授業料未納で学校から出席を止められていたNgoloko君だったが、なんとか未納分を納め、最短4年で終了できる中等学校を6年以上かけてなんとか卒業した1。全国一斉の統一試験KCSEに良好な成績で合格し2、正規コースで西ケニアにある国立の教員養成カレッジ(全寮制)への入学資格が認められた。といっても、年間に当時の日本円で約20万円ほどの自己負担が必要で、Ngoloko君も彼の一族にもそれだけの余裕はなかった。私は喜んで(?)彼の2年分の学費負担を引き受けることにした。
2年のカレッジを優秀な成績で終え(なんでも学生自治会みたいなものの会長もつとめていたという)、終了後はただちに政府によって小学校教師としてドゥルマ地域の小学校に派遣されることになった。1996年秋、タンザニア調査の帰途ドゥルマに立ち寄った際に、たまたま配属先の決定を待っていた彼と一日だけ会った。彼は、遠方への着任を希望していた。もしまんいちジャコウネコの池村3に配属されたら、ただちにトランスファーを要求すると。その理由は、第一に自分の一族がいるところだと、うっかり生徒も叩けない。第二の理由は、この村の妖術使いたちだという。帰国後、彼の配属先が徒歩で1時間ほどのM...ni村に決まったと手紙で知った。彼によると「近すぎる」というのだが。
先生としての彼の評判は、数学の教え方が上手と上々だったようで、視察官が視察に来た際も、君が評判のNgoloko先生かねとわざわざ挨拶に来てくれた、そうだ(話盛ってない?)。父兄の受けもよかったという。順風満帆な人生。
が、大きな落とし穴が待ち構えていた。彼の次の転任先はトゥンザという小さな町だった。モンバサ島を望むクリークに面した町で、ココヤシだらけの町だった。そこで彼は、彼を気に入った父兄たちに授業が終わるたびに、ヤシ酒に誘われることになったのだ。彼の中に流れる呑兵衛の遺伝子4が、目覚めてしまったらしい(カタナ君談)。
私は1997年の秋から翌年の春にかけての調査以降、いろいろあってしばらく調査からは足が遠ざかっていたが、6年後、2003年の冬に久しぶりのケニア調査を再開した。
ちょうど小学校が12月の長期休暇にはいっており、Ngoloko君も戻っていると聞いて、到着した翌日に彼に会いに行った。彼はすっかり、私の調査地ジャコウネコの池の村の呑兵衛おっさんたちの一員になっていた。
7年ぶりに会ったNgoloko君は、相変わらず利発で話巧みな愉快な青年だった。この7年間にいろいろあった。結婚したり、教師の生活に加えて、実家の前にとうもろこし粉や雑貨を売るキオスクを建て商売もはじめたり(Good News)。その妻と仲違いして独身に逆戻りしたり、詐欺師に騙されたり、従兄弟の若者に店番を任せていたキオスクが、若者が親族の要求に屈して無料で商品を売りまくったせいで倒産したり(Bad News)。他にもいろいろ(ほぼBad News)。すべて彼を妬む妖術使いのせいなのだそうだが(違うと思うぞ)、そのあたりは省略しよう。
休暇中は、また一緒に調査しようと申し出てくれた。わずか一ヶ月ちょっとの滞在だったのだが、おかげですごく捗った。毎日数か所のインタビュー設定。お土産は何が良いかまで、適切なアドヴァイス5。カタナ君との、あるいは私単独での調査とは打って変わって、どこに行くにも2~5リットルほどのヤシ酒必携。途中から情報が極度に劣化する問題はあったが、みんな上機嫌。
ドゥルマに入って10日ほどたったある朝、Ngoloko君がおもむろに切り出した。ドゥルマの「女性婚」の制度の話。その日の日記から抜粋する。
さて、今日は朝Ngolokoから思いがけない話を聞いた。呪医のNyamvulaの話。彼女はちょっと前に亡くなったのだが、なんと「女性婚」をしていたという。結婚もせず、子供も産まれなかった彼女は、稼いだ富で二人の妻をめとった。子供を産んでもらうために。びっくりしてC..riとM...naに確認すると、こうしたことは、けっこう行われており、C..riのmayo wa chiganga6もそうだったという。これらの妻は外の男性と自由に交わり、夫である女性に子供を産んでやる。... 疑問: 女性婚の結果生まれた子供について、マトゥミア7は誰が行うのか?
『秩序の方法』を書いた当時の私の関心のありようがなんとなく伝わる記述だが、この話題については、まあその程度の関心だった。ところが、この日のあと、Ngoloko君は誰のところで話を聴くかにかかわらず、ひたすらこの話題を追究し始めたのだ。婚資の話や、そうした女性婚の未亡人の処遇や、その他いろいろ。
女性婚はEvans-PritchardのNuer研究のおかげで、家族や結婚の虚構性を指摘する際には亡霊婚とならんでよく引き合いに出される。ドゥルマではそれだけを指す特別な呼称はない。 普通の婚姻の一種にすぎない。
Bemrezi: Tsivyarire mwanalume tsetsetse na nafasi ninayo. Bemba yo ni halahala. Ni kawaida. H: Tsi vyama? B: Tsi vyama. Hivira ni kukala yunahenza mbari ya kp'ako hebu mali ya kp'akp'e yisiyaye. Ngoloko: Mali ya kp'akp'e viratu vitu arivyo navyo? B: Anamanya mimi nichilavya ng'ombe kumi na nne, nichiwala mwanamuche, nichimwamba vivi mwanamuche nyendeka. Achivyala barubaru anamanya vitu viratu vina mwenye. Na ye mwenye yundakala ni mutu wangu mimi. Ni mutu ambaye kana ubari. N: Ni mutu ambaye hasa kavyarire na ni tajiri, na ni mwanamuche. B: Kp'a hivyo anawala mwanamuche. Anawalwa hata kala ni ahahu, anne. N: Haya gb'eyesani gb'eyesani, lakini yendavyala nahatsa. B: Nahatsa mino. H: Kp'a vino vitu vyangu viroromwe baadaye. B: Viroromwe na hata nikafa, ndaroromwa mimi. Hata nikafa aa andakala ni kama adzukulu angu hivino. Sambi aa ndo amba andakala achedza phangu kaburini. Hebu andaniusira hata hanga.
Bemurezi:「私は男の子を一人も産まなかった。富に余裕はある。」となると当然じゃないかい? 普通のことだよ。 H: 変なことじゃない? B: 変なことじゃない。こんなふうにするのは、自分の氏族をもちたい、あるいは財がなくなってしまわないように気にかけているってこと。 Ngoloko: 彼女自身が今、現に持っている財? B: 「私が、ウシ14頭を差し出し、女性を娶り彼女に言うのさ。妻よ、歩き回っておいで(どこかで性交渉の相手を見つけておいで)。」彼女が男の子を産めば、人々は、あれらの財産にはいまや所有者がいると知る。「この子はほかならぬ私の子孫だよ。」(他に)父系氏族をもたない者なんだ。 N: 子供を一人も産まず、金持ちで、そして女性。 B: というわけで、彼女は女性を娶る。3人でも4人でも娶る。 N: 「さあ、寝ておいでなさいな、寝ておいでなさいな。でも子供が生まれたら、その子は私が名付けます。」 B: 「この私が名付けます。」 H: 「そうすることで私の財産は、あとになってもちゃんと管理してもらえる。」 B: 管理してもらえる。「そして私が死んだら、私も見守ってもらえる。私が死んだら、その子らは、いまや私の孫。私の墓に来てくれるのは彼らだ。さらに彼らが私の(熟した)葬式すら開いてくれるだろう8。」
恥ずかしい話だが、このときになるまで(20年近く)私は当地に「女性婚」の制度があることを知らなかった。その後Ngoloko君といっしょに調査する中で、女性婚の妻は、夫である女性の「息子の妻 mukaza mwana」という位置づけを与えられ(息子などいないのだが)、彼女の生む子供は、夫である女性の「孫 mudzukulu」ということになること、したがって、子どもの出生にあたっての「子供を産む kuvyala mwana」儀礼的性交マトゥミア matumia は、その子の生みの母である女性と、彼女の相手の任意の男性によって済ませられること、などの細部も明らかになってきた。Nuerの場合と違って、女性婚で生まれる子供は夫である女性の子供ではなく、孫になる。その女性は祖父ということになる。
というわけで結婚できず、子供も生まれなかった女性は、簡単に「男」になれ、父系リニージの祖先になることができる。私は一度おろかにも、じゃあ男性同士でも結婚できるのかと尋ねて大笑いされてしまった。男を娶ってなんの意味がある。男は子供を産むことができない。ドゥルマでは女性は男になれるが、男はそうやすやすとは女性にはなれないようだ。
わたし的には、この問題はこの程度で十分だった。いまさら女性婚なんて、論文のネタにもなりゃしない。女性婚の夫として生きた女性、女性婚の妻として嫁いだ女性の体験記とか、私は別にそれほど興味ないし。
しかしNgoloko君は、この問題から離れようとはしてくれなかった。地域のさまざまな人々に、女性婚の問題を尋ね続けた。
上の引用にあるように、単に財をためた結婚できず子供も持てなかった女性が、リニージの祖先になるために、自分の子孫を獲得する目的で行う、ごく普通の戦略だと語る者もいれば、ドゥルマのやり方にかなった結婚ではあるが、自分は嫌いだと言う人もいた。だって自分の娘が嫁ぎ先ではほとんど売春婦のような扱いをされるのを知っていながら、女性婚の妻として娘を差し出す父親は婚資に目がくらんだ最低なやつじゃないか。自分は娘がそんな結婚をするのは絶対認めないと。いろいろな意見があって当然の話。これくらいで、もういいじゃん?
なのに、Ngoloko君、私がせっかく別のテーマで話を始めても、強引にそっちへ持っていく。さすがの鈍感な私もこれは怪しいと気がついた。問い詰めると、自分は施術師ニャンブーラの未亡人、ムァナコンボさんと結婚しようと思っているとあっさり認めるNgoloko君。なんだよ~!じゃあ、もうしばらく付き合ってあげるよ~。
女性婚の夫となった女性は、自ら稼ぎ出した財で婚資を支払うので、彼女の父系氏族(ukulume)は、彼女の妻に対する権利をもたない。彼女の死後、いわゆるレヴィレート婚のようにその未亡人を相続する権利もない。もともと子供を作るために、男性と自由に関係をもつことが許されていたわけで、「夫」の死後も事態はたいして変わらない。生まれてくる子供は、その産みの父が誰であれすべて「夫」の「孫」である。自分の子供たちと「夫」の財産を守りつつ生きてもよいし、実家に戻ってしまってもよい。祖霊k'omaとなった「夫」は、そのさまざまな要求を、その夢の中にやってきては「孫」たちとその子孫に伝えに来るだろう。
しかし、その未亡人と正式に結婚したいとなると、どうしたらいいのだろう。婚資を支払わないと結婚したことにはならない。婚資を支払えば、生まれてくる子供は再婚者の男の子供になる。通常の結婚であれば、未亡人が亡夫の氏族の男性と再婚するなら、婚資の支払いはない(支払済みなのだから)。もし未亡人が亡夫の氏族の男性との再婚を拒んで、他の男と結婚することになった場合、その再婚相手は婚資を亡夫の兄弟その他の最も近い父系親族に支払うことになる。父系氏族(普通は亡夫の父親)が亡夫の結婚に際して婚資として支払った分を補填するわけで、これによって父系氏族は、以降生まれてくる子供に対する権利を失い、産まれた子は晴れて再婚相手のものとなる。女性婚の場合、婚資は誰に支払えばいいんだろう?Ngoloko君が婚資について聞きまくっていたのは、これが理由だったわけだ9。
しかし、Ngoloko君が頭を悩ませている、それ以上に厄介な問題があった。それは施術師であった「亡夫」ニャンブーラが、死ぬ直前に行ったとされる呪詛であった。
日記より引用
Ngolokoはニャンブーラの女性婚の妻ムァナコンボと本気で結婚するつもりのようだ。土曜日にM..baさんの引き合わせで話し合いがもたれる予定。ニャンブーラは死ぬときに、ムァナコンボに、結婚するな、もししたら結婚式の場でお前は死ぬといったような言葉を残したらしい。ムァナコンボはそれをすごく気にしているという。Ngolokoは結婚式は開かないので大丈夫と答えたらしい。ちょっと違うような気がするが。
死ぬ直前に残される「妻」に再婚を禁じる呪詛をかけたというのだ。
男性に嫁いで子孫を作るコースから外れてしまった女性に開かれた、子孫作りの戦略(おまけにゆくゆくはリニージの祖先として覚えてもらえる可能性も)という、実利的な計算から運用される女性婚の制度、なんともドライである(ちょっと度が過ぎたほど)と私は思っていた。
だがニャンブーラの女性婚には、こうした理解には収まらない奇妙さがあったことが、少しずつわかってきた。最初、ニャンブーラには女性婚の妻が二人いたと聞いていたが、実際には彼女は3人の女性と結婚していた。最初の妻は、愛人とともに逃げた。まだ子供は生んでいなかった。その愛人はニャンブーラに姦通の賠償金 malu と婚資 maliを支払い、彼女を自分の正式な妻とした。二人目の「妻」にニャンブーラは自分の父系氏族の分類上の孫にあたる男たちをあてがった。彼らを自分の屋敷 mudziに呼んで彼女の「妻」と暮らさせた。人々は、変なことをすると眉をひそめていたらしい。女性婚の妻には相手を決める自由が認められていたはずだから。その「妻」は二人の子供をもうけた。2003年現在、この二番目の「妻」は、ニャンブーラの屋敷でこの「孫」たちと暮らしている。三人目の妻が年若いムァナコンボだった。施術師であるニャンブーラは彼女の弟子 mwanamadziの男を、ムァナコンボにあてがった。施術師は弟子に対して施術上の母(mayo wa chiganga)であり、弟子は施術上の子供(mwana)とされるので、ムァナコンボは文字通り「息子の嫁 mukaza mwana」だと人々は面白がったらしい。が、何年たってもムァナコンボには子供ができなかった。
これについては、奇妙な話を聞いた。
Metsuma: Dza mimi mba, tsina mwana wa chilume. Haya kala na mali, vivi kulola mwanasichana, kumwika pharatu, haya vyala. Haya enenda uvyale. Ngoloko: Enenda uvyale. Me: Halafu ara ana undakala unaaihadze ara anae? Unaaiha adzukuluo. Mba undahatsa abazo. Haya enendani. Chisha utsenende phamwenga tu ukamuchunga. Ni umurichire tsare. Utsimukubekube. Haya ye wakala chidzako yunaakubakuba. N: Ye Nyamvula? Me: Mmn. H: Yunaakubakuba chidzedze? Me: We chikala unamba vivi mwanzo, chikala mutu yunenda muhamboni, ni mairo kp'a mairo, na auye dakika. Yaani utsichelewe. Samba ni kuakubakuba? N: Lakini uaphe wakati wao. Sambi unahenza uhatse nduguzo na mino unanikubakuba. Me: Heka vino ndani yidzuma vino? N: Ndani yidzumadze yani? Me: Yidzuma mba, chikala wakala yunamba nakubwa kubwa. vino Nyamvula waika pindi. Mbona vino ndani kayifutuka. Akala anasinga ye muchetungb'a. N: Anambadze? Me: Yunamba yunafimbwa fimbwa mba. H: Kala amba vivyo? Me: Eeh mba. Haya muchetungb'a wauka phephi yaphi? Samba vivi ngeri wavyala. Hata kumba kavyarire ngere yunatumbo. Yi laphi, yo ndani yidzumwa kamare na mwiri uchanjaruka dza wangu.
Metsuma: たとえば私がね、財産があって、息子がいないとするよ。もし財産があったら、こうして女の子を娶って、家に置く、さあお産みなさい。さあ、歩いていってお産みなさい。 Ngoloko: さあ歩き回って、産みなさい。 M: さて(産まれた)子供たちをなんて呼ぶことになるね?孫たちだろう。だってその子たちの父(世代)の名前で命名するんだから10。「(妻に向かって)さあ、歩き回っておいでなさいな」(とお前は言う)。一緒について行ったりしちゃ、だめだよ。彼女(妻)を見守ろうなんて思って。お前は彼女を完全に放任して(tsare)ほっておかなきゃならない。彼女を囲い込んじゃったりしちゃいけない(Utsimukubekube)(=自由を奪ってはならない)。なのにね、あの人は彼女たち(妻たち)をついつい囲い込んでしまう(yunaakubakuba)。 N: あのニャンブーラが? M: そう。 H: 囲い込むってどんなふうにですか? M: あんた、もしお前がそもそもね...、もし妻がとうもろこしの粉挽き場に行くとするじゃない。もう大急ぎで行って、数分で帰ってこないといけない。遅れちゃだめだよ。これって囲い込みじゃないかい? N: でも、彼女らに時間をあげないと。だってお前は自分の兄弟の名前を名付けたい(子供を生んでほしい)んだろう。その一方で囲い込む(彼女の自由を奪う)って。 M: じゃあ、なんで未だに子宮がからっぽ(文字通りには乾ききっている)なのよ。 N: 子宮がからっぽ(乾いてる)ってどういうこと? M: 乾いてしまうんだよ。もし囲い込まれてたら。ニャンブーラのところに置かれて、もうずいぶんたった。なんで未だに腹が膨らまないんだい?そんなふうに(ムァナコンボの実家の)人たちが彼女のことを陰口きいてるんだよ。 N: なんて言ってるって? M: (うちの娘は)閉じ込められてるって。 H: そんなことが言われてるのですか? M: そうなんだよ。「うちの娘が嫁いでからもうずいぶんたった。今頃とっくに出産していてもいいはずなのに。出産していないとしても、妊娠していてもいいはずなのに。」なにが出産なものか。子宮はもう空っぽ。身体は私みたいにおデブさん。 (メツマさん、口悪すぎです。)
別の近所のおばさんからは、さらにすごい話を聞いた。ニャンブーラはよくムァナコンボを責めて叩いていたというのだ。ムァナコンボが水汲みに行って、少しでも帰りが遅いと、何をしていた、誰といたと問い詰めて、手をふりあげていたらしい。さらに別のおばさんによると、ニャンブーラの他の「妻」たちについても同じで、最初の妻が逃げたのもそのせいだという。ムァナコンボにあてがわれていたニャンブーラの弟子は、実際にはニャンブーラの機嫌をそこねるのが怖くて、ムァナコンボには手を出せずにいたとなると11、この結婚は、女性婚の本来の「趣旨」から完全に外れているとすら見える。
もし他の男性と関係をもたぬよう自由を制限し、子供も産ませるつもりがないというのなら、ニャンブーラが彼女と女性婚をした理由はどこにあったのだろうか。そして本当かどうかはわからないが、呪詛によって自分の死後の自由まで奪おうとしたというのはいったい何だったのだろう。
ある年配の男性からも、ニャンブーラの若い頃の面白い話を聞いた。
Kaema: Kp'anza ye Nyamvula wakala yuna vyama yiye. Ukenda phapho kala u ngui wa kp'imba sana. Maana wakala ni muganga wa makayamba. Ukaimba vivyo hata chiramuko, na achisikiza anamanya yuyu ni ngui. Bila kukala kakulozere mukaza mwanawe, ye muchetu ambaye wamuwala na mali anaidima kukutsunuka yiye sambi. H: Kutsunuka ye mwenye muganga? K: Eeh. Kakala unaimba yiye tu, asichana anji mpaka agolomokp'e, agb'e na phapho kare.
Kaema: まずもってあのニャンブーラは、変な人だったよ。どこへ行っても、彼女はとってもよく歌う歌い手だった。だって、彼女はカヤンバの施術師12だったんだから。彼女は歌うと朝まで歌い続けたものだよ。そして(彼女の歌に)耳をすませば、「彼女こそ筆頭歌手だ」と誰もがわかった。もし「息子の嫁」を娶ったりしてなかったとしても、彼女が婚資で娶ることになるだろう女性が、彼女にその場で惚れちゃうこともありえたよ。 H: 施術師本人に惚れてしまう? K: そうなんだよ。彼女が歌ったら、女の子たちがたくさん、憑依してその場に倒れたもんだよ。
まるで、スター歌手のコンサートじゃないか?生前のニャンブーラさんからゆっくり話が聞けなかったのが悔やまれる。彼女のおこなっていた女性婚は、子孫を獲得し祖先に昇格するという実利だけのために、行われていたわけではなかったのかもしれない。
実利的な計算に基づくドライな制度という側面だけでなく、それはもしかしたらドゥルマの女性にとってのあるオルターナティヴな愛の形であった可能性すら見えてくる。知らんけど。
もしそうだとすると、自分の「妻」が他の男性と関係を持つという、女性婚においては当然の行為に彼女が嫉妬していた(かもしれない)のもうなづける。そして彼女が、残した妻にかけたと言われる呪詛も。
ニャンブーラは死ぬ前に、最後の妻ムァナコンボに呪詛をかけたというのだが、おばさんたちによると、そればかりか財産そのものに呪詛をかけた。
Ngoloko: Wafanya dambi? Dambi rani? Woman1: Chidzakala kp'a mfano we udzigula muyo, lakini wakati wa kufa yinaanza yo miyo kufa, ndo nawe mwenye ufe. Ano ario kuno nyuma andafugb'a nini? N: Yaani phokala yutsuma kufa miyoye yichanza kufa? W1: Tsetse kaphana, kuku, mbuzi, ng'ombe, tata...kufa hata diya. N: Hata diya achifa! Sambi wakala yulagizira vivyo? W1: Ni mihasoye mba walagizira vivyo. Woman2: Wamanya nichiricha yiyi miyo, ngombe za kurima,.... W1: Wamanya yindariwa ni M___a be.
Ngoloko: 罪を犯したって、いったいなんの罪? おばさん1(名前聞きそこね): たとえばね、お前が品物を買ったとするよ。でも死が始まったとき、最初にそれらの品々が死に始めるんだよ。そしてお前本人も死ぬ。じゃあ、後に残された者は、どうやって食べていくってんだい? N: つまり、彼女が死のうとしていたとき、最初に財産が死に始める? W1: なにもかもすっかりね。鶏、ヤギ、ウシ、とうとう最後はイヌまで死んじゃった。 N: イヌまで死んじゃった!さて、そんなふうに命じたってわけ? W1: 彼女の呪薬(妖術に用いる薬)だよ。それにそんなふうに命じたのさ。 おばさん2: 彼女は、財産をそのまま残したら、耕作用のウシとか... W1: それがM..kaさん13に食べられてしまう(使い尽くされてしまう)って知ってたんだね。
呪詛であったかどうかは、なんとも言えないが(わたし的には呪詛のわけないが)、事実はお金持ちだと思われていたニャンブーラが死んでしまうと、屋敷にはほとんど何も残っていなかったとわかった、ということだろう。で、この手の憶測が流通していたわけ。知らんけど14。
彼女の近所に住んでいて生前よく話をしていたという長老に話を聞いて、たしかにニャンブーラが死んだとき屋敷には財産は何も残っていなかったが、それはニャンブーラが二人の妻たちのために取り計らって、然るべき場所に隠したのだとわかった。Ngoloko君も一安心。しかし自分の死後の「妻」たちのことまで取り計らって死んだ、つまりそこまで自分の「妻」たちについて気にかけていたとすれば、ムァナコンボにかけたという呪詛の方は、ますます現実味を帯びてくる。なんだか執着すら感じる。もちろんこちらの呪詛も、近所の噂なのだが、あいにくそれは当のムァナコンボ自身が直接ニャンブーラから発せられた呪詛なのだ。そしてムァナコンボは、この呪詛が怖くて、Ngoloko君との結婚をためらっているのである。
日記より
1時半にM..baのところへ移動。はじめてムァナコンボに会う。M..baはC..riとサブ・チーフの法廷にまでいって戦った相手だが、気さくなおばさんだ。ヤシ酒を売って生計をたてている。Ngolokoにとっては母方並行イトコ ndugu wana chane であり、気やすい間柄。ムァナコンボの親しい友人でもあり、彼女がNgolokoとムァナコンボの仲をとりもっている形だ。ムァナコンボは美人の部類に属するだろう。M....wa15と似ている。Ngolokoの趣味がわかる。Ngolokoは酒をとめどなく飲みだす。Ngolokoの兄B...iが加わる。B...iはニャンブーラの弟子の筆頭だった。ムァナコンボはニャンブーラの死ぬ前の言葉を恐れている。B...iは気にすることはないと言っている。
Ngolokoとムァナコンボ
(M..baさんのヤシ酒サロンにて。メツマさんは「おでぶさん」と言ってたが、どちらかというとスレンダーだ。)
Ngoloko君にとって、婚資をどうするかと、呪詛をどうやって解除するかが、喫緊の課題となった。
ちょっと長くなりすぎたので、以下はざっと。あっけない展開である。
まずは占いで呪詛の有無を調べねばならない。 日記より
朝7時にNgoloko来る。ムァナコンボが占い(mburuga)に行ってきたそうだ。結果は、呪詛ではなく妖術。ニャンブラに屋敷に「打ちつけku-kota」られていることが判明。他の所に娶られても、結局ここに戻ってくることになると。妖術となると話は早い。早急にクブェンドゥラku-phendula16せねばならない。明日、キナンゴの施術師によってクブェンドゥラする予定だという。
翌日の日記より
Ngoloko、ムァナコンボのクブェンドゥラkuphendulaをD....leの呪医に依頼することに。C..riの施術に同行する約束がはいっていたが、行き先がたまたまD....leの近くなので、施術が早めに終わったら合流することにする。 (私が同行した方の施術が長引いたため実現せず)
さらにその翌日
朝6時40分頃、洗濯しているとNgolokoが来る。昨日のクブェンドゥラは現地への到着が遅すぎて出来なかったらしい。なんでも早朝行う必要があるのだとか。というわけでムァナコンボは今日、すでに出発しており、Ngolokoもこれからすぐ合流するのだという。可能ならカセットで録音してきてくれるよう依頼。おもしろいデータをとってきてくれるとうれしい。... 遅い朝食後、自転車のパンク修理にジャコウネコの池の街道沿いのフンディのところまで自転車を押していくが、日曜だと行うことで店はお休み17。クブェンドゥラ帰りのNgolokoに出くわす。施術は終了、占いmburugaもしたという。ムァナコンボの憂慮 wasiwasi と怯え woga が取り除ければ良いのだ、実際には何もないのだと言う。カレッジで学んだサイコロジーなのだと。.... 人に気付かれるといけないので、Ngolokoはムァナコンボと二手に別れて帰ることにしたが、M..baさんのサロンで合流するつもりらしい。もうみんなにばれてると思うが。で、あさってムァナコンボはG...eの実家に戻る。1月5日にはNgolokoもN...yaの学校へ戻る。で現地でさくっと結婚してしまうつもりらしい。ジャコウネコの池の住民たちが知らないあいだに。で、ほとぼりが醒めた頃に連れてくるという算段だ。
クブェンドゥラで妖術を取り除いたということで、Ngoloko君は調子づいている。カレッジで学んだ心理学だって?自分が父親から妖術をかけられており、それでなにもかもうまく事が運ばなくなったと真顔で言う人が、妖術は心理学の問題だと言い出すとは思わなかった。
年が明け、1月4日になった。調査地にいるのもあと一週間。Ngoloko君も明日学校のあるN...yaに出発する。12月上旬からクリスマス休みにはいっていた学校が明日から新学期を迎えるのだ。この二日ほど会っていなかった。今日でお別れだ。
1月4日の日記から
Ngoloko9時半に来る。昨日はクワレで給料を下ろし、その足でG...eのムァナコンボの実家に行き、婚資として1万シル支払い、父親に酒を飲ませてその勢いでkuhatsira18させてしまったという。父親はあさってニャンブーラの親族を訪れ、婚資を返してニャンブーラとムァナコンボの結婚を解消する。Ngolokoとのことは内緒にしておく。姦通の賠償 maluの支払いをなんとかごまかしてしまおうという。結婚解消後に娶ったのだということにすれば、maluの支払い義務は発生しないとの解釈19。
すごい実行力だ。みんなに尋ねまくっていた婚資の問題については、なんだかチートぽい、離れ業的解決を思いついたみたいだ。おまけにこうすれば、未亡人と再婚する際に絶対に避けて通れない姦通賠償maluの支払いも回避できると踏んでいる。ほんとうにこんなにうまくいくものだろうか。そもそも、あんなにしつこく質問しまくって、ジャコウネコの池の人々にはバレバレだと思うんだが。 Ngoloko君は自信まんまんだ。私がこの結婚の結果を知るのは、2年後のことである。