チャリとムリナ、チャリのムヮモコでの「外に出す」ンゴマについて論評する

概要

1989/12/14から1989/12/16の3日間、チャリはMwamoko1で、シェラとライカとデナを「外に出す」ンゴマを受けた。私はそのためにレンタカーを借りていたが、結局、車は途中のブッシュで乗り捨て、その後は徒歩で目的にまで歩いた。最終日の「重荷下ろし(kuphula mizigo2)」はシェラを「外に出す」際には済ませておかねばならない手続き。私にとっては初めての経験だった。大いに盛り上がったのだが、チャリから見るといろいろ手続き上不備があったらしく、シェラについてはその後も、1990年、1991年と「外に出す」ンゴマをやり直すことになった。 以下のテキストは、このMwamokoでのンゴマについてのコメントであるが、本来瓢箪子供の口を穿つのは、ンゴマを受ける者の夫婦であるはずなのに、施術師がやってしまった、これは良くない、という話から始まり、瓢箪子供にもキルワ(chirwa3)がある、さらに瓢箪子供は人間の話を聞き分けることができる、など瓢箪子供の面白い属性についての話題に移っていった。

  1. 瓢箪子供の口を開けるのは、それを与えられた当人とその配偶者。施術師がやってしまうと瓢箪子供を「産む」手続きが失敗する可能性が出る。

  2. 瓢箪子供は、その所有者や配偶者が婚外性交を行うことによって「追い越され」キルワになる。

  3. 瓢箪は、口を開け瓢箪子供になったときから、ただの瓢箪ではなくなり、人の話を聞き分けることができるようになる。何かをする際には、瓢箪子供にいちいち報告したり、許しを乞うたりする必要がある。

Mwamokoでのンゴマについては

チャリ、Mwamokoにて「外に出す」ンゴマを受ける ドゥルマ語テキスト(DB1460-1615)

Dec.18の会話の日本語訳

ドゥルマ語テキスト (DB 1438-1443)

1438

Chari: その子供(瓢箪子供)は施術師が口を穿ってはならない。なのに彼本人がそれに口を穿ってしまった。 Hamamoto: 彼、施術師が? では、誰によって穴を開けられるのが良かったのですか? C: 私によって、私とこの人(ムリナ)で穴を開けられる。でも施術師は子供(瓢箪子供)に穴を穿つことはできません。だって、もし施術師が子供に穴を開いたら、その後、施術師は家に帰るでしょ。そこで仕事をしちゃうでしょ(妻と性交する)。そうすると彼がその子を生んだことになるでしょ。私たち、その子は私たちのものじゃない。それは壊れてしまうのよ。 H: そこのところ、ちょっとわかりません。 Katana: (英語で私に)彼女はこう言っています。もし瓢箪子供が、それが、あなたにその瓢箪子供を与えてくれた施術師によって、穴を開けられたら。それはまたとても悪いことだと。それはその瓢箪子供がやがて壊れることを引き起こしうる。 H: わかりません。

1439

Katana: (ドゥルマ語で)つまり、こういうこと。その施術師は、まだ口を開けていないその瓢箪子供を作ったとします。わかりますか? H: はい。聞いてますよ。 K: さて、その子供に穴を穿つ、口を開けるときになったなら、その施術師は穴を穿つことはできないのです。でもあなたとあなたの妻、その子を作ってもらったあなた方こそが、穴を穿つ者なのです。 Murina(Mu): あなたが始める。そして最後はあなたの妻が締めくくる。 K: そう、最後はあなたの妻が仕上げるでしょう。なぜなら、施術師たちが口を穿ったら、彼らは過ちを犯しうるからです。彼らが性交(sexual intercourse)したら、それはよくない(it is not good)。 H: そこ、そこが私は理解できてません。

(瓢箪子供と婚外性交渉の禁止)

K: なぜなら瓢箪子供が壊れることを引き起こしうる(it can cause)のです。そういうわけで、この過ちがあります。そしてあなたとあなたの妻による別の過ちがあります。 H: たとえば外で寝たり(婚外性交)すれば?

1440

Katana: そう、外で寝れば。 Chari: この人、そこはすぐに理解するのね。 Murina(Mu): つまりね、外で寝るというのは、妻以外の別の女性のところへ行くってこと。 K: 彼は知ってますよ。ドゥルマ語はずいぶん前に始めたんですよ。 C: 寝るっていうのは、強く吹き込むってことなんだけど、知ってるのね。 Hamamoto: さて、その禁止、いつまで守らないといけないんですか? C: ずっとよ。 H: 外の女性とはずっと寝ることはできない? C: できません。 K: 君は子供が欲しいんだから。さあ、もう、これらの禁止を守らねばね。子供が欲しいんだから。 H: いつまでも。たとえすでに複数の子供を手に入れても? Mu: そう、お前は我慢しないと。さらにお前の妻もきちんとしていないと。

1441

Chari: もしお前が我慢しないのなら、お前は別の施術師たちに来てもらって、キルワ(chirwa3のパンデ(mapande8)を入れてもらわないと。 Katana: でも(施術師は)こっそり行う。それを秘密にする。 C: さらにお前自身も、それを埋め隠すだろう。 Hamamoto: でもあなたの妻が子供を産み、その子がすでに歩くようになっていたら? K: もし歩き始めていたら? H: そう、もう離乳されてね。 K: そもそも、その子が歩き始めたのなら、その母はまた妊娠するだろう。そうしたら、キルワになるじゃないか。 H: ということは、お母さん、瓢箪子供をもてば、もう最後までってこと? Murina: そう、彼女が産むことをやめるまでね。 K: 難しいこと。

1442

Chari: そう、我慢しない人たちもいるわね、あんた。我慢しない人たちもいる。 Katana: 食いしん坊のヨシネズミは、すぐに叩かれる C: すぐに叩かれる、とは災禍が起こること K: ええ、それが叩かれるということ。それこそ押しつぶされるということ。 Hamamoto: じゃあ、施術師は二人目の妻を娶ることはできないのですか? K: どうして結婚できないと? H: 妻以外の女性と寝ると、瓢箪はキルワになるのでは?

(瓢箪子供に言い聞かせる)

C: ちがうよ。お前は人の娘(結婚したい相手)を示さなければならないだけ。その子(瓢箪子供)に言い聞かせる。私はもう一人の妻を娶りたいのです、そしてこの人が私の二番目の妻です。あなたのもう一人のお母さんですよ、とね。それは瓢箪(chirenje14)だけど、話して聞かせると、聞き分けるんだよ。口を作られただろう、それだけ。もうただの瓢箪じゃないんだよ。 H: 口を作ってやったら? C: そう。人は別れを言わずに出ていくことがあるでしょ?そして帰宅すると、(瓢箪の)ヒマの油が無くなりそうになっている。フルフル噴き出している。あれまあ、その子は泣いているんだね。もし泣かなかったとしてもね。お前はその子を寝台の上に置いておく。そして帰宅すると、それはひっくり返っている。まるで人によって倒されたみたいにね。ほら、そうやって苦しんでいるのよ。 K: 誰かに倒されたんじゃない。自分で? C: そうよ。自分でよ。

1443

Hamamoto: だから、言い聞かせておかねばならない。私は今から出かけますが、後で帰ってきますって? Katana: なんと、不思議じゃないかい! Murina: でもね、(瓢箪を)動かしているのは、憑依霊(shetani15)なんだよ。 C: 憑依霊よ。 M: なぜなら憑依霊は瓢箪(ndonga16)の中にいるんだから。 C: さて、用事があって、たとえば家には近くないところに出かけちゃった。で、そこで寝た。でも眠れないのね。 K: 子供(瓢箪子供)の持ち主のあなたがね? C: そう。瓢箪子供をもっているあなた。眠れなくなってしまう。そして朝になると、心臓がドキドキするの。 H: あなたが子供のことを忘れてしまったから? C: ちがうわ。ただ出かけたから。子供を置き去りにしたから。 K: 別れを告げずに? C: そう。さて、目的地に着いても、そこでは、もう火をおこせない(楽しく過ごせない)。そして家に帰ると、必ず、ほんとに違い(変異)を見ることになるのよ。

注釈


1 ムァモコ(Mwamoko)。地名。キナンゴ(Kinango)とモンバサ街道沿いの町マリアカーニ(Mariakani)を結ぶ道のほぼ中間地点から左に入った奥にある地区。ムリナ氏の一族が住んでいるが、ムリナ氏はムァモコは「イボイノシシの町(tauni ya gbwashe)」みたいなもの、田舎すぎて住む気がしないと語っていた。そのとおりだった(1989年時点)。
2 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
3 キルワ(chirwa)。動詞ク・キラ(ku-chira)「追い越す、凌駕する」より。典型的には、妻が妊娠中あるいは出産後に、夫あるいは妻が、妻や夫以外の相手と性関係をもつ(これは「外で寝る(ku-lala konze)」と表現される)ことによって、生まれてきた子供が陥る状態のこと。購入した家畜についても、夫や妻の浮気によってキルワになるとされている。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第9章,第10章〕参照のこと。憑依の文脈では、施術師のもつ瓢箪子供(mwana wa ndonga4)が、施術師本人やその配偶者の浮気によって陥る状態が、とりわけ問題になる。
4 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供5がある。
5 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供4。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神6がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande8)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料12)、血(ヒマ油13)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
6 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza7)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる4。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている5。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
7 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu)とセットで設置される。
8 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符9。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
9 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata10)、パンデ(pande8)、ピング(pingu11)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
10 ンガタ(ngata)。護符9の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
11 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布で包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符9の一種。
12 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
13 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
14 キレンジェ(chirenje)。瓢箪の実、瓢箪で作られた容器。瓢箪を含むウリ科の植物はムレンジェ(murenje)と総称されるが、その実についてはそれぞれ別の言葉がある。瓢箪はキレンジェ。なお施術師が用いる治療のための瓢箪にはンドンガ(ndonga)という特別な名前が与えられている。
15 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
16 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。