施術師就任を控えたTusheのためのMudurumaの「鍋」

概要

(from diary) Nov. 8, 1991, Fri, kpwisha

今日は5時30分起き。一人で朝食をとり、6時30分にMurina宅。Murina, Chariとともに7時にキナンゴに。キナンゴのUmazi(Tushe)のngomaを前にして、muduruma1のnyungu7(12日間)を据えに行く。あまり期待していなかったのだが、結構面白かった。

トゥシェ(本名ウマジ)は、1990年にChariとMurinaの治療を受け彼らのmwana wa chigangaになった。少女の頃からしばしば発狂(kpwayuka)9を繰り返し、彼女の母系の祖先のugangaの継承が求められていると指摘されていたらしい。すべては配偶者を得るのを待ってからということで憑依霊たちには説得が続けられていた。結婚したものの、夫はキリスト教徒で憑依霊の問題にはまったく関心がなかったため、その後も腹部の不調に苦しみ、子供にも恵まれず、問題解決は遅れに遅れ、約束を守られなかった憑依霊たちによって症状はますます深刻なものになっていた。やがて彼女の母がなくなり、トゥシェにそれなりの遺産(ウシなど)を残した。占いで再び身体の不調が憑依霊によるもととされ、Chariによる憑依霊の「鍋」治療を(自分自身の稼ぎで)受けて軽快したことがきっかけで、彼女はChariの施術上の子供となった。そして母の遺産のウシを処分して資金をつくり、Chariのもとで憑依霊の施術師として「外に出される」ことになった。夫も、それを黙認した。

しかし彼女を「外に出す」10ンゴマの日程は、その後何度も変更・延期されることになる。Chariの都合もあったが、多くはトゥシェ自身の身体症状の悪化のせいだった。度重なる身体症状の悪化は、結局、彼女の施術師就任を妨害しようとしている妖術使い(名は挙げられていないが、彼女のキナンゴの町の隣人の一人らしい)によるものだとわかった(占いの結果)。その妖術使いは「薬muhaso」に命じて、彼女の体にいる憑依霊たちが彼女の「頭を揺らす」ことで彼女を癒やしの術に導くかわりに、彼女の「身体をゆらし」てしまい彼女を病気にするように変えてしまったのだと。そこで彼女の身体の中にやってきている憑依霊をいったん元いた場所に返して、妖術使いがその「薬」に対して発した(とされる上記の)命令を上書きし、その後で憑依霊たちを再度「鍋」によって招待しなおすという、妖術返し(kuphendula)が行われた。そして「招待の鍋」がChariたちによって据えられた。それがうまく行けば、その1週間後にンゴマが開かれるはずだった。

しかし、この「鍋」は散々な結果に終わった。「鍋」を始めるとすぐ、彼女は激しい嘔吐と下痢を繰り返し、ついには食事も喉を通らなくなってしまった。当惑する人々。しかしChariが症状から判断して、試しに憑依霊ドゥルマ人の草木を飲み薬(mihi ya kunwa)として与えたところ、なんとトゥシェはみるみる快方に向かったのである。先の「鍋」失敗の原因がトゥシェがもっている憑依霊ドゥルマ人(とりわけ女性のカシディ)が、他の憑依霊たちを招待する「鍋」を嫉妬して妨害したことにあったと見たChariは、まずこの憑依霊のための「鍋」を先に与えてカシディを満足させようとした。ンゴマは再度延期し、ドゥルマ人のための「鍋」(これは12日間かかる)をまず終えて、その後に「招待の鍋」をもう一度置き、そしてンゴマの日を迎えるという日程になった。

ここでの唱えごとを聞くと、言葉遣いは丁寧ながら、この邪魔ばかりするドゥルマ人をほとんど罵倒しているようにすら聞こえる。幸い、このドゥルマ人の「鍋」が功を奏し、ンゴマは1991年11月22日深夜から無事に開催された。

施術師にとって、弟子(mwanamadzi11)を「外に出す」ンゴマは、他のンゴマ(カヤンバ)にはない特別な重要性がある。そこでは自分の能力と、弟子の能力がともに試されることになる。施術師にとっていやでも気合の入った特別なンゴマなのである。その気合は、この「鍋」での彼女の持ち霊でもあるカシディに対しての唱えごとの中に、はっきり見て取れる。それはカシディとの真剣勝負なのである。

施術師

今回の鍋は、MurinaとChari夫妻によって据えられた。本番のンゴマを主宰するのは女性施術師chari、男性施術師にはムルング、ドゥルマ人、世界導師を持ち霊とするチャイ(Chai)氏が予定されていたが、チャイ氏は当日参加で、本番に先立つ鍋の設置はすべてMurinaとChari夫妻によってなされている。

憑依霊ドゥルマ人の「鍋」設置の流れ

(1991年11月8日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートにおけるもの。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

07:00 キナンゴのUmaziのために12日間のnyungu ya mudurumaをkumit'a12

ここまでの経緯 mulungu13 7日間 (done) arumwengu19 osi 4日間(done but failed) muduruma 12日間 mizi miphuphu20 arumwengu19 osi 4日間

【mudurumaのnyungu】 (1) ptu21とともにnyono18の実を数粒nyunguに入れる 同様にvuoにもnyonoの実を入れる (2) nyungu に入れるのは以下の木の根 muphingo(Dalbergia melanoxylon アフリカン・ブラックウッド) mudzala(Monanthotaxis fornicata Parkia&Cooke2003による) muyama(Croton pseudopulchellus Parkia&Cooke2003による) murandze(muranze)(Dalbergia boehmii Parkia&Cooke2003による)
(3) ndonga22の中身を少し垂らし、miziを両手に持ってnyunguを 覗きこみながらmakokoteri 開始の唱えごと (DB 3850-3851)ドゥルマ語テキスト (4) kachiri23、buba24、muphingo、murandzeを細かくしたものを mavuo25に加える miziをnyunguの中に次々に入れていく (5) muyamaを削って、nyunguとvuoに加える

(6) mavumba(kachiri, buba, muphingo, murandze, muyama を砕いて 粉末にしたもの)17をnyunguとvuoに加える (7) vuoに水を加える

(8) mukongo、mudurumaの布1をかぶって座る26 32シリング差し出す

(9) mavumbaでmukongoの頭に前後・左右にクロスする線を描く mavumbaをmukongoの胸にすりつける (10) mukongo、mavuoの液を三回すする

(11) ndongaのlulimi27を抜き、それでndongaの中身をmukongoの頭頂部、喉、 胸に塗る (12) 左手でmukongoの右耳をつかんでmakokoteri 鍋の前に座ったウマジに対する唱えごと (DB 3852-3855)ドゥルマ語テキスト (13) mukongoはnyunguの上に両手をかざし、両脚を延ばしてnyunguをはさむ 施術師、mukongoの両手、両脚の上にvuoの液を垂らし、頭にもvuoを注ぐ (14) 施術師、kasidi3に対するmakokoteri 女性の憑依霊ドゥルマ人カシディに対する唱えごと (DB 3856-3860)ドゥルマ語テキスト (15) mukongo、32シリングのうちの2シリングをvuoの中に落とす

唱えごとの日本語訳

唱えごと全文テキスト(ドゥルマ語・スワヒリ語)

3850 憑依霊ドゥルマ人の鍋、開始の唱えごと (ビスミラーイに始まる唱えごとの最初の文言は書き起こし担当者が省略した、他の唱えごととの違いはないとの理由で)

Chari: 私がお話しするとすれば、そう、私はウマジのためにお話しするのです。ウマジは病気です。それも昔に始まったものです。ウマジが(その病気を)昔に始めたとき、ウマジは「お前には癒やしの術の祖霊(k'oma ya uganga)をもっている(祖先のもっていた癒やしの術を継承することになっている)」と言われたのです。癒やしの術の祖霊ということで、私たちは鍋を置きました。鍋を置き、私たちは乳房を焦がし(鍋を火にかけて調理し)さえました。私たちは占いに行って、癒やしの術(を「外に出す」=彼女自身が施術師になる)までは、何をやっても救いにはならないと言われたからです。私たちは鍋をウマジのために置きに参りました。世界の住人(arumwengu=憑依霊全般)の鍋です28 その鍋はウマジを完全に打ち負かしました。下痢と嘔吐でどうしようもありませんでした。しかし私たちは、あなたドゥルマ人のせいだと言われたのです。そしてたしかにあなたの仕業だったのでしょう。あなた、私はあなたがもともと仲間を嫌っていることを知っています。なのにあなたも他の憑依霊たちといっしょにされた。あなたは自分だけ別にしてもらうのが好きです。そしてあなただけにすると、ときとしてあなたは人の救いになることを何もしようとしない。

3851

C: 人々が言うことには「協力こそ力だ harambee ni nguvu」29と言うではないですか。あなたときたら、どこにいようとも、自分ひとりだけでいるのが好きだと。他の仲間の鍋には知らんふり、それどころかあなたはそれを台無しにして、結局その鍋が放棄されることになる。その結果、突然の下痢と嘔吐を引き起こし、トウモロコシの練り粥も食べられない。思い知るが良い、などとあなたは言う。私たちがやってきて、あなたドゥルマ人だけのための一束の薬(草木の根の束)を差し出す。ほらごらんなさい。彼女はすっかり健康です。ああ、私はわかりました。あなたこそ優先されるべきだと。そこで私たちはあなたの鍋の約束をいたしました。 今日がその鍋の日です。そしてこの鍋はつつがなく湯気を浴びられます。あの肝心のンゴマの日がやって来ても、ウマジが健康でありますように。私はあなたに鍋を、喜びの鍋を差し上げます。月の5日目30にンゴマを開催することをあなたにお告げする良き鍋です。(その日に)あなたにも(癒やしの)仕事を差し上げる予定でいます。なのにどうして今また私たちを驚かそうとなさるのですか。この者はどうしようもなく病気です。さて、今や私は何を望んでいるのでしょう。私はつつがなきことを望んでいます。さらに私はお金を目にすることを望んでいます。(この者が)癒やしの仕事から得るお金です。それこそが、(私がこの者に)癒やしの術を首尾よく差し出せたということです。プッ(唾液を吐く)。 同じくたくさんのつつがなきことを。これからもやって来る人が次々とお金を差し出しつづけますように。

3852 鍋の前のウマジの右耳をもって唱えごと

Chari: おだやかに、おだやかに、世界の住人の皆さま。世界の住人の皆さまに私は申し上げます。このような時間にお話しするつもりはありませんでした。さて、私はウマジのためにお話しいたします。ウマジはその父と母から生まれました。生まれたときには、神の被造物です。ムルングの人間です。しかしウマジはずっと昔から病気が始まりました。病気が始まり、発狂ということでは、果ては発狂もいたしました。私たちはあれこれ(治療を)調えてまいりました。ありとあらゆる鍋を置きました。でもカシディ(kasidi)3のせいだったのです。こうして私は憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きに参りました。 でも皆さま、私はあなたがた世界の住人の皆さまにお話しいたしております。あなたムルング子神(mwanamulungu)、あなたこそ砦の主です。もしかしたらお客様もいらっしゃるかもしれません。それらの方々はあなたのお客様なのです。

3853

Chari: ムルング子神よ。憑依霊アラブ人31、バラワ人32、サンズア33もごいっしょに。ブルシ34、ムクヮビ人35、天上のキツィンバカジ36も池のキツィンバカジも、地下のペポコマ37も池のペポコマ。 ごいっしょに。あなたガラ人38、ボニ人39、ダハロ人40、コロンゴ人41、あなたコロメア人43。あなたドゥングマレ46、ジム47、キズカ48、スンドゥジ49、ドエ人50。ドエ人またの名をムリマンガオ51。あなた奴隷52、またの名をンギンドゥ人42。そこには、あなたデナ53とニャリ54、キユガアガンガ57、ルキ58とムビリキモ5、カレ75とガシャ76、レロニレロ77、プンガヘワ子神81もいらっしゃいます。 あなたディゴ人82もおられる。今日は、イキリク80もごいっしょに。皆さまにおしずまりくださいと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai83)も。同じくおられるのは、あなたゴロゴシ(gologoshi84)またの名をンガイ(ngai85)、ンガイまたの名をカンバ人(mukamba86)、カヴィロンド人(mukavirondo45)、マウィヤ人(mawiya87)、ナンディ人(munandi44)、マニェマ人(mumanyema90)。私は皆さま方におしずまりくださいと申します。ディゴゼー4とともにいらっしゃる、あなたムビリキモにも。 御主人様方、私たちは「御主人様」と申し上げに参りました。ウマジの身体に癒やしの術が望まれているのです。

3854

Chari: 先日、私たちは鍋を置きに参りました。憑依霊(nyama)に対して妖術返し(hudziphendula)をして、憑依霊の皆さまをご一緒にお返しした後で、鍋をお置きしました91。でもその鍋は失敗しました。なぜでしょう?それは彼女カシディがいたからです。カシディは自分だけが楽しめる鍋の湯気を浴びることを欲しています。さて、カシディには「お前にはまず癒やしの術uganga(を「外にだす」)ための(憑依霊全般を招待する)鍋を差し上げる。(後日、別個に)憑依霊ドゥルマ人の鍋に熱気にあたらせてあげる(ku-oha=湯気を浴びる ku-dzifukiza)」と申し、私たちは皆さま方、世界の住人のための(招待の)鍋を置きました。なんと憑依霊ドゥルマ人の方がより緊急だったのですね。おかげですさまじい下痢と嘔吐です。(主食の)トウモロコシの練り粥も食べられません。身体じゅうが粉々です。激しい目眩です。 こうして今日、私たちは鍋を置きに参りました。この鍋は他のどなたの鍋でもありません。憑依霊ドゥルマ人の鍋です。皆さま方どうかやってきて、どうしてわれわれにはわれわれの鍋が与えられないのだ、などとおっしゃらないでください。私たちはあの方(女性の憑依霊ドゥルマ人カシディ)だけに、あの方が心からお喜びになるように、その鍋を差し出します。ですが、私たちはそのあとに、たった2日間になってしまうかもしれませんが、3日間に、あるいは4日間になってしまうかもしれませんが、皆さま世界の住人の方々のために、あなたがたの小鍋(kadzungu)をご用意いたします。

3855

Chari: 通常の小鍋です。3つのカヤ(kaya tahu92)の小鍋です。招待の(ka kurongesha)小鍋です。(ウマジが)まさに「外に出される(kulavirwa nze)」ンゴマへの招待の鍋です。 しかしながら、今日は私たちは憑依霊ドゥルマ人のための鍋を置きます。彼らが喜ぶように。彼らにンゴマが開催されることを知ってもらえるように。私たちのンゴマです。御主人様、やってきて妬みあったりなさいませぬように。

3856 (カシディに対する唱えごと)

Chari: あなたカシディよ。カシディは頭をつかまれることはない、カシディは身体のどの部分をつかまれることもない(唱えごとの際に)。 あなたは大人、あなたは大人。あなたは3つのカヤ92の人。あなたは大人。あなたをつかんだりしたら、こいつらは私を軽んじている、とあなたはおっしゃる。だからあなたにはただ口でお話しするだけ。今日、今、私たちは長老の問題(大切な問題)をお話ししています。それはウマジについてのお話しです。 ウマジ(の病気)が始まったのは昔です。彼女はその体の中は困った問題だらけです。でもこの2ヶ月には苦労しました。私たちはウマジは死んでしまうのではないかと話していたほどです。こんどのンゴマのことも、すっかり私のなかから出てしまいました。私には下痢と嘔吐と食事ができないことから、ウマジはもう死んでしまうだろうとわかっていたからです。 私たちはあらゆる方面を探ってみました。そしてここカシディの場所にぶつかったのです。あなたのことです。あなた、あなた、いったいどうして自分の仲間をおどろかせるようなことをなさるのですか。

3857

Chari: 私たちはただ一括りの薬(束にした草木)を差し出しただけです。それまでにいろいろやりました。でも一括りの薬だけ、それがウマジを快方に向かわせました。練り粥も食べました。嘔吐もなくなりました。さて、彼女がそんなふうになったということは、(あなたにとって)願ったことが手に入ったというということなのでしょうか。いかがですか? こうして今日、私たちはあなたを畏れ敬いに参ったわけです。友よ。私たちはあなたを畏れ敬います。というのも、あなたは「あいつら、ろくでもない連中が鍋を与えられている。私には何も得られない」などとおっしゃるからです。人間とは、いっしょにいれば、一人ひとり食べ方は違っているものです。あなたときたら、自分ひとりだけで食べたいという。仲間が飢えて死のうと知ったことじゃない。 ああ、おしずまりください。私があなたに暴言をはいているとはおっしゃらないでください。今日は私は鍋を差し出しに参ったのです。鍋はあなたカルメンガラ(kalumengala2)、外の問題も内の問題もご存知だというあなたのものです。あなたは「私はカシディ、またの名をムルング・マランボ93。子供はきらいよ。着飾るのが好き。」とおっしゃる。

3858

Chari: あなたレロニレロ(rero ni rero=「今日のことは今日じゅうに」77)、またの名をマンダーノ(mandano=「黄色」6)、またの名をマシキーニ(masikini=「貧乏人」94)、またの名をムガイ(mugayi=「困窮者」95)。そしてまたの名を、あなたキシラーニ・クオネワ(chisirani kuonewa=「めったに見られない凶兆」)。あなたはさらにまたの名をマゲンデーロ(magendero=?96)、さらにまたの名をシャカ(shaka=「不安」、「疑念」)97。あなたがたの故郷98がゴブォ(地名)なのか、サカケ(地名)なのか、ニョンゴロ(地名)なのか、ルカカニ(地名)なのか、どこなのか存じません、友よ。あなたがたの故郷は山々で、大木だらけのあのカリマンジャロ。 さて、今日、私は申します。どうか降りてきて、鍋の熱気にあたりに来てください。山々の上から、降りてきてください。ミドリサンゴの木々99をなぎ倒し、ここまでいらして、ウマジとともに鍋の熱気にあたりに来てください。キリバシ山100の上から降りて、ウマジとともに鍋の熱気にあたりに遠路おいでください。 さて、友よ、おしずまりください(pore)。私はあなたに心安らぐ言葉(pore)を差し上げます。さらにたくさんのお仕事も差し上げます。なぜなら人は食べること、仕事をすることが好きだからです。今、私はあなたを鍋に歓迎いたします。この鍋には歌も伴います。とても素敵な歌ですよ。

3859

Chari: さらに、私は、これから家を出ようとする者(癒やしの術を求める客)が「ウマジのところに行こう」と言うよう望みます。その者がここに着くと、300シリング。家を出る者はウマジのところに行こうと言い、その者がここに着くと、200シリング。家を出る者がウマジのところに行こうと言い、100シリング。これらのお金は、皆さま方が仕事を与えられることによるお金です。そのお金が、ウマジに会おうとやって来るだろう人々から出てきますように。(そうなることによって)たしかにあなたのおかげだと、私たちにわかりますように。私は知っています。あなたカシディであることを。なぜならカシディはウマジの身体でたくさんのことをなさってきているからです。彼女を子無しのままにしていらっしゃることも。 あなたが彼女の腹を満たし膨らせたのは昔からでした。腰は断裂する。全身が壊れに壊れる。激しい嘔吐。彼女の腹の中からあの大量の大便そのものが出てくる。いったいウマジの腹のどこから出てくるというのでしょう。食事もしないのに、それでいて大量の大便がでるなんて。あなたは、自分がなんの役にも立たないカシディ101の持ち主だと、ご存じないのですか。 おまけに、あなた、唱えごとの際も、お話させていただいただけなのに、あなたはしばしば「私は叱責された」などとおっしゃる。もう、いいかげんにしてくださいよ、御主人様。

3860

Chari: 私は鍋を差し上げました。これは喜びの鍋です。この鍋が終わったら、やってきて別の鍋をいただきたいなどと言わないでください。この鍋が終わったら、世界の住人たちのための招待の鍋が参ります。それもまた同じく3つのカヤの鍋です。でも今、今日は、私はあなたにおしずまりくださいと申し上げました。どうか、私の友、御主人様。この鍋を受け取ってください。首尾よく鍋をお受け取りください。 ウマジに向かって C: さあ、ここに落としてちょうだい。この人ときたら、落とし方も知らないよ! ウマジ、2シリングを鍋の中に落とし入れる。

注釈


1 憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性2)、カシディ(kasidi 女性3)、ディゴゼー(digozee 男性老人4)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe、名詞chimwemwe=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
2 憑依霊ドゥルマ人の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
3 女性のドゥルマ人憑依霊。kasidiは、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。
4 憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo5)マンダーノ(mandano6)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
5 民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
6 憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
7 nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza8、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
8 憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
9 「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を mtso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
10 「外に出す(ku-lavya konze, ku-lavya nze)」は人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のこと。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
11 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji)とも呼ばれる(これらの言葉を男女区別なく用いる人も多い)。彼らは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
12 「突き立てる」「差す」を意味する動詞だが、「鍋」nyunguやキザchizaを「設置する」という意味でkpwika「置く」と並んで用いられることが多い動詞。
13 憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたるが、人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態が代表である。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。その要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza8)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる14。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている15。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
14 瓢箪(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供15がある。
15 不妊の女性に与えられる瓢箪子供14。子供がなかなかできない(あるいは第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神13がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande16)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料17)、血(ヒマ油18)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
16 複数mapande、草木の幹、枝、根などを削って作る護符。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
17 香料。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
18 ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。
19 憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ
20 mizi は根muziの複数形。-phuphuは形容詞で「裸の」「のみ」を意味する。憑依霊ドゥルマ人の鍋には草木の根のみを用いる
21 唱えごとの開始時や薬液vuoなどの作成にあたって、唾液を掌あるいは容器に吐く行為(の擬音語、擬態語)。
22 瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
23 憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料は不明。
24 憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料名は不明。
25 pl. mavuo、「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
26 Tusheが被った布は女性の憑依霊ドゥルマ人の布(ムルングの黒(紺)の布の中心にビーズで十字を描いたもの)。
27 「舌」を意味する名詞。ndonga(瓢箪)の栓の瓢箪内部に入っている部分もlulimi舌と呼ばれる。
28 ここでは世界の住人の鍋と述べられているが、最初の鍋はmwanamulunguの鍋のはずなので、おそらくこのムルングの鍋に他の憑依霊の草木も加えて一回で済ませようとしたものと思われる。
29 ハランベーは、ケニア初代大統領ジョモ・ケニャタが国民統合をもとめてかかげたスローガン。
30 ドゥルマの特殊な月日の数え方。詳しくはドゥルマの月日、週の数え方
31 憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
32 イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
33 憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。mataliを食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
34 憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
35 憑依霊ムクヮビ(mukpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビはマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
36 空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
37 mulunguと同じ。ムルングの子供だが、ムルングそのもの。p'ep'o k'omaのngataやpinguのなかに入れるのはmulunguの瓢箪の中身。発熱、だが触れるとまるで氷のように冷たく、寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それがp'ep'o k'oma wa kuzimuの名前の由来。治療にはミミズが必要。pinguの中にいれる材料として。寝てばかりなのでMwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。
38 民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
39 民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
40 民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
41 民族名の憑依霊、ンギンド人42の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
42 民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
43 民族名の憑依霊、ナンディ人44の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
44 民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea43、mukavirondo45はいずれもナンディ人の別名であるという。
45 民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
46 母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomolaの対象になる。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
47 憑依霊、ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
48 憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。
49 ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
50 民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のムドエは乳房に入り、母乳が水に変化するので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
51 民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
52 民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)42の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。
53 憑依霊、ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari54)との共通性あり。治療は黒檀(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande16)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
54 憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)55」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena53が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee4)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande16には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
55 ライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたchivuri56を探し出して患者に戻す治療。ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師はこれらの霊に憑依された状態で屋敷を出発し、ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、そこにある泥や水草などを持ち帰り、それらを用いて取り返した患者のchivuriを患者に戻す。
56 人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza55と呼ばれる手続きもある。
57 ルキ(luki58)、キツィンバカジ(chitsimbakazi36)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
58 唱えごとの中ではデナ、ニャリ、ムビリキモなどと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika59)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
59 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi36)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka60) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri56)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi61など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo62,laika mukusi63など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe64, laika ra nyoka64, laika chifofo67など。(4) その他 laika dondo68, laika chiwete69=laika gudu70), laika mbawa71, laika tsulu72, laika makumba73=dena53など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze8)で薬液を浴びる、護符(ngata74)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza55)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
60 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
61 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
62 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
63 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
64 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira65)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka66)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
65 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
66 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
67 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
68 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi36)の別名ともいう。
69 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
70 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
71 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
72 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
73 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena53)の別名。
74 護符の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
75 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
76 唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena53)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari54)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga57)がいる。
77 憑依霊シェラ(shera78)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza55)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)79」、「外に出す(ku-lavya konze10)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
78 憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)55、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす79)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku80)、おしゃべり女(chibarabando)、重荷の女(muchetu wa mizigo)、気狂い女(muchetu wa k'oma)、長い髪女(madiwa)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
79 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
80 憑依霊シェラ(shera78)の別名。重荷を背負った者(mutu wa mizigo)、長い髪(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、高速の人(mutu wa mairo genye、しかし重荷を背負っていると速く動けない)、気狂い(mutu wa vitswa)、口が軽い(umbeya)、無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
81 憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
82 民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
83 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)、直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。イスラム系の危険な憑依霊ジネ(jine)の一種で、民族名の憑依霊マサイ(masai)とは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。
84 憑依霊カンバ人の女性の別名。
85 憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
86 民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai85)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ85を参照のこと。
87 民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde88)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama89)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
88 民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
89 憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマに憑依された女性は、子供がもてない(kaika ana)、妊娠しても流産を繰り返す。尿に血と膿が混じることも。雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
90 民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
91 トゥシェことウマジの呪医就任(「外に出す kulavya konze」のンゴマ)は何度も延期されてきた。彼女自身の身体不調が理由だが、占いの結果、妖術使いが彼女がもつ憑依霊たちに対して妖術をかけ、彼女の癒やしの術のために働かず、彼女の身体のなかで彼女自身を害するようにしたと判明。そこで妖術返し(kuphendula)することで妖術使いの命令を上書きし、すべての憑依霊にトゥシェの身体からいったんお帰りいただいて、再度、鍋によって呼ぶという形をとったらしい。
92 3つのカヤ。カヤとはミジケンダの諸集団がガラ人やムクァヴィ人、マサイなどの牧畜民の襲撃に備えて、海岸にそった山脈に19世紀まで形成して暮らしていた要塞村のことである。ドゥルマ人は、カヤ・ドゥルマ、カヤ・チョーニ、カヤ・ムツァカラという3つのカヤをもっていた。他のミジケンダ諸集団と違い、これらのカヤは今日ではまったく見捨てられている。しかし儀礼や仕来りなどが3つのカヤに由来すると語ることは、いまなお人々の正当性とアイデンティティの一部となっている(少なくとも年長の人々にとっては)。
93 mulungu maramboは憑依霊 mudurumaドゥルマ人の別名。maramboは(ス urembo(sing.)marembo(pl.)より)「装飾」「華美な出で立ち」
94 憑依霊ドゥルマ人の別名、masikini(masukini)は「貧乏人」
95 憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは「困窮者」
96 意味不明。 magendoであれば「浮気相手 dzigendo(複数 magendo)」あるいはchende(「睾丸」)のaugmentative?
97 チャリがここで憑依霊ドゥルマ人の別名として挙げているものは、チャリ自身の見解で、必ずしもドゥルマの施術師の共通理解ではない。たとえばレロニレロ(rero ni rero)は、多くの施術師はシェラ(shera)の別名ととらえている。またマンダーノ(mandano)は憑依霊ドゥルマ人のグループに属している霊であるとされるが、ドゥルマ人とは別の霊であるとも考えられている。
98 kpwehu(私たちの故郷)、kpwenu(あなたがたの故郷)、kpwao(彼らの故郷)という言葉で実際に指されているのはそれぞれの「mudzi 屋敷」がある場所であり、「故郷」という日本語の観念とは若干ずれている。「本拠地」の方が良いかもしれないが、逆に日本語として違和感が大きすぎる。なお地名はすべてドゥルマの人々(キナンゴ周辺の)から見ても、さらに辺鄙な田舎と考えられる地名。
99 ミドリサンゴの木(Euphorbia tirucalli)utudwi(sing.)/mitudwi(pl.)。毒性のある粘着性の樹液を出す、乾燥した後背地(nyika)に多い木。
100 キリバシ山(842m)。クワレ・カウンティの北部、タイタ-タベタ・カウンティとの境界線付近の山。その姿はシンバヒル以西のドゥルマの多くの場所から眺めることができる。さらに遠くにはタイタ-タベタのカシガウ山も望める。
101 ここでは"kasidi"は憑依霊の名前としてではなく、この言葉本来の意味で、つまり「わざとらしく場違いで無礼で恣意的な振る舞い」を指す言葉として用いられている3