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July 22, 1999 |
4月以来、本当にまいった日々だった。さんざんだった。かなり精神的エネルギーの準位が低まっている。表面的に元気をとりつくろうので精一杯という雰囲気でもある。 作業中の論文のページに置いた一連の論考から離脱するために、まとめとなる論考「時間と規約性:結論」を置く。 気を取り直して、新しいテーマについて考え始めたい。
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Mar 11, 1999 |
うぅ、いくら雑用が多かったとは言え、時間かかりすぎている。先月の段階でほぼ中心となる記述は終わっていたのだが、その後の考察がまとまりがつかないで、いつものダラダラモードに陥ってしまっていた。それでいてまだすっきりとしない。 とりあえず「正しさの問題:『悪い死』の冷やし方」を作業中のコーナーに置いておく。 一連の論考はだんだん終わりに近づくにつれてもりさがり、まるで線香花火の最後のジュワジュワジュワ....ぽとっ に似てきた。
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Feb 13, 1999 |
「作業中の論文」のところにもう一本置く予定なのだが、いろいろてこずっている。などと言いつつ、terragen という風景作成ソフトがあったので適当に遊んでいると5分ほどでけっこうそれらしい景色が出来てしまう。で、それをつかってページのデザインを変更してしまった。まったく何をやってんだか、である。 さらに何をやってんだかついでだが、最近イギリスの音楽にはまっていて--もともとヴォーン・ウィリアムズとかブリテンとかは好きだったのだが--エルガー、ウォルトン、ディーリアスと浸りまくりの日々でもある。
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Dec 15, 1998 |
「出来事の因果性」本文のみ完成。ドゥルマの屋敷の秩序をめぐる一連の比喩的語り口と現実の出来事の生起との関係の分析。「悪い死」の話は後回しになる。この論考と「悪い死」についての論考--そこでは儀礼的知識の継承の不確かさを問題にする--、それからおそらく「正しい手続き」の規約性の意味を考察した論考の3つで、一連の論考は終結することになるだろう。これらすべてが科研費のミジケンダ調査報告書に載せる予定の論文「秩序と災厄」を膨らましたものだ。私のくどさにも磨きがかかってきている。 おまけに、終りの方ちょっと「くさい」締め方。個人的な知り合いのあんまり幸福じゃない話を書くとどうしてもドライに徹することができない...
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Nov 23, 1998 |
「屋敷の成り立たせ方:「産む」という比喩について」の細部修正。ナイフによる傷害事件の治療についてのインタビューデータからの補足と、同じく火事の処理に関するインタビューデータからの補足。こんな細部修正についてまでここで書く必要ないか。現在「悪い死」についてのデータを見直しているところ。それについて今度は書こうかと思っているのだが、今ひとつインセンティヴが.....
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Nov 18, 1998 |
「外」の想像力:子供を「外に出す」方法本文のみ完成。儀礼論に関するの作業中の論文を置く場所として始まったコーナーなのだが、なんだか途中から一続きの話を展開し始めている。「屋敷の壊し方」に始まる4本は完全に一続きだ。この4本で一セットと考えると、これが一応の完結編。 8割がた完成などと言ってから10日以上たってるよ。何やってんだか...もちろん授業です。
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Nov 14, 1998 |
「憑依霊としての白人」の誤りの箇所のうち、あまりにもひどいものについて正誤ファイルを用意する。本文中の★マークのところから、その部分に関する誤りの訂正にジャンプできるようにしておきました。こうしたケアが随時できるというのは、もしかしたらWWWの利点かも。活字メディアではそう簡単に修正はできないからなぁ。 それにしても恥かしい恥かしい。
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Nov 13, 1998 |
大昔に(手書きで)書いた「憑依霊としての白人」を暇にまかせて再入力して html 化。自分の厚顔無恥ぶりに穴があったら入りたい気持になる。たった6ヶ月ほどの調査で、よく書く気になったものだ。当然のことながら今から見ると間違いだらけ。信じられないような勘違いもしているし、ものすごい例外を一般的であるかのように書いたりしている。これをこのままで公開するのは犯罪的な感じもする。そのうちにきちんと間違いに対する修正を添える予定。もともとのを書き直すことはしないけれど、ここが間違っているという註釈はきちんと加えておきたい。 それを言いはじめたら、他の論文でもいろいろ訂正すべきところがあるのだが。
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Nov 12, 1998 |
講義の合間をぬって、作業中の論文と発表済の論文にスタイル・シートを適用してみました。読みやすくなった。ただそれだけ。
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Nov 7, 1998 |
論文の字がつまりすぎて読みにくいのでスタイル・シートを使って行間をあけ
たりしました。調子に乗っていろいろみかけだけをいじり回しました。css 1
に対応したブラウザーじゃないと効果はありません。NetscapeNavigator 4以
上か InternetExplorer 4.0 以上。とりわけ背景の fix とか position 指定
とかに対応しているのは IE 4.0 だけです。むなしくなりました。もうすぐ次
の論文を「作業中」コーナーに置く予定です。8割方完成。
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Oct 14, 1998 |
「屋敷の成り立
たせ方:「産む」という比喩について」を置きました。久しぶりの更新。
屋敷の壊し方シリーズ同様に、もっぱら「民族誌的」な記述と分析が中心になっ
ている。けれど比喩的なリアリティについての実質的な考察も少しだけ進んで
いるような気もする。夏休み前には完成するかなと思っていたのだが、夏休み
をはさんだせいで、えらく遅れてしまった。この間飯嶋秀治さんから丁寧なコ
メントをいただいたのに返事もできていない。 それにしても一連の考察は、なんだか盆栽いじりをしているようなセコイ作業 に堕してしまっているような.....
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July 15, 1998 |
「儀礼につ
いての序説」にまた手を入れる。まだ気に入らない議論だ。気に入らない
議論というのはいくら手を加えてもますます気に入らなくなる。とくに序説と
いうと、やはり本格的な議論の前にパースペクティヴを提出するという性格のも
のだろうが、本格的な議論がどう決着つくか明らかになっていないのだから
パースペクティヴもクソもないもんだ。
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July 7, 1998 |
これまで「違犯と不幸」という名前で長い間放置されていたものを、そろそろ
出版に向けて最終調整で手を加え、タイトルも変更して「秩序と災厄:
ドゥルマの屋敷における順序とその乱れ」という名前で更新。
主な変更点は「呪」という言葉の追放。さあ、ほぼ完成してから3年間も他の
執筆者の方たちの完成をひたすら待ちながら眠っていた論文の再始動だ。
って、たいした変更じゃないけど(^_^;) 付録に他の執筆者の章に対するコメントもつける。
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July 4, 1998 |
「屋敷の壊し方
(2):追い越しと後戻り」を更新。未完成の部分あり、って言うのは実
は結論をまだ書いていなかったということだったのだ。で、結論をつける。 社会人類学のホームページの院生のペー ジの「考察」というコメントを求める学生の論考を載せるページに、つい に西本くん(博士1年)の人類学にお ける占い研究の現在が載りました。修論から始まって、こだわりの本格派 で考えてきただけのことはある break through じゃないかと思わせる力作。
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July 1, 1998 |
「屋敷の壊し方
(2):追い越しと後戻り」を html 化する。まだ未完成の部分あり。こ
れは 1995 年に書きとっくに出版されていたはずの(近々予定)「違犯と不幸:
規範に基づく因果関係とは」のなかの理論的考察の部分ではない方、つまり民
族誌的紹介の部分のうち、屋敷内の序列とその逆転から発生する災厄について
の項を、ドゥルマの人々の語りを引用しつつ、より詳しく記述したもの。だか
ら興味ない人にはますますどうでもいいものですが、最近こうした、書いてい
てもあまり発見や、理論的な前進の喜びのない、『記述』という作業をとこと
ことやっていくことも重要だろうなぁとか思い始めています。
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April 23, 1998 |
このサーバにある一連のページを mule の w3 で見たところ、リンクの色が実に醜く表示されることに気が付きました。で、vlink の色を変えて少し見易く。(それにしてもmule の w3 でブラウズしている人ってどれくらいいるんでしょう。私はテキストベースならなんとなく lynx ですが。 聞くところによると windows95 の上で動く mule でも w3 が使えるとか。windows は最近ほとんど使ってませんが、もしそうなら mule をインストールして環境を似せるという手も(とかいって、また時間を無駄にしようとしている(^_^;))
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April 21, 1998 |
大田好信さんの「トランスポジションの思想」が世界思想社から出ました。彼の立場がくっきりとわかりやすく提示されています。お前のやってることはいったいなんだ!と鋭く問いかけられているようで身がすくみますが、でも気分は深海魚で、その問いに体がついていかない。太田さんの問題系からはほとんどその意味がみいだせなくなってしまいそうな作業を続けるのみです。「屋敷の壊し方(1):まぜこぜにする」註と文献と要旨と目次を完備して、一応の完成を見ました。
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April 19, 1998 |
どうでもいいが、新学期が始まるとさすがに忙しい。おまけに4月の第1週から講義を開始するという暴挙に出たので、これは自分で自分を拷問しているようなものだ。先日なんとなく読み返したドゥルマの「インセスト」概念についての論文、今となっては不十分な点が多く、ついに我慢できずに私の現在の問題のとらえかたにそって書き直し。前回の論文と重なる部分は50%くらいかな?やたらと長くなってしまった。まだ註も完備していないが、とりあえず置く。「屋敷の壊し方(1):まぜこぜにする」 (1)としているのは、この後「屋敷の壊し方(2):追い越す」を書く予定だから。
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March 9, 1998 |
12月22日から2月11日までケニア・タンザニアで調査。帰るまぎわに屋台の茹で蛸にあたってひどい目に。帰ってからここには何も手をつけてませんでしたが、今日ふとドゥルマの「インセスト」概念について書いた論文に目を通してみたら html が壊れてました。図もなかったし。でその修復。また「妻を引き抜く方法」が『民族学研究』で活字化したので、出版済のところに移動。
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December 8, 1997 |
昨日、雨のあとコンディションのあまり良くない泥コートでテニスをしていて、足を滑らし背筋をおもいきり痛めてしまいました。歩くのがつらいのでタンザニア大使館にビザをもらいに行くのは延期。作業中の論文コーナーの儀礼論としてまとめたもののそれぞれに形の統一性(^_^;)をもたせるために、要旨をつけていきました。けっこう時間かかった。 田川君のページが更新されてますね。「おばちゃん」という新しい民族誌的エッセー。こういうさりげない文章が書ける田川君の才能がうらやましいね。
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December 4, 1997 |
一連のページのデザイン変更。ミジケンダ・コーナーにミジケンダの簡単な紹介文をつける。あと2週間ちょっとでまたアフリカです。帰国は2月なかば。今回は短期の調査です。ザンジバル経由で、海岸沿いにケニアに入って友人たちに再会という段取り。ちょうど国政選挙直後くらいになるでしょう。 8月以来、2ヶ月近く燻っていたモンバサ暴動の影響がどんなものか気になります。ドゥルマの出稼ぎの若者たちが集まってすんでいる地域がまさに暴動の舞台になったわけですから。そこで働いていた友人の一人と、警官をしていた友人の一人が、各々この騒ぎの中で命を失ったと伝え聞いています。
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November 30, 1997 |
「キドゥルマと神秘的制裁」にさらに少し手を加える。いちおうコメントにはすべて答えられたのではないかな...と。 ホームページの最初の画面がごたごたした印象。やっぱり目次だけにした方がいいのかな。ま、どうでもいいことだが。とか言いつつ手を加える。 土曜日の埼玉大学での呪術研究会では、また軽々しい発言を繰り返してしまいました。反省。あと、こんなことばっかりしてて仕事すすんでません。ごめんなさい>関係者。
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November 28, 1997 |
昨日のゼミで時間があまったので「キドゥルマと神秘的制裁」を学生の皆さんに検討していただきました。いろいろありましたが、話がどこに向かっているのか最後までわからなくてきついという指摘。論文の冒頭で議論の流れを要約して結論を予め提示しておくのは論文を書く基礎で、学生の皆さんにはいつもそう指導しているくせに、自分じゃやってないというずさんさの露呈(^_^;) それと議論がしんどいという感想も。「密度が高い」とおっしゃってますが、これは誉め過ぎでしょう。要するにくどくて細かいわけです。自分でもわかってます、はい。 その他、いろいろ問題点を挙げていただき、実にありがたかったです。すべてを一気に直すわけには行きませんが、とりあえず、冒頭部で全体の見取り図を示しておくべきという指摘には応えておきます。
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November 27, 1997 |
研究室所属の学生向けのホームページ作成マニュアルおよびリンク集が、ちょっと古くなってしまっていたので、内容を少しだけ新しくしました。そんだけ。
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November 26, 1997 |
あらぁ〜。ほとんど一ヶ月何をしてたんでしょう。実は前回置いた「キドゥルマと神秘的制裁」は議論に大きな穴がありました。その修復作業に時間を思いのほかくったのと、卒業生がもってきた Tomb Raider にはまってしまったのと(^_^;)、ソラリスのデスクトップのカスタマイズに凝ってしまったのと(^_^;)、それやこれやで..... もちろん講義やゼミの用意もきついものがありましたし....ううぅっ。文化概念の再構築も、もちろん進めてますよ(^_^)。さて、改訂版キドゥルマと神秘的制裁を置きます。議論が結局は同じような点に回帰していってしまうのは、そこが重要な点だからだと無理やり思い込むことにします。そうとでも思わないと..... 博士の2年の田川君のボラナページと今度博士論文を提出した奥野さんのホームページが、民族学会のホームページに登録されたようです。けっこうなことです。
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October 28, 1997 |
キドゥルマと神秘的制裁を置きます。「妻を引き抜く方法」ていねい版の更なる補論。自分でもイヤになるくらいシツコイ性格ですね。こんな風にしていつまで経っても最終的な結論に到達できないのでしょうか。前に進んでいるのか、後ろに下がっているのかよくわからない今日このごろ。なぜかヴォーン・ウィリアムズを大きな音でかけまくりつつ作業、作業。 それと博士の2年の田川君のボラナページへのリンク。「肉」のエッセーが実にいい味出してます。
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October 21, 1997 |
調査地の概要にドゥルマの屋敷に関するセクションを追加。いずれのセクションも、どうしようもなく簡略な記述なんだけど、結構寄せ集めるとくだくだしく長くなってしまった印象があることよ。
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October 18, 1997 |
毎週土曜日は多摩川沿いを国立から二子玉川までサイクリングで往復。今日は足に錘をつけたのでちょっと疲れました。だからという訳でもないんだけど、仕事する気がおきなくて思わずホームページの見掛けに手を入れてしまいました。まったく意味なし。 Canclini の Hybrid Cultures... なんだかからめ手から妙に触発されてしまいました。文化とはそれを可視化する収集作業そのものと切り離して、それ自体の存在をうんぬんできるものではないのではないか。人類学は、対象社会を政治的・経済的に「自給自足」したものとしてとらえることはとうの昔に断念しているくせに、「象徴生産」についてはまだ自給自足のモデルでとらえていたのかもしれない。象徴の生産、流通、消費が社会内で完結しているかのようなモデル。昨日のゼミでこんな話をして、今日はそれをもう少しじっくり考えてみようと思ったんですが、スポーツ馬鹿とホームページ馬鹿で一日が終わってしまいそうだ(-_-;)
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October 7, 1997 |
大学院の入試やら会議やらで忙しかった。とはいうものの、2週間以上かけて何やってんだって?「夫と水甕」にまた手を加えて、説明不足を補ったていねい版作成。2週間もかけるような作業じゃないね。レイコフの隠喩論の含みをきちんと表に出し、構成的規則をやや説明的に提示。もういい!
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September 21, 1997 |
久々の更新。「夫と水甕」の最終稿を置き、「儀礼論への序説」を大幅に書き換え、「巣立ち」の議論を整理し直し。いつになったら、新しい展望が開けるんだろー。ながいながい停滞がまだまだ続きそう(-_-;)
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June 18, 1997 |
3年の眠りから「夫と水甕」を呼び覚まし、『民族学研究』の呪術特集用の原稿に書き換えました。締め切りを前にしてのトホホな廃物利用っす。まだ第一草稿の段階なんで、同じコーナーに置いてます。
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June 5, 1997 |
ドゥルマ・フォトストーリーあらためドゥルマ・フィールド・ガイド。改名の理由は写真とか用意するのがめんどうくさいからですが。で、まずはドゥルマの調査地の概要を紹介した文章をおきました。
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May 21, 1997 |
アフリカ関連リンク集を日本語化しましたです。ついでにアルファ・ブロンディの解説記事の日本語訳も。 さすがに飽きたですね、ページ作り。 でも、この一週間のページ編集作業の副産物: 掘り出してきた古い原稿をもう一度考え直してつなぎ直して、何かが出てくるかも知れないなどと淡い希望をいだいたりね。
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May 20, 1997 |
いやぁ、明日から民博で日本民族学会の研究大会だね。ここの学生さんも何人か出席するみたいです。がんばってね。私は行きませんが。一人15分の発表だから、こみ入った議論が出来るわけもないのだけれど、少しでも自分を売り込む機会なんだな。テレビのスポットCMの寄せ集めみたいな感じですね。 今日はこのページの更新はなし。社会人類学共同研究室のページに学生向けマニュアル(パソコンの使い方)を追加。以前に作ったものだけど。 実は、大学院でしゃべった話をあわてて文章化してみたり、古いオシャカ原稿を引っ張り出して読み直したりしたおかげで、頭がまたまたすっかりその辺りの問題にチューンされてしまいました。そもそもこいつらがオシャカになったのは、こういった問題にこだわってることが不毛だったからなのに、性懲りもなく。それでいいのか、浜本。また時間を無駄にしちまうぞ。って、こんなことしてる方がよっぽど無駄(^_^;)
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May 19, 1997 |
ページの冒頭の「○に真」ロゴとヘッドラインのまわりのデザインに手を入れる。ソース見ればわかるけど、table tag を使ってるんですよ、ここ。 こんなとこに手を加え始めたってことは、そろそろ内容がなくなってきましたね。何ヵ月か周期で訪れる、ページ改装熱もそろそろ冷めるかな(マラリアか、おまいは)
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May 18, 1997 |
部屋の隅に追い遣られたかつての愛機98DA君のハードディスクの中を漁って、見捨てられた草稿の中から比較的話がまとまってるものを選んで2つばかり html 化。なんだかコンテンツを充実させようとして、もうなりふりかまわずって感じで、ちょっと見苦しいぞ。儀礼論の序説と民族誌の対象についての2本。 昨日あわてて書き上げて載せた「コスモロジー...」読み直してみたら、ずいぶん雑い議論がいっぱいあって早くも修正だ。 おまけに午前中のテニスで膝と手首が痛い(関係ないけど)。
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May 17, 1997 |
ページのコンテンツを少しでも増やそうというまったく本末転倒した目的で、4月以来大学院のゼミで小出しに喋っていた話を一気に文章化。ま、何年も前から考えてたことだから...しかし書いてしまうとつまらない話に見えてくるのが悲しい。「コスモロジー概念に含まれる3つの誤認」。相変わらずの主知主義批判だったりする。
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May 14, 1997 |
せっかく新装なったホームページ。外見だけが変って中身がそのままってのはあまりにも寂しい。ちょうど連休前に大学院ゼミで検討した話(頭のなかでは随分なんども反芻していた)をたまたま文章化しかかっていたので、とりあえず大急ぎでまとめて載せる。民族誌的現在時制について。 ミジケンダ・コーナーが寂しいので、お蔵入りしている論文の中からドゥルマ語のテキストの翻訳を大量に含んでいる部分をドゥルマの人の語りコーナーに収録。いやぁ、久しぶりに読み返すとまるで他人が書いた文章みたいっすね。
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May 11, 1997 |
あー、疲れた疲れた。一橋大学の「公式」ホームページの公開が近づいてきたので、これまでのちょっとはずかしいページは引っ込めて大改装。もうヴィヴィアン・チョウもアイジンも、サイモンとガーファンクルのページもぜーんぶ処分、処分。 いや、それにしても疲れた。なんといっても自分のページだけじゃなくて、研究室のページまでたのまれもしないのに作ってるわけだから。俺も奇特な男だね。単なる馬鹿ですか? これまでのページ、見たことある方も少ないでしょうが、はっきり言って趣味悪かったです。最後は java script 使い放題、new window バンバン開き、どぎつい色使いに gif アニメーション(さすがに BGM をつけるのは評判悪すぎてすぐやめましたが)で、アクセスした方はきっとさぞかしうっとぉしかったことでしょう(^_^;) でもそれももう過去のこと。すっきりアカデミック(爆笑)に生まれ変わった私を見てください。
Ptsu! We chitabu cha jwijwi! Wakala vorovoro dzudzi na dzana. |