チャリのフュラモヨに対するクブェンドゥラ

目次

  1. 概要

  2. クブェンドゥラの準備と施術手順(フィールドノートの記述)

    1. 準備

    2. 施術

  3. クブェンドゥラの唱えごと(ドゥルマ語書き起こしテキストの日本語訳)

  4. 考察・コメント

    1. クブェンドゥラの基本構文

    2. 生き返りのプロセス(鶏たちの周回)

    3. クブェンドゥラの効果

  5. 注釈

概要

前日のムァダル氏によるムラムロ占い(mulamulo1)において、その前々日の9月6日にチャリが首を吊って自殺を企てていたことが明かされ、私はびっくりした。その日の午前中に私はチャリたちから二人の結婚の経緯を聞き、チャリが若い頃取得した身分証明書を見せてもらったりしていた(1991/09/06 Fri, jummaの日記より)。その後、午後に自殺を企てていたことになる。

そのムラムロ占いの勧めに従って、占いの翌日にさっそくチャリに対して掛けられた妖術フュラモヨ(fyulamoyo3)の治療として、妖術関連の施術師でもあるムリナ氏自身による妖術返しクブェンドゥラ(kuphendula4)が行われることになった。ムリナ氏が他の妖術の犠牲者に対して行ったクブェンドゥラは何度も見る機会があって、フュラモヨのクブェンドゥラは、浜本 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』でも紹介している(pp.130-142)。クブェンドゥラは妖術治療の基本で、他にも「トゲの妖術」「ハリネズミの妖術」「ムコモの妖術」「テゴの妖術」などのクブェンドゥラも見る機会があったが、施術はすべて基本的には同じ手順に従っている。上記の著書では施術の大まかな紹介にとどまったが、折角なのでここではほぼ全データを提示することにする。

当日(1991/09/09)は早朝からムリナたちの屋敷を訪問したが、キナンゴへの買い物を頼まれ、戻るとチャリはいつものように占いムブルガ(mburuga2)をしていた。2件の占いが終わり、チャリへの施術はその後で始まった。次の日記の記述からもわかるように、施術師の日常そのもの、平常運転で、深刻さの欠片もなかったのは意外。

(from diary of Sept.9, 1991,Mon,kpwisha50)51

チャリのところに寄ってからキナンゴに行き、頼まれた買い物を済ませて戻ると、ちょうどmburugaの真っ最中。二組録音。どちらもよく当たる。...(中略)...その後すぐ、チャリ自身に対するkuphendulaをはじめるということだったので、そのまま残る。いっしょにmihi19を探しに行く。帰ってきてすぐvuo31の用意をし、kuphendula。ムリナは真剣だが、チャリは機嫌よく冗談などを飛ばしている。しかし、実際にはチャリが首をくくろうとしているところを発見されたという出来事が背景にあるので、このkuphendulaでもchiryangona52としてロープ(浜本注 2026/09/29: ロープと言っても施術で用いたのは首吊りにはとても使えそうにない細紐だった)を用い、木の枝に引っ掛けてそれをチャリの首に結び,kuphendulaするという趣向になっていた。笑い事じゃないぞ。 終了後Zu...さん(浜本注 2026/09/29:別の施術客)が来るが、カタナくんが腹を空かせて待っているに違いないので(もう2時だった)出された昼食を辞して帰宅。

クブェンドゥラの準備と施術手順

(from fieldnote of Sept.9, 1991,Mon,kpwisha50)53

準備作業

  1. mihi ya peho55 (以下の3つは早朝に集められていた) reza58 phozo60 chitwadzi57

  2. 占い2件終了後

(1)アリ塚(koro)を鍬で崩して掘り、muzi127 wa koroni を採る。 まず掘り崩し、根をつかんでChariがkugomba128。その後、掘り出す。 蟻塚での唱えごと

(2)muhini19 kakpwaju(makodzage129)65 munyumbu(makodzage)61 muvumo(makodzage)130 mutserere(makodzage)62 mulozi131、 makokoteri135しながら 頭の中でfilimbi139のような音がする muvunzakondo(makodzage)140 mulindi(ng'ondu)根 143 mwadiga 根 144 muzuka12の木でもある munyala 145 mukone 56 mugoza 119 muyu 146 mkengeja(gendanalufu)67

(3)ndala147で葉をバケツの水の中で揉み潰しながらmakokoteri135 薬液作りの唱えごと

(4)ndonga44を左手に持ち、右手の掌に打ちつけながらmakokoteri 瓢箪のなかの薬に対する唱えごと ndongaの中の黒いmureya153を(3)のvuoに加える mulindiの根をchinu154で潰したものを加える
(5)ndongaの黒いmureyaで地面に図(muhambo=罠)を描きmakokoteri トウモロコシの粉でまず描き、それに沿ってmureyaの粉を撒く。罠の中程に布で包んだmuhasoを置く。そして図の頭部と脚部にそれぞれ人頭の瓢箪とmureyaの瓢箪を置く 罠に対する唱えごと

クブェンドゥラの施術

(6)Chariを罠の上に足を投げ出して座らせる 施術開始の唱和

  1. k'uk'u wa kundu155 反時計回りに7周、毛を毟りながら 鶏の足をもってvuoに漬け、Chariに振り掛ける その後Chariの身体のいろいろな部分(腕、胴、脚)の周りを撫でるように巡らせる この鶏は屠られない 赤い(褐色の)鶏に対する唱えごと

  2. k'uk'u wa chidimu155 時計回りに6回 鶏は屠られ、チャリの頭越しに外に投げ捨てられる 鶏は左を下に、頭を屋敷の外に向けて倒れる(吉兆) 逆毛の鶏に対する唱えごと

    逆毛の鶏を頭の上に置いて唱えごと。その後、鶏を薬液に浸して羽を毟りつつ周回。チャリの首には紐が巻かれ、その端は左手の木の枝に結びつけられている。

  3. k'uk'u mwiru155 羽を毟りつつ、反時計回りに5回 k'uk'uをチャリの身体の各部分にこするように回す k'uk'uの蹴爪を切り落とし、切り口から出る血をvuoに k'uk'uをvuoに浸けて、それで薬液をチャリに振り撒く Chariの頭の上に乗せる (黒鶏(力(nguvu)の雌鶏)はそのまま屋敷で飼われる) Chariの首に掛けられていたmukowa156を切る 黒い雌鶏に対する唱えごと

    首に結んであった紐が切断され、頭の上に置いた黒い鶏の上から薬液を注ぐ。

    (7)Chari、全身をvuoで洗う

    (8)Chari立ち上がらせられ、手を強く振る、脚をキックするような動作

    (9)その後、vuoの残りに水を足して、地面に描かれた罠(muhambo)を洗い流して消す。

    (10)ndalani147でチャリにkutsodza101を施す

クブェンドゥラの唱えごと(日本語訳)

各パラグラフ冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語テキストに飛びます。ブラウザの戻るを用いて戻って下さい。

2909 (屋敷の外の蟻塚にて。ムリナ、蟻塚の中に延びている木の根が見えるまで蟻塚を掘り崩す。)

Murina(Mu): その根をつかんで、あなたが述べたいことをお言いなさい。私が根を掘り出すから。 Chari(C): さて、私はお話します。このような時間にお話することもなかったでしょうに。私がお話するとすれば、私は私の癒しの術(uganga)のためにお話するのです。私の癒しの術のためにお話するうえで、まず私は他人に悪をなしてはいません(字義通りには「私は他人に対して罪はありません」)。私は他人に悪をなしてはいません。私は癒しの術の人です。そしてこの癒しの術とともに、私は今こうして、ここキナンゴ(サブロケーション157)にやって来ました。キナンゴにやって参りますと、大勢の人がその癒しの術に詰めかけてまいります。なんとドゥルマ人というものは、そういうのを嫌う(嫉妬して憎む)のです。今では私は妖術をかけられてばかりの者になってしまいました。 そう。私はお話いたします。私は夢の中で、(情報を)与えてもらいました。私は言われました。「お前自身も、お前の癒しの術も、蟻塚のなかに置いてこられた。地下世界に置かれてしまったのだ」と。今日、このときに、私はやって参りました。私はムリナとともにここにやって参りました。ムリナも癒しの術をもっておりますし、私もまたもっております。私の癒しの術はここに閉じ込められてしまっているのです。

2910

Chari(C):(つづき)なぜなら私はこんな風に言われているのです。「ああ、こいつは癒しの術を手に入れた、そいつの夫まで同じように治療している、それはこの女が占いを打つからじゃないか。よしこいつの癒しの術を封じてしまうぞ。その癒しの術が死ねば、彼らの癒しの術は取るに足らないものになるだろう。さあ、こいつ、驚き途方に暮れるがいい。だってこいつは傲慢(ngulu159)なやつだから、こいつは。」 今日だって、私自身、そんな風に言われたのよ(たぶん夢でだろう)。だから今、そうよ、私はここにやって来ました。そしてムリナもいっしょに。私たちは私たちの癒しの術を取り返しにきました。私たちの友人もいます。証人です。私たちの子供(施術上の子供)、そうカリンボ(浜本)です。彼も、私が話すことを理解しています。この者は遠方の人です。たぶんムルング39が私たちが一緒に癒しの術を取り戻しに来るように、定めていたのでしょう。 さて、今日、今、私は、お前この根よ、私がお前を採り、細かく削って、それを燻し浴びれば。そう、大繁盛(pakapaka)です。病人たちが締め出されるのは嫌です。私は病人たちがやって来るよう、お金をもってやって来るよう望みます。やって来て(料金が払えずに)借金する病人じゃなくて。私はお金が欲しいのよ。私のお金は稼ぎです。癒しの術を私は今たしかに取り返しました。もしそれが蟻塚の中に置かれていたのだとすれば。

2911 (ムリナ、薬液を作りながら唱えごと)

Murina(Mu): (冒頭部は口のなかでもごもご唱えごと、まったく聞き取れない)...お前の仕事は冷やすこと。サラマ、サラミーニ160。冷しの草木たちは、どいつもヌルヌル(nyunyu161)している。先日のこのフュラモヨ、こいつは今日には、そうすでに過ぎ去ったもの(字義通りには「昨日、一昨日のこと」)。今日、今は、私はそいつを冷したと断言した。あなた方、冷しの草木(mihi ya peho55)によって。ヴンバ(Vumba:タンザニア・ペンバ島の一地方)(の妖術)をお前は冷やす、ボンデ(Bonde:渓谷、湿地、タンザニアの地名の一つ)(の妖術)をお前は冷やす、ダルーニ(Daluni:タンザニアの地名)(の妖術)をお前は冷やす。マシュア(Mashua:タンザニアの地名)(の妖術)すらお前は冷やす。ヴンバのそれを冷やす、冷やす。山のそれも冷やす、小人族(mbilichimo94)のそれも冷やす、トゥンバトゥ(Tumbatu:ザンジバル島北部の島)のそれも冷やす。アーメン。 草木は戦いあう。草木と草木、出会うと必ず戦うべし。草木はしのぎあう。今、私は命じた。打ち負かせと。お前、草木よ。サラマ、サラミーニ。

2912 (黒い薬の入った瓢箪を手の掌に打ち付けつつ唱えごと、冒頭部は同様に口のなかでつぶやくように発されるため、聞き取れない)

Murina(Mu): さて。犀のフュラモヨ162があるという、象のフュラモヨがあるという、野牛のフュラモヨがあるという、コウモリのフュラモヨがあり、ムジム(muzimu163)のフュラモヨがあり、雷のヘビ164のフュラモヨがある。ジメネ(dzimene165)の、ムバユムバユ166の、ムボングウェ167の、ジメネの、フカラ168の、ドゥワ169のフュラモヨがある。 この人、チャリは過去に妖術にかけられた、そしてまたチャリは妖術にかかっている。そう彼女は妖術をかけられているが、それは罪だ。チャリは人の食べ物を食べない(他人の富を横取りしたりしない)。チャリは単に人。この人には、施術の持ち主である祖霊がいる。そうした(祖先の)施術師たちがやって来て、チャリに癒しの術を与えたのだ。チャリ自身は癒しの術がいったい何なのかを知らなかったほど。でもドゥルマ人たちは、そう、今や彼女に嫉妬の目を向けている。(嫉妬のあまり)夜も眠れず、昼も落ち着かない。チャリの名前とともに昼を過ごし、チャリの名前とともに夜を徹する。いったい何のせいだろう。チャリだ。彼女の癒しの術が死にますように。さらには彼女自身も死んでしまいますように。 ねえ、彼らはムルング39ではないのに。やつらはムルングと打ち合わせたわけではないのに。

2913

Murina(Mu):(つづき) さて、私はお前を盗んではいない、お前、草木よ、使役される者よ。草木はその父親に使役される、草木よ、お前はその母親に使役される。お前には父はいない。お前の父は、他ならぬ私だ。お前に母はいない。お前の母は他ならぬ私だ。なぜなら私はお前を盗んではいないから。私はお前を私の金で買った。私はお前を、マンガレ・ワ・ンゴメから買った。さらにお前を、カチュンガ・ワ・ベカンガ・ムンガから買った。次いで、お前をルワンボ・ワ・バヤから買った。さらにお前をズマ・ワ・ンゴマから買った。サラマ、サラミーニ。 (ムリナ、彼の娘タブ171に話しかける) Mu: そこにある切り株が見えなかったのかい? Tabu(T): 見えなかったわ。 Mu: ああ駄目だ。お前さんは、この木のことを知らない。 Chari(C): その子、それを知らないの? T: バオバブの実を摘む、あのバオバブの木でしょ? Mu: バオバブの実は知ってんだ。

2914 (地面に描いた「罠」に対する唱えごと)

Murina(Mu): サラマ、サラミーニ。草木(muhi19)よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は捕らえよと言われれば、捕らえる。お前は離せと言われれば、離す。今日、今は、そうチャリだ。チャリは悪しき言葉で打たれた。その悪しき言葉が、それを行ったのが女であるのか、男であるのか、私は知らない。私は、ただチャリを冷やせればと願う。そして今日この日、お前フュラモヨによって。 お前、雷のフュラモヨよ、ンザイコ(nzaiko172)のフュラモヨよ。ンザイコ雷、ンザイコ・フュラモヨ。ムジム(muzimu173)のフュラモヨがある。兎のフュラモヨがある。犬のフュラモヨがある。猫のフュラモヨがある。雷のフュラモヨがある。コウモリのフュラモヨがある。ワニのフュラモヨがある。お前、ワニのフュラモヨはお前だ。お前が捕らえた人は、水の中に潜り込む(入水自殺する)。その人の人生はワニの人生だった。本来、人間はそんな生き方はしない。チャリは、まさにそうあれと(妖術使いによって)唱えられているのだ。

2915

Murina(Mu): チャリはコウモリのフュラモヨも(妖術使いによって)与えられた。ロープで自分の首を吊るフュラモヨだ。さらにムベガ(アビシニア・コロブス猿)のフュラモヨもある。ムベガは地上では暮らさない。ムベガは上の方で(木の上で)暮らす。チャリは上にいるように(動転して落ち着かないように)と唱えられたのだ。まるで生きているのに死んでいるかのようにあれと(字義通りには「中(この世の)にいるようで、そこにいないかのように」)。 私は申し上げる。私は癒し手ではないと。癒やし手本人はムルングだ。私がすることと言えば、きちんと整える(ku-sawazisha174)ことだ。そしてチャリの心(roho)を、それが(妖術使いによって)置かれた場所から救い出すことだ。 私はお前たち草木を買った、そう、私の目的のために私はお前たちを買ったのだ。何の目的だって?友がこのような難儀に陥っているのを見たとする。さあ、私はこれらの草木を摘み採って、その人を治療するようにと。チャリを。そして今日、今、私はお前たち草木を摘み採った。チャリのために摘み採ったのだ。チャリがこれらの草木で打たれるとき、チャリの身体が涼しい風に打たれますように。彼女が涼しい風に打たれますように。あのフュラモヨが、彼女から出ていくことができ、チャリがロープで自分を試すようなことは、なし。

2916

Murina(Mu): (つづき)お前、ロープのフュラモヨよ、ナイフのフュラモヨよ、マチェーテ(mundu175)のフュラモヨよ、自動車のフュラモヨよ、フュラモヨよ。さらに飛行機のフュラモヨもある。ムチャンダ・クラン(muchanda)のウシ囲いのフュラモヨもある。水のフュラモヨもある。蛆虫のフュラモヨも、ヘビのフュラモヨも、コウモリのフュラモヨもある。フュラモヨ・ピンダモンゴ(pindamongo176)も、ジメネ165も、ムバユムバユ(mbayumbayu166)も、チャリカ(charika177)もある。 お前、チャリカが(その中で)踊られる場所がある。お前、キブンブンブ(chibumbumbu178)、女たちの太鼓。お前は踊られることなし。踊るのは女たち。 ジメネ(自己嫌悪)、発狂する者、裸で歩く者。お前たちは裸だ。お前、お前はとってもたくさんの問題を引き起こす。大便のなかの大便。お前には屋敷はない。お前には畑もない。お前の父の肛門、お前の母の肛門。 お前、フュラモヨよ。どんな仕方で呪詛される(kpwapiza179)のか。お前はマチェーテ(を媒体=chiryangona52として、それで自殺するよう)呪詛される。お前はロープで呪詛される。お前はナイフで呪詛される。お前は何で呪詛されるのか?斧で呪詛される。

2917

Murina(Mu):(つづき)お前は何で(何を媒体として)呪詛されるのか。お前は自動車で呪詛される。さらにお前は何で呪詛されるのか。お前は高い木で呪詛される。お前は登り、手を離し、落下する。お前は水で呪詛される。 今日、今、私はチャリを治療する。私は。チャリその人は、他に所有者はいない。所有者は私一人だけだ。そして私は、今日、今、たとえもし奴らが私とチャリが仲違いするようにと唱えていたとしても、そいつらは疲れた、疲れ切った。なぜなら、お前フュラモヨを私は治療し、すっかり無くしてしまったからだ。だから、やつらは私と虚しく対抗しあっただけだ。やつらは、やつらの煎り炒めたもの(薬)で私に対抗した。私の方は生(なま)のもの(生の薬=草木 muhaso witsi)だ。こうして今日、今、私はここ私の屋敷において、フュラモヨを冷やす。人々よ、おおいに笑い、笑うがいい。私は笑いと談笑を好む、わはは、わはは。それこそが良きこと。それこそ私が欲するありかた。人間はそんな風に暮らすものだ。なぜなら争いは屋敷を築かないのだから。

2918

Murina(Mu):(つづき) お前、断裂キコモ(chikomo180)よ、夜に昼に閉ざす(ku-komeka=(ス)ku-komea)者よ。今日、今、お前キムチャフオ(chimuchafuo182)よ、駄目にする(ku-chafua)者よ。お前、キディニャ(chidinya183)よ、キディニャはお前、キクヮタ(chikpwata=棘のある実をつけるアカシア・エトバイカの木184)だ。キクヮタは、どんな人でもお前の近くを通ると、お前のそばを通ると、その者をつねらずにはおらない。お前は人に嫌がらせをする者。そして人に嫌がらせをする者は、お前ムヴンザコンド(muvunzakondo140)だ。そいつこそ、お前、ムァンガキツワ(mwangachitswa185)だ、ムァンガキツワ。お前は人の頭を(妖術的に)襲う(kpwanga186)よう言われた。耳鳴りがする。心臟は激しく動悸を打つ。心臟は破裂する。お前、キクァクァラ(chikpwakpwara187)よ、小雨季に轟き、大雨季を締めくくる者。大雨季に轟き、小雨季を締めくくる。今、チャリの身体より出て、あちらの海でトカゲウオ(ngoromwe188)を喰らえ。海を出て、内陸の荒蕪地に言って、エランドやシマウマを喰らえ、お前フュラモヨよ。 (唱えごと中断) Mu: (娘のタブ(Tabu)に向かって)ちょっと、私の瓢箪を取ってきてくれよ。 Tabu(T): どこにあるの?

2919 (唱えごと再開)

Murina(Mu): チャリ、犀のフュラモヨがある、象のフュラモヨがある、野牛のフュラモヨがある。ライオンのフュラモヨがある、犬のフュラモヨがある、ネズミのフュラモヨがある、ジメネ(dzimene165)のフュラモヨが、ムバユムバユが、そしてさらに憑依霊のフュラモヨもある。さらにジネ(jine77)のフュラモヨが、雷のフュラモヨが、ロープのフュラモヨが、ナイフのフュラモヨがある。 さて今、私はお前、草木、奴隷、使役されるお前に話している。お前は、捕まえよと言われれば捕まえる。お前は離せと言われれば、離す。今、チャリから手を離せ。チャリに妖術をなしたあの者たちが、女なのか、男なのか、私はそいつらを知らない。そしてやつらは、そう、本当の罪人たちだ。本当の罪人たちだ。チャリを嫉妬するべきじゃなかったのだ。今日、今、私はお前を鎮める。今日、お前には父はいない。お前の父は他ならぬ私だ。今日、お前には母はいない。お前の母は、他ならぬ私だ。

2920 (唱えごとつづき)

Murina(Mu): 子供は父親から言われたら、聞きわける。子供は母親から言われたら、聞き分ける。では今日、今、離しなさい。 私はお前を盗んではいない。私はお前、草木を盗んではいない。私はお前をマンガレ・ワ・ンゴメから買った。そして、さらに私はお前をカニョンゲ・ワ・ベカンガ・ムンガから買った。そしてズマ・ワ・ンゴメから買った。ロンブ・ワ・バヤから買った。そして今日、今、私が遣わすとおりに、遣わせよ。ではこれをしっかり聞き分けよ。チャリが再び心臟に打たれることは、なし。もし彼女が上にあるとすれば(動転しているとすれば)、私は彼女を下に降ろした。彼女がどこかに置かれていたとすれば、私は彼女を下に降ろした。彼女が洞窟のなかにいるとすれば、私は彼女を外に出した。今日というこの一日に。以上だ。

2921 (チャリが施術場に導かれ、地面に描かれた「罠」の上に脚を投げ出して座らされる) (全員(ムリナ、浜本、チャリの二人の娘)で、挨拶を唱和する)

Murina(Mu): ご傾聴下さい、ご傾聴下さい。 All: ムルングの! Mu: 誰に祈りを捧げるのか? All: ムルングに! Mu: 赦しを乞う者たちは All: これに Mu: ミコバ(施術師の編み袋(複数)118)は All: 互いに傾聴しあう Mu: 癒し手に妖術をなす者たちは All: 死んでしまえ Mu: 施術師の助手に妖術をなす者たちは All: 死んでしまえ Mu: 施術師の皆さん、ご傾聴下さい All: ムルングの!

2922 (赤い鶏による薬液浴びと周回の唱えごと)

Murina(Mu): プッ(唾液を手に吐く)。ビスミラーイ、ラフマーニ、ラヒーム...(以下、ムリナ風アラビア語による唱えごと。最初の部分はコーランの最初の章アル・ファティハの耳コピだが、それ以降は書き起こし不可能)...190 (以下、スワヒリ語) さて、私はこの時間に話さなかったでしょうに、高貴な方々。私は首長様方と高位の方々、導師の方々ともどもに請い願います。どうかお聞き届けください。私は首長様方と高位の方々の祖霊の方々にも請い願います。 (以下、ドゥルマ語) さて、私はこのような時間にお話しなかったでしょう。私はお前、赤い鶏に話しています。赤い鶏よ、私が話そうと、話すまいと、それはチャリのことです。チャリは病気です。草木よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は捕らえよと言われれば捕らえる。お前は離せと言われれば、離す。今、お前、フュラモヨ・ジメネ・ムバユムバユ。ウシのジメネ、コウモリのジメネ、蛆虫のジメネ、ヘビのジメネ、ジメネよ。 アーメン。この者チャリは妖術をかけられた。フュラモヨ、ジメネ、ムバユムバユの妖術をなされた。自分自身を憎むこと。彼女は話すべき言葉すらもたない。

2923 (赤い鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): 何を口にしても、美味しく感じない(食欲がない)。何もかもが。果ては、チャリに(食べるように)言っても、そのまま。なんとお前フュラモヨ、彼女がヘビに立ち止まったら(そのときお前は彼女を捕らえた)。お前の父親の肛門、お前の母親の肛門。お前には屋敷がない。お前には畑もない。お前は命じられた。お前が留まる所、そこがお前が寝るところだと。私は今、フュラモヨをクブェンドゥラ4する。フュラモヨを私はこの赤い鶏でクブェンドゥラする。あの妖術使いも、この赤い鶏で(を媒体にして)妖術をかけた。こいつでだ。そう。私は彼女をこの者で、赤い鶏でクブェンドゥラする。二度とフュラモヨは、なし。 フュラモヨよ。その父親は他ならぬ私だ。フュラモヨよ、その母親は、他ならぬ私だ。このように今、すべてのモノを、そう私はすべてのモノを取り除く。ムコモ(mukomo181)、ムボングゥェのムコモそのものも、ピンダモンゴのムコモも、雷のムコモも、ミツバチのムコモも、スズメバチのムコモも、サソリのムコモも。それらすべてはドゥワ(maduwa191)の妖術だ。

2924 (赤い鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): そして今日、今、私は今日、今、私がこのように言うとおりに命じる。私は命じた。チャリはこの後、彼女の知性が豊かになれるなら(字義通りには「彼女の知性が豊かになることを『知っているなら』」以下の唱えごとにおいても同じ)、豊かになりますように。アーメン!私は命じた。この彼女の(癒しの)仕事が、花開きますようにと。花開くことができるなら、花開きますように。 All: (仕事が)花と開け。 Mu: このジメネ(dzimene165)が、どうか、たち去りうるものなら、立ち去りますように。 All: 立ち去れ。 Mu: チャリが(施術師として)求められることができるのなら、求められますように。 All: 求められよ。 Mu: チャリが、まずはこの場所から始め、ずっと(タンザニアの)タンガ(地名)あたりまで求められ、タンガに住む人々も来ることを知っている。どうでしょう?タンガの住民が来ることができるのなら。 All: やって来い。 Mu: 来るというのなら、やって来ますように。タンガの住民たちよ。ヴィグルンガーニ(Vigurungani194)の住民たちよ、来ることができるのなら、やって来ますように。

2925 (赤い鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): 今、そう、私はこの赤い鶏でクブェンドゥラする。赤い鶏はこいつだ。私は命じた。(フュラモヨよ)立ち去れるなら、立ち去るように。 All: 立ち去ってしまえ。 Mu: サラマ、サラミーニ。草木よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は使役され、離せと言われると、離す。お前、キブンブモ(chibumbumo178)、女たちの太鼓。お前は男たちには踊られない。女たちが踊る。 私はお前を盗んではいない、お前フュラモヨよ。私はお前をカニョンゲ・ワ・ベカンガ・ムンガから買った。加えて、さらに私はお前をロンブ・ワ・バヤから買った。そしてお前をズマ・ワ・ンゴメから買った。私はお前をマンガレ・ワ・ンゴメから買った。そう、私は困難や苦悩(tabu na mashaka)のなかでお前を買った。困難と苦悩は私がかつて経験したそれであり、現在チャリがもっているそれだ。チャリはしたたかに妖術をかけられた。充分すぎるほどの(妖術に用いる)薬(muhaso15)が動員されていた。やつらは、誰にも知られていないと思っている。でも人々は知っている。

2926 (赤い鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): もしフュラモヨだけならば、ここではフュラモヨは一夜と経たず、何もできない。そもそもそれは今日のうちに追い払われてしまう、このフュラモヨは。なぜなら(フュラモヨは)今日にも吠え立てられて、ここにはおられないだろうから。 今日、今、私は断言する。私はこれらの草木(mihi19)をけしかけてやると。お前が熱かったのは、もう過去のこと。今や私の薬液に触れた以上、お前は灰となることができる。灰となれ。 All: 灰となれ。 Mu: アーメン!あの薬(muhaso)を仕掛けた奴、(薬が)そいつ本人に戻っていくことができるなら、戻っていくように。 All: 戻っていけ。 Mu: そいつが、ナイフを突き刺されること、そいつが突き刺されうるなら、突き刺されよ。そいつが自動車に踏み潰されるなら、踏み潰されよ。 All: 踏み潰されろ。

2927 (赤い鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): その者が自分でロープで首をくくることが可能なら、首をくくれ。 All: 首をくくれ。 Mu: サラマ、サラミーニ。草木(muhi)よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は捕らえよと言われれば、捕らえる。お前は離せと言われれば、離す。解きほどけ、解きほどけ、解きほどけ(何度も繰り返す)。チャリを吐き出せ。お前がチャリを与えられたのは、もう過ぎたこと。今日、今、そう、私は命じる、解きほどけと。 お前、草木、ボンデ(の妖術)を冷やす者(muphoza)、(行って)ヴンバ(の妖術)を冷し、(行って)ペンバ(Pemba195)(の妖術)を冷し、(行って)ダルニ(の妖術)を冷やす。私は命じた。今日、今、そうお前はマブォゾ(maphozo)となって、冷やせ。 お前、ムァンガキツワ(mwangachitswa185)、夜に昼に(妖術的に)襲いかかる者。お前、キクァクァラ(chikpwakpwara187)、キクァクァラはお前、小雨季に轟き、大雨季に轟くものよ。小雨季に轟き、大雨季を締めくくる。お前はチャリの身体のなかでドロドロ(またはゴボゴボ)音を立てろと命じられた。今日、今、そう、私は命じた、お前、罠を解除する者(chifyatula196)者よ、私は命じた、自身を解除せよと。 お前という者には家はない。お前の故郷は荒蕪地(nyika197)だ。行ってエランドとシマウマを打て。海岸部に戻って、そこでカニたちやトカゲウオを打て。サラマ、サラミーニ。

2928 (赤い鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): 今、心臟は付き従うこと。顔は人々と笑いあうこと。赤い鶏はお前だ。チャリは他人とは喧嘩はない、この者は。チャリに妖術をかけた者は、ただ彼女を妬んだのみ。チャリは他人が(努力して)手に入れたものを、食べない(自分のものにしない)。チャリは自分の汗を食べる(自分の努力の結果のみを自分のものにする)。今日、今、そう、私はこのフュラモヨを取り除く。 ジメネは、なし。ジメネのフュラモヨは、なし。ムベガ(mbega198)のフュラモヨも、なし。ヒヒのフュラモヨは、なし。水の中(に入水自殺する)の、ワニのフュラモヨは、なし。ロープ(で首を吊って自殺する)のコウモリのフュラモヨは、なし。なし。 解きほどけ、解きほどけ、お前は解きほどく者となって、解きほどけ。 (ムリナ、赤い鶏を薬液に浸しては、赤い鶏をチャリの身体中にこすりつけるようにして薬液をチャリに浴びさせていく) Mu: 解きほどく者となれ。解きほどく者となれ...(何度も繰り返し)。チャリを解きほどけ、チャリを解きほどけ...(何度も繰り返し)。 これら知性(akili200)の場所で、再びセミ(nyenze201)の鳴くこと、なし。その場所で、自動車(複数)が鳴くことも、なし。知性(およびその場所)は、癒やしの術の知性として熟しますように。知性と脳(wongo)は癒しの術のやり方で、揺れ動きますように。脳は病気の仕方で揺れ動くことなし。 (赤い鶏は屠られずに、放たれる)

2929

Murina(Mu): (娘タブに向かって)キムリムリ203のやつをもって来てちょうだい。 (逆毛の鶏に対する唱えごと) Mu: サラマ、サラミーニ160。逆毛の鶏(k'uk'u wa chidimu)はお前だ。お前こそ、逆立たせるもの(ndimulo204)、女を逆立たせるもの。お前の場所は、お前が今いる場所だ、お前には家(屋敷)はない。今日、今、私は宣言する。私はチャリをこのヒヨコ(chiziwi, pl.viziwi, alt. chizibwi, pl.vizibwi: 雄か雌かの判別がまだつかないヒヨコ)とともに周回する。ヒヨコは8年目のヒヨコだ205。お前、逆毛の鶏とはお前だ。今日、今、私は宣言する。チャリが今いる場所で、ムベガ(mbega198)たれと。誰からも見てもらえる(誰もが会いに来る)。

2930 (逆毛の鶏、唱えごとつづき)

Murina(Mu): チャリ、今いる場所で、ンゲケワ(ngekewa206)たれと。仲間と歓談を楽しめ。サラマ、サラミーニ。 今、私はチャリをクブェンドゥラする。今、私は命じた。この後は、病気はダルマワシのごとく飛び去れ、病気は(水辺の)ナピアグラス(mutsuchi208)のごとく、飛び去れ(sic.)。今日、今、チャリがここを出れば、脚は土台柱のごとく、つき立て。手は握り拳(mikpwaho)のごとく、しかと握り、頭は木の椀(muvure209)のごとく、まっすぐ立て。サラマ、サラミーニ。 私どもは、首長様方と高位の方々の祖霊の方々に請い願います。私には罪はございません。罪人は妖術を用いる者です。そして今日、今、私はチャリを洗い清めます。この者チャリがここを出れば、涼しい風に打たれんことを。今日生まれたばかりのごとくあれ。その汚れ(nongo11)は良好なれ。サラマ、サラミーニ。 草木(muhi)よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は捕らえよと言われれば、捕らえる。お前は離せと言われれば、離す。今、逆毛の鶏はお前だ。今私はチャリをクブェンドゥラする。

2931 (逆毛の鶏に対する唱えごと、つづき)

Murina(Mu): 私は命じた。今、チャリ、ここを出れた後は、病気よ、ダルマワシのごとく、飛び去れ。病気よ、(水辺の)ナピアグラスの如く、清められよ。 草木どうしは競い合うもの。お前は、男(妖術を駆使する者)どうしの戯れと言われる。男どうしの戯れ、私はそれが大したものだなどと思わない。だから私はそれを男どうしの戯れと呼ぶのだ。奴(妖術使い)は薬(muhaso15)を真に所有してはいない。薬、その主はムルングです。そして私はムルングに祈ります。サラマ、サラミーニ。奴は王位をもってはいない。王はムルングです。あれらは、戯れ、トリック(手品)にすぎません。あれらは。 今、私は閉じられた施錠を、解きほどく。チャリは、樹の上に閉ざされた。彼女はキワタ(mware122)の樹の上に閉ざされた。ムフネ(mufune217)の樹の上に閉ざされた。ヤシ(munazi)の樹の上に閉ざされた。エダウチヤシ(mukoma218)の樹の上に閉ざされた。ムバンバコフィ(mubambakofi220)の樹の上に閉ざされた。アフリカ・ミルラ(mubambara221)の樹の上に閉ざされた。マンゴー(mwembe222)の樹の上に閉ざされた。カシューナッツ(mukanju114)の樹の上に閉ざされた。オレンジ(muchungbwa223)の樹の上に閉ざされた。

2932 (逆毛の鶏に対する唱えごと、つづき)

Murina(Mu): 私は言った。すべての施錠を私は地面に落としたと。今日、この日、私はチャリを上の方から外に出した。今日、今、私はチャリを地面に置いた。そして今日、今、私はあれらすべての施錠を解きほどいた。ロープのことを、さらに他のなんであれ、考えてしまう病気は、二度となし。あるいは、過ぎ去った戯れ、こうしたことも。 逆毛の鶏はお前だ。今、私は命じた。チャリを冷やせと。解きほどけ、解きほどけ、解きほどけ(何度も繰り返し)。逆毛の鶏はお前だ。 (ムリナ、逆毛の鶏を屠り、投げ捨てる) Mu: 良好だね。

2933 (黒い雌鶏に対する唱えごと)

Murina(Mu): お前、生き返らせる者(mufufulo224)、生き返らせる者。チャリは(妖術使いによって)「死せる者は戻ってこない」と唱えられた。しかし、今日、今、チャリは死ななかった。今日、私はチャリを生き返らせた。私はチャリを生き返らせた。そうサラマ、サラミーニ。私はチャリを生き返らせた(繰り返し)。 今、私はチャリを生き返らせた。彼女にはもはや争いはない(繰り返し)。 今、そう、彼女を生き返らせよ。さらにお前が去るときには、そのフュラモヨとともに立ち去れ。今は、再び争いはない。チャリが妖術をなされたのは、過ぎたこと(一昨日、昨日のこと)。そして今、私は命じた。お前が去るときには、そのフュラモヨをともなって立ち去れと。 さて、そう、痛みは引く。痛みが引くように、痛みが引くように(繰り返し)。 もはや争いは、なし。人は自分の屋敷を憎まず、人は自分の子供たちを憎まず、人はその夫を憎まず、人は自分自身を憎まない。人間とは、仲間とともに語り合い、傾聴しあう(理解し合う)者。サラマ、サラミーニ。 さて、降りてこい、降りてこい。さあ、降りてこい。問題は終わった。 私は、お前、鶏に与えた。お前、鶏に、すべてのフュラモヨを与えた。そう、私はお前、鶏にそれを与えた。あなたムルングよ、今日、この日はあなたが(チャリに死をもたらすと)予定した日ではありません。私は申します。どうかこの者を放してやってください、そしてこの者に行かせてやってください。 (ムリナは黒い雌鶏をチャリの頭に乗せる。鶏はチャリの頭の上でじっとしている) Mu: ねえ、こいつがっちりつかまってるよ。立ち去ろうともしない。 (ムリナ、黒い雌鶏の上から薬液を注ぎ、チャリの身体を洗う。)

考察・コメント

クブェンドゥラの基本構文

ク・ブェンドゥラ(kuphendula)は、妖術の攻撃を受けている人を治療する際の、最も基本的な施術である。ドゥルマ社会における妖術の物語の呪縛性を論じた浜本 2014でも、解説しているように、それは極めてわかりやすいロジックに基づいた施術である。

妖術使い(mutsai, pl.atsai)とは、典型的には、人に危害を加えうる「薬(muhaso15)」についての知識をもち、それを駆使する者のことである。「薬」の多くは植物に由来するもので、しばしば「草木(muhi19)」と呼びかけられる。「薬」についての知識や唱えごとは、たとえ父親からであっても金銭の授受を通じて手に入れられねばならない。私の解釈では、それが妖術使いに「薬」に命令し、使役する権利を与える。上の唱えごとのなかでも何度も繰り返されているように、薬は奴隷であり、その所有者の命令に従うのである。

妖術によって引き起こされた「病気」を治療する施術師も、妖術使いと極めて似通った存在である。なぜなら彼らも妖術使いが用いるのと同じ「薬」を使って、治療するからである。それが「ひっくり返す」を意味する動詞であるク・ブェンドゥラ(ku-phendula)という施術である。妖術使いは、典型的には「薬」を別れ道などに罠(muhambo)として仕掛け、指定された犠牲者がそれを踏むと、直ちに犠牲者を「捕らえる」つまり攻撃する。そしてその罠を仕掛ける際に妖術使いが用いた媒体(chiryangona52)に応じた災いを犠牲者の上にもたらす。

クブェンドゥラにおいては、施術師は地面の上に「薬」を用いて、目に見える形で「罠」を描く。そして犠牲者をその上に座らせて、「薬」に犠牲者を捕らえさせる。しかしその薬には、妖術使いが下した命令とは正反対の命令がくだされる。犠牲者から撤退せよという命令である。

それが上のテクストにおいて繰り返される唱え言葉に、はっきり表明されている。「さて今、私はお前、草木、奴隷、使役されるお前に話している。お前は、捕まえよと言われれば捕まえる。お前は離せと言われれば、離す。今、チャリから手を離せ」。つまり施術師は妖術師と同じ「薬・草木」を用いて患者を罠にかけ直す。そして妖術使いがその薬に下した命令を、自分自身の命令で上書きしてしまうのである。妖術使いは犠牲者を捕らえて云々の病気にせよと命じた。今や施術師は、その命令を「犠牲者から手を離せ」という命令で上書きするのだ。

う~ん。すごく単純で、論理的な施術だ。問題は妖術は薬単体で仕掛けられるわけではないことだ。首吊りで殺したければロープの切れ端で、ナイフで自殺させたければナイフでなど、適切な媒体を用いなければならない。また一つの薬でも、さまざまに効果の異なる災いをひこ起こすことができる。それが唱えごとのなかで、何度か列挙されるフュラモヨの種類である。犀のフュラモヨ、犬のフュラモヨ、ジメネ、フカラなどなど。妖術使いがどれを注文したのかはわからないので、施術師はすべての知っている名前を列挙する。チャリの場合はロープでの首吊り未遂なのでロープを媒体として妖術をかけられたことは確かだ。さらにおそらくはコウモリのフュラモヨだろう。だって首吊り死体はコウモリのように上からぶら下がっているからである。

面白いのは施術師が、薬に対する支配力を誇示するかのように(?)、薬を罵倒するくだりである。薬に対して卑猥な罵倒語、「大便のなかの大便、父親の肛門、母親の肛門」など人前ではけっして口にできない言葉を投げつける。施術師はそれを恐れることなく堂々と口にする。(なぜこうした卑猥な言葉を挟むのかと質問したことがあるが、施術師は、そうすることになっているからと答えるのみだった)

大切なのは、「薬」に対して施術師が正当な所有者であることを訴えるくだりだ。「私はお前を盗んではいない。誰それから買った」と購入履歴を繰り返し、述べる。かくして「薬」は施術師の奴隷であり、子供である。施術師の命令に従わねばならないというわけだ。

生き返りのプロセス(鶏たちの周回)

以上が、施術師が妖術使いがもちいるのと同様の黒い炭の粉のような「薬」で行うことである。犠牲者を施術師の「罠」に座らせることでこれは、まずは成し遂げられる。

しかしクブェンドゥラの残りのほとんどは、フュラモヨから解き放たれた患者の身体を、元の正常な状態に戻すための作業に費やされている。それが患者の回りを鶏とともに周回する手続きである。それは、3種類の鶏を薬液に漬け、赤、逆毛、黒の順序で、その羽毛を毟りつつ、鶏で患者の身体を洗うという形で行われる。逆毛は屠られ、赤は放たれ(食べて良し)、黒い雌鶏はその後も患者の屋敷で飼い育てられる(ただしけっして食べてはならない)。

ここで用いられる薬液には、フュラモヨの黒い粉の「薬」も加えられているが、薬液の主成分はフィールドノートに挙げられている植物からもわかるように、ムルングの草木に加えて、ほとんどが屋敷の秩序に関する施術で必須の「冷しの草木」に分類される植物である。ムリナ氏は唱えごとのなかで、自分は妖術使いたちが黒い粉の薬だけを用いるのに対し、生(なま)のもので、フュラモヨを冷やすことでそれに対抗すると述べている。この薬液は、鶏の周回の全てで中心的な役割を演じるが、3種類の鶏それぞれにも役割がある。

赤い鶏は、フュラモヨに対する上書き命令のため。妖術使いが赤い鶏を媒体として妖術をかけたからと、唱えごとのなかで述べられている。上書き命令は、単にメインの「チャリから離れろ、解きほどけ」だけでなく、チャリの癒しの術の繁盛、妖術使いにその術が返っていって妖術使いを殺すように、までいろいろ虫の良い命令がくだされている。願望に近いか。ポイントは「冷しの草木」を主成分とする薬液によってフュラモヨが冷たくなることだろう。

逆毛の鶏は、その逆立つ毛のように状態の反転をうながすものであるように見える。解きほどき、冷やすことが繰り返し命じられるが、ポイントは高い所(気が動転している状態)に閉じ込められているチャリを「下に、地面に降ろす」ことである。

逆毛の鶏は屠られ、投げ捨てられる。頭が屋敷から離れる方向を向いて倒れたことが、施術の成功のしるしとされている。

最後の黒い雌鶏は、唱えごとの中では「生き返らせるもの(mufufulo)」と語られているが、他の施術におけると同様に「力の鶏(k'uk'u wa nguvu)」とされている。周回の回数は3羽の鶏の中では一番少なく、唱えごとも短く、単純である。しかし最も重要なパートだとされている。そしてこの黒い鶏にすべてのフュラモヨを背負わせて、生きながらえさせる。それによってチャリは完全にかけられたフュラモヨからは解放されることになる。この鶏は死んでも食べることはできないとされていることにも注意したい。

なおこのクブェンドゥラでは、黒雌鶏の周回は5周だったが、多くの他のクブェンドゥラでは4周であることが普通だった。なぜ一周余計だったのかは聞かなかったので不明。ムリナ本人が数え損なっていた可能性もある。

クブェンドゥラの効果

もちろん、わからない。が、念入りな施術によって、おそらく妖術使いが企てた攻撃は、ほぼキャンセルされたとされているらしい。私はその後すぐ帰宅したが、辞去まぎわにやって来た施術の客zu...さんと皆楽しそうに歓談していたので、一安心というところなのだろう。ただ、妖術使いは執念深く、自分たちの攻撃がうまく行かなかったとわかると、新たな攻撃を仕掛けてくるものなので、これからも油断はならないのだ。やれやれ。

注釈


1 ムラムロ(mulamulo)広く用いられている占いの一種。「裁く、裁定する」を意味する動詞ク・ラムラ(ku-lamula)に由来すると思われる。「占い」を意味するスワヒリ語ラムリ(ramli)とも関係か。憑依霊をもつ施術師によるムブルガ(mburuga2)においては相談者側は自らからほとんど情報を与えず、相談者の抱えている問題を占い師がすべて語ってみせねばならないのに対し、ムラムロにおいては相談者側が自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、どのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28(リンク先は草稿版) を参照されたい。 ↩
2 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガをすることをドゥルマ語ではムブルガを「打つ(kupiga mburuga)」と表現する。相談者が占いに相談に行くことを婉曲的に「山に行く(kpwenda vilimani)」と言う言い方もある。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。占いに行く者は、必ずしも病人、あるいはトラブルの当事者本人であるとは限らない。むしろ事情に詳しい代理人が行くのが普通である。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、まず問題を抱えているのが男性であるか女性であるか、大人であるか、子供であるかを当てねばならない。次に自ら患者(あるいは問題の当事者)の抱えている問題を、それが病気であれば、頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、生木の小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、どのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。 ↩ ↩
3 フュラモヨ(fyulamoyo, pl.mafyulamoyo)。妖術の一種。ザイコ(zaiko)と呼ばれる薬によって掛けられる妖術。さまざまな症状を示す。特徴的な身体症状の一つが全身が痒くなって掻きむしること。しかし深刻なのはさまざまな「心理的」症状。動詞ク・フュラ(kufyula)は、「曲げる、(無理やり)向きを変えさせる」を意味し、モヨ(moyo)は「心、心臓」を意味する名詞。字義通り、人の心を変な方向に曲げてしまう妖術である。これにかかると、自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がする、自己嫌悪、他人と一緒にいられない、などの異常な心的状態を呈する。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo renye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye(mbayumbayu, mbonbgwe) etc.〔浜本, 2014:61-66を参照のこと〕 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
4 ク・ブェンドゥラ(ku-phendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。基本的には、妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で妖術使いが与えた攻撃命令を上書きしてやる、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、鶏の羽毛をむしりながらその患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。他にも、さまざまなやり方が、妖術の異なる種類に応じて、存在する。ニューニ(nyuni5)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。 ↩ ↩
5 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu6」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
6 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ5)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola7)の対象となる。 ↩ ↩ ↩
7 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini8」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa9」10と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume17)、カドゥメ(kadume33)、マウィヤ人(Mawiya34)、ドゥングマレ(dungumale37)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga46)、トゥヌシ(tunusi47)、ツォビャ(tsovya49)、ゴジャマ(gojama36)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu6」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」5)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
8 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola7)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。 ↩ ↩
9 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa10)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola7)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち13)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba16)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu6)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni5)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini8)「身体の憑依霊」と呼ばれている。 ↩
10 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」11など)を行うことなどを意味する。 ↩ ↩ ↩ ↩
11 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ12などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。 ↩ ↩ ↩
12 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ11」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。 ↩ ↩ ↩ ↩
13 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo14)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
14 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso15)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine13)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。 ↩
15 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
16 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume17)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani18)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。 ↩ ↩
17 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola7)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。 ↩ ↩ ↩
18 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」19による鍋(nyungu28)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe32)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu25)。 ↩
19 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木(「そうもく」と呼ぶことにしている)を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術20においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba21)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande22)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu28)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
20 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。 ↩
21 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。 ↩ ↩
22 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符23。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
23 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata24)、パンデ(pande22)、ピング(pingu25)、ヒリジ(hirizi26)、ヒンジマ(hinzima27)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。 ↩ ↩ ↩
24 ンガタ(ngata)。護符23の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。 ↩ ↩ ↩
25 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符23の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
↩ ↩
26 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima27)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
↩ ↩
27 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi26)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。 ↩ ↩
28 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza29、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと ↩ ↩ ↩
29 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya30)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu28)とセットで設置される。 ↩ ↩ ↩ ↩
30 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo31)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza29)と呼ばれるが)。 ↩
31 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。 ↩ ↩
32 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。 ↩
33 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。 ↩ ↩
34 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde35)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama36)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。 ↩
35 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。 ↩
36 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola7)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。 ↩ ↩
37 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola7の対象になる)10。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama38 ↩ ↩ ↩
38 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu39)の草木、ドゥングマレ(dungumale37)、ニューニ(nyuni5)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala45)に同じとも。 ↩ ↩
39 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)40との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。 ↩ ↩ ↩ ↩
40 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza29)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる41。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている42。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。 ↩ ↩ ↩
41 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供42がある。瓢箪子供の各部の名称については、図44を参照。 ↩ ↩
42 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供41。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神40がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande22)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料21)、血(ヒマ油43)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。 ↩ ↩ ↩
43 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。 ↩
44 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
↩ ↩
45 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama38とも呼ばれる。ムルング3940、ドゥングマレ(dungumale37)、ニューニ(nyuni5)の草木。 ↩
46 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。 ↩
47 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine13)の一種という説と、ニューニ(nyuni5)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ48らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola7)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。 ↩
48 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。 ↩
49 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ5の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola7)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa10」。see p'ep'o mulume17, kadume33
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
50 クィシャ(kpwisha)。ドゥルマの4日で一周する週の第三日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは、各自、自分のもつ畑(koho)で耕すことができた。その産物は市の立つ日に売って、自分の自由になるお金となった。またかつてはこの日の夕方から地域の若者男女はダンス場(chiphalo)に集まって、踊りを楽しんだ。詳しくはドゥルマの月日の数え方 ↩ ↩
51 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。 ↩
52 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。憑依霊が宿主に要求する品々も、患者の病気の治療に必要な品物ということで(それらの品々を憑依霊に与えることが治療になる)キリャンゴナと呼ばれることがある。いずれも治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。 ↩ ↩ ↩
53 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である54。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。 ↩
54 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には下記の文献を参照した。1990年代以降のこれら一連の民族植物学研究には感謝しかない。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能だった訳ではないが。
Johnson, F., ed. 1971(originally 1939), Standard Swahili English Dictionary, London: Oxford University Press. (参照時にはSSEと略する)
Karisa, J.F., et.al. 2011, Mboga za Watu wa Pwani, Kilifi Utamaduni Conservation Group, Bioversity International
Kokwaro,J.O.,1993,Medicinal Plants of East Africa(Second ed.),Nairobi:Kenya Literature Bureau;
Maundu,P.,& B.Tengnasu eds.,2005,Useful trees and shrubs for Kenya,World Agroforestry Center;
Pakia,M. & J.A.Cooke,2003a, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 1. General perspective and non-medicinal plant uses" South African Journal of Botany 69(3):370-381;
Pakia, M. & JA Cooke, 2003b, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses", South African Journal of Botany 69(3): 382–395;
Pakia, M., 2005, African Traditional Plant Knowledge Today: An ethnobotanical study of the Digo at the Kenya Coast, A dissertation submitted in fulfillment of the Requirements for the degree of a Doctor of Natural Science, at The Faculty of Biology, Chemistry and Geoscience, The University of Bayreuth, Germany; 2. Medicinal plant uses",South African Journal of Botany 2003, 69(3): 382–395; ↩
55 ムヒ・ワ・ペーホ(muhi wa peho, pl.mihi ya peho)。「冷たい草木、冷しの草木」。性の規範に対する違反をはじめとする秩序の修復、火事、事故、刃物による怪我などの再発防止など、屋敷の安寧な秩序の乱れを治す際に用いられる草木。妖術の治療、憑依霊関連のある種の治療など他の治療においても必須と言える草木。mukone56,chitwadzi57,reza58,muloe59,phozo60,munyumbu(or munyumbwi)61,mutserere(別名mujongolo)62,kakpwaju kabomu(kakpwaju)65,mkengeja(別名 dzedza)67,mugoza119,musaro120など。muphingo121,mware122を冷しの草木に入れる施術師もいる。 ↩ ↩
56 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003b:394,Maundu&Tengnas2005:255-256) ↩ ↩
57 キトゥワジ(chitwadzi, pl.vitwadzi)。Ormocarpum kirkii(Pakia&Cooke2003b:391)。冷やしの草木(muhi wa peho)の一つ。 ↩ ↩
58 レザ(reza, pl.reza)。冷しの草木(muhi wa peho)の一つ。「(妖術の薬などを)冷やす、効力を消す、解毒する、キャンセルする」などを意味する動詞ク・レザ(ku-reza)より。Solanecio angulatus(Pakia2005:163)。英名 creeping groundsel, Cape ivy.しかしKokwaro1993は、3つの学名を挙げている。Classocephalum bojeri および Plectranthus amboinicus, Senecio syringifolius(Kokwaro1993:380) ↩ ↩
59 ムロエ(muloe, pl.miloe)。Carissa tetramera(Pakia&Cooke2003b:386)、ムルングの草木、冷やしの草木(muhi wa peho)、ムルングの瓢箪のmuhaso(黒い粉薬)の成分、uganga wa chifoの草木(他は mulindi, dzikpwata phopho, mutsungula, mugoza) ↩
60 ブォゾ(phozo)。またはブォザ(phoza),ムブォザ(muphoza),マブォゾ(maphozo)など。「冷しの草木(muhi wa peho)」の一つ。「冷ます、冷やす」を意味する動詞ク・ブォザ(ku-phoza)より。Vernonia sp.(Pakia&Cooke2003b:387) ↩ ↩
61 ムニュンブ(munyumbu, pl.minyumbu)。Lannea schweinfurthii(Pakia&Cooke2003b:386). 憑依霊ムルングの草木。「冷しの草木(mihi ya peho)」、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)に用いる草木の一つ。 ↩ ↩
62 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo63)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo64)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni5と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。 ↩ ↩ ↩
63 ムジョンゴロ(mujongolo)。ジョンゴロ(jongolo)はアフリカオオヤスデ。ムルングの草木。別名はムツェレレ(mutserere62)。動詞ク・ツェレラ(ku-tserera)「降りる、下がる」より。学名Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003b:391)。 ↩
64 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。 ↩ ↩
65 カクァジュ(kakpwaju)。Ormocarpum sennoides(Pakia&Cooke2003b:391) ムルング(mulungu)の草木。冷しの草木(muhi wa peho)でもある(kakpwaju kabomuという名前で呼ばれるが)。憑依霊マサイ人の草木。ムクァジュ(mukpwaju, pl.mikpwaju66)とは別物。 ↩ ↩ ↩
66 ムクヮジュ(mukpwaju, pl.mikpwaju)。持ち手が曲がっている杖。植物名では「タマリンド」Tamarindus indica(Maundu&Tengnas 2005:407) ↩
67 ゼザ(dzedza, pl.madzedza)。別名 mkengeja, gendanalufu。commelina africanaまたはcommelina benghalensis, commelina bracteosa(Pakia&Cooke2003b:388)。ツユクサ属。憑依霊シェラ68の草木。冷しの草木(muhi wa peho)。また母系氏族が管理する壺キフドゥ(chifudu)による治療にも用いられる草木。 ↩ ↩
68 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)69、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす97)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku102)、おしゃべり女(chibarabando103)、重荷の女(muchet'u wa mizigo104)、気狂い女(muchet'u wa k'oma105)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma106)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo116、長い髪女(mwadiwa117)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba118)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
69 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri70)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika72)やシェラ(shera68)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri70)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza101)を施され、ンガタ24を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
70 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術71)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza69と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。 ↩ ↩ ↩ ↩
71 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ70は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine13)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。 ↩
72 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi73)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka74) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri70)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi78など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo79,laika mukusi80など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe81, laika ra nyoka81, laika chifofo84など。(4) その他 laika dondo85, laika chiwete86=laika gudu87), laika mbawa88, laika tsulu89, laika makumba90=dena91など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze29)で薬液を浴びる、護符(ngata24)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza69)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。 ↩ ↩ ↩
73 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。 ↩ ↩
74 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi75)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。 ↩ ↩
75 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao76))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka74)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。 ↩ ↩
76 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi75)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine77)に数えられることも。 ↩
77 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ13もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。 ↩ ↩
78 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni5)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。 ↩
79 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。 ↩
80 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。 ↩
81 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira82)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka83)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。 ↩ ↩
82 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。 ↩
83 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名 ↩
84 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。 ↩
85 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi73)の別名ともいう。 ↩
86 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu) ↩
87 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。 ↩
88 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso) ↩
89 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。 ↩
90 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena91)の別名。 ↩
91 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ72と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari92)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande22)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。 ↩ ↩ ↩ ↩
92 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)69」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena91が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee93)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande22には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。 ↩ ↩ ↩
93 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo94)マンダーノ(mandano95)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。 ↩ ↩
94 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。 ↩ ↩
95 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ96とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ68の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu ↩
96 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera68)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza69)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)97」、「外に出す(ku-lavya konze99)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki100 ↩ ↩
97 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo98)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。 ↩ ↩
98 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。 ↩
99 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。 ↩
100 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero96)の草木。 ↩
101 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
↩ ↩
102 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera68)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。 ↩
103 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera68の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。 ↩
104 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ68の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ ↩
105 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ68の別名ともいう。 ↩
106 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera68)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo107))の別名ともされる。 ↩
107 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo108, mupweke109, mutundukula110, mupera(mpera111), manga112, mbibo(mubibo113), mukanju(mkanju114) ↩ ↩
108 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。 ↩
109 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。 ↩
110 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。 ↩
111 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。 ↩
112 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。 ↩
113 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)114、muk'orosho(mkorosho)115。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。 ↩ ↩ ↩
114 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo113を見よ。 ↩ ↩ ↩
115 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo113を見よ。 ↩
116 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ68の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo107)の女性であるともいう。 ↩
117 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。 ↩
118 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。 ↩ ↩ ↩
119 ムゴザ(mugoza, pl.migoza)。Sterculia rhynchocarpa(Pakia&Cooke2003a:381)。樹皮を剥いで mukowa とする。mihi ya pehoの一つ。uganga wa chifoの草木(他は mulindi, muloe, dzikpwata phopho, mutsungula)でもある。 ↩ ↩ ↩
120 ムサロ(musaro, pl.misaro)。冷しの草木(muhi wa peho)。Acacia stuhlmannii(Pakia&Cooke2003b:390) ↩
121 ムブィンゴ(muphingo)。アフリカ・ブラックウッド。幹の外側は通常の木質だが、芯は黒檀のように黒く重く固い。Dalbergia melanoxylon(Pakia&Cooke2003b:391)。憑依霊ドゥルマ人の草木。冷しの草木(muhi wa peho)に入れる人もいる。 ↩
122 ムワレ(mware)。キワタ。Bombax rhodognaphalon(Pakia&Cooke2003b:388)。世界導師(mwalimu dunia123)の草木。ムルングの草木。冷しの草木に入れる人もいる。 ↩ ↩
123 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師124。内陸bara系125であると同時に海岸pwani系16であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」126)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。 ↩ ↩ ↩ ↩
124 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia123)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。 ↩
125 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。 ↩
126 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia123)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。 ↩
127 ムジ(muzi, pl.mizi)。「根」 ↩
128 ク・ゴンバ(ku-gomba)。ドゥルマ語では「話す、発話する、発言する」など発話行為全般を意味する動詞。スワヒリ語では同じ言葉が、議論する、談判する、叱るなどの強い意味をもつが、ドゥルマでもそうした用法もある。とりわけprepositional formのku-gombera などの場合。 ↩
129 コザ(kodza, pl.makodza)。「葉」。慣用表現として紙幣を pesa za kodza「葉っぱのお金」と呼ぶ言い方がある。硬貨はこれに対し pesa za mutsere ↩
130 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003b:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ5と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo64の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。 ↩
131 ムロジ(mulozi, pl.milozi)。Acacia zanzibarica(Pakia&Cooke2003b:390)。別名として muhegak'ululu, mwongololi。風が吹くと口笛をふいているような音を立てることから。nyari92の草木、masai132の草木 ↩
132 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai133 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹(胸郭 mbavu)をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju65。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande22)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka134)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。 ↩
133 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰を下ろされる(胸部圧迫感)、脇腹(胸郭)を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。 ↩
134 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」。ク・アユサ(kpwayusa, ku-ayusa)はそのcausative formだが、憑依霊のせいで振る舞いが異常になる場合には、その受動形をもちいて、wayuswa ni nyama(憑依霊によって狂わされた)などといった言い方が用いられる。憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは呼ばない。しかし施術師は自分のkpwayuka経験について語るときに、「もうvitswaそのものだったよ」などと言ったりする。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。 ↩
135 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 136」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma137)から派生したマルミ(marumi138)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。 ↩ ↩ ↩
136 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma137)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。 ↩
137 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi138)で「唱えごと」の意。 ↩ ↩
138 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri135)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。 ↩ ↩
139 フィリンビ(filimbi, pl.filimbi)。「ホイッスル、呼子」 ↩
140 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius(Pakia&Cooke2003b:393)、ムルングの草木。ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。別名ムスカウォンゴ(musuka wongo141)。テゴ(t'ego142)のような妖術の治療での煎じ薬の成分にもなる。 ↩ ↩ ↩
141 ムスカ・ウォンゴ(musuka wongo)。ニャリ(nyari92)、デナ(dena91)の草木。ku-suka「揺らす」wongo「脳」。Allophylus rubifolius, Allophylus pervillei(Pakia&Cooke2003:393)。ムヴンザ・コンド(muvunzakondo140)の別名。 ↩
142 テゴ(t'ego)。男性性器からの膿と痛みを伴う症状。妖術 utsai あるいは呪詛 chirapho によって引き起こされる。ku-hega t'ego 姦通の防止に夫が妻の性器に仕掛けた呪詛 chirapho、もし他人がこの女性と寝ると t'ego になる。t'ego にはさまざまな種類がある。例えば t'ego ya diya 「犬のテゴ」妻の不義を防ぐため部屋の入口にしかけ、もし誰かが妻と性交すると、彼の性器はワギナに挟まれて抜けなくなる、など。 ↩
143 ムリンディ(mulindi, pl.milindi)。Hymenodictyon parvifolium(Pakia&Cooke2003b:393)。ndindi(火起し棒)を作る材料。ドゥルマでは住血吸虫症に効くとされている。uganga wa chifoの草木(他は muloe, dzikpwata phopho, mutsungula, mugoza)、冷たい草木(muhi wa peho)に入れる人もいる ↩
144 ムァディガ(mwadiga)。「アデニウム・オベスム(adenium obesum)、砂漠のバラ」。樹液には毒性成分が含まれている。wikipediaの記述 ↩
145 ムニャラ(munyala, minyala)。Cussonia zimmermannii(Pakia&Cooke2003b:387) ↩
146 ムユ(muyu, pl.myuyu)。「バオバブの木」。バオバブの木の根元、洞は憑依霊(特にライカ72などの棲み処、ニューニ5の滞留場所(chituo)であるとされている。 ↩
147 ンダラ(ndala, pl.ndala)。施術師の治療場所。屋敷裏のブッシュを切り拓き空き地を作ってそこが施術の場所となっている。服喪(hanga148)に際して長老たちが座っている空間もンダラと呼ばれる。locativeは"ndalani"。同義語にキタラ(chitala, pl.vitala)。 ↩ ↩
148 ハンガ(hanga, pl.mahanga)。「服喪」と訳しておく。死者を埋葬した翌日から数日間に渡って(期間はクランごとに、そして死者の死因によっても異なる)開催される「生(なま)の服喪 hanga itsi149」と、その数年後に開催される祝祭的色彩が濃い「熟した服喪 hanga ivu150」がある。 ↩
149 ハンガ・イツィ(hanga itsi)。死者の埋葬後、クランごとに日数は異なるが、死者の親族は数日にわたる喪にに服する。これがハンガ・イツィ(hanga itsi, 直訳すると「生(なま)の服喪」)である。死者の屋敷の人びとや近親者(enye afererwa)はこの間、椅子、寝台の使用が禁止され、地面の上で起居する。大きな動作や大声も禁止され、すでに身内を失った経験のある者によって別火で調理された食事を食す。この間、アトゥイ(atuwi, sing.mutuwi)と呼ばれる弔問客たちは、死者の屋敷で賑やかに飲み食いし、連日屋敷の前広場では近隣の男女によってキフドゥ(chifudu)と呼ばれる卑猥な内容の歌と踊りが催される。最終日の「水に寝る日」の夜明けに死者の遺族たち(enye afererwa)は男女別に水場まで行列し、そこで水で洗い清められ、死者の配偶者は屋敷で「巣立ちkuuruswa」と呼ばれるてつづきにより、寝台と椅子の使用が解禁される。なお死者が憑依霊を多く持つ施術師であった場合は、服喪の期間中毎晩、キフドゥなどとは別に死者のもっていたムコバ(mukoba118)あるいは瓢箪子供を囲んでカヤンバが演奏される。このカヤンバも「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」と呼ばれる。この「生の服喪」の数年後(残された集団の財力に依存する)、盛大な「熟した服喪 hanga ivu」が開かれる。かつては死者の財産や未亡人の相続は、熟した服喪の後に行われた。 ↩ ↩
150 ハンガ・イヴ(hanga ivu)。直訳すると「熟した服喪」。死者のハンガ・イツィ「生(なま)の服喪」149の数年後に開催される。父系親族集団(ukulume151)はクラン(mbari)、ムランゴ(mulango, 「戸口」を意味する)、ニュンバ(nyumba, 「家、小屋」を意味する)、ムジ(mudzi152, 「屋敷」を意味する)に分節するが、ハンガ・イヴを開催するためにはニュンバレベルの話し合いで許しを得る必要がある。ハンガ・イブにはいくつものダンスや演奏集団が招待され(最近では車のバッテリで音響システムを駆動するディスコも人気だ)、主宰者の屋敷の周囲の広い敷地が会場になる。広い範囲から客が集まり、出店や簡易食堂なども出され、徹夜で賑わう。かつて(30年ほど以前)は、ハンガ・イヴを開催して初めて死者の財産や残された未亡人の相続が行われていた。死者の霊(祖霊 k'oma)に対する供犠は、ハンガ・イヴを開催したあとでしかできなかった(今日でも)。祖霊のもっとも執拗な要求は、早く自分のハンガ・イヴを開催せととの要求である。 ↩
151 ウクルメ(ukulume)。父系クラン。mbari ya kulume とも言う。母系クランは、ウクーチェ(ukuche)あるいはmbari ya kuche。ドゥルマはミジケンダの9グループのなかで、隣接するラバイと並んで二重単系出自のシステムをもつ。14ある父系クランはMwamweziおよびMurimaと呼ばれる二つのグループに分かれ、それぞれが7つのクランからなる。MurimaにはMwabeja, Mwanyota, Mwamukala, Mwalikuta, Mulaire, Mwachenda, Muchandaの7クラン、MwamweziにはMwadzine, Mwakai, Mwayawa, Muphande, Mwamundu, Mwatsangari, Mwachingodzaの7クランが属する。かつては父系的に継承されるのは土地とそこに生えている樹木、弓矢のみであった。家畜その他の動産はすべて母系相続されていた。 ↩
152 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。 ↩ ↩
153 ムレヤ(mureya)。黒い粉末の薬。草木や、さまざまなものを煎って炭にして粉状にしたもの。黒い薬(muhaso wiru)、煎った薬(muhaso wa kukalanga)、ムグラレ(mugurare)などとも呼ばれる。 ↩
154 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
↩
155 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' カタグロトビのような模様の毛色(白、黒、灰色)の鶏など。 ↩ ↩ ↩
156 ムコワ(mukowa, pl.mikowa)。紐、ロープ。特に mugoza119の樹皮の繊維は丈夫なため、紐やロープを作るのに使われる。 ↩
157 ケニアの地方行政区画は2010年に大きく改定されたが、私の調査期間の多くは旧制度のもとで実施されたため、ここでの地名などは旧制度とりわけ1995年(この年にキナンゴ・ディヴィジョンがサンブル・ディヴィジョンとキナンゴ・ディヴィジョンの二つに分割された)以前の区分に基づいている。8つあったプロヴィンスの一つ Coast Provinceに属する6つのディストリクト(Kilifi, Kwale, Lamu, Mombasa, Taita Taveta, Tana River)の一つ Kwale District、その4つのDivisions(Kinango, Matuga, Kubo, Msambweni)の一つ Kinango Division、それを構成する9つのロケーションのうち、Kinango Location, Ndavaya Location, Puma Locaitonの3つが私の主な行動範囲であり、それ以外の地域には2~3日の短期間の訪問のみ。各ロケーションはさらに複数のサブ・ロケーションに分かれていた。クワレ・ディストリクトの首府クワレには中央から任命されたディストリクト・コミッショナーのオフィス、キナンゴ・ディヴィジョンの中心地キナンゴの町には同じくディストリクト・オフィサーのオフィスがあった。各ロケーションは政府に任命されたチーフがおり、サブロケーションにはサブ・チーフが行政官として任命されていた。サブロケーションの下にはドゥルマ語でラロ(lalo, pl.malalo)と呼ばれる地域区分があった。私が「村」と呼んでいるのがこれで、実際には行政機構はそなわっておらず、単に独立した「屋敷mudzi152」の集まりにすぎず、各ラロにひとりの近隣で選ばれた「諸屋敷の長老 muzee wa midzi」がいたが、大きな権限は無く世話人的な存在であった。人々はこの長老をしばしばチェアマニ(cheamani158)と呼んでいた。Village Chairmanの意味だという。
1983年の調査は、Puma locationの「青い芯のトウモロコシ」と呼ばれるラロのペレの屋敷と呼ばれる屋敷が、1986~1987年の家族連れでの調査はキナンゴの町なかに借りた一軒家(後にキナンゴの町の郵便局となった)が、1989年以降は同じくキナンゴ・サブ・ロケーションの「ジャコウネコの池」と呼ばれるラロの調査小屋が、後にカタナ氏が結婚した後は彼の開いた新しい屋敷が、私の調査の拠点となった。
2010年の憲法改正により地域行政のシステムも変化したが、次の表に新旧の対応関係を示す。
。ただしドゥルマではサブロケーションより下位の単位であるラロが日々の生活では重要で、地域の長老たちによりさまざまな紛争が話し合われる最小の単位となっているので私はこのラロを引き続き「村」と呼ぶことにしている。新行政システムではかつてのサブロケーションがvillageに対応するとされているが、それとはズレた用法になる。例えば「青い芯のトウモロコシ」や「ジャコウネコの池」を私は村と呼んでいるが、それはラロであり、サブロケーションよりも下の単位(公式には存在しない単位)になる。実はその下にさらに名前のある単位があるが、それは地図にも表れない単位なので私は「地区」ととりあえず呼んでいる。 ↩ ↩
158 チェアマニ(cheamani, pl.cheamani)。「チェアマン(chairman)」だが、通常は village chairman の意味で用いられる。ケニアの行政単位としての village=sublocation ではなく、そのさらに下位のドゥルマ語でラロ(lalo)と呼ばれる近隣集団のドゥルマ語でmusewamidzi(aka muzewamidzi「諸屋敷の長老」スワヒリ語で muzee wa miji)と呼ばれる世話役に当たる。近隣で起きたトラブルや紛争は、彼が招集する地区の長老たちの集会で議論され、裁定される。この裁定に不満がある場合には、サブ・ロケーションの長サブ・チーフの法廷で、さらにそこでも決着がつかない場合は、ロケーションの長チーフの法廷で審議されることになる。ケニアの地域行政157は2010年の憲法改正により大きな変更があったが、その新旧対照については以下の図を御覧いただきたい。
↩
159 ングル(ngulu, pl.ngulu)。「優越感、得意げ、傲慢さ」。人が抱く感情のなかで、それをもっているとされると他人から憎まれるもとになる感情。妖術使いが妖術をかける理由となる。にもかかわらず、ドゥルマの諺に、mutu atsiyena ngulu tsi muduruma.「傲慢さをもたない人は、ドゥルマ人じゃない」などというのがある。80年代の話だが、大きく立派なラジカセを買った男は、それを大音量で流しながら肩にかついで村内を練り歩く。自慢せずにはいられないのだ。そしてそれを妬まれて妖術をかけられたと嘆いたりする。じゃあ、自慢するなよと言いたいのだが、そういうものなのだ。特にこれみよがしに自慢しているわけでなくても、多くの家畜をもっていたり、日々の食事が豊かだったりするだけで、あいつはnguluをもっていると言われたりするのも、たいへんだ。謙遜なんて役に立たない。本当に貧乏で物がないのならいざ知らず、人に謙遜してみせるのはむしろnguluの証拠みたいなものだ。私が大切に思う長老に、お土産としてソニーの高性能の超小型ラジオとか(結構高い!1万円超)を奮発しても、実はまったく喜んでもらえるどころか、あとであの長老は怒っていたなどと教えられる。モンバサで1000円程度で売っているバカでかいだけのラジオの方が大喜びされると若者からアドバイスされ、その通りすると、ほんとうに大喜びされる。後に、長老が一番喜ぶのがモンバサで500円程度で買えるバカでかいナイロンのスポーツバッグだと知ることになる。それを担いで練り歩くと注目されるのだ。 ↩
160 サラマ(salama)。スワヒリ語で形容詞としては「平安な」「安全な」「平和な」、名詞としては「平安」「健康」。さまざまな唱えごとで、締めくくりの言葉として使われる。salama salamini「平和に、そして安全に」とでも訳せるかもしれないが、唱えごとの締めの決まり文句として、「サラマ、サラミーニ」とそのまま音表記する。 ↩ ↩
161 ニュニュ(nyunyu)。「ヌルヌル、ベトベト」している様を表す擬態語。「粘る、ヌルヌルする、べとつく」などを意味する動詞ク・ニュルカ(ku-nyuluka)より。 ↩
162 唱えごとの中では、妖術使いが指定したさまざまなフュラモヨのうちの何が攻撃を構成しているかわからないため、施術師は自分が対応できるあらゆるフュラモヨの種類を列挙する。今回公開しつつある一連のページは憑依霊を巡る施術が主題であるので、妖術の種類(それも施術師がさらに列挙する細かい種類)については解説は省略する。 ↩
163 ムジム(muzimu)はドゥルマ語ではムズカ(muzuka12)の主である霊の名前とされているが、スワヒリ語のムジム(mzimu)は「祖霊、死者の霊、亡霊」などを意味する。 ↩
164 字義通りには「雷のヘビ、雷鳴のヘビ」だが、この唱えごと以外では耳にしたことがない。ムリナに聞くとただの名前だという。 ↩
165 ジメネ(dzimene)。「憎む」を意味する動詞の再帰形ク・ジメナ(ku-dzimena)「自分を憎む、自己嫌悪する」に由来する。妖術フュラモヨ(fyulamoyo3)の一種で、これに捕らえられると、犠牲者は文字通り自己嫌悪に陥って自殺する。 ↩ ↩ ↩ ↩
166 ムバユムバユ(mbayumbayu)。フュラモヨの一種である。人を狂気にする、という説明がなされる。自殺には至らない。理由のわからないことを言う。動作は緩慢だが、突然走り出したりする。紙を引きちぎって飽きないなど、無意味な行動にふける。人を見ると石などを投げてくる。フュラモヨとは独立した別の妖術だとする人もいる。 ↩ ↩
167 ムボングウェ(mbongwe)。ムバユムバユと同じだという。 ↩
168 フカラ(fukara riri-)。スワヒリ語ではfukara(pl.mafukara)は「乞食、貧乏人」を意味する。フカラの妖術に捕らえられると、貧乏になる。お金を今日手にしても、翌日には一銭も(hata ndururu, ndururuはかつてあった5セント硬貨) 無くなっている。お金が手に入ると、分別がなくなり、誰かが金遣いについてなにか言うと喧嘩になる。お金が無くなって、始めて分別が戻ってきて、喧嘩も終わる。「心(moyo)」が正常に働かなくなるという点では、たしかにフュラモヨと共通するところもあるが、一般にはフュラモヨとは別の妖術だとされている。 ↩
169 ドゥア(duwa, pl.maduwa, alt. dua, pl.madua)。妖術の一種、「祈り、呪い、呪詛」などを意味するスワヒリ語の名詞 dua(pl.dua)より。これに捕らえられると、心が平静を失い、まだ生きているのにまるでもう自分が死んでいるような気がする。人々に嫌われているような気がする、また自分が自分ではないような気がする、他の人々から遠くはなれてしまったような気がする。この症状はフュラモヨ(fyulamoyo3)に似ている。ドゥアの特筆すべき点は、キラボ(chirapho170)と同様に母系親族集団(ukuche)全体に及ぶとされるところ。治療は捕えられた母系集団の人々を周回するようにヒツジ(ng'onzi)が引き回された後、屠られ、その胃の内容物で薬液を作り、それで犠牲者たちの身体を洗うことからなる。その症状の点でフュラモヨと共通するところが多いが、多くの人はドゥアをフュラモヨの一種とは考えていない。 ↩
170 キラボ(chirapho)。薬(muhaso)を使役する者が、命令によって薬にターゲットを攻撃させるという点で、キラボ(chirapho)も妖術(utsai)と同じ理屈に従うが、妖術の場合とは異なり、chiraphoにおいてはその命令は条件節を伴う構文をとる。妖術が単純に薬に「誰それを云々の仕方で殺せ」といった命令を出すのに対し、キラボでは例えば、もし「私のウシが勝手にいなくなったのではなく、誰かがそれを盗んでいったのだとすれば、キラボよその者とその一族を捕らえよ」といった形で命令する。その主たる用法は、作物などの盗難除け、何者かによってなされた損害を当人とその一族に賠償させることを目的とした使用、そして妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める「試罪法」での使用である。私の調査地の近所には最後のタイプのキラボで、単にドゥルマ地域を超えて広くミジケンダ地域全体によく知られた施術者がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。 ↩ ↩
171 タブ(Tabu)。施術師チャリの長女。タブの前に第一子バハティ(女)、第二子カゾヨ(男)が生まれたが、ともに死亡。カゾヨは死んだとき、すでに独りで歩き回れるくらいの少年だった。その後タブは男児ジュマピリと双子で生まれた。男児の方は頭から産まれたが、タブは片足だけ出てきて難産だった。この産まれ方から、この双子はすでに心は分離している。一方は死ぬが、もう一方は生き残ると立ち会った女性(チャリの母の僚妻)が予言した。タブ(tabu)はドゥルマ語で「困難、難儀」を意味するが、この難産に由来する。ジュマピリは年頃の少年になったが、死んだ。タブの後に生まれたのがムチェンザラ(Muchenzala)。ドゥルマ語で「飢餓の女」を意味する。(2003年の聞き取りによる。チャリの子供についてはインタビューごとに一貫していない。1993年にはジュマピリは次男とされ、その後にゾンボという男児が産まれたとされている。カゾヨは省略されているなど。順序を別にすると、ソンボはカゾヨの別名である可能性もある。) ↩
172 ンザイコ(nzaiko)。妖術系の「薬(muhaso15)」の一種。フュラモヨ(fyulamoyo3)の妖術を人にかける際に用いるとされる。同じ「薬」が治療にも用いられる。全身の痒みが身体的な症状。 ↩
173 ムジム(muzimu)。ムズカ12を棲み処とする憑依霊の名前であるが、ムズカ(場所としての)と同じ意味で用いられることもある。 ↩
174 ク・サワジシャ(ku-sawazisha)。スワヒリ語の動詞で、「同じ、正しい、真っ直ぐな」を意味する形容詞 sawa から出た動詞である。スワヒリ語では「比較する、等しくする、同等にする」を意味する動詞である。ムリナ氏はこれを「真っ直ぐにする、良好にする、正す」などの意味で用いていると思われる。 ↩
175 ムンドゥ(mundu, pl.myundu)。「マチェーテ、山刀、大なた」
↩
176 ピンダ・モンゴ(pinda mongo)。スワヒリ語でク・ピンダ(ku-pinda)は「曲げる」、mongoは「背中」。背中が激しく痛む様。キピンデ chipinde も同じ動詞から派生した言葉。「ねじれた物」、「ねじまがった物」。憑依霊ニャリの一種に、背中の激しい痛みを主な症状とするものとしてピンダモンゴの名で呼ばれる霊がいる。また妖術のなかにも同じく激しい背中の痛みを特徴とするものでこの名を持つ妖術がある。こちらはmukomoと呼ばれる妖術の一種であるという。 ↩
177 チャリカ(charika)。キブリの妖術の一種。バンデのキブリ(chivuri cha bande)あるいはムコモのキブリ(chivuri cha mukomo)などと呼ばれる、頭痛、関節の激しい痛み、悪寒などを特徴とする。最終的には苦しんだ末の死にいたるが、すぐには死なずに、長期間苦しんだ末に死ぬのが特徴という。 ↩
178 ブンブンブ(bumbumbu, pl.mabumbumbu, alt. mubumbumbu, pl.mbumbumbu)。太鼓の一種。片面のみに川を張り、地面に置いて用いるタイプの太鼓。キブンブンブ(chibumbumbu, pl.vibumbumbu)はその小型のもの。 ↩ ↩
179 クヮピザ(kpwapiza = ku-apiza)。「誓わせる、誓約させる、呪詛する」などを意味する動詞。スワヒリ語の ku-apiza は「呪う、呪詛する」のみを意味するが、ドゥルマ語では ku-apiza はスワヒリ語の ku-apisha つまり「誓約させる、誓をたてさせる」の意味でも用いられる。 ↩
180 キコモ(chikomo)。通常の名詞としては「額、前額部」または「世代、時代」を意味するが、ここでは妖術の一種、あるいはそれに用いられる薬(muhaso15)の名称である。よく知られている妖術(およびその薬)であるムコモ(mukomo181)の指小形(diminutive)であるが、キコモ自体は妖術の施術師による造語と思われる(普通の人には知られていない)。 ↩
181 ムコモ(mukomo, pl.mikomo)。妖術の一種、またはその薬(muhaso)の名前。割れるような激しい頭痛が特徴。盗難除のキラボ(chirapho170)にも用いられる。「閉ざす、錠を掛ける」を意味する動詞ク・コメカ(ku-komeka,(ス)ku-komea)に由来し、"mukomo kpwanyuka ukomekaye usiku na mutsana"と唱えられている。kpwanyukaは「裂ける」を意味する動詞の原形。ukomekaye usiku na mutsanaは「夜に昼に閉ざすお前」という意味の表現。 ↩ ↩
182 キムチャフオ(chimuchafuo)。妖術の一種、またはそれに用いられる草木ないし薬。施術師による造語だろう(一般には知られていない)。「汚染する、汚す、破壊する」などを意味するスワヒリ語の動詞ク・チャフア(ku-chafua)に由来すると思われる。 ↩
183 キディニャ(chidinya)。妖術の一種、またはそれに用いる草木(muhi)や薬(muhaso)の名前。妖術の施術師の造語と思われる。「捕らえる、挟む、つねる」などを意味する動詞ク・ディニャ(ku-dinya)に由来する。別名がキクヮタ(chikpwata, pl.vikpwata184)だとされるが、これはトゲのある実をつけるアカシアの一種の名称。 ↩
184 キクヮタ(chikpwata, pl vikpwata)。アカシア・エトバイカ(Acacia etbaica(Pakia&Cooke2003b:390)。Maundu&Tengnas2005によるとAcacia senegal(Maundu&Tengnas2005:72)ニューニの草木。またその刺のある実は身体に彫り物をする際に用いられた。別名ムグンディ(mugundi, pl.migundi)。キクワティャ(chikpwatya)と呼ばれるものも同じである可能性がある。確信はないが。 ↩ ↩
185 ムァンガキツワ(mwangachitswa)。妖術、あるいは妖術に用いる薬か草木の名前。妖術の施術師の造語と思われる(一般には知られていない)。ムァンガ(mwanga)は妖術的に攻撃することを意味する動詞ク・アンガ(kpwanga=ku-anga)から来ており、キツワ(chitswa)は「頭」を意味する名詞。 ↩ ↩
186 クヮンガ(kpwanga, ku-anga)。「妖術をかける、襲いかかる」を意味する動詞。スワヒリ語のku-angaはより多義的。ドゥルマでは、典型的には夜中に裸で犠牲者の屋敷に入り込み、屋敷の中庭で裸踊りをして犠牲者に術をかける振る舞い、あるいはイスラム系の憑依霊が犠牲者を襲うさま。犠牲者を夢の中で組み敷いて、病気にするなど。そのprepositional form はkpwangira(ku-angira)だが、kpwanjiraとしばしば発音される。 ↩
187 キクァクァラ(chikpwakpwara, pl.vikpwakpwara)。「雷、雷鳴」。雨季の開始や締めくくりを告げるものとされる。妖術に用いる薬(muhi, muhaso)のなかにもこの名前で呼ばれるものがある。 ↩ ↩
188 ンゴロムェ(ngoromwe)。「トカゲウオ synodontidaea」。海の魚、エソの仲間らしい。一方、洞穴に住むトカゲでゴロムェ(goromwe189)と呼ばれるのもいて、ややこしい。 ↩ ↩
189 ゴロムウェ(goromwe)。トカゲの一種。スワヒリ語のgoromweはスワヒリ語Wikipediaではトカゲウオ(synodontidaea)という海の魚(ヒメ目エソ科)。ドゥルマはゴロムウェは洞窟に棲んでいるトカゲで、乳幼児にとり憑いてひきつけなどを起こすニューニの一種だとする。海にいるトカゲウオについてはンゴロムウェ(ngoromwe188)と呼んでいる。スワヒリ語ではgoromoeをトカゲだとする辞書(Kamusi Project)あり。 ↩
190 ビスミラーイ(bismilahi)。コーランの最初の章 Surah Al-Fatihahの冒頭。ドゥルマの自称イスラム教徒の多くは、この言葉を「始まり」(ドゥルマ語では maunuki)という意味で理解している。食事の際に、最初にトウモロコシの練り粥に手を伸ばすときに、ビスミラーイと一言唱える人も多い。イスラム系の憑依霊ももっているチャリたちも、唱えごとの最初に Surah Al-Fatihahの冒頭と思われる部分を唱えることがある。その部分の書き起こしとAl-Fatihahの冒頭を対照してみる。例えばムリナの唱えごとの始めの部分。そこそこ正確と言っていいのだろうか。
Bismilahi rahmani rahim(Arabic:Bismillah al-Rahman al-Rahim =In the name of God, the Most Gracious, the Most Merciful). Audhubilahi mina shetwani rajim(Arabic:Auzubillah Minashaitan Nirajeem=I seek refuge in Allah from the outcast Shaitan). Swala(スsala,swala=mavoyo kpwa mulungu) Iyaka na budu wa yaka na mustahim.(Arabic:Iyyaaka Na'budu wa Iyyaaka Nasta'een=It is you alone we worship and You alone we ask for help). Mali ya umidini(Arabic: Maaliki Yawmid-Deen= Sovereign of the Day of Recompense). Mswaidi na mswirata musitakim(Arabic: Ihdinas-Siraatal-Mustaqeem= Guide us to the straight road). ↩
191 ドゥワ(duwa, pl.maduwa)。(1)妖術の一種、「祈り、呪い、呪詛」などを意味するスワヒリ語の名詞 dua(pl.dua)より。これに捕らえられると、心が平静を失い、まだ生きているのにまるでもう自分が死んでいるような気がする。人々に嫌われているような気がする、また自分が自分ではないような気がする、他の人々から遠くはなれてしまったような気がする。この症状はフュラモヨ(fyulamoyo3)に似ている。ドゥアの特筆すべき点は、キラボ(chirapho)と同様に母系親族集団(ukuche)全体に及ぶとされるところ。治療は捕えられた母系集団の人々を周回するようにヒツジ(ng'onzi)が引き回された後、屠られ、その胃の内容物で薬液を作り、それで犠牲者たちの身体を洗うことからなる。この施術は一見マブィンガーニ(maphingani192)に対する施術に酷似する。一度も目撃したことはないが、興味深い。(2)不具=chiwete。dua と発音されることも。 ↩
192 マブィンガーニ(maphingani, sing. phingani)。ドゥルマにおいても近親の異性との性関係は不適切で、さまざまな災いを引き起こすと考えられている。こうした性関係がもたらす異常な状態をマブィンガーニと呼び、それが引き起こす災いや症状をキティーヨ(chitiyo, pl. vitiyo)と呼ぶが、両者を互換的に用いる人々もいる。この概念を日本語の「近親相姦」と翻訳するのは不適切である。例えば、父と息子や、2人の兄弟が一人の女性(たとえそれが町の売春婦であっても)と誤って性関係をもってしまうと、それもマブィンガーニになるからである。それはその女性との性関係によって、父と息子、あるいは2人の兄弟が「混じり合う」が故にマブィンガーニなのだと言われる。この概念についての詳しい分析は〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章参照のこと〕。こうした不適切な性関係によって引き起こされた状態を解消するためにはクヴォリョリャ(kuphoryorya193)と呼ばれる手続きが必要になる。 ↩
193 クブォリョリャ(ku-phoryorya)。不適切な性関係によって生じた状態、マブィンガーニを解消するための手続き。混じり合ってしまった全ての人々が地面に互いの脚を重ね合いながら一列に座らされ、施術師によって一匹の(深刻な場合は8匹までの)ヒツジが彼らを周回させられた後に、通常の殺し方ではなく、生きたまま腹部を刺され、胃の内容物を取り出した後に、首を切って屠殺される。その胃の内容物は、特別な草木の薬液に混ぜ合わされ、全員に振り撒かれる。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第6章:162-172〕 ↩
194 ヴィグルンガーニ(Vigurungani)。キナンゴとモンバサ街道沿いの町サンブルを結ぶダートロードの途中にある町。私の最初の調査地「青い芯のトウモロコシ」地区の近く(徒歩1時間)。何軒かの商店と軽食堂があって、日曜には買い出しに出かけた。 ↩
195 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。 ↩
196 ク・フャトゥラ(ku-fyatula)。「はずす、固く固定されたものを急にはずす」ku-fyatula muhambo 「撥ね罠を解除する」など。 ↩
197 ニィカ(nyika)。「荒地、不毛の地、未開地、荒蕪地、人跡未踏の地、木々のない草原」。ドゥルマを含むミジケンダは、かつてはワニィカ(wanyika)という蔑称で呼ばれていた。今でもイスラム化したディゴの人々は、ドゥルマ人を田舎者、ニィカの人間だと軽蔑して語ることがある。私が調査した地域のドゥルマの人々は、自分たちの土地がニィカだとは考えていない。しかし同じドゥルマでもさらに奥地はニィカで、そこのドゥルマ人は自動車も見たことがなく、自動車が通ると皆が動物だと思って弓で射ってくる、などと冗談とも真面目ともつかずに話す。憑依霊ドゥルマ人はニィカからサボテンやミドリサンゴの木を打倒しながらやって来て人々に取り付く田舎者の霊として語られる。 ↩
198 ムベガ(mbega, pl.mbega)。オナガザル科のアビシニアコロブス(Colobus guereza)。そのマント状の長い毛が特徴の毛皮を、背中に付けて、肩を激しく上下させて白い長い毛の房(chio199)を振るわせる伝統的な踊りもムベガと呼ばれる。写真はwikipediaより。

ドゥルマの祖先の墓で行われた供犠の際のダンス。黒いズボンとベストの男がムベガの毛皮を背負って踊っている。オモチャの動画カメラによるもので、かなり悲惨な画質だが。
↩ ↩ ↩
199 チオ(chio, pl.vio)、キオ(kio, pl.vio)とも。ムベガ(mbega、アビシニアコロブス)の特徴的な長く白い毛の房。詳しくはムベガ198参照。 ↩
200 アキリ(akili, pl.akili)。「知恵、知性、分別」などを意味する名詞。スワヒリ語とも共通。ただスワヒリ語ではakiliは上述の抽象的な精神機能を指し、臓器としての脳(ubongo)とは区別されているが、ドゥルマ語では脳の頭蓋骨の大泉門があった辺りの下がアキリの場所とされており、この場所を指す言葉としても用いられている。 ↩
201 ここで「蝉(セミ)」と訳したnyenzeだが、スワヒリ語ではコオロギ(cricket)と訳している辞書(SSE202:345, alt. nyenje)と、セミ(cicada)と訳している辞書MobiTUKIがある。なお後者ではコオロギは'nyenje, chenene'とされている。ドゥルマ語(青い芯のトウモロコシでの収集)ではセミはchinyezi, コオロギはnyenzaである。どちらも万一、頭のなかで鳴かれると、気が狂いそうになる点では似ている。セミの方が嫌な感じなので、「蝉」という訳語にしておいた(良いのか?)。 ↩
202 SSE を「オクスフォード標準スワヒリ・英語辞典」の略称として用いる。
Johnson, F., ed. 1971(originally 1939), Standard Swahili English Dictionary, London: Oxford University Press. ↩ ↩
203 キムリムリ(chimulimuli)。意味不明。おそらく鶏をもってくるよう指示しているのだろうが、キミリミリ(またはミリミリ、chimirimiri, mirimiri)であれば混色の鶏の意。しかし持ってこられたのは白い逆毛の鶏なので、この解釈はあてはまらない。タブは理解しているようなので、家族内だけで通じる呼び方だったのだろうか。カタナ氏はキムリムリはおそらくキディム(chidimu)「逆毛」の同義語だろうと推察。 ↩
204 妖術の一種、あるいはそれに用いる薬。この妖術にかけられると、人は怒りっぽくなり、周囲の人々とうまくいかない。「逆立たせる、怒らせる、非難する」などを意味する動詞ク・ディムラ(ku-dimula)に由来する。なおこの動詞のstativeであるク・ディムカ(ku-dimuka)は、主として毛髪などが「逆立つ」という意味で用いられる。逆毛の鶏がk'uk'u wa chidimu と呼ばれるのもこの動詞に由来する。 ↩
205 生まれて8年経ったものを「ヒヨコ」それも性別が判別しないヒヨコというのは無理があるように思える。8週間の間違いだと思う(見た目からも)。 ↩
206 ンゲケワ(ngekewa)。ドゥルマの友人たちはンゲケワを説明するのに「ジョノ(jono)に似ているが、ネコぐらいの大きさがある。すべての動物の主であり、狩猟でンゲケワを見ると、他のあらゆる動物に出会える」などという(よくわからない説明)。ジョノというのはアカヤブリス(red bush squirrel)でケニアで普通に見られる動物。それに対してンゲケワはめったに見れないらしい。ンゲケワはスワヒリ語だというが、辞書SSE202にはこの単語はない。スワヒリ語のwikipediaで引くとカピバラが出てくる。南米の動物じゃないか。ケニアにいるのか?
だがタンザニアのSNSに次のような投稿があった。
Huyu Ngekewa ndio mnyama anayependwa na viumbe vingi vya porini na majumbani.
Wanyama kama mamba, chatu, nyani, paka, kobe na hata ndege wa aina mbali mbali hupenda kukaa karibu naye na kufurahia maisha hivyo mnyama huyu huhesabika kama kiumbe chenye bahati ya kupendwa na viumbe wengine....
Kwenye kamusi ya lugha ya kiswahili neno Ngekewa mbali na kumzungumza huyu mnyama pia limetafsiliwa kama bahati au yenye bahati na ndio maana hata mtaani mtu mwenye bahati huambiwa ana ngekewa.
(日本語訳:ンゲケワは、多くの野生動物や家畜に愛されている動物だ。ワニ、ニシキヘビ、サル、ネコ、カメ、様々な鳥類までもが、この動物のそばに寄り添い、共生を楽しんでいる。そのため、他の生き物から愛される幸運な動物と考えられている。スワヒリ語の辞書では、ンゲケワという言葉は、この動物を指すだけでなく、「幸運」や「幸運をもたらすもの」と訳されている。そんなわけで町では幸運な人は「ンゲケワを持っている」と言われることがある。)
なるほど、ドゥルマにもこういう話が伝わっていたのだろう。そしてムリナさんもこの見たこともないはずの動物を唱えごとの中に登場させたわけだ。それにしてもngekewaという言葉自体は、もともとはどんな意味だったんだろう。
などと疑問を抱えて幾年月。ふと手元にあるディゴ語辞書207で調べてみたら、ディゴ語でした。それによると(p.135)、
small mammal. Tradition states that when this animal dies all the other forest creatures come to the body to pay their respects; consequently traditional healers use the skin of this animal as a charm to attract customers or lovers.最初のドゥルマの友人たちの説明と合い通じるところがある説明だ。ムリナさんが唱えごとのなかで使っても、おかしくなかったのだ。実際にどの動物を指しているのかはわからないが。カピバラではないね。 ↩
207 Joseph MWalonya, Alison Nicolle,Steve Nicolle and Juma Zimbu,2004,Mgombato: Digo-English-Swahili Dictionary.Digo Language and Literacy Project ↩
208 ナピアグラス。別名 elephant grass(Pennisetum purpureum)。カヤンバの材料になる水辺のガマのような草。 ↩
209 ムヴレ(muvure, pl.mivure)。木をくりぬいて作った横から見ると台形を逆さにした形の椀。今日ではアルミやプラスティック製のお椀(chibakuli210)に取って代わられたが、かつてはトウモロコシの練粥(wari)はこれに入れて供された。憑依霊ドゥルマ人(muduruma211)や憑依霊ムリサ(牛追い216)はこれに入れた練粥を要求する。小型のものはキヴレ(chivure muvureの指小形)。
↩
210 キバクリ(chibakuli, pl. vibakuli)。椀、大きめの椀。ボウル。 ↩
211 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性212)、カシディ(kasidi 女性213)、ディゴゼー(digozee 男性老人93)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele215)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。) ↩ ↩ ↩ ↩
212 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma211)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。 ↩
213 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma211)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga214)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。 ↩
214 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供42がある。 ↩
215 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
↩
216 ムリサ(murisa)「牛追い」動詞 ku-risa「放牧する」より。憑依霊ドゥルマ人(muduruma211)の別名とする人もいる。ムリサに憑依されると、飼っている山羊が多くの子供を産むが、それを使用することは出来ない。それを個人的な目的で使用すると病気になる。ムリサに憑依された人はカヤンバの席で子供たちに牛追いの真似をさせ、中ごしに座ってウガリと酸乳を食べる。立ち上がって自分でも牛追いの真似をし、また座ってウガリを食べるといった動作を繰返す。持ち手の曲がった杖mukpwajuと木の御椀muvureを要求。 ↩
217 ムフネ(mufune)。Sterculia appendiculata(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:397)。世界導師の草木。海岸部の草木(muhi wa pwani)。ニューニの草木。キナンゴ周辺では入手不可能。 ↩
218 ムコマ(mukoma, pl.mikoma)。「エダウチヤシ」(doum palm)。Hyphaene compressa(Maundu&Tengnas2005:265,Pakia&Cooke2003a:376)。実は可食。その葉の繊維はマットや籠などを編むのに用いられる。別名ムララ(mulala219)。 ↩ ↩
219 ムララ(mulala, pl.milala)。「エダウチヤシ」(doum palm)。Hyphaene compressa(Maundu&Tengnas2005:265,Pakia&Cooke2003:376)。実は可食。その葉の繊維はマットや籠などを編むのに用いられる。別名ムコマ(mukoma218)。 ↩
220 ムバンバコフィ(mubambakofi)、世界導師(mwalimu dunia123)の草木。Afzelia quanzensis(Pakia&Cooke2003:390)マメ科の木。 ↩
221 ムバンバラ(mubambara, pl.mibambara)。スワヒリ語でも同じ。Commiphora africana(Maundu&Tengnas2005:163, Kokwaro1993:54, Pakia&Cooke2003b:388)。アフリカ・ミルラの木。樹皮や根を薬としても用いる。憑依霊ペンバ人の草木。 ↩
222 ムェンベ(mwembe, pl.myembe)。「マンゴーの木」mangifera indica。 ↩
223 ムチュングヮ(muchungbwa, pl.michungbwa)。「オレンジの木」。 ↩
224 ムフフロ(mufufulo)。妖術系の施術師用語で「生き返らせる者」。「生き返らせる」を意味する動詞ク・フフラ(ku-fufula)より。 ↩