ムニャジさん、最近受けた「重荷下ろし」についてその経験を語る

目次

  1. 概要

    1. 日誌より

    2. インタビュー・テキストの概要

  2. ムニャジの重荷下ろし(インタビュー・テキスト全文日本語訳)

    1. 徹夜のカヤンバと翌朝の2回のクズザ

    2. 患者=シェラ、重荷を載せられる

    3. 池のウリンゴでの施術

    4. 家に戻り、「夫」と農作業等

    5. 夫のための料理を作る

    6. 婚資のやりとり

    7. 夫との共食、その後盛大なカヤンバ、終了

    8. 施術の詳細に関する質疑応答

  3. 考察・コメント

  4. 注釈

概要

日誌より

(from diary of 1989/12/22)1 1989/12/22(Fri, kpwaluka)

カタナ君のmukoi2、Munyazi Mechombo3に会いに行く。Munyaziは近々ku-lavya nze56を行う予定(資金さえあれば)。彼女はつい先日、ku-phula mizigo93を受けたばかり。詳しい話を聞く。そのまま泊まることに。夜中の12時頃までさまざまなトピックで話を聞く。蚊が多いのに悩まされる。念のためにMontbellのシェルターMoonLight1116を持ってきたのは正解。そのなかに入ったら蚊ははいってこない。

インタビュー・テキストの概要

ムニャジさんとは、カタナ君の交差イトコの「デマ情報」がもとで偶然親しくなった、同じくカタナ君の父方交差イトコ(mukoi2)の女性で、知り合った当初は、やたらと憑依霊の話題が豊富な、だが施術師ではない(施術師になるためのンゴマを直前に控えていた)よくしゃべるおばさんで、その後も親しく付き合わせてもらうことになった。彼女の簡単な経歴はこちら。以下のテキストは知り合って2度目(1989/12/22)に泊まりがけで話を聞きに行った際のインタビューの一部である。このときムニャジさんは「重荷下ろしのカヤンバ」をほんの2か月ほど前に受けたばかりで、まだ新鮮な記憶に基づいて、その施術の内容がこと細かく、臨場感をもって語られている。

その後、いくつもの「重荷下ろし」のカヤンバに参加する機会があったが、このムニャジの話がいつもその基本構造の知識として役に立った。というわけで、ぜひ共有しておきたい(誰と?)。

ムニャジの受けた「重荷下ろし」(日本語訳)

各パラグラフ冒頭の数字をクリックすると、対応するドゥルマ語テキストに飛びます。

徹夜のカヤンバと翌朝の2回のクズザ

1683

Munyazi(M): へえ、あなた、ずいぶん以前に来てたのね117。(私の受けた「重荷下ろし」は)つい先日、ここで。10月の27日だったわ。残り3日だったわ、11月がやってくるまで。そこで私は、荷物をおろしてもらったのよ。 Hamamoto(H): で、その荷物はどんな風に降ろされたのですか?というのも(私が参加した)あの徹夜のカヤンバ(12月15日にムァモコで実施されたチャリのための「重荷下ろし」)では、施術師たちはずいぶんたくさん間違っていたらしいというので。 M: 今日、カヤンバで徹夜するとするでしょ。カヤンバで徹夜。ンガーッ118てなるまで。あたりがンガーッてなるまでね。朝の1時半(日本などで言う午前7時30分)119になったら、私はクズザ(kuzuza68)されます。ライカ(laika71)をクズザされるの。人々は出かけて、戻ってきて、私に(キブリを)戻してくれる。それが済む。施術師はもう一度据えられます(座らされてカヤンバの演奏で取り囲まれる)。今度はあれよ、イキリク(ichiliku95=shera)をとってくるのよ。 Katana(K): 最初はあっちの方に行ったんですか? M: そう。人々はあっちのムズカに行ったのよ。 H: ムズカにですか。もしかして川のことでは? M: 違うわ。木よ(バオバブなどの木の根元の虚穴)。でも大きなムズカよ。

1684

Munyazi(M): まず、あっちの方へ行って、やって来て戻す、それが終わると、施術師はもう一度座らされるのよ。そして、今度はこちらの川の方へ行くの。つまり川に行くんだけど、そこにも同じようにムズカがあるのよ。でもそちらの方は、施術師は水の中に入っていく。そしてイキリク(が奪ったキブリ?)を取ってくる。 Hamamoto(H): 水の中にまで入っていくんですか? M: そうよ。おまけに施術師の一人は、彼女のビーズ飾りを失くしちゃったのよ。私が今着けているこいつみたいなやつ。それと、これに似たピングもね。水の中で失くしちゃったのよ。 H: 水の中でどこに行ったかわからなくなった? M: そうよ。 Katana(K): 水の中で失くすことは、悪いことなんですか、それとも? M: 何が悪いっていうの?彼女のミスはね、憑依霊がいない状態で水に入ったことよ。

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Munyazi(M): 彼女が(イキリク=シェラのキブリを)取って来ることになってたの。男性の施術師の方はあちらの(大木の)ムズカに行って取って来たから。さて、こちら(川)の方では、つまり、彼女は相方(の男性の施術師)を補助しようと、ただ入って行っちゃったのよ。でも、彼女には憑依霊はいなかった。彼女が憑依霊の宿主(所有者)だったのに。そもそもね、イキリク自身は、一人の施術師では(キブリを)戻せないのよ。イキリクは施術師二人、男と女の施術師、によってとり戻されるの。 さて、そこを出て、ここに戻ってきたのは、正午ごろだったわ。私(のキブリ?)が戻されて、終わりました。さあ、今度は風(peho)を戻してもらいます。それも終わりました。ということで今や、私が(カヤンバの演奏の輪の中に)据えられました。延々と私にカヤンバが演奏されて、ついに憑依霊が全身を満たしたの。で、私は、身体中にあの重荷を載せられました。 Katana(K): ところで、(施術師たちが)あちらと、そちらに行ったとき、あなたは、ここ家に留まっていたのですか、それともあなたも、そちらの方に行ったのですか? M: いやいや。私は行かなかったわよ。私はここにいました。そもそもここのマット(kuchi120)の上を離れなかったんだもの。(施術師たち)彼らがあちらに行ったのよ。 Hamamoto(H): そしてここまで帰ってきた。

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Munyazi(M): そしてここまで帰ってきた。私は死んだ人みたいに寝かされてたのよ。黒い(ムルングの紺色の)布で全身すっぽり(buu121)覆われてね。さて、彼らが戻ってきて、家の中に入った。彼らはまず小屋の周りを周回して、2周した後で、3周目に中に入って来るのよ。さてそこで私は(マットの上に脚をまっすぐ投げ出して)座らされて、瓢箪が一つここに、耳のところに置かれるの。こちらも一つね。 Hamamoto(H): 瓢箪が? M: そうよ。瓢箪から息を吹き込まれるの。 Katana(K): 瓢箪はひとりでに立っている?それともつかまれている? M: ちがうわ。人がつかんでいるのよ。ここの瓢箪はつかまれている。だって、そのとき私はこんな風に寝かされていたから(浜本注: いつのまに?)。でもここの瓢箪(胸のところ)はここに座らされていた(置かれていた)。で別の瓢箪はここに立たされていた。そう、ここ耳のところにね。 K: あなたはそちらで寝ていた?

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Munyazi(M): そうよ。息を吹きかけられたの、吹き込まれるのよ。この人、カリンボは見たことがあるわよ。ほらね。彼がちゃんと詳しく話してくれるわよ(浜本注: ムニャジさん、私を買いかぶりすぎです。この頃はまだちゃんと理解できてませんでした。)

患者=シェラ、重荷を載せられる

さて、これ(ライカのキブリ戻し)が終われば、施術師たちはあちらの方に行って、そっちでも帰ってきてもう一度(イキリクのキブリ戻しを)同じようにやります。さて、その後は、いよいよ、私は例の私の重荷を身体に着けられるのよ。ここと、ここ(両肩と首の前後)、それと頭の上にも。さあ、私はこれらの重荷をもって先頭を進まされます。ね、おお仕事でしょ。 Katana(K): その重荷って、どんな荷物なの?その重荷って? M: 瓶でしょ、石でしょ、それから土を捏ねて作った球でしょ。それらの瓶はね、(編み籠(hundu123)の)中に入れて、後であちら(木の台が設置された水場に)行ったら、水を入れられるの。それらの瓶は中に差し込まれます。つまり編み籠(mahundu123)の中にね。編み籠はヤシの葉を編んで作るのよ。 K: それを肩に掛ける? M: そうよ、こっちの肩とこっちの肩に掛ける。そして頭上には編み籠(chikaphu124)、そしていよいよ石よ。 K: 地面に叩き落としたりしない? M: どうやって叩き落とすっていうんだい?落としたりしようものなら、もうしたたかに鞭打たれるよ。

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Katana(K): あなた、こんな風に鞭で叩かれるんですか? Munyazi(M): そもそもね、あなたはそれらの重荷を持たされることが嫌なんだよ。ここで、ここに持たされることが好きだと?そもそも嫌なんだよ。こちらも、こちらも塞がれるんだよ。あなたはあちら(木の台(uringo125)に連れて行かれること自体が、すごく嫌なんだから。あなたは、ただ家にいたいんだよ。というわけで、あなたはここやここを鞭で打たれるのよ。あなたは鞭で打たれて、ついに、重荷を受け入れるのよ。こちらの肩にも、こちらの肩にも下げられる。一つは頭の上にね。さあ、出発させられる。それも嫌い。 K: そこで重荷をもたされるとき、憑依霊はすでにあなたに来ているのですか、それともまだやって来ていない? M: そう。あなたには憑依霊がいるのよ。あなたこんな風に素面で127重荷を持たされるとでも?それは間違いよ。それで、どうやって重荷を下ろしてもらうというのよ?もしこんな風に憑依霊ぬきで、重荷を降ろされたとしても、全然重荷を下ろしたことにはならないわ。あなたがその人(憑依霊)をもっていないとね。中にもっていないとね。

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Munyazi(M): さて、あなたはシェラの重荷をつけて、そこに行かなけりゃね。そう、そこに着くまで、こんな風に泣きながらね。 Katana(K): 鞭で打たれながら? M: そう、したたかに打たれながらね。 K: 施術師が鞭打つんですか? M: そうよ。だってあなたは少し歩いては、止まっちゃうんだもの。それがよくないのよ、歩いては立ち止まるのはよくないとされるの。一気にそこまで進んでいくのが望ましいのよ。ここの脚のところを鞭打たれながら、歩いていくの。したたかに鞭打たれます。それはもうすごく鞭打たれるの。あなたは痛みのあまり、涙がポロポロ。 K: カヤンバも演奏されてるんだよね。 M: それはもう激しくね。そこ、そこに到着するまで。 K: 川に? M: 池によ。そこに到着すると、そこには、何て言ったっけ、ウリンゴ(uringo125)がこんな風に用意されているのよ。

池のウリンゴでの施術

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Katana(K): ウリンゴ? Munyazi(M): そうよ。その上には小枝を編んだ簾がきっちり敷いてある。そうそう、あんたたち、もしそこを通り過ぎることがあったら、行って見てごらん。私のウリンゴはまだそこにあるわよ。その池のなかにね。まだ倒れてないわ。だってつい先日なんだもの。さて、そこに着いたら、まずはあなたはこんな風に人の膝のうえに座るの。そのウリンゴの上には、その人が先に腰掛けているの。さて重荷をおろしてもらう人は、その人の膝のうえに座るのよ。 K: 膝の上に座らされるのですか? M: そうよ。人の身体の上に座らされるのよ。さて、こうしてそこに座らされたら、下にはもう一つ小さいキリンゴ(chiringo125)が置いてあって、そこに足を置くようになってるの。足がぶらぶらするといけないのよ。 K: 両足がぶらぶらしないように?なるほど、なるほど。

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Munyazi(M): そうよ。さて次に、薪の束が持ってこられます。この場所に着いたら、薪の束が持ってこられるところから始めるのよ。 Katana(K): で、あなたの重荷はまだもったままなの? M: あなたがそこに着いたら最初に、もしそこ(ウリンゴに)座らされるとしたら、まず重荷を下に降ろすことになるわ。 K: ウリンゴに座らされる前にですか? M: そうよ。それらの重荷は降ろさないと。そこであなたは言われるのよ。さあ、自分で降ろしなさいって。でもあなたは下ろすのが嫌なの。あなたは(人に)下ろしてもらいたいから。 K: 頭の上の荷物ですか? M: あなたは鞭打たれないとね。自分で下ろしなさいって言われないとね。あなたは鞭で打たれて、痛い思いをしないと。さあ、あなたは重荷を身体から剥がすのよ。バアッてね。それを下に置きます。それが済んだら、あなたは(ウリンゴの)上に上らされます。その上に上らされたら、今度は、例の薪の束よ、7束。

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Munyazi(M): さて、まずは薪一束をあちらから取ってきて、こちらにもって来て、頭の上にのぼらせます。そしてさて、それを下ろします。 Katana(K): 薪の束を? M: そうよ。 K: 大きいんですか?それとも小さい、小さいやつ? M: 小さい、小さい束。でもね、重いのよ。なに?あなた小さい、小さいと(軽いとでも?) K: 子供が運ぶ束みたいな? M: 全部が、これらの小枝を束ねたみたいなね。さて薪の束は頭から降ろされます。バァッて。そして別の人が、また一束を降ろしていきます。バァッて。 K: 7束ね? M: そうよ。さあ、またこの人ももってくる、この人ももってくる。すべての束がすっかり降ろされるまでね。

1693

Munyazi(M): さてそれらの薪が着きたら、さあ、今度は水を入れる瓶よ。同じく7本。全部水が一杯一杯に入れられます。すっかり。さて一人はもって来て、こちらにいる人はあなたにこんな風に背中を向けて(後ろ向きに立って)、手をこんな風にして、あなたに水を掛けるの。こちらの方からね。さてもう一人も、先の人が立っていたみたいに立って、こちらから、こんな風にあなたに水を撒くの。7本全てがすっかり終わるまでね。それが済んだら、いよいよヤギよ。ヤギは頭の上にこんな風に置かれるのよ。 Hamamoto(H): どんなヤギですか? M: そう。赤い(褐色の)ヤギよ。さて施術師が唱えごとをして、その後で、ヤギはこんな風に降ろされます。すべての関節をこするようにね、すべての関節をすっかりね。 Katana(K): 這わせて行くんですね。

1694

Munyazi(M): そうよ。そして屠られるの。さて、それが済んだら、あなたは降ろされます。ウリンゴの上からね。あなたは地面に立たされます。

家に戻り、「夫」と農作業等

さあ、カヤンバです。家に着くまでね。家に着くのは真っ昼間ね。そこで、あなたは手鍬(jembe128)を持たされます。 Hamamoto(H): 手鍬を持たされる? M: 手鍬を持たされます。 H: 家に着いてから? M: そうよ。あなたはしっかり耕さないとね。もし嫌がったら、鞭で打たれるわ。さて、手鍬を持たされます。そしてあなたの夫は、マチェーテ(mundu129)を握らされます。そこに着くと、夫は草を薙ぎ払い、あなたは耕します。彼は草を薙ぎ、あなたは耕す。そんな風にしてあなたは、あなたの夫に嫁ぐわけよ。あなたは嫌がるけど、鞭打たれるの。したたかに打たれるのよ。土地の表面を耕し終わったら、さあ、あなたは(腰に)あなたの手鍬を差すのね。夫の方でも彼のマチェーテをもっていく。そしてあなた方のカヤンバも。その農作業のあいだ中、カヤンバは演奏...

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Katana(K): 主宰した施術師が夫になるんですか。 Munyazi(M): 違うわよ。彼じゃないわよ。 K: 全く別の人。 M: 施術師は、あなた(重荷おろしを受けている女性)のお父さん(役)よ、あなた。(夫役をするのは)、誰でもいいの(カタナ君を指しながら)、あなただってね130。なぜなら、あなたがカヤンバに来ていて、たまたまその場でマチェーテを渡され、彼女(患者)のために草を薙いであげるなら、(そうすることで)あなたは彼女を娶ったってことにされるのよ、その場でね。そのことを知ってないとね。その後であなた方は家に戻ります。

夫のための料理を作る

さあ、家に着くと、あちらには(搗き臼で)搗かれたトウモロコシ。だって、そこでは搗かれないんだから。搗き臼(chinu131)が2つ。一つが頭の上に載せられて、こちらに肩に降ろされて、そのままドスンとこちらに落とされる。 K: 搗き臼が? M: そうよ。そして(もう一つが)頭に載せられて、こちら側(反対側)にドスンと落とされる。さあ、搗かれたトウモロコシ粒を編み籠(kaphu124)の中に入れます。

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Munyazi(M): あの重荷を(頭に載せて)運ぶのに使った編み籠よ。家に着いたら、あなたは(挽き臼の)石を重ねます。あなたは畑仕事もすませた。そちらで、おかずの野草(mutsunga132)も摘みました。さてここ(家)に着いたら、さあ、あなたは何をするの?(挽き臼の)石を重ねます。さっそく臼で挽くのよ。たった数分よ。挽いたら、終わりです。ホット一息。あなたは練粥(wari133)を料理しろと言われるわ。このあなたの夫(役の人)に練粥を料理してあげてと。 Katana(K): 本物の練粥なの、それとも土? M: ああ、本物の練粥よ、そうじゃないと?あなたは(トウモロコシの粒を)挽くでしょ。挽くわけよ。さて、あの夫にあなたはその練粥を与えます。彼は食べることになるでしょう。なぜなら...。

婚資のやりとり

ここで練粥を食べる前に、あなた方は二人そろって寝台に座らされるんだった。 K: 二人そろってで寝台に座らされないといけない? M: そうよ。それから(婚資の受け取りの)言葉に同意する134のが妻、投げ出すお金を差し出すことになるのが、その(夫役の)青年。その後、彼は4シリングを差し出さないといけない。その青年は紙巻きタバコのお金を与えないと。

1697

Munyazi(M): さてここで、あなたの施術上のお父さんが、あなたに尋ねるでしょう。さあ、私にお父さんを教えてくださいって。あなたはまだ憑依状態なのよ、でも。カヤンバが打たれています。そこであなたは、あなたのお父さんはこの人ですって答えるの。あなたお父さん、あなたお母さん、あなたのお父さんはこの人よって。

夫との共食、その後の盛大なカヤンバ、施術の終了

さて、これが済んだら、いよいよ夫に練粥を作ってあげないとね。で、彼が食べて、食べ終える。カヤンバをもう盛大に打ち鳴らして、あなたは残った薬液をすっかり浴びてしまうのよ。これで(重荷降ろしの)カヤンバは終了よ。 さて、ここからは人々に食事を振る舞う手筈ね。で、人々(カヤンバに協力した施術師の弟子たちやカヤンバ奏者たち)と話をつけていたとおりに、彼らにお金を支払って、それが済んだら、みんなで酒(uchi135)を飲んで、おわったら、人々は解散します。どうわかった。こんな具合よ。 Hamamoto(H): ところで、例の練粥は小屋の中で調理されるんですか、それとも? M: そうよ。小屋の中でよ。なに、あなた方、チャリの(シェラを外に出すンゴマの際に、行ってご覧になったでしょ。どうだったの? H: ええ、そのとおりでしたよ。

1698

Munyazi(M): な~んだ。家(の中)で料理されるのは、そうね、あそこで話題になったおかずもね。そして次にあのヤギ。半分はあなた方に与えられます。そしてもう半分は施術師本人が持って帰ります136。彼はこの部分(具体的にどこを指しているのかは不明)を切り取って、彼の弟子(anamadzi137)たちに与えたわ。でも鶏は、施術師がもって帰るわ。施術上の議論としては、彼がムズカに連れて行かれなかったのは、彼に対する過失ね。 Katana(K): ということは、練粥料理し、それが済めば、「重荷降ろし」関連のあれこれはすべて終わったと? M: すっかり終わったわ。

施術の詳細についての質疑応答

K: じゃあ、あのビーズ飾り(matungo148)は何時頃に作られたんですか、あれらのビーズ飾りは? M: 徹夜にやって来る人たちがいるでしょ。ビーズ飾りはその時に作られるのよ。あの昼間にビーズを紐に通して作るやつは、また別。重荷降ろしのためのビーズ飾りはまた別。そちらは今みたいな時間に作られるのよ。

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Katana(K): もし(重荷降ろしのカヤンバが)明日行われるというのなら? Munyazi(M): ええ、今日作られるのよ。で、夜が明けたら、あなたは重荷を降ろされるのよ。ビーズ飾りは、前の日から用意しはじめられるの。という具合なのよ。 Hamamoto(H): つまり、ビーズ飾りが用意できてから、つまりそれを作って、それから(重荷下ろしの)カヤンバが打たれるわけですね。 M: そうよ。 H: その場所で、彼らは間違っていたんだ150 M: もしビーズ飾りを寝かせる(てもよい)憑依霊じゃなかったらね。だって、ビーズ飾りを寝かしてはいけない憑依霊(shetani)たちが、いるんだもの。今日、その日のうちに(ビーズ飾りを)作り、その日のうちに(ビーズ飾りを)作り、それが済んだら、その日に重荷を下ろすのよ。 H: ビーズ飾りは寝かしてはならない。 M: その霊はレロ・ニ・レロ(rero ni rero66)とも呼ばれている霊なのよ。そいつは日中一つで重荷を降ろされ、そのビーズ飾りもその日のうちにすでに作られているのよ(施術全体が2日にまたがってはならない151)。

1700

Katana(K): 一日のうちに作り終えねばならない。 Munyazi(M): そしてその日のうちに重荷を降ろされるのよ。品々は一つとして残してはなりません。 K: すべてのことを調えなければならない。 M: その場で全部ね。 K: 一日で。今日中に。 M: だからもし一晩過ぎちゃうと、あなたは台無しにしたことになる。 Hamamoto(H): 大仕事ですね。その憑依霊がレロ・ニ・レロ(rero ni rero66)なんですね。 M: レロ・ニ・レロよ。そいつ自身が「私はレロ・ニ・レロよ」と言うのを聞いたことない?だって、そいつが人を捕らえると、容赦ないわよ。いつまでも(患者を)挽き潰し続けるわよ。もう大変。 H: ところでウリンゴ(uringo125)が設置される「池(ziya)」ですが、本物の池ですか、それとも搗き臼(に薬液を入れた)池でしょうか? M: 本物の池よ。土のね。

1701

Hamamoto(H): 搗き臼の「池」じゃなくて152 Munyazi(M): とんでもない。なに、彼女(チャリ)は置かれた(臼)で....? Katana(K): あのウリンゴが設置されるのは、水の中、それとも池の外の水際に? M: 池そのものの水際よ。 K: 池そのものの水際? M: そうよ。それはまずは水際に設置されるわ。そこに水が来てれば、最高ね。 K: で(ウリンゴは)小さいんだよね。足がブラブラしちゃいけないんだから? M: そうよ。 K: なんとそれは大変な仕事だね。だって水に足を入れることはないんでしょ。 M: ちがうわよ。あんた、まず大きい方のウリンゴは、このテーブルくらいのが設置されます。で、ここのところ、下に小さいのが設置されるのよ。

1702

Katana(K): (小さい方)は、脚がブラブラしないよう足を置くためのだね。 Munyazi(M): こちらの大きい方も、あなたは人の上に座らされるのよ。その状態で施術がなされるのよ。 K: 膝の上に座らされるんだね。重荷を下ろしてもらう人は、膝の上に腰掛けさせられる。つまり、もう一人の人が先にウリンゴの上に座っている。そして重荷を下ろしてもらう患者(muwele153)は、やって来てその人の膝のうえに腰を下ろすんだね。 Hamamoto(H): その(先に座っている)人は施術師ですか、それとも? K: 誰でもいいんだよ。(施術師の)弟子(mwanamadzi137)とか。 M: 女性の弟子(muteje147)か男性の弟子(mwanamadzi)ね。でも、そこ、ウリンゴの上には(私が身につけている)これみたいなビーズ飾り(tungo148)を身に着けていない人は、座っちゃいけないの。このようなビーズ飾りを持っていて、はじめて座れるのよ。誰でもってわけじゃないの。あんたみたいな持ってない人は、座れないのよ。 K: つまり、その人自身、ビーズ飾りを持っていないとということですね。

1703

Munyazi(M): ところで、あなた、チャリはどんな風に重荷を下ろされたの? Hamamoto(H): ああ、そんな風にはなされませんでした。そこに「池」はありましたが、それは搗き臼の「池」でした。本当の池には誰も行きませんでした。しかもその(搗き臼の)池は、屋敷のすぐ外れに置かれていました。 M: つまり、地上の本物の池で、重荷を下ろされていないの?単に、搗き臼の上の池で行われたの? H: はい、そうなんです。 M: でも人によって重荷下ろしのやり方もいろいろだからね。そうよ。だってこの近くに、女性の施術師がいるんだけど、彼女は... Katana(K): それはレロ・ニ・レロ、それとも? M: イキリク(ichiliku95)よ。イキリク。でもイキリクの別名がレロ・ニ・レロなのよ。そのビーズ飾りは、今日のうちにすっかり調え終わらせなさい。さあ、重荷も下ろし終えなさい、すっかり。することはすべて、一つも残らないようにね。

1704

Munyazi(M): ちょうどこの人みたいに、(ビーズ飾りは)今日、この日のうちにすっかり作り終えている。カヤンバが開始されます。(その時には)さあ、あなた方はもうすっかり作り終えてます。 Katana(K): あなた方はイキリク(のビーズ飾り)をすでにし終えている。 M: そうよ。ビーズ飾りの作成は、後で再開するのはだめなの。夜が明けたら、あなた方は一つの課題だけを追求しなくっちゃ。 K: でも、もしあなた方がまたビーズ飾りを作りだしたら、そのときは... M: あなたたちは、(イキリクを)元に戻してしまうことになるわよ。 K: あなた方は、それを元に戻して、そいつ(イキリク)はまた引き続きあなたを困らせるようになってしまう? M: そう、そのとおりなのよ、厄介じゃない? K: つまり、あなた方は(イキリクを)元に戻して、あなたを困らせ続けるようにしてしまう? M: そうよ。 K: なんと強力な奴だね。

1705

Katana(K): ところで瓢箪(子供)には、その中に普通何を入れるのですか? 何と何が入れられるんですか、その瓢箪子供(mwana wa ndonga)には? Munyazi(M): ただの根(mizizi)じゃないかい? K: 根(mizi154)ですか? M: そうよ。削い(yikunwe155)で、削いで、その後は炒ったりせずにね。 K: 炒めないんですか。 M: いいえ。細かく搗き砕くのよ。そのまま(瓢箪の)中に入れるのよ。それから、蜂蜜。もしその瓢箪が蜂蜜の瓢箪じゃなければ、入れるのはヒマの油(mafuha ga nyono44)よ。 K: 人によっては、ええと、心臟を入れると言いますが?心臟をどうやって入れるんでしょうかね。 M: 施術師の言葉遣いよ。瓢箪は心臟を入れるって。 K: 聞くところによると、聞いた話に過ぎませんが、鶏を屠ると。聞くところによると、施術師によっては鶏を屠って、その心臟を中に入れるのだとか。

1706

Munyazi(M): 重荷下ろしの際に、屠られたヤギが持ってこられるわね。中でピクピクしているわよね。 Katana(K): 皮膚がぴくぴく痙攣しているところですか?ヤギの身体で痙攣ぴくぴく痙攣しているところ。 M: そうよ。そこをほんの少しずつ切り取ります。ほんの小さくね。さて後でそれを瓢箪の中に入れられるわね。 Hamamoto(H): おお、心臟は入れられないんですね。 K: だって心臟は腐っちゃうもの。そうなるとそれは臭うだろうしね。 M: そうなるとまずい。だって、もし瓢箪のなかに大きな肉そのものを入れたら、それはそんなふうにして瓢箪の中の物を台無しにしてしまうだろうしね。 K: 臭い始めるだろうね。ウジが涌いちゃうかも。 M: さてさて、そうなるとあなたは失敗したことになるよ。それが癒しの術っていうもの。

1704

Hamamoto(H): もし(ムニャジが「重荷下ろし」を受けることを)知っていたなら、私も来たでしょうに。来てすべてをよく見れたでしょうにね。 Munyazi(M): だって、そもそもこの場所も知らなかったでしょ。どうやって来れたっていうの。それにこの人(カタナ君)も、ここにほとんど顔をださないのよ。 Katana(K): そうだね、最後に来てからずいぶん経つね。でも今やこうして頻繁にお邪魔するよ。 M: あんた、そう言いながら、まったく来ないんだから。

考察・コメント

ムニャジ本人が患者として実施された「重荷下ろし」の施術で、行われてから2か月足らずであったため、かなりの細部まできちんと紹介されている。ただムニャジが、「外に出る」ンゴマ(ngoma ya kulavya nze)を受けて、施術師として活動を始めるのは1990年の1月11日であるので、この時点ではムニャジはまだ施術師にはなっていない。憑依霊の施術についてけっこう詳しい知識があるにも関わらず、施術師の瓢箪子供に何を入れるかについてのカタナ君の質問に、きちんとは答えられていないのを見ると、このあたりは施術師にならないとわからない部分があるのかもしれない。ムニャジを外に出してくれる彼女の施術上の父ムァインジ氏は、瓢箪子供に鶏の心臟を入れる流儀の施術師なのだが、この時点でムニャジは(カタナ君の議論に引きずられたのかもしれないが)、心臟を入れることには否定的にみえることからも、まだムニャジがムァインジ氏から瓢箪子供に何を入れるのかの知識を教えられていないことが推測される。

しかし「重荷下ろし」の施術で行われることについては、かなり最大漏らさず報告されており、それが基本的には正しいことは、この施術の実際の施行事例とりわけムァインジとムニャジがそれぞれ男女の施術師として主宰したメムロンゴの「重荷下ろし」のカヤンバ(なおこの施術にはチャリ夫婦もゲストとして参加していた)で実際に行われたことと対照して見ると、よく分かるだろう。

注釈


1 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
2 ムコイ(mukoi)「交差イトコ」。父の姉妹(tsangazimi)の子供、母の兄弟(aphu)の子供。ムコイどうしは互いに「冗談関係」にあり、会うたびに冗談を言い合ったり、嘘を吐いたり、いたずらを仕掛け合ったりする。ムコイとは結婚することも可能。一方平行イトコは単にンドゥグ(ndugu「兄弟」であり「姉妹」)であるので結婚も性関係も不可。
3 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(4)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana114, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
4 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi3)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari5)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)93」とライカ(laika71)およびシェラ(Shera67)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師7を「外に出し」てもらうことになる。
5 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師6などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze56を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba57)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)7」とドゥルマ人(muduruma59)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri69)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza68)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
6 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia7)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
7 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師8。内陸bara系9であると同時に海岸pwani系10であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」55)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
8 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia7)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
9 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
10 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume11)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani51)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
11 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola12)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
12 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini13」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa1415と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume11)、カドゥメ(kadume23)、マウィヤ人(Mawiya24)、ドゥングマレ(dungumale27)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga47)、トゥヌシ(tunusi48)、ツォビャ(tsovya50)、ゴジャマ(gojama26)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu21」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」22)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
13 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola12)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
14 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa15)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola12)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち18)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba10)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu21)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni22)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini13)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
15 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」16など)を行うことなどを意味する。
16 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ17などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
17 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ16」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
18 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo19)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
19 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso20)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine18)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
20 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
21 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ22)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola12)の対象となる。
22 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu21」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
23 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
24 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde25)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama26)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
25 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
26 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola12)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
27 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola12の対象になる)15。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama28
28 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu29)の草木、ドゥングマレ(dungumale27)、ニューニ(nyuni22)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala46)に同じとも。
29 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)30との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
30 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza31)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる35。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている36。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
31 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya32)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu34)とセットで設置される。
32 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo33)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza31)と呼ばれるが)。
33 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
34 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza31、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
35 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供36がある。瓢箪子供の各部の名称については、図45を参照。
36 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供35。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神30がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande37)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料43)、血(ヒマ油44)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
37 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符38。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
38 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata39)、パンデ(pande37)、ピング(pingu40)、ヒリジ(hirizi41)、ヒンジマ(hinzima42)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
39 ンガタ(ngata)。護符38の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
40 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符38の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
41 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima42)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
42 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi41)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
43 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
44 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
45 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
46 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama28とも呼ばれる。ムルング2930、ドゥングマレ(dungumale27)、ニューニ(nyuni22)の草木。
47 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
48 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine18)の一種という説と、ニューニ(nyuni22)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ49らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola12)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
49 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
50 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ22の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola12)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa15」。see p'ep'o mulume11, kadume23
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
51 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」52による鍋(nyungu34)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe54)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu40)。
52 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術53においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba43)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande37)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu34)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
53 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
54 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
55 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia7)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
56 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
57 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba58)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」54、香料43と海岸部の草木52の鍋34。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
58 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
59 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性60)、カシディ(kasidi 女性61)、ディゴゼー(digozee 男性老人63)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele113)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
60 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma59)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
61 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma59)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga62)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。
62 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供36がある。
63 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo64)マンダーノ(mandano65)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
64 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
65 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ66とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ67の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
66 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera67)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza68)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)93」、「外に出す(ku-lavya konze56)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki112
67 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)68、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす93)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku95)、おしゃべり女(chibarabando96)、重荷の女(muchet'u wa mizigo97)、気狂い女(muchet'u wa k'oma98)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma99)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo109、長い髪女(mwadiwa110)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba111)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
68 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri69)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika71)やシェラ(shera67)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri69)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza92)を施され、ンガタ39を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
69 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術70)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza68と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
70 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ69は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine18)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
71 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi72)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka73) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri69)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi77など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo78,laika mukusi79など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe80, laika ra nyoka80, laika chifofo83など。(4) その他 laika dondo84, laika chiwete85=laika gudu86), laika mbawa87, laika tsulu88, laika makumba89=dena90など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze31)で薬液を浴びる、護符(ngata39)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza68)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
72 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
73 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi74)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
74 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao75))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka73)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
75 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi74)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine76)に数えられることも。
76 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ18もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
77 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni22)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
78 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
79 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
80 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira81)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka82)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
81 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
82 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
83 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
84 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi72)の別名ともいう。
85 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
86 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
87 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
88 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
89 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena90)の別名。
90 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ71と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari91)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande37)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
91 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)68」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena90が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee63)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande37には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
92 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
93 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo94)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
94 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
95 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera67)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
96 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera67の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
97 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ67の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
98 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ67の別名ともいう。
99 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera67)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo100))の別名ともされる。
100 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo101, mupweke102, mutundukula103, mupera(mpera104), manga105, mbibo(mubibo106), mukanju(mkanju107)
101 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
102 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
103 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
104 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
105 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
106 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)107、muk'orosho(mkorosho)108。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
107 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo106を見よ。
108 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo106を見よ。
109 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ67の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo100)の女性であるともいう。
110 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
111 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
112 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero66)の草木。
113 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
114 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)115」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
115 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
116 モンベル製のMoonlightOneという一人用の重量1.5キロの超小型シェルターを、屋外で夜を明かさねばならない可能性があるときには、常に携行していた。快適すぎて、ちょっと休むつもりが、ぐっすり寝てしまい、大切な施術の見どころを見逃すことも多々。
117 この年の科研費調査で私がドゥルマのフィールドに入ったのは1989年8月29日だった。
118 ンガッ(ng'a, onom.)。あるいはンガーッ(ng'aa)。眩しく光るさま、ぱっと開くさま、裂けるさま、などを表す擬態語。「輝く、光る、明るくなる」を意味する動詞ku-ng'alaより。
119 ドゥルマの時間の捉え方は、イスラム世界(スワヒリ世界)におけるそれに類している。一日は日没に始まり、次の日の日没までである。日本の呼び方で午後7時は、スワヒリ・ドゥルマではsaa mwenga(saa moja in Kiswahili)つまり1時で、一日の最初の1時間が経過したことを示す。日本の呼び方で午前0時はスワヒリ・ドゥルマではsaa sita、つまり6時である。日本の呼び方で午前6時はスワヒリ・ドゥルマではsaa kumi na mphiri(mbiri in Kiswahili)12時となる。ここから一日の後半のカウントが始まり、日没前の午後6時、スワヒリ・ドゥルマ風に言えば12時で一日の終りとなる。という訳でドゥルマ語で8時(saa nane)といえば、日本の呼び方では夜中の2時、あるいは昼の午後2時を指すことになる。
120 クチ(kuchi, pl. makuchi)。エダウチヤシ(mulala、Hyphaene compressa)の葉で編んだ長円形のマット。ディゴ地域ではエダウチヤシではなく、野生ナツメヤシ(mukindu, Phoenix reclinata)が用いられている。
121 ブー(buu)。何かに覆われてしまったさま、覆い隠されるさまを表す擬態語。ブーの代わりにンブー(mbuu)、あるいはブブブ(bububu)も用いられる。ku-finikira「(布などで)カバーする、覆う」やku-binikiza「蓋をする、覆う」などの動詞を伴う場合もある。覆われてしまった者は、無力で何事(仕事も)もうまくいかなくなる。pheeまたはpee122との対比で用いられる。こちらを「明」とするとbuuまたはmbuuは「暗」に当たる。
122 ブゥエー(phee yiyi-)。「小康、回復」。ブゥエーの代わりにペー(pee)を使ってもよい。同じ意味にバハ(baha, yiyi-)。"homa rangu rihenda phee. 私のマラリアは少し収まった= homa rangu rihenda baha"。pheeまたはpeeは、しばしばbuuまたはmbuu121との対比で用いられる。後者が「暗」だとすると前者は「明」になる。
123 フンドゥ(hundu, pl.mahundu)。まだ緑色の(乾燥していない)ヤシの葉で編んだ籠。スワヒリ語由来のパカツァ(pakatsa)(スワヒリ語では pakacha)という言葉も用いられる。
124 キカブ(chikaphu)。エダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋。編み籠。一本~二本の持ち手(sikiro)がある。大きいものはカブ(kaphu, pl.makaphu)。pictures from Moukimou
125 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。治療で用いられるものは、概ねムコネ(mukone126)の木で作られる。座ったり物を置いたりする台の部分には切りそろえた小枝(tsaga)を簾状に編んだ物を用いることもある。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)、キリンゴ(chiringo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ67に対する「重荷下ろしkuphula mizigo93」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni22)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
126 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003b:394,Maundu&Tengnas2005:255-256)
127 マツォ マフ(matso mafu)。「素面(しらふ)」(字義通りにはmatso=目 -fu=固い、固い目=素面)。憑依霊の文脈では、憑依状態にない、素面であるの意味。「憑依状態にある」ことは、kugolomokpwa 以外に kukala t'ele(字義通りには「満たされている」、なおこれは、酒に酔っているという意味でも用いられる)
128 ジェンベ(jembe, pl.majembe)。「手鍬」。柄は短く、腰を折り曲げて耕す。jembe mundani 字義通りには「畑の手鍬」であるが埋葬時に女性たちが儀礼的に示す、身体に土を擦り付けての卑猥な内容の歌と踊り、男性たちに対する略奪的振る舞いなどを指している。
子供用というわけではありません
129 ムンドゥ(mundu, pl.myundu)。「マチェーテ、山刀、大なた」
130 ここでムニャジは、「重荷降ろし」で患者の夫の役を務めるのは、たまたまそのカヤンバに出席していた誰でもいいと言っているが、それはムニャジ自身に夫がいないせいで、もし患者にすでに夫がいる場合には、彼が夫の役を務めることになるのが当然である。なお主宰する二人の施術師は重荷降ろしをする患者=憑依霊シェラの父と母ということになる。
131 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
132 ムツンガ(mutsunga, pl.mitsunga)。字義通りには食用の野草を指すが、肉類も含め、トウモロコシの練粥とともに食べる副菜類全般がムツンガとして語られる。畑で栽培されるササゲやキャサバ、カボチャ類の葉も好まれるムツンガであるが、多くは文字通り畑の周囲に自生した野草である。
133 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wari)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。
134 ク・カビディ(ku-kabidi)。アラビア語語源のスワヒリ語 ku-kabidhi より。スワヒリ語の ku-kabidhi にはいろいろな意味があるが、ドゥルマ語ではもっぱら「(婚資を)受け入れる、受け取る」の意味で用いられている。
135 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
136 今読み直すと、このやり取りはすれ違っているのがわかる。私は重荷卸の最後に、患者=シェラが「夫役の男」のために作る練粥のことを尋ねたつもりだったのだが、どうやらムニャジさんは、すべてが終了した後の来客や施術師や弟子たちに振る舞う練粥とスープのことを尋ねられたと思ったようだ。
137 ムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga138)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジは男性の助手、ムテジ(muteji147)は女性の助手という区別があるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
138 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba111)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)139や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)141ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo33)や鍋(nyungu34)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)142145に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ146)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
139 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」140を参照されたい。
140 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba111)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)139や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)141ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
141 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」140を参照されたい。
142 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu,mbumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri143)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira144)」と呼ばれることもある。
143 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。別名 mutsongo。
144 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ145の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(142)、カヤンバ(145)と同じ意味で用いられる。
145 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti143)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira144)」と呼ばれることもある。
146 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
147 ムテジ(muteji, pl.ateji)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga138)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジ(mwanamadzi137)は男性の助手、ムテジ(muteji147)は女性の助手という区別もあるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
148 トゥンゴ(tungo, pl.matungo)。ビーズを紐に通して作った飾り物で、関節部に身につける。施術師の装束の一部。「制作する、ビーズ飾りを身につける」を意味する動詞ク・トゥンガ(ku-tunga)より。集合的にマレロ(marero149)ともいう。
149 マレロ(marero pl.のみ)。ビーズ(ushanga)で作った装身具、特に施術師らが身につける装身具の総称。chisingu 頭部につけるもの、tungo(pl. matungo) 関節部につけるもの、mudimba 首から背中にかけてつけるもの、mudzele たすき掛けにつけるもの、など。
150 ここで私が思わず口にした「彼らの過ち」とは、この前の週に行われたばかりのチャリさんに対して行われた「重荷降ろし」で主宰した施術師ニャマウィ氏らが、ビーズ飾りを施術終了までに完成させることができなかった件である。これは、チャリとムリナの夫婦も、この施術の過ちの一つとして挙げていた。
151 念のために付け加えておくと、ドゥルマ(スワヒリ)では一日は日没に始まり、次の日没に終わるとカウントされている119。というわけでビーズ飾りは日没後、夜を徹して作られ、夜が明けてから日没までの間に「重荷降ろし」を終わらせねばならないのである。
152 私がしつこく食い下がっているのは、1989/12/16のチャリの「重荷おろし」ではウリンゴは池の畔ではなく、屋敷のすぐ外の空き地に据えられ、その前には薬液をいれた搗き臼が置かれていたからである。
153 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)140であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
154 ムジ(muzi, pl.mizi)。「根」
155 ク・クナ(ku-kuna)。「削ぎ落とす,削り取る,掻きむしる」を意味する動詞。