1991年の調査では、ChariとMurinaの夫婦との再会を最も楽しみにしていたのだが、どうやら二人にとっては、多難な一年になりそうだった。ここでは詳しくは述べるわけには行かないが、すでに昨年から近隣のある人物に自分たちに妖術をかけているという疑いをもっており、それがいよいよ正式に訴えるところまで進んでいた。下手をすると当地から彼ら自身が追い出される危険もある。やめて欲しいと思った。
また1989年にシェラとライカ、およびデナの癒しの術を「外に出した」のだが、それでも一向にチャリの病気が良くならず、昨年中に、べつの施術師によって再度「外に出し」なおしたのだが、それも失敗だったということで(このあたりもふたりが妖術告発に向かおうとする背景の一部である)、今年はさらに別の施術師のもとでシェラとライカの癒しの術を「外に出す」手続きをやり直そうとしていた。
そんななかで、二人は彼らの弟子(施術上の子供 mwana wa chiganga)の一人から、自分のためにムルングと世界導師とドゥルマ人の癒しの術を「外に出して」欲しいという依頼を受けていた。私が調査地に到着したときには、そのプロセスはすでに進行しつつあった。