瓢箪子どもとは何か

(1989年11月17日の日記より)

カタナ君が、ちょうど小屋の前を通りがかったMurina氏に引き合わせてくれる。Murina氏は妖術の治療をする呪医。説明が上手で、礼儀正しいmutumia1だ。奥さんのChariは憑依霊の呪医だとのこと。ジャコウネコの池の坂を下ったmweha2のところを少し右に入ったところに小さな小屋をもっている。行ってみると、Chariは、なんと1987年にkalimboに連れられて占いmburuga3を打ちにいった際の女性呪医だった。私のことを覚えていた。ちょうどNgonzini4で治療をするからいっしょにくるかというので同行する。Ngonzini, Bekpwekpweの屋敷。帰宅は夜の8時になる。疲れたが、とても面白い経験。MurinaはJumma5の日はuganga6の仕事がないので話を聞くにはちょうどいいから、Jummaごとに来るといいと言ってくれる。ありがたい話だ。

これから長い付き合いになるMurinaとChariの施術師夫妻との最初の出会いである。そしてその日にいきなり同行することになったンゴンジーニでのカヤンバは、なんと、ムルング7に「鍋(nyungu18)」を差し出し、「手付の瓢箪子供」を示し、出産を祈願するためのカヤンバだった。ベクェクェの屋敷でのムルングの鍋と瓢箪子供のカヤンバ(ドゥルマ語テキストのみ)。

後日(11月24日)、ムリナ氏らからこの日のカヤンバについて、そして瓢箪子供について、いろいろ話をうかがった。以下はそのテキストの一部である。 ドゥルマ語テキスト(DB 1388-1411)

1388

Hamamoto: 先日のンゴンジーニでのカヤンバは、瓢箪子供(mwana wa ndonga19)を差し出すカヤンバだったんでしょうか? Bakari(B): そう、瓢箪子供を差し出すカヤンバだよ。 H: ところで、私は瓢箪子供がいったい何なのかまだ理解していないんです。 B: 瓢箪子供ってどういう意味か、かい? Murina(Mu): そこのところを探求しているのかい? B: そう、質問はあなたたちの場所ですよ、お母さん。あなた方は「瓢箪子供を差し出すとは、どういう意味ですか」と尋ねられています。うたた寝しておられるのですか? Mu: 瓢箪子供、その意味はまずはじめには、瓢箪(chirenje)20そのものだ。それは瓢箪と呼ばれます。しっかりと実になるとね。首をもった小さいやつ。さて、女性が憑依霊ムルングをもっているとします。ムルングこそ、その瓢箪(chirenje)でできた子供を欲しがっている者なのです。

1389

Hamamoto: ムルング自身が瓢箪を欲しがっていると。つまり彼女の子供を欲しがっている? Murina(Mu): つまり彼女の子供をね。さて、ムルングにこうやって(直接に手渡すように)渡すことはできない。まずお前はムルングにンゴマを打ってやらなければならない。ムルングのために鍋を設置して、歌とともに与えるのさ。あの人(ムルング)に対して私たちがやるあの仕方でね。彼女が到来するまで。私たちはあの子供(瓢箪子供になる瓢箪)を彼女に見せてやらねばならない。そもそもムルングが求めているのは、この子ですよとね。今日、あなたに差し上げます。ムルングにね。 Bakari: その子供は、ムルングの子供なんだよ。 H: その瓢箪がね。 Mu: そう。私たちはその子をあのムルングに、あの憑依霊に与えるのさ。さて、その後、ムルングがやって来ると、こちらでは彼女が(ムルングが)踊っている、太鼓が鳴っている、施術師が座っている、施術師はその子を差し出す。施術師は言う。さあ、これがお前の子供だよ。私があなたに調えて差し上げました、私の友よ。 H: でも、まだ何も入れられてないんですよね。

1390,"解説","瓢箪の子供03","Murina and Chari","

Murina(Mu): まだ何も入れられていない。つまり、私たちは子供を祈願しているのだから。私たちは(ムルングに)その子を与える。そして、私たちの方では私たちの子供を祈願する。 Katana: まだ穴も開けられていない? Mu: まだ口も穿たれていない。 H: 口をもっていない? Mu: 口をもっていない。どうしてかって?まだ彼女のお腹のなかにいる、私たちが知らない人(生まれてくる赤ん坊のこと)を求めているんだよ。その子を祈願しているんだ。その瓢箪は、祈願の瓢箪(chivoyero, 動詞 ku-voyera「祈願する」より)と呼ばれる。私たちが今、私たちに与えられることを求めている、実際の人間の子供の祈願の瓢箪。その女性を塞いでしまっていたのは、ムルングなんだよ。さて、私たちは彼女(ムルング/ムウェレ)に対してンゴマを打つとき、それを終えると、私たちは唱えごとをするだろう。「子供はこの子です。私たちも子供がほしいのです」と。 H: あなたはムウェレに対して唱えごとをするのですね? M: そう、そのムウェレに対してだよ。

1391

Murina(Mu): 「私たちの方でも子供を欲しがっています。あなたの子供については、私たちは約束を果たしました。この子です。私たちも、私たちの子がほしいのです。ここで、云々の日に。」私たちは年(mwaka)を約束にします。あとは子供を見たら、です。 Hamamoto: つまりは、ムルングは自分の子供が欲しかったので、今その女性の子供を封じているのだと? Bakari: そう。腹を塞いだのさ。 Mu: そこで、私たちはそんなふうに祈願するというのさ。ムルングが彼女の腹を塞ぐのをやめてくれるようにとね。もしこちらで、その母親(患者)のもとで、子供が固まり、出産するときに、子供(瓢箪子供)が彼女(ムルング)の子供になりますようにと。さて、(人間の)子供が生まれたら、つまり、こうして子供になり、水を落とし(yudzegbwa madzi21)、つまり固くなり、ひよめきが閉じれば(字義通りには「鍋に蓋がされれば(kufinika dzungu)」、私たちは再度ンゴマを開催しに来るんです。この子供(瓢箪子供)を本当に差し出すためのね。ここで、私たちはその子の口を穿つんですよ。この子の口を開いて、薬を入れるんだよ。今や、布のなかに、生まれてきた子供を背負うための布に入るようにね。

1392

Hamamoto: 薬(mihaso22)を入れるんですか? Murina(Mu): そう。薬とヒマの油だよ。そして、私たちはンゴマを打つ、ムルングが到来するまで。そしてムルングにまずあちらの子供を見せる。あの歩く方の子供をね。 H: 生まれてきた赤ん坊を見せるんですね。 Mu: あの歩く子供を見せる。この子供(瓢箪子供)がこの相棒を養うように、とね。こちらの瓢箪(chirenje)の方の子供は、こちらの(生まれてきた)子供がこうしてこの子のように固くなるまでは、外に出ないんだ。さあ、今や、(子供を産んだ母親に)2人の子供(背中に背負った子供と瓢箪子供の)の世話をしてもらいましょう。子供を養い、子供に乳を飲ませ、上手に育てますように。あんたは、彼女(赤ん坊の母親/ムルング)にこんな風に唱えごとします。彼女(母親/ムルング)に彼女の瓢箪(chirenje)を与え、彼女はそれを(赤ん坊を背負う)布のなかにくくり付ける。おぶい布(mukamba23)の中にね。あの子供を背負うためのね。 H: あの赤ん坊を背負うためのやつですね。 Mu: そう。布の端のほぐれた部分をこんな風に折り返してね、そこに瓢箪を入れるのさ。瓢箪子供が、前に来るように。

1393

Hamamoto: ああ、背中に背負うんじゃなくて? Murina(Mu): そう。背中にいるのは、あの本物の子供の方。でもこの子(瓢箪子供)の方はこちら(胸のところに)だ。彼女(母親)がこの子(赤ん坊の方)を授乳するために布からほどくとき、瓢箪の方はこのあたりに垂れ下がる。さあ、こんな風に私たちはムルングに子供を与えるんだよ。子供は瓢箪の子供。畑にある瓢箪そのもの。それを私たちはムルングの子供に作るんですよ。 H: そんなわけで、ムルングはついに自分の子供を手に入れる。 Mu: 自分の子供を手に入れたというわけ。 Bakari: さて、あんたカリンボさん、もしもう少し長くここに滞在できたら、きっとあの女性が本当に妊娠するのを見ることになっただろうね。 H: ムルングが本当にあの女性をとき解くだろうというのですね。 Mu: とき解くとも。そして彼女は子供を産む。彼女が子供を産めば、私たちはもう一度ンゴマを打つ。あの子供の口を穿ち、薬を入れて、本物の子供にするんだよ。

1394

Katana: ところでその子(瓢箪子供)にはビーズ飾りはあるんですか? Murina: ビーズを紐にとおしたものだけ、それも一本だけね。白と黒(紺色)のビーズをその首のところにね。


(以下の私の質問は、うまく伝わっていないようで、答えも意味不明。) H: Chikala ye muchetu achivyala, phenjine yunahenza mwanawe kahiri, sambi undamupha chirenje kahiri? M: Ni chiratu, chiratu ndo chindakpwenda humbulwa tundu, chitiye ushanga sambi, chitiywe mafuha, ndo chitiywe mihaso, ndo ahewe kahiri sambi. Phamwenga na huya munjine yendakala yudzimuvyala. B: Muratu mulala mo yuyatu muchetu.


Mu: そんな風に、まだ口を穿ってないうちは、瓢箪を寝台に寝かしてはいけないんだよ。それは、ここ、寝台の脚の地面のところに置かれている。 H: 寝台の下の空間にですか? Mu: 寝台の下に、布といっしょにね(布を敷いて)。寝台の中には上げてはいけない。もしそれが(寝台に)上るとすれば、相棒の子供ができてからだ。

1395

Hamamoto: 布だけですか? Mu: そこに布だけでね。こんな風に(物を頭に乗せて運ぶ際に頭に置く、布をぐるぐる巻いて作った)カーハ(k'aha24)のように巻き付けて、その中に座らされる。 Chari: 黒い(実際には紺色)ムルングの布だよ。瓢箪はずっとそこにいる。その女性が妊娠し、子供が固まり、彼女が出産し、そして生まれた子供が寝台に入るようになるまで。そのとき、瓢箪も地面のその場所から離れて、その相棒の子供といっしょになる。ずっと(瓢箪は)そこ(地面の上)にいる。でもまだ子供にはなっていない。その相棒(生まれてきた子供)には口があるけれど、この子にはまだ口がない。さて施術師は待ち構えている。口を穿ちにやって来る約束の日を。こちらの子(赤ん坊)と同じように、この子もまた口をもつようにとね。だってもし口を穿たないでいると、こちらの子も言葉が喋れなくなるんだよ。さあ、やって来て口を穿ってもらう。この子にも言葉を与えるのさ。穴を開けて、心臓(mioyo=種)を取り出し、さあ、草木の心臓と油を入れてあげる。ンゴマを打って、さあ、ムルングに子供を与えてやる。理解できたの、でも? H: はい、よくわかりました。

1396 ドゥルマ語テキスト

Katana: さて、私も質問があります。瓢箪の中に入れる品物(viryangona pl.of chiryangona25)には何がありますか? Murina(Mu): 瓢箪の中に入れるのは、ムルングの草木とあのヒマの油だけだよ。それとムルングの香料と、ブバ(buba26)、ルワフつまりカキリ(kachiri27)、以上。 K: 鶏のものは含まれない。 Mu: ないよ。 Bakari(B): え、中に心臓はいれないの? Mu: 本当の規則はね、肉という名のものは入れないというもの。ムルングの規則さ。ムルングが言うには、瓢箪の中には肉と名のつくものは入れない。草木のマパンデ(mapande12)だけ。ムェレケラ(mwerekera28)、ムヴンザコンド(muvunzakondo29)、ムジョンゴロ(mujongolo30)。 B: ほかの施術師は、鶏の心臓を入れるよ。 M: ムルングの草木、ナンバーワンだけ。ムジョンゴロ、ムヴンザコンド、ムェレケラ。 Hamamoto(H): ってことは、鶏の心臓は入れないと?

1397

Murina(Mu): 草木こそが心臓だよ。お前は草木の小片(chipande)を切削して、それを心臓として入れるのさ。でも、このあたりでは(施術師たちが)鶏の心臓を入れているのを見たよ。 Chari(C): でもあんた、どう思う?施術師たちの多くがそんな風に心臓を調えて、人(ムウェレ)が外に出されて、翌日には占いが打てないというのを。もう普通の人にすぎないのを。癒やしの術はそこにはない。やったことと言えば。そもそもムコバ(mukoba34、施術師の袋)には生の肉を入れちゃいけないのは、なんのためだと?ムコバには生の肉を入れるものではありません。なのに、瓢箪子供には、あなたは生の肉を入れる。さあ、それでいったい何をしようというの?その瓢箪子供を与えられた女性は、ごらんなさい、子供を産めないから。 Mu: だって、その心臓は腐ってしまうからね。私はまさにそのことでムロンゴ(近所にいる施術師)を問い詰めたことがある。私は言ったね。もし瓢箪子供をそんなふうに差し出すとしたら、鶏を屠って、それを取り出す、つまりそいつ(鶏)を割いて、死んだ心臓を取り出すわけだ。そしてそれを息をしているもの(生きている)子供に入れると。それって死体だろ。死体が歩くのを見たことがありますか?死体が薄粥(muswa)を食べますか?

1398

Bakari: もう一人の方(生まれてきた子供)は薄粥を食べる。その子は。 Murina(Mu): 何をしたのか。(鶏の)心臓を取り出し、行ってあちらに入れる。こっちの鶏は死ぬ。必ず死ぬ。だってもう屠られているんだから。まだバタバタしているときに、心臓を取り出される。私はムロンゴに言ったね。あんたは先のないステップをとってしまっていると。私はあなたに言いたい。あの子供(瓢箪子供)、あんたはその心臓(瓢箪の種)を取り出した後、あの鶏の心臓を取り出し、それを瓢箪子供に入れた、こちらの瓢箪に。それを瓢箪の心臓にした。あちらの鶏はといえば、すぐに死ぬだろう。(瓢箪に入れた)あの心臓も、鶏同様に死んでしまうだろう。さて、このことでどんな健全さがあるというのか。その日は、大喧嘩さ。 Chari: あなたは死んだ心臓を入れる。あなたは腹の中の子供を求めている。問題がないと?

1399

Murina(Mu): 最善は、癒やしの術の草木を探すことなのさ。 Chari: あなたが外に出された際の草木ね。 Mu: あなたが外に出された際のです。それを小片(pande12)に、中に入れることができるサイズに切り削りなさい。そしてそれらのパンデだけど、まずお前、夫から始めて、次いで奥さんに続いてもらう。あなたがた二人であなた方の子供(瓢箪子供)に心を入れるですよ。最後まで。終わりましたか?そこで今度は施術師が、香料を入れます。施術師のすることは、香料、それと薬(mihaso)だけです。

(瓢箪子供を産むこと) ドゥルマ語テキスト

C: このあたりでは、瓢箪子供の口を穿つのも施術師ですね。(ムリナとチャリによると、瓢箪子供の口を穿つのも瓢箪子供を与えられる夫婦の仕事) Mu: パンデは、お前と妻とで入れる。もしお前が瓢箪子供のもらい手ならね。あんた方はあんたが他の子供を与えられるんだから。さらに、その瓢箪子供が今日、差し出されるのなら、それがすでに一昨日に口を穿たれていたなんて、とんでもない。それ(口を穿つのも)今日、その日じゃないといけない。今日、調えられて、今日完成し、今日差し出されなければならない。 というのも、私(施術師)のところに(与えられた瓢箪子供を)もってきてよ、私がゆっくり完成させますから、なんて規則破りは、なし。あんた(施術師)(性交を)しないでいられるかい?

1400

Murina(Mu): だって、私がおまえ(施術師)に渡しちゃったらね。私はお前を短く縛っておく(ヤギをつなぐロープを短くして、ヤギが草を食べられないようにするように、私はお前をお前の妻に近づけないようにする)ことになる。私の日時が来るまでのあいだ、お前がお前の妻に擦り寄らないようにな。万一、お前がお前の妻と一緒にいて、瓢箪子供を「産んで」しまったら、お前は瓢箪子供を「追い越してしまった」ことになる。 それはもう私のものではなく、お前のものになってしまう。瓢箪子供のきまりさ。なのにこの辺り(の間違ったやり方)では、(施術師の)施術上の子供たちは、先に行くように言われて、施術師のところに行ってしまう。結果、あとで私のところで厳しく問い詰められることになる。というのも、人は規則について彼に尋ね、(私のところに彼をひっぱてきて)そこで彼が(厳しく責められて)身動き出来なくなったりするんだよ。 Bakari: そいつ(その施術師)の癒やしの術が問題だらけだとわかるわけだ。 Mu: (施術師に向けての語り)さて、私はお前にこの瓢箪子供を求めた。そしてそれには名前がある。我が子という名前がね。私が、お前に私のためにこの瓢箪子供を産んでくれるよう望んでいると思うかい(ありえないだろう)?さて、私はお前に時間を与えてやろう。お前はそれと(その瓢箪子供と)一緒にいて良い。2週間(ドゥルマでは8日間)ちょうどだ。なぜなら、お前はゆっくりと仕上げると言うんだから。(ただし)お前は私を(私自身が私の妻とその瓢箪子供を産むのを)待たなければならない。お前我慢できるかい?

1401

Bakari: 我慢しないだろうか? Murina: そりゃお前は、お前の妻を触りまわるに決まっている。もしお前が妻を触り触りしたら、もうお前は間違いを犯してしまっている。お前は私に、私のものではない、お前の子供を渡しに来ることになる。私に対してこの我が子で間違いをしでかしたことになる。私は嫌だね。だから、この日の内にだ。もしお前が遅れたとしたら、それはお前の問題だ。私の知ったことではない。でも私は、明け方の冷たい空気の中で、私の子供が欲しいのだ。私に瓢箪子供を渡せ。夜が明けたときには、お前はすでに私に子供をわたし終えていてほしい。その後に黒いビーズを付けるとか、なんとか。しかし私は私のスケジュールどおりに事をはこんでほしい。でも、その挙げ句、私は面倒なやつとか言われるのさ。 Chari: その手の癒やしの術は自ずと失敗するのさ。 Mu: 癒やしの術とはこういうものだ、でも癒やしの術は重い(困難だ)。この頭の中に癒やしの術を運んでいくのは、重い。その道はとっても難しい。 C: あなたは、もう処置しましたという。さあ、お踊りなさいな。 B: そしてその「もう処置しました」の言葉が、だめになる。

1402

Chari:(私に) でも、あんた癒やしの術の物語(stori)をたどるというのなら、ああ、癒やしの術はとっても難しい学問(chisomo chikali)だよ、あんた。 Hamamoto: はい。ところで... Murina: 施術師は言う。ムコバ(mukoba編袋34)も今日、瓢箪も今日、瓢箪を入れるためのムコバそのものも今日。そして瓢箪類もすべて今日。明日には、これは、午前5時には、すべてのものが、用意されてなければならない。 C: というのも、このムコバにしても、編み始めもその日になってから。そしてその日のうちに終わらせねば。 Mu: 編み手(縫い手)も、あんたたち二人、二人。あるいは三人、三人。でもそれを終わらせること。それに網籠も。 Katana: それに瓢箪を準備する人たちも。つまり瓢箪にビーズ飾りを巻く人たち。 Mu: 今日中にだ。一日のうちにだ。 Bakari: そもそも施術師が到着するときには、すでにアナマジ(anamadzi35)たちといっしょに来るからね。 C: 癒やしの術は大変なんだよ。

1403

Murina(Mu): さて、彼らの様子を見たら、彼らには出来ないことがわかる。その今日、この日のうちにの作業が。そして台無しに転落。それは困るんだよ。規則は、今日のうちに調えよ、なんだよ。 Katana: そいつらは近道をとろうとする。 Mu: その近道というのが、そもそも間違い。お前さんのアナマジたちは信用できない。今日は調える日。ンゴマは明日、明後日に。なんて私は信用できない。もしかしたら、お前さんも、もうごまかそうとしている。お前さん、施術師がね。だって、お前は癒やしの術のスタイル(sitaili)を知っているから。一人のムァナマジ35でも、ここで過ちを犯すに決まってるんだから。自分たちの家に行って、そこで誰かと過ごすかもしれない。あるいはこちらに(相手を)呼んで、示し合わせた場所で一緒に過ごすかもしれない。あんたが彼らに家に行ってくる許しを与えるかもしれない。そこで彼らは間違いを犯すだろう。そんな風に彼らが事を駄目にしてしまうのさ。何を欲すればいいんだろう?(ンゴマが)終わったら、自分たちの瓢箪子供を自分でもって帰るのさ。あんたはあんたの妻とともに帰る。もう癒やしの術は与えられている。するべきことも告げられている。大事なのは、そこにいた連中によってあんた方が「追い越されない」ようにすることさ。あんたたちの瓢箪子供がね。

1404

Katana: あなた方が最初の者になりなさいと? Murina: そう。あなた方が最初の者でなければ、あなた方が。たとえあの連中全員(ンゴマに従事した施術師やそのアナマジたち全員)が彼らのそれをしようともね。あなた方がすでに先行している。もし遅れたら、あなたは「追い越」される。 K: たしかに追い越されるね、そして駄目にされる。 Mu: 癒やしの術は重いんだよ、あんた。多くの人は、それにかなわない。 Bakari: あなた方は困難をかかえている。 Mu: なぜなら、癒やしの術には禁止があるからね。この癒やしの術には、あんた。ところで、カリンボ(私のこと)、お前の質問なんだっけ? Hamamoto: はい。もし、瓢箪子供を与えられた女性が、子供を順調に産んで、たくさんの子供をもったとします。そうしたら、その瓢箪子供の仕事は終わったのでしょうか。その女性は、それを捨ててしまってもいいのでしょうか。あるいは放置しても? Mu: 放置しちゃいけないよ。だってそいつ(瓢箪子供)は彼女の子供なんだから。誰それさんの子供だったんだから。さて、私たちはンゴマを打って、子供を祈願しました。そしてその瓢箪子供は、彼女が子供を産むように、彼女のために道を解き開くための子供だったのだから。

1405

Murina: 彼女が出産するように、そしてもし彼女がその子(瓢箪子供)を大切に扱えば、彼女が完全に子供を産み終わるまで、彼女の生涯を終えるまで。彼女が大切に扱えば、その一人の子供(瓢箪子供)がだよ。もし瓢箪子供を壊してしまったら、彼女は(施術師に)来てもらってもう一人、調えてもらわねばならない。もっともそう簡単には壊れないんだけどね。 Bakari: 施術師のところに行かなけりゃならない。 Mu: それも、簡単には壊れないんだよ。壊れるといえば、もしお前がその子が壊れているのを見たら、それは何か問題があるってこと。 B: 何か過ちがおきたってこと。 Mu: だって、お前がその子を落としても、その子は壊れないもの。でもその子の相棒(一緒に生まれた実際の子供)につかまれて、(地面に)ブウェ、ブウェ、ブウェって叩きつけられたら、壊れるかもしれないけど。でもお前(瓢箪子供を授けられた女性)自身、(それを結びつけている)布からはずれて、その子を落としちゃったとしても、その子を見てもまったく無事だろうよ。(中の)ヒマの油すら漏れない。たとえ、こんな風になっても、油はこぼれない。

1406

Bakari: こんな風に逆さになっても、地面の方に向いてもね。 Murina(Mu): その子の首が折れているのを見たら、お前、その子の父親がその子を追い越した、あるいはその子の母親がその子を追い越したってことだよ。お前がブッシュで(妻以外の)別の女性といっしょにいる(性関係をもつ)。そして家に着くと、その子(瓢箪子供)の首は本当に折れている。 B: 家の中にいたその子の首が折れている。 Katana: つまり、その瓢箪子供って、もしあなたの妻が瓢箪子供を作ってもらったら、あなたは「外の妻(muche wa konze[^muche_wa_konze])」と性関係をもちにいくことは出来ないというんですか? Mu: 絶対に外に行かない(妻以外の女性との関係を持たない)。 K: 絶対に?そして妻の方も同様に? Mu: 妻の方でも同様さ。 B: だから施術師も(瓢箪子供を「外に出す」ンゴマで与えられている以上)、外には行かないのさ。彼自身の妻とするしかない。彼の妻も外には行かない。

1407

Murina: 私は外には行かない。私が施術師に課す禁止事項は、彼が私に瓢箪子供を与えたら、その後、彼は私よりも先にやってはならない、です。 Bakari: なぜなら規則は、最初にお前が「産むこと」を始める、だ。その施術師がじゃない。 Mu: (施術師が授けられた者の夫に言う)まずお前が行け。そして事を終わらせなさい。そして私に(私自身がする)機会をください。(施術師は)じっとしている(妻との性関係をひかえている)。ずっとじっとしている。その施術師は。さて、お前はやるべきことをやって、すでに終わっている。さて、お前の施術師に譲りに行け。施術師が今度は(その妻と)ことを行う。それが済めばおしまい。お前の方では、彼を咎める理由はなくなる。今や、間違いが起こるとすれば、それはお前自身の問題だ。 Katana: でもその施術師は? Mu: 彼にはもう何の問題もない。自分の屋敷にいて、お前にすでにちゃんと(瓢箪子供を)授与済みだ。今後、彼がどこへ行くかだって?彼の勝手さ。でもお前、この瓢箪を与えられたお前。そしてお前の妻。そう、あんた方二人は、その瓢箪を与えられた。もしあんた方が瓢箪子供に間違いを犯せば、それまで。あんた方はまたあちら(施術師のところ)に戻らねばならないだろう。だって、瓢箪子供は壊れちゃったんだから。

1408

Hamamoto: 瓢箪子供は、どんな風に壊れるんでしょうか? Bakari: 首が折れるのさ。 Murina(Mu): すっかり割れてしまう。 B: 真ん中で割れるのさ。 K: つまり、もし... Chari: 壊れないとしても、必ず油が溢れてくる。 Mu: 幸いに壊れないとしても、油が全部流れ出てしまう。その子は吐き続けるばかり。ずっとぶくぶく。すっかり無くなってしまうまで。 B: 油が上ってくる。 Mu: 後にはただの瓢箪(chirenje)だけが残るのさ。 K: そんな風に教えるのさ。 C: その子は泣いているんだよ。 H: 油がこぼれることが、泣いているということ。なるほど。

1409

Katana: で、もしその女性が閉経すれば、子供を産むのを止めれば、その子供(瓢箪子供)は、相変わらず彼女といっしょにいるのですか? Murina(Mu): ああ、それまでだよ。もし彼女が閉経すれば、そう、その子(瓢箪子供)もいなくなる。 Bakari: つまりもう子供を産まなくても良くなれば。 Hamamoto: そのまま寝台の上にいるってことは、その子は? Chari: そう、寝台の上にいる。 Mu: その子はそこ、寝台にいる。その子は、今や、(彼女が産んだ)歩く子供たちを育てている。すでに彼女が産んだ子たちをね。今や、この子(瓢箪子供)は彼らの守護者なんだよ。 C: (瓢箪子供は)彼女自身も護るんだよ。 H: じゃあ、その女性が死んだら、その瓢箪子供はどうされるんですか? M: 彼女が無くなったら、その子供は、その心を取り出されます。施術師自身によってね。(巻いてある)ビーズ飾りも全てほどかれます。中身をすっかり全て吐き出させられます。だって、もう所有者はいないんですから。

1410

Hamamoto: 「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」を打つ必要はないのでしょうか? Murina(Mu): その当日には大いに打たれますよ。カヤンバは打たれます。それは「悔み(pore)」のカヤンバですよ、それは。彼女(死んだ女性)のために服喪(hanga)が開かれるじゃないですか。さあそこで、その子はビーズの紐を切られるんですよ。 Katana: でも、(死んだ女性が)施術師じゃなかった場合でもでしょうか? Mu: ビーズの紐は切られるし、心は取り出されます、すべて。施術師じゃなければ、カヤンバは打たれません。 K: でもその瓢箪子供の持ち主の女性に対しては、カヤンバは打たれないと? Mu: (ビーズ紐は)切らねばなりません。施術師たちがビーズ飾りを切って、(瓢箪のなかの)薬を全て取り出さねばなりません。 K: でも、(カヤンバを)打たないといけないのは、施術師ですね。 Mu: 施術師にはカヤンバが打たれねばなりません。というわけですよ、カリンボ。説明は以上です。

注釈


1 ムトゥミア(mutumia, pl.atumia)。「長老」と訳すが、結婚した者はmutumiaであるので、必ずしも高齢者を意味する言葉ではない。
2 ムウェハ(mweha)。雨季にのみ水が流れる程度の小さな川。mwehaniはそうした場所を示す副詞。
3 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
4 ンゴンジーニ(Ngonzini)。地名。私の小屋の近所のキジヤモンゾの街道分岐点から3キロほどの村域。
5 ジュマ(jumaまたはjumma)。4日間からなる週の最終日。この日は一切の農作業をしてはならないとされてきた。また施術師もこの日は施術は行わない。詳しくはドゥルマの月日の数え方
6 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
7 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)8との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
8 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza9)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる10。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている11。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
9 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
10 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供11がある。
11 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供10。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神8がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande12)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料16)、血(ヒマ油17)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
12 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符13。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
13 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata14)、パンデ(pande12)、ピング(pingu15)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
14 ンガタ(ngata)。護符13の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
15 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符13の一種。
16 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
17 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
18 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza9、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
19 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供11がある。
20 キレンジェ(chirenje)。瓢箪の実、瓢箪で作られた容器。瓢箪を含むウリ科の植物はムレンジェ(murenje)と総称されるが、その実についてはそれぞれ別の言葉がある。瓢箪はキレンジェ。なお施術師が用いる治療のための瓢箪にはンドンガ(ndonga)という特別な名前が与えられている。
21 ク・グヮ・マジ(ku-gbwa madzi)。字義通りには「水を落とす」だが、赤ん坊の成長段階で、生まれて数日後に身体の皮膚の色が濃くなる段階を指す。
22 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。
23 ムカンバ(mukamba pl.mikamba)とは、片方の肩に掛けて赤ん坊を背負い、胸の前でくくる「おぶい布」のこと。 任意の長方形の布(レソlesoとして2枚一組で売られているものが多い)が用いられるが、瓢箪子供(chereko)による赤ん坊の場合はムルングの布(nguo ya mulungu)あるいは黒い布(nguo nyiru)とよばれる紺色の布が用いられる。瓢箪子供はこの布の一方の端、胸の前で結ぶ部分に結び付けられている。
24 カーハ(k'aha, pl.k'aha)。物を頭にのせて運ぶ際に頭にのせる、縄や布を環状に巻いて作った当て物、パッド。スワヒリ語でいうカタ(kata)。アフリカフェ@バラカ(https://africafe.jp/news/12182) より引用
25 キリャンゴーナ(chiryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴーナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
26 ブバ(buba)。カキリ(kachiri27)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料名は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。
27 カキリ(kachiri)。ルワフ(lwahu)ともいう。ブバ(buba26)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)
28 ムェレケラ(mwerekera)。ムルングの草木。未同定。おそらく動詞ク・エレカ(kpwereka)「背負う、おぶう」のprepositional fromに由来。
29 ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
30 ムジョンゴロ(mujongolo)。ジョンゴロ(jongolo)はアフリカオオヤスデ。ムルングの草木。別名はムツェレレ(mutserere31)。動詞ク・ツェレラ(ku-tserera)「降りる、下がる」より。学名Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)。
31 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo32)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni33と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
32 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
33 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
34 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
35 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。