ(ku-chengana)。ク・チェンガ(ku-chenga)はスワヒリ語で畑や家の敷地を切り拓くために木を伐採したり、薪を割ったりする作業を意味するが、ここではそれを相互形で用いて、互いに危害を加え合うといった意味合いで用いている。
143 ク・ククラ(ku-kukula)は「水が何かを洗い流してしまう、どこかに運び去ってしまう」を意味する動詞だが、ここでは妖術使いが屋敷の人々を離散させてしまおうとしているという意味で用いられている。
144 キメネ(chimene)。「憎む」を意味するドゥルマ語の動詞ク・メナ(ku-mena)に由来。妖術フュラモヨ(fyulamoyo138)の一種。別の指小辞をつけてカメネ(kamene)という名前でも呼ばれる。フュラモヨは人の心を歪め変えてしまう妖術であるが、その効果ごとに違う名前で呼ぶことがある。例えばジメネ(dzimene)は「自分を憎む(ku-dzimena)」に由来し、人を自己嫌悪に陥らせて自殺へと導く。これに対しキメネ、カメネは人をその仲間を嫌いになるように仕向け、孤立へと導く。
145 カーニ(k'ani, pl.k'ani)。「強情さ、意地を張ること」を意味する名詞。luk'aniとも言う。加えられた力に対して耐える力である。下手人であることがわかっている人物があくまでも白を切り続けるといった場面でも用いられる。ドゥルマでは男らしさの印とされており、諺に"chilume ni k'ani"「男らしさは強情さ」、"uha k'ani lugbwe k'ani(あるいは"uha k'ani luphohe(alt.uphohi) k'ani")"「弓も強情、弦も強情」(弓と弦が張り合うように男同士が張り合う様)などがある。あまり強情なのもいかがなものかと思うが。混み合ったバスのシートでぐいぐい押してくるのは止めてください。
146 ミコジョ(mikojo)。「尿」。動詞ク・コジョラ(ku-kojola)「排尿する」より。注意すべきは、ドゥルマ語では「精液」も同じ名詞 mikojoと呼ばれること。憑依の文脈では、イスラム系(海岸系)の憑依霊たちは極端にきれい好きで、このせいで母親に抱かれていて排尿する乳児を嫌って殺してしまったり、男性を不能にしてしまったりするとされていること。特にスディアニ導師(mwalimu sudiani74)は、自分がとり憑いている女性がその夫と性関係をもつことを嫌い、精液を外に追い出してしまい、女性を不妊にしたり、男性を不能にしたりすると言われる。なおmikojo mikojo は「とるに足らない、ろくでもない、価値がない」を意味する表現。
147 ク・ヘンダ・ムチェ(ku-henda muche)。「性交する」の婉曲表現でもあるが、ムァミンバ(mwamimba)と呼ばれる妖術の一種が含意されている。妖術使いは犠牲者に対して性交を行い、その結果相手の腹はまるで妊娠したかのように膨らみ、死に至る。女性の妖術使いも、イヌのペニス(mbolo ya diya)と呼ばれる茸を陰部に隠し持ち、それによって女性と性交し、妊娠状態を引き起こす。男性も犠牲者になりうる。妖術的なよくわからない仕方で犯され(通常眠っているあいだに)、腹が妊娠様に膨れ上がり、死に至る。単なる「薬137」によるものだという説明もあり、嫉妬深い夫(妖術使い)が自分の妻に仕掛けておき、彼女と性関係をもった男がムァミンバによって死ぬというもの。こちらは別の妖術テゴ(t'ego)と類似した仕組みだ。
148 ンゴンベ(ng'ombe)。「ウシ」。憑依の文脈では、ンゴンベは占い(mburuga)に際して、支払われる報酬。他の物価はこの間高騰したが、占いの報酬は1983から1988年までずっと2シリングだった。日本円に直すと40円から13円くらいまで下落した格好だ。チャリは1989年に3シリングに値上げしていたが、それでも20円弱。
149 カヤ・ターフ(kaya tahu)。「3つのカヤ」。カヤとはミジケンダの諸集団がガラ人(mugala)やクァヴィ人(mukpwaphi)、マサイ(masai)などの牧畜民の襲撃に備えて、海岸にそった山脈に19世紀まで形成して暮らしていた要塞村のことである。ドゥルマ人は、原初のカヤとしてカヤ・ドゥルマ(kaya duruma)、カヤ・チョーニ(kaya chonyi)、カヤ・ムツヮカラ(kaya mutswakara)という3つのカヤを挙げている。その後、カヤの数も増えた。他のミジケンダ諸集団と違い、これらのカヤは今日ではまったく見捨てられている。しかし儀礼や仕来りなどが3つのカヤに由来すると語ることは、いまなお人々の正当性とアイデンティティの一部となっている(少なくとも年長の人々にとっては)。
150 ココイコー(kokoiko, onom.)夜明けを告げる雄鶏の鳴き声。日本語でいう「コケコッコー」ここでは真実の解明の「開始」を示す印として雄鶏の刻の声を用いている。
151 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o152)、シェターニ(shetani153スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini67)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa68)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola66)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani154)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba72)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara155)」の2つに分ける区別もある。
152 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani153もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞151)という言葉が最も一般的に用いられる。
153 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。同じくスワヒリ語には憑依霊を指す言葉としてシャイタニ(shaitani, pl.mashaitani)もあるが、こちらはドゥルマでは用いられていない。他にペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)もスワヒリ語起源で、ドゥルマで憑依霊の意味で用いられているが、スワヒリ語では「精霊」の意味以外に「他界」「死後の世界」「精霊の棲み処」など場所や空間の意味でも用いられる。ドゥルマ語固有の憑依霊を指す言葉としては、ニャマ(nyama, pl.nyama)があり、憑依霊の話しをする際に最もよく耳にするのがこれである。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞でもある。
154 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba72)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
155 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
156 ムガンガ(muganga pl. aganga)。癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga76であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。