Tusheの初仕事:Chariのために世界導師の「鍋」を据える

概要

この年の11月22日の徹夜のンゴマ(ngoma1)で、「外に出され」(kulaviwa nze2)たトゥシェだが、その初仕事は彼女の施術上の母であるChariのために世界導師(mwalimu dunia3)の鍋を据える仕事だった。実際にはChariに案内されて世界導師の草木を森に集めに行くところから、それぞれの草木に対する唱えごとの仕方まで、実地に訓練するという色彩が濃厚。

(from diary) Dec. 7., 1991, Sat, jumma

午後3時Chariのところに行く。Tusheが初仕事としてChariのためにnyunguを据えることになっていた。Mawayaが来てngomaの予定を知らせる。来週の火曜日。土曜日にもngomaの予定が入っているので、早くもkayamba rushに突入した感じ。いくつかは失礼させてもらおうと思う。ChariとTusheと3人でnyunguのmuhiをとりに行く。ChariはTusheの先生役。muhiのところでどのようにkugombaするかを教えている。二人のやりとりが微笑ましい。 Chariは明朝Ngonziniにmwana wa ndongaを与えるkayambaに先立つnyunguの据付に行く。できれば同行したいところ。

世界導師の「鍋」のための草木集め: トゥシェ、唱えごとの練習

(Dec. 7, 1991のフィールドノートより転記) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

【nyungu ya mwalimu dunia】by Murina & Tushe Chari のための mwalimu dunia の nyungu7 Tushe の初仕事

tsaka ra minanasini でのmihi集め9 (DB 4526-4535)

(1) muzyondoherangluwe(Asteranthe asterias)10 世界導師3の muhi17 唱えごと (DB 4526-4528)ドゥルマ語テキスト

(2) gore(i)manga(Adenia gummifera)19 蛇のような外見、切り口から血の色の樹液→kukuna20 唱えごと (DB 4532)ドゥルマ語テキスト (3) bambakofi 葉(Afzelia quanzensis)21 唱えごと (DB 4533)ドゥルマ語テキスト
(4) mugandi 葉(エジプトイチジク Ficus sycomorus)22 根と樹皮→mihaso ya kujita23 唱えごと (DB 4534-4535)ドゥルマ語テキスト
(5) mware 樹皮(Bombax rhodognaphalon)(先日のストックあり)24

(6) musanduku(Eucalyptus camaldulensis)(先日のストックあり)25

(7) mufune (Sterculia appendiculata)(ストックあり)26 muhi wa pwani 以上、mihi17 ya mwalimu dunia3 + (8) mudzala(monanthotaxis fornicata)27 唱えごと (DB 4529-4531)ドゥルマ語テキスト
(9) bulushi tsaka...muhi ya mulungu(Carpolobia goetzeiか?)(ストックあり)

森の中での草木探し、唱えごとや会話の日本語訳

4526 (muzyondoheranguluwe) (唱えごと開始)

Tushe: みなさ~ん!私はここにやって来ました。そしてここにやって来ました。草木を折り採りに来ました。鍋を置くために。鍋はほかでもありません。世界導師3の鍋です。ジャンバ28も一緒です。そしてこの癒やしの術(uganga18)を私は盗んではいません。この癒やしの術は、ムリナとチャリによって私に与えられました。そしてこの癒やしの術、私はこうして今はじめます。 子供はね、その母親に授乳したりはしません。その母親に授乳する者は、そのまた母親(その母親を産んだ母親)です。でも今、このお母さん(トゥシェの施術上の母、つまりチャリ)には、鍋を置いてくれる人がいないのです。人を治さない薬などありません。こうして今私は宣言(命令)します。私がそこ(チャリたちの屋敷)に着いて彼女のために鍋を置いたら、お母さんのお腹のなかのブグブグがすっかり去ってしまいますように。 なぜなら、私はこの癒やしの術を盗んではいないからです。私は小さい頃から発狂しておりました(nayuka hangu ni mudide30)。私に癒やしの術をくれたのは、世界導師なのです。 (唱えごと停止) Chari: ああ、他にあなた自身が言いたいことがあったら。 T: ああ、さて私はここにやって来ました。ここにやって来たら。ああ、お母さんったら! C: ああ、問題ないよ。

4527 (唱えごと追加)

Tushe: 私がここにやって来たのは、草木を求めて折り採りに来たのです。草木を折り取ったら、この癒やしの術を私は盗んではいません。私はそれを、チャリ母さんと、ムリナ父さんから与えられたのです。私はここに草木を折り採りにきました。お母さんに鍋をおいてあげるためです。だって、お母さんはこんな状態なんですもの。 子供(施術上の)はその母親(施術上の)を治療したりしません。母親こそが子供を治療する者です。今は、そうしたくても彼女にはできません。今、私はお母さんの鍋を置きに行くために、これらの草木を折り採りに来ました。世界導師とあなたジャンバ、ヘビたちのなかのヘビの鍋です。もし本当にあなたがたのせいであるなら、私が鍋を置けば。あれなるお母さんが、かりにもしかして他の人々に鍋を置いてもらっているとして31... Chari: 一昨日、私はあなたのことを夢に見たよ。 T: でも今、今日、彼女の子供である私を、彼女は先日「外に出し」てくれました2、それで私は彼女の鍋を始めに来たのです。私は宣言します。もしお母さんが(鍋の出す)熱気に触れたら、治って、キナンゴの私のところまで(感謝の)握手を差し出しに来てくれますように。そして「ああ、私の子供よ、私には病気はすっかりなくなった。ほらごらん」と言ってくれますように。

4528

Chari:「彼女が、喜びをもって癒やしの術をおこなえますように。」 Tushe: 彼女が、喜びをもって癒やしの術をおこないますように。あの大蛇が心臓から立ち去って、別の場所に移り、そこで大人しく座っていますように。今日、この日、私はお母さんのために草木を折り取ります。鍋の草木です。 C:「そして私の癒やしの術が、ますます開いていきますように。」 T: そして私の癒やしの術が輝きますように。もしあなた世界導師、あなたジャンバ、蛇のなかのヘビのせいであるなら。癒やしの術が輝いて、夢が見れなくなったという問題も終わりになりますように。なぜなら、私は夢を見なくなるためにと「外に出し」てもらった訳ではないからです。そして癒やしの術は、私がまだ小さかった頃から今に至るまで、私を発狂させています。私は、癒やしの術だ(癒やしの術が求められているのだ)と言われてまいりました。でも私には力(財力)がありませんでした。でもついに力を得て、今では私は「外に出され」ました。さあ、大繁盛を。そして背中に背負う本物の子供にも恵まれますように。子供がやってくれば、申し分ありません。 (唱えごと終了) この草木? C: ええ、折り採って。その後であちらのムルングの草木も、あちらの。

4529 (mudzala)

Tushe: ええ。混ぜるのですか。 Chari: そう。だって、もしこの草木(ムルングの草木)に語ることからはじめたら(誤りになる)。この鍋はあの人(世界導師)の鍋だもの。 T: (手に持ったmuzyondoheranguluweを指して)この人の鍋ですものね。 C: もうあちらの草木は折り取ったから、私がつかんでいるこの草木に語ってね。 T: ヴオ(薬液vuo32)もあるのね。 C: ええ?なんだって? T: ヴオもあるのね? C: そう。「あなた草木よ。私は(癒やしの術を)盗んではいません。ムルングの癒やしの術を、私は誰それに与えられました。」 T: ああ、そこまでで結構。私が自分でやるからほっておいて。 C: 「私はそれをチャリとチャイから与えられました。ムルングの癒やしの術は。」 T: ああ、全部わかってます、それは。 C: 私の子供にちゃんと知っておいてもらうために、言っておいたほうがよい(と思ったのよ)。

4530 (唱えごと開始)

Tushe: 私はこの森にやって来ました。何が私をここに導いたのでしょう。草木を採ってくることです。これらの草木を、私は盗んだのではありません。私は草木の盗人ではありません。一日たりと言っても盗んだりはいたしません。そうではなく、私は先日、チャリ母さんと、父... (チャリに向かって) T: 誰でしたっけ。 C: チャイ(Chai)だよ。 T: チャイ父さんです。私はお母さんに鍋を置いてあげるために、草木を採りにやって来ました。あなたムルング子神、あなたこそ偉大なる者です。そもそもあなたこそこの世界の主なのです。 さて、私はお母さんに鍋を置いてあげに行きますが、私のこの鍋は...お母さんはずっと以前から施術師たちに鍋を置いてもらっているかもしれません、しかも偉大な施術師たちによって。私はというと、子供施術師、ほんの先日お母さんが外に出してくれた者です。でも私の望みは、私の鍋が、(これら多くの偉大な施術師たちの鍋)より抜きん出ていることです。私が鍋を置きにいけば、今問題にしているその病気が、鍋を置いてもらったけれど治らないよ、などとお母さんが言いませんように。私のその鍋を火にかけに行ったら、その日のうちに、あるいは次の日に、お母さんが「なんてこと!私は治りそうよ」とおっしゃいますように。

4531

Tushe: 施術師は、「その通り」です。私は外に出されました。草木を盗んではいません。チャリ母さんとチャイ父さんに示して頂いたのです。 このお母さんをとき解いてください。 とりわけあなたムルングよ、私をとき解いてください、それもたっぷりと。この癒しの術ですが、それを望んでいたかと言われると、私は望んでなどいなかったのです。そもそもあなた方が私を発狂させたのです。あなた方が私を発狂させたとしたら、あなたがたがこの癒しの術を欲していたのではなかったのですか?ほら、癒しの術は外に出てきました。なのにどうして私には(癒しの術を導くとされる)言葉が見えないのでしょう。とき解いてください。 もしかして、(憑依霊の)どなたかお一人(その要求がかなえられずに)怒っている方がおられるのなら、その方を端の方にお寄せになって、癒しの術を輝かしてください。というのも、もし癒しの術がうまくいったら、そしてそれが続けば、その(怒っている)方もお喜びに鳴るだろうからです。どうして皆様たが私を困らせになるのですか。とき解いてください、それもたっぷりと。 癒しの術が輝きますように、そしてこの私の鍋をお母さんに置いてあげに行きます。彼女お母さん、私が彼女に(鍋を)置いてあげに行けば、問題が、もし私がその問題を置いたのだというなら、消え去りますように。

4532 (gorimanga) (唱えごと)

Tushe: 私は、鍋を据えに、お前、草木ゴリマンガ(gorimanga)を採りに、ここに連れてこられました。私はお母さんに鍋を置いてあげに行きます。この癒しの術を私は盗んではいません。私は癒しの術を盗んではいません。先日、私は「外に出され」たのです。ここ、お前の所には、まだ来たことはありませんでした。でも感謝しています。私はお母さんに鍋を置いてあげにいきます。 あれなるお母さんは、一昨日か、昨日か、チャリ母さんとムリナ父さん、一昨日か昨日科、鍋を同僚の偉大な施術師夫婦に据えてもらったのです。でも今も、治っていません。 私はお前ゴリマンガを採りにやって来ました。お母さんに私の鍋を置いてあげるためです。病気がダルマワシのごとく飛び去りますように。 そもそも、彼女がこの鍋、これの湯気を浴びに行って、「ああ、(誰か別の人に)鍋を置いてもらいましょう」と言うとしたら。でもそんなのは駄目です。「私はもうなにも(病気を)感じないわ。施術(uganga)はその通りだわ」(それが望ましいことです)。私はこの森に草木を求めて来ました。私は癒しの術を盗んではいません。私はお前ゴリマンガをチャリ母さんとムリナによって示してもらいました。昨日のことです。

4533 (mubambakofi) (ムバンバコフィの根を掘りながら、唱えごと)

Tushe: あなた、あなた、ムバンバコフィ(mubambakofi)。私はここにやって来ました。一昨日にもここにいて、あなたを示してもらいました。私は鍋を据えに行くための草木を求めに来ました。そんなわけで、これらの草木を求めて、世界導師とジャンバ、蛇たちのなかの蛇の鍋を据えるのです。 さて、私はあなたムバンバコフィとともに立ち去り、私の施術上のお母さんに(鍋を)据えに行きます。この鍋、これがあらゆる鍋のようでありますように。私が行って火にかけ、彼女がその湯気を浴びれば、あの人、チャリ母さんに病気がなくなりますように。チャリ母さんこそ、ムリナ父さんとともに私に癒しの術をくれた人なのです。私が(病気を)完全に取り除きますように。ナピアグラスのごとく汚れなし。チャリ母さんの薬が、あっと、じゃなくて、チャリ母さんの身体の病気がです。 ふう。 H: それで十分? T: ええ。

4534 (mugandi) (唱えごと)

Tushe: 私は癒し手(muganga33)です。そしてその癒しの術(uganga)は昨日出てきました。でも私は薬を盗んではいません。だって、そのあと、私が薬を求めて森にやって来たことを、あなた方もご覧になったでしょう?私はあなた世界導師とともに、そしてあなたジャンバ、ジャンバルル(jambalulu34)、ヘビたちのなかのヘビとともに、外に出された2のです。私はあなたを盗んではいません。私は施術上の母によって外に出されました。チャリです。それと施術上の父、ムリナです。これらの草木を私に示してくれました。 そういうわけで、今日私はやって来ました。お母さんの悲嘆とともにやって来ました。施術師たちはお母さんの治療に失敗したのです。お母さんを治療する施術師は、お母さんにとっては癒し手ではありません。お母さんは私を昨日外に出してくれました。でも私自身も決して癒しの術を盗んではいません。私の発狂が始まったのは昔だからです。あなたヘビたちのなかのヘビ、あなたは私がまだ小さい頃から私の中に入り込みました。私たちはいっしょに成長しました。あなたジャンバ導師、あなた世界導師。

4535

Tushe: そういうわけで、私は草木を求めてまいりました。お母さんにあなたヘビたちのなかのヘビの鍋を設置してあげるためです。あなたジャンバ導師、あなた世界導師。 そういうわけで、私がこの鍋、お母さんの鍋を置きに行けば、この鍋はンゴマでありますように、この鍋は(憑依霊に差し出す)布でありますように、この鍋が(憑依霊の病気の治癒をもたらしうる)なにもかもでありますように。お母さんが治りますように。そしてお母さんが、「ああ、私は何度となく毎日のように鍋をうけていますが、でも、今この我が子は、私が思うに、私をどこに置いてくれようというのか私にはわかりません(これまで経験したことがないような治療の効果だということ)」と言ってくれますように。 なぜなら、私はあなたヘビを盗んだりしませんでした。あなたが私が小さい頃から私を気に入った(ku-tsunuka「惚れる、気にいる」35)のです。そういうわけで、私はじっと我慢しておりました。そしてついに外に出してもらったのです。今日、私はあなた薬を求めてまいりました。薬はあなたムガンディ(mugandi)です。お母さんに鍋を置いてあげるために。 Chari: そっちのところで折り採ってね。 T: どこで? C: そっちよ。 T: 陽があたっているところね。(鍋に入れる)フソ(fuso36)とヴオ(vuo32)に十分足りるかしら。 C: ええ。だってあっちでも同じように草木を採るでしょ。たぶん同じように手に入るよ。

注釈

 


1 木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもngomaと総称される。憑依霊の踊りの催しにはngomaよりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にmuturituriの実を入れてガラガラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれるが、使用楽器によらず、いずれもngomaと呼ばれることが多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれる。
2 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
3 世界導師4、内陸bara系5であると同時に海岸pwani系6であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
4 チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia3)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
5 非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。
6 イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。
7 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza8、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
8 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
9 キジヤモンゾにある森、そこを耕すことは禁止されている。
10 Asteranthe asterias; 世界導師3、カルメンガラ11、カシディ13の草木。ku-zyondoha は「地面に座ったまま知りで移動する」という意味の動詞。nguluweは「野ブタ」。
11 憑依霊ドゥルマ人(muduruma12)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
12 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性11)、カシディ(kasidi 女性13)、ディゴゼー(digozee 男性老人14)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
13 女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma12)。kasidiは、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。
14 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo15)マンダーノ(mandano16)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
15 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
16 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
17 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。治療に用いる草木。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術18においても固有の草木が用いられる。
18 癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
19 ゴリ(レ)マンガ(gori(e)manga)。ムゴレ(mugore)Adenia gummiferaの施術上の名称。ツタ植物。緑色のヘビのような外見。ツタ植物で他の木々に巻きつく。幹の太さは10cmほどにもなり、切り口から赤い血のような樹液を出す。幹を削いで草木mihiとして鍋に用いる。世界導師の草木。
20 動詞 ku-kuna「削ぎ落とす,削り取る,掻きむしる」
21 ムバンバコフィ(mubambakofi)、世界導師(mwalimu dunia3)の草木。Afzelia quanzensis(Pakia&Cooke2003:390)マメ科の木。
22 ムガンディ(mugandi)。イチジクの一種。Ficus sycomorus(Pakia&Cooke2003:392)、Ficus bussei(Maundu&Tegnas2005:240)。樹液はとりもち、実は食べられる。世界導師の草木。
23 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa kunwa として言及されることもある。
24 ムワレ(mware)。キワタ。世界導師(mwalimu dunia3)の草木。ムルングの草木。
25 ムサンドゥク(musanduku)。セキザイユーカリEucalyptus camaldulensis。世界導師の草木。
26 ムフネ(mufune)。Sterculia appendiculata(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:397)。世界導師の草木。海岸部の草木(muhi wa pwani)。キナンゴ周辺では入手不可能。
27 uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata. ムルング、憑依霊ドゥルマ人、ドエ人の草木。
28 ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿29、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
29 kombeは「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
30 「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を mtso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
31 チャリは12月4日に施術上の父の一人施術師Mwainziによって憑依霊ドゥルマ人(カシディ kasidi13)の鍋を置いてもらう予定だったが、延期され翌日の12月5日の夕方にやってきた。チャリが知っているドゥルマ人のための鍋とは、使用する草木がかなり異なっていた。チャリは muzyondoheranguluwe、mubarawa、mudzala、mukungamvulaは確認出来たが、その他の草木はチャリが知らないものだった。同時に香料mavumbaも与えられたが、それを口にすると腹部が熱をおび、膨満したので、鍋を火にかけて湯気を浴びるのはやめた。12月7日にまず世界導師の鍋をムリナとトゥシェに据えてもらい、それが終わった後に、あらためてムァインジ氏が用意してくれた鍋の湯気を浴び始めることにした。トゥシェがここで言及している他の人々に置いてもらった鍋というのは、このムァインジ氏の鍋を指している。
32 pl. mavuo、「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
33 癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga18であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
34 憑依霊ジャンバ(jamba28)の別名という以外に、情報なし。lulu はスワヒリ語で「真珠」を意味するが、関連は不明。
35 憑依霊が人に取り憑くのは、つねに憑依霊側に主導権がある。霊と偶然遭遇してしまう経験もまれにあるが、これも含め、霊が突然相手を気に入り、「惚れて」取り憑くのである。これを表現する動詞が ku-tsunuka で「惚れる、好意をもつ、目をつける」の意。他に ku-gbwira「捕らえる」、ku-pagaa(スワヒリ語)「取り憑く」
36 フソ(fuso, pl. mafuso)、燻してその煙を浴びる(ku-dzifukiza37)ためのもの、鍋に入れて火にかけ蒸気を浴びる(ku-dzifukiza)鍋治療で、鍋に入れるものも同様にフソと呼ばれる。同じ意味でフフト(fufuto, pl. mafufuto)という言葉も使われる。
37 煙を当てる、燻す。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。