この年の11月22日の徹夜のンゴマ(ngoma1)で、「外に出され」(kulaviwa nze2)たトゥシェだが、その初仕事は彼女の施術上の母であるChariのために世界導師(mwalimu dunia3)の鍋を据える仕事だった。実際にはChariに案内されて世界導師の草木を森に集めに行くところから、それぞれの草木に対する唱えごとの仕方まで、実地に訓練するという色彩が濃厚。
(from diary) Dec. 7., 1991, Sat, jumma
午後3時Chariのところに行く。Tusheが初仕事としてChariのためにnyunguを据えることになっていた。Mawayaが来てngomaの予定を知らせる。来週の火曜日。土曜日にもngomaの予定が入っているので、早くもkayamba rushに突入した感じ。いくつかは失礼させてもらおうと思う。ChariとTusheと3人でnyunguのmuhiをとりに行く。ChariはTusheの先生役。muhiのところでどのようにkugombaするかを教えている。二人のやりとりが微笑ましい。 Chariは明朝Ngonziniにmwana wa ndongaを与えるkayambaに先立つnyunguの据付に行く。できれば同行したいところ。
(Dec. 7, 1991のフィールドノートより転記) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。
【nyungu ya mwalimu dunia】by Murina & Tushe Chari のための mwalimu dunia の nyungu7 Tushe の初仕事
tsaka ra minanasini でのmihi集め9 (DB 4526-4535)
(1) muzyondoherangluwe(Asteranthe asterias)10 世界導師3の muhi17 唱えごと (DB 4526-4528)ドゥルマ語テキスト
(2) gore(i)manga(Adenia gummifera)19
蛇のような外見、切り口から血の色の樹液→kukuna20
唱えごと
(DB 4532)ドゥルマ語テキスト
(3) bambakofi 葉(Afzelia quanzensis)21
唱えごと
(DB 4533)ドゥルマ語テキスト
(4) mugandi 葉(エジプトイチジク Ficus sycomorus)22
根と樹皮→mihaso ya kujita23
唱えごと
(DB 4534-4535)ドゥルマ語テキスト
(5) mware 樹皮(Bombax rhodognaphalon)(先日のストックあり)24
(6) musanduku(Eucalyptus camaldulensis)(先日のストックあり)25
(7) mufune (Sterculia appendiculata)(ストックあり)26
muhi wa pwani
↑
以上、mihi17 ya mwalimu dunia3
+
(8) mudzala(monanthotaxis fornicata)27
唱えごと
(DB 4529-4531)ドゥルマ語テキスト
(9) bulushi tsaka...muhi ya mulungu(Carpolobia goetzeiか?)(ストックあり)
4526 (muzyondoheranguluwe) (唱えごと開始)
Tushe: みなさ~ん!私はここにやって来ました。そしてここにやって来ました。草木を折り採りに来ました。鍋を置くために。鍋はほかでもありません。世界導師3の鍋です。ジャンバ28も一緒です。そしてこの癒やしの術(uganga18)を私は盗んではいません。この癒やしの術は、ムリナとチャリによって私に与えられました。そしてこの癒やしの術、私はこうして今はじめます。 子供はね、その母親に授乳したりはしません。その母親に授乳する者は、そのまた母親(その母親を産んだ母親)です。でも今、このお母さん(トゥシェの施術上の母、つまりチャリ)には、鍋を置いてくれる人がいないのです。人を治さない薬などありません。こうして今私は宣言(命令)します。私がそこ(チャリたちの屋敷)に着いて彼女のために鍋を置いたら、お母さんのお腹のなかのブグブグがすっかり去ってしまいますように。 なぜなら、私はこの癒やしの術を盗んではいないからです。私は小さい頃から発狂しておりました(nayuka hangu ni mudide30)。私に癒やしの術をくれたのは、世界導師なのです。 (唱えごと停止) Chari: ああ、他にあなた自身が言いたいことがあったら。 T: ああ、さて私はここにやって来ました。ここにやって来たら。ああ、お母さんったら! C: ああ、問題ないよ。
4527 (唱えごと追加)
Tushe: 私がここにやって来たのは、草木を求めて折り採りに来たのです。草木を折り取ったら、この癒やしの術を私は盗んではいません。私はそれを、チャリ母さんと、ムリナ父さんから与えられたのです。私はここに草木を折り採りにきました。お母さんに鍋をおいてあげるためです。だって、お母さんはこんな状態なんですもの。 子供(施術上の)はその母親(施術上の)を治療したりしません。母親こそが子供を治療する者です。今は、そうしたくても彼女にはできません。今、私はお母さんの鍋を置きに行くために、これらの草木を折り採りに来ました。世界導師とあなたジャンバ、ヘビたちのなかのヘビの鍋です。もし本当にあなたがたのせいであるなら、私が鍋を置けば。あれなるお母さんが、かりにもしかして他の人々に鍋を置いてもらっているとして31... Chari: 一昨日、私はあなたのことを夢に見たよ。 T: でも今、今日、彼女の子供である私を、彼女は先日「外に出し」てくれました2、それで私は彼女の鍋を始めに来たのです。私は宣言します。もしお母さんが(鍋の出す)熱気に触れたら、治って、キナンゴの私のところまで(感謝の)握手を差し出しに来てくれますように。そして「ああ、私の子供よ、私には病気はすっかりなくなった。ほらごらん」と言ってくれますように。
4528
Chari:「彼女が、喜びをもって癒やしの術をおこなえますように。」 Tushe: 彼女が、喜びをもって癒やしの術をおこないますように。あの大蛇が心臓から立ち去って、別の場所に移り、そこで大人しく座っていますように。今日、この日、私はお母さんのために草木を折り取ります。鍋の草木です。 C:「そして私の癒やしの術が、ますます開いていきますように。」 T: そして私の癒やしの術が輝きますように。もしあなた世界導師、あなたジャンバ、蛇のなかのヘビのせいであるなら。癒やしの術が輝いて、夢が見れなくなったという問題も終わりになりますように。なぜなら、私は夢を見なくなるためにと「外に出し」てもらった訳ではないからです。そして癒やしの術は、私がまだ小さかった頃から今に至るまで、私を発狂させています。私は、癒やしの術だ(癒やしの術が求められているのだ)と言われてまいりました。でも私には力(財力)がありませんでした。でもついに力を得て、今では私は「外に出され」ました。さあ、大繁盛を。そして背中に背負う本物の子供にも恵まれますように。子供がやってくれば、申し分ありません。 (唱えごと終了) この草木? C: ええ、折り採って。その後であちらのムルングの草木も、あちらの。
4529 (mudzala)
Tushe: ええ。混ぜるのですか。 Chari: そう。だって、もしこの草木(ムルングの草木)に語ることからはじめたら(誤りになる)。この鍋はあの人(世界導師)の鍋だもの。 T: (手に持ったmuzyondoheranguluweを指して)この人の鍋ですものね。 C: もうあちらの草木は折り取ったから、私がつかんでいるこの草木に語ってね。 T: ヴオ(薬液vuo32)もあるのね。 C: ええ?なんだって? T: ヴオもあるのね? C: そう。「あなた草木よ。私は(癒やしの術を)盗んではいません。ムルングの癒やしの術を、私は誰それに与えられました。」 T: ああ、そこまでで結構。私が自分でやるからほっておいて。 C: 「私はそれをチャリとチャイから与えられました。ムルングの癒やしの術は。」 T: ああ、全部わかってます、それは。 C: 私の子供にちゃんと知っておいてもらうために、言っておいたほうがよい(と思ったのよ)。
4530 (唱えごと開始)
Tushe: 私はこの森にやって来ました。何が私をここに導いたのでしょう。草木を採ってくることです。これらの草木を、私は盗んだのではありません。私は草木の盗人ではありません。一日たりと言っても盗んだりはいたしません。そうではなく、私は先日、チャリ母さんと、父... (チャリに向かって) T: 誰でしたっけ。 C: チャイ(Chai)だよ。 T: チャイ父さんです。私はお母さんに鍋を置いてあげるために、草木を採りにやって来ました。あなたムルング子神、あなたこそ偉大なる者です。そもそもあなたこそこの世界の主なのです。 さて、私はお母さんに鍋を置いてあげに行きますが、私のこの鍋は...お母さんはずっと以前から施術師たちに鍋を置いてもらっているかもしれません、しかも偉大な施術師たちによって。私はというと、子供施術師、ほんの先日お母さんが外に出してくれた者です。でも私の望みは、私の鍋が、(これら多くの偉大な施術師たちの鍋)より抜きん出ていることです。私が鍋を置きにいけば、今問題にしているその病気が、鍋を置いてもらったけれど治らないよ、などとお母さんが言いませんように。私のその鍋を火にかけに行ったら、その日のうちに、あるいは次の日に、お母さんが「なんてこと!私は治りそうよ」とおっしゃいますように。
4531
Tushe: 施術師は、「その通り」です。私は外に出されました。草木を盗んではいません。チャリ母さんとチャイ父さんに示して頂いたのです。 このお母さんをとき解いてください。 とりわけあなたムルングよ、私をとき解いてください、それもたっぷりと。この癒しの術ですが、それを望んでいたかと言われると、私は望んでなどいなかったのです。そもそもあなた方が私を発狂させたのです。あなた方が私を発狂させたとしたら、あなたがたがこの癒しの術を欲していたのではなかったのですか?ほら、癒しの術は外に出てきました。なのにどうして私には(癒しの術を導くとされる)言葉が見えないのでしょう。とき解いてください。 もしかして、(憑依霊の)どなたかお一人(その要求がかなえられずに)怒っている方がおられるのなら、その方を端の方にお寄せになって、癒しの術を輝かしてください。というのも、もし癒しの術がうまくいったら、そしてそれが続けば、その(怒っている)方もお喜びに鳴るだろうからです。どうして皆様たが私を困らせになるのですか。とき解いてください、それもたっぷりと。 癒しの術が輝きますように、そしてこの私の鍋をお母さんに置いてあげに行きます。彼女お母さん、私が彼女に(鍋を)置いてあげに行けば、問題が、もし私がその問題を置いたのだというなら、消え去りますように。
4532 (gorimanga) (唱えごと)
Tushe: 私は、鍋を据えに、お前、草木ゴリマンガ(gorimanga)を採りに、ここに連れてこられました。私はお母さんに鍋を置いてあげに行きます。この癒しの術を私は盗んではいません。私は癒しの術を盗んではいません。先日、私は「外に出され」たのです。ここ、お前の所には、まだ来たことはありませんでした。でも感謝しています。私はお母さんに鍋を置いてあげにいきます。 あれなるお母さんは、一昨日か、昨日か、チャリ母さんとムリナ父さん、一昨日か昨日科、鍋を同僚の偉大な施術師夫婦に据えてもらったのです。でも今も、治っていません。 私はお前ゴリマンガを採りにやって来ました。お母さんに私の鍋を置いてあげるためです。病気がダルマワシのごとく飛び去りますように。 そもそも、彼女がこの鍋、これの湯気を浴びに行って、「ああ、(誰か別の人に)鍋を置いてもらいましょう」と言うとしたら。でもそんなのは駄目です。「私はもうなにも(病気を)感じないわ。施術(uganga)はその通りだわ」(それが望ましいことです)。私はこの森に草木を求めて来ました。私は癒しの術を盗んではいません。私はお前ゴリマンガをチャリ母さんとムリナによって示してもらいました。昨日のことです。
4533 (mubambakofi) (ムバンバコフィの根を掘りながら、唱えごと)
Tushe: あなた、あなた、ムバンバコフィ(mubambakofi)。私はここにやって来ました。一昨日にもここにいて、あなたを示してもらいました。私は鍋を据えに行くための草木を求めに来ました。そんなわけで、これらの草木を求めて、世界導師とジャンバ、蛇たちのなかの蛇の鍋を据えるのです。 さて、私はあなたムバンバコフィとともに立ち去り、私の施術上のお母さんに(鍋を)据えに行きます。この鍋、これがあらゆる鍋のようでありますように。私が行って火にかけ、彼女がその湯気を浴びれば、あの人、チャリ母さんに病気がなくなりますように。チャリ母さんこそ、ムリナ父さんとともに私に癒しの術をくれた人なのです。私が(病気を)完全に取り除きますように。ナピアグラスのごとく汚れなし。チャリ母さんの薬が、あっと、じゃなくて、チャリ母さんの身体の病気がです。 ふう。 H: それで十分? T: ええ。
4534 (mugandi) (唱えごと)
Tushe: 私は癒し手(muganga33)です。そしてその癒しの術(uganga)は昨日出てきました。でも私は薬を盗んではいません。だって、そのあと、私が薬を求めて森にやって来たことを、あなた方もご覧になったでしょう?私はあなた世界導師とともに、そしてあなたジャンバ、ジャンバルル(jambalulu34)、ヘビたちのなかのヘビとともに、外に出された2のです。私はあなたを盗んではいません。私は施術上の母によって外に出されました。チャリです。それと施術上の父、ムリナです。これらの草木を私に示してくれました。 そういうわけで、今日私はやって来ました。お母さんの悲嘆とともにやって来ました。施術師たちはお母さんの治療に失敗したのです。お母さんを治療する施術師は、お母さんにとっては癒し手ではありません。お母さんは私を昨日外に出してくれました。でも私自身も決して癒しの術を盗んではいません。私の発狂が始まったのは昔だからです。あなたヘビたちのなかのヘビ、あなたは私がまだ小さい頃から私の中に入り込みました。私たちはいっしょに成長しました。あなたジャンバ導師、あなた世界導師。
4535
Tushe: そういうわけで、私は草木を求めてまいりました。お母さんにあなたヘビたちのなかのヘビの鍋を設置してあげるためです。あなたジャンバ導師、あなた世界導師。 そういうわけで、私がこの鍋、お母さんの鍋を置きに行けば、この鍋はンゴマでありますように、この鍋は(憑依霊に差し出す)布でありますように、この鍋が(憑依霊の病気の治癒をもたらしうる)なにもかもでありますように。お母さんが治りますように。そしてお母さんが、「ああ、私は何度となく毎日のように鍋をうけていますが、でも、今この我が子は、私が思うに、私をどこに置いてくれようというのか私にはわかりません(これまで経験したことがないような治療の効果だということ)」と言ってくれますように。 なぜなら、私はあなたヘビを盗んだりしませんでした。あなたが私が小さい頃から私を気に入った(ku-tsunuka「惚れる、気にいる」35)のです。そういうわけで、私はじっと我慢しておりました。そしてついに外に出してもらったのです。今日、私はあなた薬を求めてまいりました。薬はあなたムガンディ(mugandi)です。お母さんに鍋を置いてあげるために。 Chari: そっちのところで折り採ってね。 T: どこで? C: そっちよ。 T: 陽があたっているところね。(鍋に入れる)フソ(fuso36)とヴオ(vuo32)に十分足りるかしら。 C: ええ。だってあっちでも同じように草木を採るでしょ。たぶん同じように手に入るよ。